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492 :yukikaze:2014/07/12(土) 01:56:13 何とか完成しましたフィリピン決戦第二幕。今回は日本パートです。   戦後夢幻会ネタSS――前史「彼らは来た」 2 暗闘 アメリカの状況については前回説明した。 では、次に迎えうつ日本側の状況を説明しよう。 マリアナ沖海戦で、戦略的にも戦術的にも勝利した日本は、お祭り騒ぎに近い状況であった。 彼らがはしゃぐのは無理もなく、圧倒的というべきアメリカ空母機動艦隊を壊滅状態に 追い込んだのである。 仮にサイパンを抑えられると、そこから先は戦略爆撃の毎日である。 絶体絶命のピンチにおびえていたが故に、その反動は凄まじかった。 もっとも、実戦部隊などでは、喜びどころか諦観すら漂っていた。 500機近い空母艦載機部隊と800機近い基地航空艦隊。航空機も戦闘機こそ零式艦上戦闘機52型 (一部部隊で紫電改)であったが、艦爆や艦攻は彗星に天山。主力の陸上攻撃機も銀河に代って、 従来とは比較にならない攻撃力を、タイミングを合わせての飽和攻撃にすることで、攻撃力の 増大と被害の局限化を図ったのだが、米空母機動艦隊を相手に刺し違えるのが精いっぱいであった。 特に母艦航空部隊の艦爆・艦攻は機体性能が大幅に上がっても尚、被害続出であり、一部海軍士官 からは「従来の戦法では何をどうやっても攻撃側が不利になるのではないか」と、航空機無用論 まで出る始末であった。 まあ流石にこれは極論であったが、しかし実際に指揮を執った小沢提督にしろ南雲提督にしろ、 従来戦備ではアメリカ海軍空母機動艦隊は超えられない壁になっているのではないかという認識 は持ったようで、それが、これ以降のある意味常識を覆すような戦法へとつながっていく。 さて、現場部隊の認識についてはここまでとして、日本政府はこの勝利を外交的にどう活用 したかというと何も活用はしなかった。 そんなバカなと思われるかもしれないが、日本政府は如何なる外交ルートにおいても、 この勝利を元に停戦交渉を行うなどという事はしなかった。 何故か? 最大の理由は東条英機首相が現段階で動くことに何の意義も持っていなかった からであった。 東条にしてみれば、現状での停戦など百害あって一利もなかった。 何しろアメリカ側は、カイロ宣言において、日本の無条件降伏や、日本が満州・朝鮮・ 台湾を手放すことを求めているのである。東条からすれば強欲以外の何物でもなく、 とてもではないが交渉相手として信頼出来る存在ではなかった。 更に、東条が懸念していたのが、破断寸前の日本経済であった。 今は「戦時下」という状況を利用して統制を強めることで破断を先延ばしにしている ものの、経済に何の手だてもなく停戦をしてしまえば、日本に待っているのは極度の インフレとそれに伴う経済崩壊である。 そしてその行き着く先は、アメリカによる経済植民地化か、あるいは赤色革命による 共産主義国家化である。 「天皇の忠臣」を自認する東条にとって、こうした未来は悪夢以外の何物でもなかった。 故に東条は、満州以来の付き合いのある星野直樹をリーダーに据え、産業の合理化 並びに来るべき経済の破断界を少しでもソフトランディングさせるべく、開店休業状態 に陥っていた総力戦研究所を利用して極秘裏に研究をさせている。 こうした点を見れば、少なくとも東条は、国家という物をまるで理解していなかった 石原莞爾や、2・26事件を引き起こした若手将校よりははるかにマシな指導者では あっただろう。 ジリ貧を対米戦によってドカ貧にまで追い込んでしまった事実から目をつぶればだが。 493 :yukikaze:2014/07/12(土) 01:58:56 こうした認識の元、東条は、アメリカ側に決戦による被害を与え続けることによって、 最終的にはアメリカ側から停戦交渉を持ちかけることを基本方針に据えている。 この「一撃講和論」は、こちらから膝を折らずに済むという点で、広範囲な支持を 受けるに至り、東条内閣の権威が大幅に回復する要因となるのだが、同時に早期講和 により何とか国家に受ける傷を減らそうとする夢幻会側との間に修復不可能な溝を 作り出すことになる。 対潜護衛や電探による航空管制などマリアナ沖の勝利を支え、且つ海軍の色々な部署 から恨みを買っていたことで、海軍軍令部第七課(ソ欧情報)に飛ばされていた 阿部俊夫が、本格的に終戦工作に動きだすのも、この時期からである。 さて、「一撃講和論」を基本方針とした東条は、次の決戦地をフィリピンと考えていた。 東条の考えでは、アメリカ海軍が負けたことで、相対的にアメリカ陸軍の政治的発言力 は高まり、そして彼らはフィリピンに拘っている以上、確実にフィリピンへと進軍する のは火を見るより明らかであった。 故に、東条はフィリピンの戦いを決戦と見据え、フィリピン防衛部隊として第14方面軍 を編成。第四航空軍や決戦部隊として第二戦車師団を隷下に加え、出来うる限りの戦備を 整えている。 もっとも、東条が褒められるのはここまでであった。 この戦いが正念場と考えていた東条は、フィリピンに自らの腹心である木村兵太郎を 方面軍司令官に任じ、更に第四航空軍のトップに冨永恭次、第二戦車師団には花谷正と、 これまた自分の身内で固めている。 東条からすれば、自分の腹心や身内であるが故に、意思疎通も十分に図ることができ、 目的達成に近づくと考えたのであるが、口の悪い者が「フィリピンは陸軍のゴミ捨て場」 と貶すほど、彼らの用兵能力のなさは酷く、結果的にフィリピン決戦において最初から 最後まで足を引っ張ることになる。 (なお、木村兵太郎の代わりにビルマ防衛軍の指揮官になったのは山下奉文であった。 彼は、夢幻会所属の将校が、自らの予備役編入と引き換えに潰したインパール作戦に 投入予定だった第31師団と第33師団を用いて、徹底的な遅滞防御作戦を展開。 遂に終戦までマンダレーを奪われることはなかった。) このように、日本側も来るべき決戦に向けて着々と準備を整えつつあった。 仮にマリアナで海軍が敗北していれば、とてもではないがここまでの準備は 出来なかっただろうというのが衆目の一致する所である。 もっとも、フィリピン決戦はどちらかというと日米陸軍が望んだ決戦であり、 海軍はその意思決定の後押しであったことは興味深いものである。 そして10月下旬。マリアナの痛手を何とか回復したアメリカ軍は、いよいよ フィリピンに向けて進撃を始めるのであった。
492 :yukikaze:2014/07/12(土) 01:56:13 何とか完成しましたフィリピン決戦第二幕。今回は日本パートです。   戦後夢幻会ネタSS――前史「彼らは来た」 2 暗闘 アメリカの状況については前回説明した。 では、次に迎えうつ日本側の状況を説明しよう。 マリアナ沖海戦で、戦略的にも戦術的にも勝利した日本は、お祭り騒ぎに近い状況であった。 彼らがはしゃぐのは無理もなく、圧倒的というべきアメリカ空母機動艦隊を壊滅状態に追い込んだのである。 仮にサイパンを抑えられると、そこから先は戦略爆撃の毎日である。 絶体絶命のピンチにおびえていたが故に、その反動は凄まじかった。 もっとも、実戦部隊などでは、喜びどころか諦観すら漂っていた。 500機近い空母艦載機部隊と800機近い基地航空艦隊。航空機も戦闘機こそ零式艦上戦闘機52型(一部部隊で紫電改)であったが、艦爆や艦攻は彗星に天山。主力の陸上攻撃機も銀河に代って、従来とは比較にならない攻撃力を、タイミングを合わせての飽和攻撃にすることで、攻撃力の増大と被害の局限化を図ったのだが、米空母機動艦隊を相手に刺し違えるのが精いっぱいであった。 特に母艦航空部隊の艦爆・艦攻は機体性能が大幅に上がっても尚、被害続出であり、一部海軍士官からは「従来の戦法では何をどうやっても攻撃側が不利になるのではないか」と、航空機無用論まで出る始末であった。 まあ流石にこれは極論であったが、しかし実際に指揮を執った小沢提督にしろ南雲提督にしろ、従来戦備ではアメリカ海軍空母機動艦隊は超えられない壁になっているのではないかという認識は持ったようで、それが、これ以降のある意味常識を覆すような戦法へとつながっていく。 さて、現場部隊の認識についてはここまでとして、日本政府はこの勝利を外交的にどう活用したかというと何も活用はしなかった。 そんなバカなと思われるかもしれないが、日本政府は如何なる外交ルートにおいても、この勝利を元に停戦交渉を行うなどという事はしなかった。 何故か? 最大の理由は東条英機首相が現段階で動くことに何の意義も持っていなかったからであった。 東条にしてみれば、現状での停戦など百害あって一利もなかった。 何しろアメリカ側は、カイロ宣言において、日本の無条件降伏や、日本が満州・朝鮮・台湾を手放すことを求めているのである。東条からすれば強欲以外の何物でもなく、とてもではないが交渉相手として信頼出来る存在ではなかった。 更に、東条が懸念していたのが、破断寸前の日本経済であった。 今は「戦時下」という状況を利用して統制を強めることで破断を先延ばしにしているものの、経済に何の手だてもなく停戦をしてしまえば、日本に待っているのは極度のインフレとそれに伴う経済崩壊である。 そしてその行き着く先は、アメリカによる経済植民地化か、あるいは赤色革命による共産主義国家化である。 「天皇の忠臣」を自認する東条にとって、こうした未来は悪夢以外の何物でもなかった。 故に東条は、満州以来の付き合いのある星野直樹をリーダーに据え、産業の合理化並びに来るべき経済の破断界を少しでもソフトランディングさせるべく、開店休業状態に陥っていた総力戦研究所を利用して極秘裏に研究をさせている。 こうした点を見れば、少なくとも東条は、国家という物をまるで理解していなかった石原莞爾や、2・26事件を引き起こした若手将校よりははるかにマシな指導者ではあっただろう。 ジリ貧を対米戦によってドカ貧にまで追い込んでしまった事実から目をつぶればだが。 493 :yukikaze:2014/07/12(土) 01:58:56 こうした認識の元、東条は、アメリカ側に決戦による被害を与え続けることによって、最終的にはアメリカ側から停戦交渉を持ちかけることを基本方針に据えている。 この「一撃講和論」は、こちらから膝を折らずに済むという点で、広範囲な支持を受けるに至り、東条内閣の権威が大幅に回復する要因となるのだが、同時に早期講和により何とか国家に受ける傷を減らそうとする夢幻会側との間に修復不可能な溝を作り出すことになる。 対潜護衛や電探による航空管制などマリアナ沖の勝利を支え、且つ海軍の色々な部署から恨みを買っていたことで、海軍軍令部第七課(ソ欧情報)に飛ばされていた阿部俊夫が、本格的に終戦工作に動きだすのも、この時期からである。 さて、「一撃講和論」を基本方針とした東条は、次の決戦地をフィリピンと考えていた。 東条の考えでは、アメリカ海軍が負けたことで、相対的にアメリカ陸軍の政治的発言力は高まり、そして彼らはフィリピンに拘っている以上、確実にフィリピンへと進軍するのは火を見るより明らかであった。 故に、東条はフィリピンの戦いを決戦と見据え、フィリピン防衛部隊として第14方面軍を編成。第四航空軍や決戦部隊として第二戦車師団を隷下に加え、出来うる限りの戦備を整えている。 もっとも、東条が褒められるのはここまでであった。 この戦いが正念場と考えていた東条は、フィリピンに自らの腹心である木村兵太郎を方面軍司令官に任じ、更に第四航空軍のトップに冨永恭次、第二戦車師団には花谷正と、これまた自分の身内で固めている。 東条からすれば、自分の腹心や身内であるが故に、意思疎通も十分に図ることができ、目的達成に近づくと考えたのであるが、口の悪い者が「フィリピンは陸軍のゴミ捨て場」と貶すほど、彼らの用兵能力のなさは酷く、結果的にフィリピン決戦において最初から最後まで足を引っ張ることになる。 (なお、木村兵太郎の代わりにビルマ防衛軍の指揮官になったのは山下奉文であった。 彼は、夢幻会所属の将校が、自らの予備役編入と引き換えに潰したインパール作戦に投入予定だった第31師団と第33師団を用いて、徹底的な遅滞防御作戦を展開。 遂に終戦までマンダレーを奪われることはなかった。) このように、日本側も来るべき決戦に向けて着々と準備を整えつつあった。 仮にマリアナで海軍が敗北していれば、とてもではないがここまでの準備は出来なかっただろうというのが衆目の一致する所である。 もっとも、フィリピン決戦はどちらかというと日米陸軍が望んだ決戦であり、海軍はその意思決定の後押しであったことは興味深いものである。 そして10月下旬。マリアナの痛手を何とか回復したアメリカ軍は、いよいよフィリピンに向けて進撃を始めるのであった。

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