マサラタウンの春を思わせる麗らかな午後だった。 僕は中庭を目指して病室から抜け出した。 何故「外に出た」のではなく「抜け出した」なのかというと、 看護婦さんが僕の外出を許してくれなかったからだ。 しかしそれは彼女の行き過ぎた看護責任が僕の外出を認められないだけで、 僕の健康状態は数値的にも表面的にも、それなりの回復を見せているはずだ。 サカキの允許もそれを見越してのものだろう。 病室の外の世界は新鮮だった。 一級リゾート地に建てられた別荘と聞いて、豪奢な建物を想像していたが、 なかなかどうして、ロココ様式の教会を想起させる落ち着いた保養所だ。 緩やかなカーブを描く階段を見つける。 一段一段を下るごとに、目に優しい装飾や丁度によって、良い意味で現実感がそぎ落とされていく。 この別荘に現代の知識や感覚は相応しくないように思える。 しかし現実として、ここには最新鋭の設備と有能な人材が揃っていて、 サカキはそれらを使ってシステムの情報を収集している。 階段の終わりに差し掛かるにつれ、草花の薫りが強くなる。 「ピィカァ……」 中庭は美事なものだった。 ジューンベリーの白とピンクが中央から溢れ出し、 それを受ける器のように、緑鮮やかなオリーブが生垣樹の役目を果たしている。 ただし、心安らげる場所であるかと問われれば、僕は首を横に振るだろう。 草花の色彩に紛れて中庭を監視する数台のカメラと、 単なる逍遙が目的とは思えない、暗い目をした男が、辺りに視線を走らせているからだ。 「来たな。そろそろ来る頃だと思っていた」 男は僕の方を見て言った。 「君が"あのピカチュウ"か。 あのお方から君のリハビリを手伝うよう指示されている」 威圧的かつ理性的な、人を束ねるに相応しい声だ。 「チュウ」 よろしく、と僕は言った。 伝わらないことは分かっている。 「リハビリと言葉を弄したところで、つまるところはスパーリングだ。 今日は手始めに俺のポケモン二体とバトルしてもらおう。 君は病み上がり、僕はあのお方のスパイの一にしてシステム特殊機動部隊の部隊長。 実力は丁度均衡しているか、俺に僅かに分があるくらいだろう」 実働部隊の補佐から昇格を重ね、精鋭に到ったスパイの一人とはこの男か。 なるほど、確かに君は僕のリハビリ相手に適任だ。 だが――。 僕は視線を四方に投げた。 その仕草で僕の憂慮していることは彼に伝わったようだ。 「心配は要らない。僕のポケモンは氷タイプに限定されていてね。 リハビリの最中に中庭の植物が凍り付いたとしても、この五の島特有の温かい日差しがすぐにそれを溶かしてくれるだろう。 もし仮に中庭が荒れるようなことがあっても、ある程度までは目を瞑ってくださるそうだ。 その言葉一つをとっても、どれだけ君のリハビリがあの方に重要視されているか分かるな」