はぃせん
時代の流れってとこかな?廃線が目立ち始めたのは昭和終戦後なんですね。モータリゼーションとかいってマイカーの戦いに負けて会社も「まいっか」で諦めてしまうことで車化社会が発達して多くの鉄道路線が廃止になったんだ。バスの場合は廃線ではなく廃止と表記される事が多い。鉄道は廃止すると線路を撤去すると思われがちだが将来復活することを想定して踏切だけは撤去して線路は残しておくパターンもあるが廃止とするのは休止にすると単に鉄道資産付の税金がかかるのが嫌で廃止にしているのだ。バスの場合も同様で廃止されるとバス停ごと撤去されたり将来復活を想定してバス停の頭(標識)と時刻表だけ外して骨組みだけがその場に残されることもある。
:鉄路に戻ることがない路線は、踏切に柵やロープで立ち入りができないようにしたり、警報機を撤去したり踏切廃止の看板を設置したりする。一方で列車が来ないことをいいことに草木が生え放題になる。 :しかし山陰本線複線化で新線架け替えで旧線は廃止になるが、こいつを復活して観光鉄道を走らせいることもある。 :YAHoo!知恵袋において廃線に置石してもいいのかという質問がある。 :廃線訪問の記念にレールの上にそこら辺の石を置いてくるというのがマニアの間で流行っているらしい。 :しかし何も知らない輩が「置石は何が何でも悪い」と勘違いしている。 :営業線でないなら廃線であればそこに列車が来ないことが予め分かっていて置いているのであれば全く問題なく実行できる。 :逆に営業線に置石をすると列車が石を踏んだとき、最悪脱線することもあり、脱線がなくても車輪が石を踏み列車の重量で石が砕け、その破片が予想外な場所へ飛び散り近くにいた通行人や農業人に当たりまるで銃弾を受けたかのようなダメージを与え重症で病院に担ぎ込まれるなどの事態になることもあるという。 :日本では鉄道の法令が整備されているためフィリピン国営鉄道などのように整備があまり行われないために廃線跡と間違われそうなガタガタ線路なことはない。ガタガタはなくても草がボーボーな緑化軌道という場所はいくらでもある。置石が発覚すると列車往来妨害とかなんかの罪名があったけど忘れた。 :でも廃線のレールに石を置くなんて行為はやってもいいけど沿線周囲に迷惑がかからん程度にやるのが無難じゃよ。
JR北海道の路線。もともと桑園から石狩沼田を結ぶ路線だったが国鉄時代に新十津川まで短縮、民営化以降JR北海道となり北海道医療大学〜新十津川間が2020年5月7日廃止。もともと2020年5月6日を最終運行予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大によって4月16日緊急事態宣言が全国に拡大されたことに伴い、本来のラストランの日時を早めて、17日の運行を最期に廃止予定日まで運休する事態になっちまった。緊急事態宣言より先に座席指定にする予定もあった。なおな桑園から北海道医療大学間は継続。学園都市線という愛称のが多くなるであろう。
JR北海道の路線で2019年4月1日廃止。正式には石勝線の支線だが区別のためと便宜上は別路線として扱う。日本全域の路線では平成最期の廃止となる。
関西電力の路線。扇沢駅と黒部ダム駅を通った。 2018年11月30日をもって運行終了し、翌シーズン4月15日から電気バスに転換。トロリーバスは法令上、無軌条電車といい、電車の仲間。つまり鉄道に分類される。ということは本州で鉄道全体なら平成最期の廃線となる。ただしトロリーバスの走った線路は道路なため翌年も電気バスなどの通路として活用されているんだなこれが。
JR西日本の路線。江津から三次。100km以上あり、2018年4月1日に廃止。本州で国鉄民営化以降、100km越え路線の廃止は史上初だそう。また本州ではトロリーバスを除いて平成最期の廃線となる。
2014年5月12日に木古内 - 江差間が、残る区間も2016年3月26日に五稜郭 - 木古内間が道南いさりび鉄道に転換されJR北海道としては廃止。このため道南いさりび鉄道に移管された区間は継続。
JR東日本の路線で茂市駅と岩泉駅を結んでいた。元々は三陸鉄道線の小本まで延ばす予定だったが結局建設を断念し廃止の危機が議論されながらも並行する道路が未舗装な運行し続けてきた。2010年に発生す土砂災害で長期運休であったが東日本大震災で再開日が延期された。再開は未定だったが所属線の山田とか大船渡とかの路線復旧に金がかかり、元々乗降が当社全路線で最も少ないため「維持費用の9.8割を豊益路線から賄っている」国鉄再建法成立以降は廃止も選考されたが当時から並行する道路が狭いことや未整備であることからバス転換がしにくいこともあり廃止を免れたが近年は道路整備が進んできているためこの路線も危ういとのことだ。被災した鉄道路線の復旧に金がかかりすぎて元々利用率が悪い当線が切り捨てられることになった。このため沿線地元では現在も列車と同じ本数運賃で代行バスを運行しているが青春18切符も使える。しかし代行バス利用者の中には「カーブが多いから酔う」「時間がかかる」などの不満の声とともに鉄路復活を望んでいるそうだ。当路線は山田線の支線みたいな状態で乗務員も車両も山田線と共有で運用していているため当線所属の車両や乗務員はないに等しい。廃止日は不明だが廃止表明が2012.03.31なので来年2013.03.31を持ってこのままだと一度も列車が走ることもなく廃線となる。余談であるが、岩泉町内から岩泉を用いる駅名がなくなってしまったので、同じ町内にある三陸鉄道の小本駅が岩泉小本駅に改称された。
十和田線:十鉄三沢~十和田市口、いや本来廃線の予定ではなかった。しかも年々利用者は減少していたためいつ廃線になってもおかしはなかっただろう。とはいえ、十和田湖観光船の一部収益で補填してきたが東北新幹線が新青森まで開通すると途中駅に七戸十和田駅が開業し観光客もそちらへ流れ駅からバスで向かうようになってしまい、観光面でな利用減少。さらに2011.03.09-11に東日本大震災の影響でどいうわけか十和田観光船の利用が前年よりも減少し鉄道を支えられなくなった。沿線自治体にも支援を要求したが拒否される始末。そして11月に廃線を表明。他、十和田市口駅にある十和田電鉄が借りている駅ビルから2012.03中まで撤退を要求されてるため突然廃線にすることとなた。ただし廃線となると廃止申請から来年の同日まで一年間は運行をせねばならんため、同社では運輸局宛てへ2013.01末まで一年間の休止申請と2012.04.01廃止申請を提出、国が地元に意見徴収をした結果、廃止を4月に繰り下げても問題ないと判断された。これを受けた同社は休止届けを取り下げ、同時に申請した廃止届日付通り2012.04.01廃線になってしまった。
長野電鉄の路線。 2010年に赤字表明し、なぜか廃線に追い討ちをかけるバス実験をしため2012年4月1日に廃線が決定。
2009.11.01廃止。北陸鉄道の路線。野町〜鶴来間は運営継続。
35.3kmが2008.04.01に廃止。島原鉄道の路線。 諫早〜島原港間は継続。 島原外港は島原港に改称された。
6.6km-35.3kmが2008.04.01に廃止。
:のと鉄道の路線。路線の大半がJR西日本の所有地だった中、唯一のと鉄道所有の線路だった。 のと鉄道が最初に開業した路線であった。 のちに七尾線が津幡から和倉温泉まで電化され非電で残った区間はJR西日本所有のまま運営を引き継ぐ。 しかし利用が少ないことやJR西日本に支払う借地料が負担になり穴水まで短縮。結果、JR西日本の所有地である七尾線が残り現在はJR西日本の所有地で列車を運行するようになっているんだよね。
長野電鉄の路線。2002.04.01廃止。
のと鉄道の路線。2001.04.01廃止。金沢駅から行くと、特急バスのが早く着けるから利用は少なかった!七尾線とも言われていたが、そんなしょうもないどうでもいい重箱の隅ばかり突いていると嫌われるよ?
並行新幹線が開業したため1997年に廃止。 並行新幹線とは北陸モドキ新幹線のこと。18年間は長野新幹線と呼ばれていたのだ。その新幹線が北陸まで延伸されても北陸地方でない部分に関しては否めない部分があり現在は自称北陸新幹線(長野経由)というんだな。
北陸鉄道の路線。金沢と名古屋を結ぼうとした壮大な計画があり作りやすいように白山下から建設された。が、挫折した。もともと人口希少地域であるため客は少なかった。豪雨で撤橋が破壊され復旧して再開しようとしたが大改修が必要になるほど劣化が発見され、結局そのまま廃止になっちまった。 ==1985==
松本電気鉄道の路線。災害運休を経て1985.1.1廃止。 松本〜新島々間は継続。当初は新島々が赤松、島々は前渕だった。
富山地方鉄道の路線。1980.04.01に廃止。 新港造成による分断で大部分。
富山地方鉄道の路線1975.03.31廃止。 当時あった大沢野町だけが反対しとったと。
北陸鉄道の路線。当線網は市内線を前身であろう金沢電気軌道が開業させている。 :路面電車といえば、全盛期には全国68都市近く約1500kmに渡り運行しとた時代だ。 :広島などの都市は戦災に遭っていたため、道路拡張が容易だったが :金沢市は、戦災に遭っておらず、再開発が遅れる⇒渋滞が深刻化 :ようは市街が密集していて道路の拡張がし辛いと。 :道路渋滞を何とかするには道路を拡張して分散させることだが、 :市電が走る多くの都市ではん戦災にあってないため容易に家々を取り壊すのは多額の費用がかかるため拡張できず、路面電車とマイカーを共存するにはどうすればいいかと :苦肉の策で考え出されたのが、軌道敷に自動車が走ることで2車線しかない道路でも電車複線を使うことで事実上4車線化を実現しとった。 :だが、それが仇となったのか電車が自動車と自動車にサンドされる形になり、定時運行が難しくなってしまった。 :さらに、せっかく軌道敷を自動車に開放したのに市街地を走る自動車が増える一方で、余計悪化、結果、渋滞が全く解消されなかった。 :定時運行できなくなった電車に嫌気を持った利用者は次々電車を見捨ててマイカーにシフトした。 :その結果、空気輸送なのに電車が渋滞の川にいるという状態となって、採算がとれなくなり、あちこちで市電が次々廃止になっていき、今では市電が走る都市は僅かとなったようだが。 :金沢市電は1967(S42).02.11全廃。2009年現在、北陸では富山と福井だけで、富山に限っては環状線が開通し、市電復権が微妙に進んでいる。 :香林坊交差点には人が中に入り電車の進路を操作する場所があて、市民からは操作する立ち台が道路に出っ放ってるデベソように見えることから、通称・デベソと呼ばれてた。 市電
松本電気鉄道の路線。1964.04.01廃止。
休線 - 廃止とは似て非なるもので線路はあるがその上を一切列車が通過しないこと。バスでも同様にバス停はあるがバスは来ないといった感じ。 廃線 - 該当項目 終線 - 廃線と似て非なる。鉄道やバスがより早いものに負けることを少々した感じ。 [[廃線地図-2002年以降の廃線情報なし [http://www.kysd.net/ 廃線紹介画像集>http://www.geocities.jp/abolished_rail/tanbou2/Tanbou2.htm]]