国鉄木原線

この路線は木ィィィ原せェェェェェェェェン!!といって、房総半島の外房にある大原から内房の木更津を結ぶはずだった国鉄路線だ。 大原~上総中野間を木原東線と呼び、木更津~上総亀山間を木原西線と呼ばれている。 現在は木原西線が第三セクター鉄道・いすみ鉄道に転換されちょるむ。

概要さん

実は木原西線の終着駅、上総中野では小湊鉄道と少本数ながら接続されていて双方の列車を乗り入れる条件は揃っているためいつでも乗り入れが可能なのだが小湊鉄道は乗り入れに消極的な難色を示している。 実は小湊鉄道も五井から伸びて最終的に上総小湊まで建設する予定だったが予算がなかったのか工事が進まず、同じ境遇の木原東線と上総中野を共有する事で小湊延伸を諦めた。 またいすみ鉄道は開業以来赤字に悩まされていたが主導者が変わるとネーミングライツとかいう枕木に名前を刻む権利を販売してなんとか存続しているようだ。ただし、赤字分の補てんは沿線自治体なのでそこそこマシである。ただし、赤字が大きいと見放されるので会社は気が抜けないのだ。 ちなみにいすみ社長はブログを持っていて長野電鉄屋代線の廃止を聞きつけ現地に訪れるなど行動的な面もある。

歴史

  • 木原東線
  • 1981年(昭和56年)9月18日 - 廃止承認(第1次廃止対象特定地方交通線)。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄民営化により東日本旅客鉄道に承継。
1988年(昭和63年)3月24日 - JR木原東線廃止。いすみ鉄道いすみ線開業。大原 - 西大原間を1.8 kmから1.7 kmに改キロ、これにより全線の営業キロは26.9 kmから26.8 kmとなる。
  • 木原西線

千葉県が道路事情の悪さをカバーするため、県内各地に建設した県営鉄道の一つで、建設当時は軌間762mmの軽便鉄道であった。建設工事は大日本帝国陸軍鉄道連隊によって、訓練の一環として行なわれた。1922年に制定された改正鉄道敷設法別表第48号の予定線に「千葉県木更津ヨリ久留里、大多喜ヲ経テ大原ニ至ル鉄道」があげられたことから、1923年に国へ無償譲渡され、鉄道省の久留里線となった。1930年には、1067mmへの改軌が完成し、1936年には上総亀山まで延伸されたが、その先へ伸びることはなかった。この延伸区間は、太平洋戦争中の1944年に不要不急線として休止され、戦後の1947年に復活するという経過をたどっている。

戦後は京葉工業地帯の通勤客が増えるが、それでも閑散線区の域を出ない。しかし将来性が認められて国鉄諮問委員会による赤字ローカル線廃止勧告を免れる。


なお、予定線の大原側は、木原東線(現在のいすみ鉄道いすみ線)として1930年に開業した。

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最終更新:2012年08月31日 20:23
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