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79 :taka:2014/07/15(火) 04:16:55 米軍の沖縄攻略時の初期。 このようなジョークが米兵の間で流行った。 『北部に近いだけ天国に近づき、南部に下がるだけ地獄へと近づく』 これは、抵抗が全く起きずに易易と占領できた北部。 今もなお激しい抵抗が継続されている南部との比較をさす。 上陸後、北部と南部を分断し各地の制圧を開始した米軍であったが、その差は歴然だった。 遅滞任務部隊の細細とした誘引撤退の後、主要陣地へと到達した米軍は猛反撃を受けた。 メートル単位で進むのに損害を出し、血と肉を代償に敵地を占領していく激戦の大地。 それと比較すればあまりにも北部の占領は容易かった。 各地に残され破棄された監視哨と、軍の指定により避難していた数万人の沖縄県民達だった。 (戦後の調査によると県民の疎開は軍によって積極的に行われ、かなりの数が疎開船団により九州や台湾へと逃れていた。  ただ、疎開の勧告と促進にも関わらず沖縄の地を離れるのを拒む住民が多数存在したらしい) 彼らを簡単な収容所に隔離した米軍は各地を掃討したが拍子抜けする程抵抗は無く北部の掃除は完了した。 敵が存在しなかったのだから当然だろう。あちこちに残る残骸や破壊された設備だけだった。 米軍は「主戦力と防御陣地を南部に集中させた日本軍の戦術の結果」と判断した。 あちこちに検問と監視哨が作られ、警邏部隊が巡回をしたものの、ただそれだけだった。 ドロドロと砲撃と炸裂音が絶えず鳴り響く南部と異なり、北部はまさに平穏そのものだった。 数十キロを堺にした天国と地獄。南部の激戦地で戦う兵士達は、のんびりと警邏任務を行えばいいだけの北部の兵士達を羨んだ。 そう、初期はそう言われた。初期の頃は。 『ギゴウヨリカクタイヘ、ジョウキョウヲカイシセヨ』 謎の通信が雨季の始まりつつある沖縄に発せられた。それが始まりだった。 小雨が降り注ぐ夕暮れ、十数両のトラックが泥濘始めている道路を走っていた。 上陸地点から揚陸された補給物資を前線へと届けるための輸送部隊だ。 護衛のための軽装甲車が先頭を走っているが、車長が雨を嫌って車内に引っ込んでいる有り様だ。 油断も仕方ないと言える。上陸地点から前線への補給路が攻撃されたのは時折飛んでくる夜襲部隊の航空攻撃であり。 陸兵などによる伏撃はただの一度も存在しなかったのだから。 そう、今の今までは。 「来たぞ、攻撃用意」 鋭い眼光を眼鏡に隠した男が、側にいる兵士に告げる。 米軍車両の数えきれない轍が刻まれた道路の横に広がる背の低い灌木と茂み。 そこに潜む2個小隊の兵士達は、雨の中無音で獲物が横腹を見せるのを待っていた。 「攻撃、用意」 静かな伝令の一言で、彼らは獲物に突き立てる刃を構える。 彼らは通常の軍服の上に、ドイツ武装SSが着ているような迷彩ポンチョをかぶっていたのである。 加えて身体のあちこちに草木の枝を引っ掛けている為、暗がりも相まって彼らへの視認率はかなり落ちていた。 その手には陸軍主導で開発された四式自動小銃、百式短機関銃(着剣機能と二脚は無い) 擲弾筒、九十九式軽機、対破甲無反動砲(パンツァーファースト)、ロタ砲…… 各地の隠匿集積所から持ち出してきた兵器の数々が、トラック達が来るのを待っている。 そしてスピードを上げもせず下げもしないトラックの車列が間合いに入ってきた直後。 80 :taka:2014/07/15(火) 04:17:33 「てぇ!」 先頭の装甲車の横っ腹にロタ砲の一撃が浴びせられたのが始まりだった。 運転手が死傷したのか、道路脇の灌木に突っ込む装甲車。 いきなりの攻撃と装甲車の大破に動転したトラック群だが、彼らにはスピードを上げる事も脇道に逃げる事もできなかった。 無反動の一撃で横転するトラック、擲弾筒で運転席が吹き飛ばされ脇道へと突っ込むトラック。 横転したトラックに慌てて急停止するものの、後ろから続いてた別のトラックに追突され多重事故を起こす。 慌てて飛び出した護衛の米兵たちは、四式自動小銃や百式、軽機の集中射撃によりバタバタと撃ち倒されていく。 派手な爆発音と共に、最後尾に居たトラックが爆発する。燃料か弾薬でも運んでいたのだろう。 「よし、トラックは殲滅した。撤収だ、警邏隊が来る前に引くぞ」 男、中尉の命令が発せられると共に、攻撃を終えた兵士達は素早く茂みをかけ後方へと下がっていく。 中尉もキャンプファイヤー・ロードと化した道を一瞬見据えた後、素早い動きで茂みの奥へと駆け込んでいった。 残されたのは炎上、小爆発を繰り返す二度と動かぬ車列と、僅かな「ヘルプ、ヘルプ…」といううめき声のみ。 この日、後方の補給路を移動していた補給段列が複数攻撃され、数十両の車両と膨大な物資、輸送に従事していた多数の歩兵が死傷した。 最初は前線からの敵歩兵の浸透かと思われた。次は、最近活動を増してきた夜襲部隊の攻撃だと疑われた。 だが前者は戦線の密集度と激しさからありえないとされた。 後者は攻撃された段列の被害状態、僅かな生存者から否定された。 自分たちは歩兵部隊の攻撃を受けた、飛行機からの攻撃ではないと。 確信は、米軍キャンプの弾薬庫爆破だった。 敵侵入により銃声が木霊するキャンプの端にある、弾薬庫が爆薬によって吹き飛ばされたのだ。 どうやら負傷した侵入者が爆薬で自爆したらしく、他にも複数の車両を破壊した兵士が三人ほど射殺された。 死体の検分を行った将校たちの面付きは険しかった。 カーキ色とは違う緑色の軍服。武装SSを彷彿とさせる迷彩ポンチョと顔にも塗られた迷彩塗料。 装備も短機関銃や自動小銃、爆破装置付きの爆薬と優良だった。 彼らと戦った米兵たちも最後まで抵抗した粘り強さと執拗さを証言した。 「コマンドですよこいつらは。後方撹乱の為に襲撃を仕掛けてきたんだ」 検分に参加していた英軍の将校が、呻くように呟いた。 こうして、北部における米軍の安寧は終わりを告げたのだった。 そう、北部は安全などではなかったのだ。 確かに、大部隊は全く配置されていなかった。 配置されていたのは、2個中隊にも満たない兵士達。 米軍上陸のわずか半月前に輸送機で沖縄に降り立った精兵達だった。 彼らは住民や一般将兵にも知らされてない隠蔽壕に潜み、ただ機を待った。 米軍の注意が南に向き、北に対して無防備に背を向ける瞬間を。 そしてあの電文が届いた瞬間に、彼らは米軍の背中にナイフを突き刺した。 同じく分散隠蔽された小規模な武器庫に隠された武器を手にし各種破壊工作を行ったのだ。 陸軍中野学校卒の士官達に率いられ専門の訓練を受けた兵士達は冷徹に、確実にそれらを実践し成功させた。 斯くして、沖縄は本当の意味をもって地獄の島と化した。 この島に安全な場所など無い、と米軍はその身の痛みを持って知った。 潜入部隊である義烈空挺隊はわずか2個中隊にも見たぬ戦力で米軍後方を撹乱。 増援として空挺降下した『薫空挺隊』、遊撃訓練を受けた高砂兵達と共に終戦まで闘いぬいた。 終戦に投降した生還者は両隊合わせてたった8名のみ。 米軍戦史に『極東の緑の悪魔』と刻まれ恐れられた彼らの戦いは両国で長く語り継がれる事になる。 終わり

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