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藤川球児 - (2009/07/14 (火) 06:39:51) の最新版との変更点

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 *&link_wikipedia(藤川球児){藤川 球児}(ふじかわ きゅうじ)
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--所謂、[[JFK]]の一人で阪神の守護神。
--98年度のドラフトで阪神は中日の岩瀬に猛アタックをかけるも振られてしまったために藤川を指名。
---後々二人は球界を代表する守護神に成長。
--02年は勝ち星こそプロ初勝利となった1勝のみに終わるが、後半戦は地味に先発ローテに定着していた。
---登板した12試合は全て先発登板であった。
--しかし18年ぶりに優勝した2003年はローテに入れず、このまま行くと自由契約の可能性もあった。
--転機は04年。2軍調整中に[[山口コーチ>山口高志]]のアドバイスを聞き、フォームを改造。現在の浮き上がるようなストレートを投げるようになる。
+-阪神時代の初期は低迷したがブレーク後は球界を代表する守護神として大活躍
+-一世を風靡した[[JFK]]の一人
+-98年度のドラフトで阪神はJR東海の岩瀬仁紀(後に中日入り)に猛アタックをかけるも振られてしまったために藤川を指名。後々二人は球界を代表する守護神に成長。
+-入団会見でビッグマウスをかまし当時の野村監督を唸らせる。
+-最初の背番号は30番だった。
+-何気にスイッチヒッター。だが公称は右投げ左打ち。これは左打ちだと利き腕の肩を投手に向けることになるので、死球による怪我を避ける意味で右でも打つことがあった。&br(){}先発時代はそのスイッチぶりが見れたが、中継ぎ転向以降は見る機会はまずない。
+-同い年の[[藤田太陽>太陽]]共々期待されるが終わってみれば二人とも…のパターンを繰り返してた。
+-02年は勝ち星こそプロ初勝利となった1勝のみに終わるが、後半戦は地味に先発ローテに定着していた。登板した12試合は全て先発登板であった。
+-しかし18年ぶりに優勝した2003年はローテに入れず、このまま行くと自由契約の可能性もあった。当時の監督の[[1001>星野仙一]]や一軍投手コーチを務めた西本聖の評価は低かった。星野の藤川への評価の低さはその後の北京五輪の時の起用にも顕れている。
+-転機は04年。星野の監督退任や[[岡田彰布]]監督就任という幸運と2軍調整中に[[山口高志]]コーチのアドバイスを聞き、フォームを改造して現在の浮き上がるようなストレートを投げられるようになったことが非常に大きかった。
 --[[安藤優也]]、[[ウィリアムス]]の五輪離脱により、後半戦は中継ぎとして1軍に定着した。
--そして背番号を名前と語呂合わせの92番から佐々木、高津らのつけた守護神の象徴の22番に変更した05年に最多登板記録&ホールド日本記録更新。2年ぶりの優勝に大きく貢献した。
+-そして背番号を名前と語呂合わせの92番から佐々木主浩(元横浜)、高津晋吾(元ヤクルト)らのつけた守護神の象徴の22番に変更した05年に最多登板記録&ホールド日本記録更新。2年ぶりの優勝に大きく貢献した。
 --JFKを結成したのはこの年である。
 -06年に連続無失点&連続イニング無失点日本記録更新。
 --守護神の[[久保田智之]]の故障と不調により、この年から抑えも任されるようになる。
 -07年は久保田がセットアッパーに回ったため、完全に守護神に定着。セーブ日本タイ記録達成。
 -ストレート一本で三振をとっちゃう漫画の主人公である。
 -クルーンいわく「インビジブル」ストレート。
 -しかしWBCでストレート一本という投球内容から信頼を勝ち取れなかったため、08年からはフォークの割合を増やしている。
 -しかしフォークの習得で投球の幅は広がったがフォークのすっぽ抜けを狙われて痛打を食らう場面も増えたため現状ではプラマイゼロである。
 -入場曲であるリンドバーグの楽曲「EVERY LITTLE THING EVERY PRECIOUS THING」は夫人との思い出の曲らしい。
--広末涼子とは中学の同級生である。
---球界で言うと、レッドソックス松坂大輔、横浜村田、SB和田・杉内らと同級生のいわゆる「松坂世代」である。
+-あの広末涼子とは中学の同級生である。阪神入団時には広末から激励の手紙が届いた。ちなみに広末自身は巨人ファンらしい。
+--球児自身も実は巨人・斎藤雅樹の大ファンであり、グラブとマジックを持ってサインをもらいにいったことがある。
+--球界で言うと、レッドソックスの松坂大輔、オリオールズの和田毅、読売の村田修一や杉内俊哉らと同級生のいわゆる「松坂世代」である。
+--阪神の現役では久保田が同世代。阪神に在籍してた選手では太陽・[[江草仁貴]]・[[橋本健太郎]]・[[杉山直久]]・[[久保康友]]がいる。
 -前述の入場曲が流れると同時にとらせんでは、各自思い入れの歌手を使い、○○キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!とレスするのがお決まりである。
 -顔の全パーツが重力に負けている気がしないでもない。
 -同世代で一番早く結婚している。
--2009年シーズンは登板する度にピンチを招く、劇場投手化しており、6月5日のオリックス戦よりグラブを替えた。それにとらせん住人よりも早く気付いたのが解説の[[岡田彰布]]である。
--野球センスは入団当初から定評があり、ドラフト時には野手としての評価も高く打撃もタイミングの取り方が天才的と言われていた。藤川といえばストレートと言われるがピッチャーとしてのフィールディングの評価も非常に高い。
--球速アップ以前の藤川が過小評価されがちだが、初勝利を掴んだ2002年にはまだ140キロ代前半だった藤川のストレートに対し当時の巨人の強力打線が球の下を振り続けるなど非凡なノを見せていた。それが破綻なく球速アップしたのだから打てないのも納得である。また東尾修は当時ようやくローテーションに入ったばかりの藤川に対し、既に巨人のエースであった上原のライバルになっていく存在と評価をしていた。
+-09年シーズンは登板する度にピンチを招く、劇場投手化しており、6月5日のオリックス戦よりグラブを替えた。それにとらせん住人よりも早く気付いたのが解説の岡田彰布である。
+--余談ではあるが、09年に極度の不振に陥った[[新井貴浩]]がバットを好調だった08年時のものに変更したのに真っ先に気づいたのもどんでんである。
+-野球センスは入団当初から定評があり、ドラフト時には野手としての評価も高く打撃もタイミングの取り方が天才的と言われていた。フィールディングの評価も非常に高い投手である。
+-球速アップ以前の藤川が過小評価されがちだが、初勝利を掴んだ02年にはまだ140キロ代前半だった藤川のストレートに対し当時の巨人の強力打線が度々球の下を振るなど非凡さを見せていた。それが破綻なく球速アップしたのだから打てないのも納得である。また東尾修は当時ようやくローテーションに入ったばかりの藤川に対し、当時巨人のエースであった上原浩治(現・オリオールズ)のライバルになっていく存在と評価をしていた。
+-[[藤川俊介]]が入団した10年から藤川俊が俊介に改名した11年シーズン前まで一部の新聞表記は藤川球だった。
+-12年4月11日、史上5人目となる通算200セーブを達成した通算防御率1点台での記録達成は史上初であった。ただし開幕戦で救援失敗したのを皮切りに何度か救援失敗してる。抑えても度々劇場を演じたり、故障で二度も戦列を離れるなど不本意な部類に入るシーズンだった。
+-12年オフ海外FAを宣言し、シカゴ・カブスに入団。背番号は11。
+-渡米後は故障もあってパッとしない状態。
+
 -高校時代の藤川球児
 #video(http://www.nicovideo.jp/watch/sm2329304)
 3:50頃から
 #video(http://www.youtube.com/watch?v=FLzPYJ3a8_Q)