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Lyrical Night3話 - (2008/05/19 (月) 17:27:09) の最新版との変更点

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第3話「戸惑い」  ―― 二日目 AM10:00 ――  忙殺とはこのような状況を言うのだろう。  八神はやては椅子の背もたれに体重を任せて、天井を仰いだ。  目蓋は重く、視線が宙を泳ぐ。  髪や衣服が少々乱れていることを気にする余裕もない。  一歩踏み外せば底なしの眠りに落ちてしまう――そんな境にはやては浮かんでいた。 「はやてちゃん……少しは寝ないと身体壊しちゃいますよぉ」  小さな曹長がデスクに降り立つ。  怒っているような口調だが、その表情は心配そうだ。  はやては隈のできかけた目を擦り、リインに微笑みかけた。 「心配せんでええって。お客さんとの話し合いが終わったらちゃんと寝るから」  そう約束されても、リインの顔から不安の色は消えなかった。  責務が普段の2倍にも3倍にも増えたような疲労のしようなのだ。  本音を言えば、今すぐ無理にでも休息をとらせたい。  けれど、最後の最後ではやてが抜けてしまえば、もうじき表沙汰になる緊急事態に対処できなくなってしまう。  するべきことをする。それが責任というもの。  分かってはいるけれど、大切な人が疲れ果てているのを見るのは嬉しいことではない。  リインは喉まで出掛かった言葉を飲み込んで、自分の席へ戻った。  『お客さん』が来る予定の時刻までまだ時間がある。  はやては半透明のコンソールを操作して、最後の確認に勤しんでいる。  今にも倒れてしまいそうで、見ているこちらがはらはらする。  リインはまだ来ぬ来客を待ち侘びた。  そのとき、コンコン、とドアを叩く音がした。 「来たっ!」 「どうぞ、入って」  来客はこの場に似つかわしくない格好の女だった。  一番に目に付くのは、鮮やかな赤いコート。  サイズが大きめなのか、裾は膝を隠すほどの長さで、下げた手は指先しか露出していない。  しかも、その赤い装束からは魔力の存在が感じられた。  こんな格好で管理局の施設を歩いていてはバリアジャケットを着ているのかと誤解されそうだ。  長い黒髪を背中で束ねる髪飾りにも、これまた赤い宝石があしらわれている。  初めて彼女を見たリインは、目をぱちくりさせた。  受け取った資料にははやてと同年代であると記されていたが、実際会ってみると2,3歳は大人に見える。  なのはさんやフェイトさんみたいに髪を括れば、印象が変わるのかもしれない。リインはそんなことを思った。  こう、後ろに流してる髪の毛を左右に分けて、2つに括って……。 「わざわざここまで来てもらってごめんな、魔術師さん。本当はこっちから出向くべきやのに」 「気にしないでいいわ。ホテルにいたって状況は良くならないんだから」  いつの間にか、はやては服装を正して来客に応対していた。  リインも脱線しかけていた思考を元に戻し、気持ちのスイッチを切り替える。  慣れた手つきでコンソールを叩いて報告書を読み上げた。 「一昨日の真夜中から昨日未明にかけての作戦の結果を受けて、状況はプランBに移行。  作戦準備段階からの予定通り、衛宮士郎氏を機動六課スターズ分隊に配属。  配属に関連する管理局各部署との調整も終了。本日から各種任務に参加可能となります。  ……今朝までの報告は以上です」 「ありがと、リイン」   プランB  次善の作。  事態が望ましい方向へ向かっていないことの揺るぎない証明。  はやてと魔術師は、交わす言葉こそ多くないものの、同じ認識を共有していた。  一歩間違えば破局が待っている。  にも関わらず、それを知る者のなんと少ないことか。  はやてはデスクに両肘を突き、両手の指を絡めて、本題を切り出した。 「とにかく情報収集を密に。それがこれからの大原則や。  その為にも管理局の上層部ともっと連携して、アンテナをあちこちに向けなあかん。  だから、まずはお偉いさんに正確な経緯を知ってもらいたいんや」  核心に触れない、遠回しな要請。  魔術師は胸の前で腕を組んだ。  想定通りとばかりに、不適に笑う。 「上層部への報告に私も立ち会って欲しいってわけね。いいわよ。こういうのは私が適任でしょう」 「ありがとうな。スケジュールが決まったら連絡させるから」  ささやかな会談は終わった。  状況を把握している者同士であるのだから、至る結論も同じだった。  赤い魔術師は扉の方へ向かい、直前で立ち止まる。 「止め損ねた分は4つ。大人しく力尽きるか拠り所を確保していればいいんだけど……」  そこで言葉を切り、はやてに振り返る。 「どちらでもないなら死体の山ができるわ」  魔術師は断言した。  有無を言わさぬ、確信の篭った響き。  リインは知らず胸元で手を握り込めていた。 「もしどちらでもなかっても、なんとかしてみせる。そのための機動六課や」  はやての声に躊躇いは無かった。  部下達への、仲間達への信頼に満ちた眼差しで、赤い魔術師を見据える。  魔術師は軽く頭を振ると、はやての視線を真っ直ぐ受け止めた。  口の端が上がる。 「上等ね。私の使い魔も、力が回復したら戦力に加えさせるわ。  それで少なくとも五分には持っていけるでしょ」  自信に満ちた笑いを浮かべる魔術師。  はやては柔らかい微笑みで答え――ばたんと机に突っ伏した。 「……! はやてちゃん!」  慌てて飛び出すリイン。  どうにか意識を取り戻させようと机に降り立つ。  規則正しい呼吸と共に、はやての背中は小さく上下していた。  どこからどう聞いても健やかな寝息だった。  リインの表情が安堵に緩む。 「はやてちゃん……」 「しばらく寝かせてあげたほうがいいんじゃない?」  魔術師に言われるまでも無く、リインはそのつもりだった。  人形のような手がはやての頬を撫でる。  疲れ、荒れている白い肌。  これははやてちゃんの頑張りの証だ。  リインは言葉にできない愛しさを感じていた。  ―― 二日目 AM10:40 ―― 「ねぇ。エミヤ三尉のこと……どう思う?」  そう唐突に切り出したのはティアナだった。  目の前の相手にだけ聞こえる大きさで、しかしはっきりと。  スバルは目をぱちくりさせて、質問の意図が分からないと言いたそうに首を傾げた。 「ふぇみやはんは?」 「ごはん飲み込んでからでいいから」  時刻は昼前。  訓練を一段落させたスターズ分隊は、休憩を取って少し早い昼食を広げていた。  ティアナとスバルは、大きな木の根元で向かい合うようにして腰を下ろしている。  なのは達は少し離れた場所にいて、ライトニング分隊はまだ訓練中だ。  今なら話を聞かれることもないだろう。  無論、ティアナはそれらを全て確認した上で、スバルに問いかけているのだが。  スバルは急いで口の中の昼食を飲み込んで、ティアナに向き直った。 「んぐ……。エミヤさんがどうかした?」 「そのまんまよ。スバルがあの人のことをどう思ってるのか知りたいの」  出合って間もない相手なのに、どう思っているのか、なんて聞かれても困るだけ。  頭では理解していてもつい訊ねてしまった。  かくいうティアナ自信も、あの人物には漠然とした第一印象しか抱けていない。  それも、積極的な受け入れとは異なる感情だ。  表現する言葉は思いつかないが、端的に言えば  ティアナは彼のことをまだよく知らない。  けれど同じ隊の隊員として経験を重ねれば、きっと信頼関係を築くこともできるはずだ。  しかし今はまだ情報が少なすぎる。  いくら隊長の決定とはいえ、見ず知らずも同然の相手に命は預けられない。  ティアナの思考回路は、当然としか言いようのない結論にたどり着いていた。  それでもスバルにあんなことを訊ねたのは、純粋に他人がどう思っているのか知りたかったのか。  あるいは自分の考えに同意して貰いたかったのか。  だが、相方の返答は至極簡潔だった。 「良い人だと思うよ。なのはさんの友達なんだし、悪い人なわけないじゃない」  笑顔で言い切るスバル。  ティアナはがくっと肩を落とした。  難しい理屈や分析を求めていたわけではないが、正直に言えば期待はずれな答えだった。 「なのはさんから紹介されたからって理由で? ちょっと安直過ぎるでしょ」  思ったことを、ついそのまま溢してしまう。  言ってから、スバルを非難するようなニュアンスになっていたことに気付き、内心後悔する。  スバルは不服そうに唇を尖らせた。 「安直じゃないって。悪い人をわざわざ管理局に引き抜く意味なんてないでしょ?」  あまりにシンプルな反論に、ティアナは返す言葉が無かった。  確かに当たり前のことなのだ。  裏ワザみたいな手段とやらを使ってまで、信頼できない相手を呼び寄せる理由など存在しない。  人事部から一方的に割り当てられた人員ならともかく、だ。  隊長自らが選んだのだから、戦力的に不足であるとはとても考えられない。  不和が生じるとすれば、性格などで個人的に反りが合わない場合くらいだろう。  ……そうだ。  何だかんだ言って、一番気になっていたのはそこじゃないか。  客観的に見える理由を積み重ねたところで、結局は主観的な理由でしかないんだ。 「そりゃそうだけど……」 「でも、心配になるのも分かるな。  エリオ達と初めて会ったときもそうだったけど、ちゃんと仲良くなれるのか心配だよね」  スバルは三分の一も残っていない昼食を、再び口に運んだ。  ちゃんと考えているのか、それとも能天気に何とかなると思っているのか。  ティアナは自分の膝に視線を落とした。  昼食は半分も減っていなかった。 「考えすぎ、なのかなぁ」  呟き、空を仰ぐ。  木々の梢では、太陽の光が水面のように輝いている。  重なり合う木の葉の影と、その間から注ぐ光が、まるで万華鏡のように形を変える。  胸にくすぶる漠然とした不安は消えていない。  けれど、多少は気が楽になった気がした。 「……あれ?」  視界に妙なものが入り込んだ……ように見えた。  葉っぱとは違った、大きな影。  ここから少し離れた樹木の上に何かがいる。  ティアナは昼食の容器を置いて、その木の根元に向かった。 「あれ? ティアどうしたの?」  スバルは声を掛けるだけで、追いかけようとはしない。  最初は空戦魔導師が横切ったのだと思った。  ――なら同じ場所にいるのはおかしい。  次に鳥が止まったのだと思った。  ――それにしては大き過ぎる。  だから自分の眼で確かめた。 「へっ?」  ティアナは一瞬言葉を失った。  どちらの仮説も半分間違っていて、半分正解だった。  木の頂上に近い大きな枝に、人間が腰掛けていたのだ。 「エミヤ三尉! そんなところで何してるんですか!」  枝に座っていた衛宮士郎が木の下のティアナに顔を向ける。  声が届かないかもしれないと思ったが、どうやらちゃんと聞こえたようだ。  衛宮士郎は脚を軽く振って、そして、足から真っ直ぐ落下した。  ティアナが驚きの声をあげる暇もなかった。  彼の体は重力に引かれて加速し、むき出しの地面に到達する。  靴が土を巻き上げる。  両膝は衝撃を吸収するように曲げられて、制服の裾が風を受けて短いコートのように膨らんだ。 「よっと」  なんて事はないとばかりに、平然と立ち上がる。  ティアナは気を取り直し、10センチは高い位置にある顔を見据えた。 「どうしてあんなところにいたんですか」 「街の様子を見ようと思ったんだけど、なんかまずかったか?」  街と言われて、ティアナは海岸線に臨む街並みに目をやった。  大きな建物などの輪郭は見えるが、街の様子までは判別できない。  不思議そうにしているティアナの横で、衛宮士郎も同じ方角を向いた。 「橋のタイルの数を数えられる、ってほどじゃないけど、海沿いを歩いてる人の顔くらいは分かるかな」  ティアナがいくら目を細めても、そんな遠くのものなど見えはしない。  ――ああ、この人もあたしには見えないものが見えているんだ。  スバルと正面から打ち合うなんてことも、魔法もバリアジャケットもなしで飛び降りることも、あたしにはできない。  あたしにできないことを、この人は当然のようにやっている。  心に浮かべた自分の言葉に、ティアナは思わず唇を噤んだ。  事実をそのまま表現したに過ぎない。  それなのに、一度収まったはずの感情が再び沸き起こりそうになってくる。  この不安感がどこから来るものなのか、自分でも分からない。  それがまた不安を煽る。  ティアナは彼に気付かれないように――自分すらも気付かないうちに――僅かに後ずさっていた。 「お、ちょうど全員揃ってるな」  唐突にヴィータが声を掛けてきた。  赤いドレスのようなバリアジャケットの裾と大きなお下げを揺らしながら、二人の前に歩いてくる。  ティアナは知らず安堵の息をついていた。  もしヴィータが来なければ、間違いなく逃げ出していただろう。  行為に至る理由はさして重要ではない。  後になってから、逃げたという事実を後悔することしかできなくなったはずだ。  ヴィータが不機嫌そうに衛宮士郎を一瞥する。  その眼差しを受けた当人は、当惑した様子で後頭部を掻いた。  ヴィータからあまり良い印象を受けていないことを自覚しているようだ。  だが、その理由までは想像できていないだろう。 「何でなのははこんなヤツと……あー、なんでもない。明日のスケジュールが変更になったから、連絡だ」  指摘を許さない勢いで畳み掛ける。  ティアナは発言の前半を頭から追い出して、姿勢を正して次の言葉を待った。 「明日は廃棄都市区画での実戦演習だ。スターズとライトニングの合同でな。  隊長二人は午後になるまで別の仕事があるから、午前中はあたしとシグナムとエミヤシロウが敵役だ。分かったな」  ―― 二日目 AM11:00 ――  隊長室のドアをノックして数秒。  幾ら待っても、反応らしい反応はなかった。  なのはは首を傾げ、再度ノックする。  やはり返ってくるのは沈黙だけだった。  もしかしたら部屋を空けているのかもしれない。  そう思い、念のためドアノブに手を掛ける。 「あれ? 開いてる」  そっと中に入る。  返事が無かった理由はすぐに分かった。  部屋の主であるはやてが、机に突っ伏してすやすやと眠っていた。  足音をなるべく立てないように、はやての傍に歩いていく。 「……ぁ」  ドアの近くから見たときには気付かなかった。  眠るはやての頬に寄り添うようにして、リインも可愛らしい寝顔で横になっている。  二人ともまるで子供のようだ。  なのはは、自然と口元が緩むのを抑えられなかった。  はやての肩に掛けられた赤いコートの位置を整え、真新しいハンカチをリインの体に被せる。  勿論、用件があるからこそ、なのははここに来たのだ。  けれどこうして眠る姿を見ていると、無理に起こすのが悪いことのように思えてしまう。  少しくらいなら良いだろう。  そう考えて、なのはは静かに隊長室を後にした。 「もう一週間も働き詰めだもんね……。たまには休まないと」 「他人の心配もいいけど、自分のことも気遣ってやれよ」  はっと顔を上げると、廊下の真ん中で仁王立ちするヴィータと目が合った。  ヴィータはいつもの不機嫌そうな表情で、なのはをじっと見据えている。 「どうしたの? こんなところで」 「新人達がそろそろ訓練再開したいんだとさ。だから呼びに来た」  腕を組み、なのはに道を譲るように廊下の壁際へ身を寄せる。  なのはは少し考えて、ひらと手を振った。 「ごめん、まだやることが残ってるから、ヴィータちゃんに任せていいかな」  ヴィータの表情が沈んだ。  顔を伏せ、なのはから目を逸らす。 「やっぱ、アレなのか」  二の腕を掴む指にぎゅっと力が篭っていく。  ヴィータは急に顔を上げると、なのはの返事を待たずに二の句を継いだ。 「いくら急がなきゃいけなかったからって、あんな小数でどうにかしようってのが間違ってたんだ。  それに公表どころか、まだ管理局でも知らない奴が殆どなんだろ? 上の連中は何を考えてるんだか……」  溜まっていた不満を吐き出すように言い募る。  今度は本物の不機嫌だ。  いや、不機嫌よりもずっと純粋な、優しい感情だった。 「そりゃ、あたしもアレを見たのはこの前が初めてだけど、アレがとんでもなく危険なのは間違いないんだ。  だからなのはは関わっちゃ駄目だ! "聖杯"なんかに!」  肩で息をしながら、ヴィータは目元を指で拭った。  なのははヴィータの頭に手を置いて、くしゃっと撫でた。 「それは違うよ。私が関わらないと駄目なの。  本当は六課のみんなも巻き込みたくない――私と衛宮君達だけで解決できるなら、それが一番良かったんだけど」  しゃがんでヴィータと視線を合わせる。  またエミヤかよ、と呟いたヴィータの声は、なのはには聞こえなかったようだった。 「だから明日はみんなと別のお仕事。管理局の皆にも手伝ってもらわないと、何にも出来ないから、ね?」  優しく微笑みかけるなのは。  ヴィータは口を閉ざし、また俯いた。  しかし今度は先程と様子が少し違った。  なのはの制服の袖を、指先で摘むように、けれどしっかりと握っている。 「……わかった。なのはは好きに飛んでいいよ。あたしが絶対護るから」
第3話「戸惑い」  ―― 二日目 AM10:00 ――  忙殺とはこのような状況を言うのだろう。  八神はやては椅子の背もたれに体重を任せて、天井を仰いだ。  目蓋は重く、視線が宙を泳ぐ。  髪や衣服が少々乱れていることを気にする余裕もない。  一歩踏み外せば底なしの眠りに落ちてしまう――そんな境にはやては浮かんでいた。 「はやてちゃん……少しは寝ないと身体壊しちゃいますよぉ」  小さな曹長がデスクに降り立つ。  怒っているような口調だが、その表情は心配そうだ。  はやては隈のできかけた目を擦り、リインに微笑みかけた。 「心配せんでええって。お客さんとの話し合いが終わったらちゃんと寝るから」  そう約束されても、リインの顔から不安の色は消えなかった。  責務が普段の2倍にも3倍にも増えたような疲労のしようなのだ。  本音を言えば、今すぐ無理にでも休息をとらせたい。  けれど、最後の最後ではやてが抜けてしまえば、もうじき表沙汰になる緊急事態に対処できなくなってしまう。  するべきことをする。それが責任というもの。  分かってはいるけれど、大切な人が疲れ果てているのを見るのは嬉しいことではない。  リインは喉まで出掛かった言葉を飲み込んで、自分の席へ戻った。  『お客さん』が来る予定の時刻までまだ時間がある。  はやては半透明のコンソールを操作して、最後の確認に勤しんでいる。  今にも倒れてしまいそうで、見ているこちらがはらはらする。  リインはまだ来ぬ来客を待ち侘びた。  そのとき、コンコン、とドアを叩く音がした。 「来たっ!」 「どうぞ、入って」  来客はこの場に似つかわしくない格好の女だった。  一番に目に付くのは、鮮やかな赤いコート。  サイズが大きめなのか、裾は膝を隠すほどの長さで、下げた手は指先しか露出していない。  しかも、その赤い装束からは魔力の存在が感じられた。  こんな格好で管理局の施設を歩いていてはバリアジャケットを着ているのかと誤解されそうだ。  長い黒髪を背中で束ねる髪飾りにも、これまた赤い宝石があしらわれている。  初めて彼女を見たリインは、目をぱちくりさせた。  受け取った資料にははやてと同年代であると記されていたが、実際会ってみると2,3歳は大人に見える。  なのはさんやフェイトさんみたいに髪を括れば、印象が変わるのかもしれない。リインはそんなことを思った。  こう、後ろに流してる髪の毛を左右に分けて、2つに括って……。 「わざわざここまで来てもらってごめんな、魔術師さん。本当はこっちから出向くべきやのに」 「気にしないでいいわ。ホテルにいたって状況は良くならないんだから」  いつの間にか、はやては服装を正して来客に応対していた。  リインも脱線しかけていた思考を元に戻し、気持ちのスイッチを切り替える。  慣れた手つきでコンソールを叩いて報告書を読み上げた。 「一昨日の真夜中から昨日未明にかけての作戦の結果を受けて、状況はプランBに移行。  作戦準備段階からの予定通り、衛宮士郎氏を機動六課スターズ分隊に配属。  配属に関連する管理局各部署との調整も終了。本日から各種任務に参加可能となります。  ……今朝までの報告は以上です」 「ありがと、リイン」   プランB  次善の作。  事態が望ましい方向へ向かっていないことの揺るぎない証明。  はやてと魔術師は、交わす言葉こそ多くないものの、同じ認識を共有していた。  一歩間違えば破局が待っている。  にも関わらず、それを知る者のなんと少ないことか。  はやてはデスクに両肘を突き、両手の指を絡めて、本題を切り出した。 「とにかく情報収集を密に。それがこれからの大原則や。  その為にも管理局の上層部ともっと連携して、アンテナをあちこちに向けなあかん。  だから、まずはお偉いさんに正確な経緯を知ってもらいたいんや」  核心に触れない、遠回しな要請。  魔術師は胸の前で腕を組んだ。  想定通りとばかりに、不適に笑う。 「上層部への報告に私も立ち会って欲しいってわけね。いいわよ。こういうのは私が適任でしょう」 「ありがとうな。スケジュールが決まったら連絡させるから」  ささやかな会談は終わった。  状況を把握している者同士であるのだから、至る結論も同じだった。  赤い魔術師は扉の方へ向かい、直前で立ち止まる。 「止め損ねた分は4つ。大人しく力尽きるか拠り所を確保していればいいんだけど……」  そこで言葉を切り、はやてに振り返る。 「どちらでもないなら死体の山ができるわ」  魔術師は断言した。  有無を言わさぬ、確信の篭った響き。  リインは知らず胸元で手を握り込めていた。 「もしどちらでもなかっても、なんとかしてみせる。そのための機動六課や」  はやての声に躊躇いは無かった。  部下達への、仲間達への信頼に満ちた眼差しで、赤い魔術師を見据える。  魔術師は軽く頭を振ると、はやての視線を真っ直ぐ受け止めた。  口の端が上がる。 「上等ね。私の使い魔も、力が回復したら戦力に加えさせるわ。  それで少なくとも五分には持っていけるでしょ」  自信に満ちた笑いを浮かべる魔術師。  はやては柔らかい微笑みで答え――ばたんと机に突っ伏した。 「……! はやてちゃん!」  慌てて飛び出すリイン。  どうにか意識を取り戻させようと机に降り立つ。  規則正しい呼吸と共に、はやての背中は小さく上下していた。  どこからどう聞いても健やかな寝息だった。  リインの表情が安堵に緩む。 「はやてちゃん……」 「しばらく寝かせてあげたほうがいいんじゃない?」  魔術師に言われるまでも無く、リインはそのつもりだった。  人形のような手がはやての頬を撫でる。  疲れ、荒れている白い肌。  これははやてちゃんの頑張りの証だ。  リインは言葉にできない愛しさを感じていた。  ―― 二日目 AM10:40 ―― 「ねぇ。エミヤ三尉のこと……どう思う?」  そう唐突に切り出したのはティアナだった。  目の前の相手にだけ聞こえる大きさで、しかしはっきりと。  スバルは目をぱちくりさせて、質問の意図が分からないと言いたそうに首を傾げた。 「ふぇみやはんは?」 「ごはん飲み込んでからでいいから」  時刻は昼前。  訓練を一段落させたスターズ分隊は、休憩を取って少し早い昼食を広げていた。  ティアナとスバルは、大きな木の根元で向かい合うようにして腰を下ろしている。  なのは達は少し離れた場所にいて、ライトニング分隊はまだ訓練中だ。  今なら話を聞かれることもないだろう。  無論、ティアナはそれらを全て確認した上で、スバルに問いかけているのだが。  スバルは急いで口の中の昼食を飲み込んで、ティアナに向き直った。 「んぐ……。エミヤさんがどうかした?」 「そのまんまよ。スバルがあの人のことをどう思ってるのか知りたいの」  出合って間もない相手なのに、どう思っているのか、なんて聞かれても困るだけ。  頭では理解していてもつい訊ねてしまった。  かくいうティアナ自信も、あの人物には漠然とした第一印象しか抱けていない。  それも、積極的な受け入れとは異なる感情だ。  表現する言葉は思いつかないが、端的に言えば  ティアナは彼のことをまだよく知らない。  けれど同じ隊の隊員として経験を重ねれば、きっと信頼関係を築くこともできるはずだ。  しかし今はまだ情報が少なすぎる。  いくら隊長の決定とはいえ、見ず知らずも同然の相手に命は預けられない。  ティアナの思考回路は、当然としか言いようのない結論にたどり着いていた。  それでもスバルにあんなことを訊ねたのは、純粋に他人がどう思っているのか知りたかったのか。  あるいは自分の考えに同意して貰いたかったのか。  だが、相方の返答は至極簡潔だった。 「良い人だと思うよ。なのはさんの友達なんだし、悪い人なわけないじゃない」  笑顔で言い切るスバル。  ティアナはがくっと肩を落とした。  難しい理屈や分析を求めていたわけではないが、正直に言えば期待はずれな答えだった。 「なのはさんから紹介されたからって理由で? ちょっと安直過ぎるでしょ」  思ったことを、ついそのまま溢してしまう。  言ってから、スバルを非難するようなニュアンスになっていたことに気付き、内心後悔する。  スバルは不服そうに唇を尖らせた。 「安直じゃないって。悪い人をわざわざ管理局に引き抜く意味なんてないでしょ?」  あまりにシンプルな反論に、ティアナは返す言葉が無かった。  確かに当たり前のことなのだ。  裏ワザみたいな手段とやらを使ってまで、信頼できない相手を呼び寄せる理由など存在しない。  人事部から一方的に割り当てられた人員ならともかく、だ。  隊長自らが選んだのだから、戦力的に不足であるとはとても考えられない。  不和が生じるとすれば、性格などで個人的に反りが合わない場合くらいだろう。  ……そうだ。  何だかんだ言って、一番気になっていたのはそこじゃないか。  客観的に見える理由を積み重ねたところで、結局は主観的な理由でしかないんだ。 「そりゃそうだけど……」 「でも、心配になるのも分かるな。  エリオ達と初めて会ったときもそうだったけど、ちゃんと仲良くなれるのか心配だよね」  スバルは三分の一も残っていない昼食を、再び口に運んだ。  ちゃんと考えているのか、それとも能天気に何とかなると思っているのか。  ティアナは自分の膝に視線を落とした。  昼食は半分も減っていなかった。 「考えすぎ、なのかなぁ」  呟き、空を仰ぐ。  木々の梢では、太陽の光が水面のように輝いている。  重なり合う木の葉の影と、その間から注ぐ光が、まるで万華鏡のように形を変える。  胸にくすぶる漠然とした不安は消えていない。  けれど、多少は気が楽になった気がした。 「……あれ?」  視界に妙なものが入り込んだ……ように見えた。  葉っぱとは違った、大きな影。  ここから少し離れた樹木の上に何かがいる。  ティアナは昼食の容器を置いて、その木の根元に向かった。 「あれ? ティアどうしたの?」  スバルは声を掛けるだけで、追いかけようとはしない。  最初は空戦魔導師が横切ったのだと思った。  ――なら同じ場所にいるのはおかしい。  次に鳥が止まったのだと思った。  ――それにしては大き過ぎる。  だから自分の眼で確かめた。 「へっ?」  ティアナは一瞬言葉を失った。  どちらの仮説も半分間違っていて、半分正解だった。  木の頂上に近い大きな枝に、人間が腰掛けていたのだ。 「エミヤ三尉! そんなところで何してるんですか!」  枝に座っていた衛宮士郎が木の下のティアナに顔を向ける。  声が届かないかもしれないと思ったが、どうやらちゃんと聞こえたようだ。  衛宮士郎は脚を軽く振って、そして、足から真っ直ぐ落下した。  ティアナが驚きの声をあげる暇もなかった。  彼の体は重力に引かれて加速し、むき出しの地面に到達する。  靴が土を巻き上げる。  両膝は衝撃を吸収するように曲げられて、制服の裾が風を受けて短いコートのように膨らんだ。 「よっと」  なんて事はないとばかりに、平然と立ち上がる。  ティアナは気を取り直し、10センチは高い位置にある顔を見据えた。 「どうしてあんなところにいたんですか」 「街の様子を見ようと思ったんだけど、なんかまずかったか?」  街と言われて、ティアナは海岸線に臨む街並みに目をやった。  大きな建物などの輪郭は見えるが、街の様子までは判別できない。  不思議そうにしているティアナの横で、衛宮士郎も同じ方角を向いた。 「橋のタイルの数を数えられる、ってほどじゃないけど、海沿いを歩いてる人の顔くらいは分かるかな」  ティアナがいくら目を細めても、そんな遠くのものなど見えはしない。  ――ああ、この人もあたしには見えないものが見えているんだ。  スバルと正面から打ち合うなんてことも、魔法もバリアジャケットもなしで飛び降りることも、あたしにはできない。  あたしにできないことを、この人は当然のようにやっている。  心に浮かべた自分の言葉に、ティアナは思わず唇を噤んだ。  事実をそのまま表現したに過ぎない。  それなのに、一度収まったはずの感情が再び沸き起こりそうになってくる。  この不安感がどこから来るものなのか、自分でも分からない。  それがまた不安を煽る。  ティアナは彼に気付かれないように――自分すらも気付かないうちに――僅かに後ずさっていた。 「お、ちょうど全員揃ってるな」  唐突にヴィータが声を掛けてきた。  赤いドレスのようなバリアジャケットの裾と大きなお下げを揺らしながら、二人の前に歩いてくる。  ティアナは知らず安堵の息をついていた。  もしヴィータが来なければ、間違いなく逃げ出していただろう。  行為に至る理由はさして重要ではない。  後になってから、逃げたという事実を後悔することしかできなくなったはずだ。  ヴィータが不機嫌そうに衛宮士郎を一瞥する。  その眼差しを受けた当人は、当惑した様子で後頭部を掻いた。  ヴィータからあまり良い印象を受けていないことを自覚しているようだ。  だが、その理由までは想像できていないだろう。 「何でなのははこんなヤツと……あー、なんでもない。明日のスケジュールが変更になったから、連絡だ」  指摘を許さない勢いで畳み掛ける。  ティアナは発言の前半を頭から追い出して、姿勢を正して次の言葉を待った。 「明日は廃棄都市区画での実戦演習だ。スターズとライトニングの合同でな。  隊長二人は午後になるまで別の仕事があるから、午前中はあたしとシグナムとエミヤシロウが敵役だ。分かったな」  ―― 二日目 AM11:00 ――  隊長室のドアをノックして数秒。  幾ら待っても、反応らしい反応はなかった。  なのはは首を傾げ、再度ノックする。  やはり返ってくるのは沈黙だけだった。  もしかしたら部屋を空けているのかもしれない。  そう思い、念のためドアノブに手を掛ける。 「あれ? 開いてる」  そっと中に入る。  返事が無かった理由はすぐに分かった。  部屋の主であるはやてが、机に突っ伏してすやすやと眠っていた。  足音をなるべく立てないように、はやての傍に歩いていく。 「……ぁ」  ドアの近くから見たときには気付かなかった。  眠るはやての頬に寄り添うようにして、リインも可愛らしい寝顔で横になっている。  二人ともまるで子供のようだ。  なのはは、自然と口元が緩むのを抑えられなかった。  はやての肩に掛けられた赤いコートの位置を整え、真新しいハンカチをリインの体に被せる。  勿論、用件があるからこそ、なのははここに来たのだ。  けれどこうして眠る姿を見ていると、無理に起こすのが悪いことのように思えてしまう。  少しくらいなら良いだろう。  そう考えて、なのはは静かに隊長室を後にした。 「もう一週間も働き詰めだもんね……。たまには休まないと」 「他人の心配もいいけど、自分のことも気遣ってやれよ」  はっと顔を上げると、廊下の真ん中で仁王立ちするヴィータと目が合った。  ヴィータはいつもの不機嫌そうな表情で、なのはをじっと見据えている。 「どうしたの? こんなところで」 「新人達がそろそろ訓練再開したいんだとさ。だから呼びに来た」  腕を組み、なのはに道を譲るように廊下の壁際へ身を寄せる。  なのはは少し考えて、ひらと手を振った。 「ごめん、まだやることが残ってるから、ヴィータちゃんに任せていいかな」  ヴィータの表情が沈んだ。  顔を伏せ、なのはから目を逸らす。 「やっぱ、アレなのか」  二の腕を掴む指にぎゅっと力が篭っていく。  ヴィータは急に顔を上げると、なのはの返事を待たずに二の句を継いだ。 「いくら急がなきゃいけなかったからって、あんな小数でどうにかしようってのが間違ってたんだ。  それに公表どころか、まだ管理局でも知らない奴が殆どなんだろ? 上の連中は何を考えてるんだか……」  溜まっていた不満を吐き出すように言い募る。  今度は本物の不機嫌だ。  いや、不機嫌よりもずっと純粋な、優しい感情だった。 「そりゃ、あたしもアレを見たのはこの前が初めてだけど、アレがとんでもなく危険なのは間違いないんだ。  だからなのはは関わっちゃ駄目だ! "聖杯"なんかに!」  肩で息をしながら、ヴィータは目元を指で拭った。  なのははヴィータの頭に手を置いて、くしゃっと撫でた。 「それは違うよ。私が関わらないと駄目なの。  本当は六課のみんなも巻き込みたくない――私と衛宮君達だけで解決できるなら、それが一番良かったんだけど」  しゃがんでヴィータと視線を合わせる。  またエミヤかよ、と呟いたヴィータの声は、なのはには聞こえなかったようだった。 「だから明日はみんなと別のお仕事。管理局の皆にも手伝ってもらわないと、何にも出来ないから、ね?」  優しく微笑みかけるなのは。  ヴィータは口を閉ざし、また俯いた。  しかし今度は先程と様子が少し違った。  なのはの制服の袖を、指先で摘むように、けれどしっかりと握っている。 「……わかった。なのはは好きに飛んでいいよ。あたしが絶対護るから」 [[前>Lyrical Night2話]]  [[目次>Lyrical Night氏]]  [[次>Lyrical Night4話]]

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