植田徹の全日本選手権フォーミュラ・ニッポンの案内
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フォーミュラ・ニッポンとは
全日本選手権フォーミュラ・ニッポンは、1996年(平成8年)から2012年(平成24年)まで日本で開催されていた自動車レースの1カテゴリーである。
JAF略称は「FN」(2009年までは「JAF-F3000」)、レース格式は国際。フォーミュラカー(オープンホイール)を使用した四輪レースで、日本最高峰かつ独自のカテゴリーである。“日本一速い男 決定戦”とも呼ばれ、レース専門誌やファンの間では「Fポン(エフポン)」や「FN(エフエヌ)」などと略される。
概要
日本レースプロモーション(JRP)を運営母体とし、日本自動車連盟(JAF)公認の下、全日本F3000選手権を引き継ぐ形で1996年にスタートした。
当時、国際F3000がレギュレーション変更によりワンメイク化されたのに対し、国内レース関係者はこれを良しとせず、発足当初は従来のF3000レギュレーションを継続。1999年より新しい国際F3000の安全基準のみを取り入れ、車両規則は独自のレギュレーションを規定した。
レース形態
2000年からレース途中のタイヤ4輪交換を義務付ける事で、レース中のエンターテインメント性を高め、チームとドライバーにはレース戦略の構築が求めるられようになった。
2003年からローラのワンメイクになるにあたり、レース距離は変えずに「再給油」を導入したが、レース途中で再給油せずにレースを走りきってしまう場合があったため、2004年からレース距離をそれまでの200kmから伸ばし、さらに2005年からはF1とほぼ同じ「300km」とした。これにより無給油でレースを走りきれないようになったはずだったが、実際には無給油で走りきってしまうチームが続出した。 また、ピット作業の人数を制限したこと、後にタイヤ4輪交換の義務を無くしたことで、前後いずれかのみ、または左右いずれかのみの2本を交換する事でピットインの時間を短くする戦略も生まれた。
2007年にはレース距離を最短230kmから最長300kmまで幅を持たせたり、ピットインの義務付けを無くしたりと、レースにバラエティをもたせる試みがなされた。また第3戦(もてぎ)ではスペシャルステージ方式の予選が行われた。
2008年は、第5戦(鈴鹿)と第6戦(もてぎ)と第7戦(富士)で2レース制を採用した。2レース目のスターティンググリッドは第1レースの上位8台がリバースグリッド、9位以下は第1レースの着順のままであった。また2レース制の導入によりポイントシステムが変更された。予選システムに関しては、F1でも採用されているノックアウト方式の予選が採用された。
2009年は参戦コスト抑制を目的に、大会日程を3日間から2日間に短縮。前年採用した2レース制やリバースグリッドは採用せず、レース距離も最長250kmに短縮された。なお、予選は前年同様ノックアウト方式であるが、エントリー数の減少もあって予選順位の配分が変更された。
海外での開催
2004年にはマレーシア(セパンサーキット)で初の海外戦を行ったが、現地のオーガナイズに問題が多く、通常国際格式で行われるはずのレースがなぜか準国際格式で行われたほか、レースの賞金の支払を巡るトラブルも発生した。2005年もセパンでのレース開催を予定していたが、現地オーガナイザーとの交渉が決裂し開催は中止された。2000年から2002年には、スカラシップとしてアジアのドライバーをシリーズに招き入れる[2]などの制度を実施していたが、その試みは3回のみで中断してしまった。
マシン
シャシー
発足当初は旧全日本F3000を受け継ぐ形で、レイナード、ローラ、童夢がシャシーを供給していたが、JRPがフォーミュラ・ニッポン専用マシンの供給を打診したところ、1999年より、ローラ、レイナード、Gフォース(現 パノス)の3メーカーが専用シャシーの供給を開始した。しかし、ローラとGフォースの戦闘力不足もあってレイナードの実質ワンメイク状態へと年を経るごとに変化した。 2002年にレイナードが倒産したため、2003年からローラのワンメイクとなり、3年毎にシャシーが更新されることになった。2006年はシャシー更新の年に当たり、引き続きローラ製の新型シャシー「B06/51(FN06)」が使われることになった。この「FN06」は、前年度まで使用されていた「B351」の正常進化形であり、モノコックについては変更部が認められないものの、新エンジンの搭載に伴う出力の増大と低重心化に対応して各ユニットを再設計している。 また、これまで変速にはシーケンシャルシフトが採用されていたが、「FN06」のステアリング操舵荷重が走行時は極端に重いことや、よりハイレベルな攻防を可能にするため、2009年に予定されていたパドルシフト(ザイテック社製)の導入を2008年に前倒した。 2009年からは後述の通り、スウィフト・エンジニアリング社製のシャシー「017.n(FN09)」が導入された。 「FN09」も導入当初よりステアリングの操舵荷重の重さが問題となっており、2010年よりパワーステアリングの装着が認められ、第5戦(菅生)より装着された。
エンジン
旧全日本F3000と同様に3,000cc V8エンジン(9,000rpmでリミッターが作動)がそのまま用いられ、無限(現 M-TEC)のMF308、コスワースのDFV(一時期ACも使用された)、ジャッドのKVなどが当初は使用された。しかし、コスワースとジャッドは2年足らずで淘汰されてしまい、その結果1999年から2005年までは無限MF308の事実上ワンメイクとなっていた。 しかし、その無限MF308も供給を続ける事が困難になってきたため、2006年からホンダとトヨタが、インディ・レーシング・リーグ(IRL)用のエンジンをベースとした専用エンジンのホンダ・HF386E及びトヨタ・RV8J(3,000cc V8は変わらず、リミッターの設定は10,300rpmに引き上げられた)を供給することとなった。 2006年から2008年のエンジン使用勢力図は、日産系のIMPUL等がトヨタエンジンを選択したり、トヨタ系の新規参入チーム(TOM'SやINGING 等)が増えた事もあって、トヨタエンジンを使用するチームが多数派を占めている。なお、各チームは3年間同一メーカーのエンジンを搭載することに決められている。成績面においては、2007年シーズン序盤までは特に燃費面でトヨタエンジンの優位が目立ち、結果として上位の成績をトヨタユーザーが独占する状態になっていたが、シーズン中盤からはホンダエンジンを搭載するNAKAJIMA RACINGの巻き返しが見られた。 2009年シーズンからは、SUPER GTのGT500クラスに使用するものと基本設計が同じ3,400cc V8エンジンのホンダ・HR09Eとトヨタ・RV8Kが供給されている[3]。また、レブリミットを20秒だけ10,700rpmまで引き上げるオーバーテイクシステムを新たに導入。1レース5回まで使用が許され、システムの使用中(システム作動5秒後にランプが点滅)および使用回数(使用可能回数のランプが点灯)が一目で分かる“オーバーテイクランプ”(PIAAが供給)がドライバーの頭上に設置された。なお、シリーズのポイントリーダーのみオーバーテイクランプが赤色(通常は白色)で点灯する。
タイヤ
初年度はブリヂストンと横浜ゴムが供給していたが、レース費用低減を図るため翌1997年からのワンメイク化が決定。コンペティションの結果、ブリヂストンが独占供給することとなった。尚、現在はレギュレーションでタイヤメーカーは1メーカーのみと定められている。 土曜日の予選から日曜日決勝までに一人のドライバーが使えるタイヤはドライ、ウェット各4セットずつと定められている。ドライタイヤにはスタンダードコンパウンドとソフトコンパウンドの2種類があり、ツインリンクもてぎ以外ではスタンダードが供給される。なお、2007年シーズン途中に2008年スペックのタイヤが前倒しで供給され、耐久性、グリップともに向上したタイヤが用いられることとなった。 ウェットタイヤは1パターンのみであるが「ステルスパターン」と呼ばれる溝により、磨耗が進むと路面との接地面積が増え、インターミディエイト的な使用も可能となる。
チーム名
シリーズ発足に際し多くのファンに親しみを持ってもらうため、全エントラントは従来のエントラント名や車名(スポンサー+マシン)ではなく、野球やサッカーで一般的な“チーム名”を使用することになった。これはレース界で初の試みである。
競技運営
日本レースプロモーション
日本のトップフォーミュラであった全日本F3000選手権は、1990年代初頭のバブル景気崩壊以降 徐々に参加台数や観客動員数が減り続けた。それを新たなシリーズに転換し、プロスポーツとしての確立やビジネスとして構築するために日本レースプロモーション(JRP)が発足。JRPは、フジテレビを中心にチーム及びサーキットの関係者により組織され、設立以来 社長を派遣し「フォーミュラ・ニッポン事業本部」を置くフジテレビ主導でシリーズ運営を行ってきた。 1987年以来F1全戦を放送してきたフジテレビを中心に新たなプロモーションが展開され、当初は参加台数や観客動員数が増加(参加台数:約18→26台、観客動員数:41,000→51,000人 それぞれ1995年と1996年の開幕戦での比較)したが、それも長続きはしなかった。
2004年7月31日に組織改革が発表され、NAKAJIMA RACING代表の中嶋悟が会長に、ツインリンクもてぎ取締役(当時)の野口幸生が社長にそれぞれ就任した。以後フジテレビは運営から徐々に退き、替わりに本田技研工業が運営に関与した。しかし、2008年の平均観客動員数は27,000人にまで減少しており、観客数の長期低落傾向には依然歯止めがかけられなかった。 さらに、2008年後半の金融危機以降スポンサー減少の影響もあり、2009年は参加台数が13台まで減少した。合わせて、ホンダの関与も変化したが、その後、国内の自動車メーカー3社(ホンダ・トヨタ・日産)が間接的に出資し、JRPの活動を支援した。2010年4月には、ホンダF1(第2期)のV10エンジンやSUPER GT用のホンダ・NSXなどの開発を手がけた白井裕が社長に就任した。
運営に関する論議
メディアからは「ドライバーやバトルは高レベル」と評されるものの、前述のように興行は現在に至るまで苦戦が続いている。さらには、地上波でのテレビ中継が2005年に打ち切られ(詳細は後述)、2008年以降の世界的な景気低迷等から高木虎之介、本山哲、松田次生、ブノワ・トレルイエといったチャンピオン経験者までもがシートを失う事態となっている。
これに対しJRPでは、前述の中期計画でSUPER GT・GT500クラスとのエンジン共通化を発表したり、2010年には1994年(旧全日本F3000時代)以来となるノンタイトル戦をSUPER GTとの合同開催で実施するなど、ここ数年はSUPER GTとの連携を強化する方向性を打ち出している。
最終更新:2013年01月15日 16:34