「そうして私は、自分が将来、どんな大人になっているんだろうって思っていたんだけど、それからしばらくしてユーノくんと出会って……」 「なるほどー」 「つまり、その子の方が初恋いうわけやね?」 はやてがニヨニヨした顔で言うと、なのはは赤くした顔で「そうだけど、はやてちゃんはー」と少し顔を膨らませる。 もう二十歳前なのに、こういうことについては正直、慣れてないというか、この三人ではほとんどそういう機会はないので、はやては「それでそれで」と詰め寄る。 「それで……といわれても、だけど、本当にそれっきりなんだから」 「それは――残念やねえ」 「うん」と答えてから、なのはは呆然としているフェイトに気づき、目を向けた。 「どうしたの?」 「なのはのはつこいなのはのはつこいなのはのはつこい……」 「あかん。相当なショックを受け取る」 「なんで? なんでフェイトちゃんがこんなショックを受けてるの?」 正直、訳がわからない。 はやても何だか複雑そうに笑ってから「私にも解らんよ」と答えた。 フェイトがなのはに向けている感情が恋とかそういうものであるのかというと、それはどうかと思うはやてであったが、なんかフェイトの気持ちは解らなくもない、とも思ったりする。ではどういうものかというと、よく解らないけども。 なのはも少し思案してから。 「どうしようかな」 と言った。 「どうって?」 「海鳴に戻ろうかなーって。もしかしたら、あの子じゃなくてギルさんが来ているかも知れないけど……だけど」 「だけど?」 なのはは、「どうしようかな」ともう一度繰り返した。 正直、自分は会いにいっていいのだろうかと思う。あの日のあの約束を、自分は忘れていたのだ。会いに行っていいとは思えなかった。それに、向こうだって約束を覚えていないかも知れない。いや、きっと覚えていないだろう。 もう、十年もたつのだ。 ぽつりと、その思いが口をついて出た。 「やっぱり、やめとこうかな」 「駄目だよなのは!」 フェイトが突然叫ぶ。 「フェイトちゃん?」 「だって、なのはは約束したんでしょ? こち亀の三十周年号がでる頃にまた会おうって、約束してたんでしょ?」 「それは――そう、なんだけど」 自分に詰め寄るフェイトに、思わず引いてしまうなのは。 だが、フェイトは友人のそういう態度を気にせず、あるいは気にした上でなおずずっと前に出る。 「また会うって約束をしたんだ。だから、なのはは会いにいかないと」 約束は―― 「そっか」 となのはは頷いた。 「約束したものね。それに、」 「それに?」 「いや。じゃあ、みんなで行こうよ。はやてちゃんはまだ休暇残っているんでしょ? フェイトちゃんも少し時間があるんでしょ? 明日から私、休暇とれるから。アリサちゃんやすずかちゃんも誘って、みんなで海鳴で、一緒にね」 お友達を、紹介したいとなのはは思った。 この人たちが自分のお友達なんだって自慢したかった。 そして、ギルさんのおかげでお友達を得られたんだって、お礼をしたかったのだ。 はやては「そやねえ、うちの子たちも誘おうか」と言って、フェイトも「うん。解った」と頷く。 三人はそうして、海鳴へと帰ることを決めたのだった。 ◆ ◆ ◆ 「なんで、ここに決めたのかね?」 と白髪の男に聞かれ、青いアロハシャツの男は「しらねーな」と答えた。 答えてから釣竿を伸ばして糸を垂らし、その場に座り込む。 「今回はあいつが旅費その他全部出すっていうから、あいつの要望に答えたまでだ。あいつが何でここを選んだかなんて、全然知らん」 「ほほう」 「俺としちゃあ、静かに釣りができるんなら、何処でもいいんだがな」 「相変わらず、マイペースな男だな」 アロハの男は白髪の男を横目にして「ぬかせ」とぼやいた。 白髪の男はジャケットやら帽子やら、相変わらずのアングラー姿だ。あの坊主とかお嬢ちゃんが見たら、嘆きだしそうだとアロハの男は思う。マイペースというのは、こういう奴のことをいうのだ。 いや。 (マイペースっていやあ、奴か) 赤いアングラーから目を逸らし、埠頭の先端の方へと目を向けた。 視線の先にいるのは、黒いライダースーツを着た、金髪の男だ。いつもなら髪を逆立てて悪趣味な服で決めて大笑いしているのだが、どうしてか今日はあの格好だ。 正直、意味もなく大笑いされていると神経に障るのだが、柄にもなく黙っていられると何だか余計に気分が悪い。アングラー野郎がいつもどおりなので、なおさらだ。 (まあ、ここには奴の取り巻きのがきんちょどもがいないから、騒ぐ意味もないんだろうが……) 視線を海へと戻す。 いい色合いだと思う。 風のここちもよい。 なかなかのロケーションだと素直に感心する。だが、車で何時間もかけて、わざわざここにくるという事情がよくわからない。 よく解らないといえば――男は傍らにおいたケーキの箱を開ける。 チーズケーキが入っている。 この街に最初にきた時に立ち寄ったのがこのケーキを売っている店であった。 様々な喫茶店などでバイト経験のある男には、そこが様々な意味で只者な店ではないというのがすぐにわかった。 アングラー野郎も何か思うところがあったのか、ケーキをつまんでは「むう」だの「見事だ」とか無駄にかっこつけた言葉をもらしていたが。男の脳裏には赤毛の少年の姿が浮かび「負けんな、少年」と口にしていた。強くイキろ。 あの店の店長と思しき男は、奴のことを知っているようで、奴の姿を見ると無言で一例してから二言、三言話をしていた。 (人間としちゃあ、なかなかできるな) そんなことを考えたりしていた。 奴は十年もこの世界をうろついていたというのだから、その時にできた知り合いなのかも知れないが。 「まあ、どうでもいいことだ」 呟き、チーズケーキを手に取り、口にした。 うん、いい具合だと思った。ここで茶かコーヒーでもあればいいんだが。 (ま、静かに釣りができるってだけで十分か) そんなことを思った矢先に「フィーーーーーーーッシュ」などと五メートルは離れた隣りで奇声があがった。 男はうんざりとした顔で「無視、無視」とぼやき、竿の先端を見る。 と。 「あー、かっこええなー」 聞いたような声がした。 「嬢ちゃん?」 ここにはいるはずのない人間の声に似ていた。思わずそちらを見てしまったが、そこにいたのはショートカットの女性だ。初めて見る。 その女を囲むように、ポニィテールの剣士がいて、赤いおさげの騎士がいて、金髪の魔術師がいて、褐色の武闘家がいた。 普段着なのに、どうしてか、男には彼女らがそうとしか思えなかった。 アングラーも魚から釣り針を外しながら、何処か不思議そうな顔で自分を眺めている女性たちを見ていた。 (なんだ、こいつら?) サーヴァント? いや、何だか違うが――だけど、人間じゃあない。 ふとポニィテールの剣士と目が合ったが、その女は「敵意はない」と視線で告げていた。ゆっくりと瞼を閉じて、顔を下げたのだ。 どうしたものか……と男が態度を決めかねていたが、女たちの横を通り過ぎて歩いていく女が、視界を横切る。 サイドポニィの栗色の髪の女だった。 白いワンピースを着て、白い買い物袋を提げている。 買い物袋に入っているのは、もう忌々しいばかりに見慣れてしまった氷菓だと一瞥で見て取れた。 (もしかして) と思った。 女はまっすぐに埠頭の先へと歩いていく。 この女は、奴へと会いに来ていたのだ。 ◆ ◆ ◆ 「ギルさん」 と声をかけた。 なのはは、その人を見た時、間違いなくギルさんだと思った。 十年前と同じ姿をしていた。 だから、間違いない。 常識で考えるのならば、十年前と姿が同じだというのは明らかにおかしい。まだあの少年がギルさんと同じ年頃になって、ギルさんのような容貌になったと考えるのがありえそうに思える。 だけど、なのはは、そうではないと確信していた。 この人はギルさんだ。 もしかしたら、あの少年も、多分。 ありえないことのはずなのに。 なのはは、そう思った。 ギルさんは、なのはの方を見ると、「遅いぞ」と告げる。 「王を待たせるとは、何事か」 「すみません」 素直に頭を下げた。 そして袋を差し出す。 「お詫びという訳ではないけど、ガリガリくんを買ってきたよ」 「うむ――献上するのなら、受け取ろう。みなで分けるがよい」 鷹揚に言ってから、ギルさんは袋に手を突っ込み、ガリガリくんを一つ取り出す。 なのははまだ埠頭の根元でいるはやてとその家族たちに、砂浜を歩いて来ているすずかとアリサたちに、その二人の前を駆けてくるフェイトとヴィヴィオとユーノへと手を振った。 早くここに来てよと、一緒にここでガリガリくんを食べようと。 ギルさんは先にガリガリくんを齧っていた。 なのははギルさんの隣りに立つと、自分もガリガリくんを手に取る。 「お前は、何になった?」 突然、そう聞かれた。 ギルさんはなのはを見ていなかった。 赤い目は海へと向けられている。 「警察官、みたいなの」 となのはが答えると「官憲か」と、馬鹿にしたように鼻を鳴らす。 なのははそれにも負けず、しかし少しだけ頬を膨らませた。 「結構、頑張って色々としているんだよ。それこそいくつもの世界を又に駆けて、あっちこっちに」 「ほう。大きく出たな。しかしどの道、人にこき使われる仕事だろう。お前は、そんな大人になりたかったのか?」 「胸を張って人に言える、誰かのためになれる仕事だから――うん、夢はかなったのかも」 確認するように頷くなのはであったが、ギルさんは何処か不機嫌そうな顔をした。 「くだらんな」 「そう?」 「夢は、自分のためにするものだ」 「…………」 「誰かのために、などという願いの中に、その誰かという者の中に自分もいるということに気づくがよい。人は自分というものからは到底、逃れられぬ。それなのに自分の欲望を満たすための行為に、誰かのための名分を立てたがるのは」 ――弱いせいだ。 とギルさんが告げた。 なのはは少し驚いたような顔をしたが。 「そうなのかな?」 「そうだ」 ギルさんは不機嫌な顔のままで。 「弱いが故に誰かのせいにしたがるのだ。自分で背負いこめぬが故に誰かのためという言い訳が必要なのだ。くだらぬ。人を救うのも、屠るのも」 「自分がそうしたいから」 なのはは笑っていた。 「私も、そうだよ。自分が人を助けたいから。誰かを助けたいと思ってるから。それができない私は嫌だから。強くなろうとして頑張って、無理して人に心配かけちゃって……」 「ふん」 「……何だか、自分がすごくわがままな人間みたいに思えてきたかな。自分の意志を通すために、自分のなりたいものために、お父さんやお母さんや、みんなみんなの言ってることを振り切っちゃって」 それでも、今の自分は嫌いじゃない。 今の自分であり続けたい。 永遠なんてないと、知っているけれど。 だけど。 「こんなことを言うのは、傲慢かもしれないけど、私は、世界を変えたい――」 世界はこんなはずじゃなかったことばかりだ、そう言っていた人がいた。その理不尽に対してどう向かい合うのかが肝心なのだとその人は言った。 そうだと思う。なのはもそうだとは思う。だけど思うのだ。 こんなはずじゃなかった世界――それを、少しでも人が幸せに生きられる世界にしたいと。 「それでよい」 ようやく、ギルさんは笑った。 「人が運命に飲まれるのは、弱いからだ。所詮は弱者は強者の意のままに従うほかはなく、強者の力の前に平伏する他は無い。不満があるのなら、強者になりかわる他、道は無いのだ」 「――――――」 「世界を変えたい、か。久々に聞いたぞ。魂の奥底より響いた言葉だ。嘘偽りなく、出された言葉だ。傲慢で、それ故にお前の真実だ」 あのメシ使いどもにも聞かせてやりたいものだ、と言った。 「自分の思う様にわがままを貫きたい――それが我を祖とする英雄のあり方だ。覚えておけ、なのは」 「世界はいずれ牙を剥くぞ。お前ほどの大それた欲望を放置しておくほどに、世界は寛容ではない」 「だがな、貫き通せ。それがお前の選んだ道だ。お前の進む道だ。突き進んだ果てに、いずれ気づく」 「世界は、自分のものだとな」 それは、どういう意味なのか――。 なのはは、しかしその意味をあえて問おうとはしなかった。 ギルさんは、その続きを言おうとはせず。 「お友達を紹介したいんだけど」 となのはは言った。 すぐ傍までみんなが着ている。 みんなが歩み寄っている。 「紹介したいから、改めて聞かせてください。 私、高町なのはです。 その、なのはでいいですよ」 「あなたは誰ですか?」 考えてみれば、それは失礼な質問であったのかもしれない。 なのはは昔、すでに聞いていたのだから。 だけど、改めて聞いた。 聞くべきだと思ったから。 「ギルガメッシュ」 ギルさん、いや、英雄王ギルガメッシュは答えた。 「覚えておけ。お前が世界を手にしようとするのなら、いずれ対峙せねばならぬ王の名だ。何故ならな、」 「この世界は、我のものだからだ」 そして、笑う。 なのはもつられて笑った。 「なのはー」 フェイトの声が聞こえた。 空は青く、海はそれの色を重ねたかのようにもっと蒼い。 今日の海鳴も、いい天気だ。