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第十八章 下 - (2009/03/23 (月) 00:21:28) の1つ前との変更点
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濡れた髪を梳りながら、名刺の上に小さくプリントされた文字を読む。
Gardevoir――『高級』『上質』が売りの、服飾系有名ブランドだった。
もちろんその知識はカエデから教わったものだ。
「カエデがいないのが残念ね……」
いたら飛び上がって喜んだあと、
あの二人組に掛け合って、格安でGardevoirの服を購入していたに違いなかった。
ポケモンセンターまでの道すがら、
二人組のうち背の高い方は、クチバで分かれてからの経緯を短く話してくれた。
『あのときは言いませんでしたけど、俺、親父に出頭命令食らってたんスよ。
才能がないお前がポケモントレーナーを続けても無意味だ、いい加減諦めて俺の仕事を手伝え、って。
親父は服飾プランナーって仕事って、俺は正直、そんな仕事を手伝うのはゴメンでした。
友達も一緒に連れてこい、って言われても乗り気じゃなかった。
もしクチバでヒナタさんやカエデさんに会ってなかったら、
俺と今もこいつと一緒にバカやってたかもしんないっスね。
あの時氷漬けにさせられて、マジ目が覚めたっつーか』
名刺から視線を外し、ナイトランプの明かりを残して消灯する。
ダブルベッドに一人で横になる。
タイチが部屋に帰ってくる気配はなかった。
「医務室で一晩過ごすつもりなのかしら」
まあ、もちろんあたしとしてはその方がいいんだけど。
タイチと一緒の部屋で眠れば、"不慮の事故"がいつ起きても不思議じゃない。
年頃の男の子は色々と我慢が利かないものなのよ、とママが言っていたことを思い出す。
それはタイチとて例外じゃない……のよね。
ああもう、どうして今日の夜に限って、部屋が一つしか空いていないんだろう。
あたしにカードキーを手渡した時の、ジョーイさんの生暖かい笑みが忘れられない。
確かにヤマブキシティのポケモンセンターは真新しくて、職員の教育も行き届いていて、設備も最新の物が用意されているかもしれない。
でも、肝心なことを忘れてるわ。
部屋の数が少なすぎることよ。
みしり。
物音が聞こえた気がして身体を起こす。
「タイチ!? 帰ってきたの?」
……………。静寂が耳に痛かった。
タイチ、と口に出してしまったことがだんだん恥ずかしくなってくる。
断熱材か何かの軋みにいちいち反応するなんて、全然あたしらしくない。
ボールを三つまとめて展開する。
「ぴぃっ、ぴぃー」
ピッピが飛び出す。
「…………」
眠気たっぷりといった感じのスターミーが現れる。
「うー?」
最後に展開されたゲンガーが、人差し指を頬に当てて首を傾げる。
こんな時間にどうしたんだい、とでも言うように。
あたしは言った。
「一緒に寝ましょ。
大きなベッドだから、みんな入っても狭くないわ」
翌朝。
普段よりもずっと早く起きたあたしは、
わざとゆっくり服を着替え、わざとゆっくりシーツを直し、
わざとゆっくりポケモンにポケモンフードを準備して、
フロントに朝食のルームサービスは要らないことを内線で伝えた。
それだけのことをしても、時計の針はほとんど動いてくれなかった。
けど、それ以上するべきこともなかったので、
あたしは仕方なく施錠を済ませて部屋を出た。
医務室の端のベッドで、タイチは案の定爆睡していた。
保険医はタイチのだらしない寝顔を見て微笑み、あたしに視線を移して言った。
「額の傷は綺麗に治ります。
体質的に血の気が多いようなので、失血による心配もありません。
また体の至る所に打撲傷がありましたが、どれも浅く、数日で痛みは引くでしょう」
ただ――、と保険医は顎に手を当てて、
「かなり疲労が溜まっていたようですね。
縫合中に眠る人はなかなかいませんよ。本当に」
「あれから一度も目を覚まさなかったんですか」
ええ、と保険医が頷く。
タイチの寝顔を見つめる。後悔が押し寄せてくる。
アヤを追うことに夢中になって、タイチの疲労を慮ることを忘れていた。
あたしとカエデにセキチクで追いつき、あたしをアヤから助けだし、そのままヤマブキシティに飛ぶ。
熟練の飛行ポケモン遣いでも尻込みしそうなその行程を遂げて、
タイチはその間、ちっとも疲れている素振りを見せなかった。
「……タイチ?」
不意にタイチの瞼が震える。保険医が誰ともなしに頷き、静かにベッドから離れていく。
「タイチ?」
「ふぁ……あぁ……、ん……ヒナタか?
悪ぃ、ちょっと眠っちまってたみたいだ。
縫合はもう終わったのか?」
「ばか」
「ばか?」
「もうとっくに縫合は終わってるわ。
今は朝よ。朝。あれから一晩、タイチは眠りっぱなしだったの」
「マジかよ」
むくりと起き上がり、額のガーゼに触れるタイチ。
「エアームドは? エアームドはどうしてる?」
「昨日の夜、タイチが寝た後で容態を聞いたら、
やっぱり片側の羽がかなり傷ついていたみたい。
数日でなんとか飛べるまでには回復するけど、しばらくは長距離飛行は避けて、
戦闘も避けた方がいいって、ジョーイさんが言ってたわ」
「そうか……」
沈黙が流れる。あたしもタイチも、同じ事を考えていた。
「迎えに行けなくなっちゃったね、カエデのこと」
「ああ。エアームドがああなった以上、どうしようもねえな」
エアームドが怪我をする切欠になった、あの飛行ポケモンたちについて議論するつもりはなかった。
情報が不足しすぎているし、得られる結論にしても憶測の延長に過ぎないことは分かっていた。
「エアームドが完全に回復するまでは、俺たちだけでなんとかするしかないな」
「うん……」
カエデなしでアヤの組織に挑むのは、正直に言うと不安だった。
タイチにはアヤのヘルガ―と渡り合うほどのバクフーンがいるし、
あたしにだってピッピやスターミー、そして暴走する心配がなくなったゲンガーがいる。
でも、所詮は多勢に無勢。
相手の数や戦力は未知数で、正面から行って切り崩せる見込みはまずない。
「これからどうする?」
「ヤマブキシティジムに行って、ジムリーダーのナツメさんに話を伺いましょう?」
タマムシシティでエリカさんに助言を求めたように。
「それが一番無難だな。
まさかシルフカンパニーに乗り込んで、アヤを出せっていうわけにもいかねーし」
そんなことをしたが最後、あたしたちの存在はすぐに組織の人間に知れて、
アヤはピカチュウの端緒と共に、あたしの手の届かないところへ消えてしまうかもしれない。
「よし、それじゃあ早速行こうぜ」
「ちょっと。体は大丈夫なの?
保険医さんの話では、体のあちこちに打撲傷があるって……」
「それくらいどうってことねえよ。
一晩ぐっすり眠ったおかげで、元気は有り余ってるからな」
それよりもさっきから気になってたんだが、とタイチは目を細めてあたしの顔を覗き込んだ。
「お前さ、目の下にクマできてるぞ」
「嘘でしょ?」
朝、鏡を見た時には気付かなかったのに。
「マジだよ。どうしたんだ? 寝不足か?」
無言でタイチを睨み付ける。
誰の所為だと思ってるのよ。
昨夜は何か物音がする度に、タイチかと思って目が冴えて、また眠るの繰り返しで、ろくに眠れなかったんだから。
あたしは言った。
「荷物はここにあるわ。
あたしは外で待ってるから、早く準備して」
「だから発電所で偶然お前に会った時はマジでびっくりしたな」
とタイチは笑い混じりに言った。
タイチの話を聞いているあいだに、あたしの頭はすっかり冴えていた。
「あの時は、キャタピーにびびってた情けない俺を忘れたままでいてほしい気持ちと、
もしかしたら俺と友達になったことを……あの冒険を思い出してくれたらいいなって気持ちが半々だった。
ま、結局ヒナタは親父の話通り、完璧に俺のことを忘れてくれてたわけだが」
それは、あたしがタイチと一緒に家を抜け出して、森に入って、キャタピーに囲まれて、
見知らぬトレーナーに助けられて、気を失うまでの経緯を聞かされた今でも変わらない。
あたしの瞼の裏にはちっともそれらにリンクした映像が立ち上がらなかった。
「こうやって一緒に旅出来る今では、その方が良かったと思ってるんだ。
あの頃俺たちはまだ子供で、攻撃的なキャタピーの群れとか、
お前を救った炎の壁とかは、結構怖いものとしてお前の目に映っていたはずだ。
わざわざ思い出して怖い思いする必要はねえよ。思い出し損だ」
お母さんもシゲルおじさまも、あたしが二度も怖い思いをすることはないと思って、あたしに何も教えなかったのだろうか。
でもそれなら、
「……それならタイチは、どうして今になって、あの時のことを詳しく話す気になったの?」
「お前だけには、本当のことを話しておこうと思ってさ」
本当のこと?
「今の昔話に、嘘が混じってたの?」
「嘘は混じってない。実は親父とカスミおばさんに黙ってたことがあるんだ。
落ち着いた後で、カスミおばさんはヒナタを助けてくれた人の特徴を俺に訊いてきたんだが、
ガキの記憶力なんてたかが知れてる、俺の拙い情報でその人が見つかるわけもなくて、結局お礼はできなかった。
けれどそれから何年かして……俺はパソコンの画面の中に、そのトレーナーを見つけ出したんだ」
「ポケモンバトルの修行の格言に、上手いバトルを見て技術を盗め、ってのがあるだろ。
俺は親父がジムリーダーだから、好きなだけトキワジム挑戦者と雇いのトレーナー、或いは親父との戦いを観察できた。
けど……こんなことを言うと贅沢かもしれねーけどさ……やっぱり何度も見てると飽きてきて、他のポケモンバトルも見たくなってくるんだよ。
親父も雇いのトレーナーもポケモンは固定だからな。
そこで俺は親父のパソコンにこっそりアクセスして、アーカイブから過去のポケモンリーグ中継動画一年分を拝借することにした。
ランカークラスのバトルは想像してたよりもずっと凄かった。
そしていよいよ決勝の時になって、俺は昔ヒナタを助けてくれたトレーナーを見つけたんだ」
……まさか。
不意に、胸が苦しくなる。
あれほど会いたかったお父さんと、あたしはずっと昔に会っていた……?
「画面の中のそいつの髪は真っ黒で、ぴしっとしたスーツを着てて、落ち着き払っていた。
やがてそいつはリザードンを召喚した。羽がところどころ破れてて、全身が古傷だらけのリザードンだ。
俺はそこでほぼ確信した」
タイチはそこで一度言葉を切り、
「ヒナタを昔助けたのは多分、お前の親父だ」
タイチの言葉で現実感が増す。同時に、大量の疑問が生まれる。
あたしが質問するのを見透かしていたかのように、タイチは釘を刺した。
「でも、"絶対"とは言えねえ」
「えっ……」
「俺はその人の顔の造形と、リザードンの外見的特徴が、お前の親父……サトシの顔の造形と、サトシのリザードンのそれと似ているから、そう思った。
俺がヒナタと冒険した時の年齢と、その頃の記憶力を考えたら、ただの思い違い、勘違いってこともあり得る。
この話を親父やカスミおばさんにしなかったのは、これが理由なんだ。
お前の親父の話は、なんつーか、親父やカスミおばさんの前ではタブーでさ。
いや、別にしてもいいんだけど、空気が重くなるっつーか、あまり好ましくない雰囲気になるんだよ。
それにもし本当にお前の親父だったとして、辻褄が合わねえところが多すぎたし、
その辻褄合わせができるほどガキの俺は賢くもなかった。
だから俺はその発見を誰にも話さなかった。
いつかヒナタがその記憶を取り戻して、それでも自分を助けてくれたトレーナーに心当たりが無い時に、この話をしてやろうと思ってた」
あたしは知らず、髪がぐしゃぐしゃになることも厭わずに、頭を強く押さえていた。
幼い頃の自分を呪う。
ばか。
どうして気を失ったりしたのよ。
もし恐怖に目を瞑ったりしないでいたら、あたしはお父さんを間近で見て、話して、記憶に留めることができたのに。
「どうしてお父さんは、あたしを置いていなくなっちゃったのかな」
せめてお母さんやシゲルおじさまが来るまで見ていてくれてもよかったのに。
「どうしてお父さんは、戻ってきてくれないのかな」
忙しくて長くマサラタウンに留まれないないなら、たとえ一年に一日顔を見せてくれるだけでもよかったのに。
「勝手、すぎるよ」
会いたいよ、お父さん――。
「泣いてんのか?」
「なっ、泣いてなんかないっ!」
これじゃあ「はい」と言ってるようなものだ。
それでもタイチはからかいも慰めもせずに、淡々と言ってくれた。
「ま、いつかきっと、ヒナタの溜め込んだ気持ちを全部はき出せる時が来るだろ。
お前がお前の親父に向かって、これまでほったらかしにした理由を訊ける時が」
本当にそんな時が来るのだろうか。
来るとしても、それはいつになるんだろう?
「いつになるかは分からねえけど、そう遠くない未来に、親父さんの手がかりは見つかるぜ」
「どうしてそんなことが言えるの?」
あたしの憂いを察したのか、声を弾ませてタイチは言った。
「どうしてもなにも、俺も協力してやるからさ。
ピカチュウが拉致られる前は、セキエイのコンピュータを調べるために、ポケモンリーグ優勝を目指してたんだろ?
二人でリーグ優勝を狙えば可能性は倍じゃねえか。
ピカチュウを取り戻した後は、ちゃちゃっとバッジ集めて、上位ランカーになって、リーグ優勝すりゃいいのさ」
「タイチ……」
「流石に喋り疲れたから寝る。
明日は俺が自主的に起きるまで起こさないでくれ。
フユツグから連絡が来るまでに寝溜めしておきたいんだ」
早口でそうまくし立て、わざとらしく寝返りをうつタイチ。
照れ隠しのつもりなのかしら。
「ねえ、待って」
「…………」
「あたし、タイチの昔話聞いても、タイチが何も出来なかったことを聞いても、タイチのことを情けないなんてちっとも思わなかったよ」
「…………」
「だってタイチはそれから何年も経った後で、あたしを何度も、危ない目から助けてくれたじゃない。
それに……それにね……、」
あたしのお父さん探しに協力してくれるって言ってくれて、すっごく嬉しかった。
ピカチュウを助け出した後もタイチと一緒に旅が出来ると思ったら、すっごく安心したのよ。
こんなこと言ったらあんたが調子に乗るのは目に見えてるし、
あたし自身恥ずかしいから、絶対口には出さないけどね?
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「順調に回復しているようで何よりだ」
そりゃどうも、とペルシアンの通訳を経て僕は答えた。
サカキは今日も今日とて仕立てのいいダブルのスーツを着ていた。
暑くないのだろうか、と不思議に思い、何十年とこの服に慣れ親しんだ彼にその疑問は野暮だな、と思い直す。
「ピカ、ピカチュウ?」
随分とこの前の面会から間が空いたね?
「私も組織の統轄で多忙なのだ。
無論、その内容をお前に語る気はないが」
別に聞きたくないよ、ロケット団解体後の内情なんて。
……ちょっと興味はあるけどね。
「さて」
とサカキは近くの椅子に深く腰掛け、ペルシアンを足許に侍らせた。
「約束だ。お前の疑問に答えられる範囲で答えてやろう」
僕は尋ねた。
「ピカ、ピカー?」
ここの精確な所在地を答えてくれ。
「七島という諸島群は知っているな?」
僕は頷く。その名の通り七つの島からなる列島で、カントー地方から定期船が出ているはずだ。
「ここはその諸島群の一つ、五の島のリゾート地区にある私の別荘だ」
道理で日夜問わず快適な気温・湿度で、天気も安定して晴れているはずだ。
この建物はその気候を前提とした場所に建てられているのだから。
それにしても、木の葉を隠すには森の中とはよく言ったものだ。
この島では隠れ家も別荘と呼び名を変えられるし、
別荘のオーナーであるサカキもたくさんいる富豪のうちの一人でしかない……。
「ピィカ、チュ?」
この島に定期便は一日に何本やってくるんだ?と僕が尋ねると、
「よもや脱出でも考えているのか?」
「ピカ」
監禁された時のことを想定して、一応ね。
隠しても無駄なので正直に告白すると、サカキは唇の端を歪めて笑った。
「案ずるな。お前の自由は保障してやる。
それに元々この別荘にはお前が元いた場所ほどの上等な牢がない。
初めに言っただろう、ここはリゾート地区に建てられた保養所なのだと」
そして律儀に質問にも答えてくれた。
「観光客の増加に伴い定期便の数は増えている。
天候にも左右されるが、大抵は日に六本程度だな」
「ピカ」
ありがとう、参考にさせてもらうよ。脱走する機会はないだろうけど。
「さて、前座に興じている時間の余裕はない」
サカキが雰囲気を変える。
「お前が真に尋ねたいことは何だ」
所在地の確認も一応必要ではあったんだけどね。
まあ確かに、この質問と比べれば前座扱いも仕方ないか。僕は尋ねた。
「チュウ、ピカ、チュウ」
すかさずペルシアンが翻訳する。
「ピカチュウを監禁していたあの組織について、詳しく知りたい、と言っていますニャ」