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青年が宿の部屋に戻ると、靴脱場には既にハナコの靴があった。 やはりハナコの方が早かったようだ。 「今戻ったよ、ハナコ」 「あら……おかえりなさい」 靴脱場と部屋を隔てるふすまが開き、 「ジム戦、どうだった?」 青年は上着のポケットから、山吹色に光るバッジを取り出した。 「この通りさ」 「おめでとう! あなたって本当に、ポケモントレーナーの才能があるのね」 「ありがとう。勝てた一番の理由は、こいつらがいつにもまして頑張ってくれたおかげだよ」 青年はモンスターボールに手を添え、ジム戦の模様を思い返す。 サカキとの一戦に比べれば、ヤマブキシティジムでの戦いは、緊迫感が欠けていたように思う。 互いのポケモンが致命傷を負う心配はなく、たとえ敗北しても挑戦権が失われることもない。 それが心の余裕になり、青年のポケモンは伸び伸びと動き、 青年自身は落ち着きを持って、的確な指示を出すことができた。 サカキとのポケモンバトルは、青年とポケモンを大きく成長させていた。 しかし――と青年は物思いに耽る。 本当に気持ちの余裕だけが、ジム戦で普段以上の力を発揮できた理由だったのか? 言葉ではうまく言い表せない、ポケモンとの一体感のようなものを感じたような……。 「疲れたでしょう? 座って」 「ああ、うん」 座布団の上に座りながら、青年は尋ねた。 「ところで、ハナコの方はどうだったんだい?  開示された書類には、なんて書いてあった?」 お茶を淹れていたハナコの所作が静止する。 「……ダメだった」 「えっ?」 「お父さんが国の調査隊の一員として人類未踏地区に行ったのは、四年前が最後よ。ほら」 ハナコが書類を渡してくる。 青年は素早く目を通した。 「……確かにハナコのお父さんは、四年前を最後に、公式調査隊に参加していない。  四年前の行き先は、ハナダシティ北西部の洞窟だったみたいだね」 「ええ。確か、ハナダ洞窟の最深部にたどり着く前に、調査隊員の過半数が体調を崩して、  帰還を余儀なくされたって、マサラタウンに帰ってきたお父さんが話してた」 そのとき、青年の脳裏で何かが閃いた。 それは青年が研究で、小さな、しかし問題の主要因となりうる綻びを見つけたときの直感に似ていた。 俺は既に『見て』いる。知っている。しかし集中したとたん、イメージが霧散する……。 「とにかく……これでお父さんの手がかりは、本当の本当に、なくなっちゃったわ」 「……ハナコ」 「わたしは大丈夫。もちろん、この結果は残念だけど、オーキド博士を訪ねたときに比べたら、」 ハナコが言葉に詰まり、お茶淹れを再開して、湯のみを差し出す。 「はい、どうぞ。わたし、夕食の前に温泉に入りたくて、あなたが帰ってくるのをずっと待ってたんだった。お先に行ってくるわね」 ハナコは慌ただしく立ち上がり、支度をして部屋を出て行った。 入浴が落胆の表情を隠すための口実であることは、さすがの青年にも理解できた。 畳の上に大の字で寝転がると、青年の胸中から自分自身の声がした。 ――結局、ハナコを余計に苦しめただけじゃないか。 ――もう、いい加減に諦めさせてやれ。 ――期待を持たせては落胆させて、彼女の精神的な消耗は計り知れない。 青年はその声に反駁する。 ――でも、まだ、まだ何か手がかりがあるはずだ。 とりとめのない思考が走りだす。 一年以内に派遣された国家主導の調査隊の記録に、ハナコの父親の名前はない。 約半年前に、ハナコの父親がマサラタウンを旅立った。これは事実だ。 彼が家族を捨てて失踪した可能性は排除できる。 ハナコの父親は探検に行った。病床の妻やハナコに行き先を告げることなく。 彼が参加したとされる調査隊のうち、国家主導の調査(今日手に入れた開示資料で確認)と、 資産家がパトロンの調査(先日タマムシ大学図書館で確認)を、頭の中で時系列で並べ替える。 すると、数ヶ月単位の空白期間がいくつか浮かび上がった。 ハナコは自分の父親がマサラタウンに長期滞在することはなかった、と言っていた。 空白期間の正体が、調査とは全く無関係の旅だった可能性は否定できない。 が、ハナコの父親は、妻と娘を放って、自由に一人旅をするような人間だったのだろうか? 彼は何らかの調査隊に参加していたが、口止めされていた。こう仮定すれば筋は通る。 おそらく調査計画の責任者は、調査に関わる人間全員に緘口令を敷いていたのではないか。 私費を投じて私設調査隊を結成し、人類未踏地区の探索を行っている資産家たちは、 リスクに見合うリターンとして、調査隊が持ち帰った新発見のポケモンや拾得物を研究し、その成果を金や利権に変える。 調査そのものの秘匿しては、誰もその研究価値を認めない。 つまり、ハナコの父親が最後に参加した調査隊の責任者は、そういったしがらみに囚われない人物。 そんなことができる人間、いや、組織なんて……。 寝返りを打ち、思考も打ち切る。 青年は天井の木目を数えながら、ハナコが帰ってくるのを待った。 「大浴場も、お料理も最高。マサラタウンの友達に自慢できるわ」 食堂から部屋までの道すがら、ハナコは満足気に息をついた。 彼女の隣を、たらふくポケモンフードを食べたプクリンが、歩くというよりは転がるように移動している。 「あっ、今この田舎者、って思ったでしょう?」 「お、思ってない。被害妄想だよ」 「本当かしら。あなたはヤマブキシティに着いて、迷わずこの宿を選んだけど、どうして?」 「それは……」 言わずもがな、青年の友人の推薦である。 決して安宿ではないため、彼が特にお気に入りの女の子を連れ込む場所として使っているんだろう。 正直にそれを話して、ハナコの彼に対する心証を悪化させるのも忍びないので、 「今までに、何度か泊まったことがあるから」 「ふぅん。……女の子と?」 「え、いや、そんなことは……え?」 「ふふ、動揺しすぎよ。プクリン、わたしたちの部屋はここ」 ハナコは花のように笑い、部屋の前を行き過ぎたプクリンを抱きとめる。 ヤマブキシティ到着直後にこの宿を訪れたとき、宿の主人は、 部屋はほぼ満室で、ふすまで間仕切りされた二部屋のみ、案内できると申し出てきた。 「ここに決めましょうよ」とハナコが言ってくれたので、他の宿を探す手間が省けたと喜んでいたが、 やはりハナコは、俺とたった一枚のふすまを隔てて夜を過ごすことに不安を感じているのではないだろうか? 「どうしたの? 部屋の前で立ち止まって」 邪念を振り払う。ハナコは俺を信用してくれているからこそ、同室でも良いと言ってくれたんだ。信頼には報いないと。 青年は呼吸を整えて部屋の中へ入った。そしてハナコと二人で声を失った。 眼前には布団が二組、寸分の隙間もなく並べ敷かれていた。いわゆる夫婦布団である。 「や、宿の人が、何か勘違いしたみたいだね」 「そ、そうみたい」 「よし、この布団を隣の部屋に……」 青年が動くよりも先に、プクリンが二組の布団の、ちょうど真ん中あたりに転がった。 「ぷくー、ぷくー、ぷくー……」 と心地良さ気な寝息を立て始める。 このままでは布団を移動させることができない。 「気持ちよさそうに寝ちゃって」 「温泉に浸かって、ご飯をたくさん食べたら眠くなるのは当たり前か」 「この子ったら、温泉の中で、もうウトウトしてたのよ」 青年とハナコは顔を見合わせて苦笑し、やや緊張した声で「仕方ない(わよね)」と、相手の同意を得るように言った。 なお、このとき二人の脳裏から、プクリンをモンスターボールに戻すという選択肢は綺麗に忘れ去られていた。 暗闇の中、半身にプクリンの体温を感じながら、青年は眠れないでいた。 すぐ傍でハナコが眠っている。そのことで頭がいっぱいで、今日獲得したゴールドバッジがどうでもよく思えるくらいだった。 「――あのさ」 「――ねえ」 声が重なる。 「眠れない?」 「あなたも?」 「うん。実は、君に言おうか言わまいか、悩んでたことがあるんだ」 「わたしも。あなたに言おうか言わないでおこうか、悩んでたことがあるの」 「お先にどうぞ」 「ううん、あなたが先に言って」 青年は唇を湿らせ、用意していた言葉を口にする。 「ハナコ……君は、すごく強い子だと思う。一人でマサラタウンからタマムシまで旅をしてきて、  どんなにお父さんの安否について、厳しい意見を聞かされても、心が折れなくて」 「前半は合ってるけど、後半は間違いよ」 くす、という笑い声が暗闇を渡る。 「わたしがお父さんのことを諦めないでいれたのは、あなたが傍にいてくれたから。でもね、さすがにもう諦めるわ。  わたしにはこれ以上の手がかりが見つけられそうにないし、あなただっていい加減、迷惑――」 「違うんだハナコ、そういう意味で言ったんじゃない。俺は君のお父さん探しの手伝いを、迷惑に感じたことなんて一度もない。  俺はただ、君が……君さえまだその気があるなら、だけど…………君のお父さんを探すのを、続けないか?」 「そんな……でも、どうやって? もう手がかりはないのよ」 「手がかりはあるよ」 青年は、ハナコが入浴していた間に浮かんだ憶測を、かいつまんで語った。 そして、その憶測の真偽を確かめるために、まだ手を貸したい、と。 「……本当にあなたは、迷惑じゃないの?」 「うん」 「ここまで親切にしてくれるのは、やっぱり、困ってる人を見かけると放っておけないから?」 以前と同じ問いかけに対し、自分の意気地なさを呪いながら、青年は首肯する。 「……そうだよ」 「じゃあ、わたしよりも困っている女の子が現れたら、あなたはどうするのかしら?」 冗談めかした響き。青年は何の気なしに答える。 「早い者順かな。……ところで、ハナコが言いたかったことって?」 「いいの、それはもう忘れて。それじゃ……おやすみなさい」 「ああ、そう……」 釈然としないまま、青年は「おやすみ」と返して、瞼を閉じた。 彼のすぐ傍で、ハナコが濡れた瞼をプクリンのお腹に押し付けながら、 他の誰かよりも先に、あなたに出会えてよかった――と安堵していたことには、露ほどにも気づかずに。
青年が宿の部屋に戻ると、靴脱場には既にハナコの靴があった。 やはりハナコの方が早かったようだ。 「今戻ったよ、ハナコ」 「あら……おかえりなさい」 靴脱場と部屋を隔てるふすまが開き、 「ジム戦、どうだった?」 青年は上着のポケットから、山吹色に光るバッジを取り出した。 「この通りさ」 「おめでとう! あなたって本当に、ポケモントレーナーの才能があるのね」 「ありがとう。勝てた一番の理由は、こいつらがいつにもまして頑張ってくれたおかげだよ」 青年はモンスターボールに手を添え、ジム戦の模様を思い返す。 サカキとの一戦に比べれば、ヤマブキシティジムでの戦いは、緊迫感が欠けていたように思う。 互いのポケモンが致命傷を負う心配はなく、たとえ敗北しても挑戦権が失われることもない。 それが心の余裕になり、青年のポケモンは伸び伸びと動き、 青年自身は落ち着きを持って、的確な指示を出すことができた。 サカキとのポケモンバトルは、青年とポケモンを大きく成長させていた。 しかし――と青年は物思いに耽る。 本当に気持ちの余裕だけが、ジム戦で普段以上の力を発揮できた理由だったのだろうか。 「疲れたでしょう? 座って」 「ああ、うん」 座布団の上に座りながら、青年は尋ねた。 「ところで、ハナコの方はどうだったんだい?  開示された書類には、なんて書いてあった?」 お茶を淹れていたハナコの所作が静止する。 「……ダメだった」 「えっ?」 「お父さんが国の調査隊の一員として人類未踏地区に行ったのは、四年前が最後よ。ほら」 ハナコが書類を渡してくる。 青年は素早く目を通した。 「……確かにハナコのお父さんは、四年前を最後に、公式調査隊に参加していない。  四年前の行き先は、ハナダシティ北西部の洞窟だったみたいだね」 「ええ。確か、ハナダ洞窟の最深部にたどり着く前に、調査隊員の過半数が体調を崩して、  帰還を余儀なくされたって、マサラタウンに帰ってきたお父さんが話してた」 そのとき、青年の脳裏で何かが閃いた。 それは青年が研究で、小さな、しかし問題の主要因となりうる綻びを見つけたときの直感に似ていた。 俺は既に『見て』いる。知っている。しかし集中したとたん、イメージが霧散する……。 「とにかく……これでお父さんの手がかりは、本当の本当に、なくなっちゃったわ」 「……ハナコ」 「わたしは大丈夫。もちろん、この結果は残念だけど、オーキド博士を訪ねたときに比べたら、」 ハナコが言葉に詰まり、お茶淹れを再開して、湯のみを差し出す。 「はい、どうぞ。わたし、夕食の前に温泉に入りたくて、あなたが帰ってくるのをずっと待ってたんだった。お先に行ってくるわね」 ハナコは慌ただしく立ち上がり、支度をして部屋を出て行った。 入浴が落胆の表情を隠すための口実であることは、さすがの青年にも理解できた。 畳の上に大の字で寝転がると、青年の胸中から自分自身の声がした。 ――結局、ハナコを余計に苦しめただけじゃないか。 ――もう、いい加減に諦めさせてやれ。 ――期待を持たせては落胆させて、彼女の精神的な消耗は計り知れない。 青年はその声に反駁する。 ――でも、まだ、まだ何か手がかりがあるはずだ。 とりとめのない思考が走りだす。 一年以内に派遣された国家主導の調査隊の記録に、ハナコの父親の名前はない。 約半年前に、ハナコの父親がマサラタウンを旅立った。これは事実だ。 彼が家族を捨てて失踪した可能性は排除できる。 ハナコの父親は探検に行った。病床の妻やハナコに行き先を告げることなく。 彼が参加したとされる調査隊のうち、国家主導の調査(今日手に入れた開示資料で確認)と、 資産家がパトロンの調査(先日タマムシ大学図書館で確認)を、頭の中で時系列で並べ替える。 すると、数ヶ月単位の空白期間がいくつか浮かび上がった。 ハナコは自分の父親がマサラタウンに長期滞在することはなかった、と言っていた。 空白期間の正体が、調査とは全く無関係の旅だった可能性は否定できない。 が、ハナコの父親は、妻と娘を放って、自由に一人旅をするような人間だったのだろうか? 彼は何らかの調査隊に参加していたが、口止めされていた。こう仮定すれば筋は通る。 おそらく調査計画の責任者は、調査に関わる人間全員に緘口令を敷いていたのではないか。 私費を投じて私設調査隊を結成し、人類未踏地区の探索を行っている資産家たちは、 リスクに見合うリターンとして、調査隊が持ち帰った新発見のポケモンや拾得物を研究し、その成果を金や利権に変える。 調査そのものの秘匿しては、誰もその研究価値を認めない。 つまり、ハナコの父親が最後に参加した調査隊の責任者は、そういったしがらみに囚われない人物。 そんなことができる人間、いや、組織なんて……。 寝返りを打ち、思考も打ち切る。 青年は天井の木目を数えながら、ハナコが帰ってくるのを待った。 「大浴場も、お料理も最高。マサラタウンの友達に自慢できるわ」 食堂から部屋までの道すがら、ハナコは満足気に息をついた。 彼女の隣を、たらふくポケモンフードを食べたプクリンが、歩くというよりは転がるように移動している。 「あっ、今この田舎者、って思ったでしょう?」 「お、思ってない。被害妄想だよ」 「本当かしら。あなたはヤマブキシティに着いて、迷わずこの宿を選んだけど、どうして?」 「それは……」 言わずもがな、青年の友人の推薦である。 決して安宿ではないため、彼が特にお気に入りの女の子を連れ込む場所として使っているんだろう。 正直にそれを話して、ハナコの彼に対する心証を悪化させるのも忍びないので、 「今までに、何度か泊まったことがあるから」 「ふぅん。……女の子と?」 「え、いや、そんなことは……え?」 「ふふ、動揺しすぎよ。プクリン、わたしたちの部屋はここ」 ハナコは花のように笑い、部屋の前を行き過ぎたプクリンを抱きとめる。 ヤマブキシティ到着直後にこの宿を訪れたとき、宿の主人は、 部屋はほぼ満室で、ふすまで間仕切りされた二部屋のみ、案内できると申し出てきた。 「ここに決めましょうよ」とハナコが言ってくれたので、他の宿を探す手間が省けたと喜んでいたが、 やはりハナコは、俺とたった一枚のふすまを隔てて夜を過ごすことに不安を感じているのではないだろうか? 「どうしたの? 部屋の前で立ち止まって」 邪念を振り払う。ハナコは俺を信用してくれているからこそ、同室でも良いと言ってくれたんだ。信頼には報いないと。 青年は呼吸を整えて部屋の中へ入った。そしてハナコと二人で声を失った。 眼前には布団が二組、寸分の隙間もなく並べ敷かれていた。いわゆる夫婦布団である。 「や、宿の人が、何か勘違いしたみたいだね」 「そ、そうみたい」 「よし、この布団を隣の部屋に……」 青年が動くよりも先に、プクリンが二組の布団の、ちょうど真ん中あたりに転がった。 「ぷくー、ぷくー、ぷくー……」 と心地良さ気な寝息を立て始める。 このままでは布団を移動させることができない。 「気持ちよさそうに寝ちゃって」 「温泉に浸かって、ご飯をたくさん食べたら眠くなるのは当たり前か」 「この子ったら、温泉の中で、もうウトウトしてたのよ」 青年とハナコは顔を見合わせて苦笑し、やや緊張した声で「仕方ない(わよね)」と、相手の同意を得るように言った。 なお、このとき二人の脳裏から、プクリンをモンスターボールに戻すという選択肢は綺麗に忘れ去られていた。 暗闇の中、半身にプクリンの体温を感じながら、青年は眠れないでいた。 すぐ傍でハナコが眠っている。そのことで頭がいっぱいで、今日獲得したゴールドバッジがどうでもよく思えるくらいだった。 「――あのさ」 「――ねえ」 声が重なる。 「眠れない?」 「あなたも?」 「うん。実は、君に言おうか言わまいか、悩んでたことがあるんだ」 「わたしも。あなたに言おうか言わないでおこうか、悩んでたことがあるの」 「お先にどうぞ」 「ううん、あなたが先に言って」 青年は唇を湿らせ、用意していた言葉を口にする。 「ハナコ……君は、すごく強い子だと思う。一人でマサラタウンからタマムシまで旅をしてきて、  どんなにお父さんの安否について、厳しい意見を聞かされても、心が折れなくて」 「前半は合ってるけど、後半は間違いよ」 くす、という笑い声が暗闇を渡る。 「わたしがお父さんのことを諦めないでいれたのは、あなたが傍にいてくれたから。でもね、さすがにもう諦めるわ。  わたしにはこれ以上の手がかりが見つけられそうにないし、あなただっていい加減、迷惑――」 「違うんだハナコ、そういう意味で言ったんじゃない。俺は君のお父さん探しの手伝いを、迷惑に感じたことなんて一度もない。  俺はただ、君が……君さえまだその気があるなら、だけど…………君のお父さんを探すのを、続けないか?」 「そんな……でも、どうやって? もう手がかりはないのよ」 「手がかりはあるよ」 青年は、ハナコが入浴していた間に浮かんだ憶測を、かいつまんで語った。 そして、その憶測の真偽を確かめるために、まだ手を貸したい、と。 「……本当にあなたは、迷惑じゃないの?」 「うん」 「ここまで親切にしてくれるのは、やっぱり、困ってる人を見かけると放っておけないから?」 以前と同じ問いかけに対し、自分の意気地なさを呪いながら、青年は首肯する。 「……そうだよ」 「じゃあ、わたしよりも困っている女の子が現れたら、あなたはどうするのかしら?」 冗談めかした響き。青年は何の気なしに答える。 「早い者順かな。……ところで、ハナコが言いたかったことって?」 「いいの、それはもう忘れて。それじゃ……おやすみなさい」 「ああ、そう……」 釈然としないまま、青年は「おやすみ」と返して、瞼を閉じた。 彼のすぐ傍で、ハナコが濡れた瞼をプクリンのお腹に押し付けながら、 他の誰かよりも先に、あなたに出会えてよかった――と安堵していたことには、露ほどにも気づかずに。

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