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リト×唯 第五話 - (2008/05/03 (土) 10:44:31) の1つ前との変更点
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朝から空は分厚い雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうだった。<br />
今日も太陽は眠りこけているのか、顔を出してはくれない。<br />
あの日からちょうど一週間・・・テスト最終日。<br />
あれから唯との間に会話はなかった。<br />
テスト期間ということで、頭文字が「コ」の唯と「ユ」のリトの席は離れてしまっていた。<br />
両者の心の内を示すかのように。<br /><br />
(だけど、それは今日元に戻るんだ・・・)<br /><br />
必ず戻してみせる。<br />
唯の心を、自分の隣に。<br /><br />
必ず、包んでみせる。<br />
唯の全てを、自分の全てで―――<br /><br /><br />
あの日以降、リトは自身を見つめ続けていた。<br />
想いの全てをぶつけてきてくれた唯ともう一度向き合うためには、とことんまで自分と向き合うしかない。<br />
同情や哀れみは必ず見抜かれるし、考えぬいた末の結論でなければ何より唯に対して失礼だ。<br /><br />
リトは、唯のことが好きだ。<br />
それは紛れもなく、一人の女の子として。<br />
あの時感じた爆発的な愛しさは、決して一時の気の迷いなどではなかったと断言できる。<br /><br />
答えを返せなかったのは、ずっと目を背けてきたからだ。<br /><br />
それは唯だけのことに限ったものではない。<br />
自分に想いを寄せ続けてくれているララに対しても。<br />
いつまでも燻らせ続けてきた春菜への想いについてもそうだ。<br /><br />
ケリをつけなくちゃいけない・・・。<br /><br /><br />
ララ―――<br />
ララが現れてから、リトの生活は大きく変化した。<br />
毎日災難続きだけれど、退屈とは無縁の日々がやってきた。<br />
交友関係も増えたし、今も続く楽しい生活の中心にいる女の子。<br />
そして何より、生まれて初めて「好き」と言ってくれた女の子。<br />
大切じゃないはずがなかった。<br /><br />
春菜―――<br />
かつてただ一人、自分のことを信じてくれた女の子。<br />
中学生時代に好きになってから、ずっと心の中にいた女の子。<br />
リトは春菜に恋をしていた。<br />
それはララが現れてからも、唯と親しくなってからもかわってはいなかった。<br /><br />
仮にいつか、ララがリトの傍を去るときがくれば、何らかの結論を出さなければいけない。<br />
そしてそのときが来たら、リトはララの望むようにするのだろう。<br />
悲しい思いをしてほしくないから。<br />
大切な存在だから。<br /><br />
春菜に関しては、もっと情けなくなる。<br />
春菜を想うことは、いつの間にかリトにとって逃避になっていたのかもしれない。<br />
ララからの、そして唯からの想いと向き合わずにいるための。<br />
今の居心地のいい空間から追い出されないための。<br />
もし春菜が想いを伝えてきてくれても、誰にも悲しい想いをさせないようにとオドオドするだけで結局はどうにもできない気がした。<br /><br />
ララや春菜に対しては、リトは自分の意思を優先できそうにない。<br />
流されるままだ。<br /><br /><br />
じゃあ、唯に対しては・・・?<br /><br />
彼女は自分が傷つくことなど、これっぽっちも恐れないのだ。<br />
その代わり周囲に迷惑をかけたり、大切な人を傷つけたりすることは極端に嫌う。いや、恐れているとさえいってもいい。<br />
彼女がどこか友人たちの輪に入りきれないのは、深く関わることでいつか傷つけてしまうのが怖いからなのではないだろうか。<br /><br />
ララがリトに想いを寄せていることは、唯だって知っているはず。<br />
リトが春菜に想いを寄せていたことも、唯は知っていたようだった。<br /><br />
それなのに。<br />
唯は自分に精一杯の想いを伝えてきてくれたのだ。<br />
あれほど己を優先せず、犠牲にして、誰にでも献身的に行動する唯が、<br />
別の誰かを(それも大切な友人を)傷つけてでもと、望んでくれたのだ。<br /><br /><br />
(俺の一番になることを―――)<br /><br /><br />
だから俺も、自分の意思に忠実になろう。<br />
誰かを傷つけても、ぬるま湯から抜け出してでも、一番欲しい物に手を伸ばそう。<br />
身勝手だろうと、何と言われようと構わない。<br /><br />
(俺は・・・、古手川唯が欲しい)<br /><br /><br />
意地っ張りで、でも真っ直ぐで、頑張り屋な唯が愛しい。<br />
ぶつぶつ文句を言いながらも、俺の腕の中で顔を真っ赤にして甘える、そんな唯がどうしても欲しい。<br /><br />
だから。<br />
彼女を手に入れるためなら、ズルイことだってしてやる。<br />
大切な人にだって、傷を負ってもらう。<br />
そうしないと、”俺が”いつまでも前に進めないから。<br />
後には莫大な借金が残るだろうが、それは少しずつ返していくしかない。<br /><br />
これが、リトの出した結論だった。<br /><br /><br />
前日の夜―――<br /><br />
「ララ、ちょっといいか」<br />
自分から訪れることなど滅多にない、ララのラボラトリ。<br />
翌日で最終日とはいえテスト期間なのに、ララは新たな発明品の試作に励んでいた。<br />
彼女にしたら、地球の勉強に対策など必要ないのだろう。<br />
「あっ、リトー!どうしたの、こんな時間に」<br />
顔を上げこちらを振り向いたララの表情は、弾けるようないつもの笑顔。<br />
でも、もうこれ以上この笑顔に甘えることは許されないのだ。<br /><br />
「話があるんだ」<br />
「・・・リト?」<br />
ただならぬ雰囲気を察知したのか、天真爛漫なララに珍しく戸惑いの色が浮かぶ。<br /><br />
「俺は、ララの気持ちに応えられない」<br />
視線は真っ直ぐに、決して下は向かない。<br />
もう、何からも逃げない。<br />
「・・・リ、ト?」<br />
リトは冗談でこんなことを言う人ではない。<br />
突如訪れる、焦燥感と喪失感。<br />
心にコンパスで円が描かれ、そこにぽっかりと空洞ができる。<br />
「リト、私にどこか悪いところが・・・」<br />
その続きは言葉にならなかった。<br /><br />
そうじゃない。<br />
無言でもその瞳が、そう語っていたから。<br />
初めて見る強烈な意思の宿ったリトの瞳に、ララは何もいえなくなってしまった。<br /><br />
「幸せにしたいやつができたんだ」<br /><br />
(私よりも?)<br />
聞くまでもなかった。<br />
「だから俺は、お前の気持ちには応えられない。・・・ごめんな」<br />
リトは全ての言葉を言い終わるまで視線をそらさなかった。<br />
その後静かに頭を下げて、部屋を出て行った。<br /><br /><br />
そして今朝、結城家―――<br />
「リトッ!!」<br />
リビングには朝食が既に並べられている。<br />
響いているのは、エプロン姿の美柑の怒号だ。<br />
「どうしてララさんにそんなこと言ったのよ!」<br />
美柑が怒っているのは、もちろん昨夜のことについてだ。<br />
朝食の時間になってもララが姿を見せないことを不思議に思った美柑が、リトに問うたのがきっかけ。<br />
「あんたが嘘つけない性格だっていうのは知ってる。<br />
好きっていう気持ちがどうにもならないっていうのも、なんとなく想像できる。<br />
でも、タイミングってものがあるでしょ!今日だってテストなんでしょ!?」<br />
「ああ」<br />
「そのうえ唯さんを足止めしてくれって・・・。わけわかんないよ!<br />
あんた自分以外のことはどうだっていいっていうの?」<br />
「ああ、そうだ・・・」<br />
「ああそうだって・・・。もういい、私がララさん起こすから!」<br /><br />
美柑がララに呼びかける声が聞こえる。<br />
リトだって、ララに出てきて欲しい。<br />
いなくなってなど欲しくない。<br />
しかし、ここでリトが懇願するわけにはいかない。<br />
今は信じるしかない。<br />
自分に何ができるかはわからないが、ララが返済のチャンスをくれることを。<br /><br /><br />
朝食には手がつけられないまま、時刻は8時15分になろうとしていた。<br />
そろそろ出発しないと間に合わない。<br /><br />
その時、ドアが開く音が聞こえた。<br />
「ララさん・・・」<br />
「てへっ。寝坊しちゃった」<br /><br />
なんて分かりやすい嘘なんだ。<br />
目は充血し、鼻の辺りも微かに赤くなっている。<br /><br />
「もういかなきゃ遅刻だー。リト、先に行くねー」<br />
まだ鼻声のまま、ララはあっという間に飛び出していった。<br />
リトは目頭が熱くなるのを感じたが、グッとこらえて玄関に向かう。<br />
「リト、・・・いいの?」<br />
同じく学校へと向かうために美柑も玄関に出てきた。<br />
「ああ・・・、唯の件よろしく頼むな・・・」<br />
リトは実年齢に見合わない精神年齢を持つ妹の頭をクシャッと撫でて微笑みかけると、家を出て行った。<br />
小さな声で、その笑みも儚げだったのに、なぜかいつものような頼りなさはそこにはなかった。<br />
美柑は優しいだけがとりえの兄の出した結論を、応援してあげようと心に決めた。<br /><br /><br />
お前勉強してきたかー?<br />
全然やってねーよ<br />
そういうくせにいつも俺より上だもんなー、ちくしょー<br />
教室に入ると、いつもの喧騒がそこにはあった。<br />
ララも春菜も、そして唯もそこにいた。<br />
遅刻ギリギリだったせいで、1時間目のテストが始まるまでに話しかけてきたのは<br />
「ヤ」を頭文字に持つ前の席の男だけだった。<br /><br />
テストに関しては、リトとしてはこれ程なく順調に解けた。<br />
あの日以降は考え事ばかりだったが、それが煮詰まると唯の教材に自然と手が伸びた。<br />
(俺がまさか気分転換に勉強を使うなんてな・・・)<br />
整った文字列と細部にまで行き届いた配慮。<br />
リトが勉強するためだけに作られたそれに取り組んでいると、心が安らいだ。<br />
先週の貯金もあったお陰で、赤点が心配になる教科は一つもなかった。<br /><br />
2時間目も何事もなく終わり、期末テストは過ぎ去っていった。<br />
一箇所で生まれたざわめきから開放感があっという間に派生し、帰りのホームルームなどあったもんじゃなかった。<br />
結局その日机が元に戻されることはなかった。<br /><br />
しかし唯との関係の方はそうなるわけにはいかない。<br />
リトはそう思いながらも、やっておくべきことがもう一つあった。<br />
自分の気持ちにケリをつけるためだけの、なんとも身勝手な儀式が。<br /><br />
「西連寺、この後ちょっといいか・・・」<br />
「えっ!?・・・うん。大丈夫だけど・・・」<br />
「じゃあ、屋上で待ってるから」<br /><br />
春菜にこんなに自然に話しかけられたことなどなかった。<br />
声が上ずることも、視線をそらすこともなかった。<br />
(今まで自分が決意だと思っていたものが、いかに甘ちゃんな物だったか思い知らされるな・・・)<br />
そんなことを考えながらリトは屋上への階段を登っていった。<br /><br />
そのリトの後姿を、唯は寂しげに眺めていた。<br /><br /><br />
春菜の心臓は高鳴っていた。<br />
ずっと好きだった人に、屋上に呼び出されたのだから当然だ。<br />
ただ、どこか嫌な予感がしていた。<br />
それは今日のララの態度が、明らかに不自然だったからだろう。<br />
不安が期待を、押しつぶしてしまいそうだった。<br /><br />
屋上では、リトが柵を背にしてこちらを向いて待っていた。<br />
バタンとドアが閉まる音がしたが、春菜はその場を動けない。<br />
リトがゆっくりと近づいてきた。<br />
春菜の前まで来ると目を閉じて、それから徐に話し出した。<br /><br />
「昨日、ララに言ったんだ・・・」<br />
春菜は不安に揺れる瞳でリトの胸の辺りを見ていた。<br />
「お前の気持ちには応えられないって」<br />
(そうか、それで今日のララさんは・・・)<br /><br />
リトの声は小さいが、はっきりと聞こえる。<br />
何かを決意したものの声だ。<br />
春菜の胸には嫌な予感が広がっていく。<br />
普通こういうときには自分を選んでくれたのかもしれないと思うものだろう。<br />
だけど・・・。<br />
(結城君は優しすぎるから・・・)<br />
もし彼がララを選ぶと決めなければ・・・今の状況が長く続けば続くほど、<br />
ララが自分たちの中に溶け込めば溶け込むほど、彼は誰も選べなくなっていくんじゃないだろうか。<br /><br />
(だから、私が選ばれることは絶対にない・・・)<br />
春菜の中にいつしか宿っていた、諦めの気持ち。<br />
それが爆発しそうになって、春菜はついに決意した。<br />
「結城君、私は・・・」<br />
「俺は西連寺が好きだったよ」<br />
「えっ!?」<br />
思いがけないリトの言葉。<br />
視線を胸の辺りから上げていくと、真っ直ぐに見つめてくるリトと目が合った。<br />
「ずっと好きでした」<br />
自分は今、想いを寄せている相手に告白されている。<br />
それなのに、春菜は急速に冷静さを取り戻していった。<br /><br />
リトの言葉は、全て過去形だ―――<br />
やっぱり彼は、誰も選ばないつもりなのか。<br /><br />
リトには誰かを愛して欲しい。<br />
幸せになってほしい。<br />
偽らざる春菜の本心だった。<br />
誰も選ばないなんて私は望まないよ。<br />
そう伝えたかったが、たった今大好きな人からNOを伝えられたのだから言葉など出てこなかった。<br />
一人葛藤の中にいた春菜に、リトの言葉が続けられた。<br /><br />
「最近、好きなやつができたんだ」<br /><br />
リトの言葉は現在形へと変化していく。<br />
「俺はそいつをたくさん傷つけてきた。いや、違うな。そいつだけじゃない・・・。<br />
今だって、君の心を好き勝手に掻き乱している。<br />
だから俺は、償わなくちゃいけない。傷つけた人たちに対して」<br />
リトはそこで言葉を切り、大きく一つ息を吐いた。<br />
内側から胸を炙られているような熱さがあった。<br /><br />
「でも償うことは多くの人に対してできても、幸せにすることは、ちっぽけな俺じゃ一人しかできない」<br /><br />
そして今度は未来形へと変化する。<br />
「俺には、君以上に幸せにしたい人がいる。だから・・・」<br />
リトが頭を下げようとした、その瞬間。<br />
「謝らないで」<br />
春菜に静止させられた。<br />
「私は、結城君が誰かを好きになってくれて嬉しいの」<br />
「・・・西連寺?」<br />
「結城君は優しすぎるから、結局誰も選ばないんじゃないかって、ちょっと思ってた」<br />
春菜の瞳には涙が溢れてきていた。<br /><br />
「でも、古手川さんがそれを変えたんだね」<br />
「えっ!?・・・何で俺の好きな人が古手川だって?」<br />
春菜は涙が零れ落ちるのにも構わずに微笑んだ。<br />
泣きながら見せる、いつもの困ったような笑顔。<br />
「わかるよ。・・・いつも見てたんだから。結城君、鈍すぎるよ」<br />
今更ながら、リトは春菜の気持ちに気づいた。<br /><br />
春菜はハンカチで濡れた顔を拭うと、再び笑顔を作った。<br />
「行ってあげて。古手川さんのところに」<br />
「西連寺・・・」<br />
リトの胸には再び熱さが込み上げてきていた。<br />
最初は自分の身勝手さに対する怒りの熱さだったが、今度は春菜によってもたらされたそれ。<br /><br />
「古手川さん、きっと待ってるよ。そしてさっきの言葉、伝えてあげて」<br /><br />
そうだ。<br />
俺には何としても手に入れたいものがあるんだ。<br />
この大切な女の子を泣かしてしまった今でも。<br /><br />
リトは春菜の横を通り過ぎ、ドアノブに手をかけた。<br />
「俺、西連寺の事好きになれてよかったよ」<br />
やっぱりその気持ちは逃避なんかじゃなかった。<br />
リトは確かに春菜のことが好きだった。<br />
ただ、それを犠牲にしてでも手にしたいものができただけだった。<br /><br />
リトは屋上を出た。<br />
(余計なこと言ったかな・・・)<br />
少しそう思ったが後悔はしない。<br />
本当の勝負はまだ始まってもいないのだから、後悔している暇などない。<br />
頭の中はもう、唯の事で占められていた。<br /><br /><br />
唯はぼんやりと数メートル先の地面を見つめながら家路についていた。<br />
(もう、終わってるのよね・・・)<br />
ちょうど一週間前のあの日、自分とリトの関係は崩壊した。<br />
抑えようのない自らの熱によって。<br />
いつだって、答えを焦り過ぎるとロクなことにはならない。<br /><br />
勉強など手につかなかった。<br />
月曜日、誰よりも早く登校し自分の席に座った。<br />
結城リトという恒星の惑星系からはぐれてしまった、自分の席に。<br />
勉強に没頭しているフリをして、彼とは目も合わせなかった。<br />
これからどんな風に彼と接していけばいいのか。<br />
心の整理など全くできていなかった。<br />
それでもテスト問題ならば、日頃の蓄積により焦ることなく解けてしまう自分が、どこか滑稽に思えた。<br /><br />
学校に行き、静まり返った教室で数十問の問題を解き、家に帰れば布団の上で涙を流して過ごす。<br />
何一つ手につかない。<br />
唯としてはありえてはいけない、怠惰な一週間だった。<br /><br />
今日、リトは屋上へと駆け上がっていった。<br />
席が元に戻らなかったことに戸惑い無意識にリトの姿を探すと、彼は春菜と何事か話していた。<br /><br />
(結城君は、やっぱり西連寺さんを・・・)<br /><br />
分かっていたはずなのに。<br />
もう答えは返されているのに。<br />
今日は家に帰り着く前に涙が零れてしまいそうだった。<br />
あの日と同じような曇り空から、雨が降ってきたらいいのに。<br /><br />
ドンッ<br />
「きゃ」<br />
涙を堪えるのに必死になっていた唯は、交差点で左から歩いてきた女の子とぶつかってしまう。<br />
「ごっ、ごめんなさい!大丈夫?怪我はない?」<br />
電光石火の勢いで尻餅をついた女の子に駆け寄って顔を寄せ、心配そうに声を掛ける。<br />
どんなに悩んでいようと、超善人ぶりは変わらないらしい。<br /><br />
(・・・こりゃ、リトが惚れるのも無理ないなぁ)<br />
その女の子はもちろん美柑だ。<br />
唯は若干やつれていたが、それでも美しさは健在だった。<br />
少し頬がこけているものの、それがどこか儚げで、強気な面を感じさせる普段の唯とのギャップを引き立てていた。<br />
また、その長く美しい黒髪は手入れを怠っていないらしく、絹のような光沢を保っていた。<br />
瞳が潤んでいるのはぶつかったのとは別の理由からだともちろんわかるが、<br />
それでも初対面でかつ同姓である美柑ですら、思わず見とれてしまうほどだった。<br /><br /><br />
「平気です。こっちこそごめんなさい」<br />
そう言って立ち上がると、そこで初めて唯の制服に気づいた、というフリをする。<br />
「あ・・・、その制服・・・」<br />
ちょっとした演技など美柑にはお手の物だ。<br />
ましてや相手は小学生を疑ってかかるということなど絶対にしない唯だ。<br />
「あの、何年生ですか?」<br />
「・・・2年、だけど・・・」<br />
パァッと美柑の表情が明るくなる。<br />
「じゃあ、リト知ってますか?結城リト!」<br />
「えっ!?」<br />
思いがけないところで出たリトの名に、唯は動揺を隠せない。<br />
そしてそれに付け込まない美柑ではない。<br />
「結城リト、知ってるんですね!」<br />
「えっ・・・あ、ぅ・・・」<br />
今最も考えたくない人物で、関わりたくない人物だ。<br />
知らないといってしまいたい・・・が、唯はそこで嘘をつけない。<br />
しゃがんでいるので、美柑を見上げる格好になっている。<br />
何とも恨めしそうな表情で。<br />
美柑は逆にどこか楽しそうだ。<br />
「実はあいつ、私の兄なんです」<br />
「・・・結城君の、妹さん・・・?」<br />
初耳である。<br />
「はい。私今日家の鍵忘れちゃって・・・。リトが帰ってこないと家に入れないんです。<br />
リト、まだ学校にいますか?」<br /><br />
唯の予測が正しければ、リトはまだ学校にいるだろう。<br />
彼は春菜に告白し、春菜もそれを受け入れて、二人で幸せを噛み締めている頃ではないだろうか。<br />
そう考えるとまた涙線が緩みそうになり、いてもたってもいられなくなる。<br /><br />
「ゆ、結城君は友達と寄り道していくって言ってたから、当分戻らないんじゃないかしら・・・」<br />
「・・・そうですか。困ったな」<br />
シュンとしてしまう美柑。<br />
そんな姿を見せられると、美柑を放っておくことなど唯にはできないわけで。<br />
沈みかけた自らの心を奮い立たせると、俯いている少女に声を掛ける。<br />
「じゃあ、お姉ちゃんとどこかでお昼食べようか」<br />
「へっ? いいんですか?」<br />
「うんっ」<br />
ここで会ったのも何かの縁だし、家で泣いているよりも有意義な時間がすごせる。<br />
もしかしたらリトの新たな一面も知れるかもしれない。<br />
「行こっ」<br />
そういうと唯はにっこりと微笑んで、美柑と手を繋いでやる。<br />
笑えたのは、一週間ぶりだった。<br /><br />
まだ正午前だったが、二人は某ファストフード店に入った。<br />
朝食をとれなかった美柑はフィッシュバーガーを頬張っている。<br />
初対面の二人にとって共通の話題など他にないので、必然的にリトの悪口大会になる。<br /><br />
「あいつ、ホントにヌケてるんですよ。この間だって・・・」<br />
「ふふっ。結城君ってそういうところあるわよね」<br />
唯は食欲こそほとんど戻らなかったが、美柑と話しているうちに元気を貰っていた。<br /><br /><br /><br />
気づけば時刻は1時を回っていた。<br />
リトはそろそろ帰っているだろうか。<br /><br />
「あの、唯さん。お願いがあるんだけど・・・」<br />
美柑が改まった口調になる。<br />
「なあに?」<br />
逆に唯は出会った数時間前よりもふんわりとした口調。<br />
子供が好きなのかも知れない。<br />
「一緒に見て欲しい映画があるんです」<br />
「映画?」<br /><br />
美柑と一緒に見たのは悲しい恋愛映画だった。<br />
たった一つのボタンの賭け違いが原因で離れ離れになってしまった二人の物語。<br />
唯は映画の開始直後はずいぶんマセた小学生だな、などと考えていたがいつの間にか映画に引き込まれていた。<br />
映画の終盤、二人が最後の口付けをかわしたシーンでは涙が出そうになったほどだ。<br />
一方美柑は大あくびにより涙が出ていた。<br /><br />
映画が終わって外に出ると、夕日が唯に優しく降り注いできた。<br />
なんだか太陽を見たのは久しぶりのような気がする。<br />
「唯さん、今日はほんとにどうもありがとう」<br />
「ううん。わたしも凄く楽しかったわ。こちらこそありがとう」<br />
「もうリト帰ってると思うから、そろそろ帰ります」<br />
「それがいいわ。またね、美柑ちゃん」<br />
唯は微笑むと小さく手を振る。<br /><br />
「未来のお姉ちゃんが、素敵な人でよかった」<br />
背を向ける直前に美柑はいたずらっぽい表情でボソッと呟くと、あっという間に人ごみに紛れてしまった。<br /><br /><br />
「・・・ええっ!?」<br />
しばらくポカンとしていた唯だが、その言葉の意味に気づくと途端に真っ赤になってしまう。<br />
(それって、わたしが結城君と・・・、ケッ、ケ・・・ケッコンするって・・・)<br />
今の状況ではそんなことはありえないと分かっているのに心臓が踊りだす。<br />
ドキドキするのも一週間ぶり。<br />
一緒にいるわけではないのに、彼に自分を動かされている感覚。<br />
(わたしは何でもかんでも結城くん、結城くん・・・。あなたはいつまで居座る気なの・・・?)<br />
ため息が出てしまうが、同時に体の内側から温かさを感じることができた。<br />
そっと目を閉じてみる。<br />
雑踏の真ん中で、音が消える。<br />
リトは唯に背を向けていた。<br />
その表情は窺い知れなかったが、きっと笑っているだろうとその時は思えたのだった。<br /><br /><br /><br />
(・・・遅いな)<br />
リトは唯の帰りを今か今かと待っていた。<br />
かれこれ5時間ほどになる。<br />
唯の家の近所のおばさんたちにじろじろと見られながらも、リトはこの場を決して動かなかった。<br />
ララと春菜への想いに区切りをつけ、唯に気持ちを伝えるのが今日の目的。いや、ノルマだから。<br />
そのためにリトは美柑にお願いをしたのだが、妹の賢さとしたたかさを読み違えていた。<br /><br />
リトは唯がすぐ家に帰らないように時間を稼いでくれと頼んだだけなのだが、<br />
春菜にも話をつけるのだろうと予測がついた時点で美柑は作戦を思いついたのだ。<br />
唯にはリトの話題を無理なく話させること+映画によってその切なさを増幅してもらう。<br />
リトには身勝手さを反省させる意味も込めて、愛しい人の到着を大いに待たせてやる。<br />
全く、将来有望すぎる小悪魔だ。<br />
「頑張れ、バカ兄貴・・・」<br />
出来の良い妹からの、おしおき込みのエールだった。<br /><br />
唯は家路をゆっくりと歩いていた。<br />
ついさっき僅かに見えたと思えた希望の波はあっという間に引き、また切なさに襲われていた。<br />
体に力が入らない。<br />
脚は鉛のように重く、筆記用具とノート以外何も入っていない鞄も大荷物のように感じていた。<br />
久しぶりに唯を包んでくれた太陽も、その姿を消してしまった。<br /><br />
(あと少し・・・)<br />
次のT字路を右に折れれば家に着く。<br />
そして今日も、涙でシーツを濡らすのだ。<br />
いつまでも引きずっているわけにはいかないことは分かっている。<br />
だけど今日だけは、また唯の心におけるリトの面積が増えてしまった今日だけは、泣かせて欲しかった。<br /><br />
件のT字路を右へ。<br />
そこには、愛しい人が立っていた。<br />
「ゆ、結城くん・・・?」<br />
さきほど目を閉じて見たのと同じ後姿に、思わず声を掛けてしまう。<br />
リトはゆっくりと振り向く。<br />
「おせーよ古手川。待ちくたびれちゃったよ」<br />
困ったような、でも凄く嬉しそうな笑顔だった。<br />
唯の心にいつも柔らかな灯をともし、温めてくれるリトの笑顔。<br /><br />
「ここで・・・何してるの?」<br />
「今言ったじゃん」<br />
リトの口調はまるでいつもと変わらない。<br />
とても一週間会話していない相手に話しかけるようなものではない。<br />
信頼と親しみが篭ったそれ。<br />
「お前を待ってた」<br />
いつもとは逆で、今日は唯が混乱する番だった。<br />
(どうして!?なんで結城君がここに?だってさっき西連寺さんと・・・)<br />
リトは結ばれたはずだ。<br /><br />
リトは表情を引き締めた。<br />
一番大切なものを手に入れるために。<br />
さあ、勝負。<br /><br /><br />
「やっと解けたから。古手川が出した問題。だから、答えに来た」<br /><br />
ハッとした表情になる唯。<br />
そしてそれはすぐに沈痛なものに変わった。<br /><br />
「酷い・・・。酷いよ結城くん。そんな冗談ってないわ。<br />
だってあなたはあの日、わたしに答えを返したじゃない!!」<br /><br />
リトも、自分の気持ちに嘘をつけるような人じゃない。<br />
思いの丈全てを打ち明けた唯に、リトは何も返してはくれなかった。<br />
そしてそれが、答えだったはずだ。<br /><br />
「それは違うんだ。お前の思い込みだよ。俺は答えを返しちゃいない!」<br />
「だったらどうして、あの時追いかけてもくれなかったのよ!!」<br />
「っ」<br />
一週間前には見せなかった、感情の発露。<br />
涙声の唯が放った矢が、リトの心臓を打ち抜いた。<br /><br />
リトがすぐに答えを出せないことはわかっていた。<br />
ララや春菜への思いはそう簡単に整理がつくものではないだろうから。<br />
でも、それでもいいから、せめて自分を意識して欲しかった。<br />
唯も、ララや春菜と同じ土俵に上がりたかったのに。<br /><br />
それなのにリトは、追いかけてさえくれなかった。<br />
リトは大切な人が目の前で傷つくのを、黙って見過ごせるような人じゃない。<br />
だからそれは唯にとって、拒絶されたのと同義だった。<br /><br />
唯の瞳から、堪えていた涙がポロポロと零れ落ちる。<br />
あの時唯は正解が欲しかったわけではなかった。<br />
ただ、真剣に問題に取り組むことを伝えてやるだけでよかった。<br />
リトはまたしても打ちひしがれ、自分の鈍さを呪った。<br /><br />
しかし、今日のリトはこんなことで負けるわけにはいかない。<br />
なぜならリトの信じている正解はもう、この手にあるのだから。<br /><br />
「古手川・・・、ごめん。本当に悪かった」<br />
唯の決壊した堤防は、次から次へと透明な水を零していた。<br /><br />
「俺は、逃げてたんだ」<br />
リトは言葉を続ける。<br />
「今のみんなとの生活が、お前との関係が心地よすぎてさ。ずっと逃げてた。<br />
ララからも、西連寺からも、・・・お前からも、そして自分自身からも」<br /><br />
一つ唾を飲み込む。<br />
心臓が飛び出してきそうなほど暴れている。<br /><br />
「ずっと逃げてたから、真っ直ぐなお前が眩しかった。<br />
お前が俺のこと想ってくれてるって分かったとき、ほんとにうれしかったんだ」<br /><br />
唯は涙が流れ落ちるのもそのままに、じっとリトを見つめている。<br />
魅入られそうなほど、純粋で無垢な瞳で。<br /><br /><br />
「俺は古手川のことを、間違いなく大切に想ってた。あの時にはもう、お前が好きだった。<br />
でも、いろんな人に対するいろんな気持ちがグチャグチャに絡みあってて・・・。<br />
それなのにお前に答えを求められたとき、完璧な答えをだそうとしたんだ。できもしないのにさ・・・」<br /><br />
そこで自分の弱さを思い知らされて。<br />
そしてリトの体は動かなくなってしまったのだった。<br /><br />
大きく息を吐き出して、一息ついた。<br />
唯を見る。真っ直ぐに。<br /><br />
唯もじっとリトを見返してくる。<br />
その瞳が、続きを要求していた。<br /><br /><br />
「俺は、お前のことが好きだ」<br />
初球はズバッとストレートを投じる。<br />
唯の瞳は見開かれることはなく、頬も赤く染まりはしない。<br />
しかし、微かに息を呑んだのがわかった。<br />
まずは1ストライク。<br /><br />
「あれっ、今の驚くか悦ぶかして欲しいとこなんだけど・・・」<br />
リトが少し茶化すように言うと、唯は頬を膨らませた。<br />
2球目のボール球の変化球は、見事に見逃されたようだ。<br /><br />
「お前のことが、一番好きだ」<br />
「嘘!」<br />
3球目のストレートに、唯は始めてスウィングしてきた。<br />
「嘘じゃない」<br />
「だったら証明してみせて!」<br />
ここで捕らえられるわけにはいかない。<br />
そのために、ララと春菜を傷つけてきたのだから。<br />
「ララも西連寺も、俺にとって大切な人だ。それはこれからも変わらない。<br />
二人には幸せになってほしいと思ってる」<br />
「・・・」<br />
とりあえず聞く耳は持ってくれた。<br />
リトの言葉に嘘がないことも、唯なら見抜いているだろう。<br />
3球目は目論見どおりファウルだ。これで、追い込んだ。<br /><br />
4球目・・・。勝負球―――<br /><br />
全身の力を集中させ、目を閉じ唯の笑顔だけを心に描く。<br /><br />
「俺が幸せにしたいのはお前なんだよ!<br />
俺以外の奴がお前を幸せにするなんて冗談じゃない!<br />
お前を幸せにすることは、俺にしかできない!俺じゃなきゃ嫌だ!」<br /><br />
渾身の力を込めた、ど真ん中ストレート。<br /><br />
まるでガキっぽい、青臭い言葉。<br />
しかしリトが考え抜いた末に、自分の意思で唯を選んだことを示す言葉だ。<br />
唯の見開かれた両の瞳から、ツーッと涙が伝い落ちていった。<br /><br /><br />
リトは微笑みかけると、ゆっくりと唯の元へと近づいていった。<br />
手を伸ばせば、触れられる距離まで。<br /><br />
「そういえば、まだ聞いてなかったよな」<br />
唯は微かに身を震わせながらリトを見上げる。<br />
「古手川は、俺のこと好き?」<br />
ボッ、とマッチをする音でもしたんじゃないかと思うほどに、唯の顔が一瞬で朱に染まる。<br />
「な、なにを今更・・・」<br />
唯はそっぽを向いてしまう。<br />
それを見てリトの顔がつい綻ぶ。<br />
(ああ、この感じだ・・・)<br />
たまらなく心地よいやり取り。<br />
「いいから、聞かせて」<br />
リトは別にからかっているわけではない。真剣そのものだ。<br />
「・・・嫌いよ」<br />
唯はそう言うが、声には甘えるような響きが混ざっていた。<br />
それにリトはもう既に、唯を三振に打ち取っているのだ。<br />
勝負の行方は見えていた。<br /><br />
「古手川は意地っ張りな上に天の邪鬼だからな、一度言われたくらいじゃ信用できない」<br />
「結城君なんて・・・嫌いなんだから・・・」<br />
そう言いながら体を倒し、リトの胸にもたれかかって来る唯。<br />
その口から何とかして好きという言葉が聞きたいのだが、どうやら愛しさの方が先に限界に達してしまったようだ。<br />
両手で唯の周りに円を作る。<br />
「古手川、ギュってしていい?」<br />
そう聞きながら半径を小さくしていく。<br />
「もうしてるじゃ、あっ・・・」<br />
彼女が言い終わる前に抱きしめてしまった。<br />
信じられないくらいに柔らかい身体、滑らかな黒髪の感触、女の子特有の甘い匂いと唯の温かな体温。<br />
あまりの幸福に、涙が出てしまいそうだった。<br />
「結城くん・・・結城くんっ」<br />
腕の中で震えながら名をよんでくれる、何よりも愛しい存在。<br />
「もう絶対に泣かさない・・・。嬉し涙ならたくさん流させてやるけどな・・・」<br />
耳元でそっと囁くと、唯はリトの制服のジャケットのポケット辺りを掴んでいた手を腰に回してしがみついてくる。<br /><br />
「・・・わたしで、ホントにいいの・・・?」<br />
「お前がいい。お前じゃなきゃダメなんだ・・・」<br /><br />
リトはより一層の想いを込めて唯を抱きしめ続けた。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />