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文族のためのテキスト」を以下のとおり復元します。
*序文
この文章は文族のために書かれたものです。この文章はとても説明的です。
しつこいほどに繰り返されている言葉、不必要に思われるほど基本的な事柄を解説している部分、そういったものは、すべて意図して組み立ててあります。つまり、絶えず意識し、あるいは自分の中で定義づけを新しくしなければ文族として堕落してしまうポイントや、くたびれるほど強く意識しなければ見えてこない領域を、強調しているということでもあります。

しつこさ以上に理解を深めるものもなく、しつこさ以外に理解によってのみ成り立っている技量を高めるものもありません。しつこさとは伝えたいものを伝えようとする力そのものです。

そして文族とは、純然たる技量によってのみ成り立つ生き様であることを覚えていてください。

なぜならば、技量がなければ伝えるべき何物も自分の中から出来れずに、人の目に触れるような表に現れてはくれないないのですから。

*文族について ~文族(プレイヤー分類)~
**文族とは
・文族
=相手に共感してもらうための能力を文章によって身につけた、あるいは身につけようとする生き様を持つプレイヤー。

**文族の操るものとは
・共感
=自分の中にはなかったはずの知識や感情が、それを積極的に理解したいという気持ちになった上で伝わってくること。

・文章
=説明文と描写文の二種類があるもの。

*文章について
●文章の種類とは
説明文 =物事を簡単にまとめた文字情報。
説明の上手さ =読みやすさ。つまり、最初から最後まで読者の目を引きつけるための飽きない工夫がしてあって、なおかつ短くて目に入れやすい、つまり読者を疲れさせない工夫のしてあること。

描写文 =感情の直接見て取れる、あるいは何かを間接的に感じさせる映像的なシーンを読者の中に作る文字情報。
描写の上手さ =共感してもらうためにはどんな映像がどのタイミングに必要で、それはどんな表現なら一番よく目に浮かんでくるか、終始一貫して的を絞ってあること。つまり、カメラワークに相当するような工夫もしてあり、表現自体も連想がつながるものを重ねること。

●文章の基本材料とは
文字 =漢字・ひらがな・カタカナ、アルファベット・記号、その他あらゆる抽象的な概念を情報として共有するために考え出された視覚的表現によって成り立つもののこと。

表現 =目や心の中に見えるありのままについて指した言葉。

文章表現の工夫 =想定する文章を完成させるために施した技術的な努力であり、結果によってのみ、その有無が判別される行為。

●文章の具体的な材料とは
地の文 =登場人物または書き手を通して作られる説明文や描写文のこと。
台詞 =登場人物の発言内容のこと。

心理描写 =登場人物の内面を直接言葉にした地の文。使い方によって説明文にも描写文にもなる。
情景描写 =描写文の一種。登場人物の内面を、言葉にするかわりに描写で作り出した映像によって間接的に感じさせる地の文。

心理描写としての台詞 =登場人物が内面を吐露した台詞のこと。
説明的台詞 =特に登場人物が物事を、自らの希望で、あるいは書き手に代わって整理している台詞のこと。
普通の台詞 =文章のリアリティを保つため、何かを説明するため、内面を吐露するため、それらの目的が混然一体となった台詞のこと。

文章のリアリティ =台詞や描写、説明によって、どれだけ読者が文章中で起こっている出来事に対して現実味を感じたかの度合い。つまりその文章の文脈の中において現実的だと共感させた度合いのことなので、現実と完全に一致する必要はなく、現実を無視してもいい。文章内に現実と離れた部分がある場合、理由をはっきりと示し納得させることでリアリティは保たれ、以降、文脈の中にその理由と矛盾したものを感じるごとにリアリティは低くなる。

文脈 =文章そのものに、文章を取り巻くあらゆる要素を加えたもののこと。読者と書き手が違う人間である時点で一つの要素は確実に異なっており、書き手の意図した内容と読み手の抱いた感想とがずれる原因にもなる。

文脈の制限 =文章の内容を第一印象から予感させ、読み方を指定することで、出来るだけ意図した読まれ方になるよう工夫すること。書き手がする文章そのものへの工夫のみならず、作者名や出版元によるイメージの確立、陳列先でのジャンル分け、帯や表紙によるあらすじや、イラスト、関連作品の提示、作品そのものの宣伝などによって、どんな内容なのかを想像させることも、工夫の一部である。

 #文族とは何かを理屈で語るなら、上記のような説明でよい。
 #文族とは何かを感情でわかってもらうなら、説明を極力排除した(出来ればゼロがよい)、描写力のある物語や小説を作り、読んでもらう必要がある。

●文章の大枠とは
物語 =なんらかの感動を与えるためにまとめられた、空想上の、ないしは意図的に編集された現実の出来事。
小説 =一本の映画やドラマを見るように頭の中で起こっている物語を追いかけられる文体を持った文章のこと。
文体 =よく使ってしまう表現の種類といったような文章の癖、あるいは意図的な技術的特徴。書き手や書こうとする文章の種類によって異なってくる。

テーマ =共感してもらいたい何かの感情、あるいは情報。ただし、説明文と違って描写文は、同じ映像からどんな感情を抱くかは受け手次第であり、特に小説や物語は説明文のような簡単さで描写文、つまりは見せたい映像の一連の流れを簡単にわかりやすく組み立てる必要がある。

小説の傾向 =わかりやすさ、共感しやすさを目的としたものがエンターテイメント的、逆に時としてわかりやすさ、共感しやすさを無視してでも喚起したい、簡単には描きづらい何かを込めたものが文学的と、それぞれ傾向づけることが出来る。定義付けからわかるように、二つの傾向は矛盾しない。

*文族としてのあり方について
●文族として腕を上げるためには
文章の質 =積極的には面白さと上手さ、消極的にはつまらなさと下手さという基準によって感じ分けられている。読者によってどの基準を重んじるかのバランスがバラバラなため、ある人にとっては面白くて上手いが、ある人にとってはつまらなくて下手ということも往々にしてある。わかりやすくするための工夫がされてあっても共感出来なければつまらないけど上手、だし、工夫自体に気付かず共感したのであれば面白くて、だからきっと上手いんだろう、というような感想にもなる。

文章の質の向上のために必要なもの =批評的な文章の読み方。
批評的な文章の読み方 =自分が今何を読まされているのかということに対して自覚的であること。つまり、文章に施されている工夫の存在や、そもそも共感させようとしているテーマは何かといった部分を積極的に気付こうとしながら読むこと。また、工夫の失敗点や成功点、テーマが果たして本当に読むに価するものなのかを正確に分析し、把握しようとする態度のこと。

批評的な文章の読み方の必要性 =他人の工夫に気付き、それを真似ることで、自分でも同じ工夫が出来るようになる。つまり、書き手としての技量が上がる。また、他人が文章の中で共感させようとしてるテーマが何なのかを絶えず意識することで、自分の文章の持つテーマとは何かをより強く自覚するようになる。すなわち、共感してもらいたいと思うパワーの焦点をあわせられるようになり、テーマや表現への一貫性が身につきやすくなる。(パワーの強さ自体と工夫の有無とは直接的にはつながっていないので、努力して技量を高める必要があるのには変わらない)

●文族として人からどう見られるか
文族としての才能の差 =自覚せずに工夫を使いこなしテーマを共感させられる高い技量を持った人がいるとしたら、それは自覚する必要もないレベルで身につけているというだけのことであり、他人の工夫や共感させようとしているテーマについて指摘する能力自体はきちんと持っている。だが、そうでない人は能力を身につけるために技術的な努力をする必要がある。両者の違いはたったそれだけのことである。

才能 =身につけた技量の高さと、技量を身につけようとする執念の強さと、選んだテーマの掘り下げ方によって度合いが量られ、書いた文章を評価されることによってそれらの度合いから結論づけられる、バロメーターとしての慣用句。

*読者について
●文章が人からどう読まれるか
文章の面白さ =どれだけ読者が共感したかの度合いのこと。
文章の上手さ =どれだけ読者が共感させられたかの度合いのこと。
文章のつまらなさ =どれだけ読者が共感しなかったかの度合いのこと。
文章の下手さ =どれだけ読者が共感しづらいと思ったかの度合いのこと。

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