音楽用語Kanon(追復曲)に由来する。
主人公の相沢祐一は、7年前、あゆを襲った悲劇に耐えきれず、その記憶を忘れるとともに街から逃げ出した。
本作は、祐一がもう一度愛する者を失う悲劇に見舞われようとしたとき、今度は最後まで立ち向かおうとする彼の成長劇と捉えることもできる。
基本となるのは上記の追復であるが、各編において、繰り返しの内容は少しずつ異なる。

あゆ編


あゆを失った祐一が、もう一度あゆを失う痛みに直面する。
7年前はその痛みに耐えきれず、あゆとの記憶を失うと共に、街に二度と戻ってこなくなった彼だが、今度は逃げることがなかった。
また、7年前には、あゆを失った祐一の支えになることができなかった名雪は、今度は心の支えになることができた。

栞編


あゆを失った祐一が、栞を失う痛みに直面する。
また、栞を失う痛みに耐えきれなかった姉の香里が、7年前の祐一と同じ行動(栞の存在を心から消し去ろうとするとともに、街から出て行こうとする)を取る物語でもある。
栞編においては、あゆは栞と祐一との関係を暖かく見守る役を、名雪は祐一と香里の支えになる役を担う。
特に、7年前には押しつけがましいともいえる行動を取った名雪が、このシナリオでは無言で祐一を励ましたところに、彼女の成長を見ることができる。

真琴編


あゆを失った祐一が、真琴を失う痛みに直面する。
一方真琴にとっては、一度は都合によって捨てられた「家族」に、もう一度触れ合い、そして別れなければならない物語である。
また、美汐にとっては、自分と同じ苦しみに直面する者に出会うことで人との触れ合いを取り戻す物語、名雪にとっては、このシナリオにおいても祐一の助けとなる物語ともいえよう。
構図が栞編に近く、麻枝版栞編と言うこともできるだろう。

名雪編


このシナリオと舞編は、他のシナリオと構図が大きく異なる。
名雪編では、祐一と名雪が立場を替えて、7年前と同じ悲劇に向かう物語である。
7年前は最愛の者を失った祐一に名雪が手を差しのべた(が、届かなかった)が、このシナリオ内では最愛の者を失った名雪に、祐一が手を差しのべる。

舞編


舞編においては、祐一から見た追復は存在しない。強いて挙げれば、10年前の夏と同じように、舞と遊んだという点がそう言えなくもないかも知れない。
佐祐理から見れば、社会的弱者(一弥)を強者(健常者。あるいは政治家である佐祐理の父)の視点から接し、失った経験をふまえて、今度は社会的弱者(舞)に、同じ視点に立って接しようとする繰り返しの物語なのだと解することもできる(佐祐理編)。


※奇跡の物語であること、天使の人形の存在、OPであゆが天使を想起させる姿を見せることなどから、聖典と訳される場合もある。この説に立つ者は、宗教的とも言える熱狂的なファンの存在を根拠に挙げる場合も多いが、制作時点でそれが予想できていたとするのは無理があろう。
最終更新:2006年09月18日 03:36