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Lyrical Night2話 - (2008/05/19 (月) 16:24:02) のソース

「第2話 静かな始動」 

 ―― -3742日 PM11:05 ―― 

 街は静かな戦場と化していた。 
 駆け抜けるは、伝説に謳われる兵達。 
 交わるは、神話の域に至った剣戟の極地。 
 住民達の知らない世界の裏側で、彼らはたった一つの勝者の座を巡り、己の全てをぶつけ合っていた。 
 褒賞は唯一無二。 
 全てが秘密裏に遂行される。 
 故に、闖入者は決して望まれない。 
 街を二分する川がある。 
 それに架けられた、全長六〇〇メートルに達する大きな橋。 
 名を冬木大橋という。 
 橋の支柱、行きかう車を見下ろす高所に長身の騎士が立っている。 
 身に貼り付くような薄い黒衣に、琥珀色の双眸。 
 余りにも美しすぎるその貌は、しかし苦渋に歪んでいた。 
 騎士が右腕で突き出すは赤き長槍。 
 その切っ先には、余りにも幼すぎる少女がいた。 
 力なく崩れ、刃を首筋に当てられたその姿は、戦場とはまるで似合わぬ様相だ。 
 傷らしい傷はない。しかし大きな瞳には怯えと絶望が色濃く浮かんでいる。 
 夕餉の席から飛び出してきたような普段着に金属製の杖を抱きかかえ、少女は声もなく騎士を見上げていた。 
  ゲイ・ジャルグ 
 破魔の紅薔薇。 
 魔術的効果の一切を無意味と化す魔槍の前に、その少女は無力だった。 
 騎士が眼光を鋭くする。 
 闖入者は許されない。 
 見てしまった者は、いてはならない。生きていてはならない。 
 しかし誇り高き騎士にとって、その実行は屈辱と同義であったのか。 
 騎士は左手の、黄色の短槍を振るった。 
 切っ先は少女を避けて、その杖のみを打ち砕く。 
 第四次聖杯戦争。 
 その最中、本来あるはずのない闘争の一つが、幕を下ろした。 

 ―― 一日目 PM03:40 ―― 

 六課専用の訓練場に戦闘の音が響く。 
 ヴィータが繰り出す一撃をスバルが凌ぎ。 
 なのはの誘導弾をティアナが撃ち落し。 
 フェイトの指導する回避機動にエリオとキャロが追随する。 
 日々繰り返している、日課ともいうべき基礎訓練。 
 しかし今日は、普段とは違うことが一つだけあった。 
「ティアナ! 次いくよ!」 
「はい!」 
 なのはの周囲に浮遊していた色とりどりの魔力弾が励起され、絡み合う軌道を描いて飛来する。 
 ティアナはそれらのコースを先読みし、一つずつ確実に迎撃する。 
 リロード、射撃。射撃、射撃。 
 複雑な軌道で迫る最後の魔力弾に追尾弾を放つ。 
 あの魔力弾は撃墜されないコースを選択して飛んでいる。 
 ならば追尾弾によって、飛行する路を『撃墜されない唯一の飛行経路』に限定してやればいい。 
 小刻みに軌道を変える追尾弾。 
 その追撃マニューバに明確な隙を加えておけば―― 
「……そこ!」 
 クロスミラージュから放たれた弾が魔力弾を撃ち落す。 
 ――標的は必ずそこを突く。 
 行く場所が分かっているのなら、撃墜するのは容易いことだ。 
 ふぅ、と気を緩めるティアナ。 
 昼下がりも過ぎて段々調子が上がってきた。 
 これなら午前の遅れも取り戻せそうだ。 
 そんなことを考えていた時点で、既に気が緩んでいるも同然だった。 
 役目を終えた追尾弾は制御を失い、森の方へと飛んでいく。 
 追尾弾の向かう先に、ふらりと人影が現れた。 
「危ない!」 
 思わず声を上げるなのは。 
 追尾弾はその人影の死角から、もはや回避不能な距離にまで迫る。 
 彼の手に得物はない。 
 放ったのは純粋魔力弾だったのか。 
 そんな自明のことすらも、混乱した思考では思い出せない。 
 ティアナの脳裏に、己の不注意がもたらす一秒後の光景が過ぎった。 
 制御を失った追尾弾は防がれることもかわされることもなく、無防備な頭部に直撃する。 
 もし物理的な破壊力のある弾を放っていたとしたら―― 

 だがそれは、実現しなかった。 
 刃物が空気を裂く音。 
 切り裂かれて形を失い、霧散する追尾弾。 
 ティアナは我が目を疑った。 
 彼の左手には、いつの間にか黒い片刃の剣が握られている。 
 デバイスを発動した様子もない。 
 どこかに剣を隠し持っていた様子もない。 
 それなのに、男はさも当たり前のように剣を振るい、追尾弾を切り裂いたのだ。 
「衛宮君、大丈夫?」 
「すいません! 怪我はありませんか!」 
「ああ。ごめんな、訓練中に近付いて」 
 男、衛宮士郎は黒い剣の峰を肩に乗せて、2人に向き直った。 
 機動六課の訓練風景に混ざった小さな変化。それは、衛宮士郎の存在だった。 
 今日付でスターズ配属となったという彼だが、隊の殆どは、今日になるまで彼の存在を知らなかった。 
 隊の全員に確認したわけではないが、ティアナが訊ね回った限りでは、ただ一人。 
 高町なのはだけが、彼との面識を持っていた。 
 フェイトやヴィータのようななのはの旧友ですら「名前を聞いたことがある気がする」程度なのだ。 
 過去を詮索する趣味は無かったが、同じ分隊に属する隊員になるのだ。 
 必要最小限の情報は知っておきたかった。 
「ええと、エミヤ三尉」 
 初対面に近いのに馴れ馴れしくないだろうかと悩みながら、ティアナは切り出した。 
「三尉は六課の前にどこの隊に所属されていたんですか?」 
 なるべく差し当たりのない、無難な質問を選んだつもりだった。 
 なのに、彼の反応は芳しくない。 
 どう説明したものかとばかりに頭を掻き、なのはと目配せしあう。 
「前も何も、管理局なんて入ってなかったからな。魔導師ランクなんてのも持ってないし」 
 それは想像もしていなかった返答で、ティアナは一瞬理解することができなかった。 
 じゃあどうして六課に、と問いかけようとして、口を噤む。 
 出自はどうあれ、八神部隊長も承認した人事のはずだ。 
 それなら自分が口出しすることじゃない。 
 ティアナが無理に自分を納得させようとしているのに気が付いたのか、なのはがフォローを入れる。 
「スターズとライトニングのフォワードを1人ずつ増員することになって、わたしの知り合いにお願いしたの。 
 ちょっと裏ワザみたいになっちゃったけど、そうでもしないと時間が足りなくって」 
 ランクは近代ベルカ陸戦C扱いだよ、と付け加える。 
 どういう知り合いなのか知りたいんです、という言葉を飲み込んで、ティアナは頷いた。 
 『増員』『三等陸佐待遇』『陸戦C扱い』『時間が足りない』 
 バラバラの情報をつなぎ合わせると、おぼろげながら背景が見えてくる気がした。 
 機動六課は、今すぐでもに戦力を増強する必要に迫られているのではないか。 
 それも、正規ルートの人事異動ではなく、わざわざ外部から引き抜いてこなければならないほどの。 
 想像の底なし沼に飲まれかけているのを感じて、ティアナは小さく頭を振った。 
 何かあれば自分達にも通達されるはずだ。 
 それまでは普段通りに訓練を重ねていればいい。 
 クロスミラージュのグリップを握る手の平に、知らず汗が滲んでいた。 
「なのはさーん! 大丈夫ですかー!」 
 底抜けに元気な声が飛んできた。 
 土の付いた訓練着のままのスバルが、マッハキャリバーの車輪を唸らせて走ってくる。 
 危ない、となのはが叫んだのを聞きつけたのか。 
「うん、大丈夫だよ。ね?」 
 なのははスバルに微笑みかけつつ、衛宮に同意を求めた。 
 当然、衛宮も頷く。 
 後ろを歩いて付いてきたヴィータが、やれやれと肩をすくめる。 
「だから言ったろ。心配すんなって」 
 あははと笑いながら、なのははここにいる全員を見渡した。 
 スターズ分隊隊長、高町なのは。 
 同隊副隊長、ヴィータ。 
 同隊隊員、スバル=ナカジマとティアナ=ランスター。 
 そして新入隊員の衛宮士郎。 
 図らずもスターズ分隊の全員が集合している。 
 衛宮が加わってから初めての集結だった。 
 これからの任務、スターズはこの5人で戦うことになる。 

「エミヤシロウだっけか。シロウが苗字でいいのか?」 
 ヴィータが真面目な顔で訊ねた。 
 衛宮は不思議そうに首を傾げ、ヴィータの問いを小声で反芻する。 
 数秒経って、単純に姓名の順を訊ねているのだと気付く。 
「いや、エミヤが苗字でシロウが名前。高町と同じ順番だな」 
「じゃあ、シロウ。一つ聞くけど、それがあんたのデバイスか?」 
 衛宮が左手に握っている黒剣を指差す。 
 ティアナの魔力弾を迎撃した、どこからともなく取り出された黒い剣。 
 外見は地球の古代王朝で鍛造されていた刀剣に良く似ている。 
「デバイス? 一応ただの剣だと思うけど」 
 答えながら、剣をヴィータに渡した。 
 片手剣であるはずなのに、ヴィータが持つと両手剣のように見える。 
 ヴィータは耳を寄せて刀身を軽く叩いた。 
 鍔らしい鍔はなく、陰陽を模った円があしらわれており、武器というよりは祭具に近い雰囲気の刀だ。 
 如何なる製法によるものなのか、幅広の刀身には深い赤色の正六角形状の文様が蜂の巣状に浮き出ていた。 
「魔力があるみたいだけど、確かにデバイスじゃねーな」 
 事実、この剣にデバイスのような機械部品は組み込まれていない。 
 スバルも興味津々に、鈍く太陽光を反射する刀身を眺めている。 
 その瞳は、博物館か美術館に飾られた貴重な品に引き寄せられた子供のようだった。 
 一方ティアナは、自身の中に疑念の芽が生まれているのを感じていた。 
 確かに、エミヤシロウという人物は魔力弾に不意を打たれても対処できる程度の実力はあるらしい。 
 ひょっとしたら自分よりも強いかもしれない。 
 でもそれとこれとは話が別だ。 
 はっきり言って、素性不明にも程がある。 
 彼がどんな人物で、何が出来て、何のためにここにいるのか、ティアナは全く知らないのだ。 
 思い返せば行動の節々にも違和感があった。 
 敬礼を返さずに握手を求めてきたこともその一つだ。 
 隊長に軽い口調で話しかけたり、デバイスを使わずにただの剣を振るったり……。 
 どれも管理局の常識から著しく外れている。 
 ティアナはエミヤシロウという男を信頼しきれないでいた。 
 まだ出合って間もないからだ、と理由を付けることは簡単だ。 
 しかし、このまま素性不明を押し通されるのであれば、彼を信頼することは永遠にないだろう。 
 そう確信できた。 
「ティアナ?」 
「は、はいっ!?」 
 急になのはの顔が現れて、ティアナは飛び上がる勢いで背筋を伸ばした。 
 つい考え込んでいて、周りのことが目に入っていなかったようだ。 
 ティアナは顔から火が出そうになるのを必死で堪えている。 
「小休止、取っていいよ。スバルと衛宮君の模擬戦が終わるまでね」 
 先ほどまでなのはとティアナが訓練をしていた場所で、スバルと衛宮が向かい合っている。 
 入念に足回りの柔軟をするスバル。 
 感覚を確かめるように2,3度黒い剣を振るう衛宮。 
 ティアナの懸念を余所に、スバルは新しい隊員に馴染もうとしているようだった。 
「手加減しませんよー」 
「こちらこそ」 
 審判役のヴィータがすっと腕を上げる。 
「それじゃ……はじめっ!」 
 号令の直後、リボルバーナックルと黒い刀身が衝突する。 
 火花が飛び散り、甲高い金属音が森に響き渡った。 

 ―― 一日目 AM10:30 ―― 

 冷たい海風が、潮の香りを運んでくる。 
 機動六課の隊舎前にいるのは、赤毛の青年。 
 彼は空を見るでもなく、目蓋を閉じて静かに佇んでいた。 
 すっと右手を前に突き出す。 
 手の平を下に向け、何かを掴み取るように軽く指を曲げる。 
「――――――、――」 
 青年の口が、ごく短い言葉を紡ぐ。 
 一瞬の閃光が走る。 
 何もなかったはずのその手に、一振りの長剣が握られていた。 
 装飾を極限まで排した、機能的かつ実用的な剣だ。 
 青年は長剣を様々な角度から見、満足そうに頷いた。 
 ぱちぱち、と。 
 何処からか拍手の音がする。 
「久しぶりに見たけど、ほんとに凄いね」 
 青年が振り向くと、教導隊の制服に身を包んだ高町なのはと目が合った。 
 青年――衛宮士郎は彼女の賞賛をくすぐったそうに受け取った。 
「これくらいは基礎練習だって」 
 長剣を傍らに立てかけ、自身も壁にもたれかかる。 
「まだ、話してないのか?」 
「うん……。なんて言ったらいいか分からなくて」 
 そりゃそうだよな、と同意する。 
 衛宮士郎は空を仰ぎ、遠い昔を懐かしむように目を伏せた。 
 振り返れば短い、しかし生涯忘れないであろう日々。 
 それを他者に聞かせるには、とても一日では足りないだろう。 
 その場にしゃがみ込み、膝を抱えるなのは。 
「もう終わったと思ったのになぁ」 
 衛宮士郎は無言で剣を取った。 
 眼前で振るい、冷えた空気を切り裂く。 
 鉄色の刀身が月光を弾き、水面のように輝く。 
「何度だろうと終わらせてやるさ」 
 彼の言葉には、一かけらの迷いも躊躇いもなかった。 
 なのはの口元が緩み、笑みに変わる。 
「変わってないね、衛宮君」 
 立ち上がるなのはの表情に、もう陰りはない。 
「たった半年で変わってたまるか」 
 2人はどちらからともなく並び、夜の道を歩き出した。 
 その背中は、命を懸けて死線を潜り抜けてきた戦友のようだった。 
「でも、まずはこっちに馴染まないとな」 
「じゃあ今度みんなでご飯食べにいこっか」 
 何気ない談笑。 
 しかし互いの胸には、言い表せない不安が渦を巻いていた。 

 ―― 二日目 AM02:00 ―― 

 ――廃棄都市区画。 
 一般人は元より、管理局局員ですら理由がなければ立ち入ることのない場所。 
 たとえ入ってよいといわれても、一般人はよほどの無謀でなければ拒絶するだろう。 
 廃棄されたという在り方そのものが人を遠ざけるのだ。 
 人々は想像しうるありとあらゆる危険をその区画に重ね合わせ、目を背けている。 
 故にそこは、人の手のみによって生まれた異界であった。 
 そう、結界である。 
 魔術的な意味合いを持たず、一切の魔力を用いず、その在り方のみで成り立つ結界。 
 ここにいる限り、逃亡者はそう簡単には発見されはしない。 
 任務を帯びた局員以外で侵入するとすれば、大なり小なり脛に傷持つ者。 
 社会的に褒められはしない立場の人間くらいのものだ。それに例外はない。 
 たとえ善良な市民であったとしても、ここに立ち入ること自体が責められるべきことなのだから。 
 すなわち、密告のリスクは限りなく低いということになる。 
 今、廃棄ビルの3階に陣取る男達もそのような類の人種であった。 
 人数は4人。服装などから見るに、2人ずつのグループの会合のようだ。 
 互いに、持ち寄ったバッグを交換する。 
 片方には金塊が、もう片方には、片手に余る大きさの赤い宝石が。 
 両者は中身を確認しあうと、にやりと笑った。 
 とてもではないが善良とは思えない笑み。 
 そして事実、彼らは社会的に『悪』と看做される行為に及んでいた。 
 想定外の目撃者などありえない。 
 この場に居合わせるとすれば、明確な意図を持って踏み入れるものだけだ。 
 キュイ、と機械の機動音がした。 
 その場の全員が振り向き、窓の外に浮かぶモノを認識する。 
 カプセル状の奇妙な機械が、無機質なカメラでビルの内部を睥睨していた。 
 各々が杖型デバイスを取り出し、謎の機械に向ける。 
 発動するはずの魔法は、その予兆すら起こらない。 
 謎の機械から熱線が放たれた。 
 宝石の入ったバッグを持つ男の胸に穴が開く。 
 他の3人がそのことに気付いたのは、男が床に倒れ付してからだった。 
 悲鳴を上げ、逃げ出す男達。 
 機械は彼らを追うこともせず、倒れた男の傍らのバッグに近付いた。 
 初めからこのバッグだけが目的であり、男達は眼中にないような手際だ。 
 機械はバッグを破壊し…… 
 ――ヒュッ 
 風切り音が男達の脇を抜ける。 
 バッグの中身を検分していた機械の装甲が突如として貫かれ、壁面に串刺しにされる。 
 火花が散り、焦げ臭い煙を残して、機械は機能を停止した。 
 突き刺さったのは、鋭い切っ先の金属棒だった。 
 長さは2メートルとあるまい。 
 男達は呆然と足を止め、金属棒を投擲した人物の姿を見た。 
 正気では、ない。 
 両目に尋常ならざる光を宿し、逆立つ髪は鬣のよう。 
 狂戦士。 
 それ以外に、アレを形容し得る言葉は存在しなかった。 
 獣の唸り声のような音を口から漏らしながら、右手に握った赤い槍を振りかぶる。 
 大気に満ちる魔力が凍りつく。 
 彼らは、一瞬でも「助かった」と思った自分達を呪った。 
 こんなことなら、あの機械に殺されていればよかった。 
 後悔しても既に遅い。 
 放たれた槍は中央の男の胴体を貫き、風船のように破裂させる。 
 左右の男達も引き裂かれた空気に巻き込まれ、まるで襤褸のように宙を舞う。 
 3つ分の残骸が床にぶち撒けられた直後、鮮血が雨のように降り注いだ。 

 時計の針は進み続けている。 
 今起きていることを、そしてこれから起こることを知る者は、まだ少ない。