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世界の終わりがはじまる力 - (2020/06/27 (土) 19:26:52) の1つ前との変更点
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3◆◆◆
「消し飛べえっ! 《ドリリングヘッド》ッ!」
フォルテの怒号と共に、<Gospel>の頭部がドリルの如く高速回転を起こす。声量を上回る程の回転音を響かせながら、獅子の顔はユイ/イニスを目がけて発射された。
速度と<Gospel>自身のサイズから推測すると、直撃すればユイ/イニスでもプロテクトを破壊されかねない程に驚異的な威力を誇る。《ドリリングヘッド》の回転は世界を容赦なく抉り、この憑神空間すらも砕きかねない。
射線に位置するエネミー達が回転に巻き込まれる音を聞きながら、ユイ/イニスは冷静に次の一手に移る。迫りくる<Gospel>の頭部を高速移動で回避しながら、両腕を掲げながら突進した。
「《惑乱の飛翔》を受けなさいッ!」
フォルテ/<Gospel>の目前に瞬時に迫って、ユイ/イニスは両腕を力強く振るう。
キリトやアスナ達がソードスキルで数多の敵を打ち倒したように、ユイ/イニスもまた《惑乱の飛翔》による攻撃を選んだ。フォルテ/<Gospel>の巨体を崩すには、同じ規模の武器になるイニスの両腕が必要だった。
飛行から生まれる勢いを乗せた一撃は、フォルテ/<Gospel>を吹き飛ばす。
「ぬっ……!」
案の定、フォルテ/<Gospel>の呻き声が聞こえて、確かな手応えを感じた。
矢継ぎ早にユイ/イニスは両腕を振り回し、フォルテ/<Gospel>の体躯を守るプロテクトに傷をつけていく。黒の剣士キリトの戦いを真似るように。
フォルテ/<Gospel>の頭部は瞬時に再生したが、反撃を許してはいけない。そのまま、フォルテ/<Gospel>を破壊するために一撃を降り下ろそうとしたが。
「……《ゴスペルキャノン》ッ!」
フォルテ/<Gospel>は逆上して、大きく開いた口に膨大なエネルギーが収束されていく。
目が眩むほどの輝きを前に、ユイ/イニスは自らの姿を透明にしながら回避行動を選んだ。しかし、フォルテ/<Gospel>が放射した灼熱の勢いは凄まじく、回避が間に合わずにユイ/イニスの巨体に直撃する。
「きゃああああああぁぁぁぁっ!?」
巨体を揺るがす程の衝撃に、ユイ/イニスは悲鳴を発しながら吹き飛ばされていく。
元より、イニスは接近戦を得意とせず、また攻撃力及び耐久性は他の憑神と比較して高くない。その為、碑文とAIDAが共鳴し合い、爆発的な進化を果たした<Gospel>の技を一つでも受けてはプロテクトが大幅に削られてしまう。
『痛み』の信号がユイ/イニスのアバターに駆け巡るも、彼女は堪えながら体勢を立て直す。覚醒したイニスから湧き上がる力が、ユイに勇気を与えていた。
(やはり、無暗に接近するのは危険です……ここは遠距離から仕掛けていかないと!)
不幸中の幸いか、フォルテ/<Gospel>の《ゴスペルキャノン》を受けて、距離が大きく開いている。相手が得意とする接近戦に持ち込まずに、上手く攪乱することが可能だ。
遠く離れたフォルテ/<Gospel>に標的を定めて、無数の光弾を発射した。しかし、その全てがフォルテ/<Gospel>の周囲で静止し、そして映像の逆再生の如くユイ/イニスを目がけて反射された。
(弾丸の反射!? まさか、プリズムのような特性もAIDAは持っているのですか!?)
ユイ/イニスは驚愕するものの、自らの速度さえ活かせば難なく回避することができる。
問題はゴスペルが弾丸を回避する能力を持っていることだ。シノンはエージェント・スミスに立ち向かう時、プリズムというアイテムで攻撃を反射させたことがあるらしい。
厳密にはプリズムはダメージを周囲に拡散させる効果だが、フォルテ/<Gospel>も同等のスキルを保有していると考えるべきだ。つまり、弾丸などの射撃攻撃はゼロ距離でなければ意味を成さなくなっている。
遠距離からの攻撃は通用しないことを、ユイ/イニスは悟ってしまった。
フォルテ/<Gospel>は自らに宿す『救世主の力』によって、ユイ/イニスの光弾を反射させていた。
『救世主の力』はマトリックスそのものを根本から変革させる程の力を持ち、救世主ネオはその力で数多の危機を乗り越えている。
フォルテはネオを打ち倒すことで『救世主の力』を奪い取り、更なる進化を果たした。AIDAの支配すらも打ち破り、そして自ら一体化させた<Gospel>も『救世主の力』の影響を受けている。
ネオはフォルテとの最終決戦で、『救世主の力』を利用してフォルテの弾丸を防いだ。同じように、フォルテ/<Gospel>もまた『救世主の力』でユイ/イニスが放つ光弾を静止させて反射させていた。
「ユイと言ったか? まさか、この期に及んで怖気付いたのではないだろうな?」
次の一手を思考を遮るように、フォルテ/<Gospel>の冷淡な声が世界に響く。
「まぁ、それも当然か! キサマは所詮、キリト……いや、あの負け犬に成り下がった人間の娘なのだからなッ!」
そして、フォルテ/<Gospel>の叫びに込められた確かな侮蔑を、ユイ/イニスは感じた。
「ぱ、パパが負け犬……!? 何を言っているのですか!? パパは――――!」
「ヤツはただの負け犬だ! 剣を砕かれ、全ての力をこの俺に奪われて、惨めに震えるだけの負け犬だろう? キサマに戦いを任せて、自分一人は何もせずに隠れるような臆病者だ!」
「ふざけないでください! パパを……パパを侮辱することは許しませんッ!」
フォルテ/<Gospel>の嘲りに耐えきれず、ユイ/イニスは怒りのまま飛翔する。
案の定、フォルテ/<Gospel>は口から衝撃波を発射するが、ユイ/イニスの機動力を活かせば回避可能だ。横を通り過ぎていく衝撃を他所に、感情のままで双剣を振るったが、フォルテ/<Gospel>は跳躍する。
追いかけるようにユイ/イニスが振り向くと同時に、フォルテ/<Gospel>は散弾銃の如く勢いで光弾を連射したが、負けじとユイ/イニスも光弾を放つことで相殺した。
「侮辱だと? 俺は事実を言ったまでだ!
あの負け犬は俺に敗れ、そして戦意を失っているだろう? キサマを守ると言いながら、キサマに戦いを投げ出している! もしかしたら、今もどうやってここから逃げ出せるのかを考えているかもしれないぞ?」
「そんなはずはありません! パパは今まで、どんな危機に陥ろうとも必ず立ち上がってきました! あなただって、過去に二度もパパに負けたはずです!」
「だが、この三度目は俺が勝利を手にした!
そしてキサマの言葉が正しければ、どうして今すぐに立ち上がろうとしないのだろうな? あの時も、キサマがいなければ確実に負け犬はデリートされていた……奴は負け犬として、敗北を認めたのだ!」
「絶対にありえませんッ!」
フォルテ/<Gospel>が侮蔑する度に、ユイ/イニスは激高と共に光弾を発射した。
その速度とエネルギー量は先程に比べて向上しており、フォルテ/<Gospel>に着弾してダメージを与えている。まるで、ユイの怒りがイニスに共鳴しているようで、弾丸反射すらも使う余裕を与えなかった。
フォルテ/<Gospel>の巨体が揺れると同時に、ユイ/イニスは再び突進を仕掛けて剣を叩き込もうとする。しかし、フォルテ/<Gospel>はその巨大な口でユイ/イニスの一閃を受け止めた。
ダメージを与えられていくが、ユイ/イニスの勢いはこの程度で止められない。ただ、フォルテ/<Gospel>の撃破だけを考えていたからだ。
ユイ/イニスはもう片方の剣を突き刺そうとしたが、身を捻ったフォルテ/<Gospel>に放り投げられてしまい、またしても吹き飛ばされる。
「くっ……まだです! まだ、私は……!」
それでも、ユイ/イニスは瞬時に立ち上がった。
全ては愛するパパを守るため。パパは戦えなくなっているだけで、本当はとても強いことを娘であるユイ自身が証明したい。父の命だけでなく、誇りだって守りたかった。
もちろん、フォルテ/<Gospel>を打倒するための切り札をユイ/イニスは持っている。
イニスの碑文に覚醒したことでデータドレインも会得したため、まともに受ければフォルテ/<Gospel>でもひとたまりもない。だが、無策にデータドレインを放っても回避されるだけであり、何よりもフォルテ自身も碑文について知っているはずだった。
(フォルテから、イニスの碑文とよく似た反応が検知できる……やはり、フォルテも碑文使いとして覚醒しているのですか!?)
波長自体は微妙に異なるが、今のフォルテ/<Gospel>からは碑文の波動が感じられた。
AIDAと碑文は互いに惹かれ合い、そして一つになることで力が爆発的に向上する。スミスに感染した蜘蛛のAIDAがイニスを取り込んだことで強化されたように、フォルテ/<Gospel>も碑文の影響で膨大な情報量を得たはずだ。
しかし、フォルテ/<Gospel>の情報密度は蜘蛛のAIDAを遥かに凌駕している。碑文の他にも、何らかの力を取り込んで強化している可能性があった。
(だとすると、パパが戦えなくなったのはデータドレインでスキルを奪われたから……!?)
だが、ユイ/イニスが抱くのはフォルテ/<Gospel>に対する恐怖ではなく怒り。
フォルテは碑文使いに覚醒したことでデータドレインも手に入れて、キリトのスキルを強奪したのだろう。データドレインは防御不可能であり、システム外の力を持たないキリトでは対抗する術を持たない。
(ならば、私のデータドレインさえ使えば、フォルテからパパのスキルを奪い返すこともできます!)
そんな突拍子もない考えが、ユイ/イニスの中で芽生えた。
奪われたなら、奪い返せばいい。カイトもデータドレイン砲でスミスから碑文を奪ったように、イニスのデータドレインがあればキリトのスキルを取り戻せる可能性もある。フォルテ達を撃破して、レオの力を借りればキリトも復活できるはずだ。
父の力を取り戻せる希望が芽生えた瞬間、アバターの動きを阻害する痛みが和らいだことを感じて、ユイ/イニスは自らの剣を構えて飛び上がる。
「フォルテ! あなたがパパから奪ったものを……私が絶対に取り戻します!」
「面白い……やれるものなら、やってみろ!」
フォルテ/<Gospel>に負けないほどの闘争心を漲らせながら、ユイ/イニスは距離を詰めていく。
ユイ/イニスは無数の光弾をフォルテ/<Gospel>に目がけて放つ。フォルテ/<Gospel>の力で全ての弾が停止し、反射させられるが問題ない。自らのアバターを透明化させれば、着弾することはなかった。
その機動力でユイ/イニスは敵の目前にまで迫ると同時に姿を現し、巨大な双剣でフォルテ/<Gospel>を吹き飛ばす。
「むっ!?」
(いける……これなら、いけます!)
苦悶の声を漏らす死神を前に、ユイ/イニスは確かな手ごたえを感じた。
先程からいくども繰り返したが、やはりフォルテ/<Gospel>には幻惑の攪乱から不意打ちを仕掛ける戦法こそが有効だ。フォルテ/<Gospel>自身のパワーは驚異的だからこそ、機動力と幻惑を活かして回避し続けることができる。
(やっぱり、私が強く願う度にダメージ量も増えています! ならば、いずれフォルテを撃破することも不可能ではありません!)
光弾の威力と速度は向上し、剣の重みも増していた。
月海原学園で得た情報によれば、碑文使いの感情に呼応して憑神もまた力を増幅するらしい。ならば、ユイの怒りに応えてイニスも力を増幅し、ダメージも増えたと考えるべきだ。
やがて、碑文使いの心の闇を増幅させるが、比例してイニス自身も強化されるはず。ユイがフォルテに対する怒りを燃やす程、いずれイニス自身も相応の力を発揮する。
「覚悟しなさい、フォルテ! 私はあなたを絶対に許しませんし、パパを侮辱した罪はその命で償ってもらいます!」
激情に比例してイニスの紋章も激しく輝いて、世界は大きく震えた。
碑文から膨大な力が無限に溢れ出し、気持ちが昂っていく。このまま力を得れば、フォルテやオーヴァンだけでなく、このゲームを仕組んだGMもろとも世界全てを破壊できそうだ。
「手始めとしてフォルテを破壊して、それからママの敵討ちにオーヴァンを跡形もなく消し飛ばしてみせます! 私の力なら――――!」
――――その叫びは、唐突な鼓動によって遮られる。
ノイズと共に時間が静止し、自分自身が遠くに放り込まれるような奇妙な感覚を抱いた。
一体何が起きたのか? そんな違和感が生まれた瞬間、イニスの大きな叫び声が耳に響く。
「えっ……? 何が起きたのですか?」
そんな疑問を他所に、イニスはフォルテ/<Gospel>に飛びかかった。
ユイの意思を無視するように暴れて、双剣を振り回す。怒涛の勢いで振るわれる刃はフォルテ/<Gospel>の巨体を確実に抉っていくも、敵は灼熱を発射してイニスを吹き飛ばした。
イニスは僅かに呻き声を漏らすが、ユイは痛みをほとんど感じない。ただ、猛獣のように暴れるイニスがフォルテ/<Gospel>と戦う光景を、俯瞰するように見るしかなかった。
「ど、どうして……!? どうして、イニスをコントロールできないのですか!?」
ユイは気付かない。
怒りと憎しみによって強化されたイニスが、ユイではコントロールできないほど暴走したことを。
憑神は碑文使いの感情に呼応して強化される。ユイ自身の考案は間違いではないが、憑神は心の闇を増幅させる意味を真に理解していなかった。負の感情に任せて力を振るえば、いずれ憑神が制御できなくなる程に暴走する。
ユイは高性能を誇るAIであり、キリトやアスナたちの戦いを幾度も見守り、時にアドバイスを行った。しかし、ユイ自身が戦闘に参加した経験は非常に少なく、その為に自らが力に溺れる可能性に至らなかった。
加えて、フォルテからの嘲りで怒りが更に湧き上がり、力を発揮することを優先してしまう。ユイ自身はイニスから与えられた力に溺れ、復讐を優先してもっとも大事な覚悟を失ってしまった。
大切なもの失う覚悟と、大切なものを守る覚悟。その二つを。
『ガアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!』
そんなユイに対する罰や嘲りのように、イニスは咆哮し続けた。
フォルテ/<Gospel>から与えられるダメージなど気にも留めず、巨大な剣を振るって攻撃をし続ける。その姿は凶悪なボスモンスターと変わらず、これほど醜い怪物が自分から生まれたことがユイには信じられなかった。
フォルテ/<Gospel>を確実に押していくが、その姿にユイは恐怖を抱いた。
「待って! 待ってください、イニス! 私の言うことを聞いてください!」
先程までの怒りや戦意が嘘のように、不安の表情でユイは叫ぶが届かない。
自分の願いを叶えるように力を発揮しているが、これは違う。だからイニスの名前を呼び続けるけど、その叫びを無視して攻撃し続けていた。
やがてフォルテ/<Gospel>を遠くに吹き飛ばす。それほどの力が発揮されたことに、今のユイは恐怖で震えていた。
「ククク……そうだ! その力だ!
キサマが力を振るってこそ、破壊する意味がある! 俺と同じように、破壊し続けろッ!」
愉悦を込めたフォルテの叫びは、ユイの心を深く抉る。
「ち、違います……! 私は、パパ達を守りたかったから……! 破壊するために、イニスの力を使ったのではありませんっ!」
必死に否定するユイの呼吸は荒くなるが、その声を聞く者は誰もいない。後ずさろうとしても足は動かず、むしろイニスの暴走は激しくなる。
一方、フォルテ/<Gospel>は《ゴスペルキャノン》を発射するが、イニスは天に高く跳躍したことで軽々と回避した。
そのままイニスがフォルテ/<Gospel>を見下ろした瞬間、ユイは見てしまう。ユイが守りたかったキリト達が、不安そうにイニスを見上げる姿を。
「ぱ、パパ……!?」
ユイが名前を呼ぶと同時にイニスの周囲にエネルギーが集まった。
圧倒的な輝きとエネルギー量が感じられた瞬間、ユイの全身に悪寒が走る。
「ま、まさか……! やめてください、イニス! あそこには、パパ達がいます!」
だからユイは必死に叫ぶが、イニスは止まらない。
「逃げてください、パパ! ここからすぐに逃げてください! このままじゃ、イニスが……パパ達を……パパ達を……!
逃げて、パパ! 逃げてええええええええぇぇぇぇぇぇぇっ!」
せめてキリト達だけでも逃がしたかったが、ユイの叫びは誰にも届かない。
暴走したイニスに捕らわれた彼女の声は、もう誰も聞くことができなかった。
『グガアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!』
無情にも、ユイの願いを踏みにじるようにイニスはエネルギーを開放した。
同じタイミングでフォルテ/<Gospel>が口から発車した灼熱と衝突し、盛大な爆発を起こして世界を容赦なく震撼させる。
しかし、フォルテ/<Gospel>から外れた光弾が、キリト達を目がけて進んでいた。
「パパッ! いやああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ユイはそれを否定するようにその光景から目を逸らし、直後、無情にも響き渡った更なる爆発音に、堪らず悲鳴を上げる。
自分のせいでパパ達を傷付けてしまったのか? フォルテ達を相手に戦えるという驕りが、この結果を招いたのか?
こんなのは違う。ただ、パパを守るために戦いたかっただけで、こんな結末を望んでいたわけがない。
その願いを叶えてくれるために、イニスは力を貸してくれたのではないのか?
そんなふうに、ユイはキリト達へと目を向けることもできず、自らが引き起こしてしまった結果に絶望する。
「来たれ、『再誕』――――――――コルベニク!」
だがその現実を覆すかのように、ポーン、と唐突に響いたハ長調ラ音と共に、唯一にして最悪の救世主の名前が宣言される。
続くように、<蒼炎の守護神(Azure Flame God)>を遥かに凌駕する情報密度と共に、神々しい純白の輝きが世界を照らした。光はほんの一瞬で収まった瞬間、ユイ/イニスとフォルテ/<Gospel>を遥かに凌駕する巨神が顕在していた。
「『再誕』のコルベニク…………オーヴァンなのか!?」
圧倒的な存在感を放つ巨神に息を呑んだ瞬間、男の声がユイの耳に響く。
我に返りながら振り向くと、キリト達の姿が見えた。現れた巨神は、まるでキリト達を庇うように顕在しており、思わず安堵を抱いてしまう。
「その通りさ。お前にこの姿を見せるのは、これで二度目になるな」
しかし、続くように発せられた男の低い声で、ユイの心はほんの一瞬で憎しみに染まる。
何故なら、この男は愛する母・アスナの仇であり、キリトを絶望のどん底に叩き落とした憎きオーヴァンだからだ。事実、キリトからも名前を呼ばれていて、何よりも巨神の左肩からは生えたどす黒い爪はAIDAの反応が感じられる。
「ま、まさか……オーヴァンにパパを助けられた……!?」
「どうやら、俺はユイからキリトを守った恩人になってしまったみたいだ。あと一歩遅かったら、キリト達はユイに殺されていたからね」
オーヴァン/コルベニクにとっては何気ない一言で、言葉では言い表せない衝撃と共にユイを再び絶望へ叩き落とした。
母の仇によって、父の命を助けられてしまう。しかも、父の命を奪おうとしたのは他ならぬ娘自身だ。信じたくなかったけど、オーヴァンの言葉は全て紛れもない真実で、否定できない。
このままオーヴァンがコルベニクを顕現させなければ、確実にキリト達の命は奪われていたから。
「お前が恩人だと!?
ふざけるな! お前は、アスナやシルバー・クロウ達の命を奪い、黒雪のことも傷付けただろうが!?
そんなお前を恩人と認めてたまるかっ!」
「だが、事実としてお前達はユイに殺されかかった。結果としてだが、暴走したユイから戦えないお前達を俺が守ってやったことに、何の間違いがあるんだ?」
キリトは必死に叫んでくれるが、オーヴァンはあっさりと切り捨てる。
オーヴァンの言葉は毒のようにユイを蝕んでいき、その瞳から澎湃と涙が溢れ出した。高性能のAIであるが故に現実逃避も許されず、ただ事実を受け入れるしかない。
醜い怪物となった娘から愛するパパを守ってくれたのは、他ならぬオーヴァンであることを。
「オーヴァン……キサマ、何のつもりだ!?」
「悪いが、これ以上は見ていられない。ここで終わらせてもらうぞ」
フォルテ/<Gospel>の叫びを無視して、オーヴァン/コルベニクはイニスに振り向く。
本能で何かを察したのか、イニスの狂気が僅かに揺らぐ。僅かに芽生えた隙を付き、オーヴァン/コルベニクはイニスへと突貫しながら、左腕の刃を振るった。
イニスは双剣を交差させて防ごうとするが、オーヴァン/コルベニクの一閃に打ち負けてしまう。がら空きになったイニスの体躯を目がけて、<Tri-Edge>の爪が振るわれ続けて、ユイの視界が大きく揺らいだ。
「きゃああああぁぁぁぁぁっ!?」
「ユイ!? ユイいいいいいぃぃぃぃぃぃぃっ! やめろ、オーヴァン! やめてくれえええぇぇぇっ!」
ユイの悲鳴とキリトの叫びが重なるが、オーヴァン/コルベニクは止まらない。<Tri-Edge>と共に力を発揮すれば、暴走したイニスなど赤子も同然だった。
例え暴走によりどれだけ力が増幅されていようとも、イニスは直接戦闘に向いた憑神ではない。
対してコルベニクは”最強”と畏れられる憑神であり、<Tri-Edge>はそのコルベニクですら除去の敵わない0番目のAIDAだ。
その凶暴性はもちろんのこと、憑神の切り札であるデータドレインすらも通用せず、また撃破されても『再誕』の力で復活を可能とする。
元より戦闘力で劣り、手札も全て把握され、さらには暴走までしているイニスに、圧倒的な戦闘力を持つオーヴァン/コルベニク/<Tri-Edge>を倒す方法など存在しない。
「終わりだ」
反撃はおろか、防御や回避すらも許さない<Tri-Edge>の一閃により、イニスの勢いは弱まる。そしてオーヴァン/コルベニクは頭上に渦球を形成し、炸裂させて無数の針をイニスに突き刺した。
《掃討の魔針》を正面から受けて、何かが砕ける音を耳にした瞬間、ユイは自分から力が失っていくのを感じた。
元より、フォルテ/<Gospel>との戦いで消耗した所に、圧倒的な力を誇るオーヴァン/コルベニクと<Tri-Edge>の攻撃を受けたことで、限界を迎えてしまったのだ。
プロテクトブレイクで世界が砕け散り、ユイは何も言えないまま落ちていった。
†
「……あ、うぁ……っ……」
イニスの顕現が解除されて、ユイは地面に倒れ伏せている。
憑神による戦闘であるためHPにダメージはないだろうが、精神的はダメージは深いだろう。だが少なくとも致命傷ではない。コルベニクと<Tri-Edge>には手加減をさせた。
しかしフォルテ/<Gospel>に深手を負わされている可能性があり、またこれ以上の暴走は自滅の危険性があった。
ユイだけではない。タルヴォスの碑文に覚醒したフォルテにも暴走するリスクが存在した。オーヴァンが早期決着を選んだのは、碑文を三体以上同時顕現させては暴走する危険が高まるためだ。
その甲斐があってか、こうしてユイのアバターは消去されずに済んだ。
「……ぱ、ぱ…………わた、し、は……」
「悪いが、君には眠ってもらおう。月の下で穏やかに休むといい」
呻き声を漏らすユイに向けて、オーヴァンは月のタロットを使う。
敵を睡眠状態にするという効果のアイテムであり、ユイを捕まえる際に抵抗させない様にと、ウラインターネットに位置するショップで購入していたものだ。
また、念のためにと導きの羽や完治の水も購入した結果、自らのポイントが0になったが、構わない。出し惜しみなど下らないし、今は迅速な帰還とユイの治療が最優先だ。
「待て、オーヴァン! キサマ……俺の勝負に水を差すつもりか!?」
案の定、フォルテは喰ってかかる。いつの間にか、フォルテも<Gospel>を解除したことで、世界は完全に元通りとなっていた。
コルベニクに警戒したのか、イニスとの戦いで割り込まれなかったことが幸いだ。フォルテの相手をしながらイニスを倒し、ユイを確保するのはさすがに骨が折れる。
だが、一応はフォルテを説得するべきだろう。
「忘れてはいないか? 俺達の目的は最初からユイを確保することで、君もそれを了承したからキリトと戦えたはずだが?」
「ぬっ……」
「俺はユイを連れて先に戻るから、後は君の好きにしてくれ。ちょうど、キリト達も揃っているしな」
「………………チッ」
フォルテは舌打ちをしながらも、戦意を収める。
こちらの説得を受け入れたのか、不承不承だがフォルテも納得ようだ。
ならば、もうここには用がない。ユイの体を抱えながら導きの羽を手に取り、帰還の準備を整える。
「待て、オーヴァンッ! ユイを……ユイを返してくれ!」
「ユイちゃん!」
キリトとジローの叫びが聞こえてくるが振り向かない。
力を失っただけでなく、戦意も既に感じられず、ただ無様に泣き叫ぶだけの彼らなど興味がなかった。
故に、オーヴァンは導きの羽を使って、ユイと共にこの場から去っていった。
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「消し飛べえっ! 《ドリリングヘッド》ッ!」
フォルテの怒号と共に、<Gospel>の頭部がドリルの如く高速回転を起こす。声量を上回る程の回転音を響かせながら、獅子の顔はユイ/イニスを目がけて発射された。
速度と<Gospel>自身のサイズから推測すると、直撃すればユイ/イニスでもプロテクトを破壊されかねない程に驚異的な威力を誇る。《ドリリングヘッド》の回転は世界を容赦なく抉り、この憑神空間すらも砕きかねない。
射線に位置するエネミー達が回転に巻き込まれる音を聞きながら、ユイ/イニスは冷静に次の一手に移る。迫りくる<Gospel>の頭部を高速移動で回避しながら、両腕を掲げながら突進した。
「《惑乱の飛翔》を受けなさいッ!」
フォルテ/<Gospel>の目前に瞬時に迫って、ユイ/イニスは両腕を力強く振るう。
キリトやアスナ達がソードスキルで数多の敵を打ち倒したように、ユイ/イニスもまた《惑乱の飛翔》による攻撃を選んだ。フォルテ/<Gospel>の巨体を崩すには、同じ規模の武器になるイニスの両腕が必要だった。
飛行から生まれる勢いを乗せた一撃は、フォルテ/<Gospel>を吹き飛ばす。
「ぬっ……!」
案の定、フォルテ/<Gospel>の呻き声が聞こえて、確かな手応えを感じた。
矢継ぎ早にユイ/イニスは両腕を振り回し、フォルテ/<Gospel>の体躯を守るプロテクトに傷をつけていく。黒の剣士キリトの戦いを真似るように。
フォルテ/<Gospel>の頭部は瞬時に再生したが、反撃を許してはいけない。そのまま、フォルテ/<Gospel>を破壊するために一撃を降り下ろそうとしたが。
「……《ゴスペルキャノン》ッ!」
フォルテ/<Gospel>は逆上して、大きく開いた口に膨大なエネルギーが収束されていく。
目が眩むほどの輝きを前に、ユイ/イニスは自らの姿を透明にしながら回避行動を選んだ。しかし、フォルテ/<Gospel>が放射した灼熱の勢いは凄まじく、回避が間に合わずにユイ/イニスの巨体に直撃する。
「きゃああああああぁぁぁぁっ!?」
巨体を揺るがす程の衝撃に、ユイ/イニスは悲鳴を発しながら吹き飛ばされていく。
元より、イニスは接近戦を得意とせず、また攻撃力及び耐久性は他の憑神と比較して高くない。その為、碑文とAIDAが共鳴し合い、爆発的な進化を果たした<Gospel>の技を一つでも受けてはプロテクトが大幅に削られてしまう。
『痛み』の信号がユイ/イニスのアバターに駆け巡るも、彼女は堪えながら体勢を立て直す。覚醒したイニスから湧き上がる力が、ユイに勇気を与えていた。
(やはり、無暗に接近するのは危険です……ここは遠距離から仕掛けていかないと!)
不幸中の幸いか、フォルテ/<Gospel>の《ゴスペルキャノン》を受けて、距離が大きく開いている。相手が得意とする接近戦に持ち込まずに、上手く攪乱することが可能だ。
遠く離れたフォルテ/<Gospel>に標的を定めて、無数の光弾を発射した。しかし、その全てがフォルテ/<Gospel>の周囲で静止し、そして映像の逆再生の如くユイ/イニスを目がけて反射された。
(弾丸の反射!? まさか、プリズムのような特性もAIDAは持っているのですか!?)
ユイ/イニスは驚愕するものの、自らの速度さえ活かせば難なく回避することができる。
問題はゴスペルが弾丸を回避する能力を持っていることだ。[[シノン]]はエージェント・スミスに立ち向かう時、プリズムというアイテムで攻撃を反射させたことがあるらしい。
厳密にはプリズムはダメージを周囲に拡散させる効果だが、フォルテ/<Gospel>も同等のスキルを保有していると考えるべきだ。つまり、弾丸などの射撃攻撃はゼロ距離でなければ意味を成さなくなっている。
遠距離からの攻撃は通用しないことを、ユイ/イニスは悟ってしまった。
フォルテ/<Gospel>は自らに宿す『救世主の力』によって、ユイ/イニスの光弾を反射させていた。
『救世主の力』はマトリックスそのものを根本から変革させる程の力を持ち、救世主ネオはその力で数多の危機を乗り越えている。
フォルテはネオを打ち倒すことで『救世主の力』を奪い取り、更なる進化を果たした。AIDAの支配すらも打ち破り、そして自ら一体化させた<Gospel>も『救世主の力』の影響を受けている。
ネオはフォルテとの最終決戦で、『救世主の力』を利用してフォルテの弾丸を防いだ。同じように、フォルテ/<Gospel>もまた『救世主の力』でユイ/イニスが放つ光弾を静止させて反射させていた。
「ユイと言ったか? まさか、この期に及んで怖気付いたのではないだろうな?」
次の一手を思考を遮るように、フォルテ/<Gospel>の冷淡な声が世界に響く。
「まぁ、それも当然か! キサマは所詮、キリト……いや、あの負け犬に成り下がった人間の娘なのだからなッ!」
そして、フォルテ/<Gospel>の叫びに込められた確かな侮蔑を、ユイ/イニスは感じた。
「ぱ、パパが負け犬……!? 何を言っているのですか!? パパは――――!」
「ヤツはただの負け犬だ! 剣を砕かれ、全ての力をこの俺に奪われて、惨めに震えるだけの負け犬だろう? キサマに戦いを任せて、自分一人は何もせずに隠れるような臆病者だ!」
「ふざけないでください! パパを……パパを侮辱することは許しませんッ!」
フォルテ/<Gospel>の嘲りに耐えきれず、ユイ/イニスは怒りのまま飛翔する。
案の定、フォルテ/<Gospel>は口から衝撃波を発射するが、ユイ/イニスの機動力を活かせば回避可能だ。横を通り過ぎていく衝撃を他所に、感情のままで双剣を振るったが、フォルテ/<Gospel>は跳躍する。
追いかけるようにユイ/イニスが振り向くと同時に、フォルテ/<Gospel>は散弾銃の如く勢いで光弾を連射したが、負けじとユイ/イニスも光弾を放つことで相殺した。
「侮辱だと? 俺は事実を言ったまでだ!
あの負け犬は俺に敗れ、そして戦意を失っているだろう? キサマを守ると言いながら、キサマに戦いを投げ出している! もしかしたら、今もどうやってここから逃げ出せるのかを考えているかもしれないぞ?」
「そんなはずはありません! パパは今まで、どんな危機に陥ろうとも必ず立ち上がってきました! あなただって、過去に二度もパパに負けたはずです!」
「だが、この三度目は俺が勝利を手にした!
そしてキサマの言葉が正しければ、どうして今すぐに立ち上がろうとしないのだろうな? あの時も、キサマがいなければ確実に負け犬はデリートされていた……奴は負け犬として、敗北を認めたのだ!」
「絶対にありえませんッ!」
フォルテ/<Gospel>が侮蔑する度に、ユイ/イニスは激高と共に光弾を発射した。
その速度とエネルギー量は先程に比べて向上しており、フォルテ/<Gospel>に着弾してダメージを与えている。まるで、ユイの怒りがイニスに共鳴しているようで、弾丸反射すらも使う余裕を与えなかった。
フォルテ/<Gospel>の巨体が揺れると同時に、ユイ/イニスは再び突進を仕掛けて剣を叩き込もうとする。しかし、フォルテ/<Gospel>はその巨大な口でユイ/イニスの一閃を受け止めた。
ダメージを与えられていくが、ユイ/イニスの勢いはこの程度で止められない。ただ、フォルテ/<Gospel>の撃破だけを考えていたからだ。
ユイ/イニスはもう片方の剣を突き刺そうとしたが、身を捻ったフォルテ/<Gospel>に放り投げられてしまい、またしても吹き飛ばされる。
「くっ……まだです! まだ、私は……!」
それでも、ユイ/イニスは瞬時に立ち上がった。
全ては愛するパパを守るため。パパは戦えなくなっているだけで、本当はとても強いことを娘であるユイ自身が証明したい。父の命だけでなく、誇りだって守りたかった。
もちろん、フォルテ/<Gospel>を打倒するための切り札をユイ/イニスは持っている。
イニスの碑文に覚醒したことでデータドレインも会得したため、まともに受ければフォルテ/<Gospel>でもひとたまりもない。だが、無策にデータドレインを放っても回避されるだけであり、何よりもフォルテ自身も碑文について知っているはずだった。
(フォルテから、イニスの碑文とよく似た反応が検知できる……やはり、フォルテも碑文使いとして覚醒しているのですか!?)
波長自体は微妙に異なるが、今のフォルテ/<Gospel>からは碑文の波動が感じられた。
AIDAと碑文は互いに惹かれ合い、そして一つになることで力が爆発的に向上する。スミスに感染した蜘蛛のAIDAがイニスを取り込んだことで強化されたように、フォルテ/<Gospel>も碑文の影響で膨大な情報量を得たはずだ。
しかし、フォルテ/<Gospel>の情報密度は蜘蛛のAIDAを遥かに凌駕している。碑文の他にも、何らかの力を取り込んで強化している可能性があった。
(だとすると、パパが戦えなくなったのはデータドレインでスキルを奪われたから……!?)
だが、ユイ/イニスが抱くのはフォルテ/<Gospel>に対する恐怖ではなく怒り。
フォルテは碑文使いに覚醒したことでデータドレインも手に入れて、キリトのスキルを強奪したのだろう。データドレインは防御不可能であり、システム外の力を持たないキリトでは対抗する術を持たない。
(ならば、私のデータドレインさえ使えば、フォルテからパパのスキルを奪い返すこともできます!)
そんな突拍子もない考えが、ユイ/イニスの中で芽生えた。
奪われたなら、奪い返せばいい。[[カイト]]もデータドレイン砲でスミスから碑文を奪ったように、イニスのデータドレインがあればキリトのスキルを取り戻せる可能性もある。フォルテ達を撃破して、レオの力を借りればキリトも復活できるはずだ。
父の力を取り戻せる希望が芽生えた瞬間、アバターの動きを阻害する痛みが和らいだことを感じて、ユイ/イニスは自らの剣を構えて飛び上がる。
「フォルテ! あなたがパパから奪ったものを……私が絶対に取り戻します!」
「面白い……やれるものなら、やってみろ!」
フォルテ/<Gospel>に負けないほどの闘争心を漲らせながら、ユイ/イニスは距離を詰めていく。
ユイ/イニスは無数の光弾をフォルテ/<Gospel>に目がけて放つ。フォルテ/<Gospel>の力で全ての弾が停止し、反射させられるが問題ない。自らのアバターを透明化させれば、着弾することはなかった。
その機動力でユイ/イニスは敵の目前にまで迫ると同時に姿を現し、巨大な双剣でフォルテ/<Gospel>を吹き飛ばす。
「むっ!?」
(いける……これなら、いけます!)
苦悶の声を漏らす死神を前に、ユイ/イニスは確かな手ごたえを感じた。
先程からいくども繰り返したが、やはりフォルテ/<Gospel>には幻惑の攪乱から不意打ちを仕掛ける戦法こそが有効だ。フォルテ/<Gospel>自身のパワーは驚異的だからこそ、機動力と幻惑を活かして回避し続けることができる。
(やっぱり、私が強く願う度にダメージ量も増えています! ならば、いずれフォルテを撃破することも不可能ではありません!)
光弾の威力と速度は向上し、剣の重みも増していた。
月海原学園で得た情報によれば、碑文使いの感情に呼応して憑神もまた力を増幅するらしい。ならば、ユイの怒りに応えてイニスも力を増幅し、ダメージも増えたと考えるべきだ。
やがて、碑文使いの心の闇を増幅させるが、比例してイニス自身も強化されるはず。ユイがフォルテに対する怒りを燃やす程、いずれイニス自身も相応の力を発揮する。
「覚悟しなさい、フォルテ! 私はあなたを絶対に許しませんし、パパを侮辱した罪はその命で償ってもらいます!」
激情に比例してイニスの紋章も激しく輝いて、世界は大きく震えた。
碑文から膨大な力が無限に溢れ出し、気持ちが昂っていく。このまま力を得れば、フォルテやオーヴァンだけでなく、このゲームを仕組んだGMもろとも世界全てを破壊できそうだ。
「手始めとしてフォルテを破壊して、それからママの敵討ちにオーヴァンを跡形もなく消し飛ばしてみせます! 私の力なら――――!」
――――その叫びは、唐突な鼓動によって遮られる。
ノイズと共に時間が静止し、自分自身が遠くに放り込まれるような奇妙な感覚を抱いた。
一体何が起きたのか? そんな違和感が生まれた瞬間、イニスの大きな叫び声が耳に響く。
「えっ……? 何が起きたのですか?」
そんな疑問を他所に、イニスはフォルテ/<Gospel>に飛びかかった。
ユイの意思を無視するように暴れて、双剣を振り回す。怒涛の勢いで振るわれる刃はフォルテ/<Gospel>の巨体を確実に抉っていくも、敵は灼熱を発射してイニスを吹き飛ばした。
イニスは僅かに呻き声を漏らすが、ユイは痛みをほとんど感じない。ただ、猛獣のように暴れるイニスがフォルテ/<Gospel>と戦う光景を、俯瞰するように見るしかなかった。
「ど、どうして……!? どうして、イニスをコントロールできないのですか!?」
ユイは気付かない。
怒りと憎しみによって強化されたイニスが、ユイではコントロールできないほど暴走したことを。
憑神は碑文使いの感情に呼応して強化される。ユイ自身の考案は間違いではないが、憑神は心の闇を増幅させる意味を真に理解していなかった。負の感情に任せて力を振るえば、いずれ憑神が制御できなくなる程に暴走する。
ユイは高性能を誇るAIであり、キリトやアスナたちの戦いを幾度も見守り、時にアドバイスを行った。しかし、ユイ自身が戦闘に参加した経験は非常に少なく、その為に自らが力に溺れる可能性に至らなかった。
加えて、フォルテからの嘲りで怒りが更に湧き上がり、力を発揮することを優先してしまう。ユイ自身はイニスから与えられた力に溺れ、復讐を優先してもっとも大事な覚悟を失ってしまった。
大切なもの失う覚悟と、大切なものを守る覚悟。その二つを。
『ガアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!』
そんなユイに対する罰や嘲りのように、イニスは咆哮し続けた。
フォルテ/<Gospel>から与えられるダメージなど気にも留めず、巨大な剣を振るって攻撃をし続ける。その姿は凶悪なボスモンスターと変わらず、これほど醜い怪物が自分から生まれたことがユイには信じられなかった。
フォルテ/<Gospel>を確実に押していくが、その姿にユイは恐怖を抱いた。
「待って! 待ってください、イニス! 私の言うことを聞いてください!」
先程までの怒りや戦意が嘘のように、不安の表情でユイは叫ぶが届かない。
自分の願いを叶えるように力を発揮しているが、これは違う。だからイニスの名前を呼び続けるけど、その叫びを無視して攻撃し続けていた。
やがてフォルテ/<Gospel>を遠くに吹き飛ばす。それほどの力が発揮されたことに、今のユイは恐怖で震えていた。
「ククク……そうだ! その力だ!
キサマが力を振るってこそ、破壊する意味がある! 俺と同じように、破壊し続けろッ!」
愉悦を込めたフォルテの叫びは、ユイの心を深く抉る。
「ち、違います……! 私は、パパ達を守りたかったから……! 破壊するために、イニスの力を使ったのではありませんっ!」
必死に否定するユイの呼吸は荒くなるが、その声を聞く者は誰もいない。後ずさろうとしても足は動かず、むしろイニスの暴走は激しくなる。
一方、フォルテ/<Gospel>は《ゴスペルキャノン》を発射するが、イニスは天に高く跳躍したことで軽々と回避した。
そのままイニスがフォルテ/<Gospel>を見下ろした瞬間、ユイは見てしまう。ユイが守りたかったキリト達が、不安そうにイニスを見上げる姿を。
「ぱ、パパ……!?」
ユイが名前を呼ぶと同時にイニスの周囲にエネルギーが集まった。
圧倒的な輝きとエネルギー量が感じられた瞬間、ユイの全身に悪寒が走る。
「ま、まさか……! やめてください、イニス! あそこには、パパ達がいます!」
だからユイは必死に叫ぶが、イニスは止まらない。
「逃げてください、パパ! ここからすぐに逃げてください! このままじゃ、イニスが……パパ達を……パパ達を……!
逃げて、パパ! 逃げてええええええええぇぇぇぇぇぇぇっ!」
せめてキリト達だけでも逃がしたかったが、ユイの叫びは誰にも届かない。
暴走したイニスに捕らわれた彼女の声は、もう誰も聞くことができなかった。
『グガアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!』
無情にも、ユイの願いを踏みにじるようにイニスはエネルギーを開放した。
同じタイミングでフォルテ/<Gospel>が口から発車した灼熱と衝突し、盛大な爆発を起こして世界を容赦なく震撼させる。
しかし、フォルテ/<Gospel>から外れた光弾が、キリト達を目がけて進んでいた。
「パパッ! いやああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
ユイはそれを否定するようにその光景から目を逸らし、直後、無情にも響き渡った更なる爆発音に、堪らず悲鳴を上げる。
自分のせいでパパ達を傷付けてしまったのか? フォルテ達を相手に戦えるという驕りが、この結果を招いたのか?
こんなのは違う。ただ、パパを守るために戦いたかっただけで、こんな結末を望んでいたわけがない。
その願いを叶えてくれるために、イニスは力を貸してくれたのではないのか?
そんなふうに、ユイはキリト達へと目を向けることもできず、自らが引き起こしてしまった結果に絶望する。
「来たれ、『再誕』――――――――コルベニク!」
だがその現実を覆すかのように、ポーン、と唐突に響いたハ長調ラ音と共に、唯一にして最悪の救世主の名前が宣言される。
続くように、<蒼炎の守護神([[Azure]] Flame God)>を遥かに凌駕する情報密度と共に、神々しい純白の輝きが世界を照らした。光はほんの一瞬で収まった瞬間、ユイ/イニスとフォルテ/<Gospel>を遥かに凌駕する巨神が顕在していた。
「『再誕』のコルベニク…………オーヴァンなのか!?」
圧倒的な存在感を放つ巨神に息を呑んだ瞬間、男の声がユイの耳に響く。
我に返りながら振り向くと、キリト達の姿が見えた。現れた巨神は、まるでキリト達を庇うように顕在しており、思わず安堵を抱いてしまう。
「その通りさ。お前にこの姿を見せるのは、これで二度目になるな」
しかし、続くように発せられた男の低い声で、ユイの心はほんの一瞬で憎しみに染まる。
何故なら、この男は愛する母・アスナの仇であり、キリトを絶望のどん底に叩き落とした憎きオーヴァンだからだ。事実、キリトからも名前を呼ばれていて、何よりも巨神の左肩からは生えたどす黒い爪はAIDAの反応が感じられる。
「ま、まさか……オーヴァンにパパを助けられた……!?」
「どうやら、俺はユイからキリトを守った恩人になってしまったみたいだ。あと一歩遅かったら、キリト達はユイに殺されていたからね」
オーヴァン/コルベニクにとっては何気ない一言で、言葉では言い表せない衝撃と共にユイを再び絶望へ叩き落とした。
母の仇によって、父の命を助けられてしまう。しかも、父の命を奪おうとしたのは他ならぬ娘自身だ。信じたくなかったけど、オーヴァンの言葉は全て紛れもない真実で、否定できない。
このままオーヴァンがコルベニクを顕現させなければ、確実にキリト達の命は奪われていたから。
「お前が恩人だと!?
ふざけるな! お前は、アスナやシルバー・クロウ達の命を奪い、黒雪のことも傷付けただろうが!?
そんなお前を恩人と認めてたまるかっ!」
「だが、事実としてお前達はユイに殺されかかった。結果としてだが、暴走したユイから戦えないお前達を俺が守ってやったことに、何の間違いがあるんだ?」
キリトは必死に叫んでくれるが、オーヴァンはあっさりと切り捨てる。
オーヴァンの言葉は毒のようにユイを蝕んでいき、その瞳から澎湃と涙が溢れ出した。高性能のAIであるが故に現実逃避も許されず、ただ事実を受け入れるしかない。
醜い怪物となった娘から愛するパパを守ってくれたのは、他ならぬオーヴァンであることを。
「オーヴァン……キサマ、何のつもりだ!?」
「悪いが、これ以上は見ていられない。ここで終わらせてもらうぞ」
フォルテ/<Gospel>の叫びを無視して、オーヴァン/コルベニクはイニスに振り向く。
本能で何かを察したのか、イニスの狂気が僅かに揺らぐ。僅かに芽生えた隙を付き、オーヴァン/コルベニクはイニスへと突貫しながら、左腕の刃を振るった。
イニスは双剣を交差させて防ごうとするが、オーヴァン/コルベニクの一閃に打ち負けてしまう。がら空きになったイニスの体躯を目がけて、<Tri-Edge>の爪が振るわれ続けて、ユイの視界が大きく揺らいだ。
「きゃああああぁぁぁぁぁっ!?」
「ユイ!? ユイいいいいいぃぃぃぃぃぃぃっ! やめろ、オーヴァン! やめてくれえええぇぇぇっ!」
ユイの悲鳴とキリトの叫びが重なるが、オーヴァン/コルベニクは止まらない。<Tri-Edge>と共に力を発揮すれば、暴走したイニスなど赤子も同然だった。
例え暴走によりどれだけ力が増幅されていようとも、イニスは直接戦闘に向いた憑神ではない。
対してコルベニクは”最強”と畏れられる憑神であり、<Tri-Edge>はそのコルベニクですら除去の敵わない0番目のAIDAだ。
その凶暴性はもちろんのこと、憑神の切り札であるデータドレインすらも通用せず、また撃破されても『再誕』の力で復活を可能とする。
元より戦闘力で劣り、手札も全て把握され、さらには暴走までしているイニスに、圧倒的な戦闘力を持つオーヴァン/コルベニク/<Tri-Edge>を倒す方法など存在しない。
「終わりだ」
反撃はおろか、防御や回避すらも許さない<Tri-Edge>の一閃により、イニスの勢いは弱まる。そしてオーヴァン/コルベニクは頭上に渦球を形成し、炸裂させて無数の針をイニスに突き刺した。
《掃討の魔針》を正面から受けて、何かが砕ける音を耳にした瞬間、ユイは自分から力が失っていくのを感じた。
元より、フォルテ/<Gospel>との戦いで消耗した所に、圧倒的な力を誇るオーヴァン/コルベニクと<Tri-Edge>の攻撃を受けたことで、限界を迎えてしまったのだ。
プロテクトブレイクで世界が砕け散り、ユイは何も言えないまま落ちていった。
†
「……あ、うぁ……っ……」
イニスの顕現が解除されて、ユイは地面に倒れ伏せている。
憑神による戦闘であるためHPにダメージはないだろうが、精神的はダメージは深いだろう。だが少なくとも致命傷ではない。コルベニクと<Tri-Edge>には手加減をさせた。
しかしフォルテ/<Gospel>に深手を負わされている可能性があり、またこれ以上の暴走は自滅の危険性があった。
ユイだけではない。タルヴォスの碑文に覚醒したフォルテにも暴走するリスクが存在した。オーヴァンが早期決着を選んだのは、碑文を三体以上同時顕現させては暴走する危険が高まるためだ。
その甲斐があってか、こうしてユイのアバターは消去されずに済んだ。
「……ぱ、ぱ…………わた、し、は……」
「悪いが、君には眠ってもらおう。月の下で穏やかに休むといい」
呻き声を漏らすユイに向けて、オーヴァンは月のタロットを使う。
敵を睡眠状態にするという効果のアイテムであり、ユイを捕まえる際に抵抗させない様にと、ウラインターネットに位置するショップで購入していたものだ。
また、念のためにと導きの羽や完治の水も購入した結果、自らのポイントが0になったが、構わない。出し惜しみなど下らないし、今は迅速な帰還とユイの治療が最優先だ。
「待て、オーヴァン! キサマ……俺の勝負に水を差すつもりか!?」
案の定、フォルテは喰ってかかる。いつの間にか、フォルテも<Gospel>を解除したことで、世界は完全に元通りとなっていた。
コルベニクに警戒したのか、イニスとの戦いで割り込まれなかったことが幸いだ。フォルテの相手をしながらイニスを倒し、ユイを確保するのはさすがに骨が折れる。
だが、一応はフォルテを説得するべきだろう。
「忘れてはいないか? 俺達の目的は最初からユイを確保することで、君もそれを了承したからキリトと戦えたはずだが?」
「ぬっ……」
「俺はユイを連れて先に戻るから、後は君の好きにしてくれ。ちょうど、キリト達も揃っているしな」
「………………チッ」
フォルテは舌打ちをしながらも、戦意を収める。
こちらの説得を受け入れたのか、不承不承だがフォルテも納得ようだ。
ならば、もうここには用がない。ユイの体を抱えながら導きの羽を手に取り、帰還の準備を整える。
「待て、オーヴァンッ! ユイを……ユイを返してくれ!」
「ユイちゃん!」
キリトとジローの叫びが聞こえてくるが振り向かない。
力を失っただけでなく、戦意も既に感じられず、ただ無様に泣き叫ぶだけの彼らなど興味がなかった。
故に、オーヴァンは導きの羽を使って、ユイと共にこの場から去っていった。
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