冬も近づき、朝夕はめっきりと冷え込むようになった今日この頃。
離れにある自室に暖房器具を導入しよう、と考えた僕は庭の隅にある土蔵に向かった。
別に「物置」を書き間違えたわけでは無い。僕の家は無駄に歴史のある旧家であり、
城下町であるこの近辺においても一際アナクロな存在感を放つ武家屋敷なのだ。
口さがない友人達は「殿様みたいだ」と羨ましがるが、そんないいものじゃない。
古い木造建築内における冬の寒さを知らない奴らだからそんなことが言えるのだ。
どこからともなく入ってくる隙間風。毎年張り替えさせられる障子紙。
鍵もかからない襖部屋にはプライバシーなどという上等なものは存在せず
友人に借りたエロDVDを観賞するにも細心の注意を払わねばならない有り様だ。
高校進学と同時に、両親に頼み込んで自室を母屋から離れに移したのも
少しでもそういう気詰まりを解消したい、というのが主な理由だ。
用がある際に呼びかけるのが面倒だと母親は不満気だったが、このときばかりは
父が妙に物分り良く賛成してくれたおかげで事なきを得た。
あの時は、親子間というよりは「男同士」にしか分かり合えない紐帯を感じたものだ。
かくして、僅かばかりプライベートなスペースを手に入れたはいいものの、
やはり寒さは如何ともし難く暖房器具探しと相成っている、という状況である。
「確かこのあたりにあったはずなんだけどな」
ガラクタをかき分けつつ、昨年の春に片付けたコタツを探す。
大した苦労も無く平凡な構造の電気ゴタツが見つかり、埃を払いながら引っ張り出す。
コードや説明書などを確認して、離れに戻ろうとした時。視界の隅に青くて丸いものが映った。
「……なんだろ。植木鉢?」
近寄ってまじまじと眺めてみると、それはどうやら火鉢と呼ばれるものらしい。
ご丁寧に灰かき棒や炭も内部に置いてあり、灰さえ調達すればすぐに使えそうだ。
何より、白い陶器に青い染料で描かれた緻密な模様が美しく大きさも手ごろだ。
網をのせれば餅も焼けるだろう。あまり物には拘らない性質の僕だが、
この火鉢にはひと目で心奪われてしまった。
「よし、これも持っていこう。……あー、以外と重いなこの火鉢」
――しっ、失礼な
「……え?」
火鉢を持ち上げた時、どこからか女の子の声が聞こえたような気がして周囲を見回した。
薄暗い土蔵内には誰も居ない。僕一人だ。近くに妹や姉がいるわけでもない。
「そもそも僕、一人っ子だし」
幻聴を覚えるほどにそういうモノを欲しがっているつもりも無い。
無論、毎朝起こしに来るおせっかいな幼馴染もノーサンキュー。
布団とか剥がれたら、下半身の一時的高層建築を見られてしまうではないですか。
「模様替えしてみるか」
火鉢も念頭に置いて、部屋の新しい雰囲気を構想してみる。
なかなか味わい深い部屋に出来そうだ、と思った僕は上機嫌で土蔵を後にした。
「こんなもんかな」
もともとが純和風な僕の部屋にその火鉢は良く馴染んだ。
それなりの旅館の部屋のように、ゆったりと寛げる雰囲気に僕は満足する。
件の火鉢に使う灰は、面白がった父がどこからか分けてきて貰ってくれたため、
早速火鉢も稼動中していて、その様子はなんとも言えない風情がある。
「……いいもんだな、こういうのも」
―でしょ?
「うん。綺麗な火鉢だし、いろいろ使えそうだし」
―綺麗………ふ、ふふーん…当然。こんな部屋にはもったいないわよ
「餅とかメザシとか焼けるかな」
―ちょっと、お餅はともかくメザシは止めなさいよ。それなら七輪とかが……
「…………ていうか………僕、今、誰と、トーク?」
―いきなりカタコトなのは何故?
その声が、どう考えても目前の火鉢から発せられていることに気付いた僕は、
畳を傷めそうな勢いでズザザザザザッと後ずさった。普通火鉢は喋らない。
ここがファンタジー世界なら在り得そうだが、その可能性を考慮するよりは
僕個人の脳内がファンタジーだと考えた方がまだ合理的だろう。うわ、最悪。
―その、いきなり喋り始めた犬を見るような目はやめなさい。なんか腹立つから
犬が喋り始めたほうがまだましだ。あれ一応哺乳類だし。
翻ってあんたは無機物じゃないか。発声器官無いじゃないか。
声も無く胸のうちで反論していると、僕の内心を見透かしたような言葉がかけられた。
―ひとがたを取れば、少しは落ち着く? まったく面倒なんだから……
「ぇ? ひとがた、って……」
ぶわあっ
「うぇあっ! げほっぐほっ!」
突如、火鉢の灰が舞い上がって視界を遮る。
やがて灰の煙幕が収まった時、げほげほと咳き込む僕の視界にあったのは。
「……………誰?」
「この状況で『コタツの精です』と名乗るほど横紙破りじゃないわよ。はじめまして、私はかぐら」
「わかぐら? 若グラ?」
「か・ぐ・ら!」
目前に仁王立ちする、火鉢の柄とそっくりな小袖を着た女の子が不機嫌そうに応じる。
かぐら、という名前であることは分かったが、それ以外のことが何一つ分からない。
重ねて聞いてみる。
「君は、その……何者?」
「火鉢」
「簡潔すぎっ!!」
「付喪神って、知ってる?」
「あー、なんか聞いたことあるような……」
腕組みしたまま偉そうに語るかぐらによると、長い年月を経たものには魂が宿るらしい。
それは生き物のみならず器物にも同様で、付喪とはそもそも長い年月を表すつくも
(九十九)の
当て字なんだそうだ。
「つうことは、なんだ。99歳のバ……」
「ふんっ!」
「おふゥっ!!」
バア、まで言葉を発することが出来ず、両首筋に鋭く叩き込まれた手刀にしばし悶絶する。
かぐらはそんな僕を無視しながら部屋を見回し、先ほど灰の巻き上がった火鉢周辺を見て
顔をしかめた。
「それはそうと灰を片付けなさいよ。あたし綺麗好きなのよ?」
「アンタだアンタ! 汚したのはアンタだよっ!!」
「仕方ないでしょ。出てくる時には灰神楽が起きちゃうんだから」
「灰神楽って、さっきの……ああ、だから君はかぐらなのか」
ひょんなことから名の由来が判明。
なるほど、と頷く僕を見て落ち着かない様子のかぐらは唇を尖らせて呟く。
「安直だって言いたいんでしょ」
「え? そんなことないよ。いい名前だと思う」
「……そ、そう? 本当にそう思う?」
「うん。『ミーはみなしごバッチ! よろしくね!!』とか名乗られるよりずっと」
怒ったかぐらさんの周辺の空気が焦げ臭くなり、今にも発火しそうな按配でした。
以後、火の元には気をつけます。
そんなこんなで、プライバシー保護の為に確保した離れは母屋より自由の利かない場所になった。
さほど回数は多く無いとは言え、きまぐれに出現するかぐらは十二分に美少女と言える容貌で、
白磁(まさしく、だ)のような肌に青い綺麗な小袖を纏い、黒々とした髪を丁寧に結い上げている。
ややもするとキツくみえる切れ長な目でこちらを見られると、正直言ってどぎまぎする。
……くそ、火鉢のくせにっ!
「とはいえ、餅を上手に焼いてくれるのは感謝」
「……なによいきなり。あっ、私はきな粉でお願いね」
ついさっきまで網の上で餅を焼いていた火鉢自身が餅の味付けに注文をつける、という
シュールすぎる状況にも最近では随分慣れた。ていうか、慣れないなら狂うだけだよね!
言われるままにきな粉をまぶした餅を皿に乗せ、しばし無言で食らう。
やがて皿は空になり、二人でほうじ茶をすすりながら、ふと抱いた疑問をぶつけてみる。
「……かぐらは、今まで土蔵でどうしてたの?」
「どうもしないわよ。ずっと寝てただけ」
「あ、じゃあ僕が起こしちゃったのかな」
「……そーよ、すっごい迷惑。まあいいけどね」
「ふーん……」
横目でかぐらの表情を伺う。
本当にずっと寝ていたのかな、と思う。
「ま、あんたはなかなか見所あるわよ。今時火鉢なんか使わない家の方が多いでしょ?」
なのに私を綺麗に丁寧に扱うし、炭や灰もこまめに換えるし……」
そう言うかぐらは少しだけ嬉しそうに見える。
埃を被って、土蔵で眠り続けていた時よりは嬉しいのだろうか。
「私、結構役に立つでしょ?」
「うん、とても」
僕の素直な返答に一瞬だけきょとん、としたかぐらはすぐに満面の笑みを浮かべる。
「うふふっ……褒めてつかわす」
「恐悦至極」
―こんな魂が宿るなら、物を粗末に扱う人なんかいなくなるだろうに
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冬が終わる頃、かぐらは時折不安気な表情を見せるようになった。
春や夏になっても火鉢を出している奴はあんまり居ないだろうし、その不安は良く分かった。
かぐらはまた土蔵に押し込められることを恐れているのだ。
「もうすっかり春だねえ……」
「そ、そうね。春ね」
「あったかくなったね」
「そうかしら? まだまだ朝夕冷え込むんじゃない? あ、あとね、梅雨とか寒いわよ?」
火鉢本体を隠すような位置で座りながら、どこか必死な様子のかぐらを見て頬が緩む。
ちょっとした意地悪をしてしまったことに反省しながら告げる。
「僕、お餅好きなんで……年間通してコンスタントに食べるんだ」
「?」
「いちいち母屋の台所まで行くのも面倒だしさ、やっぱり火鉢があると便利だよね」
「!?」
「……んーと、だからまあ、かぐらは年中働きづめになっちゃうけど……」
「しっ、仕方ないわね……ほんと、いい迷惑!」
白皙の頬に朱を上らせて、ぷいっ、と横を向くかぐら。
笑いをかみ殺しながら、どうやらまだ何の魂も宿っていないらしい電気コタツを抱え上げる。
こちらは次の冬まで本当にお役御免だ。土蔵の定位置に戻すため、かぐらを残して部屋を出た。
「よっ、と……………ん? これ、七輪か?」
かぐらの宿る火鉢が置いてあった少し後ろに、小ぶりな七輪を発見。
そう言えば、どれだけなだめすかしてもかぐらはメザシやスルメだけは焼かせてくれなかった。
こいつも一緒に置いておけば便利かもしれない。
「……かぐらが焼かせてくれれば、面倒は無いのにな」
―えへ、あたしならなんでもばんばん焼いちゃうよー
「ホント? 助かるなあ」
―あたしがんばるから……かわいがってね?
「もちろん! ………………………ちょっと待て、このパターンは………」
~おしまい~
最終更新:2011年03月04日 11:13