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小笠原の夜 - (2007/09/25 (火) 14:18:03) の1つ前との変更点

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遠く、祭囃子が聞こえた。 とっぷりと夜が打ち寄せている。渡航してきた船の灯りがぼんやりと視界の中で漂っているぐらいで、一面に、響く潮騒と、暗闇が、まるで、波に乗せて小さなこの島に夜を運んで来ているかのような錯覚を誘う。赤星は、星月夜の微かな光だけを頼りに桟橋近くを小走りに、あちこち海岸沿いの軒先をのぞき回っていた。 あった。 ひょいと段差を飛び越えて確認する。それから人気がないだけの桟橋の上でへたくそな介抱を続けている奈津子を促して、英吏を近くの海の家のベンチに寝そべらせる。海の家、というのも便宜的な呼び方で、港に近いから、観光客が見込めるのでそういう風に運営しているというだけで、今日は祭りだから、軒先だけ残して店主も屋台を開きにいったのか、それとも祭りぐらいは客になりにいったのか、ともあれ、無人のそこを、赤星は拝借することにした。 真白く気高い毛並みをした、狐型雷電のクイーンが、じっと主人の傍らに付き従い、しかし己は運ぶのも、介抱するのも、今は手出しをしないでいる。動かないのは、見慣れない相手が近くにいて、少しでも不審な動きを見せれば喉笛を食い破るつもりだからだろう。そのつぶらな瞳は動物兵器としての無感動な光を湛えている。 「……」 一所懸命に奈津子は、隣にいる赤星のことも無視して英吏の体の見当違いなところをさすったり、手で頭を持って呼吸しやすいように支えたりしていた。素人目に見ても、へたくそにもほどがある介抱の仕方だった。 が、常人の数百倍の筋力を持たされ、天使とも呼ばれる第六世代よりもさえさらに異なる構造をその身に潜めた存在が、相手を壊さないよう、自分の身になって考えた挙句、選んだのがそういう稚拙な方法の数々だとして、誰がそれを咎めることが出来たろうか。 奈津子の、やや細長い印象を受ける顔が、一所懸命に英吏を見つめて介抱を続けていた。 赤星は黙って二人を見守っていた。 船灯りの方角からは、いくらかの話し声が聞こえてきている。おそらく一緒に来た仲間達がうまいことやってくれているだろう。信頼して、じっと英吏の目が覚めるのを待つことにした。 祭囃子の調子は変わらずだった。まだ、まだ、終わりそうにない。 あたりから立てる物音は、奈津子の起こす、肌擦れ、衣擦れだけ。 絶えることのない、しかし一定というには心地よい揺らぎを孕んだ波音が、その小さな物音をそっとさらっていく。 見上げた風は、やわらかかった。 /*/ 意識が覚醒すると同時に、瞬間的に英吏は跳ね起きた。 時間の経過は。負傷の有無は。空間把握、音や空気の匂いの変化からして先ほどまでいた場所と明らかに離れた場所にいる。薄暗がりだ、だが身体感覚に異常はない、体内時計にも狂いはない。戦闘に支障はない。携行していた武器は。ある。斎藤とクイーンはいるな。あの得体の知れない連中は。 主の機敏な反応に、クイーンも唸りを上げて戦闘準備態勢を取り戻す。 「気付かれましたか?」 その機敏さとは対照的なゆるやかさで、隣にあった誰かの気配が、少し、遠のいた。警戒をさせないような間合いの取り方とは裏腹に、振り返る英吏の前で相手の姿がかき消える。 「英吏さん」 「分かっている。攻撃準備を」 英吏はひとたびトリガーを引き絞ればフルオートで鉛玉を叩き込む機関拳銃を構え、奈津子は何も持ってはいないが、とりあえず緊張した面持ちでいつもよりひどく真面目に口元を引き結んでその隣に立った。一番機動力のあるクイーンは、二人の斜め後ろで警戒をしている。 鋭いまなざしで戦闘隊形を取る二人と一匹をよそに、相手は再び英吏の隣に現れた。声同様、外見も記憶と一致、先ほどの赤星という浴衣姿の男だ。 「とにかくここでの戦闘行動は慎んでもらえませんか?」 声は、変わらず、そっと、こいねがうような声だった。瞳は、そっと、こいねがうような、まなざしだった。穏やかな悲しみに満ちている。 赤星は、同じ内容をもう一度繰り返した。 「悲しむ人達がいます。戦闘は回避してもらえませんか?」 「嫌だといったら?」 間髪のない返答に、彼は少し間を取った。言葉を選ぶ様子は伺えたが、そこに意図は見られなかった。どうすれば自分の言葉が相手に伝わるか、それだけを考えている、そういう人間の顔だった。 「直接止める手立てはこちらにはありません。最初に火足さんが言ったはずです。私たちは武装してもいない。」 「……」 沈黙するのは、今度は英吏の方だった。自分の姿が一度消えたことなど、どうでもいいかのように一顧だにしない相手の態度に、もう一言だけ、待つ。 「ただ貴方達に会いたかった。それだけです。」 英吏は笑った。 相手の素性も、ここがどこかもよくはわからんが、動機に嘘はなかろう。心に嘘がなければ許してやるのが、芝村というものだろう。相手の、赤星の言葉を聞き、それを思い出したから、英吏は笑った。この男に免じて、今日のところは他のものも等しく許そう。あの、亜細亜とかいう怪しい子供のことも。 「まあいい。お前達のいった方法、試してみるか。」 戯言ばかりで結局あれこれとわからんことは残ったが、一つ、思い出せただけで充分だ。それに、これが成功すればさほど脅威に考える必要もなくなるわけだしな…。 「ここにはいたくない」 英吏は消えた。クイーンをつれて。 「あ、ちょ、まってくだ! ここにいたくない!」 それを見て、慌てて奈津子も後に続く。 後に残るのは、静かな潮騒だけになった。 「すいません、英吏さん…ありがとう。」 赤星はうつむいた。何かを祈るような、姿だった。 「こんな事になるつもりではなかったのです。いつかもっと良い形でお会いしましょう。英吏さん、奈津子さん、クイーン。」 /*/ 遠く、祭囃子が聞こえた。 今はもう、誰も顧みる事のない潮騒に、欠けた月が傾きながら昇っていく。じんわりと汗を誘う暑気が、小笠原の夜を賑わわした。 風が、雲を押し流す――― /*/ ~小笠原の夜~ 了 /*/ 暗闇に薄い黄金の光が帯を描いてのびていく。なだらかで、それは大きく上下していたが、光には二つの核があった。 まなざしが、飛ぶように運ばれている。そのまなざしは吸い込むようにあたりの環境情報を取り込み分析、瞬く間にも、脳内に叩き込まれた地形データとの相違点、それがここまで取得してきたデータと比較して許容される範囲内で収まっているかどうかを判断している。 黄金色にも似た明るい茶色の瞳。 「…異常、なし。戻るぞ、斎藤」 「は、はい!」 それは芝村の裏切り者と後に呼ばれることになる芝村英吏と、斎藤奈津子、そして彼ら山岳騎兵の友、動物兵器・雷電、クイーンオブハートの一行であった。 激動の戦乱を潜り抜け、ようやく警戒レベルを引き下げることが出来るようになった、広島の近隣山中を僅か二人と一匹での斥候に出ていること自体が、状況の好転具合を物語っている。 逞しく太い英吏の胴回りに、腕を回す形でしがみついていた奈津子は、斥候とは名ばかり、常人の数百倍の筋力を有する軍の秘密兵器である。彼女が本気を出せば、今、乗っているクイーンよりも早く「飛ぶ」ことすら可能だ。 濃密に繁る緑と、大地と木々の深い焦げ茶色が、野を駆け巡っていた彼らの目には、溶けたようにも、また、止まったようにも見えている。原初の人類とは遠く能力をかけ離れてデザインされた存在の、すさまじさであった。 クイーンが速度を緩めた。 英吏も違和感を覚える。前にも感じたことがある。これは…… 「!」 夜の広島に、いくばくかの光。 遠い呼び声。そこにある、少女の思いを、果たして誰が最初に気付いただろう。 気がつけば、そこは海の香りがする世界――― 「英吏さん……?」 「またここか」 用心深くクイーンの背から降りながら、英吏は奈津子の手を握った。尻尾までしびれる勢いの奈津子。 「にゃ、にゃぁ!」 「……離れるなよ。夏祭りだろうから」 「は、はいっ!」 彼らはまだ、これから来る出会いと再会を知る由もなかった――――……… /*/ -The undersigned:Joker as a Clown:城 華一郎

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