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星野仙一 - (2014/12/20 (土) 13:32:46) のソース

*星野 仙一(ほしの せんいち)
-ご存知[[田淵>田淵幸一]]の友人にして元中日の燃えるエース。
-02年~03年の阪神監督。03年に優勝して勇退。その後は10年までSD職に収まっていた。
-中日時代は鉄拳制裁で有名であったが(特に捕手の中村武士は冗談抜きで顔が腫れるほど殴られた)、時代に合わせて阪神時代は鉄拳制裁を封印した。
-阪神を本格的に暗黒時代から脱却させたといわれるが、その手法は中日時代からお得意の血の入れ替えを積極的に行いカンフル剤を打ちまくることである。
-だがカンフル剤の打ちすぎが祟ってチームがぶっ壊れ次の監督が苦労してしまうことになるのも中日時代と同じ。04年の[[どんでん>岡田彰布]]がまさにそれ。
-だがこれ以降、阪神が暗黒時代から脱却し阪急と合併して資金力が増えたこともあり、選手増強を意識を植え付けたのも事実。
-04年も続投だったら[[藤川球児]]や[[関本賢太郎]]・[[福原忍]]はクビだったらしい。
-北京五輪では日本代表の監督を務める。結果は、チームの統制も取れず惨敗。中日や阪神を優勝させたものの監督としての能力はほぼ全て参謀だった[[島野育夫]]コーチ(故人)の能力に拠っていたことが露見、その後の言い訳もあって監督としての評価は地に墜ちる。さらに前述の藤川や関本らのその後の活躍もあり逆に選手を見る目の無さも指摘されだした。
--GG佐藤の落球事件でGG佐藤は北京五輪の戦犯に仕立て上げられたが、そもそも外野手なのに慣れない一塁を守らせたのが悪いので、一部の球界関係者からは星野のせいだという意見もあった。
--この五輪の時は不甲斐ない投球をした中日の川上、岩瀬に対して鉄拳制裁の封印を解いて殴ったらしい。選手を酷使されたこともありそれで中日は暫くの間、WBC等で選手を派遣することを封印する事態となる。
-読売・渡辺オーナーのお気に入りで常に「巨人次期監督候補」に挙げられていた。
-懲りずにWBCの監督をやりたがったがさすがに世間の目は厳しかった。
-[[岡田元監督>岡田彰布]]との確執が岡田オリックス誕生の要因の一つと言われている。
-2010年度シーズンオフをもって阪神SDを退職し、楽天の監督になった
-楽天時代は大分丸くなったのか、選手は可愛くて殴れないとか洩らした。
-楽天でも岩村明憲や松井稼頭央を獲得するなど大型補強戦略は健在。その後、メジャーの大物、AJやマギーも獲得。ニック・ダルマ―と化した岩村以外は3名の獲得は成功する。
-2012年5月11日、投手出身監督として初の通算1000勝を達成。
-2013年、楽天を優勝に導いた。日本シリーズでは勝てないジンクスも打ち破り、ついに日本一になり宙を舞った。
-が、翌年の2014年、エースのマー君がメジャーに行ったこともあり、最下位に転落。体調の不調もあり同年限りで解任となった。
--後任の監督が悪名高いデーブ大久保となり、鷲ファンは阿鼻叫喚となった。