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第十八章 中 - (2009/03/10 (火) 13:51:26) のソース

濡れた髪を梳りながら、名刺の上に小さくプリントされた文字を読む。
Gardevoir――『高級』『上質』が売りの、服飾系有名ブランドだった。
もちろんその知識はカエデから教わったものだ。

「カエデがいないのが残念ね……」

いたら飛び上がって喜んだあと、
あの二人組に掛け合って、格安でGardevoirの服を購入していたに違いなかった。
ポケモンセンターまでの道すがら、
二人組のうち背の高い方は、クチバで分かれてからの経緯を短く話してくれた。

『あのときは言いませんでしたけど、俺、親父に出頭命令食らってたんスよ。
 才能がないお前がポケモントレーナーを続けても無意味だ、いい加減諦めて俺の仕事を手伝え、って。
 親父は服飾プランナーって仕事なんスど、俺は正直、そんな仕事を手伝うのはゴメンでした。
 友達も一緒に連れてこい、って言われても乗り気じゃなかった。
 もしクチバでヒナタさんやカエデさんに会ってなかったら、
 俺と今もこいつと一緒にバカやってたかもしんないっスね。
 あの時氷漬けにさせられて、マジ目が覚めたっつーか』
名刺から視線を外し、ナイトランプの明かりを残して消灯する。
ダブルベッドに一人で横になる。
タイチが部屋に帰ってくる気配はなかった。

「医務室で一晩過ごすつもりなのかしら」

まあ、もちろんあたしとしてはその方がいいんだけど。
タイチと一緒の部屋で眠れば、"不慮の事故"がいつ起きても不思議じゃない。
年頃の男の子は色々と我慢が利かないものなのよ、とママが言っていたことを思い出す。
それはタイチとて例外じゃない……のよね。
ああもう、どうして今日の夜に限って、部屋が一つしか空いていないんだろう。
あたしにカードキーを手渡した時の、ジョーイさんの生暖かい笑みが忘れられない。
確かにヤマブキシティのポケモンセンターは真新しくて、職員の教育も行き届いていて、設備も最新の物が用意されているかもしれない。
でも、肝心なことを忘れてるわ。
部屋の数が少なすぎることよ。

みしり。

物音が聞こえた気がして身体を起こす。

「タイチ!? 帰ってきたの?」

……………。静寂が耳に痛かった。
タイチ、と口に出してしまったことがだんだん恥ずかしくなってくる。
断熱材か何かの軋みにいちいち反応するなんて、全然あたしらしくない。
ボールを三つまとめて展開する。

「ぴぃっ、ぴぃー」

ピッピが飛び出す。

「…………」

眠気たっぷりといった感じのスターミーが現れる。

「うー?」

最後に展開されたゲンガーが、人差し指を頬に当てて首を傾げる。
こんな時間にどうしたんだい、とでも言うように。
あたしは言った。

「一緒に寝ましょ。
 大きなベッドだから、みんな入っても狭くないわ」
翌朝。
普段よりもずっと早く起きたあたしは、
わざとゆっくり服を着替え、わざとゆっくりシーツを直し、
わざとゆっくりポケモンにポケモンフードを準備して、
フロントに朝食のルームサービスは要らないことを内線で伝えた。
それだけのことをしても、時計の針はほとんど動いてくれなかった。
けど、それ以上するべきこともなかったので、
あたしは仕方なく施錠を済ませて部屋を出た。

医務室の端のベッドで、タイチは案の定爆睡していた。
保険医はタイチのだらしない寝顔を見て微笑み、あたしに視線を移して言った。

「額の傷は綺麗に治ります。
 体質的に血の気が多いようなので、失血による心配もありません。
 また体の至る所に打撲傷がありましたが、どれも浅く、数日で痛みは引くでしょう」

ただ――、と保険医は顎に手を当てて、

「かなり疲労が溜まっていたようですね。
 縫合中に眠る人はなかなかいませんよ。本当に」

「あれから一度も目を覚まさなかったんですか」

ええ、と保険医が頷く。
タイチの寝顔を見つめる。後悔が押し寄せてくる。
アヤを追うことに夢中になって、タイチの疲労を慮ることを忘れていた。
あたしとカエデにセキチクで追いつき、あたしをアヤから助けだし、そのままヤマブキシティに飛ぶ。
熟練の飛行ポケモン遣いでも尻込みしそうなその行程を遂げて、
タイチはその間、ちっとも疲れている素振りを見せなかった。

「……タイチ?」

不意にタイチの瞼が震える。保険医が誰ともなしに頷き、静かにベッドから離れていく。

「タイチ?」
「ふぁ……あぁ……、ん……ヒナタか?
 悪ぃ、ちょっと眠っちまってたみたいだ。
 縫合はもう終わったのか?」
「ばか」
「ばか?」
「もうとっくに縫合は終わってるわ。
 今は朝よ。朝。あれから一晩、タイチは眠りっぱなしだったの」
「マジかよ」

むくりと起き上がり、額のガーゼに触れるタイチ。

「エアームドは? エアームドはどうしてる?」
「昨日の夜、タイチが寝た後で容態を聞いたら、
 やっぱり片側の羽がかなり傷ついていたみたい。
 数日でなんとか飛べるまでには回復するけど、しばらくは長距離飛行は避けて、
 戦闘も避けた方がいいって、ジョーイさんが言ってたわ」
「そうか……」

沈黙が流れる。あたしもタイチも、同じ事を考えていた。

「迎えに行けなくなっちゃったね、カエデのこと」
「ああ。エアームドがああなった以上、どうしようもねえな」

エアームドが怪我をする切欠になった、あの飛行ポケモンたちについて議論するつもりはなかった。
情報が不足しすぎているし、得られる結論にしても憶測の延長に過ぎないことは分かっていた。

「エアームドが完全に回復するまでは、俺たちだけでなんとかするしかないな」
「うん……」

カエデなしでアヤの組織に挑むのは、正直に言うと不安だった。
タイチにはアヤのヘルガ―と渡り合うほどのバクフーンがいるし、
あたしにだってピッピやスターミー、そして暴走する心配がなくなったゲンガーがいる。
でも、所詮は多勢に無勢。
相手の数や戦力は未知数で、正面から行って切り崩せる見込みはまずない。

「これからどうする?」
「ヤマブキシティジムに行って、ジムリーダーのナツメさんに話を伺いましょう?」

タマムシシティでエリカさんに助言を求めたように。

「それが一番無難だな。
 まさかシルフカンパニーに乗り込んで、アヤを出せっていうわけにもいかねーし」

そんなことをしたが最後、あたしたちの存在はすぐに組織の人間に知れて、
アヤはピカチュウの端緒と共に、あたしの手の届かないところへ消えてしまうかもしれない。

「よし、それじゃあ早速行こうぜ」
「ちょっと。体は大丈夫なの?
 保険医さんの話では、体のあちこちに打撲傷があるって……」
「それくらいどうってことねえよ。
 一晩ぐっすり眠ったおかげで、元気は有り余ってるからな」

それよりもさっきから気になってたんだが、とタイチは目を細めてあたしの顔を覗き込んだ。

「お前さ、目の下にクマできてるぞ」
「嘘でしょ?」

朝、鏡を見た時には気付かなかったのに。

「マジだよ。どうしたんだ? 寝不足か?」

無言でタイチを睨み付ける。
誰の所為だと思ってるのよ。
昨夜は何か物音がする度に、タイチかと思って目が冴えて、また眠るの繰り返しで、ろくに眠れなかったんだから。
あたしは言った。

「荷物はここにあるわ。
 あたしは外で待ってるから、早く準備して」
隣接する建物と一線を画したビルの正面で、あたしとタイチは立ち止まった。
視線を少し上げると、『YAMABUKI CITY GYM』の文字が、灰色の壁に並んでいるのが見えた。

「すげぇ……、このビル丸ごとジムなのかよ。親父のジムがログハウスに見えるぜ」

タイチがワッチキャップを被り直す。
ガラスの扉に映り込んだあたしたちは、
どうみても目の前のビルに相応しくない人間のように思えた。
後ろのメインストリートを行き交う人々の視線を感じる。

けど振り返ってみればあたしたちを見ている人なんて誰もいなくて、
結局はあたしの考え過ぎなのかもしれなかった。
ジムに出入りする条件は、ポケモントレーナーであること、ただそれだけ。
年齢なんて関係ない。

「入りましょ」
「ああ、行こう」

ガラスの扉を押す。
あたしたちと一緒に入ろうとした冷たい外気が、
中の人工的な暖気に、逆に押し流されていく。
扉を閉めると屋外の喧噪はおどろくほど小さくなって、やがて、完全に聞こえなくなる。
内装は高級ホテルのロビーを連想させた。
目に優しい暖色の照明。
僅かに色褪せたクリーム色の壁。
見る角度によって表情を変えるワイン色のカーペット。

意匠を凝らしたオーク製のチェア。
高い天井を支える四本の黒い支柱から、等間隔の位置に飾られた大輪の花。
色はもちろん山吹色だった。

「誰もいないのかしら」

しん、と静まりかえった空間に、
あたしの呟きは予想外に大きく響き渡った。

「奥に進もうぜ」

とタイチは言って、あたしを追い越して歩き出す。
乱暴な歩き方が奏でる乱暴な足音は、しかし厚いカーペットに吸い込まれて静寂を乱さなかった。
この場所では言葉以外の全ての物音が意味を失うのかもしれない。
本気で無人なのかと心配になったその時、
あたしとタイチはフロアの奥のカウンターに人影を見つけた。
向こうもあたしたちに気がついたのか、静かに立ち上がって一礼する。

「ようこそ、ヤマブキシティジムへ。
 応対が遅れて申し訳ありません」

中指で眼鏡のずれを直し、柔らかい微笑みを浮かべて、

「私としては常に注意を払うよう心懸けているつもりなのですが、
 このジムの扉が叩かれる頻度を思うと、つい他の事務的な処理に没頭してしまいまして」

二枚の申込用紙と二つのボールペンが差し出される。
女性と見間違えるほどに綺麗な指だった。
でも、その人の声と外見が、タイチよりも何歳か年上の男性であることを示していた。

「ご記入願います。


 概要は熟知しておられると存じますが、もし不明な点が御座いましたら申しつけ下さい」

再度一礼。
その男の人がワーキングチェアに戻る前に、あたしは言った。

「待って下さい。
 あたしたちがここに来たのは、ジムに挑戦することが目的じゃないんです」

「ジムリーダーのナツメさんと会って話がしたいんだ」

こんな時はタイチの率直な言葉遣いの方が有効かもしれない。
そう思って、後の遣り取りを任せることにする。

「あんたの方からナツメさんに掛け合ってくれないかな。頼むよ」

男の人は驚きの表現を瞬き二回で済ませて言った。

「……申し訳御座いませんが、できかねます」
「迷惑なこと言ってるのは分かってる。でも、ほんの少しでいいんだ」
「やはり、できかねます」
「それじゃあナツメさんが良いっていう日、教えてくれよ。出直すからさ」
「やはり、できかねます」

タイチは声に苛立ちを滲ませて言った。

「どうして無理なんだ?」

「彼女が面会を望んでいない。理由はそれに尽きます」
「どうしてあんたにナツメさんが俺たちに会いたくないって分かるんだよ」
「それは別段、あなた方に限ったことではありません。
 彼女は"他人"との接触を極力避けるようにしているのです」

私も含めてね、と男の人が付け足す。
タイチは舌打ちしたげな表情であたしを見て、アイコンタクトを送ってきた。

"埒が明かねえ。どうする?"
"仕方ないわ"

あたしはボールペンを手に取って、男の人に尋ねた。

「挑戦者としてナツメさんの許に行けば、お話することは可能なんですよね?」
「ヒナタ、まさかお前……」
「ジムに挑戦するわ。
 時間はかかるかもしれないけど、これがナツメさんに会える、唯一かつ確実な方法よ」

記入欄を埋めていく。
男の人は視線でさっとあたしの記入を撫でて言った。

「僭越ながらお訊きしてもよろしいでしょうか。
 何故お二人が、ヤマブキシティジムリーダー・ナツメとの面会を望まれているのか」
「聞きたいことがあるんです」
「ナツメならあなたの問いに応えられると?」
「分かりません。
 でも、この街のポケモンや、ポケモン関連の情報に詳しいナツメさんなら、
 きっと、あたしの知りたいことのいくつかについて、知っていると思うんです」

書き終えて、その上にボールペンを乗せる。
男の人は思案するように数秒目を瞑った後、眼鏡を中指で押し上げて言った。

「このビルの向かいに、ヤマブキシティでは比較的小さなビルがあります。
 そこの1階西にある喫茶店で、二時間ほどお待ちしていただけませんでしょうか」

突然の申し出に戸惑いを隠せない。男の人は続ける。

「今し方申し上げましたとおり、ジムリーダー・ナツメとの直接面会は実現できかねます。
 しかしその代わりと言っては何ですが、私個人の力添えは可能です。
 よろしければ、あなた方が直面している問題についてお聞かせ下さい。
 或いは私の持っている情報で解決できるかもしれません」

男の人の手が、そっと申込用紙を脇に除ける。
柔和な微笑み。
断る理由なんてない。

「分かりました」

あたしはタイチの意見を聞かずに、その男の人の申し出を受け入れた。
あたしたちが喫茶店の一角に席をとってから一時間半後。
男の人は約束通りに姿を見せた。
ジムの時とは違って邪魔な受付カウンターがなく、服装をはっきりと描写することができる。
下は黒のチノクロス、上は明るい白のシャツにモスグリーンのネクタイを締めていて、
眼鏡のフレームと同じ銀色の腕時計が、その男の人の唯一のアクセサリーだった。
初めて見た時は黒に見えた髪の色も、改めて見直すと、若干暗い茶色が混じっていた。

「お待たせしました」

と男の人は、記憶にある声よりもずっとくだけた声の調子で言った。
男の人が腰掛けると、すぐにウェイトレスがやってきた。
まるでその瞬間を待ちかまえていたみたいに。

「カフェラテを一つ」
「畏まりました」

注文の淀みのなさと寛ぎ方から、この男の人がこの喫茶店の常連客であることが分かる。
男の人は指を噛み合わせて言った。

「彼女が僕の飲み物を運んでくる前に、互いの自己紹介を済ませておきましょう。
 いつまでも『私』と『あなた』では、円滑かつ誤解のない会話が出来ませんからね。
 僕はフユツグと申します。どうです、古めかしい名前でしょう。
 子供の頃は嫌で嫌で堪りませんでしたが、社会に出てからはこれも一種のアドバンテージだと考えるようになりました。
 平々凡々な名前と僕のような珍しい名前では、与える印象の強さが全然違います。
 つまり、相手に覚えてもらいやすいということです」

「あんた、さっき話した時と少し印象が違うな………」
「一人称も『私』から『僕』に変わってるし……」
「あれは仕事用のペルソナですよ」

とフユツグは事も無げ言い切った。
意図的に性格をスイッチするなんて、本当に可能なのかしら。
あたしの疑問を余所にフユツグは如才なく微笑み、

「常日頃からあんな堅苦しい言葉遣いをしていたら流石に参ってしまいます。
 周囲も、僕も、両方ね。さて、次はあなたたちの番ですよ」
「俺の名前はタイチ。トキワ出身だ」
「あたしはヒナタ。マサラタウン出身よ」
「ヒナタさんに、タイチさんですね。覚えました」
「あー、フユツグさん?
 俺のことはタイチでいい。あんたの方が俺よりいくつか年上だ」
「僕はそういう考え方があまり好きではありません。
 人に丁寧に接するのは、僕の癖のようなものです。
 ですから、タイチさんやヒナタさんが僕のことを呼び捨てにするのもいっこうに構いません。
 むしろその方が僕としては嬉しいですね。親しみを感じて」
タイチが横目でアイコンタクトを送ってくる。

"俺、こいつ苦手だわ……"
"そう? あたしはそうは思わないけど"

と否定的な意見を返すと、タイチは黙って7杯目のコーヒーを飲み干し、大きな溜息をついた。

「お待たせしました、カフェラテです」
「ありがとう」

ウェイトレスがカフェラテをテーブルに置きながら、フユツグに含みのある視線を送る。
でもフユツグはそれにまったく気がつかない様子で、カフェラテに口を付けた。
フユツグを待つ間、馬鹿みたいにコーヒーをお代わりしていたタイチとは決定的に違う気品がそこにはあった。
軽く辺りを見渡して、

「さて。聞き耳を立てられる心配はなくなったことですし、本題に移りましょうか。
 ヒナタさんはジムリーダー・ナツメに聞きたいことがあるのでしたね。
 その質問の内容を、詳しく聞かせて下さい」

―――――――
―――――
―――

「お二人のお話はかつて史上最悪と謳われたロケット団を想起させますね。
 当時彼らが働いていた悪行ほど、その組織は表だった行動を見せていないようですが」

とフユツグは昔を懐かしむように言った。

「あのう、失礼ですけど、フユツグさんはロケット団のことを覚えているんですか?」

あたしたちよりも少し年上くらいなら、ロケット団が壊滅したその時、フユツグはまだ幼い子供のはず。

「朧気ながら。当時は連日、ロケット団解散についての特集が組まれていましたね。
 それほど彼らの解散は衝撃的でした。彼らを崇拝する者にとっても、彼らを忌避する者にとっても」
「フユツグはどっちだったんだ?」

早速タイチはフユツグのことを呼び捨てにしている。

「といいますと?」
「その頃のフユツグの目に、ロケット団はどんな風に映っていたんだよ?」
「僕は彼らをダークヒーローか何かのように見ていましたね。
 この街がロケット団の占拠をしていた時のことは知りませんし、直接的な被害はありませんでしたから。
 TVに映るRの大文字を見て意味も知らずに喜んでいましたよ」

話が横道に逸れてしまいましたね、とフユツグは微笑んだ。

「結論から申しますと、僕はお二人に力添えできる"かもしれません"」
「どうして"かもしれない"なんて余計なもんがくっつくんだ?」
「僕はあなたたちに協力するべきかどうか、決めかねているんですよ」
「なんだよ、俺たちの話が信用できないっていうのか?」

笑顔で首肯するフユツグ。

「お前――」
「仕方ないわ、タイチ」

さっきの話でフユツグに信用してもらえるとは思っていなかった。
何故なら、あたしたちの話には決定的なものが欠けているから。

「あなたたちの話には動機と、達成すべき目的がない。
 何故その組織についての情報を求めているのか。理由が見えてこないんですよ。
 単純な正義感に駆られて行動を起こしているなら、国家権力、即ち警察に頼ることを勧めます。
 組織に対して個人で出来ることなど、所詮は氷山の一角を削る作業に過ぎません」

タイチが軽く舌打ちしてあたしを見た。
ピカチュウの件は秘密にしよう。
それがフユツグが喫茶店に来るまでに、タイチと話し合って決めたことだった。
あたしたちの目的は、その組織を潰すことじゃない。
勿論実現できたらできたで良いことだけど、何よりも優先すべきは、ピカチュウの救出。
でもそれをフユツグに明らかにすれば、一緒に、他の様々な事情まで説明しなくてはいけなくなる。

「あたしのポケモンが一体、その組織に拉致されたんです」

フユツグは表情を変えずに、

「なるほど。私憤ですか」
「ええ。あたしの……あたしたちの目的は、そのポケモンを取り戻すことなんです」
「拉致された経緯は?」

淀みない質問に言葉が詰まる。

「……それは、言わなくちゃダメですか」

あたしがそう言うと、

「いいえ」

フユツグはあっさり首を横に振った。
口角を上げ、お手本のような笑顔を作って、

「興味がないといえば嘘になりますが、
 ヒナタさんのポケモンが拉致されたというのが事実であることは分かります。
 冗談のように聞こえるかもしれませんが、僕には女性の嘘を見抜く力があるんですよ」

嘘くせー、とタイチが小声で毒づくのを無視して、

「それじゃあ、信じてもらえるんですね?」
「信じますよ。僕は因果関係さえはっきりすればいいんです。
 ヒナタさんはある組織にポケモンを拉致された。だからそれのポケモンを奪還すべく行動している。こんな風にね。
 ところで、そのポケモンの名前を聞いてもよろしいでしょうか? 愛称ではなく、正式名称で」
「ピカチュウ、です」
「ふむ……こういっては何ですが、さして希少価値もないポピュラーなポケモンですね。
 何故ヒナタさんのピカチュウが狙われたのか、心当たりはありますか?
 例えば、何か他のピカチュウにはない特殊な能力があったとか」
「なかったと思います」

確かにあたしのピカチュウには、特殊能力なんてなかった。
でもあの子の経験値と、それに裏付けされた実力は、
それだけで特殊能力と呼べるくらいに秀でている。
それにあたしが知らないだけで、本当にあの子には、何かの特殊能力があるのかもしれない。

「そのピカチュウの居場所について、大体の見当はついているんですか?」

タイチがぶっきらぼうに答えた。

「シルフカンパニーだ」

フユツグは首を傾げて、

「それは推測ですか。それとも、確信ですか」
「確信だよ。つい最近その組織の一人と接触したんだ。
 その時は逃げられた、っつーか逃がしたんだが、鳥ポケモンに追跡させて行き着いたのがシルフカンパニーってわけだ」
「なるほど。よくわかりました」

フユツグは満足げに頷いて、

「とりあえずはシルフカンパニーを中心に情報を収集、整理してみます。
 連絡先を控えさせていただいてもよろしいでしょうか」

あたしがポケモンセンターのルームナンバーを伝えると、
フユツグは手馴れた手つきでメモをとり、財布からカフェラテの代金を取り出し、綺麗に並べ、

「何か分かり次第、連絡します。
 それと、これはとても重要なことなのですが……。
 どうか僕がお二人に助力していることは、内密にお願いします。
 個人的な依頼を受けているという噂が広まると困りますので。
 それでは午後からも仕事が残っていますので、失礼します」

颯爽と去っていった。
涼しいドアベルの音が鳴り止んだ頃に、タイチがちょっと得意げに言った。

「あいつはアレだな、あいつがもし数学の先生だとしたら、
 絶対に途中式の有無で採点を厳しくするタイプだな」
「それって採点者として当たり前のことなんじゃないの?」
「…………」


あたしが昨夜から抱えていた懸案事項について思い出したのは、
ポケモンセンターに戻り、ジョーイさんの生暖かい出迎えを受けたその時だった。
エレベーターに乗ろうとするタイチを置いて、受付に直行する。

「どこ行くんだよヒナタ?」
「タイチはロビーの椅子に座って待ってて………ジョーイさん?」

受付に現れたのは気さくな感じのジョーイさんだった。

「何かしら?」
「部屋の空きはありますか?」
「ごめんなさい、今朝はいくつか部屋が空いたんだけど、
 すぐに他の人で埋まっちゃったのよ」

絶句する。
どうして朝一番に言わなかったんだろう。自分で自分が許せない。

「何故新しい部屋が必要なのかしら?
 今の部屋が気にいらなかったの?」
「それは……分かるでしょう?」

暢気にロビーに設置された大型TVを眺めているタイチを視線で示す。
ジョーイは朗らかに答えた。

「あら、あなたたちもしかして"ただの友達"だったの?
 でもまあ、それならそれでいいじゃない。若いっていいことよ」
「よくありません!」