クレセント 『1話』

 ――これは、悪夢?

 とうとう『ライザール』は敵兵の侵入を許してしまった。今までかろうじて持ち堪えていた体勢が一気に崩れる。味方兵たちの士気も既に
限界だ。
 反抗の気力は蛮行の前に踏み潰される。それは既に戦争ではなく、虐殺と呼ばれる部類のものだった。敵兵が死屍累々を踏みしだきながら、
それを更に生み出していく。

 ひとりのドワーフ――まだ子供だ。彼はドワーフの死体に埋もれながら、この凄惨な画をひたすら目に焼きつけていた。隠れ蓑にした死体
は、彼の母親のものだった。重さは意外なことに感じず、ただ身体を守るように濡らす温かな血の味と匂いと感触だけが、彼の意識を現実と繋
ぎ止めている。
 ふと、敵兵のひとりが視線に、ドワーフの子供の存在に気がついた。

 一歩、一歩――段々と近づく死神の足音。ドワーフの子供は虚ろな目で追い、そして

 どこかで牝馬の泣き声のような号令が聞こえた。

 それは戦争終結の号令である。やっと、ライザールは負けを認めたのだ。敵兵も子供へ向かった足を止める。そしてなにかを探すように空を
見上げた。
 そこには、人間から兵隊になる過程で預けておいた、人間らしさとか心とか呼ばれるなにかがあるのかもしれない。そうでもなければ無表情
に人を切り殺せるわけがなかった。
 ドワーフの子供もそう考えて空を見上げた。

「おいドワーフのガキ」敵兵が笑う「そっちじゃねーよ」
 子供は首を傾げる。
 敵兵は真上ではなく、遠くのライザールの城よりも遠くを指さした。しかし死体の下敷きとなっているせいで、上手く見えない。仕方なく
敵兵がその中から彼を引き摺り出し、肩車をした。

「見えるか? あの火山? 『カルラ火山』って呼ばれててな、噴火ばっかしてて周辺の住民たちをいつも困らせてるんだ。むかつくだろ」
「でも、レヌリアだって同じ」
「かもな」敵兵が苦笑いする「あー、どうして俺はこんなことしてるんだか……
 お――ッ!? 見ろよガキ、……見えるか? 火山の溶岩が月にかかって、ヘヘ、まるであの赤い三日月が噴火のせいでそうなってるみたい
で、おもしれぇぜ」

 ドワーフと人間が決定的な溝を作ったのは、普通は『青の三日月事件』が原因だと言われている。しかし、本当は『赤の三日月戦争』の時点
でそこには決定的な溝が出来ていたのかもしれない。

「アハハハハ! 故郷のガキンチョたちも見てんのかな」

 火山が噴火する轟音が聞こえた。空に浮かぶ赤い月がやけに印象的だった。
 『グレゴリー・ミシェロビッチ』は、今でもそのときのことをよく夢に見る。火山も三日月も敵兵も、なにもかもが遠くのことに思えた
あの、すべての始まりを……
 ――それから約二十年後 ライザール王国 酒場『ヴァニッシュ』

「グレゴリーさん、どうかご決断を!」
「しかし、そう言われてましても――『カルロス』さん? ワタシとしてはどうも納得がいかないのです。どうして今更なのでしょうか? もう
赤の三日月戦争から約二十年が経とうとしています。征服されているとはいえ、今はそれなりに平和ではありませんか」

 もちろん搾取されるというデメリットに目を瞑ればの話だが。しかし、
 グレゴリーは目の前の人間の男を見る。実直で真剣そうな黒い瞳、鉄の剣が人間となればそのまま彼になるのだろうと思わせるほど、鍛え抜
かれた肉体。

 赤の三日月事件以来、ドワーフたちは人間と少しずつだが着実に距離を取り始めた。彼らの少数は街から出ていき、半数近くが採掘現場の近
くに集落を作り、人間たちとの交流も少なくなっている。
 現にグレゴリーも採掘現場の近くに居を構えている。しかし、ライザールには頻繁に出かけており、人間の顔見知りも少なくはない。
 こうして今日も街へ鉱物を運ぶついで、知り合いの元に足を運んだのだ。

 カルロスが持ちかけたのは、数ヵ月後に採掘現場の視察に来るレヌリアの要人を人質に取り、ライザールの独立を認めさせる、という作戦だ
った。
 街全体で協力すれば、本気でレヌリアに打ち勝つことができると思っているのである。
 無謀だ。その程度で落ちるほどレヌリアは脆くない。

「しかし要人は『インペリアルガード』に守られています。彼らを捌くだけでもかなりの血が流れることでしょう」
 インペリアルガードは帝国が誇る最強の特殊部隊である。要人の護衛には間違いなく、彼らが引っ張りだされる。ドワーフなど髭の量くらい
でしか勝ち目がない。
「それに関しては大丈夫です。『クルス・ガンドッグ』を?」
「いえ。聞かない名前ですね」
 カルロスが熱を込めた口調で説明する。
「弱冠十八歳にしてライザール随一の剣の使い手。その腕を見込まれてレヌリアがスカウトしたんです。インペリアルガードにね」

 カルロスが悪戯気に笑い、グレゴリーが目を見開く。
「つまり、その、クルスさんに頼むわけですか?」
「ええ。今までの働きで信頼は充分に得ていますからね。今回の視察の護衛に抜擢されました。前代未聞の事態ですが、これを利用しない手は
ない。頼みますグレゴリーさん! 運命の神が我々に微笑んでいるんですよ、今しかチャンスはないんです」

 カルロスは『クラフター』の幹部であるグレゴリーを納得させれば、ほとんどのドワーフが仲間になると思っているのだろう。しかし、今の
ドワーフたちは人間に少なからずの反感を持っている。グレゴリーに従う者も多いだろうが、反対意見も少なくないだろう。
 ――だいたい、ワタシ自身、人間のことは

「とりあえず、今日、仲間と一緒に相談します。明日には返事を」
「わかった」クライブが答える「よい返事を待っています」
 黒斑点の模様を持つ犬が駆け抜ける。その後ろを追うのは街の子供たちで、両手には山ほど石を抱えている。それを見た花屋のおばさんが嗄
れた声で叱りつけるものの、既に子供たちは遠くに行ってしまっていた。
 そのとき、豪華な馬車が道を荒々しく駆け抜け、外に置いてあった花屋の植木鉢をなぎ倒していった。やるせなくなったおばさんは荒々しく
店を閉めて中に籠る。

 ライザールの町並みは、レヌリアの支配下に置かれて以来、どこか枯れていた。グレゴリーは子供の頃の記憶を頼りに、その比較をしようと
するが、上手く思い出せずに諦める。
 思い出せないのはきっとそんなものが存在しないからだ、そう結論をつけた。

 ――しかし、どうしたものか。
 仲間たちはなんと言うだろうか。反対だけならまだしも、それが切っ掛けでドワーフと人間との縁が本当に立ち切れてしまうのではないか。
そんな心配がぐるぐる渦巻く。

 人間とはなんだろう。グレゴリーはときどき考える。彼らも同じ大地の上に生きし者である、などという簡単な問いではない。
 思い出されるのは赤い三日月が空で笑っていたあの日のこと。終戦の号令が鳴ったとき自分を殺そうとした敵兵があんなに表情豊かに笑って
いたこと。あのことを思い出す度に、人間は自分たちとは全然違う価値観を持つ生物ではないか、とよく感じるのだ。

 グレゴリーに人間の知り合いは多くいる。しかし、どうしても彼らを友達や仲間だと思うことはできないでいた。

 ――クルス・ガンドッグでしたか。あのカルロスが珍しく熱を込めて語った人物の名は。ライザール随一の剣の使い手か知らしいけれど、要
は人を切るのが上手いというだけの話ではないのか。それをカルロスは英雄の逸話を語るような口調で……
 グレゴリーが英雄という単語で思い浮かべるのは、もちろんドワーフの英雄『鉄の騎士ベクメル』である。エリュオス建国に一枚買った男で
あり、自分の祖先でもあるらしい。

 しかし自分はどうだろう、グレゴリーは思う。ただ鉱物をとるだけの日常、支配されたライザールを捨てて呑気に暮らす自分はとても英雄な
どではない。真の英雄なら……

 ふと、視界の端で嫌なものを見た。まだ髭も生えてない年齢の少年たちが、ポニーテールの少女をぐるりと囲んでいる。少女の怯えた表情で
すぐにグレゴリーは理解した。
 それはいじめと呼ばれる行為だった。
 グレゴリーは子供が好きだ。大人のようにややこしい知恵がない分、なにかを疑うことがない。彼は何事も実直なのが好きなのだ。

 ――子供を殴るのは気が引けますが、教育には愛の鞭が必要不可欠です。
 少年たちの間に割って入ろうとしたグレゴリーは、しかし、自分より先に反対側の道から飛び出してきた黒い影に気がつく。
 黒いマント。まるで影から飛び出してきたような陰鬱なオーラを纏うその男は、少年たちのひとりの襟首を掴み上げて静かに言った。
「俺は弱い者いじめが嫌いだ」

 少年たちがわなわなと震えている。悪魔のような相貌の男がミスマッチなことを言ったからではなく、その鋭い眼光がこれからの運命を語っ
ているような気がしたからだ。
 それからは早かった。逃げようとする少年たちを男はひとりも逃さず、その場で、石畳の上で座らせた。それからぼそぼそと聞き取りずらい
声でひたすら、少年たちが反省しましたと涙を流しながら言っても無視して、延々と説教を続けた。

 めちゃくちゃな男だ、グレゴリーは思った。しかし同時に手を叩いて髭を抜いて賞賛したい気持ちにもなった。取っ払うだけでなく、ちゃん
と教育をしているところがいい。

 説教が終わる。少年たちが一目散にその場から立ち去った。囲まれていた少女はぽかんと口を開けて一連の流れを見守っていた。そして男
は、ぽんと少女の頭を軽く叩いてそのまま歩き去っていくところだった。
 慌ててグレゴリーは男の前に飛び出す。

「すみませんが、見させてもらいました。……その、勇敢なお方ですね、感動しました。どうか、ワタシにお名前だけでも教えさせてもらえま
せんか?」
 グレゴリーは最初、男の名前を聞く気はなかったのだが、あまりにこの頬を染めて男を見上げるる少女が不憫に思えたので、そう助け舟を出
したのだ。
 名前を聞いておけば、いつでもお礼を言いに行けるはずである。それにグレゴリー自身もこの男の名前が少し気になる。このような男なら顔
見知りになってみるのも面白いかもしれない、と考えたのだ。
 男は目をぱちくりさせながら、小さな声で告げた。

「クルス――クルス・ガンドッグだ。あんたは?」
「わたしはグレゴリー――グレゴリーミシェロビッチです。よろしくクルスさん」

 ふたりはがっちり硬い握手をした。お互い、聞いた名前だと感じたかもしれない。片や技術集団クラフターの幹部、片やライザール随一の騎士。
 しかし、そんなことは関係ない。横で必死に自分の名前を告げる少女も関係ない。人種は違えどふたりは握手をした瞬間、お互いをなにかを
感じ取ったのだ。

 クルスがニッ、と傾いた三日月のように笑う。
「グレゴリー。俺はこれからなけなしの財産で酒場に行こうと思っている。恐らくはそこでラム酒をたらふく飲んで、そのうち店の親父に追い
出されるだろう」
「では、わたしもひとつ予言を。追い出されるあなたの隣には、もうひとり毛むくじゃらのべーべーに酔っぱらったドワーフがいることでしょう」
「ふっ。いいぜグレゴリー。行こうか、俺たちの戦場へ」

 これが運命の出会いであり、後の悲劇の伏線なのだということは、まだ誰も知る由がなかった。

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最終更新:2011年07月20日 10:30
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