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294 - (2013/06/09 (日) 13:17:49) のソース

'''車窓.com'''(しゃそうドットコム)は、自宅など、部屋にいながら鉄道の乗車を疑似体験できることを目的に、[[日本]]の[[鉄道]]車窓の[[動画]]を無料で配信している[[ウェブサイト]]である。

== 概要 ==
車窓.comで配信される[[動画]]は、[[youtube]]に管理人が自ら[[アップロード]]したものを[[リンク]]する形式で配信されている。

一部の[[動画]]を除き、そのほとんどが、管理人自信の撮影によるものである。
時間的、金銭的、肉体的に鉄道旅行のできない人々や、郷愁の念に浸りたい人々などに、臨場感あふれる[[動画]]を配信することを目的に、ガラスへの写りこみが少なく、ブレの少ない[[映像]]で、[[動画]]を配信することを特徴としている。

また、[[音]]へのこだわりも強く、[[列車]]の[[走行音]]やドアの開閉音、[[エンジン]]音、[[モーター]]音さらには[[車内放送]]や[[オルゴール]]、[[チャイム]]なども、できる限り収録しやすい環境で撮影をしている。

== 略歴 ==
*[[2008年]][[4月]][[車窓.com]]開設。
*[[2009年]][[11月]][[NHK-BS]][[テレビ]][[番組]][[熱中時間 忙中"趣味"あり]]鉄分補給スペシャル4で管理人が[[寝台特急]]車窓熱中人として紹介された。
*[[2010年]][[8月]][[雑誌]][[鉄道ジャーナル]]10月号から[[管理人]]の執筆による[[コラム]]「車窓に熱中」の連載を開始。

== 外部リンク ==
*[http://syaso.com/ 車窓.com]
*[http://www.rjnet.jp/ 鉄道ジャーナル]
{{DEFAULTSORT:しゃそうどっとこむ}}
[[Category:鉄道とインターネット]]
----
'''通学定期乗車券の発売条件'''(つうがくていきじょうしゃけんのはつばいじょうけん)について記述する。

'''[[定期乗車券#通学定期乗車券|通学定期乗車券]]'''は、割引率が高く、発売対象者も限定されている。「'''通学定期券'''」と略して呼ばれることが多い。

発売にあたっては、以下のとおり条件がある。本稿では一般的な[[JR]]、[[私鉄|民鉄]]について記述するが、[[鉄道事業者]]によって取り扱いは異なる。

== 発売対象者 ==
指定された[[学校]]の部科などに在学する[[在学生|生徒・児童・学生]]が対象。通学定期乗車券発売対象の学校を'''指定学校'''と呼ぶ。

指定学校とは、無条件に指定学校となる学校教育法第1条の規定による[[小学校]]、[[中学校]]、[[高等学校]]、中等教育学校、[[大学]](短大・大学院含む)、高等専門学校、特別支援学校・幼稚園(但し、通信による教育を行う学校の通信教育部は鉄道事業者より指定された部科に限る) と、その他鉄道事業者の指定を受けた専修学校、各種学校、[[職業能力開発校]]などである。
一部の[[予備校]]も鉄道事業者の指定を受けるとその対象となるが、修業期間(連続して12ヶ月以上)、年間授業時間数(1年間に700時間以上)、生徒の部科別の定員(40人以上)など指定条件が設けられている。そのため、予備校生の場合、授業時間数によって通学定期乗車券を購入できる学生とできない学生が存在する。一定の授業時間に満たなければ購入はできないので、授業時間が少ないと通学定期券は購入できない。

また、公立小学校の場合、基本的に地元の学区内からの通学が原則であり、交通機関を利用する必要性がなければ通学証明書を発行しない(要件を満たさないので発行が認められない)。ただし、転居等で越境通学する児童、生徒がいる場合は学校長の判断で通学証明書が発行されるため、通学定期乗車券の購入が可能である。また稀に、[[地方公共団体|自治体]]の都合で学校の統廃合により、児童が交通機関を利用して通学することもある。この場合、自治体が通学定期券を学校単位で一括購入するので、個別に通学証明を発行しないで事業者から定期券を購入後、児童に配布する。

=== 指定学校の認定 ===
通常はJRグループによる認定で、いわゆる「[[一条校]]」は無条件で指定学校となる。一条校以外で「指定学校」の認定を受けたい場合、最寄のJRグループ各社に問い合わせる。

JR以外の鉄道事業者では、JRの認定を受ければそのまま「指定学校」として取り扱ってもらえることが多く、各社局へ個別には申請しなくてよいことが多い。

一部の鉄道事業者(公営に多い)はJRとは別に独自の認定をしている。したがって、JRの認定さえ受ければ日本全国どこでも通学定期券が購入できるというわけではない。独自の認定をしている社局に対しては、個別に申請が必要である。

また、認定条件は鉄道事業者によって異なるので、ある鉄道事業者では「指定学校」の認定を受けられたが、別の鉄道事業者では認定が受けられなかったというケースもよくある。大学、高校などではまずないが、一部の[[専門学校]]でそういった事例がある。

「指定学校」の認定を受ける場合は、年間授業時間数、授業内容などの資料を揃えて申請が必要である。<!--詳しくは、認定を受けたい鉄道事業者(JRなど)に問い合わせること。-->

なお、「[[放送大学学園|放送大学]]」の学生には通学定期券は発行されない。

「放送大学」の学生には、学校・学習センターより証明書を発行して貰う事により「通学用割引回数券」1組11枚(普通回数券の2割引)が発行可能である。
学校発行の証明書の有効期限は1か月間有効で、購入した回数乗車券の有効期間は6か月間有効である(全科履修生のみ発行でき、専科履修生等には発行できない)。

また放送大学をはじめとした[[大学通信教育|通信制大学]]の学生は通常は通学定期券の発行対象とはならないが、通学課程の授業を通年スクーリングとしての受講や通学過程の長期休暇を利用した夏期スクーリング等の授業出席のために所属学校からの通学証明書発行を受けることにより、通学定期券の購入が可能となる。なお定期試験の受験や卒業式、短期間のスクーリングなどに出席については、所属学校の学割証明書発行により学割乗車券の対象とはなるが、{{要出典範囲|通学定期券の対象とはならない|date=2013年3月1日}}。

== 発売(購入)に必要な証明書 ==
通学定期券の購入には、下記の証明書が必要である。

JRの場合、[[旅客営業規則]]第170条に規定されている。

1.「学生証」と「通学証明書」

または、

2.「通学定期乗車券購入兼用の学生証」(学生証と通学証明書が一体のもの)

学校によって、「学生証」「通学証明書」の様式は異なり、1.の場合、または2.の場合のどちらかになっている。

※「在学証明書」「入学許可証」「合格通知証」などでは購入できない。

※幼稚園児や小学生など、学生証(児童証、生徒手帳含む)を受けていない場合は、学生証の提示を省略できる。但し、通学証明書は必要。

学校によっては、「生徒手帳」が前述2.を兼用している場合があるが、そうでない場合は「生徒手帳」のみでは購入できないため、事前に学校に確認する必要がある。

通学定期券の使用資格を有するのは、鉄道事業者が指定した学校の部科などに在籍する学生・生徒・児童・幼児である。

学校教育法第1条の規定による小学校・中学校・高等学校・中等教育学校・大学(短大・大学院含む)・高等専門学校・特別支援学校・幼稚園は、鉄道事業者に対する学校指定申請の手続きの必要がなく、無条件に指定学校となる。

(但し、通信による教育を行う学校の通信教育部は学校指定申請手続きが必要)

したがって、上記以外の学校は、鉄道事業者に対し、学校指定申請手続きが必要である。

指定学校になっていない[[学習塾]]、一部の専修学校・専門学校、職業能力開発校などは通学定期乗車券を購入できない。指定学校になっていない学校が発行した「通学証明書」には、鉄道事業者による指定学校の証明がないため、定期券発売窓口に提示しても、購入できない。

入学当初に関しては証明書や学生証がすぐには発行されないため、特殊な申込用紙で申し込んで、入学式当日に最寄り駅で受け取る所もあれば、鉄道事業者職員が学校のオリエンテーションに出向いてくれて受け付ける所などがある。

[[通信教育]]の学生の場合は、[[スクーリング]]参加ないしは実習受講などに限定され、それ以外の用途・期間に対しては発行はできない(例外として、[[仙台市交通局]]の「学都仙台フリーパス」の場合は、[[スクーリング]]出席日数が、1ヶ月に5日以上などの条件を満たせば、通信教育の学生も購入可能としており、定期券の有効期間内であれば、他の用途での利用も可能としている。ただし、[[仙台市営バス]]と並行して運行している路線であっても、[[宮城交通]]のバスには乗車できない)。また、通用期間は1ヶ月以内に限定されており、継続利用が必要な場合は、その都度通学証明書の発行を依頼し、提示する必要がある。

==発売区間==
定期乗車券の通学定期乗車券の項にもある通り、自宅(下宿などの現住所)の最寄駅から学校が指定する最寄駅までを結ぶ最短経路での発売となる。

ただし、最寄駅・最短経路についての厳密な定義はされておらず、常識を逸脱しない範囲内であれば認められやすい。例えば複数の駅が利用可能な地域で最寄ではない駅を利用した方が利便性が高い場合(安い、本数が多い、1社局もしくは1本で目的地にアクセスできるなど)であれば認められる傾向にある。

同様に、厳密に最短・最寄であるために複数の社局線のほぼ無駄な使用を強いるということはほとんどない。

経路については、[[東京急行電鉄]]の[[時刻表]]<!-- 2006年3月ダイヤ改正号 -->に次のような記述がある。
{{quotation|
通学定期券は、次のいずれかに当てはまる経路で発売いたします。
#ご乗車距離が最も短い経路
#ご乗車時間(お乗換え時間を含む)が最も短い経路
#定期運賃が最も低額な経路
}}
<!--(例えば、利用路線と[[連絡運輸]]のない駅が最寄駅であるために連絡運輸扱いのある駅でわざわざ乗り換えさせる、途中のわずかな区間にほぼ同じ駅間を結ぶ経路が複数ある場合に短い区間に該当する他社線もしくは利便性の悪い経路・駅を使用させるなど)-->

== 実習用通学定期乗車券 ==
学生が実習のために学校以外の場所に通う場合には、「実習用通学定期乗車券」が発売される。これは、本来「自宅最寄り駅から学校最寄り駅まで」にしか発売されない通学定期券を、「自宅最寄り駅から実習先最寄り駅」まで発売するものである。

この定期券が発売される例としては、[[教育実習]]([[通信教育]]の学生も対象)、[[教職課程]]で要する[[介護実習]]([[介護等の体験]]は、介護実習とそもそも異なるうえ、日数も短いため対象外。こちらも、通信教育の学生も対象とされる)、医療系学校([[病院]]等の医療施設で実習を行う)、福祉系専門学校([[老人ホーム]]等の介護施設等で実習を行う)などの例が挙げられる。また、小中学校における不登校の児童又は生徒が、学校以外の施設に通いカウンセリング、指導などを受ける場合にも、その日数を指導要領上出席扱いとする場合に限り申請することができる。

ただし、クラブ活動のために通うケースの場合は、[[卒業]]に必要な単位ではないので、通学定期券の発売対象外である。したがって、ここでいう「実習」には該当しない。

=== 発売条件 ===
実習用通学定期券の発売には、以下の条件を全て満たしていなければならない。
#学校自体が「指定学校」となっていること。
#その実習が「卒業のために必須の単位」となっていること。
#実習先から報酬([[賃金]])を受け取らないこと(もし受け取っていれば通勤である)。
このほかにもいろいろ条件があり、条件の内容も鉄道事業者ごとに異なる。

=== 手続き ===
「実習用通学定期乗車券」はいきなり駅に行っても購入はできない。購入するためには、事前に鉄道事業者に申請をする必要がある。複数の鉄道事業者にまたがって通学する場合は、全事業者に申請をする。この申請は学生自身が行うことができず、学校の事務が行う。そのため、事務手続きにかかる日数を見込んで、早めの申請が推奨される。購入希望時期の2か月前ぐらいまでに申請しておけばよい。直前の申請では間に合わない場合があり、その場合、購入できるまでは普通に乗車券類を購入して通うことになる。

JRの支社をまたがって通学する場合、実習先の最寄り駅を管轄する支社に申請をする。例えば[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)の[[中央本線]]は[[西荻窪駅]] - [[吉祥寺駅]]間で支社が分かれている。そのため自宅最寄りの[[新宿駅]]から実習先最寄りの[[立川駅]]までの通学の場合、立川駅を管轄する[[東日本旅客鉄道八王子支社|八王子支社]]へ申請を出すことになる。なおこの各支社の管轄区域に関しては、指定を受けている学校であれば資料が担当者に配布されることもある。

申請する場合(学校の事務担当者が)まず、鉄道事業者から申請用紙を受け取る。様式はほぼ決まっているので、見本を元にパソコンで自作する。それに学校の公印(朱肉使用)を押し、必要な枚数(同じものを2 - 3枚作成。必要な枚数はその都度確認)を鉄道事業者に郵送する(駅では申し込みできない。通常は本社や支社の担当部署へ郵送)。このとき返信用の封筒も必要となる。返信用封筒には[[切手]]を予め貼付し、宛名(返送先=申請元)を記入しておく。切手を貼り忘れると原則として後から送料を請求される。

鉄道事業者から承認書が学校に送付されてから、その書類を持参して駅で定期券を購入することになる。購入できる駅が指定される場合もあるから注意する。

定期券そのものは通常の通学定期券と同様の[[運賃]]である。券面に「実習」または「実」と表示する鉄道事業者もある。

ただし、全ての鉄道事業者にこうした制度があるわけではない。

== 通学に限定されない通学定期券・学生定期券 ==
一部の事業者では、学生であれば通学証明書なしで(通学と無関係な経路についても)通勤定期券より割り引いた定期券を発売している。具体例としては、[[名古屋市交通局]]<ref>[http://www.kotsu.city.nagoya.jp/ticket/pass/006237.html 学生定期券] 名古屋市交通局、2010年12月25日閲覧。</ref>、[[遠州鉄道]]<ref>[http://www.entetsu.co.jp/tetsudou/guide/trainpass.html 定期券について / 遠州鉄道] 遠州鉄道、2010年12月25日閲覧。</ref>、[[富山地方鉄道]]<ref>[http://www.chitetsu.co.jp/ticket/index.html お得な乗車券] 富山地方鉄道、2010年12月25日閲覧。</ref>に存在する。このうち名古屋市交通局は、この定期券を「学生定期券」と名付けている。

また、[[横浜市交通局]]では「学習塾在籍証明書」を提出することで通塾対応用の通学定期券を発売している<ref>[http://www.city.yokohama.lg.jp/koutuu/kyoutuu/sub-teiki.html 市営地下鉄定期券] 横浜市交通局、2011年2月14日閲覧。 </ref>。
{{節スタブ}}

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}

==関連項目==
*[[学生割引]]

{{DEFAULTSORT:つうかくていきしようしやけんのはつはいしようけん}}
[[Category:鉄道運賃と切符]]
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STB (旅行)
'''STB'''(エスティービー、エステビー)とは、[[鉄道駅]]を[[旅行]]中の宿泊地として利用すること。'''station bivouac'''(ステーション・ビバーク)の略。'''駅寝'''(えきね)とも称する。

==解説==
「STB」は元々[[登山]]愛好家の用語で、登山前夜に最寄の駅で宿泊し、夜明けと共に登山したことに由来すると言われる。現在では登山のみならず、経済的に旅する旅行者の間で用いられている言葉である。広義では鉄道駅以外に[[バス停留所|バス停]]・[[港湾|港]]の[[待合所]]など、交通待合所全般での「'''旅行宿泊としての'''」宿泊も「STB」と称する。

[[日本国有鉄道|国鉄]]末期から[[人件費]]削減の一環として、全国で多数の[[無人駅]]が出現、また有人駅でも営業時間を短縮する駅が続出した。これらの駅の多くは、駅設置当時からの立派な[[駅舎]]を構え、駅舎内の待合室には長椅子があり、付属する設備として[[トイレ]]、水飲み場があり、駅前には[[公衆電話]]や[[自動販売機|自販機]]などが備えられていた。これは同時に、旅行者が夜露をしのぐのに十分な条件でもあった。そんな中で[[1987年]]、同年に結成されたSTB全国友の会により『'''STBのすすめ''' 北海道・信州版』(STB全国友の会:編、どらねこ工房)が刊行される。[[1994年]]には『全国版』が登場。これらは駅寝ファンの投稿記事によって編集されており、駅寝は[[大学生]]を中心に[[ブーム]]となった。その後『STBのすすめ』は、[[本|書籍]]としての刊行を2000年の『定本/準備号』で終えた。その後はサイトのみで情報公開していたが2006年4月頃にはリンク切れとなっている。<!-- 当時のURLは2009年10月現在、みかん農家のサイトとなっています-->2009年秋に公式ブログが開設され、当時のSTB情報が閲覧できる。 
また、学生を中心としたサークルでも駅寝を合宿地や合宿到達の手段とする動きもある。
野宿同好会が法政大学や日本大学、愛知大学、広島大学等に結成されており、京都大学には駅寝サークルまで存在する。

駅訪問([[種村直樹]]が称するところの「[[乗ったで降りたで]]」もその一種<!---厳密には「乗ったで降りたで」は鉄道を使って駅を「利用」することを指すので、例えば[[ツーリング]]で駅を訪問して駅寝し、翌朝バイクで去ることは、「駅訪問」ではあっても「乗ったで降りたで」ではない--->)やSTBの流行と共に、「名所」の駅には来訪者が書き記していく'''[[雑記帳|旅ノート]]'''が、私設で置かれるようになっていった。

== 利点と問題点 == 
旅行者にとっての利点は、宿泊費が浮くことである。発生した余剰費用で、より長く旅行できることにもつながる。また、地元住民や同じく旅する人間同士とで触れ合う機会も、[[ホテル]]に泊まるよりは多くなる。

一方で、夜間に徘徊する旅行者は地元住民にとって「不審な人物」と取られてもやむを得ない。本来宿泊施設ではない駅舎に宿泊する行為は、建造物の目的外使用であって、当然ながら[[警察官]]に[[職務質問]]を受ける可能性も高い。また、深夜帯に溜まり場として使っている[[暴走族]]や[[ホームレス]]等とのトラブルが発生しているのも事実である。

STBの是非については、旅行者や[[鉄道ファン]]の間でかなり意見が分かれており、否定派の中には「[[ホームレス]]と同じ」「住民に迷惑を掛ける行為」だとして、STBを嫌う人も存在する。一方で肯定派は「これこそ旅の原点」と反論したりしているが、公共の場に無断で間借りするのであるから、最低限の[[マナー]]を踏み外してならないのは言うまでもなく、現在のほとんどの[[鉄道会社]]は公式には「駅寝を認めない」が、各駅に宿泊しないよう掲示しているわけではない<ref>[[東海旅客鉄道]](JR東海)・[[名古屋市交通局]][[名古屋駅]](隣接する[[名鉄名古屋駅]]・[[近鉄名古屋駅]]も同様。JR以外は駅長と所轄の[[中村警察署 (愛知県)|中村警察署]]長名義)のように駅で寝泊まりすることを禁じる旨の掲示をしている駅もごく少数ある。</ref>ので、黙認しているのが実情である。しかし、[[夜行列車]]が深夜帯に停車する駅ではホームレスの無断宿泊防止と同様に一時締め出しをすることもあり、[[IGRいわて銀河鉄道]]では、「駅での宿泊はご遠慮下さい」との掲示があり、1980年代と比べてSTB出来る駅が激減しているのも事実である。

上記『STBのすすめ』では、駅寝に当たってのマナーとして、
*[[終電|最終電車]]が出るまで寝ない
*駅舎内で火を使わない
*[[始発列車|始発電車]]が入るまでに去る
*[[ゴミ]]はきちんとかたづける
を提唱している。STBファンの多くは上記マナーを遵守していると思われるが、一部では自らのWebサイトに[[コンロ]]や[[ストーブ]]などを持ち込んで使用している様子を堂々と掲載する者や、深夜に大騒ぎして[[警察]]が出動するトラブルが発生しているのも確かである。

== STBが登場する作品 ==
*『日本縦断鈍行最終列車』([[種村直樹]]著、徳間書店、1986年。[[南福岡駅]]での集団駅寝が写真入りで紹介されている<!---単行本191頁--->)
*『[[究極超人あ〜る]]』([[ゆうきまさみ]]著、岩屋口駅(架空の駅・モデルはJR[[飯田線]][[唐笠駅]])で登場人物たちが蚊取り線香を焚いてシュラフで寝ているシーンがある)

== 関連事項 ==
*[[秘境駅]]
*[[横見浩彦]]
*[[牛山隆信]]
*[[車中泊]]
*[[夜行列車]]
*[[完乗]]

== 脚注 ==
<references />

[[Category:鉄道旅行|STB]]
[[Category:登山|STB]]
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'''乗ったで降りたで'''(のったでおりたで)とは、[[鉄道駅]]の乗降そのものを主目的とした旅、あるいは乗降行為を意味する趣味的用語である。さらにそこから「全鉄道駅乗降」<REF>全駅乗降は乗車or下車のみの場合もカウントするので全駅下車(下車のみをカウントする)よりは難易度は低い</REF>や「[[全駅下車]]」も内包する使い方をしている場合もある。

== 趣味として認知されるまでの経緯 ==
もともとは1979年頃に[[神戸大学]]鉄道研究会で、鉄道駅に乗降したことを「乗ったで降りたで」と称して記録しあったのが起源で、その後、創始者と高校時代の友人が1980年に[[京都大学]]に伝播させたもの。

京都大学鉄道研究部(京大鉄研)でもこの記録作りは、鉄道路線を乗り通す「乗り潰し」と並ぶブームとなった。京大鉄研では「乗ったで降りたで台帳(国鉄編・私鉄編)」を作り、鉄研会員同士でその数を競い合った。背景には、仲間内(京大鉄研)で、ある一名のみが「乗ったで降りたで」を達成している「独占駅」を競う、という動機付けがあったことが大きい。

1983年冬、[[北海道]]を旅行中であった[[種村直樹]]が、車中で出会った京大鉄研の某会員から「乗ったで降りたで」趣味の存在を教えられた<ref>なお、種村直樹は京都大学出身ではあるが、学生時代は鉄道研究会に在籍しておらず「京都大学に鉄研があること自体全く知らなかった」という。</ref>。興味を持った種村は、この用語を語呂の良さから自らの著作で多用し、同年には「乗ったで降りたで完乗列車」という著作まで刊行する。

しかし、種村の著作以外でこの「乗ったで降りたで」という用語が使われることはなく、趣味者間で共通使用できる用語として認知されるには至らなかった。

== 備考 ==
似たような用語として「[[土々呂駅|トトロ]]」「N&O」「完降」などといった用語があるが、「乗ったで降りたで」同様に特定の団体で限定的に利用されているにすぎない。鉄道駅の乗降を主目的とした場合に「乗ったで降りたで」という用語を使用すると意味が通じない場合が多いので注意が必要である。

これは乗降を目的とした旅を指し示す一般用語がないためで、例えば「駅利用」は、広義では[[駅ビル]]ショッピングや[[ツーリング]]途中の立ち寄りも含んでしまう。また「駅下車」では「乗車」を含まない。「駅乗降」は概念としては最も近いであろうが、「乗降自体を目的として」との意味が入らない。つまり「乗ったで降りたで」は「駅利用」の[[部分集合]]で、それだけ特異な概念でもある。文化的意味合いについては[[完乗]]も参照。

2003年10月19日に[[杉原巨久]]が、2005年2月20日には[[横見浩彦]]が、それぞれ日本の鉄道駅全駅完全乗降<ref>杉原は全駅下車で達成、横見は全駅訪問で達成している</ref>を達成した。

杉原は横見のJR全駅乗降(1995年10月達成)に関する著書を読んで全駅下車を目指したというが、私鉄線を含む日本の鉄道全体については、先行していた横見を杉原が追い抜き短期間で記録達成<ref>「日本の鉄道全線全駅 下車最速記録」としてギネス記録に認定されている</ref>した。
ただし、横見は著作の中で「乗ったで降りたで」という用語を一切使っていない。

== 注釈 ==
<references />
==関連項目==
*[[鉄道ファン]]
*[[鉄道旅行]]
*[[完乗]]

{{デフォルトソート:のつたておりたて}}
[[Category:鉄道旅行]]
{{Rail-stub}}
----
'''完乗'''(かんじょう)とは、ある[[交通機関]]が営業する[[路線]]にすべて乗車・搭乗すること。「完全乗車」の略。「(路線図・地図の)塗り潰し」になぞらえて'''乗り潰し'''(のりつぶし)ともいう。路線ごとにまたは一定の地域を対象として使うこともある。

交通需要は、ほとんどが通勤、出張、観光などの本来の目的を達成するための派生的[[需要]]である。完乗のための交通機関の利用は、それ自体(乗車のための乗車)が目的の本源的需要であり、交通サービスにおけるきわめて特殊な需要形態といえる。

一般には鉄道での完全乗車を指し、旧[[日本国有鉄道]]・ [[JR]]路線の完全乗車、または[[私鉄]]・[[公営鉄道]]の事業者毎での路線完全乗車、さらに広くは日本の鉄道全路線の完全乗車を指す。

[[鉄道|普通鉄道]]としては日本最短の[[芝山鉄道]]は、東成田-芝山千代田の1駅間、2.2キロ、4分の乗車で完乗となる。これは極めて容易な完乗の例であるが、[[鉄道趣味者]]の間では、JRの全鉄道路線、私鉄の全鉄道路線、もしくは日本の全鉄道路線を完乗することが、その難易度の高さも相まって<ref>ただし、旧[[日本国有鉄道|国鉄]]・ [[JR]]路線では<!--幹線を中心に列車本数が増加し、一方で…事実ではありますが、この文の述語は「困難さはなくなった。」でありますので、(「幹線を中心に列車本数が増加したこと」が)そのことに直接結びつくとは思われませんので、削除させて頂きます。(だからと言って、述語を変えられても困りますが…。)-->赤字ローカル線の多くが第3セクター鉄道へ転換あるいは[[日本の廃止鉄道路線一覧|廃止]]されたことによって、かつての、[[宮脇俊三]]が完乗した頃や、[[いい旅チャレンジ20,000km]]キャンペーンの開始時ほどの困難さはなくなった。</ref>、鉄道趣味の一ジャンルとして認知されている。

== 国鉄・JR線の完乗 ==
鉄道趣味について記録した古い著作物の一つである石野哲の「時刻表名探偵」(JTB、1979)によれば、知られている限りの最初の国鉄完乗者は、[[1959年]][[8月29日]]に[[富内線]][[振内駅]](当時の富内線終着駅)到着で達成した後藤宗隆であり、その後[[1978年]]8月までに32名が完乗したと記録されている<ref>後藤自身によれば、当時同様な記録達成の目論見を抱いていた者は複数存在した模様であったが、1950年代の日本ではローカル線を中心に国鉄新路線の建設が未だ盛んであり、日本各地での散発的な新線開通で乗り残しをフォローすることが容易でなかった。後藤は、(1959年当時)[[本州]]方面からは容易に訪れにくい[[北海道]]にあり、直前の1958年に延伸されたばかりで未踏破の者が多く、出し抜きやすいであろう、という考えから、富内線を完乗達成地に選んだ。石野の文献によれば、実際には第2の国鉄完乗者が出たのは[[1962年]]であった。</ref>。

国鉄完乗が脚光を浴びたのは、1978年7月に出版された[[宮脇俊三]]の処女作である旅行記『[[時刻表2万キロ]]』がきっかけで、これに触発された末期の国鉄が1980年から行った[[いい旅チャレンジ20,000km]]キャンペーン以降、大量の完乗者が輩出された。以後は鉄道趣味ジャンルの一つ「乗り鉄」(乗車趣味)の究極形態として、趣味者間で広く定着している。

また、[[2003年]][[10月19日]]に[[横浜市]]の会社員杉原巨久が、日本の全路線の完乗と共に、JR・[[私鉄]]の全駅下車を成し遂げた。全駅下車は完乗の発展形とも言え、「降り潰し」と表現されたこともある。

同年11月3日には俳優の[[関口知宏]]が[[列島縦断 鉄道乗りつくしの旅〜JR20000km全線走破〜]]というテレビ番組でJR路線全線の完乗を果たし、この趣味は国鉄による[[1980年]]のキャンペーン以来、久々に一般メディアで取り上げられることになった。

== 完乗の定義 ==
完全乗車の定義は一義的なものではない。完乗を目指す場合に定義に迷う事柄として以下のようなものが挙げられる。
* 複線区間の上下線が大きく離れている場所を通る場合は(例:[[北陸本線]][[新疋田駅]]-[[敦賀駅]]間)片方のみの通過で可とするか?
* 季節営業路線を含めるか?(例:[[上越線]]([[上越新幹線]])[[越後湯沢駅]]-[[ガーラ湯沢駅]]間、[[嵯峨野観光鉄道]])
* 線路の戸籍が重複している場合は(例:[[名古屋駅]]-[[金山駅 (愛知県)|金山駅]]間、[[東海道本線]]・[[中央本線]]の二重戸籍区間)片方のみの通過で可とするか?
* 既存線の別線線増扱い区間を(例:[[東武鉄道|東武]][[押上駅]]-[[曳舟駅]]間は[[とうきょうスカイツリー駅]]-曳舟駅間の線増扱い)片方のみの通過で可とするか?
また、「昼間(窓から外が見える)時間帯に限定する」「各駅停車乗車に限定する」等々のルールを各個人が設けていることもある。
もちろん、正解があるわけではなく、完乗の定義はそれぞれの良識に任されている。

== 完乗後の扱い ==
完乗達成者にとって、厄介な問題として、「その後の扱い」がある。[[未成線|新線開業]]がない限り完乗の状態が続くことになるが、新たに路線が開業すると、完乗達成者が完乗の状態を維持しようとするなら、その路線にも乗車しなければならなくなる。

これとは逆に、完乗を達成していない者が、未乗線区の[[廃線]]によって自動的に完乗となることがある。

== 完訪 ==
完乗とは、その路線(鉄道・バス・航路など)を主体としてとらえた見方であり、[[鉄道駅|駅]]、[[空港]]、[[市町村]]などを主体とした場合は完訪(完全訪問)と表現する。

(例)「定期旅客便就航の全空港を完訪した」「日本の全市町村を完訪した」等のように表現する。

== 関連項目 ==
* [[乗ったで降りたで]]
* [[旅打ち]]
* [[ジャパンレールパス]]

== 脚注 ==
<references />

== 外部リンク ==
* [http://www.noritsubushi.org/ 乗りつぶしオンライン] - 全国のJR、私鉄路線における完乗達成度を算出するシステム。

{{DEFAULTSORT:かんしよう}}
[[Category:鉄道旅行]]
----
{{Infobox Software |
| 名称 = OuDia
| ロゴ = [[ファイル:Oudia_icon.jpg|32px]]
| スクリーンショット = [[ファイル:Oudia_main.JPG|200px]]
| 説明文 =Windows上で動作するダイヤグラム作成ソフト
| 最新版 = 1.02.01
| 最新版発表日 = [[2012年]][[9月1日]]
| 開発元 = take-okm
| 対応OS = [[Microsoft Windows|Windows]]
| 種別 = ダイヤグラム作成
| ライセンス = [[GNU General Public License]]
| 公式サイト = [http://homepage2.nifty.com/take-okm/oudia/ OuDiaのホームページ]
}}
'''OuDia'''(オオユウダイヤ)は、[[鉄道]]の[[ダイヤグラム]](列車運行図表)を作成できる[[フリーソフトウェア]]。

== 概略 ==
ダイヤグラムを作成するためのソフトウェア。[[時刻表]]に記載されている[[鉄道駅|駅]]名、発着[[時刻]]を入力するだけで、簡単にダイヤグラムを作成することができる。また、入力されたデータを時刻表・ダイヤグラムの両形式で表示することができる。画面上への出力だけでなく、[[プリンター|プリンタ]]へ出力することも可能である。

ダイヤグラムを作成するフリーウェアとしては[[WinDIA]]というソフトがメジャーであるが、長いファイル名の使用に難があるなどの理由があり、また開発が事実上停止していることから、WinDIAを参考にしながらも現状の[[Microsoft Windows|Windows]]プラットフォームに適合した作りとなっている。このためWinDIAと異なり64ビットアプリケーションでも使用可能となっている。

=== 互換性 ===
ダイヤグラムを作成するという同様の目的で、広く使用されているWinDIAで作成されたデータを読込・表示することができる。また、反対にOuDiaで作成したデータをWINDIA形式で書き出すことも可能である。

=== 名前の読み方について ===
「OuDia」はかつて正式な読み方を決めておらず、作者もそのことについてブログで触れている<ref>Wikipedia と 「OuDia」の読み方[http://oudiary.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/wikipedia_oudia_0c61.html]</ref>。作者は『おおゆうだいや』が一番しっくりくるとのことだったが、2010年[[1月24日]]にこれを正式な読み方に決定した<ref>OuDiaの読み方は「おおゆうだいや」です[http://oudiary.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/oudia-4a89.html]</ref>。
* 以前Wikipediaでは『おうでぃあ』と記していた。
* 作者はキーボードで入力しやすい短い記号として「OuDia」という名称をつけたという。

== リンク ==
*[http://homepage2.nifty.com/take-okm/oudia/ OuDia]
*[[CocoDia]] (MacOS X用ソフト・OuDiaやWinDIAで作成したダイヤが読み込み可能。)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}

{{DEFAULTSORT:おおゆうたいや}}
{{Software-stub}}
{{Rail-stub}}
[[Category:アプリケーションソフト]]
[[Category:オープンソース]]
[[Category:鉄道]]
----
{{Infobox Software |
| 名称 = CocoDia
| ロゴ = 
| スクリーンショット = 
| 説明文 =MacOS X上で動作するダイヤグラム作成ソフト
| 最新版 = 0.7.2
| 最新版発表日 = [[2010年]][[12月30日]]
| 開発元 = 苹果園園長
| 対応OS = [[MacOS X]]
| 種別 = ダイヤグラム作成
| ライセンス = [[BSDライセンス]]
| 公式サイト = [http://www.horazaka.net/cocodia/index.html CocoDia]
}}
'''CocoDia'''(ここだいや)とは、[[MacOS X]]上で、[[鉄道]]の[[ダイヤグラム]](列車運行図表)を作成・表示できる[[フリーソフトウェア]]。

== 概略 ==
[[ダイヤグラム]]を作成するためのソフトウェア。CoreDia(こあだいや)、CocoDia(ここだいや)、CocoTable(ここてーぶる)の3つのソフトで構成される。具体的にはCoreDiaで[[時刻表]]に記載されている[[鉄道駅|駅]]名、発着[[時刻]]、種別情報、停車駅情報を入力し、データを作成・編集する。CocoDiaは入力されたデータを[[ダイヤグラム]]として、CocoTableは同じく[[時刻表]]として画面に表示する。

両ソフトは画面上への出力だけでなく、[[プリンター|プリンタ]]へ出力することも可能である。

[[Windows]]で使用できる[[WinDIA]]、[[Oudia]]というダイヤグラムソフトは存在していたものの、[[MacOS X]]で稼働するソフトは存在していなかった。
なお、[[WinDIA]]、[[Oudia]]で使用されているファイル形式を読み込むことができる。保存には、[[SQLite]]形式が使われている。

== 姉妹ソフト ==
=== yubiDia ===
[[iPhone]]や[[iPod touch]]上で、CocoDia、[[WinDIA]]、[[Oudia]]のデータなどを使って[[ダイヤグラム]]を表示できるソフト。
バージョンは 0.7.6。

== リンク ==
*[http://www.horazaka.net/cocodia/index.html CocoDia]
*[http://www.horazaka.net/yubiDia/index.html yubiDia]

{{DEFAULTSORT:ここだいや}}
{{Software-stub}}
{{Rail-stub}}
[[Category:アプリケーションソフト]]
[[Category:オープンソース]]
[[Category:鉄道]]
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'''関空リニア構想'''(かんくうリニアこうそう)とは、[[2009年]](平成21年)7月31日に[[大阪府]]知事の[[橋下徹]]が打ち出した、[[関西国際空港]]と[[大阪市]]中心部とを[[リニアモーターカー]]で結ぶ構想。

==構想概要==
;所要時間
* 現行
** [[南海電気鉄道]] 特急「[[ラピート]]」:関西空港 - [[難波駅|難波]] 間 = 約35分
** [[西日本旅客鉄道]] 特急「[[はるか (列車)|はるか]]」:関西空港 - [[新大阪駅|新大阪]]間 = 約50分
* 関空リニア構想
** 関西空港 - 大阪市中心部間(梅田周辺) = 約10分
;総工費
* 大阪府による試算
** 複線:約6500億円
** 単線:約3000億円 - 4000億円

* 国土交通省による試算
** 約1兆5000億円<ref>[http://www.asahi.com/kansai/travel/news/OSK201004050065.html 関空リニアを否定 「伊丹売却益では困難」前原国交相]</ref>

==脚注==
<references/> 

== 関連項目 ==
* [[空港連絡鉄道]]
* [[大阪駅北地区]]
* [[北梅田駅]]
* [[なにわ筋線]]
* [[羽田・成田リニア新線構想]]

== 出典・外部リンク ==
*[http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/h_osaka/20090801-OYO8T00391.htm 新大阪―関空、リニアで10分…橋下府知事策定指示] (2009年8月1日 読売新聞)
*[http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/090903/20090903025.html 「関空リニア構想」 橋下知事、新政権に提案へ](2009年9月3日 47NEWS)
*[http://sankei.jp.msn.com/life/trend/101219/trd1012190031001-n1.htm 関空リニアに調査費 アクセス改善、予算案計上へ](2010年12月19日 産経新聞)

{{DEFAULTSORT:かんくうりにあこうそう}}
[[Category:未開業の鉄道]]
[[Category:大阪府の交通]]
[[Category:磁気浮上式鉄道]]
[[Category:関西国際空港]]
{{Rail-stub}}
----
'''仲西 さら'''(なかにし さら、[[1986年]][[12月10日]] - )は[[福岡県]][[福岡市]]出身の日本の女性[[歌手]]、[[俳優|女優]]である。本名は松本 依里(まつもと えり)。三人姉妹の長女で、三女はモデルで女優の、仲西杏里(なかにしあんり)。

[[福岡県立福岡中央高等学校]]卒業。血液型はA型。身長は149cm。

== 人物 ==
歌唱力をウリとした歌手であり、女優。歌を聴いた者は、その歌唱力を認めるも、良い曲に巡り会えず、「[[新宿娘]]」名義のアルバム『収穫祭』がメジャーデビューCDとなる。

中学、高校時代は持ち前の負けん気で、全てのことに全力投球するも、度々[[過呼吸]]を起こし周りを驚かせていた。
その為、彼女の友人は[[ビニール袋]]を常に所持していた。
電話がかかってきたときは、声のトーンがかなり上がり、これもまた周りを驚かせていた。

幼少期は台湾で育っている。中国語は独学で勉強しており、少し話せる程度。
[[ブログ]]は日本語と中国語で書かれている。

== 来歴 ==
=== CM ===
* ららぽーと(船橋)CMボーカル
* トウカ堂テレビショッピング(OPENING,DAIALSONG)
* ほっかほっか弁当(キャンペーンソング)
* シンワ(CMソング)
その他 多数

=== ドラマ ===
* 九死に一生スペシャル(再現ドラマ)
* 愛のリバーシブル(DVDドラマ)
* ぷるこぎ(上映映画:ホステス役)

=== 舞台 ===
* 鞍馬天狗 龍馬if...(杉作 役)
* キャバレー迎賓館
* GOEMON~天駆ける盗賊~(お菊 役)
* 丹下SAZEN(お美代 役)
* 真田黙示録(千姫 役)
* 捕物演芸帖(お圭 役)
* 元禄侍顛末記!(お松 役)

=== 子役 ===
* ヘンゼルとグレーテル(福岡市主催)

=== その他 ===
* 2005年 a-nation(avex)出場 九州・沖縄大会最終選考進出
* 歌舞伎町ライブ
*中華民国100年建国記念式典(関東地区)ライヴ出演
*中華民国101年建国記念式典(関東地区)ライヴ出演

== 外部リンク ==
*仲西さら本人によるブログ[http://ameblo.jp/sarah-na/ Sarah Nakanishi]
*仲西さらのTwitter [https://twitter.com/lanlalaSarah]
{{DEFAULTSORT:なかにし さら}}
[[Category:日本の俳優]]
[[Category:日本の歌手]]
[[Category:福岡市出身の人物]]
[[Category:1986年生]]
[[Category:存命人物]]
----
{{サッカークラブ
|font-color= white
|background-color= #0000CD
|原語表記=今市FCアルシオーネ
|愛称=アルシオーネ
|カラー=ピンク、白、青
|創設=2000
|リーグ=[[栃木県社会人サッカーリーグ]]
|ディビジョン=2部
|ホームタウン=[[日光市]]
|スタジアム=[[丸山公園サッカー場]]<br />[[自然の森総合公園サッカー場]]
|キャパ=
|代表=[[沼尾明弘]]
|監督=[[斉藤晃治]]
|HP=http://fcalcione.com/
}}
'''今市FCアルシオーネ'''(いまいちエフシーアルシオーネ)は、[[栃木県]][[日光市]]を本拠地とする[[サッカー]]のクラブチーム。

==クラブの概要==
ホームタウンは[[栃木県]][[日光市]]。ホームスタジアムは同市の[[円山公園サッカー場]]のほか、[[自然の森総合公園サッカー場|鹿沼市自然の森総合公園サッカー場]]を使用している。
FCアルシオーネは'''今市FC'''という社会人チームを母体としチーム廃部後に、U-15(中学生)を2000年4月に創立、その後2006年にトップ(社会人)とジュニアスクール(小学生以下)、2007年にユース(U-18)とシニア(35歳以上)のカテゴリーを加えて一貫指導のできるクラブとして、また、サッカー(スポーツ)がコミュニティーの中心となり、地域に密着した総合スポーツクラブである。
歴史は、まだ浅いがトップチーム設立、元Jリーガーも活躍し1年目に[[栃木県社会人サッカーリーグ|栃木県社会人リーグ]]2部へ昇格を果たすも、1年で降格してしまう。その後も成績は振るわずに3部に甘んじている。その後2009年に監督、選手を一新ユースや地元の強豪高校からの加入があった。

==チーム名の由来==
愛称のアルシオーネは、旧今市市の市鳥である[[カワセミ]]を[[スペイン語]]でアルシオーネと呼ぶことが由来である。

== ユニフォーム ==
トップと下部チームで多少モデルが違っているが今後統一していく予定。
{{ユニフォームの色2
|
F正シャツ=ピンクと白|F正パンツ=白|F正ストッキング=白|
F副シャツ=青|F副パンツ=青|F副ストッキング=青|
G正シャツ=グレー|G正パンツ=黒|G正ストッキング=グレー|
G副シャツ=緑|G副パンツ=黒|G副ストッキング=緑|
G第3シャツ=黄|G第3パンツ=黒|G第3ストッキング=黄|
pattern_la1=|pattern_b1=|pattern_ra1=|
leftarm1=FFFFFF|body1=FF69B4|rightarm1=FFFFFF|shorts1=FFFFFF|socks1=FFFFFF|
pattern_la2=|pattern_b2=|pattern_ra2=|
leftarm2=0000FD|body2=0000FD|rightarm2=0000FD|shorts2=0000FD|socks2=0000FD|
pattern_la3=|pattern_b3=|pattern_ra3=|
leftarm3=808080|body3=808080|rightarm3=808080|shorts3=000000|socks3=808080|
pattern_la4=|pattern_b4=|pattern_ra4=|
leftarm4=008000|body4=008000|rightarm4=008000|shorts4=000000|socks4=008000|
pattern_la5=|pattern_b5=|pattern_ra5=|
leftarm5=ffff00|body5=ffff00|rightarm5=ffff00|shorts5=000000|socks5=ffff00|}}

=== チームカラー ===
* チームカラーはピンク、青、白など。
* 以前はホームが青でアウェイが白であった。

=== ユニフォームスポンサー ===
{| class="wikitable"
|- 
!掲出箇所
!スポンサー名
!表記
!掲出年
!備考
|-
| 胸||なし||||||
|-
| 背中||なし||||||
|-
| 袖||なし||||||
|-
| パンツ||なし||||||
|-
|}

===練習用===
* [[沼尾デンタルクリニック]](予定)

=== ユニフォームサプライヤの遍歴 ===
* 2000年~現在[[PENALTY]]

== 外部リンク ==
*[http://fcalcione.com/index.html 今市FCアルシオーネ公式サイト]

{{DEFAULTSORT:いまいち えふしい あるしおおね}} 
[[Category:関東地方のサッカークラブ]]
[[Category:栃木県のスポーツチーム]]
[[Category:日光市]]
{{Footy-stub}}
----
{{Portal クラシック音楽}}
'''中澤 久長'''(なかざわ ひさなが、 [[1966年]][[1月15日]] - )は、[[日本]]の[[現代音楽]]の[[作曲家]]。

== 略歴 ==
[[東京]]生まれ。作曲は全くの独学で修得。生年と出身地以外の経歴は、本人が演奏会のプログラムなどの公式な場で一切明かさないため詳細は不明。基本的には全ての楽器に似たような跳躍音程を割り振り、可聴域を一定のルールで覆う作風である。

== 主要作品 ==
[[2004年]]から現代音楽専門の出版社[[マザーアース]]より、作品が出版されている。主要作品に「嘘つきの舌」、「降り注ぐ粒子I~IV」、「相利共生I~III」、「潮解」ほか。

== 外部リンク ==
* [http://www.mother-earth-publishing.com/catalog/product_info.php?manufacturers_id=11&products_id=105 中澤 久長楽譜CD/マザーアース]
* [http://mother-earth-publishing.com/jp/html/composer/nakazawa_h.html 中澤 久長プロフィール]

[[Category:日本の作曲家|なかさわひさなか]]
[[Category:1966年生|なかさわひさなか]]
[[Category:存命人物|なかさわひさなか]]
----
'''青木 順子'''(あおき じゅんこ、[[1968年]] - )は、[[日本]]の[[ノルウェー語]]講師。

==略歴==
* [[1995年]] - ノルウェー国立ヴォルダカレッジ留学。(~[[1996年]])<ref name="hokuou"/>
* [[1999年]] - ノルウェー国立[[オスロ大学]]留学(ノルウェー政府奨学生)。(~[[2000年]])<ref name="hokuou"/>
* [[2000年]] - 帰国後、ノルウェー企業の日本支社に勤務。コミュニティー・サイト「ノルウェー夢ネット」を開設<ref name="hokuou"/>。
* [[2006年]] - 「ノルウェー夢ネット」主催による「ノルウェーについて学ぶサロン」で[[講師]]を務める。
* [[2007年]] - 「ノルウェー語レッスン&ホームサロン」を開講。[[通訳]]、執筆を行っている。
<!-- 本人サイト内のプロフィールの記載や Amazon「BOOK著者紹介情報」と矛盾がないことを確認 --2011年5月10日 -->
* [[2011年]] - 5月11日、ノルウェー[[大使館]]でのノルウェー語入門講座講師を務める<ref name="hokuou">{{cite web|url=http://hokuoucom.com/news/000111.html |title=「ノルウェー語にトライ!2011~日本人とノルウェー人による言葉の交流~」 |publisher=hokuoucom.com |accessdate=2013-06-08 }}</ref>。

==著書==
* わたしのノルウェー留学 ビネバル出版 2001年7月 ISBN 978-4434012037
* 語学王ノルウェー語 [[三修社]] 2003年8月 ISBN 978-4384050103 
* ゼロから話せるノルウェー語 三修社 2006年10月 ISBN 978-4384054552 
* ノルウェー語のしくみ [[白水社]] 2007年2月 ISBN 978-4560067758 
* ニューエクスプレスノルウェー語  白水社 2009年3月 ISBN 978-4560067994

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}

==外部リンク==
* [http://www.norway-yumenet.com/ ノルウェー夢ネット]

{{DEFAULTSORT:あおき しゆんこ}}
[[Category:ノルウェー語]]
[[Category:1968年生]]
[[Category:存命人物]]
{{language-stub}}
----
'''勉強の技術'''とは、米国の新興宗教団体である[[サイエントロジー]]の創始者の[[L・ロン・ハバード]]が体系化した勉強法のことである。1960年代にハバードは、なぜ生徒や学生が効果的に勉強することができないのか、その理由を調査し「勉強の技術(Study Technology)」を発表した。学ぶための原理原則を応用した勉強法で、高い理解力、応用力が養われるとされる。「勉強の技術」そのものには宗教色はない。

== 概要 ==
===勉強の技術とは===
「勉強の技術」とは、効率の良い学習を妨げているものを見つけ、対処し、理解するための方法。ハバードは、効率の良い学習を妨げているものを以下の3つ、
*'''質量(マス、実物)の欠如'''
*'''段階の飛び越し'''
*'''[[誤解語]](misunderstood word)'''
とし、これらを「[[勉強の障害]]、[[勉強の障害|勉強の壁]](Study barrier)」と呼んでいる。

学習者が勉強中これら「勉強の障害」にぶつかると、目が痛む、目が回る、退屈する、イライラするなど、それぞれの障害に特有の症状が現れる。それらの諸症状の原因発見法とその対処の術は「勉強の技術」の主要なものの一つである。ハバードが言うところの勉強の障害は、生まれついての中枢神経の働きの障害等によるものとされる[[学習障害]]とは、概念を異にするものである。

===技術の内容===
「'''勉強の技術'''」では、単語を完全に[[理解]]するために、辞書を多用する。また理解したことを確認したり、応用力をつけるために、小物や粘土を使って勉強していることを表現したりする。生徒の「[[誤解語]]」を見つけ、対処する方法である、ワード・クリアリングの技術は9つの方法がある。その一部が『基礎からわかる勉強の技術』で公開されている。

===技術の効果===
この技術の開発者ハバードによると「'''勉強の技術'''」を使って勉強をすることで、抜群の読み書き能力(Super Literacy) が達成されるという。それは、理解しながら抜群のスピードで何かを読むことができ、また本当に理解しているため、読んでいることを即実践に移せる能力だと言う。その能力は一つ一つの単語を概念として理解することで達成される。

「勉強の技術」は、人種、文化、経済、年齢、性別を越えて、効果があるとされ、学習障害の専門の対処法ではないが、近年では、ハリウッド俳優の[[トム・クルーズ]]が自らの[[学習障害]]の克服に使い効果を上げているといわれている。2009年1月トム・クルーズは、スペインの雑誌「XLセマナル」の中で、「誰も解決策をくれなかったけれど、大人になって、サイエントロジーの教育本を読んだことで完ぺきに読解ができるようになった」と語った。

2006年12月、この技術を使い[[発達障害]]と言われる子供たちをサポートする、沖縄のボランティアチーム「かかゆま」がNHKテレビの取材を受け、効果が上がっているとして、九州、沖縄地方でテレビ放映された。

==技術の採用==
現在、この「勉強の技術」は世界中の教育機関、企業、団体などで採用され広まっている。米国には、ハバードの「勉強の技術」を全面的に採用して生徒を教育している小中学校、高校が20以上あり、日本でも、この分野に関するハバードの著作の一部が翻訳され、出版されている。

==技術の習得==
世界的な規模でこの学習法の普及に携わっている非宗教組織に、Applied Scholastics International(アプライド・スカラスティックス・インターナショナル)があり、本部は米国[[ミズーリ州]]スパニッシュレイクに置かれ、世界に約200の支部を持つ。その日本支部が「[[日本使える学習法の会]](Applied Scholarstics Japan)」である。現在「日本使える学習法の会」において、技術指導、技術習得のためのコース提供が行われている。

== 参考文献 ==
{{参照方法|date=2013-6-5}}
*『親子で楽しむ学び方』 ISBN 9784931223240
*『学び方がわかる本』 ISBN 4931223222
*『基礎からわかる勉強の技術』 ISBN 4931223214

==関連項目==
*[[誤解語]]
*[[勉強の障害]]
*[[L・ロン・ハバード]]
*[[サイエントロジー]]
*[[学習障害]]
*[[発達障害]]

==関連人物==
*[[トム・クルーズ]]
*[[ジョン・トラボルタ]]

== 外部リンク ==
* [http://www.appliedscholastics.org/ Applied Scholarstics Internationalのホーム・ページ]
* [http://www.tsukaeru.org/ 日本使える学習法の会のホーム・ページ]

{{サイエントロジー}}
{{DEFAULTSORT:へんきようのきしゆつ}}
[[Category:学習]]
[[Category:サイエントロジー]]
----
{{Portal クラシック音楽}}
'''トレメディア音楽出版社'''(Tre Media Musikverlage)とは、[[ドイツ]]の[[カールスルーエ]]にあった[[現代音楽]]の[[出版社]]。

== 概要(2010年以前) ==
当初は[[ミュンヘン]]にあったEdition Modernを母体としていたが、[[1993年]]頃に事務所を[[カールスルーエ]]に移してからはディレクターがフリードリケ・チンマーマンに入れ替わり、新規に作曲家と契約(または再契約)する形で営業していた。

Edition Modern時代の作曲家はもちろんのこと、2000年代は日本人作曲家や若手作曲家の獲得にも意欲を示していた。[[ブライトコプフ・ウント・ヘルテル|ブライトコプフ]]から契約が切れることになった[[フォルカー・ハイン]]、[[ヨルク・ヘルヘット]]、[[クラウス・K・ヒュープラー]]の3人を迎えたのは、この出版社の株を上げることに繋がった。カタログには[[マイケル・フィニスィー]]、[[篠原眞]]、[[松平頼暁]]、[[メシアス・マイガシュア]]、[[ユルク・ヴィッテンバッハ]]、[[エルンシュタルブレヒト・シュティーブラー]]といった大家たちも名を寄せた。

現在では古典作品のリバイバル校訂譜などの出版も併行している。楽譜の表紙は、全て[[緑]]一色で、実用を考慮して片面コピーで売られていたものもあった。

== 概要(2010年以後) ==
[[2010年]][[9月1日]]から[[リコルディ・ミュンヘン]]出版社に営業ごと吸収合併された。主な原因は、看板作曲家の逝去と見られる。これは、[[メック出版社]]が[[マンハイム音楽出版社]]と名を変えて、リコルディ・ミュンヘンに吸収されたのと、全く同じ経緯である。2011年以降は、[[フランクフルトブックメッセ]]からトレメディアのブースがなくなり、リコルディ・ミュンヘンのブースに組み入れられることが確定している。かつてトレメディアとの提携を表明していたEdition HHは、リコルディからの吸収を免れた。

出版社そのものは無くならないが、新刊の発売は全てリコルディが権限を持つ。

== 外部リンク ==
*[http://www.tremediamusicedition.com 元公式サイト]
*[http://www.ricordi.de 公式サイト]

{{DEFAULTSORT:とれめていあおんかくしゆつはんしや}}
[[Category:楽譜出版社]]
[[Category:ドイツの出版社]]
----
{{Portal クラシック音楽}}
'''日独現代音楽演奏会'''(にちどくげんだいおんがくえんそうかい)は、かつて[[東京ドイツ文化センター]]と[[関西ドイツ文化センター]]を中心に毎年行われていた演奏会で、原則的にはドイツの作曲家を招待し、レクチャーとコンサートが催されるイベントであった(どちらか片方のみのこともあった)。

1980年代より[[京都ドイツ文化センター]]が単独で行う形となり、それでも故[[稲垣静一]]の尽力により毎年行われていた。時には[[1997年]]に個人的に来日していた[[ヴァルター・ツィンマーマン]]を招待してレクチャーを行うなど、[[京都ドイツ文化センター]]の非常に懐の深いもてなしが話題となった。時には[[ティニー・ウィルツ]]、[[ヘルベルト・ヘンク]]、[[シュテファン・シュライエルマッヒャー]]のピアノリサイタルを単独で開催することもあった。日本のピアニストの[[藤島啓子]]と[[徳岡紀子]]もこの演奏会に深く関っており、演奏を披露した。

[[2005年]]現在では稲垣静一の逝去により、この演奏会が存続するかどうかは不明である。今までに招聘された作曲家には[[ニコラウス・A・フーバー]]、[[マウリツィオ・カーゲル]]、[[ヤン・ミュラー=ヴィーラント]]、[[ヴァルター・ツィンマーマン]]、[[ヤーコプ・ウルマン]]、[[ルツ・グランディエーン]]、[[トビアス・PM・シュナイト]]、[[ハンス=ユルゲン・フォン・ボーゼ]](但し彼は病欠)、[[ゲルハルト・シュテープラー]]、[[フォルカー・ハイン]]、[[シュテファン・シュライエルマッヒャー]]、[[ラインハルト・フェーベル]]、[[ロルフ・リーム]]、[[ディーテルム・ツクマンテル]]、[[ヴォルフガング・リーム]]、[[マティアス・シュパーリンガー]]、[[コーネリアス・シュヴェアー]]、[[ヨルク・ヘルヘット]]、[[ロベルト・HP・プラッツ]]、[[フリードリヒ・ゴルトマン]]、[[ニコラウス・リヒター・デ・フロー]]などがいる。

{{DEFAULTSORT:にちとくけんたいおんかくえんそうかい}}
[[Category:ドイツの音楽]]
[[Category:現代音楽]]
[[Category:クラシック音楽のコンサート]]
[[Category:日本の音楽イベント]]
{{Classic-stub}}
{{BD-stub}}
----
{{Portal クラシック音楽}}
'''シュトゥットガルト楽派'''とは、1980年代からヘルムート・ラッヘンマンの元に何らかの形で集った作曲家の総称である。よく[[フライブルク楽派]]と比較される。

== 概要 ==
[[1990年代]]に[[クラウス-シュテファン・マーンコプフ]]が[[ヘルムート・ラッヘンマン]]に吹っかけた長く激しい論争にその発端を持ち、結果的には[[フライブルク楽派]]に対して [[シュトゥットガルト]]で学んだ、又は在住の[[作曲家]]に付けた総称とみなされた。「最初からどうして、そんなに楽譜が難しいのか、そんな難しい譜面を読む必要があるのか、いったいいつまで練習するのか」、といった問題が発端である。

フライブルク楽派と違うのは[[クラウス・フーバー]]のような一人の作曲家の門下によってもたらされたのではなく、複数の作曲家とその門下の総称をなす点にある。勿論ラッヘンマン本人はこのような楽派分類を、好ましいものとは思っていない。[[ラッヘンマン]]はインタビューにて「『私から影響を受けた』という若手作曲家を見ると、とてもがっかりします」と述べた{{要出典|date=2011年3月}}。

== 歴史 ==
基礎は[[1960年代]]の[[シュトゥットガルト音楽大学]]の[[電子音楽]]スタジオ創設者の[[エアハルト・カルコシュカ]]と其の門下の現在の[[フライブルク音楽大学]]教授の[[マティアス・シュパーリンガー]]らによって築かれ、次の[[ミルコ・ケレメン]]とその弟子の[[アドリアーナ・ヘルツキー]]や[[フランツ・ヨッヘン・ヘルフェルト]]、[[スザンネ・エアディンク-スヴィリドフ]]達が続いた。

{{DEFAULTSORT:しゆとうつとかるとかくは}}
[[Category:現代音楽]]
[[Category:シュトゥットガルト]]
----
{{Portal クラシック音楽}}
'''フライブルク楽派'''とは、[[1980年代]]の[[ブライアン・ファーニホウ]]の台頭と共に、[[ダルムシュタット]]などで[[フライブルク・イム・ブライスガウ|フライブルク]]の[[クラウス・フーバー]]門下がにわかに脚光を浴び、紹介された[[作曲家]]集団の総称。

== 概要 ==
ラジオや雑誌などで今日一般的に使われている。特定のものの考え方や技法・様式などはないが、[[ブライアン・ファーニホウ]]をはじめ[[リズム]]や[[微分音]]・[[拍子]]などが[[シュトゥットガルト楽派]]に対して複雑な傾向にある。結果的にはファーニホウがこれらの細分化を極端に推し進め、[[新しい複雑性]]と呼ばれる新たな潮流を生み出した。

この楽派に近い[[現代音楽]]をフォローする為、[[アンサンブル・アヴァンチュール]]、[[アンサンブル・ルシェルシュ]]、[[アンサンブル・モデルン]]、[[アンサンブル・オリオール]]などが創設され、活発な新作発表を行った。

== メンバー ==
主なメンバーに、日本の[[細川俊夫 (作曲家)|細川俊夫]]をはじめ[[ブライアン・ファーニホウ]]、[[ヴォルフガング・リーム]]、[[クラウス・シュテファン・マーンコプフ]]、[[たかの舞俐]]、[[エルンスト・ヘルムート・フラマー]]、フーバーの妻の[[ヨンギー・パクパーン]]、[[ベルンフリート・G・プレーベ]]、[[ヨハネス・シェルホルン]]、[[藤井喬梓]]、[[ゲラルト・エッケルト]]、[[ミヒャエル・ロイデンバッハ]]、[[マーク・オズボーン]]などがいる。

[[Category:現代音楽|ふらいぶるくがくは]]
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{{Portal クラシック音楽}}
'''ポスト・セリエル'''とは1950年代終盤に現れた、文字通り[[セリエル音楽]]のあとに来た[[現代音楽]]の一形態である。

== 概要 ==
=== 前期 ===
当初は[[ヤニス・クセナキス]]、[[リゲティ・ジェルジュ|ジェルジ・リゲティ]]、[[ルチアーノ・ベリオ]]、[[マウリツィオ・カーゲル]]、[[クシシュトフ・ペンデレツキ]]、[[ハインツ・ホリガー]]などの[[作曲家]]が含まれていた。[[トータル・セリエリズム]]的音響は受け継ぎつつも、繰り返しを徹底的に否定するという思想にはあまりこだわらず、十二音化の秩序付けや厳格なメソッドは棄てられ、[[音群作法]]、[[トーン・クラスター|クラスター]]や、その一種である[[ミクロポリフォニー]]、また[[微分音]]、[[雑音]]、非楽音などのセリエルとは異なった様々な要素の導入が図られた。これらを効果的に用いることで、彼らの音楽は「[[音響作曲法]]」とも呼ばれるようになった。それぞれの個性的なアイディアの進化に目が向けられ、また場合によってはセリエルの構成法を自由で柔軟な方法で用いて音楽が書かれた。これらはいずれも、硬直化した[[トータル・セリエリズム]]が陥った限界を乗り越え、音響に多様性を与えようとする試みであった。

1960年代のヨーロッパの現代音楽はほぼ、このポスト・セリエルの影響に支配され、セリー音楽の正統な訓練をつんでいないものもこの様式で作曲したために、定義が曖昧で一種の無法状態に陥ったことは否定できない。この無秩序状態に対抗する形で[[ミニマル・ミュージック|ミニマリズム]]や[[チャンス・オペレーション]]、[[偶然性の音楽|偶然性]]などアメリカ実験音楽のイディオムが当時は対抗する存在であった。

=== 後期 ===
その混沌の中で、ダルムシュタット語法を正確に受け継いだ作曲家として[[ヘルムート・ラッヘンマン]]と[[ブライアン・ファーニホウ]]の二人が頭角をあらわした。彼らは、音列化の秩序付けや厳格なメソッドを棄てたかわりに、それぞれの[[パラメーター]]の発展と変容化だけに目を向けた。前者は[[特殊奏法]]による[[音色]]の発展と拡大によって[[ホモフォニー]]性も[[ポリフォニー]]性も否定し、後者は複雑な[[リズムポリフォニー]]を使った音価の発展に目を向けた。この二人の音楽は強力であり影響力も衰えていない。

晩年の[[ノーノ]]はセリエル技法を捨て、[[微分音]]を16分の1音まで細かく追求したが、音響作曲法的に点的に作曲する態度は変わっておらず、セリエルな感覚の作曲に徹していたという意見も見られる。これも、ポスト・セリエルの一種の進化形である。

== 受容 ==
重箱の隅をつつくようなこう言った作曲技法は、人間の耳にもすでに限界に達したと言う意見が現在多数を占めつつある。トータル・セリエルやポスト・セリエルを経験しない若い作曲家が特に日本では多くなったためであろう。

{{作曲}}
{{DEFAULTSORT:ほすとせりえる}}
[[Category:現代音楽]]
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{{Portal クラシック音楽}}
'''ポスト・ファーニホウ'''は、[[ブライアン・ファーニホウ]]に続く作曲技法、作曲様式、並びに作曲家を指す。本稿では[[新しい複雑性]]が、流行になった以後の展開を扱う。

== ドイツの受容 ==
[[クラウス・K・ヒュープラー]]と[[クラウス・シュテファン・マーンコプフ]]、及び[[ロベルト・HP・プラッツ]]の三者が、ドイツにおけるポスト・ファーニホウの代表的人物である。ただし、プラッツはその作風から、本当にポスト・ファーニホウに分類されうるのか依然として見解が分かれている。ヒュープラーとプラッツは[[クラーニヒシュタイン音楽賞]]の受賞者であり、早熟だったマーンコプフは「既に完成されており受賞する必要もない」ということで、26歳の若さで[[ダルムシュタット夏季現代音楽講習会]]の講師に抜擢された。

===クラウス・K・ヒュープラー===
ポスト・ファーニホウで一番成功していたのは、1980年代当時、[[ミュンヘン]]出身の[[クラウス・K・ヒュープラー]]と言われ、[[ブライアン・ファーニホウ|ファーニホウ]]の直弟子である。パラメータの分離に対する興味が人一倍強く、弦楽四重奏曲第3番『弁証法的幻想』(1982年 - 1984年)にて演奏する譜面を極度に合理的に、完全に独立したパラメータに分けて書く方法を考案した。しかしこのアイディアはわかりやすい反面、演奏家にとって読譜が極端に難しく、ヴァイオリン・ソロでも音高・強弱・音の長さ・音色などと最低4段の譜面を同時に読むため、事実上演奏不可能な作品とされている。

本人は1990年代に入ってから重い病気に侵され、作曲活動が困難になり新作の発表がほとんどできなくなったが、1995年頃に完治した後はカムバックし、[[トレメディア音楽出版社]]から作品を出版し続けている。演奏の困難さは相変わらずで、指揮者の[[シルヴェン・カンブルラン]]は「ヴァニタス」(2002年)を振ることが出来ず、[[ハインツ・ホリガー]]に代わってもらった。

恐らく元来「ポスト・ファーニホウ」という分類は、ファーニホウの技法の延長線上を追求する人々を指していたはずであり、最もその原義に近い活動を行ったものがヒュープラーである。しかし、次第にポスト・ファーニホウとは彼からの影響を直接に蒙る人々を指し始めた。

===クラウス・シュテファン・マーンコプフ===
ヒュープラーが病気でリタイヤするのと入れ替わるように[[クラウス・シュテファン・マーンコプフ]]がいくつかの国際コンクールで地道に入賞を重ね、3度目のノミネートにてガウデアムス大賞に輝いた後は、ポスト・ファーニホウが世界的な認知を獲得し、多くの模倣者を生むこととなった。彼の創作歴はヒュープラーのようなパラメータ化を推し進める実験とは無縁で、専らファーニホウ的書法をいかに特殊な[[楽器法]]で彩色するか、といった問題に留まった。確かにその延長線上でピーター・ヴィールのような[[オーボエ]]奏者とのコラボレーションのような実りこそあったものの、「ファーニホウそっくり」の譜面はダルムシュタット講習会内部でも大きな議論を呼んだ。

===ロベルト・HP・プラッツ===
もはやポスト・ファーニホウとは何ら関りを持っていなさそうに見える[[ロベルト・HP・プラッツ]]だが、複雑性についての文章を1990年に寄稿し、ヒュープラーの作品を指揮し、また彼のソロアルバムに推薦文を書くなど、この傾向と触れ合った経歴を持つ。[[ポスト・セリエル]]の最優秀の嫡子と見られていた彼も、1980年代後半からは「フォーム・ポリフォニー」と呼ばれる複数の作品の同時演奏を厳密にコントロールする作曲法を編み出した。一つ一つの作品の密度はそれほど複雑ではなくても、複数の作品を組み合わせることで、ポスト・ファーニホウに劣らないほどに聴取は困難となる。複数の作品の同時演奏はそれほど新しい方法ではなかったが、「作品同士の音組織の交換」や「組み合わせの対位法」という認識を示したのは彼だけである。ファーニホウの作品で多く見られる多重非合理音価を独奏者に無理に課さず、複数の作品に分担させたと解釈することもできる。複数の作品を長大な連作のように扱う傾向は[[リチャード・バーレット]]と共通する。

[[ドナウエッシンゲン音楽祭]]で初演された“ANDERE RÄUME/nerv II/TURM/WEITER/Echo II”は5作品が自由にコラージュされ、一つの作品が他の作品のすかし模様のような働きを担うこともある。彼は「日本の伝統文化から多くのヒントを得た」ということである。なお、“TURM”の演奏時間は1.25秒であり、演奏可能な限り最大限の音符を詰め込んだ全1小節の作品である。

== オーストリアの受容 ==
[[オーストリア]]では[[ヴォルフラム・シュリッヒ]]ただ一人がポスト・ファーニホウの書法を継承し、現在もコックスやマーンコプフとの共著を出版中である。

== イギリスの受容 ==
[[ジェイムズ・ディロン]]、[[クリス・デンク]]、[[リチャード・バーレット]]、[[ジェイムズ・クラーク]]は全てイギリス人の作曲家の[[クラーニヒシュタイン音楽賞]]受賞者である。これに縁のない作曲家でも[[ジェイムズ・アーバー]]、[[マーク・R・テイラー]]、[[ジョナサン・パウエル]]、[[アンドリュー・トゥヴィー]]、[[ジェイムズ・サンダース]]、[[サム・ハイデン]]、[[ポール・フィッティー]]等の作曲家もポスト・ファーニホウとして扱われた経歴を持つ。これ以外にも影響を直接受けた作曲家が多く、1980年代のファーニホウの作風はイギリスの音楽界を塗り替えていくほどの勢いがあった。しかし、当時の勢いを携えたまま21世紀に入っても質を維持している作曲家は少なく、ポスト・ファーニホウの限界を見切って転向するものも多い。[[イアン・ペイス (ピアニスト)|イアン・ペイス]]、[[ニコラス・ハッジス]]、[[ジェイムズ・クラッパトン]]、[[マーク・クヌゥプ]]、[[ジョナサン・パウエル]]等の優れたピアニスト達が、これらの作曲家を支援したことも重要である。

== アメリカの受容 ==
ファーニホウはアメリカに移住した後、まずは[[カリフォルニア州|カリフォルニア]]の[[サンディエゴ]]で教えた。このことがサンディエゴ分校の校風を塗り替えるきっかけとなり、[[マーク・オズボーン]]、[[ハヤ・チェルノヴィン]]、[[フランク・コックス]]といった直弟子がこのスタイルの影響をまず被った。3人ともクラーニヒシュタイン音楽賞の受賞者である。直弟子以外でも[[アーロン・キャシディー]]、[[エリック・ウルマン]]、[[ジェイソン・エッカルト]]、[[マイケル・エドガートン]]などの作曲家は何らかの形でファーニホウのスタイルを参照した痕跡があり、これらの作曲家は自らの音楽が複雑であることを公に認めている。アメリカでは2005年にファーニホウの「想像の牢獄」の全曲のアメリカ初演が行われた。

== イタリアの受容 ==
ファーニホウの直弟子の[[アレッサンドロ・メルキオーレ]]を始めとする[[イタリア]]の戦後世代の作曲家は、ポスト・ファーニホウと呼ばれるスタイルの者はイギリスやアメリカほど見られない。確かに[[アルベルト・カプリオーリ]]、[[カルロ・アレッサンドロ・ランディーニ]]、[[フェルナンド・メンケリーニ]]、[[マリオ・ガルーティ]]、[[ジョルジョ・ネッティ]]の楽譜の外観は時として驚く程複雑ではあるが、ポスト・ファーニホウであることを公に認めるものは恐らく一人もいないと思われる。ただ、時期的にはファーニホウがデビューして以後の展開であることは間違いなく、間接的な影響は認めざるを得ない。ファーニホウの「レンマ・アイコン・エピグラム」と「超絶技巧練習曲集」は[[ヴェネツィア]]で世界初演されていることもあり、日本やロシアよりは受容が早い。

楽譜の外観はシンプルでも極限の速度に執着する[[エマニュエレ・カサーレ]]の諸作品は、間違いなくファーニホウ以後の展開を咀嚼した上で成立している。

== フランスの受容 ==
クラーニヒシュタイン音楽賞の受賞者である[[マーク・アンドレ]]と、受賞者の[[イザベル・ムンドリー]]をパートナーに持つ[[ブリス・ポゼ]]の2人は、フランス出身でありながらドイツの音楽シーンに深く関わったため、結果としてポスト・ファーニホウ的な複雑な書法を譲り受けることとなった。アンドレは[[ヘルムート・ラッヘンマン]]にも師事しており、極度に宗教的な[[終末論]]的な曲や低音の醜さをクローズアップする曲が多く、いわゆるフランスの[[プロテスタント]]、[[ユグノー|ユグノー教徒]]であり、それ無くしては彼自身の音楽は成立し得ない。[[ブリス・ポゼ]]の書法は「中世の技法を参照した」カノン的様相が特徴だが、ポゼの師の[[アラン・バンキャール]]からの影響を[[微分音]]の用法に見出すことができる。ポゼは[[バロック音楽|バロック]]以前の音楽史に大変詳しく、卓越した[[チェンバロ|ハープシコード]]奏者でもある。

==ロシアの受容==
ロシアではこの作風からの直截な影響を受けた者は少ないが、中には[[ヴァディム・カラシコフ]]のように極度に難解な楽譜を書くことに専念する者もいる。21世紀に入り、情報解禁の進んだロシアでは学生時代からファーニホウにトライする演奏家も増え続けていることが、youtubeから確認できる。

==日本の受容==
1990年代になってから、他国のポスト・ファーニホウの作曲家たちの成果が日本に伝えられると、当然の結果として日本でも影響を見い出すようになった。「1990年代が世界的にポスト・ファーニホウの潮流が流行した時代だ」と事実誤認した日本人の評論家もいたほどであった。このことは、日本人のファーニホウ理解がヨーロッパの標準からいくぶん外れていた事を明白にしている。

[[福井とも子]]の「弦楽四重奏曲第4番」は、彼女の創作の中でファーニホウやヒュープラーの影響が鮮明な唯一の例外と思われる。しかし全ての楽器が一致に向かう構成は驚くほど伝統的であり、これはヒュープラーが目指した伝統的な構成感の破棄と結びつかない。[[川島素晴]]は「夢の構造第2番」で第2期のファーニホウを参照していたが、ファーニホウの書法の欠陥を客観的に指摘できるようになってからは、「演奏行為の連結」といった別の方向へ関心を移した。[[山口淳]]の一時期の作品も、ファーニホウやヒューブラーの作品のような複雑性に満ちていたが、日本の伝統音楽の影響から音の余韻を聞き込む態度に執心するようになり、この路線から離れた。

第3世代からやや遠く離れた1983年生まれの[[木山光]]は、[[ジャングル (音楽)|ジャングル]]や[[テクノ]]などのリズム感をファーニホウ的書法とブレンドし、極度に演奏の困難なピアノ作品を書いた。この音像は初代[[秋吉台国際20世紀音楽セミナー&フェスティバル|秋吉台]]世代では、導くことが出来なかった。

== 韓国の受容 ==
近年の[[大韓民国|韓国]]人の若手も「ファーニホウの影響下の模倣に終始する者がいて、大変残念だ」と[[ヨンギー・パク・パーン]]がコメントしていた。数年ほど前に「ブライアン」というピアノ組曲を作曲したファーニホウの直弟子がいることが、[[延世大学]]のwebで確認できる。そのほか現在ドイツ在住の[[クンス・シム]]も[[シュトゥットガルト]]の[[ラッヘンマン]]に弟子入りする前の作品に独自の超ファーニホウ様式を作曲していたが、[[エッセン]]に移り友人[[ゲルハルト・シュテーブラー]]と一緒に生活するに従って、[[ヴァンデルヴァイザー楽派]]に加入し、[[ケージ]]や[[フェルドマン]]の傾向を加味した「ポスト・ヴァンデルヴァイザー」と呼べる様式に移ってきた。

== 追記 ==
これらは数多かったポスト・ファーニホウの氷山の一角に過ぎない。ここまで読んだ者は、[[クラーニヒシュタイン音楽賞]]という単語が頻出することにうんざりした人もいるだろう。つまりポスト・ファーニホウは、[[ダルムシュタット夏季現代音楽講習会]]の存在抜きには語れない流行の一つだったといえる。

講師陣の面子が変わったことに伴い、2009年現在の[[ダルムシュタット夏季現代音楽講習会]]では複雑性を標榜する作曲家の数は多くない。ただし、かつてのダルムシュタットの常連であった[[ハヤ・チェルノヴィン]]がアカデミー・シュロース・ソリチュードで教鞭をとっており、別の場所でこの潮流が延命されている印象は受ける。

== 参考文献 ==
*Cox, Frank. 2002 "Notes toward a Performance Practice for Complex Music." In ''Polyphony and Complexity'', edited by Claus-Steffen Mahnkopf, Frank Cox, and William Schurig, 70–132. Hofheim: Wolke-Verlag. ISBN 3936000107
*Fox, Christopher. 2001. "New Complexity." ''The New Grove Dictionary of Music and Musicians'', ed. S. Sadie and J. Tyrrell. London: Macmillan.
*Toop, Richard. 1988. "Four Facets of the 'New Complexity'". ''Contact'' no. 32:4–8.
*Wolke Verlagから刊行されている「21世紀の新しい音楽と美学」シリーズで紹介される作曲家は、ほぼ新しい複雑性の同人オンリーである。
** Vol. 1: Polyphony & Complexity (2002)
** Vol. 2: Musical Morphology (2004)
** Vol. 3: The Foundations of Contemporary Composing (2004)
** Vol. 4: Electronics in New Music (2006)
** Vol. 5: Critical Composition Today (2006)
*Boros, James. 1994. "Why Complexity? (Part Two) (Guest Editor's Introduction)". ''Perspectives of New Music'' 32, no. 1 (Winter): 90-101.
*Friedl, Reinhold. 2002. "Some Sadomasochistic Aspects of Musical Pleasure". ''Leonardo Musical Journal'' 12:29-30.
*Marsh, Roger. 1994. "Heroic Motives. Roger Marsh Considers the Relation between Sign and Sound in 'Complex' Music". ''The Musical Times'' 135, no. 1812 (February), pp. 83-86.
*Redgate, Christopher. 2007. "A Discussion of Practices Used in Learning Complex Music with Specific Reference to Roger Redgate's ''Ausgangspunkte''". ''Contemporary Music Review'' 26, no. 2 (April) 141–49.
*Toop, Richard. 1993. "On Complexity". ''Perspectives of New Music'' 31, no. 1 (Winter): 42-57.
*Truax, Barry. 1994. "The Inner and Outer Complexity of Music". ''Perspectives of New Music'' 32, no. 1 (Winter): 176-193.
* Ulman, Erik. 1994. "Some Thoughts on the New Complexity". ''Perspectives of New Music'' 32, no. 1 (Winter): 202-206.

{{DEFAULTSORT:ほすとふああにほう}}
[[Category:現代音楽]]
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{{競走馬
|名 = キョウワダイキチ
|画 = 
|説 = 
|英 = {{lang|en|Kyowa Daikichi}}
|性 = [[牡馬|牡]]
|色 = [[栗毛]]
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}}
'''キョウワダイキチ'''は[[日本中央競馬会]] (JRA) に登録されていた[[競走馬]]。引退後は[[鹿児島県]]にある[[協和牧場]]鹿児島分場で[[種牡馬]]として繋養された。競走馬時代の[[騎手]]は[[佐藤哲三 (競馬)|佐藤哲三]]がおもに務めた。

== 経歴 ==
=== 競走馬時代 ===
[[アメリカ合衆国]]で生産された本馬は[[中央競馬]]では[[外国産馬]]として扱われた。[[1998年]]、[[馬齢|旧4歳時]]の3月のデビュー戦は18頭立ての12着と大敗したが、[[投票券 (公営競技)#単勝式|単勝]]10番[[人気]]の評価であった2戦目の未勝利戦にて初勝利を挙げた。以降は[[1999年]]と[[2000年]]に1勝、[[2001年]]に2勝をそれぞれ挙げている。このうち3勝が[[ステークス方式|特別競走]]である。

全38戦中26戦で掲示板に載る(5着以内に入る)など堅実な走りをみせ、最終的には[[日本の競馬の競走体系#中央競馬|1600万円以下条件]]まで昇級した。オープン馬にはなれなかったが、[[中央競馬のオープン特別競走|オープン特別競走]]のアンドロメダステークス(5着)と米子ステークス(6着)に格上挑戦をしている。[[2002年]]6月の出走を最後に日本中央競馬会の競走馬登録を抹消され、引退した。抹消事由は「乗馬」であった<ref>{{Cite journal|和書|publisher=日本中央競馬会|journal=[[優駿]]|year=2002|month=10|page=142|title=登録抹消馬リスト}}</ref><ref>{{Cite news|date=2002-08-17|title=[お別れ]競馬|page=12|language=日本語|newspaper=[[スポーツニッポン]]|publisher=スポーツニッポン新聞社}}</ref>。

=== 種牡馬時代 ===
8歳となった[[2003年]]より馬主が所有する協和牧場鹿児島分場で種牡馬となった。[[日本軽種馬協会]]のデータベース<ref name="jbis">{{Cite web|url=http://www.jbis.or.jp/horse/0000298967/sire/generation/thorough_s/|title=キョウワダイキチ(USA) 種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)|work=JBIS-Search|publisher=日本軽種馬協会|accessdate=2012-03-05}}</ref>によれば、初年度は3頭に[[種付け]]し2頭の産駒が誕生。2004年と[[2005年]]にも種付けを行ったが産駒はいない。

2005年の繁殖シーズン後に死亡<ref name="jaris">{{Cite web|url=http://www.jairs.jp/contents/tokei/tokei_pdf/05-13.pdf|title=2005年供用停止種雄馬一覧|format=PDF|page=1|publisher=[[ジャパン・スタッドブック・インターナショナル]]|accessdate=2012-03-05}}</ref>。遺された産駒は2頭とも競走馬になったが、中央競馬では未勝利に終わり、[[地方競馬]]でも1勝を挙げるにとどまった<ref name="jbis" />。唯一の勝ち馬となったダイキチヘイローは[[キングヘイロー]]の[[競走馬の血統#競走馬の血縁関係|半妹]]にあたるクィーンヘイローとの仔であり<ref>{{Cite web|url=http://www.jrha.or.jp/select/2009/pj216.pdf|title=クィーンヘイローの2009|format=PDF|work=|publisher=日本競走馬協会|accessdate=2012-03-05}}</ref>、2008年1月に[[荒尾競馬場]]で行われた[[九州産馬]]による[[重賞]]の[[霧島賞]]では2着に入っている<ref>{{Cite web|date=2008|url=http://www.araokeiba.com/race/koba/kirishima/2008/horse.html#22|title=霧島賞特集|publisher=荒尾競馬組合|accessdate=2012-03-05}} {{リンク切れ|date=2012年6月}}</ref>。

== 血統表 ==
{{競走馬血統表
|name = キョウワダイキチ
|inf = [[ミスタープロスペクター系]]/[[ネアルコ|Nearco]] 5×5×5=9.38%、[[ハイペリオン (競走馬)|Hyperion]] 5×5=6.25%
|f = [[ミスタープロスペクター|Mr. Prospector]]<br />1970 鹿毛
|m = Miss Brio<br />1984 鹿毛
|ff = [[レイズアネイティヴ|Raise a Native]]<br />1961 栗毛
|fm = [[ゴールドディガー|Gold Digger]]<br />1962 鹿毛
|mf = [[セメネンコ|Semenenko]]<br />1973 黒鹿毛
|mm = Miss Eva<br />1977 栗毛
|fff = [[ネイティヴダンサー|Native Dancer]]
|ffm = Raise You
|fmf = [[ナシュア (競走馬)|Nashua]]
|fmm = Sequence
|mff = [[ヴェイグリーノーブル|Vaguely Noble]]
|mfm = Carrozza
|mmf = Con Brio
|mmm = Apolinea
|ffff = [[ポリネシアン (競走馬)|Polynesian]]
|fffm = Geisha
|ffmf = Case Ace
|ffmm = Lady Glory
|fmff = [[ナスルーラ|Nasrullah]]
|fmfm = Segula
|fmmf = [[カウントフリート|Count Fleet]]
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|mfff = *[[ヴィエナ]]
|mffm = Noble Lassie
|mfmf = [[ダンテ (競走馬)|Dante]]
|mfmm = Calash
|mmff = [[リボー|Ribot]]
|mmfm = Petronella
|mmmf = Coppersmith
|mmmm = Airacobra [[ファミリーナンバー|F-No.]][[8号族|8-g]]
|}}
=== 血統背景 ===
[[ファミリーライン|母系]]は日本ではめずらしい[[南アメリカ]]産馬の血統で、母のミスブリオは[[チリ]]でチリ1000ギニーとアルトゥーロリヨンペーニャ賞、アメリカ合衆国で[[ゴーフォーワンドハンデキャップ|マスケットステークス]]<ref>{{Cite journal|和書|author=|title=海外ニュース『海外主要競走一覧』|year=1989|month=11|journal=優駿|page=121|publisher=日本中央競馬会}}</ref>の合計3つの[[競馬の競走格付け|G1]]競走を勝った馬であり、そのほかの近親馬にも叔母のマリアカンデラ([[エルダービー]]、チリオークスなど)、叔母のプライベートステータス([[アシュランドステークス]]3着)、その仔で当馬の姪にあたるシークレットステータス([[ケンタッキーオークス]]、[[マザーグースステークス]])といった活躍馬がいる。

== 脚注 ==
{{Reflist}}

== 外部リンク ==
* {{競走馬成績|netkeiba=1995108554|yahoo=1995108554|jbis=0000298967}}

{{DEFAULTSORT:きようわたいきち}}
[[Category:1995年生 (競走馬)|日きようわたいきち]]
[[Category:2005年没]]
[[Category:サラブレッド]]
[[Category:アメリカ合衆国生産の競走馬]]
[[Category:日本調教の競走馬]]
[[Category:日本供用種牡馬]]
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野上信幸(1976年8月24日 - )は、長崎県長崎市出身の[[音楽家|ミュージシャン]]、[[ディスクジョッキー|DJ]]、[[映像作家|ムービークリエイター]]、[[調理師|料理人]]、[[ビジネスマン]]。所属はフリー。現在は自らのホームページ、[[YouTube]]および[[iTunes Store]]での楽曲販売などのインターネット上での活動を主としている。本名同じ。

== 来歴 ==
幼少の頃から非常に活発で出たがりな性格で、非凡なリーダーシップを発揮していたが、運動よりも芸術分野の才能に溢れ音楽・美術の成績は常に上位であった。学芸会等のイベントの際には常に先陣を切り、自ら脚本・演出・監督・主演を務める事もしばしばあった。スポーツは水泳、サッカーをたしなみ、小学生の時には正GKとして活躍するが、[[長崎県立長崎北高等学校]]進学時、スポーツの才能には見切りを付け、オーケストラ部に入部。本格的に音楽の道へとシフトする。高校1年時にはチェロを担当、2、3年時にはテナーサックスを担当。また、応援団長も兼任し、花園ラグビー場でエールを切った事もあった。高校卒業間際には当時流行していた[[HR/HM]]のコピーバンドを結成。ジャパニーズメタルを中心に歌いライブデビューを果たした。長崎北高校は県内随一の進学校だったが、全く勉強しなかったため、当然大学入試は失敗。『日本一厳しい予備校』との呼び声高い[[北九州予備校]]で二浪する事となる。この頃、周りに耳の肥えた友人が多数おり、また自宅にケーブルテレビも導入したため音楽的趣向が一気に広がり、音楽センスもブラッシュアップされた。満を持して[[明治学院大学]]に進学。メジャーデビューを志しヴォイストレーニングに通うも、趣向の雑食さゆえに自分のやりたい音楽の方向性がつかめずにいたが、ある日[[BOOM BOOM SATELLITES]]を聴き衝撃を受け、ロック的なアプローチのクラブミュージックに狙いを定め、すぐに[[サンプラー]]・[[シーケンサー]]を買いそろえトラック制作に着手する。2000年(大学4年時)クラブイベント『Cross Over』を立ち上げ下北沢 BASEMENT BAR、下北沢CLUB QUEにてイベント開催。3回のイベントで平均動員数50名。2001年 [[ポストロック]]バンド『lull』を結成し、下北沢、新宿を中心にライブ活動を展開し、各方面で一定の評価を得るも2004年末に脱退しソロへ転向。現在に至る。

== ディスコグラフィー ==
=== ミニアルバム ===
* 2005年4月 '''acoustica'''
* 2006年4月 '''Tricolore e.p.'''

=== アルバム ===
* 2007年5月 '''marble'''

== アーティスト名義 ==
* ノガミノブユキ ロックプロジェクト
* 野上 信幸 ポップスプロジェクト
* NN ELECTRONICA/IDMプロジェクト

== 外部リンク ==
* [http://nogaminobuyuki.com nogaminobuyuki.com]
* [http://www.youtube.com/user/nogaminobuyuki nobutube]
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{{Infobox animanga/Header
| タイトル = 永遠の旅人<br />マンガで見る幸福の科学2
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|ジャンル=[[宗教]][[思想]]・[[スピリチュアル]]
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{{Infobox animanga/Manga
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| 作者 = 原作・監修 [[大川隆法]]
| 作画 = [[A-Line|橋本和典]]
| 出版社 = [[幸福の科学出版]]
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| 巻数= 全1巻
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|その他= ISBN 978-4-87688-186-4<br />[http://www.irhpress.co.jp/detail/html/P0042.html 漫画『永遠の旅人』]
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{{Infobox animanga/RadioDrama
|メディア=FM・AM 35局
|タイトル=「ラジオドラマ永遠の旅人」
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『'''永遠の旅人'''』(えいえん の たびびと)とは、「幸福の科学」の漫画。[[1993年]]単行本書き下ろしコミック。

== 概要 ==
『'''永遠の旅人'''』とは、[[1993年]]1月に[[幸福の科学出版]]から単行本書き下ろしで発刊された「幸福の科学」の漫画。「マンガで見る幸福の科学」シリーズの2巻目として企画され、幸福の科学の教義[[仏法真理]]のひとつ「霊的人生観」を表現するため「シナリオプロジェクトチーム」によってストーリーが立案され、[[A-Line|橋本和典]]の作画で製作され刊行された<ref>『永遠の旅人 - 霊界編』マンガで見る「幸福の科学」2、p3 まえがき</ref>。

この漫画を元にラジオドラマが製作され、ラジオ番組「[[天使のモーニングコール]]」で放送された。放送期間は[[1993年]]7月から1994年3月の約8ヶ月間の連続ドラマ。この放送を編集・収録したカセットテープが幸福の科学出版から、1994年12月に発売された。

== あらすじ ==
ケンゾー、マリー、リエコ。3人の若者を乗せたスペースシャトル「ガイア」は、長い任務を終え、地球への帰路についた。しかし、帰還を目前にして、突如、巨大な謎の光の塊と遭遇し、衝突するかの事態になる。だが光に呑み込まれ未知の空間へと迷い込むことになる。そこには小さな妖精や伝説の動物ユニコーンなどがいた。さらに20年前に事故で死んだ有名な宇宙飛行士ピーター・サカモトがいた。彼はこの不思議な世界は霊界だと3人に説明する。そして科学者なら、未知なるものに対しては、謙虚に探求する姿勢を持つべきだと諭す。そして、サカモトによる霊界探訪を続け、3人の各自の過去の転生輪廻の真実を知り、自己の本来の使命に気づくことになる。

== 登場人物 ==
;ケンゾー
:スペースシャトル「ガイア」の船長
;マリー
:スペースシャトル「ガイア」の乗組員
;リエコ
:スペースシャトル「ガイア」の乗組員
;ピーター・サカモト
:20年前に事故で死んだ有名な宇宙飛行士

== 書誌データ ==
*『永遠の旅人 - 霊界編』マンガで見る「幸福の科学」2
::幸福の科学出版、1993年1月16日発刊、ISBN 4-87688-186-3、 ISBN 978-4-87688-186-4
*カセットブック『ラジオ ドラマ 永遠の旅人』
::幸福の科学出版、1994年12月18日発刊、ISBN 4-87688-759-4、 ISBN 978-4-87688-759-0

== 脚注 ==
<references />

== 関連項目 ==
*[[太陽の法]]

== 外部リンク ==
*[http://www.irhpress.co.jp/detail/html/P0042.html 漫画『永遠の旅人』]

{{幸福の科学グループ}}
{{デフォルトソート:えいえんのたひひと}}
[[Category:幸福の科学]]
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[[Category:漫画作品 え|いえんのたひひと]]
[[Category:書き下ろし漫画作品]]
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{{基礎情報 書籍
| title = <br /><big>この国を守り抜け</big><br /><br />中国の民主化と日本の使命<br />
| orig_title = 
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| author = [[大川隆法]]
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}}

『'''この国を守り抜け'''』(このくにを まもりぬけ )とは、[[幸福の科学]]グループ創始者 兼 [[総裁]]、[[大川隆法]]の著作。

== 概要 ==
『'''この国を守り抜け'''』とは、[[幸福の科学]]グループ創始者 兼 総裁、[[大川隆法]]が著した、政治書で、幸福の科学の[[聖典|教典]]。副題は「'''中国の民主化と日本の使命'''」。政治書シリーズに分類される。

*2010年5月 3日説法の法話「『危機に立つ日本』講義 - この国を守り抜け」神奈川県・川崎市教育文化会館にて
*2010年9月15日説法の法話「今こそ保守回帰のとき - 原題 政治について考える」東京都・総合本部にて
*2010年9月23日説法の法話「宗教と政治について考える」神奈川県・厚木支部精舎にて
*2010年9月26日説法の法話「『ザ・ネクスト・フロンティア』講義 - 危機の十年を迎え撃て」静岡県・沼津支部精舎にて
*2010年10月11日説法の法話「宗教の復活」愛知県・愛知県体育館 - 大講演会全世界同時衛星中継にて

以上の五話の法話をとりまとめ、加筆したもの<ref>『この国を守り抜け』p240</ref>で構成され、書籍『'''この国を守り抜け'''』は出版された。

*朝日新聞2010年11月24日朝刊書評欄に『この国を守り抜け - 中国の民主化と日本の使命』「保守回帰で、外交と経済を立て直せ!」と題した広告が掲載された<ref>[http://book.asahi.com/booktimes/TKY201011290314.html 朝日新聞、レビュー・書評『この国を守り抜け - 中国の民主化と日本の使命』]</ref>。
*紀伊國屋書店全店集計 週間ベストセラー総合第7位(集計期間:2010年11月1日 - 2010年11月7日)<ref>[http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/best_wa.cgi?subj=tanko 紀伊國屋書店BookWeb 単行本 週間ベストセラー]</ref>。

== 書籍 教典 ==

=== 内容 ===
(目次)<ref>[http://www.irhpress.co.jp/detail/html/H7004.html この国を守り抜け | 幸福の科学出版] WebSite より</ref>

*第1章 この国を守り抜け
:1. 『危機に立つ日本』は、国難打破を訴えた書
:2. 日本人には、「平和ボケ」と「甘え」がある
::幸福実現党は、「外交の危機」をすでに警告していた
::「日本の世論」と「中国・北朝鮮の動き」に見られる考え方の違い
::北朝鮮や中国には通用しない日本の"平和主義"
::沖縄の普天間問題によって明らかになった、日米「民主党」の違い
:3. 民主党政権と「ファシズム全体主義」の共通点
::ナチスの台頭をいち早く見抜いていたドラッカー
::全体主義の基本的な考え方は「否定」
::全体主義は、「矛盾する約束」を数多くする
::左翼は、決して平和勢力ではない
:4. 日本は、世界のリーダーとしての使命を果たせ
::沖縄から米軍基地を遠ざけてはならない
::未来産業をつくることによって、さらなる高度成長を
::「この国を植民地にさせない」という気概を示せ

*第2章 今こそ保守回帰のとき
:1. 小沢一郎氏の今後について
::はたして小沢一郎氏は民主党を割るのか
::代表選に負けたおかげで「信仰心」が深まるかもしれない
:2. 菅氏の考え方を改めて検証する
::「脱官僚」を掲げつつ、実際は、官僚との親和性が高い
::菅氏の"新成長戦略"は、新しいかたちのバラマキなのか
::課題山積の外交政策から逃げている菅氏
::今後、民主党は保守化していく?
::菅氏は、新風を送り込むのは得意だが、統治は苦手なタイプ
:3. 円高がもたらす予想外のシナリオ
::円高の原因は日銀にあり
::結局、減税と財政出動は行わざるをえない
::なぜ、最も金利の低い日本の「円」が買われるのか
::世界の投資家は「中国のバブル崩壊は近い」と見ている
::今、「有事に強い円」になろうとしているのか
::円高不況は必ず乗り越えられる
::「1ドル50円」になると、日米がイコールパートナーに近づく
::高級品が復活し、円高好況が起きる可能性も
:4. 公立学校の教員を増やすことについて
::公立系の学校は"倒産状態"にある
::新しい教員には、社会経験のある人を採用せよ
:5. 中国の脅威に言論の力で立ち向かう

*第3章 宗教と政治について考える
:1. 国際情勢に関する高い的中率
::中国の国家体制は、人間を幸福にするものではない
::民主主義国家のポイントは「自由」の有無にある
::やることなすことが全部外れているオバマ大統領
:2. 虚偽と偽善に満ちた民主党の外交政策
::国際法が通じない国・中国
::対中国政策について反省を迫られる菅内閣
::外交情勢の変化により、国論はガラッと変わる
:3. 中国には国際ルールを教える必要がある
::今後、中国がぶつかる二つのハードル
::中国に対しては、言われたら言い返す「言論戦」が必要
::大国は、批判に耐えなければならない
:4. 日本の外交に「背骨」を入れよ
::外交問題から逃げていた民主党代表選
::オバマ大統領は「言葉だけの政治家」
::優しすぎる態度は、相手に間違った判断をさせる
:5. 国難に警鐘を鳴らし続ける幸福の科学
::幸福の科学の言論力はしだいに増してきている
::人の心が変われば、国のあり方も変わる
::日本を、「宗教を尊敬する国」に
::日本国中に教えを届けるには、多くの人の力が必要

*第4章 危機の十年を迎え撃て
:1. 私の著書を「考える材料」にしてほしい
::幸福の科学は、人々に警告を発し、正しい方向を示す
::高級諸霊が霊言によって日本国民の啓蒙に入っている
:2. 日本は再び「高度成長」を目指せ
::今後、日本も中国も「危機の十年」を迎える
::日本は経済的な面で巻き返すべきである
::「デフレ脱却」を目標にした戦略を立てよ
::日本がギリシャのような経済危機には陥らない理由
::国内の経済基盤を守り、適正な値段での経済繁栄を
::「円高」は長期的には日本に有利に働く
:3. 「外交」や「防衛」のあり方を変革せよ
::明治時代の日本人は、外国からの借金で日露戦争を戦った
::外交は、まず「言葉」から始まる
::日本は、「核兵器の研究に入る」と言う勇気を持て
::憲法9条は、他の国が平和を愛していることが前提
::現在の中国政府は、"ヒトラーのナチス政権"のようなもの
::無利子国債を発行してでも、防衛体制の整備を
:4. 侵略国家は許さない
::北朝鮮は早く解体しなくてはならない
::救世主が登場しなければならない時期が来ている
::中国に対して、日本から「高い宗教文化」を逆発信したい

*第5章 宗教の復活
:1. 「ワールド・ティーチャー」として意見を述べる
::毎年、重くなっている「幸福の科学の使命」
::「正しさとは何か」を訴えかけ、人間の考え方そのものを変える
::全世界の人々に、幸福な未来をもたらすために
:2. 明らかになった、中国共産党の「一党独裁体制」
::尖閣沖の中国漁船衝突事件は、「人類の未来」にかかわる問題
::民主主義活動家のノーベル章受賞報道を遮断した中国政府
::中国の政治体制は、北朝鮮と大きく変わらない
:3. 「正しい価値判断」ができない現在の日本人
::日本の"経済的発展"は"中国の発展"と大きく変わらないかも?
::「勇気と行動力」の源泉は、この世を超えた何かを信じること
::一億総懺悔の状況でつくられた日本国憲法の「問題点」
::民主党政権は、自分たちで責任を取らない「卑怯な体制」
::「北朝鮮」と「中国」に対しては、憲法9条の適用を外すべき
:4. 今こそ、「宗教の復活」を
::中国は、「軍事的拡張」の方向に向かってはならない
::日本は、人類を幸福へ導く使命がある
::私は、世界を「平和と繁栄」に導くために発言している
::日本は、「他国を侵略してはならない」と言うべき立場にある
::宗教なくして、「言論・出版・表現・行動の自由」は守れない

=== 書籍情報 ===
*単行本 上製本
**『'''この国を守り抜け'''』  副題:'''中国の民主化と日本の使命'''、 
::発行:[[幸福実現党]]、[[2010年]][[11月1日]]発刊(書籍奥付記載)、発売:[[幸福の科学出版]]。
::実際の書店流通は、2010年10月28日書籍取次への搬入<ref>[http://www.irhpress.co.jp/order/pdf/chu_konokuni_wo_mamorinuke.pdf 注文書「この国を守り抜け 中国の民主化と日本の使命」.pdf]</ref>で、10月29日以降書店発売。教団の公式発表は11月1日発売<ref>[http://www.happy-science.jp/news/books/67A.html 『この国を守り抜け』発刊(10/30)宗教法人 幸福の科学]</ref>
::ISBN 978-4-86395-085-6

== 脚注 ==
<references />

== 関連項目 ==
*[[太陽の法]]
*[[黄金の法]]
*[[永遠の法]]
*[[仏法真理]]

== 外部リンク ==
*[http://www.irhpress.co.jp/detail/html/H7004.html この国を守り抜け | 幸福の科学出版]
*[http://www.happy-science.jp/search/?p=%82%B1%82%CC%8D%91%82%F0%8E%E7%82%E8%94%B2%82%AF&fr=cse&ei=Shift_JIS&csid=BTU..BMKJqMmPICGpy0LAEL5nwYs2VWuVEz1CUNRJ3anOY8-&vs=www.happy-science.jp&x=23&y=13#806 この国を守り抜け | 幸福の科学] - サイト内検索

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{{基礎情報 書籍
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『'''死んでから困らない生き方'''』(しんでから こまらない いきかた)とは、[[幸福の科学]]グループ創始者 兼 [[総裁]]、[[大川隆法]]の著作。

== 概要 ==
『'''死んでから困らない生き方'''』とは、[[幸福の科学]]グループ創始者 兼 総裁、[[大川隆法]]が著した、幸福の科学の[[聖典|教典]]。副題は「'''スピリチュアル・ライフのすすめ'''」。

*2009年9月21日説法の法話「この世とあの世の真実を知る」スピリチュアル幸福生活セミナー(1)、岩手県・盛岡支部精舎にて
*2009年9月22日説法の法話「地獄からの脱出」スピリチュアル幸福生活セミナー(2)、青森県・八戸支部精舎にて
*2009年9月27日説法の法話「神と悪魔」スピリチュアル幸福生活セミナー(3)、富山県・富山中央支部精舎にて

以上の三話の法話をとりまとめ、加筆したもの<ref>『死んでから困らない生き方』p164</ref>で構成され、書籍『'''死んでから困らない生き方'''』は出版された。

この書籍の内容を元に漫画化の企画が行われ、脚本:きさらぎ由良、作画:道下友香により「[[霊言秘書レイコ]]」のタイトルで製作され、[[主婦と生活社]]発行の雑誌『[[週刊女性]]』2010年4月26日発売の5/10・5/17合併号より連載が開始された<ref>[http://www.zassi.net/mag_index.php?id=170&issue=29451 2011/05/10・17日大感謝GW特大合併号]p171 - 182</ref>p171 - 182。

また、この連載漫画企画の話題が『[[週刊新潮]]』2011年6月9日号の記事でとりあげられた<ref>[http://www.shinchosha.co.jp/shukanshincho/backnumber/20110602/ 「週刊新潮」2011年6月9日号、幸福の科学「大川隆法」原作漫画を連載する女性誌]</ref>。

*朝日新聞2010年9月29日朝刊に掲載『死んでから困らない生き方 - スピリチュアル・ライフのすすめ』「いまの生き方のままで、大丈夫?」との表題で「死んだらおしまい」という唯物論を当然とする社会にこそ、犯罪を助長する責任がある」とする広告が掲載された<ref>[http://book.asahi.com/booktimes/TKY201010070131.html 朝日新聞、レビュー・書評『死んでから困らない生き方 - スピリチュアル・ライフのすすめ』]</ref>。
<!--*紀伊國屋書店全店集計 週間ベストセラー総合第*位(集計期間:2010年9月27日 - 2010年10月3日)<ref>[http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/best_wa.cgi?subj=tanko 紀伊國屋書店BookWeb 単行本 週間ベストセラー]</ref> -->

== 書籍 教典 ==

=== 書籍情報 ===
*単行本 並製本
**『'''死んでから困らない生き方'''』  副題:'''スピリチュアル・ライフのすすめ'''、 
::[[幸福の科学出版]]、[[2010年]][[9月10日]]発刊(書籍奥付記載)。
::実際の書店流通は、2010年9月8日書籍取次への搬入で、9月9日以降書店発売。教団の公式発表は9月10日発売<ref>[http://www.happy-science.jp/sosainews/42.html 『死んでから困らない生き方』発刊(10/30)宗教法人 幸福の科学]</ref>
::ISBN 978-4-86395-085-6

=== 外国語翻訳版 ===
*英語訳版
:発刊未定

== 脚注 ==
<references />

== 外部リンク ==
*[http://www.irhpress.co.jp/detail/html/H0292.html 死んでから困らない生き方 | 幸福の科学出版]
*[http://www.happy-science.jp/search/?p=%8E%80%82%F1%82%C5%82%A9%82%E7%8D%A2%82%E7%82%C8%82%A2%90%B6%82%AB%95%FB&fr=cse&ei=Shift_JIS&csid=BTU..BMKJqMmPICGpy0LAEL5nwYs2VWuVEz1CUNRJ3anOY8-&vs=www.happy-science.jp&x=22&y=12#1295 死んでから困らない生き方 | 幸福の科学] - サイト内検索

{{幸福の科学グループ}}

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[[Category:幸福の科学]]
[[Category:幸福の科学の経典・教典]]
[[Category:2010年の書籍]]
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'''蹴道日本代表応援軍団'''(しゅうどうにほんだいひょう おうえんぐんだん)は、[[サッカー日本代表]]の応援集団(サポーターグループ)[1]。

==概要==
2002年結成。アテネ五輪アジア地区予選、FIFAワールドカップドイツ大会アジア地区予選と本大会、北京五輪アジア地区予選と本大会、FIFAワールドカップ南アフリカ大会アジア地区予選と本大会、ロンドン五輪アジア地区予選、FIFAワールドカップブラジル大会アジア地区予選のほかAFCアジアカップや東アジアサッカー選手権、主に国内での国際試合(キリンカップサッカーやキリンチャレンジカップ)、各親善試合にて活動中。

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