「…お、おはよう…」 「?おはようございまぁす…」 「あ、やっぱわからないよな…ボクなんだけど」 「はぇ…?」 連休明けの気怠い朝。五月病の実在を実感しているとマンションの隣の部屋から同じ高校の制服を着た見覚えの無い娘が出てきたので ついジっと見てしまった。バッジを見る限り同じ学年らしい。でも隣の部屋に住んでるのは同じクラスの楠くんの筈だ。 じゃあこの娘は誰だろ?と思っていたら、どうやら楠くん本人らしい。 楠くんは半年程前に越してきた。同じ高校に進学する事もあってちょいちょい話はするようになった。 けど、そこまで突っ込んで親しいわけではなく、要するに普通のお友達だと思う。…ちょっとカッコいいかなとか思ってたのは内緒だ。 15、16歳の誕生日で男性は女性化する。所謂、TS症候群。小学校の3年生位には授業でも習ういわば常識で、 15歳で女性化するのは女性化者全体の1割以下で多くの場合は16歳で女性化するらしい。 そして、女性化した者は殆どが『美少女』とか『美人』だとか称される様な容姿になる…と習った。 回避するには『童貞を捨てる』、要するに女の子とセックスすればいい。彼女とかの、要するに『する相手』がいない人用に国が運営する 『国営ソープ』とか『施設』と呼ばれる場所もあるんだけど抵抗があって結構行かない人もいるって聞いたことがある。楠くんもそうだったのかな。 …第一印象は『ズルい』と思った。 女性化した人ってテレビとかでは見たことあったけど、いざ『現物』を目の前にすると不思議と言うか凄いと言うか、 人間ってこんなに変わるもんなんだなと思った。楠くんは何と言うか『フツメン』だったんだけど、目の前のこの娘は『純和風美少女』って感じか。 腰の辺りまで伸びた長い艶やかな黒髪はシングルテールに結われてる、雪とか白磁とかに喩えられそうな真っ白い肌、幼い印象の整った小さな顔、 何より特徴的な吸い込まれそうな大きな丸い瞳。睫毛も長いよ。なにこのクオリティー。 身長は、前は170cm位あったと思うけど、今は私より多分5cmほど低いから150cm位とか? スタイルも良さそうだ、おっぱいは小さそうだけど無いって程じゃないのかな?Aとかかな?よしッ、ここだけなら勝つる! にしても細ッ!!でも不健康な感じがしない細さ。なにそれ羨ましい。足とかもスッラーって超長い。鬱で死にたくなる。 …チートって言うんだっけ?こーゆーの。どうしたらこうなるんだろ… 「……ねぇ、河瀬?」 「ひょぇ?…あ、ごめん呆けてた」 「いや、いいんだけど……ボク、変なトコないかなあ?」 変って言うかふつくしいです。女として生きてきた自信無くすよ、何これ可愛うぃい。 自信無さ気に上目遣いで覗き込むとかテンプレ通りなんだけどそれ故に威力抜群ですねわかります。 「か、可愛いと思うよ?」 「可愛い…か、ハァ…それ、喜んでいいのかな?イマイチ分からないんだ…」 何が不満なのだろう?女の子は可愛いが無いと生きていけないんだよ?可愛いは正義なんだよ? 可愛いはすごいんだよ?ないと困るよ?むしろ可愛いがおかずだよ?下ネタ違うよ? 「それだけ可愛かったら多分みんな大騒ぎだと思うよ?」 「うぁ…それ考えたくないな…やっぱもう少し休めば良かったかなあ…」 「誰かに相談したの?」 「話した奴はいるけどね…そいつ学校別だから…高校で親しいって程の友達がまだいないんだ」 「はぁー…ツライね、それ」 「仕方ないけど…なんか、今更だけど…後悔とか、ね」 「…そのぉ、何で…『施設』とかに行かなかったか…訊いていい?」 「……うん…あのさ、ウチ母子家庭って知ってるよね」 「うん」 「親の離婚の理由な、父さんの浮気だったんだ」 「…うん」 マズった、意外と重い話っぽい…もっと単純に「あーゆートコってなんだか怖そう」的な軽ぅい感じを想定してた。 「父さん、母さんと別れる直前まで『あいつとは気の迷いだった、愛してるのはお前だけだ』とか言い訳してて」 「…うん」 「…ボク小4の頃だったんだけど、それ見てて…なんか、好きでもない相手と何で『そういう事』が出来るのか信じられなくて… それまで尊敬してた父さんの情けない姿とか…父さんを見る母さんの冷め切った眼とか…本当…凄くイヤで…」 おぉぅ…やっぱトラウマ系の話かぁ…もろ地雷だったね。あー、もの凄い弱々しい顔してるし…やびゃい保護りたい。 「だからボク『施設』とかで好きでもない……ッて、ぅえっ!?かッ…か、か、河瀬ッ?!」 「……(あるぇ?)」 気が付いたら抱き締めてしまっていた。…だって可愛いし。あー、いー匂いするー。 「あの、ね?わたしなんかで良ければ相談でもなんでもしてよ…力になりたいんだ」 「…河瀬……いいの?」 「うん、わたし実は前から楠くんともっと仲良くしたかったんだよ?」 「ふぇッ?!ぇっと…あ、あの…その…そ、それ…って…」 「…友達として」 「あ、あーッ!?で、ですよねー!?わかりますッ!…わかりますよ、ハハ…」 楠くんの力になりたい、守ってあげたいと思った。これは本当だ。 でも、慌ててる様子があまりに可愛くて思わずちょっとだけ嘘をついてしまった。 登校してからはそれはそれは大変だった。まーそりゃーそーだろーねー、楠くん可愛いもん。 クラス内カースト中位の男子は楠くんの机に群がり、上位のイケメン達は遠巻きに様子を伺い、下位のヲタ・池沼達はチャンスの順番に備えている様だ。 女子も反応はそれぞれで「可愛いー」とか「キレー」とか言ってきゃいきゃい騒いでる子もいれば、やっかみの視線を送っている子もいる。 予想はしてたけど大変そうだなー。なんとかしなきゃ! わたしはなんとか楠くんを連れ出し今はトイレトーク中だ。 「いやー、やっぱし凄かったね」 「暫くあの感じが続くのかな…勘弁してほしい…」 「しょうがないよ、楠くん可愛いもん」 「河瀬ぇ…」 「うーむ…可愛いのはホントだけどぉ、このままじゃ大変だもんねー…とりあえずウチのグループに入る?」 「グループ?」 「あー、深く考えないで、要するに友達を紹介するよってコト」 友達付き合いの感覚も男女では少し差があるかも知れないけど、今の楠くんには一人でも多くの味方が必要かなと思った。 予想していたとはいえ皆の反応が激しい。わたし一人ではフォローし切れないだろうし、いじめとかあっても困る。 「…というわけで~、楠…えっと、下の名前って国久のままじゃないよね?」 「桂ぁ、HRの時の自己紹介で言ってたろ?聞いてなかったのか?楠来未ちゃんだよね」 「…『ちゃん』とか…恥ずかしいから、やめて…」 「よろしくねー、来未ちゃんー」 「あ、よろしくおねがいします…えっと、日比野さん、敷島さん」 「そんな緊張しなくても…まぁ宜しくね!…なんかお姫様っぽいから姫って呼んでいい?」 「いや、それも勘弁…」 「姫ちゃんかわいー、女性化した子ってみんなかわいーよねー」 「ホントなぁ、静花がいっつも一緒にいる子も入学してすぐ女になってたよな?」 「うんー、タクちゃんは可愛いってゆーかーマジ天使だよー、姫ちゃんにも今度紹介するねー」 「…いつの間にか姫ちゃんに確定されてる…」 「まぁ、女子のノリなんてそんなもんだよ姫ちゃん」 「河瀬ぇ…」 ---- それから暫く経って、クラスの皆の反応も落ち着き、懸念してたいじめ等の問題も無かった。 まぁ、なんだかスゴイらしいあの『敷島 静花ちゃん』と同じグループだからへたに手出しなんて出来ないだろうけど。 わたしらからするとフツーに可愛くてぽやっとしてる子なんだけどなぁ静花ちゃんって。 楠くんは放課後にはわたしらと一緒に学校近くのカフェや蔦屋に寄り道したりして、なんとなく『女の子』馴染んでいってるようだ。 クラスでも男女問わず少しずつ打ち解けていてる感じだった。 日曜日、そろそろサ○"エさんが始まるかなって時間、マンションのロビーで楠くんと一緒になった。 「あ、BMX」 「うん、この体にも慣れてきたからまたはじめようと思って」 「じゃあ、すぐそこの公園で練習してたんだ」 「久々にやったら夢中になっちゃって…もう少し早く切り上げるつもりだったんだけど…でも楽しかったー」 BMXをしてる楠くんは何回か見た事がある。普段おとなしくて、どちらかというと地味な印象の楠くんが 一生懸命にトリックを練習してるのを見てわたしは…カッコいいなと思っていた。 今、目の前にいる子は姿形は違うけど、その笑顔は男の子だった時の楠くんと同じで… 「楠くん、カッコいいね…」 「え…?」 「へ?」 …しまった、思考が口から漏れてしまってたらしい… 「い、いや~、あはッあはッ……じ、実はねぇ、わたし楠くんのコト、ちょっとカッコいいかなーとか思ってたりしたんだよねぇ…」 「か、河瀬…ッ!?」 「いや、好きとかそういうんじゃないんだよ?それ、BMXとかしてるの見てぇ、一生懸命に汗してるのとか素敵ぃとかそんな感じなだけ…」 「あ…う、うん、ありがと…」 「いやいや、こちらこそ…だからね、今は楠くんとお友達で、前より仲良くなれたから、嬉しいんだよ!」 「河瀬、あの…」 「じゃ、じゃーねーッ!また明日ッッ!」 「あ!待って河瀬っ!」 照れ臭くなって部屋に逃げ込もうとしたら楠くんに手を摑まれてしまった。…やばい、もっと照れ臭い状況じゃん。 「河瀬…あの、ありがとう」 「ほぇ?」 「女の子になってから…河瀬がいなかったらボク、一人で途方に暮れてたと思う…だから、あらためて言いたかったんだ」 「い、いやーいいよそんなの」 「本当にありがとう河瀬」 「へへへ、照れるね…」 「それからさ、ボクのこと男の時の呼び方のまま呼んでくれるのも河瀬くらいだし」 「へー、そうなんだ」 「うん、もう他の皆は『姫』とか『ちゃん付け』で呼んだりとかだから、なんか寂しくて」 「寂しい?」 「うん…女の子扱いが当たり前になっていって、それに慣れて…段々と男だった頃の自分が薄くなって、消えていくみたいで… ボクはもう女の子だから、それで当たり前なのかも知れないけど…じゃあ、男だった頃の自分はなんだったのかなって…思ったり」 「楠くん…」 「だから、男の時と同じ呼び方とかされたりすると、変かもしれないけど…嬉しいんだ、だから…」 ……にょたっこも複雑なんだなー…それよりもさ~、楠くん…あの~、その… 「…………手」 「え?……ッ?!!あ、あーッ!?ご、ご、ご、ご、ごめんッ!!」 「いいよー、女の子同士だし」 「え、あ、いや…そういう問題じゃなくて…その」 「へへへーッ、そりゃッ!」 「か、か、か、河瀬ェッッ?!!」 思い切り抱きついてみた。楠くんが可愛いのが悪いんだと思います。 「フムフム、やっぱりおっぱいちいちゃいね」 「か、河瀬…その…」 「むふーぅ、ドキドキしてる?」 「っ…河瀬ーッ!」 「…楠くんはね、楠くんだよ」 「…え?」 「女の子に抱きつかれて顔を真っ赤にしてドキドキしてるんだよね?じゃあ、楠くんの中の『男の子』はまだ楠くんの中にいるよ」 「…河瀬」 「楠くんが女の子に慣れていっても、その『男の子』は楠くんの中にちゃんと残ってるとおもうよ?それに… わたしはずっと覚えてる、わたしがカッコいいって思った男の子の楠くんをずっと覚えてる!」 「……」 「これから、女の子の楠くんと過ごす時間の方が男の子の楠くんと過ごした時間より長くなっても、わたしは男の子の楠くんを忘れないし… 今、目の前にいる可愛い女の子の楠くんも、カッコいい男の子の楠くんも、同じ楠くんだと思うよ!」 「…河瀬……ありがとうッ…」 「えへへー、どういたましてぇッ!うーん、やっぱ可愛いねー楠くんは」 「……頭を撫でないでよ」 …わたしも抱きついた時にドキドキしてたのは内緒だ。…バレてるかな?まぁ、楠くん凄くキョドってたからバレてないか。 それにしてもやっぱり『ズルい』と思った。もう楠くんは女の子なのに…ズルい。 ----