太陽もストライキを決行してくれればいいのに。と、常々思う。
 そんな中途半端に暑い六月の晴れた日、俺はうっすら立ち上る陽炎をげんなりした目で見つつ、事務所の近くの食堂に入った。

「いらっしゃ…なんだ、アンタか」

 出迎えてくれたウェイトレスの台詞は、接客向きではないが俺向きである。
 俺は家の手伝いをしながら高校へ通う親孝行娘、かなみに適当な挨拶をし、一番隅に置かれたテーブルに腰かけた。

「中華セットのB。最優先で頼む」
「はいはい。…母さーん、タカシがいつものだってー」

 ガキの頃から通った店だ。メニューなど見る必要もない。
 かなみもその辺りはすっかり慣れたもので、述べた内容を伝票を書くこともなく厨房へ伝えた。

 チャーハンと餃子がやってくるまで、俺は本日の成果を油臭いテーブルに広げて見聞する。
 懐から取り出したのは、数枚の写真。
 車の中、お屋敷の裏口、モーテル…場所こそ違えど、そこには全て、同じ一組の男女が映っていた。


 所長の下で探偵業を始めて、かれこれ数年になる。
 もとはと言えばジュース工場をクビになり、仕方なしに飛び入りで始めた仕事であったが、
 今ではすっかり所長の右腕(所長曰くいまだ爪の垢にも及ばないそうだが)として、八面六臂の大活躍をさせてもらっている。

 写真の具合を確認していると、横からかなみが一枚取り上げた。

「…お店で妙なもの広げるの、やめてほしいんだけど」

 そう言いつつ、彼女は何の気なしに写真を見る。モーテルから出てくる男女を収めた決定的な一枚だ。

「……あれ、これウチの母さん?」

 どんがらがっしゃん。
 俺が椅子から盛大にこけた音と折り重なるように、厨房で片手鍋を派手にひっくり返す音が響いた。

「なっ…」
「見間違いだったわ」

 さらりと言って、彼女は写真を戻す。

「しかし…相も変わらず浮気調査?好きね、ホント」
「…俺が好きなんじゃない、世間が浮気好きなんだよ」

 こけた腰をさすりつつ、俺はかなみから写真をひったくって懐にしまった。

「まあ、だから俺や所長が食っていけるわけだが…」

 と、口先では語るものの、実際のところ浮気調査がそれほど儲かる訳ではない。
 情報ツールの発達は浮気不倫を身近なものにしたが、同時に証拠をも残りやすくしてくれた。浮気など、旦那の携帯をちょっとチェックすれば大抵バレる。
 今時探偵なんぞ雇うのは、慰謝料をふんだくってやろうと考えている気合いの入ったおばはんくらいのものだ。
 おかげで弟子入り以来、俺の給料は上がったためしがない。…いや、「おかげで」というか、他にも色々要因はあるのだけれど。

「あー、とにかく仕事の邪魔すんな。ほら、家事手伝いは家事手伝いらしくキャベツでも切ってなさい」
「…なによ偉そうに。大人振れるような立派な職じゃないでしょ?」
「なんだと、探偵は立派な職業だろうが。エラリィ・クイーンや有栖川有栖がいくら稼いだと思ってるんだ」
「その二人は作家でしょ。ろくに知らない人尾行してお金貰うより、勉強しながら家の商売手伝っている薄幸の美少女の方がよっぽど偉いわよ」

 両手を腰に当て、つんと胸を張るかなみ。
 自分で美少女言ってる所はともかく、まあ確かにかなみは偉い。
 家がそれほど裕福でない事を幼いうちから悟り、小学校を卒業する前から小さな無償アルバイトとして家を手伝っていた。
 今ではおおよその店のメニューを一人で作れるくらいになっている。働き者の少女と言うことは出来るだろう。

「まあ…そうだな。偉い偉い」

 三角巾越しに頭をなでくりしてやる。

「…子供扱いするな、バカ」

 かなみは口をとがらせて反抗するが、顔が満更でもなさそうなので説得力があまりない。


「はい、お待ちどうさま」

 そう言って運ばれてきたのは、中華Bセットこと餃子とチャーハンのセット。
 チャーハンは知り合いのよしみで、気持ち大盛りにしてもらっている。これで450円。安い。

「今はお袋さんが作ってるんだっけ?」
「そうだけど…だって私、ずっとアンタとここで話してたじゃない」
「いや、なんとなくな。…かなみが厨房手伝うのっていつだったっけ」
「土日祝日の昼だけど…」

 ふむ、と俺はひとり頷きながら、熱々の餃子に箸を伸ばす。

「…なんなのよ」
「いやあ、久々にお前が作ったチャーハンが食いたくなってな」

 大きく味が変わる訳ではないが、かなみの作るものはいつもの味と少し異なる。
 胡椒多めの味付けであるかなみの料理の方が、俺はどちらかというと好みなのだ。

「…ふーん。あ、そ」

 かなみは気のないような返事をしつつも、そわそわ、いじいじと指で髪の毛を巻いていた。

「…わざわざ休日まで待たなくたって…別にあんなの、簡単だし…アンタが食いたいって言うんなら、いつでも作ってあげるわよ」
「おや、それは嬉しい」

 俺がチャーハンを食いながら視線を向けると、何故だか、かなみはぷいと視線を逸らしてしまった。

「勘違いしないでよ。私は、ご飯作ってあげるだけなんだから」
「それ以外に何を期待しろってんだよ。さっきの写真みたいな状況か?」
「ばーか」

 さらっと辛辣に言って、かなみは背を向けてとっとと去ってしまう。
 カウンター前でくるりと振り向き、餃子を頬張る所だった俺に向けて一言、

「…また、お越しくださいませ」

 そう言って、逃げるように店の奥に引っ込んでいった。
最終更新:2011年06月09日 22:19