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679 :yukikaze:2015/12/22(火) 23:57:16 とりあえずやっつけだが完成したぞ。ひゅうが氏辺りに添削頼もう。 九七式中戦車 全長:   6.2m 全幅:   2.33m 全高:   1.95m 全備重量: 17.0t 乗員:   4名 エンジン: 統制型九七式 4ストロークV型12気筒空冷ディーゼル 最大出力: 170hp/2,000rpm 最大速度: 38km/h 航続距離: 210km 武装:   44口径7.5cm戦車砲×1 (24発:定数。実際には30発程度は搭載可能)       97式車載7.7mm重機関銃×1 装甲厚:  45mm ※ 全般的なシルエットは、Ⅲ号突撃砲F8型に類似 (解説) 日本陸軍が正式採用した中戦車。秘匿名称は「チハ」 他国では突撃砲乃至は戦車駆逐車として分類されているが、日本陸軍機甲部隊の勝利と栄光 そして苦闘を共に過ごした車両であり、名実ともに日本陸軍の主力戦車として、各戦線で 活躍をすることになる。 元々、同戦車については、当時の主力戦車であった八九式中戦車が、性能の陳腐化に伴い、 高速な九四式軽装甲車や九五式軽戦車と連携することすら困難という状況から、技術的には 九五式軽戦車の拡大改良型を作成する予定であった。 しかしながら、これに陸軍技術本部の一派がクレームを付けた事で、事態は混乱する。 憂鬱世界から転生してきた彼らにとっては、この時代の基礎工業能力の低さに嘆きを覚えない 日はなかったのだが、更に次期主力戦車が、対戦車戦闘も何も考えてはいない半端な代物 であるという事実は我慢ができるものではなかった。 彼らはすぐに対案として、憂鬱九七式中戦車の概念図を持ち出し、そして見事に叩き潰された。 680 :yukikaze:2015/12/22(火) 23:58:01 何故か? 彼らは焦りのあまり見事に失念していたのである。 ここは憂鬱世界ではなく史実の世界だということを。 憂鬱九七式戦車を作るには、基礎工業力も足りなければ資金もなく、おまけに『機甲戦』を 庇護するだけの有力者もいなかったのである。 彼らは『場を乱したもの』として戦車設計から意図的に外され、以後はトラック部門に 回され、そして成果を上げるのだが、それは別の話である。 さて、こうしたドタバタを受け、新型戦車は改めて九五式軽戦車の拡大改良型へと決定しそうに なるのだが、ここで転生者の数少ない生き残りたちは、逆転の一手を放つ。 彼らは、同戦車が「歩兵戦車的な運用をするのに対して、対中戦はともかく、対ソ戦でも 充分な性能を持っているのか」という、陸軍にとって無視できない問題を提起すると、 「対ソ戦でも十分に使え且つ重量も15t以内に収め、費用もチハよりも幾分安価な車両を 作れる」という爆弾発言を繰り出すことになる。 そして「ではその案を見せろ」という参謀本部の佐官に対して彼らが見せたものは、ある意味 当時の常識を覆す代物であった。 何といっても一番大きいのは砲塔がない事であった。 驚いている彼らに対し「歩兵戦車は歩兵と連携する車両であり、視界の悪さは歩兵の目で 補うことができる。無砲塔といっても主砲の旋回角は左右各12度ずつ俯仰角は-10~+20度であり、 歩兵支援という目的からは全く問題にはならない」と主張。 更に主砲は、ボフォース75mm高射砲の採用によりあぶれることになった88式75mm高射砲の再利用 とすることで開発費用と生産費用を圧縮すると共に、高初速の高射砲を利用することで、 ソ連の堅固なトーチカ群を破砕するだけの性能を有するとしたのである。 勿論、歩兵戦車であり且つトーチカとも撃ちあう可能性があるため、正面装甲は傾斜した45mmと 当時からすれば破格の重装甲にする事で、歩兵の為の破城鎚となるとしたのである。 この主張に好意的な反応を示したのは、帝国陸軍歩兵閥の面々であった。 彼らにしてみれば、この提案はまさしく『歩兵の事を考えて作られた戦車』に他ならなかった。 歩兵の進軍に合わせて行動し、最も厄介なトーチカ相手にも互角以上に戦える陸上戦艦。 歩兵閥の認識はそういったものであり、そうであるが故に彼らは絶賛することになる。 一方、砲兵科や陸軍参謀本部の担当要員は怒り心頭であった。 砲兵科にとっては、「歩兵科に砲兵の領分を奪われる」と考え、陸軍参謀本部の担当要員は、 自分達が出した要件が完全に甘すぎるものだと満座の前で宣告されたに等しいからだ。 担当であった各務中佐は、提案した技術者に対して「技術屋は黙って我々の要件を飲めばいいのだ」 と怒鳴りつけたのだが、それも技術者の旅順やヴェルダン要塞戦での要塞のデータと、参謀本部が 出した項目とで撃ちあった場合の結果を突きつけられるまでであった。 歩兵閥の冷酷なまでの視線を受けて、各務にできることは、同提案を受け入れる代わりに、 「同車両はあくまでトーチカ突破用の補助戦車」であるとして、同戦車の生産数を可能な限り減らす と共に、あくまで主力戦車として九五式軽戦車とその改良型(史実チニ)の整備に注力すること であった。彼自身の面子を守るためとはいえ、その代償はあまりにも大きかった。 1939年。ノモンハン事変勃発。 この時、関東軍の主力であった九五式軽戦車とその改良型がなすすべもなく蹂躙されたのに対し、 火力支援として送られた4両の九七式中戦車は、キルレシオを1:15という成果を叩き出し、 生き残った戦車兵や歩兵から「こいつがもっとあればロスケなんぞに良いようにされなかったものを」 と、悔し涙を流させる結果を生み出した。 当然のことながら、九七式中戦車の生産を意図的に遅らせる行動をした各務大佐(当時)は、 ほぼ全責任を取らされる形で前線送りになり、半年たたずに戦死となるという陰惨すぎる結末を 産み出したのだが、この結果により九五式軽戦車シリーズは、捜索部隊の補充を除いて生産を中止し (チニ車の車体に、九五式の砲塔を搭載した型)以後は九七式中戦車シリーズの量産に全力を挙げる ことになる。(九五式軽戦車の車体は、ユニバーサルキャリアと同様の汎用装軌車両として利用される) 681 :yukikaze:2015/12/23(水) 00:02:22 以降、九七式中戦車は、ノモンハンでの失態を覆い隠す方策として『我が陸軍の最新鋭戦車』として 大々的に宣伝し、国民からはその長い砲身の姿から『槍武者のようだ』と言われ、各国の駐在武官 からは『日本人はサン・シャモン突撃戦車を作るつもりか』と、半ば呆れられたりもしていたのだが、 マレーやフィリピンで、自分達の戦車があっさりと吹き飛ばされ、更にニューギニアやビルマにおいて、 リーやマチルダが火達磨になったことでそう言った声は雲散霧消し、代わりに『あのサムライサーベル は最優先で見つけろ。自分の乗っている戦車を棺桶にしたくなければな』と、徹底的に教育させられる ことになる。 開発当初は『威力過多ではないのか』と言われた75mm高射砲を戦車砲として改修していた事が幸いし、 ドイツからの技術協力で砲弾の性能向上に努めた事も相まって、大戦を通じて有力な火砲として 使用できたことが、本車の価値を損なわないことになったのである。 また、正面及び砲塔前面の一部を傾斜させた45mm装甲も、シャーマンやT-34の76mm型とも撃ちあえる だけの防御力を有しており、待ち伏せ戦闘でダックインしていた時などの防御力は、カタログスペック 以上の優秀さを見せ、連合国軍にとってはますます厄介な相手になっていた。 (正面のペリスコープ部等は垂直装甲であり、ここは大戦中期以降九七式の弱点でもあった) もっとも、コンパクトな車体に、長砲身の砲と大型の空冷ディーゼルエンジンを詰め込んだことによる 弊害も生じてはいた。 比較対象とされている3号突撃砲の場合、砲弾が54発積めるのに対し、本戦車では定数が24発。 戦車兵の努力で、実際には30発程度は搭載していたようだが、それでも砲弾数が半分強である。 おまけに大型の空冷ディーゼルの影響で、車内の容積が圧迫されており、車内環境は劣悪と言っていい 状態であり、継戦能力という観点では問題視されていた。(熱帯に派遣された戦車兵からは、 『敵戦車によって撃破されて戦死するよりも先に、車内環境の酷さで狂い死にする方が早い』とまで 言われた程であった) この問題点は、車体を延長することで車内容積を増やす(最大の理由は砲弾の搭載数を増やす為) ことで、幾分は緩和されたものの、この居住環境の悪さは戦後も尾を引くことになる。 そして履帯の幅が制限されていた事から、不整地走破能力が幾分弱く、転輪には緩衝用のゴムタイアが 付けられ、補強のために芯部にはピアノ線を捲いていたのだが、走行中にこの芯部に熱がこもり、 ゴムが溶けピアノ線が外部に解れ出て、ついにはタイアが外れてしまう事故が多発した。 結局タイアの転動面に凹みを設けて対策としたが、連続の高速走行は制限されることになった。 また、当初のコンセプトが『要塞の突破』であったことから、榴弾の比率が高く、徹甲弾は 9発しか配備されてはいなかった。 これは軽戦車相手ならばまだ何とかなったものの、リーやシャーマン相手だと明らかに分が悪く 太平洋やビルマ戦線では徹甲弾を主にし、碌な機甲戦力がいない大陸では榴弾を重視した 構成になっている。(後述する改1では砲弾数は定数36発。無理をして40発である。) 本車は、車体延長及び正面装甲を60mmに増圧し、併せてエンジン出力を増加させた(史実100式) 大戦後期の主力である改1、M1重戦車の情報を受け、史実3突最終型まで拡大しボフォース75ミリ 高射砲を元にした主砲を装備した少数生産の改2がある。
679 :yukikaze:2015/12/22(火) 23:57:16 とりあえずやっつけだが完成したぞ。ひゅうが氏辺りに添削頼もう。 九七式中戦車 全長:   6.2m 全幅:   2.33m 全高:   1.95m 全備重量: 17.0t 乗員:   4名 エンジン: 統制型九七式 4ストロークV型12気筒空冷ディーゼル 最大出力: 170hp/2,000rpm 最大速度: 38km/h 航続距離: 210km 武装:   44口径7.5cm戦車砲×1 (24発:定数。実際には30発程度は搭載可能)       97式車載7.7mm重機関銃×1 装甲厚:  45mm ※ 全般的なシルエットは、Ⅲ号突撃砲F8型に類似 (解説) 日本陸軍が正式採用した中戦車。秘匿名称は「チハ」 他国では突撃砲乃至は戦車駆逐車として分類されているが、日本陸軍機甲部隊の勝利と栄光そして苦闘を共に過ごした車両であり、名実ともに日本陸軍の主力戦車として、各戦線で活躍をすることになる。 元々、同戦車については、当時の主力戦車であった八九式中戦車が、性能の陳腐化に伴い、高速な九四式軽装甲車や九五式軽戦車と連携することすら困難という状況から、技術的には九五式軽戦車の拡大改良型を作成する予定であった。 しかしながら、これに陸軍技術本部の一派がクレームを付けた事で、事態は混乱する。 憂鬱世界から転生してきた彼らにとっては、この時代の基礎工業能力の低さに嘆きを覚えない日はなかったのだが、更に次期主力戦車が、対戦車戦闘も何も考えてはいない半端な代物であるという事実は我慢ができるものではなかった。 彼らはすぐに対案として、憂鬱九七式中戦車の概念図を持ち出し、そして見事に叩き潰された。 680 :yukikaze:2015/12/22(火) 23:58:01 何故か? 彼らは焦りのあまり見事に失念していたのである。 ここは憂鬱世界ではなく史実の世界だということを。 憂鬱九七式戦車を作るには、基礎工業力も足りなければ資金もなく、おまけに『機甲戦』を庇護するだけの有力者もいなかったのである。 彼らは『場を乱したもの』として戦車設計から意図的に外され、以後はトラック部門に回され、そして成果を上げるのだが、それは別の話である。 さて、こうしたドタバタを受け、新型戦車は改めて九五式軽戦車の拡大改良型へと決定しそうになるのだが、ここで転生者の数少ない生き残りたちは、逆転の一手を放つ。 彼らは、同戦車が「歩兵戦車的な運用をするのに対して、対中戦はともかく、対ソ戦でも充分な性能を持っているのか」という、陸軍にとって無視できない問題を提起すると、「対ソ戦でも十分に使え且つ重量も15t以内に収め、費用もチハよりも幾分安価な車両を作れる」という爆弾発言を繰り出すことになる。 そして「ではその案を見せろ」という参謀本部の佐官に対して彼らが見せたものは、ある意味当時の常識を覆す代物であった。 何といっても一番大きいのは砲塔がない事であった。 驚いている彼らに対し「歩兵戦車は歩兵と連携する車両であり、視界の悪さは歩兵の目で補うことができる。無砲塔といっても主砲の旋回角は左右各12度ずつ俯仰角は-10~+20度であり、歩兵支援という目的からは全く問題にはならない」と主張。 更に主砲は、ボフォース75mm高射砲の採用によりあぶれることになった88式75mm高射砲の再利用とすることで開発費用と生産費用を圧縮すると共に、高初速の高射砲を利用することで、ソ連の堅固なトーチカ群を破砕するだけの性能を有するとしたのである。 勿論、歩兵戦車であり且つトーチカとも撃ちあう可能性があるため、正面装甲は傾斜した45mmと当時からすれば破格の重装甲にする事で、歩兵の為の破城鎚となるとしたのである。 この主張に好意的な反応を示したのは、帝国陸軍歩兵閥の面々であった。 彼らにしてみれば、この提案はまさしく『歩兵の事を考えて作られた戦車』に他ならなかった。 歩兵の進軍に合わせて行動し、最も厄介なトーチカ相手にも互角以上に戦える陸上戦艦。 歩兵閥の認識はそういったものであり、そうであるが故に彼らは絶賛することになる。 一方、砲兵科や陸軍参謀本部の担当要員は怒り心頭であった。 砲兵科にとっては、「歩兵科に砲兵の領分を奪われる」と考え、陸軍参謀本部の担当要員は、自分達が出した要件が完全に甘すぎるものだと満座の前で宣告されたに等しいからだ。 担当であった各務中佐は、提案した技術者に対して「技術屋は黙って我々の要件を飲めばいいのだ」と怒鳴りつけたのだが、それも技術者の旅順やヴェルダン要塞戦での要塞のデータと、参謀本部が出した項目とで撃ちあった場合の結果を突きつけられるまでであった。 歩兵閥の冷酷なまでの視線を受けて、各務にできることは、同提案を受け入れる代わりに、「同車両はあくまでトーチカ突破用の補助戦車」であるとして、同戦車の生産数を可能な限り減らすと共に、あくまで主力戦車として九五式軽戦車とその改良型(史実チニ)の整備に注力することであった。彼自身の面子を守るためとはいえ、その代償はあまりにも大きかった。 1939年。ノモンハン事変勃発。 この時、関東軍の主力であった九五式軽戦車とその改良型がなすすべもなく蹂躙されたのに対し、火力支援として送られた4両の九七式中戦車は、キルレシオを1:15という成果を叩き出し、生き残った戦車兵や歩兵から「こいつがもっとあればロスケなんぞに良いようにされなかったものを」と、悔し涙を流させる結果を生み出した。 当然のことながら、九七式中戦車の生産を意図的に遅らせる行動をした各務大佐(当時)は、ほぼ全責任を取らされる形で前線送りになり、半年たたずに戦死となるという陰惨すぎる結末を産み出したのだが、この結果により九五式軽戦車シリーズは、捜索部隊の補充を除いて生産を中止し(チニ車の車体に、九五式の砲塔を搭載した型)以後は九七式中戦車シリーズの量産に全力を挙げることになる。(九五式軽戦車の車体は、ユニバーサルキャリアと同様の汎用装軌車両として利用される) 681 :yukikaze:2015/12/23(水) 00:02:22 以降、九七式中戦車は、ノモンハンでの失態を覆い隠す方策として『我が陸軍の最新鋭戦車』として大々的に宣伝し、国民からはその長い砲身の姿から『槍武者のようだ』と言われ、各国の駐在武官からは『日本人はサン・シャモン突撃戦車を作るつもりか』と、半ば呆れられたりもしていたのだが、マレーやフィリピンで、自分達の戦車があっさりと吹き飛ばされ、更にニューギニアやビルマにおいて、リーやマチルダが火達磨になったことでそう言った声は雲散霧消し、代わりに『あのサムライサーベルは最優先で見つけろ。自分の乗っている戦車を棺桶にしたくなければな』と、徹底的に教育させられることになる。 開発当初は『威力過多ではないのか』と言われた75mm高射砲を戦車砲として改修していた事が幸いし、ドイツからの技術協力で砲弾の性能向上に努めた事も相まって、大戦を通じて有力な火砲として使用できたことが、本車の価値を損なわないことになったのである。 また、正面及び砲塔前面の一部を傾斜させた45mm装甲も、シャーマンやT-34の76mm型とも撃ちあえるだけの防御力を有しており、待ち伏せ戦闘でダックインしていた時などの防御力は、カタログスペック以上の優秀さを見せ、連合国軍にとってはますます厄介な相手になっていた。 (正面のペリスコープ部等は垂直装甲であり、ここは大戦中期以降九七式の弱点でもあった) もっとも、コンパクトな車体に、長砲身の砲と大型の空冷ディーゼルエンジンを詰め込んだことによる弊害も生じてはいた。 比較対象とされている3号突撃砲の場合、砲弾が54発積めるのに対し、本戦車では定数が24発。 戦車兵の努力で、実際には30発程度は搭載していたようだが、それでも砲弾数が半分強である。 おまけに大型の空冷ディーゼルの影響で、車内の容積が圧迫されており、車内環境は劣悪と言っていい状態であり、継戦能力という観点では問題視されていた。(熱帯に派遣された戦車兵からは、『敵戦車によって撃破されて戦死するよりも先に、車内環境の酷さで狂い死にする方が早い』とまで言われた程であった) この問題点は、車体を延長することで車内容積を増やす(最大の理由は砲弾の搭載数を増やす為)ことで、幾分は緩和されたものの、この居住環境の悪さは戦後も尾を引くことになる。 そして履帯の幅が制限されていた事から、不整地走破能力が幾分弱く、転輪には緩衝用のゴムタイヤが付けられ、補強のために芯部にはピアノ線を捲いていたのだが、走行中にこの芯部に熱がこもり、ゴムが溶けピアノ線が外部に解れ出て、ついにはタイヤが外れてしまう事故が多発した。 結局タイヤの転動面に凹みを設けて対策としたが、連続の高速走行は制限されることになった。 また、当初のコンセプトが『要塞の突破』であったことから、榴弾の比率が高く、徹甲弾は9発しか配備されてはいなかった。 これは軽戦車相手ならばまだ何とかなったものの、リーやシャーマン相手だと明らかに分が悪く太平洋やビルマ戦線では徹甲弾を主にし、碌な機甲戦力がいない大陸では榴弾を重視した構成になっている。(後述する改1では砲弾数は定数36発。無理をして40発である。) 本車は、車体延長及び正面装甲を60mmに増圧し、併せてエンジン出力を増加させた(史実100式) 大戦後期の主力である改1、M1重戦車の情報を受け、史実3突最終型まで拡大しボフォース75ミリ高射砲を元にした主砲を装備した少数生産の改2がある。

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