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「ヨハネによる福音書」(2017/10/15 (日) 23:50:39) の最新版変更点
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ヨハネによる福音書(古希: Κατά Ιωάννην Ευαγγέλιον [Kata Iōannēn Euangelion]、羅: Evangelium Secundum Iohannem)は新約聖書中の一書。『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』に次ぐ4番目の福音書(イエス・キリストの言行録)の一つである。
「第四福音書」に位置づけられる『ヨハネによる福音書』は「共観福音書」と呼ばれる他の3つとは内容的に一線を画した内容となっている。この福音書が4つの中で最後に書かれたということに関して研究者たちの意見は一致している。初代教会以来、伝統的にはこの『ヨハネによる福音書』の筆者は、カトリック教会・正教会等で伝承されてきた聖伝においては、文書中にみえる「イエスの愛しておられた弟子」すなわち使徒ヨハネであると伝えられてきたが、近代以降の高等批評をとなえる聖書研究家の間ではこの考え方を支持するものはいない。田川建三はこの書は「作者ヨハネ」が自分のかなり特殊な宗教思想を展開した書物であり、イエスを知るための直接の資料にならないとする。
**著者
ヨハネ福音書とヨハネ書簡は、伝統的にいずれも使徒ヨハネに由来するものとされてきた。それは、ヨハネ福音書に「イエスの愛しておられた弟子」が書いたことが書かれているためである。(ヨハネ21:20-24)
>ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。
しかし、使徒ヨハネ自身がすべてを書いたと考えられていたわけでもない。すでに伝承も、『ヨハネの福音書』は口述によるもので弟子プロクルスの筆録になると考えていた。
特にヨハネの名が帰せられる黙示録については、使徒ヨハネではないと考える声が多数であった。パピアス本人は黙示録を含め使徒ヨハネの作と考えていたようだが、エウセビオスは使徒ヨハネと考えておらず、それゆえパピアスが、使徒ヨハネとは別人である&bold(){長老ヨハネ}を紹介している部分を引用している。(エウセビオス『教会史』3-39-4に引用されている。)
>わたし(パピアス)は、誰か長老たちにつき従った人が来たときには、長老たちの言葉を詳しく調べた。つまり、アンドレが、ペテロが、ピリポが、トマスが、ヤコブが、ヨハネが、マタイが、あるいは主の弟子たちの他の誰かが何を言ったか、また、主の弟子であるアリスティオンと長老ヨハネとが語っていることを(調べたのであった)。何とならば、私にとっては、書物から学ぶことよりも、生きた人間の生きた声の伝えるものが一層有益であったから。
しかしこの引用により、使徒ヨハネがヨハネ福音書の作者であるとする主張が難しくなったのか、エウセビオスはヨハネ福音書の作者については触れていない。それどころか、この引用により、いわゆるヨハネ文書の作者が使徒ヨハネではない可能性を炙り出したのである。
170-210年頃のものと考えられる[[ムラトリ正典目録]]には次のように記されている。(ムラトリ正典目録10-14)
>第四福音書は弟子のヨハネによるものである。彼の同僚たる弟子たちと司教たちが駆り立てた時、彼は言った。「今日から三日間、しっかりと私と共にいなさい、そして、互いに明かされねばならないことは、互いに言おう。」そのことが使徒のアンドレに明かされたのと同じ夜に、そのとき彼らの全てが回想していたが、ヨハネは彼の名ですべてのことを書き記したはずである。
ここで注意すべきなのは、アンドレには「使徒」という用語が使われているのに、ヨハネには「弟子」と書いてある点である。弟子ヨハネは使徒ヨハネと区別されている。おそらくこの弟子ヨハネは長老ヨハネと同じ意味で使われている。
4-5世紀の神学者ヒエロニムスらは、使徒ヨハネとは別人の長老ヨハネが『ヨハネの手紙二』と『ヨハネの手紙三』を書いたとの見解を示した。すでに、『ヨハネの手紙一』と文体が異なることが知られていたからである。
高等批評では、ヨハネの作ではなく、そもそも執筆者は複数であると考えられている。そして筆者らのグループは、少なくともマルコ福音書とルカ福音書を知っていたはずだと考える。詳細は[[ヨハネ福音書への高等批評]]を参照されたい。
**特徴
第四福音書と呼ばれる「ヨハネによる福音書」はもっとも遅く書かれた福音書で、共観福音書のような十字架贖罪死による救いを中心テーマとするものではない。「ヨハネによる福音書」は、十字架上でイエスが死んで神のみもとに戻りそこからイエスが送る「助け主」なる聖霊の導きで、「イエスは神によってそのひとり子なるキリストとしてこの世に遣わされた」と信じることによって得られる救いを中心テーマとする。
十字架死はここでは贖罪死というより、それによってこの世から神のみもとに戻る機会とされている。共観福音書に見られる(過越しの子羊の犠牲を象徴する)いわゆる「最後の晩餐」もない。したがって「ヨハネによる福音書」は十字架贖罪死をテーマとする共観福音書とは別の系統に属する。
**存在理由
加藤説によれば、4福音書が存在している理由は、各福音書の著者が、他の福音書を、自分の立つ立場に不十分と考えたため、独自の改訂版を出す必要があったからだとする。マタイ福音書著者とルカは、マルコの中身を知っていたが、その内容では、自分ないし派閥のためには、都合が悪いと考えた。全否定をするのではないが、修正をする必要性を感じていたとする。
ヨハネは、神学的な思索から、独自の立場をとっている。一言で言えば、イエスに絶対的権威を認め、イエスに結びつくことによって、それのみによって、救済されるとする。このことは、イエスを神格化する。
ここでは、人は、イエスに結びついて救われるグループと、結びつかないで救われないグループに、二分されることになる。
**内容の信憑性
前述したように、イエスの言動を伝える福音書としての信憑性はかなり低い。具体的には以下の点が上がられる。
+カナのぶどう酒、死後四日のラザロ、ユダヤ人の脅威などの矛盾が多い逸話が複数ある。
+他の福音書の逸話の崩したものがあり、臨場感がなく、つじつまも合わない。
+イエスの言葉のように書かれているものは冗長で、哲学的である。
+イエスの名によって願うことは何でもかなえる、という誤った考えがかかれている。
+他の福音書にはない「イエスを信じなければ救われない」という偏った思想が書かれている。
ヨハネ福音書は、他の福音書を読み込んだ上で書かれた哲学的福音書である、という考えを展開する立場もあるが、他の福音書の内容と矛盾するばかりでなく、作者の意図に再解釈したことにより、イエスの思想を反映したものになっていない。そのため、史実をまとめるという意味合いが強かった他の福音書と異なり、実在のイエスをほとんど知らない人物・教団による二次創作物に近い。
**構成
[[共観福音書]]と呼ばれる他の3つの福音書は、イエスの生涯について多く記され、重複記述が多く見られるが、『ヨハネによる福音書』は重複記述が少なく、イエスの言葉がより多く記述されている。
1.[[プロローグ>ヨハネによる福音書のプロローグ]](1:1-18)
2.公生涯の準備(1:19-2:12)
-洗礼者ヨハネの証言(1:19-34)
-最初の弟子たち(1:35-42)
-フィリポとナタナエルの召命(1:43-51)
-[[カナの婚礼]](2:1-12)
3.ユダヤでの初期の活動(2:13-4:42)
-最初の過越と宮きよめ(2:13-25)
-ニコデモとの対話(3:1-21)
-イエスについてのヨハネの証し(3:22-36)
-ガリラヤへの出発(4:1-4)
-サマリアの女との対話(4:5-42)
4.ガリラヤ及びその周辺での公の活動(4:43-7:9)
-ガリラヤでの伝道開始(4:43-46)
-役人の息子をいやす(4:46-54)
-ベテスダの池でのいやし(5:1-18)
-御子と御父との関係(5:19-47)
-[[パンと魚の奇跡]](6:1-14)
-[[水の上を歩く]](6:15-21)
-いのちのパンの教え(6:22-59)
-[[ペトロの信仰告白]](6:60-71)
-イエスの兄弟たちへのすすめ(7:2-9)
5.ユダヤにおける活動(7:10-12章)
-仮庵の祭(7:11-52)
-[[姦通の女]](7:53-8:11)
-ファリサイ人との議論(8:12-20)
-神よりつかわされたイエス(8:21-30)
-約束の救いはイエスに(8:31-59)
-生れつきの盲人をいやす(9:1-41)
-良い羊飼いのたとえ(10:1-21)
-宮きよめの祭りで、羊と門のたとえ(10:22-39)
-ラザロの復活(11:1-46)
-ベタニヤ到着(11:55-12:1)
-マリアの香油注ぎ(12:2-11)
-[[エルサレム入城]](12:12-19)
-一粒の麦(12:20-33)
-ユダヤ人の不信に対する非難(12:34-50)
6.イエスの受難(13-21章)
-[[最後の晩餐]](13:1-38)
-告別演説(14-17章)
-[[ゲツセマネの祈り]](18:1)
-[[イエスの逮捕]](18:2-12)
-[[大祭司の審問]](18:13-14,19-24)
-[[ペトロの否認]](18:15-18,25-27)
-[[ピラトの審問]](18:28-38)
-[[バラバ釈放と兵士のあざけり]](18:39-19:3)
-[[イエスの磔刑]](19:18-30)
-[[イエスの埋葬]](19:31-42)
-[[イエスの復活]](20:1-18)
-[[イエスの顕現]](20:19-21:23)
独自の構成としては、奇跡と格言が対応するという形式が見られる。前後関係は場合による。
|奇跡|対応する格言|
|パンを増やす(6:1-15)|「わたしが命のパンである」(6:35)|
|生まれつきの盲人を癒す(9:1-12)|「わたしは世の光である」(8:12)|
|死者ラザロを蘇生する(11:41-43)|「わたしは復活であり、命である」(11:25)|
|復活後、パウロの前に三度表れる(21:14)|「あなたはわたしを三度知らないと言うであろう」(13:38)|
**共観福音書との差異
[[共観福音書とヨハネ福音書]]を参照されたい。
*後世の挿入
**姦通の女
7:53から8:11に続く節「罪の女」はシナイ写本、またはヴァチカン写本といった現代キリスト教における聖書の古代写本から発見されておらず、後世の挿入と考えられている。しかし、これは必ずしも後世の捏造であることを意味しない。多くの学者たちは、その文体の特徴がルカ福音書に近いと考えている。さらに、古代写本の少し後に作られた写本の中には、ルカ21章の終末預言の後にあったり、さらには、ルカ福音書やヨハネ福音書の付録として、最後に含めていたりするものがある。
これを裏付けるように、ルカ21:37-38とヨハネ8:1-2は酷似している。
ルカ21:37-38
>それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って「オリーブ畑」と呼ばれる山で過ごされた。民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝早くから集まって来た。
ヨハネ8:1-2
>イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
*プロローグ
非常に独特なプロローグから始まる。(ヨハネ1:1-5)
>初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
>この言は、初めに神と共にあった。
>万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
>言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
>光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
*2つのエピローグ
ヨハネ福音書は二つのエピローグを持つ。
一つ目は20章である。(ヨハネ20:30-31)
>このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
二つ目は21章である。(ヨハネ21:24-25)
>これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子(イエスの愛しておられた弟子)である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。
>イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。
ヨハネ福音書が2つのエピローグを持つ理由は、ヨハネ福音書が複数人によって編集されたものだからと考えられている。詳細は[[ヨハネ福音書への高等批評]]を参照されたい。
ムラトリ正典目録(ラテン語、英語):http://www.earlychristianwritings.com/text/muratorian-latin.html
[[ヨハネによる福音書の謎>>http://manga.world.coocan.jp/gimon-18.html]]
http://blog.goo.ne.jp/b5550/e/8444b9a9b0e7b835c5eb64168e664ebd
ヨハネによる福音書(古希: Κατά Ιωάννην Ευαγγέλιον [Kata Iōannēn Euangelion]、羅: Evangelium Secundum Iohannem)は新約聖書中の一書。『マタイによる福音書』、『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』に次ぐ4番目の福音書(イエス・キリストの言行録)の一つである。
「第四福音書」に位置づけられる『ヨハネによる福音書』は「共観福音書」と呼ばれる他の3つとは内容的に一線を画した内容となっている。この福音書が4つの中で最後に書かれたということに関して研究者たちの意見は一致している。初代教会以来、伝統的にはこの『ヨハネによる福音書』の筆者は、カトリック教会・正教会等で伝承されてきた聖伝においては、文書中にみえる「イエスの愛しておられた弟子」すなわち使徒ヨハネであると伝えられてきたが、近代以降の高等批評をとなえる聖書研究家の間ではこの考え方を支持するものはいない。田川建三はこの書は「作者ヨハネ」が自分のかなり特殊な宗教思想を展開した書物であり、イエスを知るための直接の資料にならないとする。
**著者
ヨハネ福音書とヨハネ書簡は、伝統的にいずれも使徒ヨハネに由来するものとされてきた。それは、ヨハネ福音書に「イエスの愛しておられた弟子」が書いたことが書かれているためである。(ヨハネ21:20-24)
>ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい。」それで、この弟子は死なないといううわさが兄弟たちの間に広まった。しかし、イエスは、彼は死なないと言われたのではない。ただ、「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」と言われたのである。これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。
しかし、使徒ヨハネ自身がすべてを書いたと考えられていたわけでもない。すでに伝承も、『ヨハネの福音書』は口述によるもので弟子プロクルスの筆録になると考えていた。
特にヨハネの名が帰せられる黙示録については、使徒ヨハネではないと考える声が多数であった。パピアス本人は黙示録を含め使徒ヨハネの作と考えていたようだが、エウセビオスは使徒ヨハネと考えておらず、それゆえパピアスが、使徒ヨハネとは別人である&bold(){長老ヨハネ}を紹介している部分を引用している。(エウセビオス『教会史』3-39-4に引用されている。)
>わたし(パピアス)は、誰か長老たちにつき従った人が来たときには、長老たちの言葉を詳しく調べた。つまり、アンドレが、ペテロが、ピリポが、トマスが、ヤコブが、ヨハネが、マタイが、あるいは主の弟子たちの他の誰かが何を言ったか、また、主の弟子であるアリスティオンと長老ヨハネとが語っていることを(調べたのであった)。何とならば、私にとっては、書物から学ぶことよりも、生きた人間の生きた声の伝えるものが一層有益であったから。
しかしこの引用により、使徒ヨハネがヨハネ福音書の作者であるとする主張が難しくなったのか、エウセビオスはヨハネ福音書の作者については触れていない。それどころか、この引用により、いわゆるヨハネ文書の作者が使徒ヨハネではない可能性を炙り出したのである。
170-210年頃のものと考えられる[[ムラトリ正典目録]]には次のように記されている。(ムラトリ正典目録10-14)
>第四福音書は弟子のヨハネによるものである。彼の同僚たる弟子たちと司教たちが駆り立てた時、彼は言った。「今日から三日間、しっかりと私と共にいなさい、そして、互いに明かされねばならないことは、互いに言おう。」そのことが使徒のアンドレに明かされたのと同じ夜に、そのとき彼らの全てが回想していたが、ヨハネは彼の名ですべてのことを書き記したはずである。
ここで注意すべきなのは、アンドレには「使徒」という用語が使われているのに、ヨハネには「弟子」と書いてある点である。弟子ヨハネは使徒ヨハネと区別されている。おそらくこの弟子ヨハネは長老ヨハネと同じ意味で使われている。
4-5世紀の神学者ヒエロニムスらは、使徒ヨハネとは別人の長老ヨハネが『ヨハネの手紙二』と『ヨハネの手紙三』を書いたとの見解を示した。すでに、『ヨハネの手紙一』と文体が異なることが知られていたからである。
高等批評では、ヨハネの作ではなく、そもそも執筆者は複数であると考えられている。そして筆者らのグループは、少なくともマルコ福音書とルカ福音書を知っていたはずだと考える。詳細は[[ヨハネ福音書への高等批評]]を参照されたい。
**特徴
第四福音書と呼ばれる「ヨハネによる福音書」はもっとも遅く書かれた福音書で、共観福音書のような十字架贖罪死による救いを中心テーマとするものではない。「ヨハネによる福音書」は、十字架上でイエスが死んで神のみもとに戻りそこからイエスが送る「助け主」なる聖霊の導きで、「イエスは神によってそのひとり子なるキリストとしてこの世に遣わされた」と信じることによって得られる救いを中心テーマとする。
十字架死はここでは贖罪死というより、それによってこの世から神のみもとに戻る機会とされている。共観福音書に見られる(過越しの子羊の犠牲を象徴する)いわゆる「最後の晩餐」もない。したがって「ヨハネによる福音書」は十字架贖罪死をテーマとする共観福音書とは別の系統に属する。
**存在理由
加藤説によれば、4福音書が存在している理由は、各福音書の著者が、他の福音書を、自分の立つ立場に不十分と考えたため、独自の改訂版を出す必要があったからだとする。マタイ福音書著者とルカは、マルコの中身を知っていたが、その内容では、自分ないし派閥のためには、都合が悪いと考えた。全否定をするのではないが、修正をする必要性を感じていたとする。
ヨハネは、神学的な思索から、独自の立場をとっている。一言で言えば、イエスに絶対的権威を認め、イエスに結びつくことによって、それのみによって、救済されるとする。このことは、イエスを神格化する。
ここでは、人は、イエスに結びついて救われるグループと、結びつかないで救われないグループに、二分されることになる。
**内容の信憑性
前述したように、イエスの言動を伝える福音書としての信憑性はかなり低い。具体的には以下の点が上がられる。
+カナのぶどう酒、死後四日のラザロ、ユダヤ人の脅威などの矛盾が多い逸話が複数ある。
+他の福音書の逸話の崩したものがあり、臨場感がなく、つじつまも合わない。
+イエスの言葉のように書かれているものは冗長で、哲学的である。
+イエスの名によって願うことは何でもかなえる、という誤った考えがかかれている。
+他の福音書にはない「イエスを信じなければ救われない」という偏った思想が書かれている。
ヨハネ福音書は、他の福音書を読み込んだ上で書かれた哲学的福音書である、という考えを展開する立場もあるが、他の福音書の内容と矛盾するばかりでなく、作者の意図に再解釈したことにより、イエスの思想を反映したものになっていない。そのため、史実をまとめるという意味合いが強かった他の福音書と異なり、実在のイエスをほとんど知らない人物・教団による二次創作物に近い。
**構成
[[共観福音書]]と呼ばれる他の3つの福音書は、イエスの生涯について多く記され、重複記述が多く見られるが、『ヨハネによる福音書』は重複記述が少なく、イエスの言葉がより多く記述されている。
1.[[プロローグ>ヨハネによる福音書のプロローグ]](1:1-18)
2.公生涯の準備(1:19-2:12)
-洗礼者ヨハネの証言(1:19-34)
-最初の弟子たち(1:35-42)
-フィリポとナタナエルの召命(1:43-51)
-[[カナの婚礼]](2:1-12)
3.ユダヤでの初期の活動(2:13-4:42)
-最初の過越と宮きよめ(2:13-25)
-[[ニコデモとの対話]](3:1-21)
-イエスについてのヨハネの証し(3:22-36)
-ガリラヤへの出発(4:1-4)
-サマリアの女との対話(4:5-42)
4.ガリラヤ及びその周辺での公の活動(4:43-7:9)
-ガリラヤでの伝道開始(4:43-46)
-役人の息子をいやす(4:46-54)
-[[ベテスダの池でのいやし]](5:1-18)
-御子と御父との関係(5:19-47)
-[[パンと魚の奇跡]](6:1-14)
-[[水の上を歩く]](6:15-21)
-いのちのパンの教え(6:22-59)
-[[ペトロの信仰告白]](6:60-71)
-イエスの兄弟たちへのすすめ(7:2-9)
5.ユダヤにおける活動(7:10-12章)
-仮庵の祭(7:11-52)
-[[姦通の女]](7:53-8:11)
-ファリサイ人との議論(8:12-20)
-神よりつかわされたイエス(8:21-30)
-約束の救いはイエスに(8:31-59)
-生れつきの盲人をいやす(9:1-41)
-良い羊飼いのたとえ(10:1-21)
-宮きよめの祭りで、羊と門のたとえ(10:22-39)
-ラザロの復活(11:1-46)
-ベタニヤ到着(11:55-12:1)
-マリアの香油注ぎ(12:2-11)
-[[エルサレム入城]](12:12-19)
-一粒の麦(12:20-33)
-ユダヤ人の不信に対する非難(12:34-50)
6.イエスの受難(13-21章)
-[[最後の晩餐]](13:1-38)
-告別演説(14-17章)
-[[ゲツセマネの祈り]](18:1)
-[[イエスの逮捕]](18:2-12)
-[[大祭司の審問]](18:13-14,19-24)
-[[ペトロの否認]](18:15-18,25-27)
-[[ピラトの審問]](18:28-38)
-[[バラバ釈放と兵士のあざけり]](18:39-19:3)
-[[イエスの磔刑]](19:18-30)
-[[イエスの埋葬]](19:31-42)
-[[イエスの復活]](20:1-18)
-[[イエスの顕現]](20:19-21:23)
独自の構成としては、奇跡と格言が対応するという形式が見られる。前後関係は場合による。
|奇跡|対応する格言|
|パンを増やす(6:1-15)|「わたしが命のパンである」(6:35)|
|生まれつきの盲人を癒す(9:1-12)|「わたしは世の光である」(8:12)|
|死者ラザロを蘇生する(11:41-43)|「わたしは復活であり、命である」(11:25)|
|復活後、パウロの前に三度表れる(21:14)|「あなたはわたしを三度知らないと言うであろう」(13:38)|
**共観福音書との差異
[[共観福音書とヨハネ福音書]]を参照されたい。
*後世の挿入
**姦通の女
7:53から8:11に続く節「罪の女」はシナイ写本、またはヴァチカン写本といった現代キリスト教における聖書の古代写本から発見されておらず、後世の挿入と考えられている。しかし、これは必ずしも後世の捏造であることを意味しない。多くの学者たちは、その文体の特徴がルカ福音書に近いと考えている。さらに、古代写本の少し後に作られた写本の中には、ルカ21章の終末預言の後にあったり、さらには、ルカ福音書やヨハネ福音書の付録として、最後に含めていたりするものがある。
これを裏付けるように、ルカ21:37-38とヨハネ8:1-2は酷似している。
ルカ21:37-38
>それからイエスは、日中は神殿の境内で教え、夜は出て行って「オリーブ畑」と呼ばれる山で過ごされた。民衆は皆、話を聞こうとして、神殿の境内にいるイエスのもとに朝早くから集まって来た。
ヨハネ8:1-2
>イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
*プロローグ
非常に独特なプロローグから始まる。(ヨハネ1:1-5)
>初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
>この言は、初めに神と共にあった。
>万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
>言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
>光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
*2つのエピローグ
ヨハネ福音書は二つのエピローグを持つ。
一つ目は20章である。(ヨハネ20:30-31)
>このほかにも、イエスは弟子たちの前で、多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
二つ目は21章である。(ヨハネ21:24-25)
>これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子(イエスの愛しておられた弟子)である。わたしたちは、彼の証しが真実であることを知っている。
>イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。
ヨハネ福音書が2つのエピローグを持つ理由は、ヨハネ福音書が複数人によって編集されたものだからと考えられている。詳細は[[ヨハネ福音書への高等批評]]を参照されたい。
ムラトリ正典目録(ラテン語、英語):http://www.earlychristianwritings.com/text/muratorian-latin.html
[[ヨハネによる福音書の謎>>http://manga.world.coocan.jp/gimon-18.html]]
http://blog.goo.ne.jp/b5550/e/8444b9a9b0e7b835c5eb64168e664ebd