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新編・文族院 - (2009/10/07 (水) 13:35:10) のソース

*新編・文族院
**序文

書きたいものだけが書けるもの。
だから何を書くには何が必要か、なんてことは、文族院では教えません。
本当にほしいものは、あなただけが知っているはず。

あなたがほしいものは、なんですか?
文族院は、あなただけが知る「素敵」の道への、扉の在り処を教えます。
早くあなたの想いの結果を読ませてください。

**初級編:おおいに真似よう!

読んだようにしか書けません。
喋ったように書いたり、聞いたように書いたりすることもありますが、
どちらにしろ、それは相手ありきの話です。

同じようなものを書きたい!
と、思うのが、きっと一番のモチベーションのはず。

何と同じようなものを?

それはあなたにしかわからない。
それが何かも、どう心に響いたかも、あなただけが知っている。

同じ「ような」もの。
まったく同じものがいつまでもずっといてくれるなら、あるいはずっと同じで満足なら、
あなたはきっと書こうと思わない。

ちょっとした気軽な変化をつけるだけでいい。
最初から書きたいものがわかってて、書きたかったように書ききる人も、
いません。

書いてみること、その楽しさが、
次から次へと書きたいものを増やし、書きたかったものを教えてくれます。

書いた結果をおおいに面白がってください。
面白いことだけを書こうとせずに、書くことを面白がってみてください。
真似ようとしたものと似てなくても、あなたとあなたの作品は素敵です。

なぜならあなたが文章という現実の中に出現させた扉の向こうには、
あなただけが見つけられる「素敵」の欠片が散らばっているのですから!

**中級編:オリジナリティ

よく、作品の展開やキャラクターにオリジナリティを! と、
思い悩む人がいます。

その悩みは正しくもあり、また、間違ってもいます。

オリジナリティとは、唯一性のことであり、
展開のオリジナリティとは、「誰が」「誰に」「何をしたか」であって、
キャラクターのオリジナリティとは、「何をしたか」の、積み重ねです。

「いつ、どこで」も、「どんな理由で」も、「どのように」も、
関係ありません。

「いつ、どこで」
すべて作中です。

「どんな理由で」
私たちが周りの人に対してそうであるように、キャラクターが何をしたか、
の、積み重ねから推測するしかありません。

「どのように」
実際にキャラクターが行動しているシーンを覗くか、誰かの口から説明
される以外に知る方法はありません。

設定することと書くことは違います。

設定することは血の通わない神の作業で、
書くことは人間となって生きることです。

作者とは、
人間のままでは到底出来ないような酷い仕打ちや、偶然の操作が出来ます。
だから、ただ決めるだけの設定は、神になっている間にした行動なのです。

でも、キャラクターは人間です。
神となって上から眺めれば三人称で、一体化すれば一人称で、どちらにしろ、
同じ人間に共感してもらうためには、人間として生きている必要があります。

だから、「誰が」「誰に」「何をしたか」が大事なのであって、
一人の人間が生きた結果や、ましてや大勢の人間が生きた結果の物語に、
オリジナリティがあったかどうかなんて、関係ないわけです。

あなたはあなたです。
人生にオリジナリティがないね、なんて、
誰にも言わせていいものではありません。

まず、「誰が」「誰に」「何をしたか」だけで物語を描く習慣を覚えて、
それから読者や自分を一層面白がらせる斬新さを追い求めましょう。

**上級編:うまく書くには-前編

あなたが真似たかったものの面白さや、
あなたが生きてみせたオリジナリティ、
実はそれって、文章作品の大事な大事なコアでもありますが、
「自分以外の他人が読んで」面白いと感じる1割の部分です。

コアにたどり着くまでの外側9割の殻、
それこそが文章のうまさです。

短く書きましょう。
同じ言葉はなるべく重ねないで。
何にでも具体的なエピソードや物を使って説明を。

上の三つで殻の6割から7割が埋まります。

読みやすく、想像しやすい。それが面白さの構成要素の、6割から7割。

「どうしてコアより割合が大きいの?」

そのコアを伝えるための大事な道だからです。
読みやすくないと、それだけでコアの素敵さを6割から7割も、
道の途中で落っことします。誤字や脱字は道の亀裂も同然!

そもそも、手書きですらない文字には、目に見えてわかる映像や、音楽、
湿気や温度のような肌の感覚はもちろんのこと、味や匂いもありません。
想像がないと、文章は薄っぺらい、ただのインクや光の塊だからです。

だから、現実とつなげてあげましょう。
それこそが比喩の役割であり、現物を知る取材の必要性となってきます。

こそあど言葉についても、逆の意味で同じ。
意識しないで使っている分の、8割を同じ文中の言葉で入れ替えてあげれば、
現実とつながった言葉が生き続け、想像の連鎖が発生していきます。

「こと」「もの」なんて何でも指せる便利な単語も、
使えば使うほど曖昧さがそこから入り込み、具体的にイメージさせる力を
失わせます。無理に全滅させる必要はありませんが、控えましょう。

**上級編:うまく書くには-後編

残る2割から3割を説明して、テクニック部分を終わりにします。

ギャップを作りましょう。
たたみかけましょう。
読ませましょう。

悲しい時に笑って、怒った時に泣く方が、
人の目は驚きます。

怒って机を投げるより、椅子も投げて、ガラスも割って、地団太を踏むまで
すれば、感情の深さを人は想像します。

小手先のテクニックを推奨しているわけではなく、
斬新さを常に狙い続けたり、画一的な表現をしろという話でもありません。
キャラクターに無理矢理演技をつけろという作者の都合も関係なし。

要は演出の大事さです。
道の整備が終わったら、コアの側を運びやすいようにしてあげるんですね。

「誰が」「誰に」「何をしたか」は、実際に書きながら、書くことで生きる
以外に描けません。

けれど作者は、「いつ、どこで」や、「どんな理由で」、「どのように」を、
先回りして予測したり、予定出来ます。

なるほど、悲しい時に素直に泣くのはいいでしょう。
しかしキャラクターの横に雨で濡れた一輪の花があることを描くのは、
花びらが、自らを打つ雨だれの重さでしなだれ揺れる情景を描くのは、
誰かの生きた結果ではなく、神たる作者だけが出来る技です。

花を植えたのが当のキャラクターであるとしましょう。
誕生日にもらった花の種をそこに植えたとしましょう。
花には贈り主から花言葉が篭められていたとしましょう。
悲しんでいる原因が贈り主だったとしましょう。
悲しんでいるその日が贈り主の誕生日だったとしましょう。
悲しんでいる理由がプレゼントを拒否されたからだとしましょう。
雨の中にいるのはプレゼントを拒否されたのが悲しかったからだとしましょう。
雨の中に混じったキャラクターの涙が花を打って一層強く揺らしたとしましょう。
キャラクターが揺れる花を見て、花言葉を思い出し、声にならない嗚咽をもらしたとしましょう。

確かに上記の羅列すべてはキャラクターが生きた結果です。
しかし、シーンを選び、書き出すのは、作者です。

作者はシーンに至るまでの経緯を設計し、注意深く観察し続け、
キャラクターが違う方向に進みそうになれば、また先回りして、
あるいは時をさかのぼって設定をいじる実験が出来ます。

ここまでがギャップとたたみかけの解説とするなら、
最後の読ませるという言葉の意味は、単に誰かに読んでもらうことも、
とにかく目を引いて誰でもいいから読ませるパワーを持たせることも、
両方含んでいます。

チェックしてもらうこと。
チェックされるようなポイントを設けること。

コアへと続く道の総点検と、コアへと導くための入り口を意識して作ること、
どちらもすごく大事ですからね!

**作品の種類:自分が書いたものはなんだろう?

・SSとは
会話を主としてキャラクターの動く様子を楽しむ
・物語とは
キャラクターの人生から抜き出した出来事に、始めと終わりを見つける
・小説とは
物語を通して問いかける

ものと、当文族院では定義しています。

SS⊂物語⊂小説
(SSも物語だし、小説になりうる)
(小説は物語を材料にして、その上に行間を生み出す)
(とにかく物語はどこにもついて回る)




**作品の種類:その1.SS
SSという単語は、オリジナルのキャラクター、物語、世界観から、
読者が想像力を働かせて「もしもこうだったら」と、自分なりの解釈を働かせて
作者になって書いた文章のことを指します。

Short Story(短編),あるいはSide Story(外伝)
の略語ですが、SSとは、要するに「どれだけ原作に矛盾しても構わない遊び」
であり、オリジナルの唯一性から解放された、気軽な筆遊びのことです。y7