全ての手がかりを失ってから数日が経った今も、あたしは前に進むことが出来ずにいた。 あたしが傷ついていることを慮ってか、 ウツギ博士と面会した当日は何も言わなかったカエデも、 次の日には現実的な言葉を投げかけてきた。 『ピカチュウのことは可哀想だと思うわ』 『あたしだってあの子がいなくなってからずっと寂しいもの』 『でも今はとりあえず、ヒナタに出来ることをした方がいいんじゃない?』 『最初はお父さんに会うためにポケモンリーグ目指してたんでしょ』 『ここは一旦、バッジを集める旅に戻らない?』 『その過程で、新しい手がかりが見つかるかもしれないし』 あたしだって子供じゃない。 それが反論のしようのない正論だということは分かる。 でも、あたしのなかの子供染みた部分は首を縦に振らなかった。 『いや。いやよ』 『なんでよ?』 『カエデはピカチュウのことなんか忘れて、 ゲンガーのためにゴールドバッジを手に入れて欲しいからそんなこと言ってるんでしょ?』 『ヒナタ――』 『あたし、絶対に諦めないから。 カエデもこれ以上、無理に付いてこなくていいわ』 そういって部屋を飛び出したあたしを、カエデはどんな顔で見送ったんだろう。 夜になって戻ってきたあたしを、カエデは下手くそな料理を作って出迎えてくれた。 けど、次の日にリュウジと出会って、 カエデがポケモンセンターのロビーで、思い詰めたようにしていたことを聞いた。 あたしは深く後悔した。どうしてあんな、心にもないことを言っちゃったんだろう。 これじゃあ、まるで昔のカエデとあたしの立場が逆じゃない。 あたしはもう何十度目かの溜息をついた。 溜息に色がついていたら、きっとあたしの周りはその色で覆われている。 サファリパークを一望できるこの丘に、あたし以外の気配はない。 セキチクの夕焼けは、今まで見たどんな夕焼けよりも綺麗だった。 深緑の大地は燃えるような紅に塗り潰され、 地平線から湧き出た雲は黄金色に縁取られて、 空は夕陽の橙から階調をつけて、藍と紺に及んでいる。 神様が絵筆を振るったとしか思えないほどの壮観。 それを見上げている時間だけは、現実を忘れることができた。 「綺麗でござろう。妾のお気に入りの場所の一つじゃ」 唐突に現実に引き戻される。 「誰っ!?」 「申し遅れた。妾の名はアンズ。 セキチクシティのジムリーダーでござる」 隣を見る。誰もいない。視線を下げてようやく気付く。 ツインテールのちびっ子忍者が三角座りの体勢で夕焼けを眺めていた。 本当に忍者の格好して、忍者言葉喋ってる……。 ていうか、いつからそこにいたんだろう。 あたしはなんとか平静を保ちつつアンズちゃんの隣に屈み、 「ジ、ジムリーダーがこんなところにいてていいの?」 「週の終わりは早めにジムが閉まるのでござる。 妾の身体を心配して、母上がそう決めているのでござる」 「そうなんだ」 「して、お主の名は何と申す?」 「ヒナタ……マサラタウンのヒナタよ」 「良い名前でござる」 「アンズちゃんの名前もいい名前だと思うわ」 「父上が名付けてくれたのでござる。 妾もとても気に入っているのでござるよ」 渋い台詞回しと、舌足らずな発音のギャップが可笑しい。 アンズちゃんと同じ三角座りの姿勢になりながら、あたしは訊いてみた。 「アンズちゃんのお父さんって、確か現四天王のキョウよね?」 四天王の父親を誇りに思わない娘はいない。 だからきっと、アンズちゃんはそう訊かれて喜ぶだろう。 あたしはそう思っていた。でもアンズちゃんは凛々しい横顔をくしゃっと歪ませて、 「四天王などという肩書きなど、邪魔なだけでござる。 父上はずっとこのセキチクの地に留まっておれば良かったのじゃ。 あんなものになったおかげで、妾は滅多に父上と会うことができなくなってしまった」 「……アンズちゃん」 ……禁句だったみたいね。 「本当なら二日前にも、父上は帰ってくるはずじゃった。 なのに、昨日ポッポが運んできた手紙には、 事情が変わってセキエイを発てない旨が書かれていた。 父上は嘘つきでござる。 妾がどんなに父上と会うのを楽しみにしていたか、 全然分かっていないのでござる」 アンズちゃんは今にも涙が零れそうな目をこちらに向けて言った。 「ヒナタ殿の父上は、嘘をつかないのでござろう?」 「違う」と否定すれば、アンズちゃんは忍耐が足りないと自分を卑下するだろう。 「そうだ」と肯定すれば、アンズちゃんは自分のお父さんに、より一層不満を募らせるだろう。 あたしは本当のことを言うことにした。 それに何より――ここでアンズちゃんに嘘をつくのは、アンズちゃんへの裏切りのような気がしたから。 「解らないわ」 「どうして解らないのじゃ?」 「あたし、お父さんと一度も話したことがないから」 「ヒナタ殿……」 汐が引くように、溢れかけていた涙が収まっていく。 「妾の失言を許して欲しい」 アンズちゃんが頭を下げる。小振りなツインテールがそれに続く。 「いいの。元はといえば、あたしがアンズちゃんの気に障るようなこと言ったのが悪かったんだから」 「……かたじけない」 「でもね、お父さんのことを悪く言わないであげて。 お父さんもきっと、アンズちゃんに会いたがっているはずよ」 唇を動かしながら、あたしは頭の中で別のことを考えている。 あたしのしていることは、間違っていることなのかもしれない。 「私はあなたよりも不幸だから、あなたは幸せ」 という、とても短絡的な考えを、アンズちゃんに押しつけているだけなのかもしれない。 見たこともないお父さんに会いたい気持ちと、 幼い頃からの記憶があるお父さんに会いたいという気持ちは、似ているようで全然違う。 特にアンズちゃんはエレクトラ・コンプレックスも抱いているみたいだから、 その違いは余計に大きいかもしれない。 「ヒナタ殿の言うとおりでござる。 妾は自分のことだけを考えておったのでござるな……」 アンズちゃんは悄々と目を伏せ、 次の瞬間には、しゅば、と立ち上がった。 今にも懐から手裏剣を取り出し、忍者刀を抜きそうな雰囲気を醸していた。 「アンズちゃん?」 「修行に励むでござる! くよくよしていても仕方がないでござるよ!」 目を背ける。今のあたしにアンズちゃんは眩しすぎた。 いつの間にか夕陽は暮れて、名残を惜しむように山の端を赤く染めていた。 「ヒナタ殿はまだここにいるのでござるか?」 「うん。もう少しだけ」 とあたしが言うと、アンズちゃんは声を潜めて、 「今から話すことは他の者には内密でござるよ? 実はここ最近、夜のサファリパークで火の玉を見たというものが続出しているのでござる。 火事の危険を見越して調べたいとサファリパークに申し出たのでござるが、 工事中であることも重なってか、与太話と言って取り合ってくれんのじゃ。 火の玉が目撃されたのは、いずれもサファリパークの園内でござるが、 用心に超したことはないでござる。ヒナタ殿も、あまり暗くならないうちに宿に戻ることをオススメするでござるよ」 「わ、分かったわ」 「そろそろ母上が妾の帰りを待ちあぐねておる頃でござる。 さらばじゃ、ヒナタ殿」 アンズちゃんの小さな手が、素早く印を結ぶ。 ふふっ、忍術でも使うのかしら……? 微笑ましく見守っていると、 突然、木枯らしが辺りの枯れ草を巻き上げて、 あたしが思わず目を瞑って次に開いたときには、 アンズちゃんの姿はどこにも見えなくなっていた。 翌日の昼、あたしとカエデはお別れも兼ねた昼食に呼ばれて、 リュウジ親子の部屋に足を運んだ。 「えっ、アンズちゃ――アンズさんに会ったんですか?」 「うん。サファリパークの近くの丘で、偶然ね」 リュウジが「アンズちゃん」と呼べない理由は単純で、 数日前に挑んだジム戦において、完敗を喫したからだ。 自分よりも年下の相手に負けたことで落ち込むかと思いきや、 リュウジはむしろ向上心に火がついたみたいで、 剥奪された挑戦権が回復する二ヶ月後を目掛けて、早くも特訓を開始している。 「僕のこと、話したりしてませんでした?」 と真顔で訊いてくるリュウジに、 「ううん」 と返すと、リュウジは「速攻で倒した相手を覚えてるわけないよなあ」とガックリ肩を落とした。 「こらこら、未来の二ビシティジムリーダーがそんな弱気でどうする」 と窘めつつ、タケシさんはカエデのお皿にカレーをよそう。 「はい」 「どーもです!」 物凄い早さでスプーンが往復し始める。 3杯目の空皿が差し出されるのも時間の問題ね……。 「ところで、アンズちゃんとはどんな話をしたんだ?」 「…………えっ、えっと、何ですか?」 タケシさんに水を向けられていることに気付いて、 あたしは慌ててカエデの食事風景から目を逸らした。 「いや、偶然出会ったアンズちゃんと、どんな会話をしたのか気になってね」 あたしはしばらく迷った末に、 アンズちゃんが話してくれたサファリパークの異変について語り明かすことにした。 この話は内密でござるよ――。 耳元で再生されたアンズちゃんの言葉があたしを咎める。 でも、この二人は今日中にもセキチクを離れる身だし、 内容も内容なので、話しても構わないと自分を納得させた。 「ここ最近、ジムの方に、火の玉の目撃情報が寄せられているらしいんです」 「――んっ、ごほっ、ごほっ」 カエデが咽せ、口の中の物が吐き出されるよりも前に、 近場のコップを掴んで喉の奥に水ごと流し込む。 「ぷはぁっ……なんですって?火の玉!?」 カエデの頭の中では、火の玉イコール幽霊という恒等式が成り立っているらしい。 「うん。詳しくは聞かなかったから、 どんな大きさだとか、どんな色をしているか、とかは知らないんだけどね」 タケシさんは元から細い目をさらに細めて、 「その火の玉の正体は確認されたのか?」 「いいえ。アンズちゃんを含めるジム側は立ち入り調査を申し出たらしいんですけど、 サファリパーク側に拒否されたそうです」 調査を断られて憤慨していたアンズちゃんには悪いけれど、 サファリパーク管理局の対応は詮無いことだとも思う。 「園内に炎タイプのポケモンはいませんし、どう考えても錯覚ですよ、それ」 呆れるようにそう言ったリュウジにカエデが続く。 「あたしもリュウジくんと同意見よ。 シオンタウンならまだしも、セキチクシティで幽霊騒ぎなんて冗談じゃないわ」 「カエデ、誰もその火の玉が幽霊なんて言ってないから」 リュウジが溜息と一緒に言った。 「それにしても本当にタイミング悪いですよね。 サファリパーク、楽しみにしてたのになあ……工事にどれだけ時間を掛けるつもりなんだろう」 あたしたちがセキチクに着いたとき、 既にサファリパークは閉鎖されていた。 サファリパークとは、セキチクの土地の過半を占める、 大自然の中でのびのびと生きる野生ポケモンや、 奥地に棲息する珍しいポケモンで有名な国立公園だ。 入場料を支払うことでサファリボールと呼ばれる、 モンスターボールクラスの捕獲能力を持つボールが支給され、 一定時間、自由に園内を散策することが出来る。 勿論、散策途中に遭遇したポケモンは、全て捕まえて構わない。 連日多くのポケモントレーナーが全国から訪れていて、 あたしやカエデもその例に漏れず、 ウツギ博士への面会を待つ時間潰しにと訪れたのだけど――。 「仕方ないさ、リュウジ。 元々サファリパークの縮小なんて大掛かりな工事、 俺たちの滞在中に終わるわけがなかったんだ」 園内入り口には、 作業員が姿勢正しくお辞儀している絵と一緒に、 「只今縮小工事中につき入園禁止」の文字が躍る看板が立てかけられていた。 「父さんはいいよ。 昔旅をしていた時に入ったことがあるんだろ?」 「まあ、確かにそうだが……。 そんなに良い物じゃなかったぞ」 「嘘だね」 タケシさんは苦笑して、 「……嘘だよ」 むくれるリュウジ。 あたしは話題転換を試みる。 「どうして管理局は、閉鎖期間を置いてまで、わざわざ縮小工事を実施するのかしら」 間髪入れずカエデが応えた。 「そりゃ土地を作るためでしょうよ」 「土地を作ってどうするの?」 「色々使えるじゃない。道路の敷設とか。新興住宅地の開発とか。 セキチクシティは人口増加率が一番高い都市だから需要は大きいでしょうねー」 カエデがスプーンを器用に操って、 お皿に突き入れ、ルーを絡めたライスを掬い取る。 あむ。 「うん、美味しい」 ライスがあった部分に、焦茶色のルーが流れ込んでいく。 あたしにはそれが、セキチクシティの縮図に見えた。 ライスがサファリパークで、ルーがセキチクに住まう人間の居住範囲といった風に。 あたしはふと、テーブルから少し離れたところで、ポケモンフードを頬張るワニノコとピッピを見た。 言葉にし難い不安感が去来する。 「サファリパークが縮小されたら、今までそこで暮らしていたポケモンはどうなるの?」 「住処を移動させらるだけだ。といっても、 その作業が難航を極めるからこそ、これだけ長い時間が工事に費やされているんだろうが」 質問に答えたのは、カエデではなくタケシさんだった。 「一定の箇所に腰を落ち着けたポケモンを動かすのは、 実際にやってみるととても大変なことなんだ。 やつらに人間の都合は通じない。 もうずっと前にカビゴンの撤去を依頼されたことがあって、その時に嫌というほど思い知ったな」 全国のポケモンブリーダーの憧れなだけあって、 タケシさんの言葉には真実味がある。 「特に相手が集団だと、その大変さは桁違いだ。 一匹を追い立てると、二匹になって戻ってくる。 その二匹を追い立てると、次は四匹になって戻ってくる。 そしてその四匹を追い立てると……あとは同じことの繰り返しだ。 仕舞いには種族を超えた徒党で、縄張りを奪い返しにくる」 ポケモン協会本部で聞いた、ウツギ博士の言葉がリフレインする。 ――『彼らの本質はむしろ人間に対する隷従とは対極の場所に根付いているんだよ。 それは例えば、彼らの種全体としての縄張り意識からも伺い知ることができる』―― 「それじゃあ、どうやって縮小工事をするんだよ」 依然むくれたままのリュウジに、タケシさんは穏やかな口調で言った。 「ポケモンを刺激しないように、ゆっくりと彼らを誘導するしかない」 「出来っこないよ、そんなこと。時間がかかりすぎる。何年掛ける気だよ」 「まあ、遅かれ早かれ、管理局は一定のラインで妥協するだろうな。 ポケモンの棲息地を含めた開拓事業は失敗続きだ。 例えサファリパークのポケモンが人慣れしていると言っても、成功するとは思えない」 あたしは訊いた。 「サファリパークの他にも、ポケモンの住処を開発する計画がいくつかあったんですか?」 ああ、とタケシさんは首肯し、 腕組みをして考える素振りを見せた後、 あたしのよく知る森の名を口にした。 「最近のを挙げれば――といっても半年以上前のことだが――トキワの森の開発計画かな。 作業員数名がスピアーの襲撃を受けて中断、再開の目処が立たないままに頓挫したらしいが」 トキワの森で突然、巨大なスピアーに襲われ、 スターミー(当時ヒトデマン)がやられたところを、ピカチュウに助けてもらったことを思い出す。 あの時は、何故開けたところにスピアーが現れたのか謎だった。でも、今なら分かる。 「人間の気配に敏感になっていたのね。住処を無理矢理に侵されて……」 あたしがそう独りごちたその時、壁時計のギミックが作動し、親指大のポッポが午後2時を告げた。 タケシさんが立ち上がり、後片付けを開始する。 「あたしもやります」 と申し出てはみたものの、タケシさんは初めてシチューをご馳走してくれた時と同様に、 キッチンに立つことを許してくれなかった。 これじゃあ、どっちが送る側なのか分からない。 ポケモンセンターの外は、冬の初めを思わせる冷たい風が吹いていた。 カエデを見るといつの間に取りに戻ったのか、黒のワンピースコートを羽織っている。 タケシさんがリュックを背負い直して言った。 「元気でな、リュウジ」 「父さんもね。あと、母さんに連絡取りすぎたら嫌われるから程々にね」 「子供はそんなことに口出ししなくていいんだ」 「僕はもう子供じゃないよ」 何気なさを心がけて訊いてみる。 「セキチクからヤマブキまでは、どれくらいの距離があるんですか?」 「タマムシからセキチクまでの三分の二くらいかな。 しかしサイクリングロードと違って舗装されていない道が多い分、 体感的には同じくらいだと思う」 「……そうですか」 カエデの流し目に気付いて、あたしは地面に視線を逃がす。 「ヤマブキって、この国の経済の中心だろ? 父さんみたいな野性的肉体派が行くと浮きまくるんじゃないかな」 「うるさいぞ。まったく、中身は母さんばっかりに似やがって。 俺がスーツを着たときに母さんがなんて言ったか知ってるか?」 「知らないよ。なんて?」 「あなたほどスーツの似合わない男はこの世にいない、とまで断言したんだよ」 「ははっ、母さんらしいや」 一頻り内輪話で盛り上がってから、タケシさんはあたしとカエデに向き直った。 「寒い中見送ってもらってすまない。 名残惜しいが、そろそろ時間だ。 俺は一足先に出発する。二人の旅の安全を祈ってるよ」 「ちょっと父さん、僕の分は?」 「あー分かった分かった。お前の分も祈ってる」 投げ遣りにそう言いながらも、タケシさんはリュウジの頭を力強く撫でていた。 ……いいな。 不意に、胸が苦しくなる。 タケシさんがサファリパークの境界線に沿って歩き去るのを見届けてから、 あたしはリュウジの顔を盗み見た。 表情に憂いの色は混じっていない。 お父さんに会いたい――本気でそう思えば会えるという余裕が、リュウジにはあるんだ。 「リュウジくん、結局タケシさんがヤマブキに行く理由、教えてもらわなかったんだ?」 カエデの問いにリュウジは頭の後ろを掻きながら、 「はい、どんなに訊いても"仕事だ"の一点張りで。 父さんもケチですよね。息子相手に隠し事なんて。 ま、行き先を教えてくれただけでも満足するべきなのかもしれないけど」 「リュウジくんはついてかなくて良かったわけ?」 「いいんです。ヤマブキシティじゃ修行は出来ないし……。 しばらくはセキチクのポケモンセンターを拠点にして、野生のポケモンを相手にポケモンバトルを磨くつもりです」 「リュウジくん、一人で頑張れるの?」 「野宿のノウハウは旅の途中に伝授してもらったから、多分大丈夫だと思います」 「そ」 会話に飽きたのか、カエデは手に息を吹きかけつつポケモンセンターの中に戻っていく。 リュウジはタケシさんの消えた方向から目を逸らさない。 「あたしたちも中に戻りましょう?」 「あ、はい。そうですね」 「リュウジはいつ出発するの?」 すぐにでも出発します! そんな威勢の良い返事が返ってくると思っていたら、 「うーん……そうですね……」 なんとも歯切れの悪い言葉が返ってきた。 「最初は、なんとなく父さんの出発と時間をずらすつもりでいたんですけど……。 カエデさんにはああ言いましたけど、いざ一人になると不安になっちゃって」 情けないですよね、と顔を伏せるリュウジ。 「あと一日くらいポケモンセンターで体力を温存して、 明日の朝に出た方がいいんじゃないかしら?」 緊張を解すつもりで言ったその一言が、結局、リュウジの出発を明日の朝に延期させることになった。 部屋に戻ると、カエデはベッドの上に座って備え付けのテレビを眺めていた。 「―――第二十七回ポケモンリーグにおける――の最有力候補はやはり―――」 「――やはり――が――妥当なところでしょうな―――」 「―――いやいや――先日の公式試合でAランクに昇格した――も捨てがたい――」 「――ランクだけが全てではありませんよ――私は――が今期のダークホースと睨んでいますがね――」 「――ご冗談を――彼女はランク外の新人だ――過大評価が過ぎますよ――」 ここのところ、来年の春に控えたポケモンリーグに向けた番組が増えてきている。 ピカチュウが奪われて以来、あたしは極力、ポケモンリーグの存在を意識しないようにしてきた。 第一に優先すべきはピカチュウの救出なのだと、自分に言い聞かせてきた。 でも、今こうしてポケモン評論家の議論を耳にしていると、不意にその意志が挫けそうになった。 ……お父さんに会いたい。 頭の中で、封じ込めていた感情が疼き始める。 あたしはハンガーに掛けていたジャケットを手にとって、袖を通した。 「出かけてくる。夜までには戻るから」 行き先は昨日と同じ場所。 「待って」 カエデは苦しそうに声を絞り出した。 セキチクの手前で口論をして以来、 他の人がいる前ではそれまで通りに振る舞いながらも、 あたしとカエデの間にはやはり目に見えない溝が存在していた。 それは日を追う毎に、あたしが焦りを増す毎に深くなっていって、 二人きりの時はほとんど会話が続かなくなっていた。 でも……それも今日でお仕舞い。 悪いのは全て、ゲンガーに正面から向き合おうとせず、 ピカチュウを探す手立てがなくなったという現実を受け入れられなかった、弱いあたし。 「あのさ、ヒナタ――」 言いかけたカエデを遮って、 「分かってる。分かってるから、何にも言わないで。 あたし、踏ん切りを付けたいの。その上で、カエデに色々話したいことがあるの。 だから……今だけは放っておいて」 市街に背を向けて、行く人もまばらな小径を選んだ。 木枯らしは昨日のそれよりも冷たくて、あたしは首を襟に埋めた。 「はぁっ……」 吐く息は僅かに白く、秋の終わりが近いことを教えてくれる。 刻一刻と指が悴んでいくのを知りながら、歩調は緩めたままで。 お父さんのことを考える。 ピカチュウを拉致されて以来、極力意識しないようにしてきた感情が、 ここ最近、ふとした拍子に疼くようになっていた。 リュウジとタケシさんの触れ合いや、 涙目のアンズちゃんが語ったキョウさんへの思い――。 そういうのを間近で見たり聞いたりする度に、 あたしの中で凋んでいたお父さんへの感情が、再び膨らんでいった。 切欠はやっぱり、初めてリュウジ親子と出会ったあの日、 シチューをご馳走になった後で、 こっそりタケシさんに若い頃のお父さんのお話を聞かせてもらったことだと思う。 聞いたら箍が外れてしまうかもしれない。 折角固めた気が変わってしまうかもしれない。 そう分かっていたのに、聞かずにはいられなかった。 『教えて下さい。お願いします』 『そうは言ってもな。かなりうろ覚えだから、期待に添えないと思うぞ』 『いいんです。お父さんのことなら、何でも……』 仕方ない――渋々といった感じで口を開いたタケシさんは、 最初の態度もどこへやら、饒舌に過去のことを語ってくれた。 お父さんが、駆け出しの頃は馬鹿ばっかりやっていたこと。 お母さんとは性格の不一致でしょっちゅう口論していたこと。 ライバルのシゲルおじさんとポケモントレーナーの腕を競い合っていたこと。 ロケット団の下っ端三人組と因縁の仲だったこと。 次々にバッジを手に入れていったこと。 伝説のポケモンと出会ったこと。 数え切れないほどの冒険を経験したこと。 誰よりもポケモンを大切に育てていたこと。 誰よりもポケモンの機微を理解するのに長けていたこと。 誰よりもポケモンバトルが下手だったこと。 誰よりもポケモンバトルが上手になったこと。 そして、史上最年少でポケモンリーグの頂点に君臨したこと――。 でも、お父さんが失踪した辺りになると、 タケシさんは急に険しい顔になって口を噤んだ。 溜息をついて、元々細い目をさらに細めた。 それはなんだか、怒るのを我慢しているように見えた。 すっかりタケシさんの話に聞き入っていたあたしは、 失礼のないように続きを急かしたけど、 タケシさんはそれ以上、「これで終わりだよ」と言って話してくれなかった。 次の日も、その次の日も、 あたしはウツギ博士を待つ間に何度かタケシさんに昔話を聞かせてもらおうとした。 でもタケシさんがわざとあたしと二人きりになることを避けているみたいに、 あたしはその機会を持つことができなかった。 丘に中腹あたりで振り返ると、 丁度真っ赤に燃えた太陽が、サファリパークを囲うように連なる山の端に触れるところだった。 目の前の光景は相変わらず綺麗だけど、 夕陽の光を遮るように厚く雲が張っていて、昨日の夕焼けに比べると見劣りする。 透き通った橙色も、鈍色の雲を反射した途端にくすんだ色になってしまう。 もちろん、それに照らされたサファリパークも。 丈の低いススキを掻き分けて、昨日、アンズちゃんと一緒に腰を下ろした位置を探す。 サファリパークの草原を一望できる、とても見晴らしのいい場所だ。 見つけるのに少し時間がかかってしまって、 腰を下ろす頃には夕陽は半分沈んでいた。 隣を見る。アンズちゃんはいない。 当然よね……。アンズちゃんはあの年で既に、立派なセキチクシティジムリーダーなんだから。 あたしよりずっと年下のアンズちゃんでさえ、 遠く離れたお父さんに会えないことを理解した上で、 今自分に出来ることを実践してる。 ジム戦に負けて一旦は落ち込んだリュウジだって、 タケシさんの保護下から抜け出して、一人で修行に打ち込むことを決心した。 何も決めてないのはあたしだけ。 現実から目を逸らして。 カエデの助言も突っぱねて……。 お父さん探しを旅の目標に据え直せない理由は、 ピカチュウに対する罪悪感、ただそれだけだった。 でも、たったそれだけのことが、どうしても振り切れなかった。 今頃ピカチュウはあたしの助けを待っているのかもしれない。 お父さんを探すことに時間制限はないけど、ピカチュウ救出の手がかりは刻一刻と失われていく。 ここであたしが諦めたら、ピカチュウは二度とあの組織から逃げ出すことが出来なくなるかもしれない。 それを解った上で、ピカチュウのことを忘れて、ポケモンリーグに臨むことなんて、あたしには出来ない。 そんな思考がぐずぐず居座って、あたしの決心を邪魔していた。 でも、もういい加減決めなきゃ。 腰のベルトに視線を合わせる。 二つのモンスターボールと一つのハイパーボール、そして、あの夏の日から空いたままのアタッチメント。 カエデは道を示してくれていた。 がむしゃらにピカチュウを探しても時間の無駄になるだけ。 とりあえず今はポケモンリーグを目指して、副次的にあの子の手がかりとなる情報を集める。 それが最善策よ。 自分を正当化するわけじゃないけど、ピカチュウだってきっとこの決心を誉めてくれる。 きっと、あたしを咎めたりしない。 きっと、あたしのことを恨んだりしない。 きっと、きっと………、 「ごめん……、ひくっ……、ごめんね……、あたしを許して……、ピカチュウ」 失神する前の記憶を取り戻した僕は、酷く消耗していたらしい。 サカキは僕から情報を引き出すのを延期して、 半ば看護婦さんに怒られるようにして退室してしまった。 「薬剤性健忘症を勝手に治療しようとするのはやめてください」 「私は待つのが嫌いなのだ」 「この短期間で意識を取り戻しただけでも奇跡なんですからね」 「私は待つのが嫌いなのだ」 「ピカチュウの見当識が回復するまで我慢して下さい」 「私は待つのが――」 「駄目です」 甲斐甲斐しく僕の世話を焼いてくれる彼女は、 ポケモンセンターのジョーイさんによく似た格好をしていて、 自然とリラックスすることが出来た。 人語を扱えたなら僕は真っ先に "ここは何処だ" "君もサカキの配下なのか" "僕があの施設を脱出して何日が経つ" と聞いていたところなのだが、生憎僕に許されているのは人語を理解するのみで、 彼女とのコミュニケーションには翻訳役が必要不可欠になる、 ああ、どこかに人語とポケモン語を操るシャム猫ポケモンでもいないだろうかと嘆いていたところに絶妙な闖入者が現れた。 初めにペルシアンが軽快な跳躍で窓を飛び越えてきて、 「どうかニャ、元気にしてるかニャー」 次によっこらしょっとコジロウが窓枠に身を乗り出し、 「ピカチュウ、目は覚めたのか」 最後にムサシがコジロウの尻を蹴飛ばしつつ、病室の床に降り立った。 「喜びなさーい、お見舞いにきてやったわよー」 「ちょ、ちょっとあなたたち――!!」 がしゃがしゃと医療器具を漁り、 その中から注射器を見つけて、彼らに構える看護婦さん。 「こ、来ないで下さいっ、刺しますよっ」 ムサシは迷いなく彼女に近寄り、 「ハイハイ、こんな物騒なモンは仕舞いましょうねー」 赤子の手を捻るが如く、一瞬で注射器を分解した。 「あわ、あわわ……」 「ちょっとムサシ、手荒な真似はよせって。 あの、俺たち全然怪しいものじゃないんで」 僕は苦笑する。 コジロウ、君の自己紹介はいささか信頼性に欠けているぞ。 看護婦さんは僕に覆い被さるようになって叫んだ。 「このピカチュウは渡しませんっ。 サカキ様から何があってもお守りするよう言い付かっているんです!」 「あーらあら、大した忠誠心だこと」 ムサシが弄り甲斐のある獲物を見つけたように舌なめずりする。 「どこまでその言い付けを守れるか見物だわぁ」 しかし元ニャースのペルシアンが寸劇に幕を下ろした。 「ピカチュウも罪なポケモンだニャー。 ボスへの忠誠心だけではそこまで出来ないニャ。 それは即ち、君がピカチュウへの庇護欲に取り憑かれていることを意味するニャ」 「え、今ボスって、」 「コジロウ、身分を証明するもの出すニャ」 「えっと、ちょっとだけ待ってくれ」 「早くするニャ!」 ぺシッ、と艶やかな尾が床を叩く。 「そんなに怒るなよぉ……、はいコレ」 「こ、これは――」 看護婦さんは目を丸くして、 「しっ、失礼しました」 「解れば良いニャ」 ペルシアンが偉そうに言う。 「でも、どうして窓なんかから、」 「細かいことは気にしナーイ。 んでもって、あたしたちはピカチュウと話があるから、 あんたにはしばらくこの部屋から出てってて欲しいの」 分かった? とムサシが凄みの効いた声で言い聞かせる。 看護婦さんはコクコクと頷き、心配そうに僕を一瞥して部屋を出て行った。 彼女に代わって僕は尋ねた。 「チュウ?」 君たちはどうして窓から入って来たんだ? 侵入にドアを用いないポリシーでも持っているのか? 「失礼ニャ! ニャーたちにも常識はあるニャ。 ただ今回は少し特殊なケースなんだニャ」 「徹底された面会謝絶に情報封鎖……」 ようやっとあんたの療養場所がボスのお屋敷と解ったときには、 こりゃもう侵入するしかないと思ったのよ」 「ボスの許可が下りるの待ってたら一ヶ月はピカチュウに会えなかっただろうし」 「ま、ミャーはこんな苦労しなくてもピカチュウに会えたに違いないけどニャ」 「そりゃニャースは特別だけどよー」 「あたしとコジロウが会えないんじゃ意味ないでしょうが」 憤慨するムサシとコジロウに、ペルシアンを通して訊いてみる。 「ピカ、ピーカ?」 君たちはどうしてニャースの呼び方をペルシアンに変えないんだ? 「どうしてって……こっちの方がシックリくるだろ?」 「今更ペルシアンって呼ぶのもね。なんか腹立つし」 「そんなことないニャ。 むしろいい加減、ミャーのことは畏敬の念とともにペルシアン様と呼ぶニャ」 「ふざけんな馬鹿ニャース!」 「誰がそんな呼び方するもんですか!」 些細な切欠で口論し始めるところも、昔と変わっていない。 「……ピ、ピカチュ」 まあまあ落ち着いて。 そういえば、ニャースがペルシアンに進化した経緯も聞いていなかったな? 途端、三人が一斉に静まりかえる。 やがてニャースがポツリと言った。 「それはまた時間のある時にでも話すニャ」 禁句、だったのだろうか。 それにしてはムサシもコジロウも、進化した張本人であるペルシアンも、 温かみに満ちた、気恥ずかしいような表情を浮かべている。 その空気を破るように、ムサシがぱんぱんと手を打って、 「あーもー、そんなことはどうでもいいのよ。 あたしたちがやってきた理由はこっち。 ピカチュウ、あんた調子はどうなのよ?」 僕の顔を覗き込んできた。 「生きてるか死んでるか、三人で賭けてたんだぜ」 コジロウがへらへら笑いながらその横に立つ。 そしてペルシアンが右の前足を寝台にかけて、 「三人とも生きてる方に賭けて、賭けにならなかったけどニャ」 左の前足を僕の手に置いた。 近くで見た三人の顔は、一目で分かるほどに老けていた。 ムサシの目元には誤魔化しきれない皺があって、 コジロウは一丁前に細い髭をこしらえていて、 ペルシアンの左目には、斜めに鋭い古傷の痕が入っていた。 ロケット団が壊滅してから今までの15年間に、彼らにも色々あったのだろう。 少なくとも現役からは退いて久しいはずだ。 でも、彼らは僕を助けてくれた。 若かりし頃とは勝手の違う身体に鞭打って、駆けつけてくれた。 彼らにはどんなに感謝しても足りない。 僕は精一杯の笑顔を浮かべて言った。 「ピッカァ!」 君たちのおかげで僕は生きているんだよ、と。 ペルシアンが僕の言葉を翻訳する。 すると、何を思ったのかムサシとコジロウは抱き合って、滂沱の如く涙を流し始めた。 寝台の下を見るとペルシアンも目をぐしぐしと擦っている。 「……よかったニャ。ホントに生きててよかったニャ」 彼らが泣き止むのを待ちながら、僕は密かにホッとしていた。 世の中には変わるものもあれば、決して変わらないものもあるのだ。 それは例えば、そう、彼らの涙もろい性格とか。 ――――――― ――――― ――― ほとおりが冷めた彼らは、口々に先日の救出作戦の経緯について語ってくれた。 要約すると以下の通りになる。 数日前、突然サカキから連絡があった。 『オレンジ諸島最北端の孤島に存在する、 セキュリティ・レベルA、地下15mの研究施設に侵入、 拉致監禁中のピカチュウを奪取せよ。 計画立案、資金増強、人員補填等々の全権は貴様らに一任する』 何故僕の救出作戦に、元ロケット団の三人組が抜擢されたのか。 その理由は単純に、彼らが老練した(こう言うとムサシに怒られそうだが)ポケモン遣いだからだけでなく、 僕専門の強奪のエキスパートだったからではないか、と思う。 彼らは早速作戦会議を開き、大論争の末に実に彼ららしい突飛な案を編み出した。 全権が一任されている→どんなポケモンを使ってもいい→そうだボスのポケモンお借りしようそうしよう 彼らの申し出にサカキは嫌な顔一つせずに応じてくれたらしい。 かくして『地上の混乱に紛れてピカチュウゲットでチュウ大作戦』は実行に移された。 手始めにペルシアンが、地上から地下研究施設へと潜入する。 それから時間差でサカキのポケモン、バンギラスが、超長距離からの破壊光線で、 ほぼ外張り状態の地上建築物を計算通りに爆破する。 ヘリから眺めたその光景に、ムサシとコジロウは腰が抜けそうになったらしい。 突然の襲撃に研究施設内部は、落成以来初めての大混乱に見舞われる。 その隙にペルシアンが深部、即ち僕が囚われている場所に到達し、 当初予定していた脱出口から脱出する手筈だったのだが……。 時既に遅し、僕は最終被験体と凌ぎを削った末に、無我夢中で逃げ惑っている最中だった。 ペルシアンは冷静に僕を探索した。 そして殺気を放ちながら駆けている僕を発見した。 しかし脱出口への道は既に封鎖されていた。 彼はムサシとコジロウに連絡しながら、僕を巧妙に新たな脱出地点へと誘導した。 その後の話は、僕の記憶があるので改めて語るまでもないだろう。 「あの時のピカチュウはメチャクチャ怖かったニャ。 ちょっとでも話しかけたら一瞬で感電死させられそうだったニャ」 ペルシアンが髭を撫でながら言う。 「ピカ、ピーカ?」 僕が君を感電死させるだって? まさか。 「それほどの極限状態にあったってことニャ あの時のピカチュウにはもう二度と御目にかかりたくないニャ~」 「それ見てみた……くはないわね」 ムサシが渋い顔になり、 「うんうん」 コジロウが共鳴する。 僕は耳を欹て、ドアの近くで止まった複数の足音を聞きながら彼らに尋ねた。 なるべく口元に笑みを浮かべないよう努力しながら。 「チュ、ピカ、ピーカ、チュウ?」 そういえば君たちは、ロケット団の解散後はどうしていたんだ? 「先にピカチュウから話すニャ」 「あ、それあたしも知りたーい」 「聞かせてくれよー」 ぐっと詰め寄ってくるロケット団三人組。 「ピカチュ」 おっほん。 僕は咳払いしてストーリーテラーの雰囲気を醸しつつ、事細かに語って聞かせてあげた。 冒頭にカスミとマサラタウンで暮らし始めた経緯を簡単に説明した後は、 幼いヒナタが可愛すぎるあまりにカスミに嫉妬したこと、 幼稚園に入園したヒナタが僕を一緒に連れて行くと言い出して困ったこと、 感受性豊かに育った小学生のヒナタと遊ぶ度に色々な発見をしたこと、 「お家のポケモン」という作文課題で僕を取り上げてくれたこと、 中学生に進級しても相変わらず僕の姿が見えないと心配していたこと、 14歳の時にやっと僕を抱き枕にするのをやめたこと、 高校に入学してからはポケモンマスターを目指すことによる僕との別れを意識し始めて、 より一層僕を大切に扱ってくれたことを話し、 まあ、実際はカスミに監督役として、ヒナタの旅に同行することになったわけだけどね――と締めくくった。 目を開ける。彼らは一様に幻滅の表情を浮かべていた。 「堕ちたニャ」 「堕ちたな」 「堕ちたわね」 三人揃って、深い溜息。 やれやれ。サトシから離れた僕にいったいどんな冒険譚を期待していたのやら。 さて次は君たちの番だぞ。 誰から話す、と顔を見合わせる三人組。 やがてペルシアンが肉球を掲げて、 「ミャーから話すニャ。 ……聞いて驚くでニャーでニャースよ?」 「勿体ぶらないで早く言っちまえよ」 「後ろつっかえてんだからねー」 「こういうのは間が大切なんだニャ。 まったく、おミャーらにはミャーの役者魂が理解できないのかニャ?」 「ピカ」 手短に頼む。 「ピカチュウがそういうなら仕方ないニャ。 実は、ミャーは今、ボスに仕えているニャ」 「ピカー!?」 薄々予感はしていたが、まさか本当にサカキ直属のポケモンになっていたとは。 ペルシアンが勿体ぶる気持ちも理解できる。 大出世じゃないか。 「ミャーの通訳としての能力が買われたのニャ。 ボスは能力の有無で人事ならぬポケモン事を行うお方ニャ」 ペルシアンは僕の反応を見て誇らしげだ。 先程ペルシアンは、自分はそう苦労せずとも僕に面会することが叶うと言っていた。 今なら解る。サカキが僕と話す際に通訳を用いる。それがペルシアンだったのだ。