stay gold

僕の作り方

最終更新:

匿名ユーザー

- view
メンバー限定 登録/ログイン
#blognavi
今日は僕の幼少時代のお話をしたいと思います。
多分、この出来事がなければ今の僕はなかったと思います。

まぁ~ズバリ言うとあれですよ・・・
『いじめ』で御座います。

僕の家は俗に言う転勤族で、
生まれは神奈川県茅ヶ崎市なのですが、そこには9年過ごし、その後は横浜で3年、宇都宮で6年と関東をぐるぐる回っておりました。

さて、そこで問題になるのが横浜での3年間です。

初めての引越しで、友達とも別れ、見知らぬ土地での生活・・・
9歳の僕は元々成長が早かったので背は高く目立つ存在だったのですが、おとなしく、すごい人見知りしいだったので
引越しに関しては非常に不安だったのを覚えています。
茅ヶ崎から、横浜までの移動の間は、ものすごく遠くに行ったような
それこそ、外国にでも行ったぐらいの気持ちでした。

横浜での家は父の勤めている会社の社宅であり、
30世帯分の集合住宅が3棟、すぐ隣にはサッカー場ぐらいの大きさの空き地がある程の非常に大きなものでした。
そして、僕が引っ越してきた当初は、小学校低学年から、高学年まで約20人弱の子供達が生活していました。

僕は先ほどにも書いたとおりの性格であり、
また、社宅の子供達は地元人ということで仲間意識が強いせいか、僕は全然馴染めずにいました。
彼らは学校が終わると社宅付近で野球やサッカー、ドロケイ(鬼ごっこみたいなもの)リレー競争等をしていました。

僕はそんな彼らの輪から逃げるように毎日家へ帰りずっと引きこもっていました。

しかし、彼らはそんな僕が絶好の遊びの相手だったようで
僕を見つけると近くまで寄ってきてからかい始めるのです。
そんな彼らが大嫌いで、また茅ヶ崎へ帰りたいとばかり思っていました。
両親はこういう事には鋭く、よくいじめられてないか?と聞いてきていましたが、
そんな事で心配掛けるのが嫌で「いじめられてなんかないよ!」とぶっきらぼうに言っていました。
でも、親同士のネットワークの方が強力なので、今にして思えば筒抜けだったんだろうなぁ~なんて思います。

そして引越ししてから半年経ったそんなある日、
僕がいつものように奴らの輪から逃げるように家へ帰ろうとしたら、
子供たちの中でも高学年の奴ら・・・
『ガキ大将』的な縦にも横にもデカイ奴が僕を見つけ、

「おいっお前また逃げるのかよ!」

と言い放ったのです。
この時、僕の中で溢れるほど溜まっていた何かが弾け、気が付いたら泣き喚きながらそのガキ大将に飛び掛っていました。

小学生での成長は早いもんで、結構背の高い方だった僕でもそのガキ大将との身長の差は歴然としており、
もちろんそれまで喧嘩なんてした事のない僕は正に吉本新喜劇の池野めだかそのもの
ガキ大将に自分の頭を押さえられながらもなんとか奴に一発当ててやろうと必死で腕を振り回していました。

はやし立てるギャラリーの中で、僕は何度も突き飛ばされながらも必死でした。
もしかしてもう30年弱生きて来ましたが、その人生の中でも一番と言える位必死だったかもしれません。

そんなこんなでどのくらい時間が経ったのか分かりませんが、疲れ果てて涙と鼻水だらけの僕にそのガキ大将は言いました。

『やればできるじゃん』

それから、僕はなんとか彼らと打ち解けることが出来、
小学6年生になり宇都宮へ引っ越す時まで、彼らとの楽しい思い出をいっぱい作ることが出来ました。

きっと彼らとの出会いがなければ・・・
あの時、ただの激情だったとしても涙と鼻水にまみれ、ガキ大将に突撃した僕の勇気と根性がなければ・・・
僕はもしかしたら今でも引きこもりの生活をしていたかもしれません。

なんか、よく中学生日記にでも出てきそうな話ですが、
僕にとってはシリアスな思い出として、今でも心の中に色褪せずに残っています。

もう連絡も取る事がなくなった彼らは今どうしているのでしょう?
たまに夢で彼らの事が出て来たりするとちょっとしんみりして、さらにちょっと気恥ずかしい気持ちになります。

大人になってからの僕しか知らない知り合いには
いっつも馬鹿なことばかりしていると思っていると思いますが、
僕の原材料にはこういうこともあったんだぁ~って
また僕のことを知ってくれればいいなぁ~

また、これを見ている貴方にもこんな経験があったら
良かったら僕に教えてください
是非、一緒に恥ずかしい気持ちになりましょう
ヽ(;´Д`)ノ ランタ タンタン♪


カテゴリ: [5月の日記] - &trackback() - 2006年05月10日 23:51:56
名前: コメント:
#blognavi
記事メニュー
ウィキ募集バナー