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282 :yukikaze:2015/02/09(月) 23:05:15 攻龍の旦那が『雲龍って史実通りだと戦後も使えるかいな』とあったんで、 取りあえず投下。 雲龍型航空母艦 基準排水量 19,000t 全長 228m 全幅(水線幅)29m 飛行甲板長 242m 飛行甲板幅 34m エレベーター 2基 機関性能 蒸気タービン4基4軸  104,000HP 満載時最大速力 30kt  航続距離 18kt/8,000浬 武装 40口径12.7cm連装高角砲6基 25mm3連装機銃21基 25mm単装機銃30挺 12cm28連装噴進砲6基 搭載機数 レシプロ機 45~50機(搭載機体によって増減) 舷側装甲(機関部‐弾薬庫)25mm 船体甲板(機関部‐弾薬庫)25mm 飛行甲板(格納庫上部)15mm 日本海軍が『昭和十六年度戦時艦船建造及航空兵力拡充計画』において建造した戦時急増空母。 就役した時期が遅く、戦時急造空母として成功したかというと微妙ではあったものの、沖縄沖海戦 では、第三艦隊最後の栄光を見せつけ、戦後は日本海軍空母機動艦隊の一翼を担うなど、功績を 上げた艦でもある。 元々同級は、中型空母である飛龍型をベースに改良を加えて建造することが考えられていたのだが、 軍令部側は、飛龍型が10年前の設計であること、構造が複雑であること、決して大型艦ではないことより 難色を示し、構造の簡単で建造の容易な、戦時急造艦のような最低限の防御力をもった空母を新規開発する ことを検討するよう命じている。 これに対して艦政本部側は、設計陣が多忙であることを理由に消極的な態度を取ったのだが、軍令部側 から一つの用兵プランが出た事で、飛龍改型を捨てることになる。 283 :yukikaze:2015/02/09(月) 23:05:48 『空母からの陸爆出撃』 後世からみると血迷ったかと言われかねないプランではあるが、しかし軍令部側は大真面目であった。 アメリカの無体ともいえる空母量産計画が完遂された場合、日本海軍は圧倒的なまでの航空戦力によって 壊滅してしまい、艦隊決戦で勝利などゼロと言っていいのである。 そうであるが故に、日本側としては、アウトレンジによる先制攻撃で敵空母の発着艦能力を破損せしめ 空母の無力化を図ることが至上命題となった訳であるが、そんな中で軍令部の一派が目を付けたのが 銀河であった。 その高速性と長大な航続距離、そして急降下爆撃能力は、基地部隊だけでなく空母でも利用できれば、 まさに柔軟な用兵が達成できるのである。 そしてこの構想を山本五十六が支持したことによって、雲龍型の項目に『陸爆を運用できること』という 狂った項目が追加されることになったのである。 これを受けて艦政本部は、親空母建造の設計に取り掛かることになるのだが、彼らはのっけから 頭痛を覚えることになる。 項目の一つに陸爆の運用とあるからには、当然空母に格納しないといけない訳だが、何しろ陸爆は 大きいのである。水平面での全高でも5.3m。翼まで折りたたんだ場合の事を考えたら、何メートルに なるんだこれという大きさである。 結局艦政本部の採った方策はというと、陸爆が搭載できるだけの格納庫を設置すると共に、エレベーター については、飛行甲板後部ギリギリに陸爆用の巨大エレベーターを設置するという、乱暴ではあるが 確実な方策を採ることにしている。 また、陸爆が運用できるよう、航空機燃料搭載能力が拡充されると共に、陸爆が安全に飛行できるよう とにかく安定性を高めた船体になるよう設計をした。 しかしながらここまで進んでいた空母の陸爆搭載計画は突如として中止されることになる。 これは陸爆を搭載した空母の場合、その殆どのスペースを陸爆が占めることになってしまい、 開戦当初でその戦力的価値がなくなってしまう事実に、現場からの批判が出たからである。 しかも、この計画に乗り気だった山本五十六も、こうした批判に対して当初の熱意を失ってしまい 最終的には、陸爆を搭載しなくても良いという決断を下すことになる。 艦政本部がその日一日中罵声が飛び交ったのも無理はない。 何しろこの計画のお蔭で、本来ならば1942年には起工できるはずだったのが、1943年にまでずれて しまったのだから。 艦政本部が時期が遅れること確実なのに、後部エレベーターを前部エレベーターと同様に改設計 したのは、この陸爆搭載計画の忌々しい痕跡を抹消するためだったという説も根強い。 もっとも、この計画の残滓は思わぬところで福を呼ぶ。 広大な格納庫と、大量の航空機燃料の搭載、そして安定した船体と長大な飛行甲板は、若年搭乗員 でも新型機を運用するのに役立つことになり、更には最小限の改装でジェット機運用ができる ようにもなっている。万事塞翁が馬である。 また、同級は、戦時急増空母であるという側面から、航空機運用能力以外は一切切り捨てられている。 船体は基本直線構造であり、機関も駆逐艦のを流用。格納庫も容積確保の為に1層。そして甲板の 長さと凌波性能を高める為にエンクローズドバウとし、艦橋と煙突も飛鷹型に準じた形とすることで、 航空機運用能力と工作の容易さを図っている。 その反面割を食ったのが防御力であり、最も厚い部分でも25mmしかなく、魚雷は船体幅が広い事も 相まって、3層の液層防御で食い止めることが期待されているだけであり、爆撃に至っては、応急で 何とかする以外方策がなかった。 沖縄沖海戦で雲龍と天城が、短時間で無力化せざるを得なかった理由はここにあった。 同級は、起工から竣工までかかった期間は1年半であり、戦時急増空母としての建造期間としては 悪くなかったものの、前述したように竣工した時期が悪く、当初計画通り、1942年に起工できていれば、 マリアナ決戦に1~2隻は間に合ったのではないかと言われている。 そうした点では、同級の目論見が成功したかというと微妙なのだが、前述したように、同級は戦後も 活躍をしている事を考えると、最終的には成功した艦であると言えるであろう。
282 :yukikaze:2015/02/09(月) 23:05:15 攻龍の旦那が『雲龍って史実通りだと戦後も使えるかいな』とあったんで、取りあえず投下。 雲龍型航空母艦 基準排水量 19,000t 全長 228m 全幅(水線幅)29m 飛行甲板長 242m 飛行甲板幅 34m エレベーター 2基 機関性能 蒸気タービン4基4軸  104,000HP 満載時最大速力 30kt  航続距離 18kt/8,000浬 武装 40口径12.7cm連装高角砲6基 25mm3連装機銃21基 25mm単装機銃30挺 12cm28連装噴進砲6基 搭載機数 レシプロ機 45~50機(搭載機体によって増減) 舷側装甲(機関部‐弾薬庫)25mm 船体甲板(機関部‐弾薬庫)25mm 飛行甲板(格納庫上部)15mm 日本海軍が『昭和十六年度戦時艦船建造及航空兵力拡充計画』において建造した戦時急増空母。 就役した時期が遅く、戦時急造空母として成功したかというと微妙ではあったものの、沖縄沖海戦では、第三艦隊最後の栄光を見せつけ、戦後は日本海軍空母機動艦隊の一翼を担うなど、功績を上げた艦でもある。 元々同級は、中型空母である飛龍型をベースに改良を加えて建造することが考えられていたのだが、軍令部側は、飛龍型が10年前の設計であること、構造が複雑であること、決して大型艦ではないことより難色を示し、構造の簡単で建造の容易な、戦時急造艦のような最低限の防御力をもった空母を新規開発することを検討するよう命じている。 これに対して艦政本部側は、設計陣が多忙であることを理由に消極的な態度を取ったのだが、軍令部側から一つの用兵プランが出た事で、飛龍改型を捨てることになる。 283 :yukikaze:2015/02/09(月) 23:05:48 『空母からの陸爆出撃』 後世からみると血迷ったかと言われかねないプランではあるが、しかし軍令部側は大真面目であった。 アメリカの無体ともいえる空母量産計画が完遂された場合、日本海軍は圧倒的なまでの航空戦力によって壊滅してしまい、艦隊決戦で勝利などゼロと言っていいのである。 そうであるが故に、日本側としては、アウトレンジによる先制攻撃で敵空母の発着艦能力を破損せしめ空母の無力化を図ることが至上命題となった訳であるが、そんな中で軍令部の一派が目を付けたのが銀河であった。 その高速性と長大な航続距離、そして急降下爆撃能力は、基地部隊だけでなく空母でも利用できれば、まさに柔軟な用兵が達成できるのである。 そしてこの構想を山本五十六が支持したことによって、雲龍型の項目に『陸爆を運用できること』という狂った項目が追加されることになったのである。 これを受けて艦政本部は、親空母建造の設計に取り掛かることになるのだが、彼らはのっけから頭痛を覚えることになる。 項目の一つに陸爆の運用とあるからには、当然空母に格納しないといけない訳だが、何しろ陸爆は大きいのである。水平面での全高でも5.3m。翼まで折りたたんだ場合の事を考えたら、何メートルになるんだこれという大きさである。 結局艦政本部の採った方策はというと、陸爆が搭載できるだけの格納庫を設置すると共に、エレベーターについては、飛行甲板後部ギリギリに陸爆用の巨大エレベーターを設置するという、乱暴ではあるが確実な方策を採ることにしている。 また、陸爆が運用できるよう、航空機燃料搭載能力が拡充されると共に、陸爆が安全に飛行できるようとにかく安定性を高めた船体になるよう設計をした。 しかしながらここまで進んでいた空母の陸爆搭載計画は突如として中止されることになる。 これは陸爆を搭載した空母の場合、その殆どのスペースを陸爆が占めることになってしまい、開戦当初でその戦力的価値がなくなってしまう事実に、現場からの批判が出たからである。 しかも、この計画に乗り気だった山本五十六も、こうした批判に対して当初の熱意を失ってしまい最終的には、陸爆を搭載しなくても良いという決断を下すことになる。 艦政本部がその日一日中罵声が飛び交ったのも無理はない。 何しろこの計画のお蔭で、本来ならば1942年には起工できるはずだったのが、1943年にまでずれてしまったのだから。 艦政本部が時期が遅れること確実なのに、後部エレベーターを前部エレベーターと同様に改設計したのは、この陸爆搭載計画の忌々しい痕跡を抹消するためだったという説も根強い。 もっとも、この計画の残滓は思わぬところで福を呼ぶ。 広大な格納庫と、大量の航空機燃料の搭載、そして安定した船体と長大な飛行甲板は、若年搭乗員でも新型機を運用するのに役立つことになり、更には最小限の改装でジェット機運用ができるようにもなっている。万事塞翁が馬である。 また、同級は、戦時急増空母であるという側面から、航空機運用能力以外は一切切り捨てられている。 船体は基本直線構造であり、機関も駆逐艦のを流用。格納庫も容積確保の為に1層。そして甲板の長さと凌波性能を高める為にエンクローズドバウとし、艦橋と煙突も飛鷹型に準じた形とすることで、航空機運用能力と工作の容易さを図っている。 その反面割を食ったのが防御力であり、最も厚い部分でも25mmしかなく、魚雷は船体幅が広い事も相まって、3層の液層防御で食い止めることが期待されているだけであり、爆撃に至っては、応急で何とかする以外方策がなかった。 沖縄沖海戦で雲龍と天城が、短時間で無力化せざるを得なかった理由はここにあった。 同級は、起工から竣工までかかった期間は1年半であり、戦時急増空母としての建造期間としては悪くなかったものの、前述したように竣工した時期が悪く、当初計画通り、1942年に起工できていれば、マリアナ決戦に1~2隻は間に合ったのではないかと言われている。 そうした点では、同級の目論見が成功したかというと微妙なのだが、前述したように、同級は戦後も活躍をしている事を考えると、最終的には成功した艦であると言えるであろう。

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