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瀬戸弘幸氏と児玉誉士夫氏

「ワールドワイドウェブ的左顧右眄」に瀬戸弘幸氏と児玉誉士夫氏との関係について興味深い記事がありましたので、引用させていただきます。

http://worldwideweb01.blogspot.com/2009/08/blog-post_21.html
2009年8月21日
瀬戸弘幸さんは極右の矜持すら忘れ去ったのか? (その10)
せと弘幸blog『日本よ何処へ』で瀬戸弘幸さんのプロフィールを確認しました。昭和27年生まれとあります。この時点では誕生日は未詳です。

瀬戸弘幸さんの、静岡市長選での武勇伝のエントリーを読み直して、その選挙がいつあったのかもネット等で色々と調べてみました。

昭和58年4月10日 第10回統一地方選挙。瀬戸弘幸さんは、32歳で静岡市長選挙に参加。

4月10日には32歳のお誕生日を過ぎていた。昭和27年1月1日~4月10日以前までのどこかが誕生日。大体のところが分かればいいので、お話を先に進めます。

瀬戸弘幸さんが、児玉誉士夫氏の民族思想研究会に入会したのは24歳の頃。昭和51年初旬よりは後の事と考えていいですね?

【昭和51年初旬:右翼界隈のニュース】
2月 4日 アメリカ チャーチ委員会の公聴会でロッキード事件が始まり、児玉誉士夫の事件関与が明るみに出る。
2月14日 大日本愛国党緊急時局懇談会 赤尾敏総裁が児玉誉士夫は「右翼の風上にも置けない」と非難。
3月23日 児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件発生。「特攻機」を操縦していたのは、かつての右翼運動家。

瀬戸弘幸さんは、ロッキード事件が明るみに出た丁度その頃に児玉誉士夫氏の民族思想研究会に入って、お世話になってるんですね。知らないとは言わせません。

以上

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