JR辰野線

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JR辰野線 - (2013/02/24 (日) 19:16:12) のソース

信州の塩尻駅と辰野駅を結ぶ塩尻~岡谷における元中央本線の一部で旧線だ。旧線は辰野経由、新線はみどりの郷経由とされている。残りの辰野~岡谷間はJR伊那路線に編入されたが民営化後に辰野を含む旧線部分が東日本会社で伊那路線は東海になったため乗務員交代は相変わらず行われている。この記事ではついでに辰野線と呼ばれてない岡谷~川岸間も紹介するぜ。

==時刻表==
;岡谷~辰野間へ乗り入れる[[JR伊那路線]]も参照にご覧ください。
;[[ミニエコー]]に使われる車両は123系ですが車検で115系に入れ替わることがあります。その場合編成は1両から2両へとワンマン運行からツーマン運行へと各自切り替わります。
;またミニエコーが運行中でも朝夕で115系の運用があることがありますん。
;ミニエコーは老朽化にょり2013.03.16ダイヤ改正で引退予定。引継ぎは乗り心地快適なE127系で運行予定。
;途中の伊那小野、信濃川島は名称が省略されております。
;上り
:塩尻⇒小野⇒川島⇒辰野⇒川岸⇒岡谷
:0620⇒0631⇒0635⇒0640
:==【飯田~茅野】0716⇒0723⇒0727
:=========0726⇒0733⇒0738
:0722⇒0733⇒0737⇒0742[松本~辰野]
:【天竜峡~上諏訪】0820⇒0828⇒0832
:0822⇒0833⇒0838⇒0842
:0927⇒0938⇒0943⇒0948
:=【飯田~上諏訪】1144⇒1451⇒1155
:1220⇒1230⇒1235⇒1240
:1419⇒1430⇒1435⇒1440
:=【天竜峡~茅野】1548⇒1555⇒1600
:1617⇒1628⇒1632⇒1673
:=【豊橋~上諏訪】1719⇒1726⇒1730
:1725⇒1736⇒1741⇒1746[信濃大町始発]
:1751⇒1803⇒1807⇒1812
:=【飯田~上諏訪】1820⇒1827⇒1731
:1858⇒1909⇒1913⇒1918
:2006⇒2017⇒2021⇒2026⇒⇒
:2200⇒2211⇒2215⇒2220
:=========2221⇒2228⇒2233
:【天竜峡~上諏訪】2236⇒2243⇒2247

;下り
:岡谷⇒川岸⇒辰野⇒川島⇒小野⇒塩尻
:0646⇒0651⇒0705⇒(1009天竜峡)
:=松本行==0701⇒0706⇒0710⇒0721*
:======0749⇒0755⇒0800⇒0810
:0810⇒0815⇒0824⇒0829⇒0833⇒0844*
:0822⇒0828⇒0835=========
:======0847⇒0853⇒0858⇒0908
:0936⇒0941⇒0952⇒(1554豊橋)
:======1100⇒1106⇒1111⇒1121
:======1246⇒1251⇒1256⇒1307
:======1502⇒1508⇒1513⇒1523
:1635⇒1640⇒1647⇒(2247豊橋)
:======1701⇒1707⇒1712⇒1723
:======1753⇒1758⇒1803⇒1814*
:1751⇒1756⇒1803⇒(2148平岡)
:======1824⇒1829⇒1834⇒1845
:1834⇒1838⇒1847⇒(1952駒ヶ根)
:======1927⇒1933⇒1938⇒1948
:======2048⇒2053⇒2058⇒2119
:2247⇒2252⇒2258
;備考
:*…松本方面行・辰野発1753は長野直通各駅停車
:ミニエコー(代走115含む)は辰野から塩尻2109着で40分近く停車後、塩尻2148発・松本行として運行を再開し車庫へシュ~ト!
:@ミニエコー始発は原則1番線停車。それ以外は最終も含め3番線発着だ。

==駅紹介==
;塩尻
:中央線を東西に分ける駅でJRでは「西が東海、東が東日本」と分かれる。駅のすぐ南で分岐する。機関区が島のようになっているが機関区の南のデルタ線は元中央西線のレールで現在の塩尻駅は二代目で初代駅は塩尻大門付近にあった。元々東京からバックせずに名古屋へ行くには現在のデルタ線を通っていた。しかし流動というのはよくわからんもので東京から名古屋へ向かう列車が旅客列車で一本もないこと、長野から来た列車が塩尻からバックで名古屋へ向かうようになると時間的にロスになる。そこで塩尻駅のリニューアルのついでに現在地に移転して今に至る。
:一方で中央東線は岡谷から辰野を通って塩尻まで来ていたがここでも時間的ロスと感じたのか国鉄末期間近で塩嶺峠をぶち抜く新線が開業すると優待列車や大半の列車は皆そちらを通るようになったので旧線扱いとなった辰野ルートは新たなミニ路線として第二の生涯を踏み出したのだろう。
;上西條(元・東塩尻信号場)
:需要に応じて列車の増発を図るも両小野~塩尻間の距離が長いうえに線路の地積容量不足で複線化できないことで単線がネックとなり両小野や塩尻での数十分待機が深刻となる事を懸念して設置された。土地が手狭なせいかわずかな平地に単線分の土壌を形勢。結果スイッチバック信号場は完成した。山間部の山奥に造られたが麓の住民から駅設置の要望があると構内の一部に仮駅を設置した。のちの東塩尻駅と呼ばれるようになる。しかし仮駅のホームは予算不足なのか一両分長さしかないためホームのないところで停車した車に乗った乗客は飛び降りる必要があった。もちろん乗る時も同様に飛び乗る方式だった。その後塩嶺新線が開業すると本数が少なくなるのを懸念して新線上に設置されたみどりの郷駅に代わり廃止された。廃止された後も線路跡は残るものの中春~夏~初秋は雑草が生い茂り、ヘビや蚊、熊さんが出る危険な森にる。
;伊那小野
:長野県上伊那郡辰野町大字[[伊那小野|小野]]
:旧線もとい辰野線の主要駅。わりと街が形成されている。駅前の国道から北に巨大な鳥居が立っていてそこから300mくらい歩いただけで塩尻市に入る。当駅の位置は南北小野の対立からできたらしく鉄道に対して偏見を持った人々が「お前にやるわ」「いや、お前がもらえ」と駅設置を拒んだだがやっぱり駅は必要と国鉄が仲裁に入り、くじ引きで南が負けたので両者との境付近に置く事が決定された経緯から南北のほぼ中間に置かれている。すると鉄道が開業することで街はみるみる活性化した。南は宿場町、北はほとんど農村。2010年の1日平均乗車人員は186人。結構な利用数だ。
:駅構内は相対式ホーム2面2線を有する互いのホームは跨線橋で連絡しているいて3番線のレールは南側半分が剥がされていて、保線車両の留置線状態の地上駅構造。
:辰野駅管理の簡易委託駅で常備券・補充券の発売が行われている窓口業務は07:00~15:30まで、駅舎内に塩嶺峠新線(みどりの郷経由)が開通した後に設置された待合室があるが15時で閉鎖される。冬季はストーブが設置されるが設置時間は07:00~15:00ぐらいまでとされていて待合室閉鎖する都度に撤去される。
:辰野町では駅前の[[日本国道153号線|国道153号線]]沿いに道の駅設置を計画。
:いずれ現・駅舎を建て替えるついでに道の駅併設の2階建駅舎に新装する予定だが2012年時点でも建設が行われていない。
:三州街道小野宿へは南へ500m歩くとある。
:しだれ栗森林公園・・・マジ遠ぉい!
:駅の東側には川が流れており、その奥には山が広がっている↑。
:北へ行くとわずか211mで塩尻市北小野に入る
:商店は少ないが北へ約2800mのところにセブンイレブンがある
:弥彦神社と信濃国二宮・小野神社へは約1800m。小野神社では「御柱祭」が諏訪大社の御柱祭の1年後(卯年と酉年)に行われる。
:弥彦神社だけ周囲が塩尻市に属しながら辰野町に属しているため、神社境内は飛び地の中にある。飛び地の経緯については[[伊那小野]]を参照。
:弥彦神社の近くに古田晁記念館がある。

;信濃川島
:開業年-S30.04.01
:複線駅であったが1996年ごろに単線化されて現在では中央線唯一の単線ホームを持つ駅だったが辰野線自体は中央線から独立したがっているらしい。辺りは素晴らしき田舎の原風景が広がる。このため、商店はおろか遊園地すらない。駅舎は待合室と化している。
:少し歩くとかやぶきの里や横川川、本水殿(辰野の方が近い)、駅西の国道を南下すると上島観音堂が見えてくる。
:村々の合併の合併分村が何回かあって、明治22年-1889-の川島・小野・伊那富・伊那朝日などの村々ができた。
:川島村は伊那横川村と伊那上島村が合併し両村の一文字をとて村名としたところでその川島村が辰野町に合併されたのは昭和三十一年~1956~だった。
:旧伊那横川村は木曽山脈の経ヶ岳に源を発する横川川渓谷下流、谷底平野の集落で伊那上島村は横川谷の入口に当る~旧川島村には景勝地横川渓があり駅西方県道上唐木沢線の終点から経ヶ岳・坊主岳に至る横川国有林で三級の滝・大滝・七滝・などの景観・奇岩蛇石など訪れる人もあるがな交通の便がよくないのでマイカー利用など駅の乗降人員に結び付かない・蛇石は渓谷にそう道から谷間に降りたところ水成岩の黒色粘板岩に火成岩の閃緑岩が入った岩床に白色の石英脈が二十五㌢㍍程の間隔で規則正しく100数10条入っており水中に大蛇がのたうつように見える。明治十年の長野県町村誌に名勝蛇石として「風景最奇にして該形蛤(虫が小)も龍蛇の水中を泳ぎ横たわるが如くして横川の渓水にあり頭の如き大洞口にして尾の如きものは大長谷になし凡丈量十余町間の水淵に竜鱗形、髭髭(片の上に長-右上斜三、沸の(三無)の上に長-三)として頭(左-日と一の間に\∥/)はる……」とある。地質学的にも貴重なもので大正15…1926…で国家天然記念物に指定。蛇石の近く山中に木地師の墓がある。木地師の人々は椎(左は小)喬親王の伝承と共にそれを誇りとし16弁の菊花域(土無)は桐の紋章を用意ることが多いここの墓には菊の紋章が刻んでいて蛇石の手前に昭和60年に完全した横川治水ダムがあり名所でもある。部落の近く鍋倉山の粘板岩でこれを材料とする石見(合体)は天保年間(1830~1844)に始められたらしい。中央線が開通した当時…辰野~伊那小野間に駅なし。その間の距離は八、三㌔、その中程にある川島村の人々は辰野か伊那小野駅を利用していたが長年の不便から停車場を渇望、昭和18年川島駅設置期成同盟会を設け国会その他に陳情しその努力が報いられ昭和19年03月に貴・衆両院で採択されたが戦争は日々激しくなり実現を見るに至らなかった。敗戦、そして戦後の混乱期は新駅設置どころではなく、その問題が再燃したのは昭和27年で当時の川島村長、村会議長連名で「用地や労力やその他一切の費用を負担する」ことを条件の陳情書を提出、ようやく認められ昭和30年(1955)04.01開業となた。
:村の人々の努力でできた駅に対して村人の愛情はひときわ強かった。冬に待合室のストーブ用にとシーズン前村の人々がマキを運び込んで待合室の外にうず高く積んだ。暖かい待合室にという村人の気持ちの現れである。このように愛され親しまれた駅だだが、特段の産業もなく過疎化の傾向から利用者は減少さ昭和46年(1971)八月一日駅員無配置駅となた。駅舎は木造だったが現在は改装されて石造になり無人化で待合室だけが残った。
:ホームにもこじんまりとした待合室があるためこちらの待合室は滅多に使われないという。

;辰野
:旧線の主要駅で新線開業で特急が新線を通るようになるとたちまち寂れた駅になった。伊那路線からの列車が発着するが新線開業で大半が岡谷まで乗り入れるようになった。辰野線の終着駅。
;伊那平出信号場
:列車に乗っていると架線が広くなっていると事が明確だ。ここに信号場が設置されていたのがわかるんだが。ここに信号場が設置されていた。しかし新線開業で本数が減ると用済みとなり廃止された。存在感は極めて薄いとみる。
;川岸
:飯田方面から来る列車が行き違いするのに使う。辰野~岡谷間だけワンマン運転になることがあるが当駅が無人駅であることが要因だ。岡谷まで列車で5分程度だ。
;岡谷
:塩尻で別れた新線と合流するところだが伊那路線から来る列車が茅野まで乗り入れてくることがある。名物は釜口水門付近で取れるうなぎと精密機械の産業が有名。斬新的な広告で有名な岡谷酸素の本社もある。

==時刻==
==運賃==
;※太字一段目は出発駅、運賃は駅名の右の数字だ
;塩尻
:両小野190-信濃川島230-辰野320-川岸400-岡谷230
;両小野
:塩尻190-信濃川島180-辰野190-川岸230-岡谷320
:[塩尻経由岡谷]¥400
;信濃川島
:塩尻230-両小野180-辰野180-川岸230-岡谷230
:[塩尻経由岡谷]¥480
;辰野
:塩尻320-両小野190-信濃川島180-川岸180-岡谷190
:[塩尻経由岡谷]¥480
;川岸
:塩尻-両小野230-信濃川島230-辰野190-岡谷180
:[塩尻経由岡谷]¥650
;岡谷
:塩尻230-両小野320-信濃川島230-辰野190-川岸180
:[塩尻経由両小野]¥400
:[塩尻経由信濃川島]¥480
:[塩尻経由辰野]¥480
:[塩尻経由川岸]¥650

==ちょっとした裏技==
;※乗換時間と誤解に注意
:JRの運賃は対距離制といって距離に応じて値上がる制度を採用しています。当然遠ければ遠いほど運賃は高くなり、近ければ近いほど安くなります。ただし、長距離ともなると往復切符や長距離割引といった特典が付きやすくなる傾向がある。
:さて実はこの運賃制度には隙があるのをご存じだろうか?会社では一定の距離で改賃するので例に言うと「初乗り140→180→190→200→230→320→400→480…」とどんどん上がっていくわけだが、ここで『[[分割乗車]]』または『[[切符分割購入|切符の分割購入]]』と言うやり方を説明しよう。この記事は辰野線なので辰野線を含めた運賃を例に解説しよう。
:例:松本→辰野¥570を松本→塩尻¥230、塩尻→辰野¥320にしてみよう。これを230+320=550円。なんと通しよりも20円得になるのだ。
:ただ原則として松本から塩尻まで買っている場合塩尻の改札を通らなければならない。もしこのまま辰野行きに乗ってしまうと辰野で不足賃¥340の徴収を受ける事になるので実質通しで乗ったのと変わらなくなってしまうのが難点だ。
:ここで「じゃあ岡谷回りでも行けるんじゃね?」と考える輩もいるが解説しよう。
:松本から出る列車の多くは塩尻から辰野を通らず岡谷へ行くパターンが多いので塩尻から辰野へは乗り換えがほとんどになる。このため直通列車で岡谷(¥400)まで行き、岡谷に着いたら改札を出て辰野(¥190)までの切符を購入、そこから再び入場し、辰野へ行き辰野で降りる。
:計算上では松本→岡谷¥400+岡谷→辰野¥190となるので合計が400+190=590と通し¥570よりも20円値上げになってしまうのでこの方法は勧めない。
:方法を変えればなんとかなるとしたら先ほど通り松本から岡谷へ行くルートで行くが、松本から塩尻行きの列車はほとんどない、このため中央線直通の列車が多く、一度降りてしまうと待機時間がない以外乗ってきた列車を1本見送る羽目になることもある。
:ただこれを回避する方法は時間があるのであれば松本で中津川方面行列車に乗り、塩尻で降りてその隙に改札を出て辰野行の切符を購入し岡谷方面行列車に乗車、岡谷で改札を出ずに乗り換えて辰野で降りれば塩尻で降りて両小野経由(先述)で行くのと同じ運賃で行く事ができる。
;※松本から辰野経由で岡谷へ通しで乗ると740円かかるので塩尻下車は重要、また運賃表に書かれている通りであると説明すれば問題ない。返答の仕方一つ次第で職員の顔色が変わることがあるので注意。
ツールボックス

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