「第二十六章 上」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

第二十六章 上 - (2009/08/11 (火) 23:55:12) の最新版との変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

地平線から溢れ出た黄金色の朝日が、夜の暗幕に包まれていたセキエイ高原に陰影と色彩を与えていく。 時折、侵入者を威嚇するかのような怪鳥の鳴き声が、冴え凍った夜明けの空気を震わせる。 自然と、カイリューの触覚を握る手に力がこもった。 初めてチャンピオンロードを踏破した時の感動が蘇り、僕はしばし、眼下に広がる偉観に目を奪われた。 荒々しい岩肌の雀茶色と、鬱蒼と生い茂った木々の暗緑色。 それは、この場所にポケモンリーグが建造されてから二世紀が経った今となっても、 頑なに人類を拒絶し続けていることの何よりの証明だった。 「見えてきた」 と、よく通る声でシゲルは言った。 エアームドに乗ったタイチとヒナタが、左手のピジョットに乗ったキョウとタケシが、 右手のピジョットに乗ったアヤメとカエデが、同時にセキエイ高原の彼方、朝日を弾いて銀白色に煌めく建造物を認めた。 同日、午前2時。 タマムシシティを離れた一行は、草木も眠る七番道路に到着した。 草むらを踏みしめる音は、静謐な夜の中で、まるで薄氷を踏み抜くかのように誇張された音になって響いた。 出発場所にここが選ばれたのは、 『昼夜問わず明るいタマムシの空は匿名性が低い。  光害の少ない郊外から出発すべきや。あ、今ナチュラルに洒落言うてもうたわ』 というマサキの提案(後半部分を除く)があったからだ。 マサキとエリカや、ムサシとコジロウとニャースを含むロケット団残党は、タマムシシティに残留することになった。 マサキは肩の怪我が治っていないことにも加え、 『ポケモントレーナーとしての才に恵まれなかった自分が行っても出来ることは何もない』 と言って辞退した。 エリカはシルフカンパニーの一件に距離を置いていたこともあってか今回の同行を切望したが、 万が一の時のことを考えてジムリーダーのうち誰か一人が残らなければならず、結果、立場的に最も適当なエリカがそれに選ばれた。 『皆さんのご武運をお祈りしていますわ』 『いくらなんでもその台詞は古風すぎるぜ』 シゲルに笑われたエリカは、しかしそれでも足りないというように数秒、睫を重ね合わせて、一同の姿を、特にヒナタの姿をじっと見つめた。 その素振りから僕は、エリカはシルフカンパニーで何も出来なかった自分に自責の念を抱いているのかもしれないな、と思った。 ロケット団残党代表にしてサカキが最も信頼を置く部下だと自負する二人+一匹組は、 意外にも自分たちの老いを素直に認めた上で、サカキの奪還を考えていることを明らかにした。 奪還なんて諦めて、いっそのこと君たちがサカキの他の部下を指揮したらどうだい、と僕が口にすると、 『ボスはボスしかいない(のニャ)』 というハーモニーが返ってきた。 勝算はあるのか、という問いは彼らにとって無意味だと知っていたから、僕は『成功を祈っているよ』とだけ言った。 そのようにして僕は彼らと別れをすませた。 七番道路に人気は無かった。 深い眠りについた野生ポケモンの息遣いを聞き取れるほど辺りは静まり返っていた。 皆が各々の背に乗ったのを確認してから、三体の飛行ポケモンはカイリューを先頭に編隊を組んで西に飛び立った。 「ウォフー」 カイリューが羽ばたいた回数に比例して、朧気だった建造物が輪郭を帯びていく。 人工的な銀白色の外壁は、それを包囲する原生の自然色に不思議なほどに調和していた。 ポケモンリーグに続く舗石の両脇に整列したポケモンの彫像は、風化を知らない素材で出来ていた。 「わあっ……」 「きれい……」 「すげぇ……」 ヒナタたちが目的を忘れて、ただ、この光景に嘆息するのも無理はない。 やがて、太陽が完全に地平線から姿を見せ、冬の澄んだ空の隅々にまで光を行き届かせた頃、僕たちは終にポケモンリーグ上空に到着した。 ポケモンセンターやショップ等の複合施設が存在するエントランスを飛び越し、 ポケモンリーグ出場権を得たランカートレーナーが四天王及びチャンピオンへの挑戦権を賭けて戦う、バトルフィールドに直接着陸する。 「ピカチュ」 僕はカイリューにお礼を言って、彼の体を降りた。懐かしい土の感触が足の裏に伝わった。 周囲を見渡す。戦闘区域を限定する白線。 角に一つずつ設置された、都合四基の照明塔。 悠に六万人を収容する観客席――。 何一つ変わっていなかった。変わってしまったのは僕の方だ。 「呆気なかったな」 と、いち早く懐古から目を醒ましたタケシが言った。 「妨害のひとつも無かった」   シゲルは記憶を拾い上げるかのように土に触れながら、 「夜明けを背負う形で飛んだおかげで発見されずにすんだのか。  それとも、そもそもここには俺たちが求めているようなシステムの根幹がないのか。どっちだと思う?」 「答えはどちらでもないわ。面倒を省くためにわざと泳がせたのよ」 とアヤメ。 「相違ない」   頷いて、腰のボールに手をかけるキョウ。 ジムリーダーたちが瞬時に臨戦態勢を整える中、僕は静かに主の足許に移動した。 状況変化を把握できていなかったヒナタら三人は、四方を見渡して、ようやく包囲されていることに気付いたようだった。 細長い影がフィールドを横断する。 隠す必要が無くなったからか、あからさまな羽音が聞こえてくる。 見上げずとも、数体の飛行ポケモンが上空を旋回していることが分かった。 空と陸の退路は断たれたてしまった。 「顔見知りが何人か混じってる」 距離を詰めてくる黒服の面々を順に見ながらシゲルは言った。 マチスの例をからも明らかなように、システムの魔手はジムリーダーにまで及んでいた。 正規のランカートレーナーがシステムに属しているとしても、なんら不思議はない。 街で偶然後輩に会ったかのような軽い口調でシゲルは語りかけた。 「お前ら気が早いんじゃないか。ポケモンリーグ開催はまだまだ先だぜ?」 無反応。シゲルはチッと舌打ちして耳を掻き、 「あー、俺たちはこの先に用があるんだ。  それで、お前らがそこにいると邪魔だから、どいてくれ」 「四天王の間にお通しできるのはキョウ様だけです」 擦りながらも威圧的な声で黒服の一人が言った。 個人の力量に懸隔があることは百も承知、この哀れな黒服の自信は恐らく、 僕たちと彼らの間に横たわる圧倒的な勢力差によって保たれている。 「聞こえなかったのか。俺はどけ、と言ったんだ」 閃光。同時に包囲網が僅かに後退する。 赤と黒と薄橙の毛で覆われた、獅子にも狛犬にも似た伝説ポケモン・ウィンディは、伝説の名に恥じぬ威厳ある咆吼を響かせた。 「どうかポケモンをお納め下さい、シゲル様。身柄の拘束を条件に、全員の安全は保障します」 「お断りだ」 「それでは誠に遺憾ではありますが……強硬手段を取らせて戴きます」 複数の閃光。 現れたポケモンはいずれも最終進化形態。 各々の体に残された傷跡からは、それと同じ数だけの修羅場を凌いできたことを物語っている。 空を旋回していた鳥ポケモンの中の一匹が、牽制するように僕たちの至近距離を滑空し、上昇する。 突風が吹き抜ける。 「シゲルおじさま……」 と心配のあまり言葉を詰まらせるヒナタに、 「安心して見てな」 とタイチが声をかけているのが聞こえた。 事実、かつてサトシと並び評されたシゲルとその相棒を前に、 上位ランカーと彼らのポケモンは為す術がなかった。 「俺も残念だよ。こんなことになるなんてな」 果たして彼が"神速"と呟いてからの一連の流れを、この場にいる何人のトレーナーが目で追えただろう。 僕には一部始終が見えていた。 ウィンディが飛び出し、一刹那遅れて、サンドパンの装甲がまるで脆い銀細工のように破砕される。 ケンタウロスの角は虚しく空を突き、巨体が硬いバトルフィールドに引き倒される。 ニドクインはウィンディを受け止めようと両手を広げ、 しかしそれは鎌鼬を受け止めようとする暴挙に等しく、柔らかい目を爪で切り裂かれて崩れ落ちる。 モルフォンが空に退避しようとした瞬間に"火炎放射"が走り、片羽が焼け落ちる。 面制圧する勢いで放たれたカブトプスの"水の波動"は易々と飛び越され、噴射口は着地と同時に潰された。 僕たちがウィンディの戦いに集中していると踏んで、空から急襲をかけてきた数体のゴルバットは、 すべてキョウのアリアドスに絡め取られて墜落した。蹂躙という言葉が良く似合う十秒間だった。 ウィンディの"神速"を封じたのは、やはりというべきか、ジムリーダークラスのポケモンだった。 「グルル……」 エレブーが左腕を犠牲にして、右腕でウィンディを抑えつけている。 ウィンディの牙は肉に歯茎が触れるほど深く突き立てられていたが、 血が滴るだけでエレブーに痛みを感じている様子はなく、 また、拘束する力が弱まる気配もなかった。 狼狽する黒服の集団を押しのけて、軍服に身を包んだ屈強な男が現れる。 「よう、マチス」 「…………」 「どうして裏切った」 マチスはその透明な碧眼を、膠着した二匹のポケモンに向けながら答えた。 「俺は傭兵だ。長いものには巻かれろ。  水は低きに流れ、人も低きに流る。どちらもこの国の言葉だろう」 流暢な発音だった。 異国出身が故の彼の変わった口癖は、人に親しみやすさを覚えさせるための、作為的なものだったのだ。 「いつからシステムの間諜になった?」 「十年以上前のことだ」 「サカキを、俺たちを裏切ることに何も感じなかったのか?」 「……感じる?  何をだ。俺のハートはとうの昔に死んでいる」 「そうか。悲しいな、マチス。俺はお前のことを、ずっと仲間だと信じていたってのに」 電気タイプのポケモンに拘束された時点で、 もし拘束されたポケモンが電気タイプでなければ、勝機はほとんど失われると言っていい。 脱出に全力を振り絞らなければならない被拘束側に対して、拘束側は高圧電流を流すだけで事足りる。 マチスは平坦な声で言った。 「ポケモンの頸椎を砕かれたくなければ退け」 エレブーの丸太のような腕が、ぎりぎりとウィンディを締め付ける。 苦しげな呻き声から、ヒナタとカエデが目を逸した。その時だった。 「冗談きついぜ……根性見せろ、ウィンディ」 ウィンディの牙が発火した。 腕を忠心に火がエレブーを包み込み、自らウィンディを振り払う。 シゲルの足許に舞い戻ったウィンディの体には高圧電流を浴びた痕があった。 無傷では返すまい、というエレブーの強い精神が伺える。 マチスは事実を確認するように淡々と言った。 「片腕が壊れたか」 延焼した体の火傷は浅かったが、"炎の牙"が突き立てられた左腕は、最早原型を留めていなかった。 閃光が連続し、エレブーと入れ替わりにライチュウが召喚される。 辺りではウィンディの"神速"に統率を乱さていた黒服たちが体勢を立て直し、 第二陣のポケモンを繰り出そうとしている。 タケシが言った。 「シゲル、俺に提案があるんだが」 「なんだ?」 「消耗戦は避けるべきだ。ここは俺に任せて、お前達は先に進め」 「……いいのか?」 「俺はマチスと相性がいい。それに、他の奴らにも二ビシティジムリーダーの恐ろしさを教えてやるいい機会だ」 「ジムの序列はジムリーダーの力量で決まると思われがちだからな」 タケシは思い切り振りかぶって、ハイパーボールを二つ、それぞれ反対の方向に放り投げた。 岩の蛇と、鋼の蛇。ポケモンと呼ぶにはあまりに巨大なイワークとハガネールが現れる。 「桁外れだな。ここまでデカいのを見たのは初めてだぜ」 「ははっ、秘蔵っ子だよ」 イワークの一撃が、四天王の間に通じるゲートを打ち砕いた。 「行くぞ。タケシ、ちょっとのあいだ持ちこたえててくれ」 「了解だ」 視線で一時の別れを告げて、あとは振り返らずにシゲルが走り出す。 皆がそれに続く中、僕は何度かタケシを振り返り、彼の表情を眼窩に焼き付けた。 タケシを除く全員が四天王の間へ続く通路に入り込んだ瞬間、ゲートは崩落した。 それがタケシのポケモンによるものか、ゲートに破砕口を開けた時の衝撃で崩れやすくなっていたためか、今となっては知る術がなかった。
地平線から溢れ出た黄金色の朝日が、夜の暗幕に包まれていたセキエイ高原に陰影と色彩を与えていく。 時折、侵入者を威嚇するかのような怪鳥の鳴き声が、冴え凍った夜明けの空気を震わせる。 自然と、カイリューの触覚を握る手に力がこもった。 初めてチャンピオンロードを踏破した時の感動が蘇り、僕はしばし、眼下に広がる偉観に目を奪われた。 荒々しい岩肌の雀茶色と、鬱蒼と生い茂った木々の暗緑色。 それは、この場所にポケモンリーグが建造されてから二世紀が経った今となっても、 頑なに人類を拒絶し続けていることの何よりの証明だった。 「見えてきた」 と、よく通る声でシゲルは言った。 エアームドに乗ったタイチとヒナタが、左手のピジョットに乗ったキョウとタケシが、 右手のピジョットに乗ったアヤメとカエデが、同時にセキエイ高原の彼方、朝日を弾いて銀白色に煌めく建造物を認めた。 同日、午前2時。 タマムシシティを離れた一行は、草木も眠る七番道路に到着した。 草むらを踏みしめる音は、静謐な夜の中で、まるで薄氷を踏み抜くかのように誇張された音になって響いた。 出発場所にここが選ばれたのは、 『昼夜問わず明るいタマムシの空は匿名性が低い。  光害の少ない郊外から出発すべきや。あ、今ナチュラルに洒落言うてもうたわ』 というマサキの提案(後半部分を除く)があったからだ。 マサキとエリカや、ムサシとコジロウとニャースを含むロケット団残党は、タマムシシティに残留することになった。 マサキは肩の怪我が治っていないことにも加え、 『ポケモントレーナーとしての才に恵まれなかった自分が行っても出来ることは何もない』 と言って辞退した。 エリカはシルフカンパニーの一件に距離を置いていたこともあってか今回の同行を切望したが、 万が一の時のことを考えてジムリーダーのうち誰か一人が残らなければならず、結果、立場的に最も適当なエリカがそれに選ばれた。 『皆さんのご武運をお祈りしていますわ』 『いくらなんでもその台詞は古風すぎるぜ』 シゲルに笑われたエリカは、しかしそれでも足りないというように数秒、睫を重ね合わせて、一同の姿を、特にヒナタの姿をじっと見つめた。 その素振りから僕は、エリカはシルフカンパニーで何も出来なかった自分に自責の念を抱いているのかもしれないな、と思った。 ロケット団残党代表にしてサカキが最も信頼を置く部下だと自負する二人+一匹組は、 意外にも自分たちの老いを素直に認めた上で、サカキの奪還を考えていることを明らかにした。 奪還なんて諦めて、いっそのこと君たちがサカキの他の部下を指揮したらどうだい、と僕が口にすると、 『ボスはボスしかいない(のニャ)』 というハーモニーが返ってきた。 勝算はあるのか、という問いは彼らにとって無意味だと知っていたから、僕は『成功を祈っているよ』とだけ言った。 そのようにして僕は彼らと別れをすませた。 七番道路に人気は無かった。 深い眠りについた野生ポケモンの息遣いを聞き取れるほど辺りは静まり返っていた。 皆が各々の背に乗ったのを確認してから、三体の飛行ポケモンはカイリューを先頭に編隊を組んで西に飛び立った。 「ウォフー」 カイリューが羽ばたいた回数に比例して、朧気だった建造物が輪郭を帯びていく。 人工的な銀白色の外壁は、それを包囲する原生の自然色に不思議なほどに調和していた。 ポケモンリーグに続く舗石の両脇に整列したポケモンの彫像は、風化を知らない素材で出来ていた。 「わあっ……」 「きれい……」 「すげぇ……」 ヒナタたちが目的を忘れて、ただ、この光景に嘆息するのも無理はない。 やがて、太陽が完全に地平線から姿を見せ、冬の澄んだ空の隅々にまで光を行き届かせた頃、僕たちは終にポケモンリーグ上空に到着した。 ポケモンセンターやショップ等の複合施設が存在するエントランスを飛び越し、 ポケモンリーグ出場権を得たランカートレーナーが四天王及びチャンピオンへの挑戦権を賭けて戦う、バトルフィールドに直接着陸する。 「ピカチュ」 僕はカイリューにお礼を言って、彼の体を降りた。懐かしい土の感触が足の裏に伝わった。 周囲を見渡す。戦闘区域を限定する白線。 角に一つずつ設置された、都合四基の照明塔。 悠に六万人を収容する観客席――。 何一つ変わっていなかった。変わってしまったのは僕の方だ。 「呆気なかったな」 と、いち早く懐古から目を醒ましたタケシが言った。 「妨害のひとつも無かった」   シゲルは記憶を拾い上げるかのように土に触れながら、 「夜明けを背負う形で飛んだおかげで発見されずにすんだのか。  それとも、そもそもここには俺たちが求めているようなシステムの根幹がないのか。どっちだと思う?」 「答えはどちらでもないわ。面倒を省くためにわざと泳がせたのよ」 とアヤメ。 「相違ない」   頷いて、腰のボールに手をかけるキョウ。 ジムリーダーたちが瞬時に臨戦態勢を整える中、僕は静かに主の足許に移動した。 状況変化を把握できていなかったヒナタら三人は、四方を見渡して、ようやく包囲されていることに気付いたようだった。 細長い影がフィールドを横断する。 隠す必要が無くなったからか、あからさまな羽音が聞こえてくる。 見上げずとも、数体の飛行ポケモンが上空を旋回していることが分かった。 空と陸の退路は断たれたてしまった。 「顔見知りが何人か混じってる」 距離を詰めてくる黒服の面々を順に見ながらシゲルは言った。 マチスの例からも明らかなように、システムの魔手はジムリーダーにまで及んでいた。 正規のランカートレーナーがシステムに属しているとしても、なんら不思議はない。 街で偶然後輩に会ったかのような軽い口調でシゲルは語りかけた。 「お前ら気が早いんじゃないか。ポケモンリーグ開催はまだまだ先だぜ?」 無反応。シゲルはチッと舌打ちして耳を掻き、 「あー、俺たちはこの先に用があるんだ。  それで、お前らがそこにいると邪魔だから、どいてくれ」 「四天王の間にお通しできるのはキョウ様だけです」 擦りながらも威圧的な声で黒服の一人が言った。 個人の力量に懸隔があることは百も承知、この哀れな黒服の自信は恐らく、 僕たちと彼らの間に横たわる圧倒的な勢力差によって保たれている。 「聞こえなかったのか。俺はどけ、と言ったんだ」 閃光。同時に包囲網が僅かに後退する。 赤と黒と薄橙の毛で覆われた、獅子にも狛犬にも似た伝説ポケモン・ウィンディは、伝説の名に恥じぬ威厳ある咆吼を響かせた。 「どうかポケモンをお納め下さい、シゲル様。身柄の拘束を条件に、全員の安全は保障します」 「お断りだ」 「それでは誠に遺憾ではありますが……強硬手段を取らせて戴きます」 複数の閃光。 現れたポケモンはいずれも最終進化形態。 各々の体に残された傷跡からは、それと同じ数だけの修羅場を凌いできたことを物語っている。 空を旋回していた鳥ポケモンの中の一匹が、牽制するように僕たちの至近距離を滑空し、上昇する。 突風が吹き抜ける。 「シゲルおじさま……」 と心配のあまり言葉を詰まらせるヒナタに、 「安心して見てな」 とタイチが声をかけているのが聞こえた。 事実、かつてサトシと並び評されたシゲルとその相棒を前に、 上位ランカーと彼らのポケモンは為す術がなかった。 「俺も残念だよ。こんなことになるなんてな」 果たして彼が"神速"と呟いてからの一連の流れを、この場にいる何人のトレーナーが目で追えただろう。 僕には一部始終が見えていた。 ウィンディが飛び出し、一刹那遅れて、サンドパンの装甲がまるで脆い銀細工のように破砕される。 ケンタウロスの角は虚しく空を突き、巨体が硬いバトルフィールドに引き倒される。 ニドクインはウィンディを受け止めようと両手を広げ、 しかしそれは鎌鼬を受け止めようとする暴挙に等しく、柔らかい目を爪で切り裂かれて崩れ落ちる。 モルフォンが空に退避しようとした瞬間に"火炎放射"が走り、片羽が焼け落ちる。 面制圧する勢いで放たれたカブトプスの"水の波動"は易々と飛び越され、噴射口は着地と同時に潰された。 僕たちがウィンディの戦いに集中していると踏んで、空から急襲をかけてきた数体のゴルバットは、 すべてキョウのアリアドスに絡め取られて墜落した。蹂躙という言葉が良く似合う十秒間だった。 ウィンディの"神速"を封じたのは、やはりというべきか、ジムリーダークラスのポケモンだった。 「グルル……」 エレブーが左腕を犠牲にして、右腕でウィンディを抑えつけている。 ウィンディの牙は肉に歯茎が触れるほど深く突き立てられていたが、 血が滴るだけでエレブーに痛みを感じている様子はなく、 また、拘束する力が弱まる気配もなかった。 狼狽する黒服の集団を押しのけて、軍服に身を包んだ屈強な男が現れる。 「よう、マチス」 「…………」 「どうして裏切った」 マチスはその透明な碧眼を、膠着した二匹のポケモンに向けながら答えた。 「俺は傭兵だ。長いものには巻かれろ。  水は低きに流れ、人も低きに流る。どちらもこの国の言葉だろう」 流暢な発音だった。 異国出身が故の彼の変わった口癖は、人に親しみやすさを覚えさせるための、作為的なものだったのだ。 「いつからシステムの間諜になった?」 「十年以上前のことだ」 「サカキを、俺たちを裏切ることに何も感じなかったのか?」 「……感じる?  何をだ。俺のハートはとうの昔に死んでいる」 「そうか。悲しいな、マチス。俺はお前のことを、ずっと仲間だと信じていたってのに」 電気タイプのポケモンに拘束された時点で、 もし拘束されたポケモンが電気タイプでなければ、勝機はほとんど失われると言っていい。 脱出に全力を振り絞らなければならない被拘束側に対して、拘束側は高圧電流を流すだけで事足りる。 マチスは平坦な声で言った。 「ポケモンの頸椎を砕かれたくなければ退け」 エレブーの丸太のような腕が、ぎりぎりとウィンディを締め付ける。 苦しげな呻き声から、ヒナタとカエデが目を逸した。その時だった。 「冗談きついぜ……根性見せろ、ウィンディ」 ウィンディの牙が発火した。 腕を忠心に火がエレブーを包み込み、自らウィンディを振り払う。 シゲルの足許に舞い戻ったウィンディの体には高圧電流を浴びた痕があった。 無傷では返すまい、というエレブーの強い精神が伺える。 マチスは事実を確認するように淡々と言った。 「片腕が壊れたか」 延焼した体の火傷は浅かったが、"炎の牙"が突き立てられた左腕は、最早原型を留めていなかった。 閃光が連続し、エレブーと入れ替わりにライチュウが召喚される。 辺りではウィンディの"神速"に統率を乱さていた黒服たちが体勢を立て直し、 第二陣のポケモンを繰り出そうとしている。 タケシが言った。 「シゲル、俺に提案があるんだが」 「なんだ?」 「消耗戦は避けるべきだ。ここは俺に任せて、お前達は先に進め」 「……いいのか?」 「俺はマチスと相性がいい。それに、他の奴らにも二ビシティジムリーダーの恐ろしさを教えてやるいい機会だ」 「ジムの序列はジムリーダーの力量で決まると思われがちだからな」 タケシは思い切り振りかぶって、ハイパーボールを二つ、それぞれ反対の方向に放り投げた。 岩の蛇と、鋼の蛇。ポケモンと呼ぶにはあまりに巨大なイワークとハガネールが現れる。 「桁外れだな。ここまでデカいのを見たのは初めてだぜ」 「ははっ、秘蔵っ子だよ」 イワークの一撃が、四天王の間に通じるゲートを打ち砕いた。 「行くぞ。タケシ、ちょっとのあいだ持ちこたえててくれ」 「了解だ」 視線で一時の別れを告げて、あとは振り返らずにシゲルが走り出す。 皆がそれに続く中、僕は何度かタケシを振り返り、彼の表情を眼窩に焼き付けた。 タケシを除く全員が四天王の間へ続く通路に入り込んだ瞬間、ゲートは崩落した。 それがタケシのポケモンによるものか、ゲートに破砕口を開けた時の衝撃で崩れやすくなっていたためか、今となっては知る術がなかった。

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: