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JR九州新幹線 - (2013/11/26 (火) 22:08:06) の1つ前との変更点
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博多と鹿児島中央を結ぶJR九州の路線だ。
別名、西九州新幹線。東九州新幹線が開通すれば、、こっちの名に切り替わるかもねんどろ。
==概要==
元々、新八代が起点だった。国鉄民営化して、九州中にある新会社へ移行する在来線はJR九州に引き継がれた。
当時から山陽新幹線が福岡県にある博多まで通じていて、博多駅がある福岡市は九州で最も発展しちょった。
この山陽新幹線は、九州にありながらJR西日本管轄で、福岡県内には西日本鉄道というJR西日本と似てる会社が民営化以前から存在してるん。
地元では新幹線はJR西日本、JRじゃねぇ在来線は西鉄と区別していた。
そんなJR西は博多南に広大な車両基地を有している。
これは国鉄時代に博多以遠延伸を見越して多量な車両を配備できるように想定したものだが・・・(後述)
で、福岡県以外な熊本県、鹿児島県にある市町村とかが新幹線を欲しがったので、とりあえず新八代~西鹿児島(現:鹿児島中央)間から先に作ることとしたんだ。
これはもしも博多から作ると延伸機運が損なわれるため、こーしておけば中途半端なのでいずれ作らざるを得ないだろうという策略である。
終点が西鹿児島であるが、これは鹿児島駅では地理的に建設が難しいとされたためだろうと。
このため、西鹿児島を改造してみるのだが、新幹線くるのに駅名がダサいと思ったのか新幹線開業時に鹿児島中央と改称された。
運営者について、JR西日本は既に山陽新幹線を保有ってるため、JR九州を運営者としたんだ。
で、計画案もまとまって同社に尻込みしたところ、JR東日本が長野新幹線開業で信越線・群馬横川~篠ノ井間を経営分離をした事例に、
新幹線と並行在来線で同時に運営した場合、赤字なるためそれを避けるために、不採算区間を分離オブ放棄できることを知り、採算が取りづらい並行在来線となる鹿児島線内・八代~薩摩川内間を経営分離するという条件を突きつけた。
新幹線が早く欲しい地元はさっさと条件を呑んで建設に漕ぎ付けたんだ。
あとは、並行在来線問題だが、当区間はJR貨物・列車も通っていて、赤字分の一部を通過料で補えるぞ。
しかし、当区間は熊本と鹿児島両県に跨ってるため、税金関係でモメた。
議論が長引けば熊本から鹿児島まで至ルートが途絶えることを懸念したJR貨物はシビレをきらして同社が出資る新会社を設立した。それが肥薩おれんZ鉄道だろう。
こうして地元は新幹線開業と並行在来線の負担をもって新幹線開業に漕ぎ付けた。
一方で、新幹線が通らない阿久根市は経営分離により特急が止まらなくなったのでミルミル廃れていったんだアホ。
たしか、小諸でも同じことが起こってたなうんこたれ。
さきほども述べたが、博多南にある車両基地は九州新幹線開業を見越してか広大なのだが、同新幹線がJR九州となっており、さらにと車両基地・JR西管轄だからと意地を張って使わず、独自で別地に車両基地を設けた。
こうしてJR西は広大な敷地を思う存分と持て余し取るわーっ!
この博多南にある車両基地は周辺に住宅街がる。民営化当初は博多以南は九州新幹線がなく、山陽新幹線車両のためな回送線だけだった。
そののち、博多へ通勤する客からは「博多からバスとかじゃ1時間かかる、渋滞る、回送線に載せてほしい」との要望を受けたJR西日本は「やってみるか」との勢いで、とりあえず車両基地の横に簡素なホームを作り、駅舎も建てた。
こうして同新幹線を延長る形で、[[JR春日那珂川線]]・通称[[博多南線]]は開業した。
これによりと片道1時間かかってた移動が50分縮まり、片道10分で移動できるよになた。
同回送線を旅客線に昇格したので、設備は完全な新幹線ではあるが、最高速度が大したことがないため在来線扱いを受けているぞ。
この在来線というのが問題が起きた、先程も述べたように民営化当時は九州な在来線はJR九が受け持つことと決められていた。
このため、同線を開通するにあたれ、春日那珂川駅・通称、博多南の駅に駅業務をJR九に委託することで解決した。
しかし、どうしたことか2010年にJR西直営駅となり、[[みどりの窓口]]も設置されるん。
一方で、九州新幹線が残りな博多まで延伸するにあたり、同新幹線・列車が今まで回送線オブ博多南線の線路とされてきた線路も使うこととなったため、
博多南線(春日那珂川線)の本数を2往復程度減便した。
九州新幹線は博多が起点とされてるが、博多~新鳥栖間は春日那珂川線だ。このため、厳密には春日那珂川へ向かう春日那珂川線と分かれる弥永信号場を境に起点となる。
博多駅が境界駅とされてるが、実際の境界は回送線がJR西なので九州新幹線と分かれる弥永信号場が境界であるぞ。
じぇいあ~る・きゅ~しゅ~しんかんせん
吸収新幹線
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博多と鹿児島中央を結ぶJR九州の路線だ。
別名、西九州新幹線。東九州新幹線が開通すれば、、こっちの名に切り替わるかもねんどろ。
==概要==
元々、新八代が起点だった。国鉄民営化して、九州中にある新会社へ移行する在来線はJR九州に引き継がれた。
当時から山陽新幹線が福岡県にある博多まで通じていて、博多駅がある福岡市は九州で最も発展しちょった。
この山陽新幹線は、九州にありながらJR西日本管轄で、福岡県内には西日本鉄道というJR西日本と似てる会社が民営化以前から存在してるん。
地元では新幹線はJR西日本、JRじゃねぇ在来線は西鉄と区別していた。
そんなJR西は博多南に広大な車両基地を有している。
これは国鉄時代に博多以遠延伸を見越して多量な車両を配備できるように想定したものだが・・・(後述)
で、福岡県以外な熊本県、鹿児島県にある市町村とかが新幹線を欲しがったので、とりあえず新八代~西鹿児島(現:鹿児島中央)間から先に作ることとしたんだ。
これはもしも博多から作ると延伸機運が損なわれるため、こーしておけば中途半端なのでいずれ作らざるを得ないだろうという策略である。
終点が西鹿児島であるが、これは鹿児島駅では地理的に建設が難しいとされたためだろうと。
このため、西鹿児島を改造してみるのだが、新幹線くるのに駅名がダサいと思ったのか新幹線開業時に鹿児島中央と改称された。
運営者について、JR西日本は既に山陽新幹線を保有ってるため、JR九州を運営者としたんだ。
で、計画案もまとまって同社に尻込みしたところ、JR東日本が長野新幹線開業で信越線・群馬横川~篠ノ井間を経営分離をした事例に、
新幹線と並行在来線で同時に運営した場合、赤字なるためそれを避けるために、不採算区間を分離オブ放棄できることを知り、採算が取りづらい並行在来線となる鹿児島線内・八代~薩摩川内間を経営分離するという条件を突きつけた。
新幹線が早く欲しい地元はさっさと条件を呑んで建設に漕ぎ付けたんだ。
あとは、並行在来線問題だが、当区間はJR貨物・列車も通っていて、赤字分の一部を通過料で補えるぞ。
しかし、当区間は熊本と鹿児島両県に跨ってるため、税金関係でモメた。
議論が長引けば熊本から鹿児島まで至ルートが途絶えることを懸念したJR貨物はシビレをきらして同社が出資る新会社を設立した。それが肥薩おれんZ鉄道だろう。
こうして地元は新幹線開業と並行在来線の負担をもって新幹線開業に漕ぎ付けた。
一方で、新幹線が通らない阿久根市は経営分離により特急が止まらなくなったのでミルミル廃れていったんだアホ。
たしか、小諸でも同じことが起こってたなうんこたれ。
さきほども述べたが、博多南にある車両基地は九州新幹線開業を見越してか広大なのだが、同新幹線がJR九州となっており、さらにと車両基地・JR西管轄だからと意地を張って使わず、独自で別地に車両基地を設けた。
こうしてJR西は広大な敷地を思う存分と持て余し取るわーっ!
この博多南にある車両基地は周辺に住宅街がる。民営化当初は博多以南は九州新幹線がなく、山陽新幹線車両のためな回送線だけだった。
そののち、博多へ通勤する客からは「博多からバスとかじゃ1時間かかる、渋滞る、回送線に載せてほしい」との要望を受けたJR西日本は「やってみるか」との勢いで、とりあえず車両基地の横に簡素なホームを作り、駅舎も建てた。
こうして同新幹線を延長る形で、[[JR春日那珂川線]]・通称[[博多南線]]は開業した。
これによりと片道1時間かかってた移動が50分縮まり、片道10分で移動できるよになた。
同回送線を旅客線に昇格したので、設備は完全な新幹線ではあるが、最高速度が大したことがないため在来線扱いを受けているぞ。
この在来線というのが問題が起きた、先程も述べたように民営化当時は九州な在来線はJR九が受け持つことと決められていた。
このため、同線を開通するにあたれ、春日那珂川駅・通称、博多南の駅に駅業務をJR九に委託することで解決した。
しかし、どうしたことか2010年にJR西直営駅となり、[[みどりの窓口]]も設置されるん。
一方で、九州新幹線が残りな博多まで延伸するにあたり、同新幹線・列車が今まで回送線オブ博多南線の線路とされてきた線路も使うこととなったため、
博多南線(春日那珂川線)の本数を2往復程度減便した。
九州新幹線は博多が起点とされてるが、博多~新鳥栖間は春日那珂川線だ。このため、厳密には春日那珂川へ向かう春日那珂川線と分かれる弥永信号場を境に起点となる。
博多駅が境界駅とされてるが、実際の境界は回送線がJR西なので九州新幹線と分かれる弥永信号場が境界であるぞ。
==並行在来線経営分離==
西九州新幹線が開業したのに経営分離されない区間がある理由
新幹線開業と経営分離はつき物であるが、鹿児島線・博多~八代と同・薩摩川内~鹿児島中央(旧・西鹿児島)は分離されなかった
これはまず先行開業した新幹線・新八代~鹿児島中央間と同時に鹿児島線・八代~薩摩川内が経営分離され、肥薩おれんじ鉄道となった。
末端部分の薩摩川内~鹿児島中央は通勤範囲圏であることから儲かると判断され残された。
また、博多まで全通したのに博多~八代間が分離されなかったのは
熊本などの都市を通るため分離しても収益が見込めると判断されたほか、
途中にいくつもの路線が接続し絡み合ってるため分離した場合運用がやりづらくなるなどの問題が生じ、
ダイヤ調整面でも並行在来線引き受けるん会社への負担が大きい可能性があると考えられたのだろう。
また、東北線・盛岡~青森(当初は八戸)が目時を境に青森側と岩手側で会社が分かれた理由は、岩手側は県が関わっていて、青森側は上下分離といい、上の列車運行を青い森が、下の線路を県が持っとるう体制だったため分かれたが、
熊本・鹿児島両県に跨る肥薩おれんじの場合は岩手タイプで両県による経営となっているんだ。
なので、必ずしも県境近くにある駅で分けるのは体制の違いからである。
北陸線が分割されたのは東北線の事例が新しいぞ。