……メールは不気味なまでに無機質な文体で綴られていた。 事務的な連絡の他、殺し合いの途中経過、そして今後に開かれるイベントの数々。 それら貴重な情報をただの娯楽のそれのように告げるメールは、何とも悪趣味なものだ。 嫌悪感が胸の奥底から湧き上がる。だがそれよりも胸中を席巻する強い困惑があった。 『マスター、これは……』 霊体化したアーチャーが言葉を漏らした。 何を言いたいかは分かっている。殺し合いの途中経過――脱落者の名に知った名があったのだ。 ――遠坂凛 ある時は聖杯戦争終盤に立ちはだかる敵であり、またある時は最後まで寄り添う友であった彼女が、脱落者のリストに名を連ねていた。 『リンが落ちたか……これはその、少し意外だな』 『そうですねぇ。あの方、バイタリティは高そうでしたし』 セイバーやキャスターも各々の感想を述べている。 大体皆の感情は同じようであった。困惑だ。 確かに遠坂凛は友人であった。それは今まで蓄積されたどの記憶でも共通している。 それ故にその脱落を悲しむ気持ちは勿論あるが、しかし自分達にその資格があるのかという考えも過るのだ。 何故なら、自分が彼女を殺したこともまた、事実なのだから。 聖杯戦争六回戦。 残りマスターは四人となり校舎も随分と寂しくなっていたのを覚えている。そんな中で自分の相手となったマスターは姿を巧妙にくらましていた。 既に脱落し協力者となっていた凛/ラニと共に、マスターの正体を暴いた。その正体こそ他でもないラニ/凛であったのだ。 ……駄目だ。やはり記憶が混在している。 凛と共にラニと戦った記憶も、ラニと共に凛と戦った記憶も、共に自分の意識の中に刻み込まれている。 どちらかが正しいか、という話でもないのだろう。どちらも正しく、どちらも確かにあったことなのだ。 凛を生き残らせることを選んだ[[岸波白野]]ならば、きっと彼女の死に悲しむことに何の抵抗も抱きはしないだろう。 しかし同時に自分は遠坂凛と相対し、そして覚悟を以て殺した岸波白野でもあるのだ。 何と、何という思いで自分は彼女の死を受け入れればいいのあろうか。 そんなことすら分からない 本当に、岸波白野(じぶん)は何とあやふやな存在であるのか。 じぶんとは一体何なのだろう。 岸波白野というデータが幾重に別れて偏在していても、じぶんは一つしかない。 ならここにいる岸波白野(じぶん)は一つなのか、それとも沢山のデータが重なっているだけのなのか。 どこまでがじぶんといえる。別の選択した岸波白野はもはや別の岸波白野ではないのか。 それを全部合わせてじぶんと、どうしていえるだろうか。 キシナミハクノとじぶんの その境界は―― 『マスター』 ふとアーチャーの声がした。その言葉に岸波白野(じぶん)はふっと我に返る。 自分は今、どこに居た? その困惑を見下ろしながら、アーチャーはゆっくりと言った。 『君の気持ちは分かる。私も様々な記憶が混在している身だからな。 こと遠坂凛に関しては、幾つもの筋道に分岐した記憶がある。 そのどれが正解という訳もないが、しかし凛は私たちにとって良き好敵手であり友人だった――それは間違いないだろう?』 ……そうだ。 幾つにも分岐した記憶。自分と凛の関係には様々なパターンはあったが、しかしそのどれにおいても、凛は自分を助けてくれていた。 何も分かっていなかった自分に手を差し伸べ、ヒントを与えてくれた。最終的に敵対することになり彼女を討った場合でも、恨み言一つ漏らすことはなかった。 ああだから、自分はこうも苦しいのか。 身近で強い、一人の友を失ったことが、一重に辛いのだ。 どの岸波白野(じぶん)にとっても、それは確かなことだ。 「アァァァ……」 目の前で[[カイト]]が声を漏らした。 会った頃は何の意味合いも掴むことができなったその声だが、しかしこうして共に過ごしている内に何を言わんとしているのか、おぼろげながら分かってきた気がする。 喜怒哀楽の大まかな判別、程度の話だが、彼は決してエネミーのような魂なきプログラムではない。 例えば今は、自分を気遣ってくれている。 『そうだぞ、奏者よ。リンのことは大いに悲しめばいいのだ。迷うことなどない。余が許す。 余もあやつのことは、その、そう悪くは思っていなかったからな!』 『そうです、ご主人様。元々それ以外のリアクションはありえませんよ。 あの方は共闘を断ったらバッド直行系ヒロインな訳ですし、ルートごとの扱いが違い過ぎて反応に困るなんてこともありません』 サーヴァントたちの声も聞こえる。みな自分を気遣ってのものだ。 『……私には何の因果か、彼女と共に戦っていた感覚もある。ここではない別の物語の話だがね。 その因縁に思うところがない訳ではないが、だが今ここに私は君のサーヴァントだ。 彼女の死は悲しむべきことだが、今ここにいる私たちは立ち止まっている訳には行かない筈だ』 ゆっくりと紡がれるアーチャーの言葉に意を決して頷く。 立ち止まる訳にはいかない。それもまた、確かな事実なのだ。 慎二やダン卿、ありす、ランルーくん、ガトー、レオ、それに凛やラニ、その死を自分は見てきた。 その命を乗りこえてでも、進むべきと思った岸波白野(じぶん)が居たからこそ。 その集積である筈の自分もまた、立ち止まる訳には行かないのだ。 サーヴァントやカイトたちに向き直り、もう大丈夫と告げた。 と、そこで気付く。 ユイだ。ユイの声がしない。 何時もなら真っ先にこちらを気遣いそうな、天使のような彼女が、ここに到って一言も発していない。 そのことが何を意味するのかは、彼女の顔に浮ぶ呆然とした表情が全て物語っていた。 ――しまった。 何故自分のことしか考えなかったのだ。 ユイもまた、誰かを失ったかもしれないという可能性に、全く思い当らなかった。 彼女は開かれたウィンドウを見つめたまま微動だにしない。 ただ虚空を見つめたまま、表情を変えず静止している。どんな言葉を掛ければいいのか、全く分からなかった。 「……知ってはいるんです」 ぽつりと。 ぽつりとユイは口を開いた。 「どんな反応をすればいいのか、親しい者が死んでしまった時にどんな反応をするのが正解なのか。 私が収集したデータの中でも沢山のサンプルがあります。その反応データは、アインクラッドの中では溢れるほど取れましたから」 それまでのユイの口調とは打って変わってそれは、平坦で無機質な、実に機械的な印象を与えるものだった。 「でも、私はその正解だと思う反応を取ることに、抵抗があるんです。 死を、熱いものに触れたら急いで手を離す、みたいな当然の反応と同列の反復動作で処理することに。 存在が消えてしまうこと――死を、どう処理するのか、私の中で葛藤があって……」 彼女は再びそこで口を噤んだ。何をいえばいいのか分からなかったのかもしれない。 自分と似てはいる、しかし違う葛藤だった。 彼女が単なるAIでなく、人間性とでもいうべきものに限りなく近づいていた存在であるが故の葛藤だった。 人かプログラムか、意識の境界線上に彼女は居る。 ◇ 「ご迷惑、お掛けしました」 しばらくして、ユイは神妙に頭を下げた。その声音は既に何時ものそれに戻っている。 結局ユイがどうやって死を処理したのかは分からなかった。きっと彼女の中で葛藤があり、一つの折り合いを付けたのだろう。 あるいはまだ迷っているのかもしれない。しかしそのことを敢えて問い質そうとはしなかった。 結局のところ、彼女自身でなくはこの問題に答えは出せないだろう。 ユイの話によれば、自分はAIの中でもボトムアップ型と評されるものであり、対するユイやカイトはトップダウン型の構造であるという。 思考の構造が根本から違うということは、正直な話よく分かっていなかった。ユイは勿論、最初はコミュニケーションが取れなかったカイトでさえ、今ははっきりと人として接していたのだから、そこに違いがあると言われてもピンとは来なかったのだ。 しかしここに来て、その構造の違いというのが垣間見えた気がする。 話によれば、ユイもまたよく知る人物の死が告げられたらしい。 【リーファ】と【クライン】がそれに当たるようで、それを告げる際のユイはまたしても機械的な口調に戻っていた。 そして平静を保っていたように見えたカイトもまた、その実ひどく困惑していたらしいことが分かった。 彼もまた知る名が二つあったという。【バルムンク】と【ワイズマン】の二名だ。 【バルムンク】の方は心当たりのある人物が二名居るらしく、彼がよく知る方の【バルムンク】であるのなら自分と似た存在故修復も可能であると言っていた。 ただ【ワイズマン】と彼のよく知らない方の――AIの基となった【バルムンク】の方と、彼との関係が中々複雑であるらしく、判断に困るとのことであった。 AIとして、彼もまた処理に困っていたのだった。できれば主に判断を仰ぎたいとのことだ。困惑しつつも他者の気配りを忘れない辺り、彼のAIとしての「人の良さ」のようなもの分かる。 ……しかし、何とも難しいものだ。 自分は岸波白野(じぶん)のデータが混在することにより、危うく自我を見失いそうになった。 ユイはAIとして完成されているが故に、その処理に抵抗を覚えた。 カイトは複雑極まりない処理を行うことに困惑していた。 ここに集まった皆は、サーヴァントたちも含め、生身の肉体というものを持っていない。 だから生きていない、なんては全くもって思いはしないけど、しかしこんな悩みを持つのはデータだけの存在だからだろうかと思ってしまう。 『……マスター』 アーチャーが少しだけ急かすように呼びかけてきた。 分かっている、と目で返す。先ほど立ち止まっている暇はないと言ったが、あれはより実質的な脅威があるという意味でもあるのだ。 メールには脱落者以外にも記載されていた情報があった。イベント、と呼ばれるそれらは殺し合いを促進させる効果があるように思えた。 『思いっきり森の中ですもんね、ここ』 キャスターが言う通り、今自分たちが居るのは森の中――【痛みの森】イベントの真っただ中である。 ダメージが上がるという、平たくいえば死にやすくなるイベントだ。あまり消耗せずに月海原学園に行きたい身としては絶対に避けて通りたいイベントである。 幸いにして森から脱出することだけを目指すのなら、そう時間は掛からないだろう。 「はい、分かりました。ナビゲートします」 こちらの意図を察したのか、胸元からユイがそう述べた。 彼女は気丈にも微笑みを浮かべている。心配を掛けないように、という配慮なのだろう。 礼を言って、彼女のナビゲート通り移動を始めることにした。 しばらく無言で森を進む。あまり音を立てないように、慎重に。 その最中で考えるのは、今までこの場で出会った参加者のことだ。 ありす、ダン卿、そして今しがた名を告げられた凛。 皆、自分が良く知る人物たちだ。こうまで続けば疑う余地はないだろう。恐らく榊は聖杯戦争で自分と戦った者たちを参加させている。 何故そんなことを、というのは分からないが、状況的に考えてそれは間違いない。カイトやユイにも知り合いがいたように、このデスゲームはある程度知り合いを集めて参加者としているようだ。 問題は彼らと協力できるか、ということだ。 カイトとエンデュランスは、元は敵対し合う関係でありながら、非常に穏便に接触できた。 自分もできればそうしたいのだが、ありすとダン卿とは残念ながらそうは行かなかった。 難しいのは分かる。元々聖杯戦争という場で殺し合い、そして自分が打ち勝ってきた者たちだ。 わだかまりがあるのは否めないが、それでも何とか―― 「ハクノさん。近くに人がいます」 不意にユイがそう告げた。 こちらを見上げるユイによると、このエリアの近くに参加者居るらしい。 「でもどうやらこの人たち……隠れてるみたいなんです。待ち伏せというよりは、本当に身を休めてる感じで……」 隠れている。それを聞いて、正直、迷った。 本当なら無視して行ってしまう方が安全なのは分かっている。 それでも思ってしまった。 もしかしたら隠れているという彼らは戦う力を失い、危険な森の中を恐怖に震えながら隠れているのではないかと。 ならば、助けに行かなくては。 無論、そうでない可能性もある。PKと呼ばれるものたちが、ただ力を溜めているだけなのかもしれない。 それでも、思ってしまったのだ。 『む、奏者よ。そやつらを助けに行くつもりか?』 考えを察したのかセイバーが、そう問いかけてきた。 しばらく逡巡していたが、結局―― &nowiki(){>助けに行く。} 無視する。 『ふむ、そうか。構わんぞ、奏者よ。そなたならそうするであろうことは余はお見通しであった。 なに、その判断を恥じることはない。寧ろもっと誇るが良い。それでこそ余の奏者なのだからな!』 セイバーの言葉に、思わず笑みを浮かべてしまう。 確かにもうサーヴァントたちとも結構な付き合いだ。自分がこういう時どんな行動を取るのか、もう分かっているのだろう。 『な、何を笑っているのだ。余はそのだな……気を効かせて言ってやったのだぞ。 何時も言っているであろう、奏者のそういうところは悪くないどころか寧ろ良いと……』 『はいはい、さっさと行きましょうご主人様。どうせ展開は見えてましたし』 『な! 今のは余と奏者だけの会話だぞ。何故貴様が入ってくるのだ』 『ツンデレにもなり切れてないデレデレ台詞なんか聞きたくねえーです! そこんとこ面倒だから話を進めちゃいましょう』 『ぐぬぬぬ、この女狐めが……!』 顔を突き合わせるセイバーとキャスターに苦笑しつつ、言葉通り彼らの下へ向かうことにした。 ユイのナビゲートに従って近づく。言うまでもなく警戒は怠らずに。 そうして森の奥に居たのは―― |Next|[[Liminality―境界線―(後編)]]|