ジャーガルク・シャー国

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|>|ジャーガルク・シャー国&br()(アルファベット表記:&italic(){Dowlat-e ShahanShahi-ye Jhagalk})|h |夏都|タビラ・ゾロテ・プラト&br()(アルファベット表記:&italic(){Tabir ・Zolote・Plato})| |冬都|ヴァルヒニー・ミニスト&br()(アルファベット表記:&italic(){Valhine-・Menishto})| |地域|シンファ大陸北西部&br()([[世界地図]]1.2.3.4.7.67)| |公用語| ジャーガルク語| |国歌|インベンドルは騎馬隊と共に| |国制の特徴|女系君主制 立憲君主制 多党制 単一制国家| |国家元首|[[クリィサリス・キケ・ジャ・サフィロス・ワタ・シャー]]| |人口|7619年時点:約9160万人(保護国・従属国を含めると約9500万人)&br()7628年時点:約1億435万人(保護国・従属国を含めると約1億875万人)| |通貨|シル(略称cl)| |保護国|[[ムスルマーネン=カリフ国]]&br()[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]&br()[[トゥガ国]]| |関連項目|[[白虎財閥]]| |条約|[[ジャーガルク・清河不可侵及び通商条約]]| #contents() *&bold(){・国旗} #image(ジャーガルク・シャー国neo.jpg,,height=230) *&bold(){・概要}  &bold(){シンファ大陸}北西部に存在する立憲君主国家でやや海軍が強い大陸国家、国土は形式的・儀礼的な行政区分である&bold(){ゾロタ列島}・&bold(){ハルラ盟国}・&bold(){ゼン国}の3国及び&bold(){ファンシュー地区}・&bold(){プレコルドンナ道}で構成されており、また保護国として[[ムスルマーネン=カリフ国]]・[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]・[[トゥガ国]]が存在する。 *&bold(){・地理} -&bold(){本国の地図} #image(地理2.jpg,,height=1100) #region #image(地理.jpg,,height=1100) #endregion -&bold(){ジャーガルク領グラニツァの地図} #image(海外領完成.jpg,,height=1100) #region #image(海外領地理.jpg,,height=1100) #endregion |地名|番号|概要|特産品&br()産出物|人口|h |>|>|>|>|BGCOLOR(YelloW):~ジャーガルク・シャー国本国|h |&bold(){ゾロタ&br()列島}|1&br()2| 夏都の&bold(){タビラ・ゾロテ・プラト}を擁し、海流の影響で緯度の高さに比べて温暖な気候である。&br()国土の約70%が山岳地帯なため水源も多く、土壌は&bold(){黒ボク土}の割合が多く豊かであるため最も人口密度が高くなっている。|米&br()絹&br()石炭&br()綿|約5515&br()万人| |&bold(){ハルラ&br()盟国}|3| 冬都の&bold(){ヴァルヒニー・ミニスト}を擁し、中部以北は高原地帯となっており鉱物資源が豊富である。&br()一方で南部~中部にかけては黒土地帯であり&bold(){大豆}などの生産が盛んである。|鉄&br()貴金属|約990&br()万人| |&bold(){ゼン&br()国}|4&br()7の湖西| 古くから農業が盛んであり、また南部には金の鉱山が存在する。&br()さらに東部の塩湖沿岸地域(&bold(){シィル海})では養殖を中心とした漁業が盛んである。|穀物&br()魚|約2350&br()万人| |&bold(){ファンシュー&br()地区}|4&br()7の湖東| やや山岳地帯が多いものの、小麦、茶葉の生産が盛んである。&br()また西部の塩湖(シィル海)では漁業が盛んである。|石油&br()砂糖|約1120&br()万人| |&bold(){プレコルドンナ&br()道}|67&br()南西| ジャーガルク領グラニツァの中で、ジャーガルクの司法が及ぶ地域である。&br()ジャーガルク憲法に基づき独自の最高裁判所を有しておいる。&br()本国で仕事の無い者や、農家の次男・三男が新天地を求め、移住するケースが多いとされる。|天然&br()ゴム|約460&br()万人| |>|>|>|>|BGCOLOR(orange):~保護国|h |&bold(){[[ムスルマーネン=カリフ国]]}|7&br()南|[[詳細は個別ページへ>ムスルマーネン=カリフ国]]|無い|人口約60&br()万人&br()(奴隷を除く)| |&bold(){[[アババ二スタン]]}|67&br()北|[[詳細は個別ページへ>ムスルマーネン=カリフ国]]||約40万人&br()(奴隷を除く)| |&bold(){[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]}|67&br()南東|[[詳細は個別ページへ>ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]|硫黄|約280&br()万人| |&bold(){[[トゥガ国]]}|7&br()東|[[詳細は個別ページへ>トゥガ国]]||約60&br()万人| **&bold(){・主要な都市} |都市名|所在国|都市人口|都市圏を含めた人口|詳細|h |&bold(){タビラ・ゾロテ・プラト市}|ゾロタ列島|約400万人|約520万人|冬の都、近隣に海軍の軍港がある。| |&bold(){バスナァー市}|ゾロタ列島|約70万人|約110万人|古都(4912年~6228年)| |&bold(){ブレノスェチ市}|ゾロタ列島|約14万人|約18万人|列島南部の都市、軍港がある。| |&bold(){ヴァルヒニー・ミニスト市}|ハルラ盟国|約300万人|約450万人|夏の都・重工業の中心| |&bold(){ハーヴァニュエ市}|ゼン国|約150万人|約215万人|ヴァルヒニー・ミニストの外港| |&bold(){ボォルト市}|ハルラ盟国|約10万人|約12万人|シィル海に面した漁港| |&bold(){クォウシヤン市}|ゼン国|約80万人|約125万人|ゼン国の国都| |&bold(){ラン市}|ゼン国|約100万人|約75万人|ゼン国南部最大の都市で港湾都市| |&bold(){奉都市}|ファンシュー地区|約25万人|約35万人|ファンシュー地区の中心都市| |&bold(){ノアバ・ヴェネーツィア市}|プレコルドンナ|約10万人|約20万人|プレコルドンナの中心都市、特例により独自の最高裁判所が存在する| |&bold(){ムスルマーネン市}|[[ムスルマーネン=カリフ国]]|約50万人|約50万人|奴隷を合わせた人口は約80万人| |&bold(){アババ市}|アババ二スタン|約7万人|約12万人|アババ二スタン自由国の中心都市、新大陸奴隷貿易の中心| |&bold(){ハツン・ラクゥタ市}|[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]|約5万人|約10万人|[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]の首都| *&bold(){・政治} **&bold(){・政策スライダー} |地方分権|-----◆--|中央集権|首都が実質的に2つ存在するが、&bold(){単一制国家}であり、地方自治体の権限は弱い、&br()但し保護領に関しては、ジャーガルク人がそもそも異民族の習慣に無関心であるため比較的自由である。| |貴族中心|----◆---|富豪中心|貴族院に当たる&bold(){クリルタイ}が存在するが、権限はあまり無い。| |農奴制|---◆----|自由農民|農奴は存在しないが、大規模地主と小作人制度はある。| |保守主義|----◆---|革新主義|保守系の&bold(){立憲党}と穏健革新系の&bold(){自由党}が議会の中心であり、近年は政府による市場介入を支持する政策が採られている。| |重商主義|--◆-----|自由貿易|&bold(){オランダ病}を恐れており、原材料・鉱石の輸出は制限されている。しかし一方で国内で加工された製品の輸出には積極的| |攻撃主義|----◆---|防御主義|市場獲得の為、行動すべきという意見もあるが、今のところ好景気であるため主流ではない。| |陸軍重視|---◆----|海軍重視|陸軍「我が国は大陸国家であり、陸軍を強化して生存圏維持又は獲得を図るべき」&br()海軍「自由貿易によって諸国の産物は海運で入手可能だ、シーレーンを守るため海軍を強化すべき」&br()空軍「わが軍なら陸海両方で戦える」| |精鋭|--◆-----|大軍|大軍は欲しいけど、維持費が経済的に負担だから今は控えよう| **&bold(){・概要}  征健歴2533年((世界創世暦7575年))に制定された近代的&bold(){欽定憲法}に基づく立憲君主制国家で、司法(裁判所)・立法(国会)・行政(内閣)の三権が分立しており、また象徴君主として女系のシャーが元首となっている。  一方で国内の韓人・ラ族は[[トゥガ国のカーマル>カーマル32世]]がジャーガルクのシャーに贈った敬称である&bold(){転輪法皇帝}((元々は歴代カーマルが清河王朝の皇帝に贈っていた称号))、[[ピスカ人>ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]は元々現地に存在したアーカ帝国の君主号である&bold(){トラトアニ}を用いており、それらの君主号も正式なものとされている。 **&bold(){・行政(内閣)}  首相の任期は4年で再選は1回まででき、20歳以上の国民による男子普通選挙によって選ばれる、この制度はこの国の前身であるヴォウク族が、事実上の首長(ベク)を選ぶときに部族の男子全員が集まって話し合ったという古代韓王朝の歴史書&bold(){「北方蛮族に関する報告」}の記述に基づき、憲法制定時に“復活”された制度である。 **&bold(){・立法(国会)}  &bold(){小選挙区比例代表並立制}の&bold(){民院}(構成員501人)と&bold(){クリルタイ}(構成員100人)の&bold(){二院制}で優先権は民院にあり、民院議員の任期は4年で再選は1回まで可能とされ、選挙権と被選挙権は20歳以上の国民男女全員が有しており、選挙は首相選挙と同日におこなわれ、納税額によって1人が有する票数には1~2までの差がある。  一方で、クリルタイは議員任期10年で元官僚・旧ベク又は王族で構成されており、前任者の推薦と君主の承認によってその地位に就く、また民院には3分の1以上の議員が出席し、2分の1以上の賛成でクリルタイ議員を弾劾する権利がある。 ***&bold(){・主な政党} |政党名|傾向|現状|支持基盤|指針|議席数|詳細|h |&bold(){立憲党}|中道&br()保守|野党|地主&br()実業家|「修正資本主義」&br()「国家によるインフラ整備推進」&br()「個人の権利自由保障」&br()「教育振興」&br()「産業発展推進」&br()「国防充実」|91|「国家公益重視」の理念を標榜とする政党、初代首相トンナン公が結成した政党である。| |BGCOLOR(PowderBlue):&bold(){自由党}|BGCOLOR(PowderBlue):中道&br()リベラル|BGCOLOR(PowderBlue):与党|BGCOLOR(PowderBlue):都市の中産階級&br()工場労働者&br()小作人|BGCOLOR(PowderBlue):「協調外交」&br()「教育の機会均等」&br()「資本と労働の平等」&br()「白色労働組合結成の推奨」&br()「失業手当・国民皆保険制度の整備」&br()「議会と首相選挙における男女平等選挙の実現」|BGCOLOR(PowderBlue):260|BGCOLOR(PowderBlue): 護憲派リベラル政党である民正党と正政党が合流して誕生した政党で、「議会中心主義」の理念を標榜としている。| |&bold(){立憲&br()社会党}|中道&br()社会主義|野党|都市労働者&br()鉱山労働者&br()小作人|「議会と首相選挙における男女平等選挙の実現」&br()「労働基本権含む社会権確立」|91|中道社会主義政党、左派政権誕生時にその暴力的政治に反対して、政権側へ転向した者が中心となって結党された政党である。| |&bold(){皇防党}|保守|野党|退役&br()軍人|「退役軍人の生活保障」&br()「農村支援」|42| 退役軍人セン・ジュローによって結党された政党&br()近年では[[レオネッサ王国]]の&bold(){ファシスト党}に感化された議員が多く、「公共投資推進」と「デフレ政策」を主張する議員が現れ、都市労働者・ホワイトカラー・小作人にも支持基盤を広めている。| |&bold(){国民&br()同盟}|中道&br()左派|野党|中産階級&br()リベラル|「行財政整理」&br()「労働および小作問題の立法的解決」&br()「軍備縮小」&br()「[[清河人民社会主義共和国]]との平和外交・貿易振興」|7|「緊縮財政と減税」を理念とする政党である。| |&bold(){人民&br()革命党}|極左|活動&br()停止|||0|武装蜂起で一時期、ゾロタ列島を支配した政党、暴力革命によって、地主・実業者を殺害し、無軌道な政策によって都市で物不足を引き起こしたため、人気はほぼ皆無、現在は無期限の活動停止処分を下されており壊滅状態である。| |&bold(){中道党}|[[浮屠教]]|野党|地方&br()農民|「公立学校における道徳教育の義務化」|6|浮屠教系政党である。| |&bold(){ファンシズム&br()正義党}|右翼|野党|ジャーガルク人右翼&br()ヴェネーツィア系住民|「資源獲得」&br()「国防強化」|3|プレコルドンナ道の有力な政党&br()[[レオネッサ王国]]のファシズムを模倣している一方、カリスマのある美少女が国民を統括すべきという独自の思想がある。| **&bold(){・司法(裁判所)}  三審制かつ裁判官裁判制であり、地方裁判所・家庭裁判所の上に高等裁判所((国にそれぞれ2ヵ所づつ))さらにその上に最高裁判所が存在する。裁判官は学歴重視&エリート主義の傾向が強く、君主による恩赦でさえ「君側の奸が考えたものである」という理由により無視する場合がある。 **&bold(){・地方行政}  ジャーガルク・シャー国は一部地域を除き国民意識が強く、第1層の行政区分である&bold(){国}は形式的・儀礼的なものとなっており((国の首長は皇位継承者の称号に含まれている))第2層の&bold(){道}・&bold(){県}が実質的に最大の行政区分の単位として地方行政を担い、その下に&bold(){市町村}が存在する。  県の首長は首相と同じ方法で選ばれ、緊急事態発生の場合を除き年に60日以上首都に滞在することを義務付けられており、県議会は地域によって差があるが一般的に民会と同じ方法で選ばれた議員によって構成され、また特例として地理的事情により&bold(){プレコルドンナ道}には独自の最高裁判所が存在する。 **&bold(){・ヤケ・クリルタイ}  7616年に誕生したジャーガルク本国とプレコルドンナ道及び保護国の代表が一堂に会して諸国の利害関係を調整する議会、5分の4以上の賛成で全参加国・地域における法律より上位に位置する規定を定めることができる。 ・&bold(){議席数及び議員選定方法} |国名|議席数|議員選定方法|h |&bold(){ジャーガルク・シャー国本国}|60議席|20歳以上の男女による普通選挙| |&bold(){プレコルドンナ道}|30議席|現地議会の議決による指名と首長による任命| |&bold(){[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]}|31議席|18歳以上の男女による普通選挙| |&bold(){[[ムスルマーネン=カリフ国]]}|15議席|カリフの指名と任命| |&bold(){[[トゥガ国]]}|15議席|高僧会議よる指名とカーマルによる任命| ***&bold(){・国内従属国} |国名|首長|詳細|人口|h |[[ムスルマーネン=カリフ国]]|[[アババ3世>アババ・アル・アババ・ラード]]| ファンシュー地区の南に存在するメトラ教国、[[ジャーガルク・礼戦争]]後に保護国化した。&br()[[詳細は個別ページへ>ムスルマーネン=カリフ国]]|約50万人| |[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]|ウィリリ・シンシー| ジャーガルク領グラニツァ植民地に存在する原住民の自治政府、元々は[[レオネッサ王国]]の新大陸進出に対抗するため、有翼人5部族が同盟を組んだのが始まり、&br()三権分立・議会制民主主義・男子普通選挙等、近代的制度が整備されている。|約250万人| |[[トゥガ国]]|[[カーマル32世]]|[[清河人民社会主義共和国]]の侵攻から保護するため保護国化した。|約40万人| &bold(){・国籍}  ジャーガルク・シャー国の国籍は&bold(){血統主義}に基づき、両親又は片親がジャーガルク国籍保有者である場合付与される。またジャーガルク領に連続して5年以上在住している場合は、犯罪歴等がある場合を除き手続きを経て、ジャーガルク国籍を獲得することができる。 *&bold(){・経済} **・農業 &bold(){・ジャーガルク・シャー国の食糧生産量(7615年度)} |種類|生産量|主な生産地|h |&bold(){米}|約1810万t|ゾロタ列島(約900万t)&br()ゼン国(約450万t)&br()ファンシュー地区(約300万t)&br()プレコルドンナ道(約100万t)&br()ハルラ盟国(約60万t)| |&bold(){小麦}|約2000万t|全国| |&bold(){大麦}|約800万t|ハルラ盟国| |&bold(){大豆}|約635万t|ハルラ盟国| |&bold(){蕎麦}|約100万t|ゾロタ列島&br()ゼン国&br()ファンシュー地区| |&bold(){粟}|約1000万t|ハルラ盟国| |&bold(){高粱}|約900万t|ハルラ盟国| |&bold(){トウモロコシ}|約800万t|ハルラ盟国| |&bold(){ジャガイモ}|約1000万t|ハルラ盟国| |&bold(){砂糖大根}|約1000万t|ハルラ盟国| |&bold(){茶葉}|約10万t|ゾロタ列島&br()ゼン国&br()プレコルドンナ道| |&bold(){綿花}|約100万t|ハルラ盟国| |&bold(){天然ゴム}|約60万t|[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]&br()プレコルドンナ道| |&bold(){カカオ}|約20万t|[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]&br()プレコルドンナ道| |&bold(){油松液}|約5000t|ゾロタ列島&br()ハルラ盟国|  国土が南北に長いため地域によって栽培される作物に差があり、また現政権より農業の大規模化・近代化((区画整備とトラクターの導入))と各地への&bold(){農場試験場}設立が進められているため農業生産量は増加している。ゾロタ列島・ゼン国では古代からの水耕栽培によって耐冷性を獲得した&bold(){米}が雪解け水を利用して栽培されており、ジャーガルクの人口を支えている。  またハルラ盟国南部を中心に&bold(){黒土地帯}が広がっているため、&bold(){エルリナン可汗時代(7205年~7547年)}より開墾が進み、&bold(){大豆・小麦・大麦・粟・稗・ジャガイモ・砂糖大根・高粱・綿花}の大規模栽培が盛んである。さらにプレコルドンナ道北部や[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]では&bold(){カカオ}やプランテーションによる&bold(){天然ゴム・コーヒー豆}などの生産が行われている。  プレコルドンナ道領有以後は同地南部の[[ヴェネーツィア系>レオネッサ王国]]住民がワイン用ブドウを栽培していたため、&bold(){白ワイン}を中心に今までほぼ[[レオネッサ王国]]や[[カノミス王国]]からの輸入に頼っていたワインを自国内で生産し、供給できるようになっている。さらに固有種として油松という樹木が存在し、この木の樹液を精製することによってオクタン価の高い航空燃料を生産することができる。しかし油田から生産するより生産量が少ないという問題がある。 **・酪農・遊牧 &bold(){・ジャーガルク・シャー国の家畜飼育数} |家畜名|頭数|h |&bold(){牛}|約400万頭| |&bold(){馬}|約450万頭| |&bold(){羊}|約2000万頭| |&bold(){山羊}|約500万頭| |&bold(){駱駝}|約68万頭| |&bold(){ジャーガルクザウルス}|約20万頭| |&bold(){飛行鳥馬}|約10万羽| |&bold(){豚}|約120万匹| |&bold(){ヤク}|約55万頭| |&bold(){ダチョウ恐竜}|約100万頭|  古代より北部ハルラ盟国の&bold(){高原地帯}を中心に遊牧で生活を立てる者が多く、特に&bold(){牛・馬・羊・山羊・駱駝・ジャーガルクザウルス}は六畜と呼ばれ数多く飼育されており、近年ではトウモロコシなどを飼料とすることによって、&bold(){肉・乳牛・羊毛}の生産量を増加させている。  一方[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]では&bold(){サバナ地域}を中心にダチョウ恐竜の放牧が盛んであり、現地の郵便・運輸で活躍している。また&bold(){プレコルドンナ道}南部サバナ地域では本国からの移住者を中心に遊牧を営む者が多くいる。  そのため&bold(){ホロート}((チーズの一種))や&bold(){馬乳酒}などの&bold(){乳製品}生産量は非常に多く、また7550年代以降、イクファターナ諸国より&bold(){レンネット}を工業的に量産する手法も導入されたため各地に乳製品工場が存在するが、北部の所謂"チーズが主食の人々"を中心に消費量も多いため輸出量は少ない **・水産業  ゾロタ列島を中心に遠洋漁業が盛んであり、特に&bold(){ゴーシュ海}では&bold(){トロール網・底引き網}を利用し、千数百隻の船団が効率的に&bold(){タラ・イワシ}などの魚を生産している。一方で大陸内部のシィル海では&bold(){養殖漁業}が盛んであり、特に&bold(){キャビア}の生産は外貨獲得の一翼を担っている。  またゾロタ列島を中心に貝類の養殖も盛んであり。&bold(){養殖真珠・牡蠣・ホタテ・ホヤ・昆布・ワカメ}などが生産されており、北部の&bold(){リアス式海岸地帯}を中心に生産された&bold(){身欠きニシン・煎りナマコ・干鮑}などの乾物は特産品として需要がある。 **・鉱業  ハルラ盟国北部&bold(){アールサス山脈}を中心に&bold(){鉄・銅・タングステン・鉛・錫・亜鉛}などの優良な鉱山や&bold(){炭鉱}が存在し、またファンシュー地区の境には&bold(){可採埋蔵量16億バレルの油田(ダイケ油田)}あり、&bold(){ハルラ盟国}を中心としたジャーガルクの重工業を支えている。  [[トゥガ国]]は&bold(){軟石翡翠}の産地として[[韓王朝]]の時代より有名であり&bold(){トゥガ玉}としてブランド化されている。一方で近年、ゾロタ列島ではボーキサイトが産出されるようになり、航空産業発展の原動力となっている。基本的に資源が豊富であるが、&bold(){オランダ病}による国内産業の停滞を防ぐ為、資源の輸出には高い税金が課せられている。 **・工業・商業 ***・軽工業  開国初期には[[ソフィア王国]]を筆頭としたイクファターナ諸国より&bold(){ミュール紡績機}・&bold(){リング精紡機}・&bold(){力織機}を導入して官営工場を多数設立、以後官営工場の払い下げによって、熟練労働者や技術が民間企業に流れたため繊維産業は大いに発展した。特にゾロタ列島では島内農家が育てた&bold(){絹}や鉄道・海上輸送で運ばれたゼン国・ハルラ盟国産の&bold(){綿花}を原料とした軽産業が盛んである。 ***・重工業  ジャーガルクでは古代より砂鉄を原料とした&bold(){たたら製鉄}が製鉄業の中心であったが、&bold(){エルリナン可汗時代}の末期より大砲製造を目的とした石炭と鉄鉱石による&bold(){反射炉}建設が各地で進められ、&bold(){7542年}にアーカ市でジャーガルク初の&bold(){銑鋼一貫製鉄所}が造られて以降、&bold(){ハルラ盟国}を中心に各地で製鉄所が建造された。  その為、ハルラ盟国では山岳地帯に炭鉱と鉄鉱山などが存在するという利点を生かした、&bold(){銑鉄}・&bold(){鋼鉄}生産等の製鉄業を中心とする&bold(){原料立地型}重工業が盛んであり、Ja重工業など大企業の本社もヴァルヒニー・ミニストにある。  近年では作業者のスキルに依存した部分を減らし、製品品質を均一化するために&bold(){ライン生産方式・ベルトコンベア生産方式}の導入や、&bold(){旋盤・フライス盤}など工作機械の国産化、さらには&bold(){マザーマシン}の国産化が図られている。一方、&bold(){ゾロタ列島}では重工業の発展が遅れていたが、ボーキサイトが産出されるようになったことにより、ペーハス航空機製作所製やHMP研究所など、新しい企業による航空産業も盛んとなっている。 &bold(){・その他}  ファンシュー地区では龍盟社が大きな利権を有しており、合弁事業投資と農場・鉱山経営をおこなっている。また国土が広く、近くの店に薬を買いに行けない者が遊牧生活者を中心に多いため、ターラ製薬を中心に&bold(){配置販売業}を展開している。  一方、国内従属国である[[ムスルマーネン=カリフ国]]では資源も特産品も産業も無いため、&bold(){中間貿易}((メトラ商人の半数はムスルマーネン人と言われている。))と&bold(){奴隷}販売が主な産業となっている。但し、産業勃興後は成人男性奴隷の需要が皆無となり、代わりに労働者の斡旋業務が主な産業となっている。一方で、女性・少年奴隷の需要は愛玩用として未だ存在し、様々な人種が販売されている。(但しジャーガルク人を奴隷化、販売すると総督府の保護領警察によって罰せられる。)   **&bold(){・企業} |企業名|分野|詳細|h |&bold(){PKP工業グループ}|紡績機&br()自動車&br()工作機械|&bold(){紡績機・織機}メーカーを母体とする企業グループ、自動車製造ではシェアのトップを占めており、&bold(){75式8t/5t輸送車}はこの会社の設計である。&br()一方で本業である紡績機・織機製造においてもシェアのトップを占めており、&bold(){家庭用ミシン}から&bold(){リング精紡機・ジャカード織機}まで幅広く製造している。| |&bold(){ペーハス航空機製作所製}|航空機|元陸軍航空隊大尉であるペーハスによって創立された航空機メーカー、本邦の主力戦闘機である&bold(){75式戦闘機ハヒーブサ}や&bold(){76式爆撃機}を設計したメーカーでもある。| |&bold(){HMP研究所}|航空機|農場で利用される小型機を研究しているメーカー| |&bold(){デバン社}|石油化学製品&br()肥料&br()火薬|化学製品メーカー、元々は木酢液を用いた農薬のメーカーであった。| |&bold(){ターラ製薬}|製薬|元々は香辛料の販売業者であったが&bold(){樟脳}事業によって発展、現在は遊牧生活者向けの&bold(){配置販売業}によって事業を拡大している。| |&bold(){Ja重工業}|自動車&br()製鉄&br()工作機械&br()航空機&br()造船|海運業者から発達した財閥の重工業部門、本社は首都ではなく、古来より製鉄が盛んな&bold(){ハーヴァニュエ}にある。&br()また&bold(){75式8t/5t輸送車}や&bold(){75式戦闘機ハヒーブサ}・&bold(){76式爆撃機}をライセンス生産している。&br()(75式戦闘機に至ってはペーハス航空機製作所製より生産している。)| |&bold(){龍盟社}|食品&br()農場経営&br()鉱山経営&br()金融&br()鉄道&br()建築&br()電力事業|ファンシュー地区開発のため、設立された特殊企業| |&bold(){ルゥ社}|食品|馬乳酒のものに近い酵母を用いて乳酸飲料&bold(){バル}など乳製品を中心に様々な食品を製造しているメーカー、バルの原液は濃いためそのままの飲料には適さないため、水で希釈して飲用する。兵士の健康飲料として軍でも瓶詰の物が配給される。| |&bold(){パステ食品}|食品|タラなど北限海産の魚介類を用いて練り物を製造しているメーカー| |&bold(){アフマド石鹸}|日用品|ムスルマーネンで伝統的なオリーブ使用の石鹸を製造していた職人が創業したメーカー、大変質の良い石鹸を製造しており、軍の標準装備にもなっている。| |&bold(){ライ電気}|機械製品|7601年に誕生した企業、元々は活版印刷機を製造するメーカーであったが、その技術を生かして&bold(){歯車式計算機}や&bold(){計算経過と結果を印字できるコンプトメーターの製造}を開始ており、また近年陸軍の要望で&bold(){ローター式・電気機械式暗号機械}の研究も行っている。| |&bold(){駅伝通信}|電気製品|電話機製造メーカーであり、&bold(){ダイヤル式電話機}生産が主力、&br()近年プレコルドンナ道領有によりワインが安定して供給できるようになったため、&bold(){ロッシェル塩}を利用した&bold(){無線機・レーダー・ソナー}の製造・研究も手掛けるようになっている。| |&bold(){イルゲン精密機器}|時計&br()工作機械|クリルタイ議員で宝石商が創業者の企業、&bold(){クロノメーター}・&bold(){機械式腕時計}を製造しているが、トーリー製・[[ソフィア王国]]製・[[アトリオン>立憲王政アーカルソン=リペルニア]]の製品には品質で負けると言われている。| |&bold(){人馬物流}|運輸|モスン帝国に臣従したケンタウロスの行政単位「万人隊」を前身とする企業、「万人隊」時代には人を乗せなくて済み、その分速くor長く走れることを生かして、軽騎兵部隊として主に偵察で活躍した。&br()帝国崩壊後は地方勢力として物流にも携わり、近世までその命脈を保ち、近代化以後、軍の近代化・中央集権化に伴い、多数のケンタウロスが軍籍に入った一方、一族が長く物流に携わった経験を生かして輸送業者を創業、鉄道駅から目的地への&bold(){端末物流}で特に需要があり、近年では手紙等、軽い荷物の配送で[[ピスカ>ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]出身の有翼亜人社員が活躍している。| |&bold(){八神製紙}|製紙|&bold(){吉良ツクヨミ}が創業した製紙業者、ハルラ盟国北部産の安価なパルプ材に注目し、さらに紙のリサイクル技術を大規模に導入して利益を拡大、近年は大学ノート等も販売している。| *&bold(){・メディア} **・新聞  新聞は&bold(){個別宅配新聞}が発達しており、新聞社の収入は広告収入よりも販売収入の方が多く、その為スポンサーは少なく内容が充実しているとされている。元々、ジャーガルクの新聞は政党が発行し政治を主題とする&bold(){大新聞}と、政治や経済について平易に解説し、更に&bold(){小説}や&bold(){読者相談}を掲載する&bold(){小新聞}が存在したが、小新聞の方が大衆に受けたため、現在の主流な新聞は小新聞の系譜に属している。 ***&bold(){・主な新聞} |名称|言語|傾向|詳細|h |&bold(){官報}|ジャーガルク語||ジャーガルク本国の新聞、法律の公布・廃止を主に掲載している。| |&bold(){集会報告}|ジャーガルク語版&br()ピスカ語版並立||ピスカの官報、法律の公布・廃止を主に掲載する。| |&bold(){帝国新聞}|ジャーガルク語|中道右派|以前は社会福祉政策よりもインフラ整備に出資すべきという主張を行っていたが、近年[[レオネッサ>レオネッサ王国]]の&bold(){ファシズム}に影響を受け、両者のマッチングと&bold(){経営者}と&bold(){労働者}の協力を謳っている。&br()掲載している小説は愛国的な&bold(){高原青年小説}が多いとされる。| |&bold(){新通国新聞}|ジャーガルク語|中道左派|労働基準法の徹底を謳っており、労働環境の悪い企業に対しては批判的(逆に労働環境の良い企業に対しては好意的な記事を書く。&br()掲載している小説は&bold(){東方武侠小説}が多いとされる| |&bold(){ダルマ新聞}|ジャーガルク語|左派?|政府の政策を滑稽な挿絵付きで、皮肉っぽく報道している。&br()掲載している小説はエログロナンセンスな&bold(){南方猟奇小説}が多いとされる。| |&bold(){憂国通信}|ジャーガルク語|極右|&bold(){イクファターナ諸国}の脅威を主張し、近年では他文明を呑みこむ粘菌文明である&bold(){「ヤード帝国主義」}の脅威を特に主張している。&br()一方で、何故か[[ザルバチ>ザルバチ海岸共和国]]や[[ソフィア>ソフィア王国]]の&bold(){国民福祉党}を賛美している。しかし売り上げは他の新聞より少ないとされる。| |&bold(){有翼言論}|ジャーガルク語版&br()ピスカ語版並立|中道左派|主に有翼亜人を含む亜人の世界的権利向上を主張している。| *&bold(){・インフラ} **・交通  &bold(){7522年}の開国以来イクファターナ諸国が鉄道の共同敷設を打診してきたが、時の可汗政権は外国勢力による鉄道敷設が植民地化につながるとして拒絶、しかしその後軽工業を中心とした製造業の発展に対して従来の海運による輸送では不十分という意見が政権内で発生し、軽工業と鉄鉱石の輸出で得た外貨を資本としてお雇いイクファターナ人指導の下、アトリオンから輸入したレール・鉄橋・車両を用いて古都バスナァー-タビラ・ゾロテ・プラト間を繋ぐ国営鉄道が&bold(){7559年}に開通、以後技術の国産化を進めつつ、各地に国営鉄道が敷設され殖産興業に貢献した。  一方製造業を中心とした私有資本による郊外鉄道敷設及び運営も進んでおり、特にファンシュー地区の鉄道は60%以上龍盟社によって運営されている。また古都&bold(){バスナァー}と冬都&bold(){ヴァルヒニー・ミニスト}では&bold(){路面電車}が、&bold(){タビラ・ゾロテ・プラト}では&bold(){地下鉄}が敷設され、市民の足となっている。  トンネルの多いアールサス山脈・白雪山脈付近では鉄道の&bold(){電化・ディーゼル車両}の導入が進められており、[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]では煤煙によって大気を汚すことが好まれないため、近年鉄道敷設が開始されたということもあり電化率は100%となっている。  海運の面では国土が海で3つに分かれているため&bold(){沿海航路}を中心に古来より盛んであり&bold(){ディーゼル船}の普及も進んでいる。特に製造業者が原料や製品の輸送のために海運を多用しているため国内航路も多い、また国が地方との緊急時航空連絡網構築政策の下積極的に出資をおこなっており、ブラック・キャリア企業である&bold(){ピガスッス社}を中心に民間企業が航空事業をおこなっている。 **・通信  &bold(){電信}は開国以来イクファターナ諸国が共同敷設を打診してきたが、&bold(){7560年}にこちらもお雇いイクファターナ人の指導の下、ソフィア王国制の機材を用いて、古都バスナァー-タビラ・ゾロテ・プラト間に敷設、以後&bold(){7580年}までに全ての主要都市・県庁所在地が電信で繋がれた。また都市部を中心に電話の導入が進んでおり、近年では&bold(){ダイヤル式の電話}も使われるようになっている。  一方で7601年より国立大学や新聞社によって国政選挙の投票結果等が実験的にラジオで放送されるようになり、7603年に政府支援の下「&bold(){ジャーガルク放送網協会}」が結成され、7604年の[[キルクス]]開催に合わせて全国でラジオ放送が受信できるよう各地にラジオ局開設が進められた。現在では&bold(){真空管}を用いた国産ラジオが爆発的に売れており、聴取世帯数も500万を突破して、娯楽としての地位も確立しつつある。 ***・ラジオ局 |局名|言語|詳細|h |&bold(){ジャーガルク放送網協会}|ジャーガルク語|国立放送局、ニュースだけではなく、ラジオ体操やラジオドラマさらには音楽(殆どクラシックか軍歌)の放送も行っており、&br()特に&bold(){青春冒険活劇}という様々なジャンルのラジオドラマを放送する番組は国内で人気を博している。| |&bold(){アッサル・フッサヒフ}|ジャーガルク語&br()メトラ語&br()の2種類|元は狐亜人系財閥の[[白虎財閥]]が所有する局だったが、同財閥崩壊後は[[アババ3世>アババ・アル・アババ・ラード]]が所有する放送局となっている。&br()唯一ラジオで企業宣伝を行っており、社会学者が如何に亜人国家やタヴェリア人国家が悲惨であり、一方で奴隷となった者が幸福であるかを紹介する番組や、野蛮で知能の低い奴隷が奴隷主の慈悲深い活動に反抗し、自滅的な行為を行ったかを紹介するニュースが流れている。&br()またラジオドラマも野蛮な国で元自由人が邪悪な専制君主に苦しめられる物や、奴隷となって初めて教育を受け、幸福な生活を送る内容が多くある。| **・電力  総発電量の60%以上が水力発電によるもので&bold(){水主火従}であり、7589年に最初のコンクリートダムが造られ以降、各地で大規模な多目的の&bold(){重力式コンクリートダム}が建造され、&bold(){7620年}には提高100以上のダム(スープダム)が完成予定である。また都市近郊を中心に石炭火力発電所が数多く存在する。 *&bold(){・外交関係}  ジャーガルク・シャー国は基本的に半獣人が主要人種であり、また宗教も独自の多神教が主流であるため、諸外国とは人種的・文化的に隔絶した国であると自任している、そのため国際的に孤立してかつての亜人狩りのような状態に陥ることを防ぐため、 ①イクファターナ諸国にとって我が国は異民族・異教徒の国であり、容易に敵視されてしまう。しかし一方で技術的・国力的には彼らの方が優勢であるため対立を極力避ける。 ②それでも対立してしまった場合に備えて獣人が多く、また宗教的にも対立する可能性が低いタヴェリア・シンガ諸国と攻撃された場合の共同防衛を目的とした条約を結び、イクファターナ諸国からの武力攻撃を抑止し、最悪の場合に備える。 という外交戦略を((少なくとも外務省は))取っている。 |国名|我が国からの輸出品|我が国の輸入品|h |[[ザルバチ海岸共和国]]|陶磁器&br()金属インゴット&br()機械部品&br()電気部品&br()自動車&br()肥料&br()燃料&br()衣料品&br()高級服|綿花&br()石炭&br()天然ゴム| |[[ハダカンボ王国]]|穀物&br()薬品&br()鉄製品&br()酒&br()肥料|熱帯木材&br()貴金属&br()果実&br()ゴム| |[[ソフィア王国]]|陶磁器&br()金属インゴット&br()セメント&br()ガラス&br()缶詰&br()燃料&br()衣料品&br()高級服|薬品&br()機械部品(工作機械など)&br()電気部品&br()ワイン| |[[立憲王政アーカルソン=リペルニア]]|陶磁器&br()金属インゴット&br()セメント&br()ガラス&br()缶詰&br()燃料&br()衣料品&br()高級服|薬品&br()機械部品(工作機械など)&br()電気部品&br()蒸留酒| |[[リントヴルム朝ヤード帝国]]|陶磁器&br()金属インゴット&br()セメント&br()ガラス&br()缶詰&br()燃料&br()衣料品&br()高級服|薬品&br()機械部品(工作機械など)&br()ゴム| |[[レオネッサ王国]]|陶磁器&br()金属インゴット(特にタングステンの需要がある)&br()セメント&br()ガラス&br()缶詰&br()燃料&br()衣料品&br()高級服|武器&br()機械部品&br()電気部品&br()パスタ| |[[フォンタニエ辺境伯国]]|砂糖&br()綿布&br()衣類&br()薬品&br()缶詰|あったっけ?| |[[清河人民社会主義共和国]]|砂糖&br()綿布&br()衣類&br()缶詰|アブナイ思想| |[[カラシュ公国]]|陶磁器&br()衣類&br()缶詰&br()砂糖|| |[[フィルモア合衆国]]|陶磁器|アニメ映画&br()機械部品&br()電気部品| |[[インティ帝国]]|魚類|| |[[シンファナ=タンクレート共和国連合]]|陶磁器|| |[[カノミス王国]]||| |[[ゴーシュ共和国]]||| **・対[[ザルバチ海岸共和国]]外交  半獣人中心・多神教・立憲君主制の我が国に対して、白人至上主義・円十字教至上主義・革命主義のザルバチ海岸共和国(以下ザルバチという略称を用いる)はイデオロギー的な側面から対立する可能性が高いと認識されている。  しかし一方で無暗にザルバチと対立するのは危険であるという意識も存在し、両国の間では貿易が盛んにおこなわれている。またザルバチ国内でもジャーガルクのパスポートを提示すれば差別行為や暴行を受けることなく「名誉白人」として扱われる。 **・対[[ハダカンボ王国]]外交  熱帯木材や天然ゴムなどの貿易が盛んにおこなわれており。また未開発の国土は優良な投資先であると捉えられている。ハダカンボ王国近海は優良な漁場であり我が国の遠洋漁船が公海上で漁をおこなっている。しかし一方で軍部を中心に南進論者も多く、大戦終結後の経済不振をハダカンボ王国に対する対外進出によって解決するべきであるという意見も多くある。 **・対[[ソフィア王国]]外交  7510年代に関税・司法制度の未発達を理由として不平等条約を締結したが、[[ジャーガルク・礼戦争]]時にはタヴェリアにおける[[リントヴルム朝ヤード帝国]]の勢力拡大を防ぐ為、我が国の戦時国債を[[立憲王政アーカルソン=リペルニア]]と共に購入し、また7586年には不平等条約の改正をイクファターナ諸国の中では最初におこなった。  また[[前大戦時>ヤーディシア大戦]]においては弾薬・食糧を中心とした軍需物資を我が国から輸入し、その結果として我が国の重工業化がさらに進んだ。 **・対[[立憲王政アーカルソン=リペルニア]]外交  [[ソフィア王国]]と同じ理由で7510年代に不平等条約を締結したが、[[ジャーガルク・礼戦争]]時にはタヴェリアにおける[[リントヴルム朝ヤード帝国]]の勢力拡大を防ぐ為、我が国の戦時国債を最も多く購入し、また戦後の7588年には不平等条約を改正している。前大戦時においては食糧と軍需物資を我が国から輸入し、その結果として我が国の重工業化がさらに進んだ。 **・対[[リントヴルム朝ヤード帝国]]外交  世界最強の国家であるヤード帝国に対し、我が国は細心の注意を払い接すべきであると考えている。特に軍部はヤード帝国と1対1で戦った場合必ず敗北すると確信している。前大戦においては連合国を積極的に支援したが、大戦中はこっそりヤード帝国にも軍需物資を売っていたため、一応、今のところは決定的に対立しているわけではない、 **・対[[レオネッサ王国]]外交  ヤード帝国の次に強力な国家であり、地理的にもシンガに近いため軍部は警戒している。しかし特に対立しているという訳でもなく、また軍部や内務官僚の中にはレオネッサのファシズム政策を評価し、我が国でも同じような政策を採るべきと主張する者がいる。 **・対[[清河人民社会主義共和国]]外交 ・条約:[[ジャーガルク・清河不可侵及び通商条約]] ジャーガルクの仮想敵国、軍部は今後30年以内に清河と開戦する((清河の工業化進展、国際関係の変化によって予想が外れる可能性はある))と予想している。しかし商人は気にせず食品や衣類を売っている((但し、信用の低い人民銭での取引は拒絶している。)) **・対[[フォンタニエ辺境伯国]]外交 新たな市場として注目している。特に未開発の国土に眠る資源と鉄道敷設権を買収しようとする企業は多い、しかし一方で輸送コストがネックとなっている。 **・対[[カラシュ公国]]外交  ジャーガルク人が狼の獣人・半獣人であるため、現地邦人が現地人に攻撃されるという事件が発生している。その為か、カラシュ公国からの輸入品には高い関税が掛けられており、またカラシュ公国に対して燃料・弾薬を輸出することは禁止されている。 **・対[[フィルモア合衆国]]外交  イクファターナ諸国程ではないが友好関係の構築を目指しており、特に&bold(){陶磁器}や&bold(){キャビア}などの趣向品を売り込んでいる、しかし一方でフィルモアが&bold(){アババ二スタン}の奴隷に関して発言しているのに対し、同地に領土的野心があり、軍事介入の可能性があるのではと軍部は警戒している。 **・対[[インティ帝国]]外交 広大な領土と未発達な工業という条件より、市場として期待しており、数種類の資源を輸出している。しかしアババ二スタンに近いという地理的条件上、同地に介入しないか警戒している。 **・対[[シンファナ=タンクレート共和国連合]]外交 社会主義的傾向が強い一方、清河と違い"話せる相手"であるため、遠交近攻外交の担い手として期待している。 **・対[[カノミス王国]]外交 市場としても小さく、技術的・経済的にも不均等であるため他のイクファターナ諸国より軽視している傾向がある。 **・対[[ゴーシュ共和国]]外交 広大な国土は魅力的な市場であると見ている一方、その過激な亜人差別の矛先が我が国に向けられないか警戒している。 *&bold(){・軍事} &bold(){陸軍}・&bold(){海軍}・&bold(){空軍}・&bold(){兵站軍}の4軍が存在する **・陸軍  平時は&bold(){3単位制師団}で、&bold(){近衛騎兵師団}×2 &bold(){機動師団}×5 &bold(){歩兵師団}×11 &bold(){高射砲師団}×4 の合計22師団常設であり、戦時は100師団動員(1個師団の連隊数を減らせば多分)できる…と一応言っており、軍刀として伝統的な片刃の湾刀が使用されている。  また餌となるものは少ない荒れ地で馬や鳥馬類を飼育していたことと、島で遊牧していたための&bold(){島嶼化}により馬や鳥馬は他の地域と比べ小型であり、そのため近代において砲を牽引する動物が確保できないという問題が発生したため、&bold(){牽引用のトラクター}や&bold(){自走砲}が積極的に導入されている。  ドクトリンは&bold(){浸透戦術}と&bold(){偽装撤退からの反転包囲}が好まれ、騎兵部隊は各国が機関銃を正式採用していく中で「家族の一員である馬や鳥馬を機関銃陣地に突入させるのは言語道断である」という意見が優勢となったため&bold(){夏都タビラ・ゾロテ・プラト}及び&bold(){冬都ヴァルヒニー・ミニスト}の部隊以外では解散されている。 しかし戦時には&bold(){チェスタクォ人}を中心としてチェスタクォ山岳少数民族師団((通称野狼師団))や義勇騎兵部隊が結成されることもある。 ***・徴兵制  ジャーガルク陸軍は開国から&bold(){7610年}までの間に徴兵制を敷いており、成人男性は徴兵検査によって身体能力別に&bold(){甲-乙-丙-丁-戊}の5種類に分けられた、しかし予算不足から平時の兵数は少なく、実際に現役兵となったのは甲種に合格した者の内、兵役を希望した者からの選抜者であり、徴兵率は精々&bold(){1割~2割}程度であった。  その後、&bold(){自由党}が議会の過半数議席を獲得し、徴兵による経済的負担と生産層減少の問題を解消すべく徴兵制度を改革、&bold(){常備兵}を&bold(){志願制}とする代わりに、甲・乙合格者が予備役となり、定期的に訓練を受け、一定の給与を与えるという形となった、また予備役の内、大学に在籍している者は予備士官講座を受講する事ができ、一定の単位を獲得する事ができる。  ジャーガルク人は子沢山で1人当たりの相続額がどうしても減ってしまう一方、軍人は給与が高く、衣食住が完備されているため、志願倍率は高い、またヤーディシア大戦時には&bold(){援連義勇軍}が結成((朝鮮戦争時に中国が結成した義勇軍みたいなもの))され、多くの若者が義援金((出何処は不透明))による給与と帝国に対する略奪目当てに参加した。 ***・主な装備 |名称|分類|使用弾丸|採用国|詳細|h |&bold(){48式&br()小銃}|軍用ライフル|6.5mm弾|ジャーガルク兵站軍ピスカ警備隊&br()フェーデ警備サービス&br()ムスルマーネン植民地警備隊&br()カリフ親衛隊|過酷な戦場でも使用に耐えるよう、&bold(){タングステン合金銃身鋼}を用い、機関部の構造の簡素化・遊底と連動する&bold(){遊底被}を追加し、・&bold(){扇転式照尺}を装備、弾倉発条をコイルスプリングから&bold(){板バネ}に変更、手袋着用時のための用心鉄(トリガーガード)を拡大、メトフォード型ライフリングの採用等の改良が施された小銃| |&bold(){77式&br()小銃}|軍用ライフ|7.5㎜弾|ジャーガルク陸軍|露呈、機動性向上のため、銃身の短縮、総重量の軽減が図られ、部品のゲージ規格化と品質管理を導入し、フロントサイトガード(照星座)・上部被筒・小銃擲弾の装備、等の改良を行い、7.5㎜弾を採用した48式小銃の改良型小銃| |&bold(){68式&br()拳銃}|自動拳銃|8㎜弾&br()変更↓&br()9㎜&br()パラベラム弾|ジャーガルク全軍&br()ピスカ警備隊&br()フェーデ警備サービス&br()ムスルマーネン植民地警備隊&br()カリフ親衛隊| 元々は騎兵部隊の馬上から撃ちやすい拳銃(ピストルカービン)が欲しいという意見より開発され、その後簡単に速謝ができるという理由から騎兵だけではなく空軍・海軍航空隊・兵站軍輸送部隊・戦車部隊の自衛及び護身用自動拳銃として正式採用された。&br()またショルダーストックを用いて馬上から射撃でき、長い銃身と重心が前にある設計により射撃の命中率が高いという理由からハルラ盟国の遊牧生活者を中心に護身用自動拳銃として人気がある。&br()[[https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=49988936]]| |&bold(){72式&br()短機関銃}|短機関銃|45ACP弾|ジャーガルク兵站軍&br()フェーデ警備サービス&br()ムスルマーネン植民地警備隊&br()カリフ親衛隊| [[ジャーガルク・礼戦争]]時の、従来の着剣小銃は銃身が長すぎて取り回しずらく連射能力が低いため、熱帯雨林や塹壕など近接戦闘が多発する戦場において白兵戦には不向きという戦訓より、ボトルアクション小銃を補完する銃として68式拳銃を設計したガン・キペックによって開発された短機関銃、後続の90式短機関銃と共にタイプライターという通称が存在する。| |&bold(){76式&br()短機関銃}|短機関銃|9㎜弾|ジャーガルク全軍| 68式拳銃・72式短機関銃を設計・開発したガン・キペックが72式短機関銃の後続として開発した短機関銃、バナナ型弾倉が特徴である。| |&bold(){77式&br()ポンプ銃}|ポンプ式&br()ライフル||| ジャーガルクの銃器メーカが設計した空気銃、ジャーガルクでは7500年代中期に空気銃が伝来したが、火薬の銃より発砲音が少ないという理由で狩人を中心に空気銃、特に壊れにくく寒冷地でも使えるポンプ式の使用者が増加した。&br()その為、火縄銃職人を中心に空気銃の国産化が図られており、現在でも空気銃のブランドは多い、73式ポンプ銃はもともと民間向け猟銃であったがその命中精度と隠密性が注目され、軍の空挺浸透部隊に正式採用された。&br()また娯楽目的の亜人狩りでも広く利用され、野生の亜人狩りでは欠かせない装備となっている。| |&bold(){75式&br()8t/5t輸送車}|装甲ハーフトラック||ジャーガルク陸軍&br()兵站軍| Ja工業自動車部門の[[リントヴルム朝ヤード帝国]]出身技師によって設計された装甲ハーフトラック、技師曰く「戦場で求められるのは競馬場の美しく速い馬ではなく、持久力があり荒れ地でも走れる馬であるとヴァルヒニー・ミニストの騎射大会を見て思い知った」のが設計のイマジネーションとのこと、&br()機動師団を中心に(歩兵師団でも分散配備されている)運用されており、派生型として35㎜機関銃・75㎜砲・迫撃砲・を搭載した自走砲もどきも砲兵によって使用されている。| |&bold(){73式&br()軽装甲車}|豆戦車||ジャーガルク陸軍|| |&bold(){77式&br()軽装甲車}|豆戦車||ジャーガルク陸軍|| |&bold(){73式&br()随伴戦車}|軽戦車||ジャーガルク陸軍|45口径35㎜砲を搭載し、装甲は12mm~6mmである。| |&bold(){76式&br()随伴戦車}|軽戦車||ジャーガルク陸軍| 73式戦車より発展したジャーガルク軍の最新戦車、主砲を52口径35㎜砲とし、装甲も溶接・傾斜装甲を多用し、16~6mmとかなり強化されている。| |&bold(){77式&br()随伴戦車}|中戦車||ジャーガルク陸軍| 76式戦車から発展した車両、砲は52口径45㎜砲であり、装甲は35mm~15mmとなっている。| |&bold(){74式&br()弩級戦車}|重戦車||ジャーガルク陸軍| 多砲塔戦車、40口径45mm砲を2門搭載し、また重量を抑えるためリベットではなく溶接によって組み立てられている、しかし重量は約50tもある。| |&bold(){77式&br()対空火炎放射器&br()スミビヤキ}|対空火炎放射器||ジャーガルク陸軍| ジャーガルク軍が対有翼亜人兵用に開発した対空兵器、上空55mまで攻撃できるが、真上から敵が下りてきた場合、発射した燃える液体が射手に降りかかる。| |&bold(){75式&br()装甲軌道車}|装甲軌道車||ジャーガルク陸軍|| **・海軍  本土が島であり、飛び地が存在するのでけっこう予算をもらっている(地味な陸軍よりも選挙対策として目に見えて大きなものを作る海軍に対して予算審議権を有する議員が贔屓しているわけではない…はず)しかし地域海軍の域を出ていないと諸外国には評価されている。 ***&bold(){・現有勢力} -戦艦×7 -航空巡洋艦×5 -巡洋艦×21 -モニター艦×2 -駆逐艦×68 -海防艦×25 -水雷艇×25 -機雷敷設艇×18 -掃海艇×21 -巡洋潜水艦×18 -中型潜水艦×30 -給油艦×8 -輸送艦×10 -クレーン艦×2 ***&bold(){・航空機配備数} -空中駆逐艦:10隻 -戦闘機:68機 -爆撃機:62機 -襲撃機:62機 -輸送機:156機 -陸上偵察機:82機 -複座水上偵察機:212機 -三座水上偵察機:166機 -練習機:403機 -&bold(){合計1229機} &bold(){・主な艦艇} |艦名|分類|装備|h |&bold(){ドラコン}|超弩級戦艦|主砲:41cm連装砲4基&br()副砲:13cm連装高角砲8基&br()35㎜対空機関銃四連装機銃10基| |&bold(){オルカザス}|モニター艦|主砲:30㎝連装砲4門&br()副砲:15cm単装砲6門&br()13cm連装高射砲4基&br()35㎜対空機関銃四連装8基| |&bold(){トルゥ・クロック}|航空巡洋艦|15cm三連装砲2基&br()12cm連装高射砲6基&br()35㎜3連装機銃14基| |&bold(){モルスキーマルチ級}|軽巡洋艦|主砲:15cm単装砲2門&br()13cm連装高射砲4門&br()35㎜対空機関銃三連装5基&br()13㎜対空機関銃単装4基&br()60cm4連装魚雷3基&br()爆雷投下機2基&br()爆雷40個| |&bold(){プタシュニーピストーレ級}|軽巡洋艦|主砲:13cm連装高射砲8門&br()35㎜対空機関銃三連装7基&br()13㎜対空機関銃単装4基&br()60cm4連装魚雷1基&br()爆雷投下機2基・爆雷40個| |&bold(){キーヒダム・アドゥロン級}|潜水艦|8cm単装高射砲1門&br()35㎜対空機関銃連装1基&br()55cm魚雷発射管艦首4門&br()魚雷10本| **・空軍  陸軍航空隊を前身として7614年前に結成された軍であり、また近年の騎兵部隊削減政策によって元騎兵部隊出身の若者も多い、以下の航空機は海軍航空隊でも使用されており、また垂直離着陸可能な&bold(){コマンド部隊}として飛行鳥馬・ピスカ出身の[[有翼亜人]]部隊を4個連隊編成している。 ***&bold(){・現有勢力} -空中駆逐艦:20隻 -戦闘機:380機 -爆撃機:124機 -襲撃機:382機 -輸送機:456機 -偵察機:222機 -複座水上偵察機:102機 -三座水上偵察機:96機 -練習機:1013機 -飛行鳥馬:6000羽 -&bold(){合計2775機} ・主な航空機 |名称|最高速度|武装|解説| |&bold(){70式戦闘機}|410㎞/h&br()(高度3500m)|8㎜機銃2丁&br()20kg爆弾2発| Ja工業が設計した空冷複葉引込足戦闘機である。&br()[[清河人民社会主義共和国]]の海鸥(カモメ)戦闘機に対抗できる性能として開発されたが、誕生間もなく各国で単葉全金属戦闘機が開発・運用され始めたので、すぐ引っ込められた。| |&bold(){72式戦闘機}|470km/h&br()(高度3,500m)|8㎜機銃2丁&br()20kg爆弾2発|ジャーガルク初の空冷全金属低翼単葉戦闘機、旋回性能が高い| |&bold(){75式戦闘機&br()ハヒーブサ}|505km/h&br()(高度5500m)|13㎜機銃2丁&br()8㎜機銃2丁&br()50kg爆弾2発| ジュラルミンを使用したペーハス航空機製作所製の(Ja工業もライセンス生産している)空冷全金属低翼単葉引込足戦闘機である。| |&bold(){76式戦闘機&br()スティルカ}|530km/h&br()(高度5000m)|13㎜機銃4丁&br()20㎜ロケット砲1門|要撃に特化した戦闘機、双子エンジンかつ串型というゲテモノ戦闘機である。&br()https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=72916385| |&bold(){69式爆撃機}|180km/h&br()(高度3500m)|8㎜機銃1丁&br()50kg爆弾2発|イクファターナ某国から輸入した全金属複葉爆撃機| |&bold(){72式爆撃機&br()モテロク}|250km/h&br()(高度4500m)|8mm機銃8丁&br()20㎜機銃2丁&br()爆弾3000kg| 皇女の趣味…ではなく類稀な航空戦略によってイクファターナ某国の大型旅客機をライセンス生産して作った液冷全金属単葉4発爆撃機、&br()こんな大きくて低速な爆撃機はタラーン戦術の的だという空軍と機体が高額であることから量産に反対する財務省の具申により生産数は2機であったが、&bold(){76式無人飛行爆弾}の母機として有効であったため、現在20機が追加で生産される予定| |&bold(){73式爆撃機}|400km/h&br()(高度4200m)|爆弾800kg&br()20㎜機銃1丁&br()8㎜機銃4丁|全金属双発爆撃機| |&bold(){76式爆撃機}|450km/h&br()(高度4500m)|爆弾800kg又は魚雷800kg&br()20㎜機銃2丁&br()8㎜機銃3丁| ジュラルミンを使用したJa工業製の空冷双発全金属引込足輸送機・爆撃機である「陸上から航空機で戦艦を雷撃すれば最強じゃない?」というコンセプトで設計された。| |&bold(){75式襲撃機}|420㎞/h&br()(高度3000m)|13㎜機銃4丁&br()8㎜機銃1丁&br()爆装250kg| 高度100mの低空飛行で地上の部隊を襲撃することを目的として制作された全金属低翼単葉固定脚の直接航空支援機| |&bold(){76式双発戦闘機&br()チャルカ}|415㎞/h&br()(高度5000m)|13mm機銃4丁&br()20㎜機銃1丁&br()20㎜ロケット砲2門+爆装200kg又は爆装450kg| 元々は重爆撃機の護衛を目的として制作された双発戦闘機、&br()推進式エンジンで運動性を強化しようと試みたが、それでも運動性が良くなかったので、航続距離と重装備を生かして襲撃機として採用された。| |&bold(){66式偵察機}|260km/h&br()(高度3500m)|8㎜機銃1丁|イクファターナ某国から輸入した複葉偵察機| |&bold(){77式偵察機}|600km/h&br()(高度5200m)|13㎜機銃3丁| 空冷双発引込足式偵察機、| |&bold(){74式輸送機}|350km/h&br()(高度4000m)|13㎜機銃1丁| イクファターナ某国の旅客機をライセンス生産した全金属空冷双発の輸送機、輸送機・旅客機として民間でも使用されている| |&bold(){トビガメ級&br()空中駆逐艦}|150km/h&br()(高度2700m)|13cm高射砲1門&br()35㎜機銃8丁&br()76式1t無人飛行爆弾2機|ジャーガルク軍の全金属飛行船、対[[空賊>空賊連合組合]]対策として飛行爆弾を装備しており、空軍で20隻、海軍で10隻運用している。| |&bold(){76式1t/800kg&br()無人飛行爆弾}|520km/h&br()(高度5500m)|弾頭重量&br()1t又は800kg|ジャーガルク軍の無人飛行爆弾、&bold(){トビガメ級空中駆逐艦}や&bold(){72式爆撃機モテロク}を母機として運用され、無線誘導によって敵空中艦や艦艇に突撃する。| **&bold()・兵站軍  可汗・トワクー時代に結成された輸送路整備部隊が前身であると言われている、陸軍・海軍と同時に結成された軍で軍需物資の補給・輸送・整備・回収が主な任務であり、また後方基地や輸送路を建設するための工兵部隊も存在する。 &bold(){・部隊数} |連隊名|連隊数|任務|h |&bold(){主計連隊}|35|陸海空軍の会計| |&bold(){戦闘工兵連隊}|10|陸海空軍所属の戦闘工兵が不足している場合のピンチヒッター| |&bold(){建設工兵連隊}|35|インフラ整備・維持など| |&bold(){輸送連隊}|50|物資の輸送| |&bold(){輸送防衛連隊}|30|輸送部隊の防護| |&bold(){弾薬研究連隊}|3|陸海空軍で使用する弾薬の選定| |&bold(){鉄道連隊}|5|鉄道の建設・修理・運転や敵の鉄道の破壊| |&bold(){修繕連隊}|5|陸海空軍内で修繕か困難となった兵器の修繕、及び壊れた原因の究明| **・装備 -&bold(){ジャーガルクザウルス}×1万頭 -&bold(){軍馬}×25万頭 -&bold(){前線工作車輛}×40輛 -&bold(){後方支援型工作車輛}×50輛 -&bold(){トラクター}×1600輛 -&bold(){トラック}×2000輛 -&bold(){8tハーフトラック}×500輛 -&bold(){5tハーフトラック}×1000輛 -&bold(){工作車輛}×500輛 -&bold(){工作艦}×2 &bold(){・装備} |名称|分類|装備|解説|h |&bold(){75式戦闘工作車輛}|戦闘工作車輛|300kg爆薬投下装置&br()鉄条網や樹木切断用の衝角(甲型のみ装備)&br()鍬式地雷掃器(乙型のみ装備)|前線での戦闘工兵を支援するための車輛、乙型と甲型が存在する。| |&bold(){76式後方支援型工作車輛}|後方支援型工作車輛|可動式ブレード&br()クレーン|建設工兵を支援するための車輛| *&bold(){・諜報機関}  ジャーガルク・シャー国では[[ジャーガルク・礼戦争]]時、各省庁・軍の諜報組織が情報資料を共有せず各個に活動し、陸軍・海軍・外務省の連携した活動ができなかったという反省より各省庁懇談会を前身として&bold(){インテリジェンス・コミュニティー}である、&bold(){全体情報会議}が7612年に結成されている。  会議の構成員は&bold(){陸軍諜報部・海軍索敵研究会・空軍偵察資料統合室・兵站軍物資情報管理部・内閣情報資料室・外務省情報統合室・内務省公安室}の人間であり、情報資料の交換と精査が任務であり、会議の議長は内閣情報資料室の長官が兼任する。 **・資料保管庫 各機関から集められた資料を纏めて保管する全体情報会議直属の部署、重要な情報は各機関が独自に保管する傾向があるため&bold(){特段注目すべき資料は無い}とされている。 #region &bold(){&color(red){警告:以下の内容の閲覧には全体情報会議参加者資格と議長の承認が必要であり、違反者は議会決定8条に基づき処分されます。}} #region ・概要  資料保管庫はジャーガルク及びヤーディシアの&bold(){存続・発展}に害を及ぼす可能性がある&bold(){オーパーツ}((現在の技術では原理が解明できない物))・生物を危難発生の前に発見し保管する組織であり、これらの危険物は機密保持の為、&bold(){資料-危険ランク数-数字}と表示され、((例:資料-3-117))また保管庫本部は■■■にある。 &bold(){・保管物の危険ランク} |レベル|詳細|開示・組織外での利用|h |1|現在の技術で原理が解明できない物、&bold(){リバースエンジニアリング}できない物、生態に不明な点の多い生物|可| |2|1の上で殺傷を含む危難を発生させうるもの|不可| |3|1・2を具備した上で&bold(){人類種含む生物種の存続を害する物}|不可| |4|上記を具備した上で、保管・収容が&bold(){不可能}な物|不可| &bold(){・主な保管物} &bold(){・資料-1-56}(通称:浮遊石) 浮遊石は後韓王朝中期から後韓王朝末期に作成された作用を制御可能な半重力物質であり、韓王朝時代にはこれを用い、浮遊可能な木造船(錬土金製の船もあった。)が造られていた。 &bold(){・資料-1-43}(通称:錬土金)  覇王朝時代から帝政韓王朝末期にかけて生産された&bold(){金属セラミックス複合材料(MMC)}、割れにくく、軽量(鋳鉄の1/3)かつ剛性も鉄より高く曲がり難い物質、しかし耐熱性が高く熱膨張しにくいため加工は困難である。韓王朝時代では刀剣及び防具類・包丁・農耕器具として利用されていた。 &bold(){・資料-1-65}(通称:两足步行拖车机械) 韓王朝初期から末期に製造された形状記憶合金を用いた人工筋肉の1種、馬力は500HPであり古代にはこれを利用した歩行する乗り物が存在した。 &bold(){・資料-3-21}(通称:大虫草)  キノコの一種で特徴は&bold(){人類種含むほぼ全ての動物}に寄生することであり、初期段階で生物の脳を侵し、寄生された場合の治療はほぼ不可能で、体内の見えないところから体を侵食していき、最終的に寄生主は&bold(){人の皮を被った動くキノコ}と化す。  このキノコは古代に製造された生物兵器の一種であり[[トゥガ国]]の■■■■■■僧院に保管されているところを発見され、トゥガ国政府との交渉の上譲渡された。なおトゥガ国政府はこれ以外にも生物兵器があることを匂わせているが詳細は不明である。 &bold(){・資料-3-32}(通称:皇弟龍)  皇弟龍は白雪山脈中央の■■■地区に生息する龍(イクファターナ式の呼称ではドラゴン)である。彼は基本的に同地区の洞窟で生活しており、また1ヵ月に一度近くにある苛性ソーダ液(濃度48%)で泳ぐ姿が目撃されている。(彼にインタビューしたところ体に着いた埃や虫を洗い流すにはその池で泳ぐのが最も良いとのこと)  大変知能が高く、また歴史を中心に知識も豊富であるが、一度質問すると回答するだけではなく、それに付随した昔話を延々とする(最長で1ヵ月も話し続けた)ので何かを訊ねる場合はそれなりの覚悟が必要、また人間の学者(特に歴史学者)が著した書物を読み、時に著者と対話するを好む、近年は目が見え難くなっているため、現地在留の保管庫職員が最新の学術書・論文を読み聞かせている。渾名は老師 「現地在留職員による補講1」  ペンドラゴンシャー大公と面識があるか尋ねたところ、何らかの手段で不定期に連絡は取っているとのこと、(龍の電波知覚能力を利用しているとされている)但し大公は老師が昔話を始める前に必ず通信を切るらしい、 「現地在留職員による補講2」  読み聞かせ終了後、彼は私に「私の寿命は残り40~50年程であるため、回顧録執筆に協力してほしい」と求めてきました。そのため必要な機材と人員の派遣を求める。 #region &bold(){「インタビュー記録」} &bold(){職員}「まずは年齢を伺ってもよろしいでしょうか?」 &bold(){老師}「年齢か…暦が誕生する前に生まれたものだから答えられんのう…」 &bold(){職員}「では一番古い記憶について教えていただけませんか?」 &bold(){老師}「ふむ…一番古い記憶は■■■■■■■■■じゃ、あれを見たとき儂はまだ幼体で危うく死にかけたわい」 &bold(){職員}「大変昔の話ですね…処で老師殿は皇弟龍と名乗っておられますが何か所以はあるのでしょうか?」 &bold(){老師}「皇弟龍は名前というより称号みたいなものじゃの、&bold(){王玲}殿…&bold(){統英帝}陛下が志水の亭長であった頃、儂は覇の小役人共に捕まって、危うく聖明帝に献上されそうになったのじゃがその時、統英帝陛下が儂を逃がしてくれたのじゃ、その後陛下と儂が何を成したかは史書に記してあるじゃろう?」 &bold(){職員}「確かに後韓書に皇帝は龍と共に戦い天下を平定したと記されていますね」 &bold(){老師}「そうじゃ、人間とは違い儂には名前が無かったので天下平定後に陛下は皇帝の弟の龍という意味で皇弟龍という名前を付けてくださり、■■山を儂の領地としてくださったのじゃよ、陛下と儂は義兄弟の契りを交わしていたのでのう」 &bold(){職員}「成程、凄い由来ですね」 &bold(){老師}「ああ、統英帝陛下亡き後も韓の天子様達は毎年必ず儂の下にお土産を持って訪ねてきてくださった懐かしい話じゃよ…韓亡き後儂の住みかに尋ねようという者は殆どおらず、逆に儂自身が出かけ賢人や名君の情報を得て訪ねることばかりじゃったのう…まぁ煩い客はお断りじゃが」 &bold(){職員}「煩い客とは私たちのことでしょうか?」 &bold(){老師}「いや違うよ、数年前に来た&bold(){社会主義者}共の事じゃよ、連中「老師の助力が必要なんです」とかぬかしよって…どうせ儂の力を利用したいんじゃろうが、連日洞窟内で革命歌やアジテーションを拡声器で聞かされたり、宣伝ビラをばら撒かれ、終いには美女でもうまいもんでも何でもやるとほざきよる、余りに無礼じゃからやってきた連中全員に望みどうり力を見せてやったわい」 (そう言うと彼は洞窟内の窪みを指さした。中には溶解しかけた人骨が多数存在した。) &bold(){「インタビュー終了」} ・以下の記録より要注意団体である&bold(){清河文明財産管理局}が彼に接触したことが判明しました。 #endregion &bold(){・資料-2-45}(通称:蜥蜴少女)  資料-2-45は蜴亜人の少女であり年齢は1■-1■歳程度と推定されています。特筆すべき点はジャーガルク空軍空挺部隊の浸透兵と同等又はそれ以上の戦闘能力と、体色を変化させ周囲に溶け込み、一度隠れられると発見が困難であるという事です。  その為収容室は常時3人以上の兵士が監視し、収容室は2重扉で入室時は外側の扉を番号式の鍵で施錠する事、また面会者は常時塗装用のスプレー缶を所持し、隠密行動をとられた場合は、物音のする方やベットの下など影となっている場所へ塗料を吹きかけるようにしてください、  資料-2-45は元々体色の変化ができる一族が住む、■■■村(現在は&bold(){神聖ゲバルト連合}の襲撃により廃村となっている)出身であり、家計を助けるため人身売買組織に売られた後、イーブル主義者の集団である英知の探究者に購入され、様々な実験を受けました。  その後彼女は&bold(){清河文明財産管理局} に売られスパイとして要人暗殺と潜入の教育を受けていたが、76■■年■月■日に同組織の基地を資料保管庫の部隊が襲撃した際、幾つかの危険物と共に資料-2-45を確保しました。  資料-2-45は同年代の少女たち以上の知能がある一方、普段は無表情・無気力で自分から行動しようとすることは無く、一日中収容室で本を読み生活しています。 補講  研究員■■の「一度外に出して同年代の少女と交流させ、気分転換をさせたらどうか?」という提案は却下されました。  理由は現在でも彼女はアカ共の間者であり、無害なふりをして保管している資料を奪い、脱走する可能性が高いからです。  例え見た目が幼い少女であっても、危険がある以上我々は祖国の安全保障の為彼女を収容室から出すことはできません &bold(){・資料-3-19}(通称:みなづき駅)  みなづき駅は&bold(){シマウ族}が生贄を効率的に確保するため建造した駅(以下駅と表記)と関連車両(以下列車と表記)の事であり、シマウ族は密かに在来線と駅を繋げ、夜間に偽の列車を走らせ、誤って乗車した者を催眠薬((■■■■を主成分とする。))で眠らせ駅へ移送、犠牲者を彼らの神への生贄としています。  この駅は生存者の女性(以下女性と呼称)が警察へ通報し、その報告から存在が明らかとなりました、女性は■■■■系の催眠薬が効きにくい体質であり、駅へ到着後直ぐに目が覚め、逃亡できたと推測されています。 #region &bold(){「インタビュー記録」} &bold(){職員}「お体の方は大丈夫ですか?」 &bold(){女性}「はい、少しめまいがしますけど大丈夫です。」 &bold(){職員}「それは良かった、先ほどの検査でも異常が無かったそうですので、このままインタビューをさせていただきますがよろしいですか?」 &bold(){女性}「はい、大丈夫です。」 &bold(){職員}「では、貴方に起こったことを最初から順序立てて説明していただけますか?」 &bold(){女性}「はい、私は■■市で生活しているのですか、夜中に故郷の■■■村に住んでいる母が大怪我を負ったと電報で知ったので、急いで駅に行き駅員さんに■■■駅へ向かう便の始発は何時なのか聞きに行きました。」 &bold(){女性}「でも駅は無人で閉まっていたので帰ろうとしたんですけど、その時に汽笛が聞こえて少し古めな蒸気機関車が駅に止まって、降りてきた顔の青白い韓人の車掌さんが駅の鍵を開けてくれたんです。」 &bold(){女性}「私は少し不審に思いましたが、母の事が有ったのでその車掌さんに目的の駅へ行くか聞いてみたんですけど、生気の無い声で「ハイ…」と答えたので、乗車しました。」 &bold(){職員}「他の乗客はいましたか?」 &bold(){女性}「はい、酔っぱらった中年男性が2人と、乞食の様な人が2人程…あと腕の無い男性が一人いました。」 &bold(){女性}「しばらく乗車している内にだんだん眠くなって寝てしまい、起きた時には「みなづき駅」という聞いたことも無い駅で停車していました、その時他の人たちは眠ったままで、私は「故郷へ向かう途中にそんな駅はあったか?」と訝しく思い、車掌さん達を探したのですが先頭車両に行っても運転手さん含め誰もおらず、仕方なく下車しました。」 &bold(){女性}「駅は無人でレールは先頭車両の方で終了していたし、周りに人家もありませんでした、…ただ太鼓とお囃子の音が何処からともなく聞こえてきたのは覚えています。」 &bold(){女性}「私は何となくここから離れたいと思い、レールを歩いて帰ろうと思いました、少し歩くと目の前にトンネルがあって不気味だったんですか、意を決して進みました。」 &bold(){女性}「4~5分程歩いたでしょうか?後ろの方から足音が聞こえて来たので、最初は自分の足音が洞窟に反響しているのだと思ったのですが、どうもそうは思えず、おもむろに石を何個か拾って思いっきり投げました。」 &bold(){女性}「すると鈍い音と何かが叫ぶ声が聞こえたので私は一目散に走って逃げました、トンネルを抜けると車道があってそこをトラックが通ったので運転手の男性に助けてもらいました。」 &bold(){職員}「男性の種族は?」 &bold(){女性}「暗くてよく分かりませんでした、その後彼は私を町まで送ってやると言ったので乗せてもらったのですか、何故か山の方に向かい頻りに何か言ってたので、隙を見て車から飛び降り、車内から見えた村の光の方へ走って、村の交番に助けを求めました。」 &bold(){職員}「了解しました、質問に答えていただきありがとうございます。それとあなたのお母さまは■■■病院に入院しているそうなので、後程そちらへお送りいたします。」 &bold(){女性}「有難うございます」 &bold(){「インタビュー終了」}  インタビュー後、我々は陸軍に協力を要請し、女性の証言を基に一個師団で付近を調査、結果、記録にない同名の駅・車両とシマウ族の地下村落、さらに犠牲者と思われる遺体を彼らの神殿内で発見、またシマウ族の村落には人の皮を用いた変装用具も見つかりました。 陸軍兵士は抵抗するシマウ族■■匹をその場で殺害、残りを我々に引き渡しました、以下は生き残りに対するインタビュー記録です。 &bold(){「インタビュー記録」} &bold(){職員}「では名前と年齢を教えてください」 &bold(){シマウ族男性}「名前はシューノー氏族のごじゅーにで年齢は救済まで平均24年だよ~♪」 &bold(){職員}「…では何故あのような駅と設備を建造したのですか?」 &bold(){シマウ族男性}「そんなの腐敗と死の神への贈り物を狩る為でしょ~♪神は腐肉が大好きなんだよ~♪」 &bold(){職員}「ではどうやってあれ程の設備を用意したのですか?」 &bold(){シマウ族男性}「それは~♪ダンボール氏族の連中が■■■■国の鉄道技師を捕まえて~♪鉄道の作り方を教えてもらったから~♪みんなきしゃとえきを造れるようになったんだよ~♪彼は大変立派な人だから肥溜めに沈められたんだよ~♪羨ましいでしょ~♪」 &bold(){シマウ族男性}「あ~僕を殺すなら死体の臓物を取りだして君たちの町にばら撒いてくれない?神様喜ぶだろうなぁ~♪」 &bold(){職員}「…最後に一つ教えていただけますか、何故、駅の名前がみなづき駅なんですか?」 &bold(){シマウ族男性}「アハアはあはwwwそれは~♪みなづきが全てが腐敗し神聖なカビさん達が元気になる季節だからだよ~♪だから全ての駅はみなづき駅なんだ~♪」 &bold(){職員}「…!!ちょっと待ってください!!みなづき駅は他にも複数あるんですか!?」 &bold(){シマウ族男性}「ゲラゲラwwwそうだよ~♪でもうちの駅が潰されたことが他の氏族にも伝わったからジャーガルク内の駅は完全に破壊!!破戒!!は~か~い!!でも清河とか■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■の駅はだ~い~じょ~ぶっはははははははははははははははははははははははははははははははははははwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」その後彼は笑い続けて一言も喋らなくなったので &bold(){「インタビュー終了」} ・その後資料保管庫は清河の&bold(){清河文明財産管理局}にこの事を報告、同様の駅が発見されたとの情報が入っている。 #endregion &bold(){・敵対組織} ・清河文明財産管理局 &color(red){完全敵対}  清河文明財産管理局、通称清文局は[[清河人民社会主義共和国]]のオーパーツ管理局であり、危険な物品・生物を用いて&bold(){イクファターナ資本主義者・敵対国家を全て滅ぼし、清河文明・清河社会主義支配の下世界を征服することを目標としている。}どの様な危険物を所有しているかは不明だが、過去に我が組織の■■■保管庫を襲撃し資料-■-■■■と資料-■-■■を収奪した大変危険な組織である。 &bold(){・[[a+x=Ω]](イーブル主義)} 警戒  野人・ダハーカ人研究で名高く円十字教司教でもあるイーブル・S・ゾンツ教授が提唱したイーブル主義((進化論と創造説の両立を説明するために生まれた説、地球上の動植物は神(Ω)が神を生み出すために創造した存在であり、最初の生命(a)は多様に進化し地球上の全ての環境で生存することによって、この世の全てを経験し完璧な存在となり、最終的に収斂進化によって神(Ω)に成長するという説、この考えの中で人間は物質面だけではなく文化的・精神的に高度な発明・経験をすることと、地球上に広がり共通性を増すことにより地球生物圏としての存在、即ち神に至る進歩の旗手となるべきものとされている。なお円十字教普遍教会からは異端とされている。))信奉者によって構成されている組織、彼らの理念は人間の生み出した技術(オーパーツ)や知られていない生物(危険種含む)を用いて神に至る進化を早めることとである。&bold(){しかしa+x=Ω内には地球上の元素は有限であるため、進化の落伍者である亜人・ソーラネウスを抹殺し彼らのリソースを円十字教徒の人類種人口増加に役立てようという過激派が存在する。 [[詳細は個別ページへ>a+x=Ω]] &bold(){・[[ナハト大学>ナハト市]]} 警戒  [[ヤード帝国領カラシュ公国>カラシュ公国]]に存在する大学、大変高度な技術と探求心を有する組織であり、危険生物やオーパーツ関連の研究も行っている可能性がある。 &bold(){・シマウ族} 殲滅対象  種族・系統不明の亜人族、&bold(){ハイエナ亜人}の仲間とも、&bold(){チーター亜人}の仲間とも推測されており、体は細いが見た目に似合わず強大な腕力と脚力を有し、シンファナ・タヴェリア各地の洞窟や地下通路で生活、独特の歌と舞踊の文化を有している一方、腐敗と分解の神であるクゥロプションを信仰しており、地上から攫ってきた者を祠に閉じ込め生贄とし、供えてから暫らく経って腐敗した肉を食糧としている。  後韓の歴史書である『後韓書』に彼らと思われる種族が登場しており、古くから各地で人さらいを行ってきたと推測され、またムスルマーネンの記録にも人買・人売りの種族として記録され、また戦乱の時代には親を失った子供を連れていったり、養えなくなった者や村八分となった者を引き取ったりもしており、ヤーディシア大戦中にも活動していたと記録に残っている。  しかし[[モスン帝国]]時代以降、シンガでは大規模な討伐が何度も行われ、特に各国が開国し、中央集権的体制が確立されていく中で、警察に逮捕される者が増え、一部は金鱗衆を頼って文字通り地下へ潜り、一部は空賊連合へ逃亡、しかし現在でも人身売買に深く携わり、近年ではタヴェリアで活発的に人狩りを行っている。 &bold(){言動} 「さぁ、黒んぼは飼育された方が幸せだから奴隷船にしまっちゃおうねぇ~」 「親無しはどんどん行こうねぇ~親がいてもどんどん行こうねぇ~」 #endregion #endregion *&bold(){・歴史} 注:暦は世界創世暦を使用する **・建国神話 &bold(){「アンディゴイ・インフォルメ」}創造の箇所  かつてこの世界には老いることも病むこともない黄金人が理想的な社会を築き生活していたが、完璧な世界で既存のもの以外存在しないその生活に飽きた人々は自らが築いた全てと、自分たちが見たことのあるもの全てを破壊し、世界を永遠に燃えるものとした。そして全ての黄金人が見たことのない第二の世界((北部の伝承では空の穴))へと旅立つため、彼らの長い髪で首を絞めて死んだ。  しかし第二の世界は暗い洞窟のような場所であり、大多数の黄金人は死後の世界で発狂し、叫びまわったり互いを罵り合ったりした、その中で1人の発狂した黄金人が奇声から&bold(){「インベンドル」}という自らの名前を創造した。  創造するという遊びを知った&bold(){「インベンドル」}は手遊びとして自分の唾と死後の世界の塵を粘土のようにこね回し、自らの唾と爪と塵で作ったものを魚・甲殻類、唾と髪と塵で作ったものを海藻と名付けた。そして自分の体を再構築し、大きな水滴の世界を創った後、彼は第二の世界から持ってきた生物と海藻を水の中で泳がせた。彼はそれらが水に溶け込んだものや他の創造物を吸収し、成長・繁殖・衰亡するのを見て楽しんだ。     さらに新しいものを作りたいと思った彼は第二の世界や他の世界から持ってきた塵を集め陸地を作り、勝手に増えた魚や海藻をもう一度こね回し、魚だったものから動物や人、海藻だったものから植物を作った。その中で人が創造物に対して興味深い行動をするということを発見し、彼は人に家、鍋、槍などの簡単な道具を与えどのような行動をするか観察し、また自らも人と同じく食事、睡眠、繁殖をおこない33人((北部の伝承では39人))の半神をつくった。そのうち32人が32王家の始祖である。  第二の世界で&bold(){「インベンドル」}の活動を見ていた発狂していない黄金人たちは自分たちも同じ遊びをしようと思い復活した。復活した黄金人たちに対して&bold(){「インベンドル」}は自分の創造した魚や海藻の住みかと、陸地を荒らさないことを彼らに約束させ、黄金人たちは&bold(){「インベンドル」}から分けてもらった魚、海藻、動物、植物をこね回し、それぞれが作った陸地やその周りの海に&bold(){「インベンドル」}とは別の生き物を住まわせそれぞれ楽しんだ  しかしそれを第二の世界から見た発狂した黄金人たちは発狂していない黄金人の創ったものたちを破壊して遊ぼうと思い、自分たちがかつて永遠に燃えるものとした世界から火の玉を取り出し、この世界へ向けて投げつけた。これに対してインベンドルと発狂していない黄金人たちは水の盾に変身しこの世界を覆い守護した。この戦いは休みを挟みつつ現在でも続いており、これが昼と夜の始まりである。  &bold(){「インベンドル」}は自身の子である33人の半神のうち末子の&bold(){「ザ・プラナツィエン」}を特に愛おしく思っており、ゾロタ列島の支配権を彼に譲るつもりであった。しかし32人の兄たちはそれを快く思っておらず、&bold(){「ザ・プラナツィエン」}を憎んでいた。  その中で発狂した黄金人と戦うために&bold(){「インベンドル」}と他の発狂していない黄金人たちが空の世界へ行ったため、32人の兄弟は共謀し&bold(){「インベンドル」}が水の盾に変身して地上を監視できない夜の間に弟を殺すことを決意した。そしてある夜兄弟全員は宴会のために集まり&bold(){「ザ・プラナツィエン」}が泥酔した後、石に縛り付けて海に放り込もうとした。しかし32人の兄弟たちは直前になって流石に殺してしまうのはかわいそうだと思い、&bold(){「ザ・プラナツィエン」}を船の帆柱に縛り付けて、船を海に流しゾロタ列島から追放した。  &bold(){「ザ・プラナツィエン」}はそのまま海流によって大陸に流された。兄弟たちに裏切られたショックによって人間不信となり、人の住んでいる集落を避け、内陸へと進んでいった。海岸から歩き続けて1年後、不思議なことに馬・馬鳥・牛・羊・鶏・豚・ガチョウなどの人が好む動物が沢山住んでいるが、人が全くいない大地に到達した。  疑問に思った&bold(){「ザ・プラナツィエン」}は近くの大きな灰色の雌狼に訳を聞くと「このあたりの動物を創造した黄金人は、人を創る前に発狂した黄金人と戦うために天空へと行ってしまったのです」と答えた。&bold(){「ザ・プラナツィエン」}は人がいないこの土地を気に入りその狼を伴侶として末永く暮らした。この&bold(){「ザ・プラナツィエン」}と灰色の雌狼の末裔がヴォウク族である。 **・古代(約3万年前~4912年)  現在首都が置かれているゾロタ列島に人類が住み始めたのはファジミリエス遺跡の野営地跡などからおよそ30000年前のことであると想定されており、その後約3000年前まで狩猟採取の時代が続いたと思われる。約3500年前に始まった気候の寒冷化による環境収容力の低下によって一時的に人口が減少するが、西部の大陸から米を含む穀物類や豆類が導入され、人口は増加する。  約3100年前より人口の増大により大規模集落が発生し、また青銅器の導入により利水権や農耕地を巡る集落同士の争いが激化、小規模な国が乱立するようになり小諸国の君主の権威を示すため、北部では石を積んで作られた方形の墓が、南部では土饅頭を石で覆った円形の墓が作られるようになった。  &bold(){4798年}[[柱王朝>https://www65.atwiki.jp/yadohakoz/pages/27.html#id_a3129cb2]]の完仙帝理武によって南部19小諸国が征服されたことに対して危機感を覚えた北部の13小諸国が不要な柱王朝への攻撃の禁止と、侵略された場合の協力を基本戦略として団結、13小諸国の族長から戦時の指揮権と部族間の対立において裁判権を有する上王を小諸国の君主から君主13人の多数決によって選出するようになった。上王の位は&bold(){4912年}に上王となった&bold(){&color(red){アーレ}}よりカラン国君主の世襲職となる。 **・カラン朝(4912年~5085年) &bold(){・カラン朝時代の領土} #image(柱.jpg,,height=900)  &bold(){&color(red){アーレ}}が上王となってから&bold(){&color(red){ハクァ上王}}が死亡するまでを&bold(){&color(purple){カラン朝}}と呼ぶことがある。カラン朝は基本的に[[柱王朝>https://www65.atwiki.jp/yadohakoz/pages/27.html#id_a3129cb2]]との対立を避け北部の水産資源・貴重な薬草の輸出をおこない、一方でゾロタ列島では希少な銅(([[柱王朝>https://www65.atwiki.jp/yadohakoz/pages/27.html#id_a3129cb2]]から軍拡を疑われないように銅の生活用具を輸入し本国で武器にした))を輸入し、また柱王朝の徴税・インフラ制度を真似て国力の増大を図った。  &bold(){&color(red){ユウ上王}}の時代には小諸国の力を借りず、武力により南部3カ国を征服しカラン国に併合し、現ゼン国北部海岸地域にも影響力を持つようになった。しかし息子の&bold(){&color(red){ハル上王}}は子供を持たず((このことに対して古来よりハル上王は女性であった、生殖機能に問題があったなど様々な説が主張されてきた。プラト大学の文化人類学者オルコ氏はヤード帝国より入ってきた円十字教の敬虔な一派をハル上王は信仰していたのではないかと指摘している))アーレの男系直系は途絶えた。  &bold(){4997年}にハル上王が亡くなった後、それぞれユウ上王の娘を母とする&bold(){&color(purple){ミーヌ国}}の&bold(){&color(red){君主ブラン}}と&bold(){&color(purple){ツン国}}の&bold(){&color(red){王位継承者イシク}}が上王の位を巡って争うようになる、最終的にツン国軍優勢となり、他の国々もそれに便乗、&bold(){5004年}にボオゾの戦いでミーヌ軍を破り、ブランと現ゼン国海岸地域に逃れていた末子&bold(){&color(red){クフェン}}をのぞく子供たちを処刑した。  後に記された正史「アンディゴイ・インフォルメ」ではイシク上王とその息子&bold(){&color(red){ハクァ上王}}は自分を見た罪など些細な罪で奴婢から他の王族まで関係なく残虐に処刑し、宴のときには妊婦の腹を裂かせたと記されているが、一般的にこれらの記述は後の為政者が前王朝を貶めるために書かせた箇所であると解釈されている。 &bold(){・ハクァ上王時代の領土} #image(柱中.jpg,,height=900)  生き残った&bold(){&color(red){クフェン}}は&bold(){5005年}に現ハルラ盟国において移動型遊牧生活を送っていた狼人系騎馬遊牧民族の&bold(){&color(purple){ヴォウク族}}に庇護を求めた。ヴォウク族は寒冷化と異民族の流入によって弱体化した[[柱王朝>https://www65.atwiki.jp/yadohakoz/pages/27.html#id_a3129cb2]]が鎮藩派琉運((現ハルラ盟国))を守護するために、北部から移住してきた彼らを帝国の節度使として朝貢金((末期にはそれすら払えなくなっていたので派琉運の徴税権を与えていた))の代わりに派琉運の防衛を依頼していたために派琉運に住んでいた。  ヴォウク族部族の実質的部族長(ベク)である&bold(){&color(red){アルン}}は彼の来訪を豊かな農耕地帯を有するゾロタ列島又は現ゼン国の一部を手に入れるチャンスであると捉え、自らの娘でもあるヴォウク族のシャー(宗教的な長)&bold(){&color(red){クリィサリス・チユン}}とクフェンの婚姻を条件に援助を約束、しかしゾロタ列島遠征直前の&bold(){5010年}にアルンとクフェンが相次いで病死、ヴォウク族はベクの地位を巡り内戦状態となる。  その中で&bold(){5030年}に引退した母の跡を継ぎシャーとなったチユンとクフェンの娘&bold(){&color(red){コト}}は自ら軍を率いて戦い、最終的に和解の席においてベク候補で叔父にあたる&bold(){&color(red){ダヤ}}を誅殺、シャーとベクを兼任するようになった。さらに将来におけるゾロタ列島遠征の協力者確保のため&bold(){5033年}にイシク上王の孫((母親がイシク上王の娘))であり小諸国の中でも有力な&bold(){&color(purple){シラ国}}の&bold(){&color(red){ホン王子}}と婚姻、&bold(){&color(red){チヤ}}と&bold(){&color(red){クリィ}}の二人の娘をもうけた。  そして&bold(){5040年}ゾロタ列島へ遠征を開始、小諸国の内通やゾロタ軍の装備が旧式であったこと((ゾロタ軍は鉄器や馬が少数であったうえに古代韓帝国の軍備を真似ていたために長い槍と大きな盾で密集陣形をとっていたのに対して、騎兵が多いヴォウク族軍はパルティアンショットで撤退すると見せかけてゾロタ軍の陣形が崩れたとたんに反転し包囲殲滅した))もあって遠征は成功、捕らえたハクァ上王を同年に処刑、&bold(){5042年}1月1日に自らがゾロタの上王と宣言した。((この年を1年として後に征健歴が制定される))  その後コトはゾロタ列島の官制をハルラ盟国とゼン国に一部導入し、&bold(){5075年}にクリィをゾロタ列島とゼン国のシャー((上王の王号は男がなるものという意味合いが強かったために廃止))チヤをハルラ盟国のシャーとして引退、10年後の&bold(){5085年}に亡くなった。その翌年チヤが落馬により死亡((暗殺説もある))クリィがゾロタ列島・ハルラ盟国・ゼン国全てのシャーとしてジャーガルク((ジャーガルクは3国の間の海の呼び名))のシャーを名乗った。 **・クリィサリス朝ジャーガルク・シャーの時代(5085年~5767年) &bold(){・クリィサリス朝ジャーガルク・シャー国時代の領土} #image(柱末.jpg,,height=900)  2代目にあたるクリィ・シャーはゾロタ列島で柱王朝流の教育を受け、かつ母とともに戦った武将に鍛えられた文武両道の君主であった。彼女は&bold(){律令}の制定と&bold(){公地公民}化政策を推し進めつつ、ゾロタに残っていた小諸国の君主とゼン国の豪族に対して、官職に就けるという優遇策と共に、従わなければ征伐すると宣言し、にユウ上王の時代からゾロタ列島の中心である首都バスナァーへと移住させ、地区(群)ごとに行政官と役所を設置した。  ハルラ盟国に残ったヴォウク族に対しては部族を再編、血縁によって団結できないようにし、行政単位であるニラの長と自分の娘の婚姻を進め、また彼女はハルラ盟国に造営したヴァルヒニー・ミニストを春の都、バスナァーを冬の都としてシャーが季節ごとに両都を往復するようにした。  7代目にあたる&bold(){&color(red){クイ・シャー}}の時代に全国で使える穴あき銭が発行され、また国土の一体化を図るため公道の整備と駅の設置(駅伝制)が進められた。10代目&bold(){&color(red){ラン・シャー}}の時代には南方から難民や海賊の集団がジャーガルク海に侵入してくるようになり対策としてニラの長でもある&bold(){&color(red){ラジャン将軍}}をゼン国南部3群の軍事及び為政を司るベーレに任命した。また14代目&bold(){&color(red){クロン・シャー}}は地域によって手に入る産物が違うという理由から穀物による納税を廃止して穴あき銭による納税を基本とする税制改革をおこなった。  18代目&bold(){&color(red){フク・シャー}}は「今日、私が皇女に祖母のイマ・シャーの話をした時、そのような話を全ての家臣から聞いたことがありません、と聞き私は大変驚いた、古の事が忘れ去られるのはなんと悲しく歯がゆいことだろう、幸いにも上古ゾロタの諸国の先人や本朝の官吏が残した報告書や日記の類が宮殿に残っており、また伝承の類も各地にまだ多く残っている。そのためそれを正史として纏めよ」という勅令を下し、正史&bold(){「アンディゴイ・インフォルメ」}が20年近い歳月をかけて&bold(){5470年}に完成した。20代目&bold(){&color(red){カル・シャー}}の時代には冨杏秀((現在のファンシュー地区遠))征が行われ、同地の豪族に対して朝貢を義務付けることに成功する24代&bold(){&color(red){ラク・シャー}}の時代には塩を基にした&bold(){兌換紙幣}が発行された **・動乱の始まり(5767年~5886年)  29代&bold(){&color(red){ドク・シャー}}の時代より南方からの海賊の来襲が増加し東方韓人王朝との対立も激化、それに対応する形として地方の軍事と行政を一手に担うベーレが各地に設置されるようになり、中央政府の統制がきかなくなっていき、ベーレの中には皇女と婚姻関係を結び中央政府の有力者に賄賂を贈り、その地位を維持し世襲する者も現れ始めた。  さらに&bold(){5766年}31代&bold(){&color(red){オヤン・シャー}}は長女の&bold(){&color(red){ソソイ・シャー}}に位を譲り自らは隠居したが、翌年ソソイ・シャーが流行り病によって死亡、仕方なくオヤンは将来、幼い長女の遺児である&bold(){&color(red){ハン}}を33代目シャーとすることを条件に次女の&bold(){&color(red){タイダ・シャー}}を32代目のシャーとした。しかしソソイ前シャーが亡くなった後、タイダ・シャーは遺言書を処分、自らの娘である&bold(){&color(red){ソイ}}を33代目シャーにすると公言し、ヴァルヒニー・ミニストにいた皇女ハンに対して追討命令を下した。からくも追討を逃れたハンは南方へ逃げ、ゼン国南部三群のベーレである&bold(){&color(red){フャン将軍}}に保護された。  同地からハンは「フャン将軍と私は国外へ追放される覚悟であり戦うつもりはない、国を割る内戦になることを防ぐ為にこれ以上皇族同士で争うのは避けよう」と書状をバスナァーにいるタイダ・シャーへ送ったが信用されず、ゼン国中部三郡のベーレである&bold(){&color(red){ロイカ将軍}}にファン将軍と皇女ハンを追討する命令を下した。これに対しファン将軍は南部に住み着いていた海賊を味方につけて、ロインカ軍の海上輸送を圧迫、&bold(){5771年}にロインカ軍をゼン国最大の町クォウシヤンで破り逆にゼン国中部三郡を征服する。  さらにハルラ盟国北部15ニラのベーレであり30代目&bold(){&color(red){カクレ・シャー}}の孫((母親がカクレ・シャーの娘))である&bold(){&color(red){クレヨ将軍}}が正当なシャー候補である皇女ハンを守るためという名目で、ヴォウク族の伝統に従い男子全員(武装した家臣と地元住民)の推薦と承認によりベクに就任、以後ジャーガルク・シャー国は3つの勢力による内戦となり、また3勢力が戦費獲得のため穴あき銭と兌換紙幣両方を乱発したために経済は悪化した。  &bold(){5778年}失意のタイダ・シャーが亡くなり、ソイ・シャーとハン・シャーがほぼ同時に33代目シャーとなった。その後各地のベーレはクレヨに便乗してベクを名乗り、北朝側(バスナァーとヴァルヒニー・ミニストのシャー)と南朝側(クォウシヤンのシャー)に分かれて争った。 &bold(){・南北朝時代の各勢力} #image(南北朝.jpg,,height=900)  &bold(){5883年}に南朝の38代目&bold(){&color(red){アネス・シャー}}と弟で実質的にゼン国全土を支配する&bold(){&color(red){オルン・ベク}}が対立、オルン・ベクは北朝側へ寝返り、アネス・シャーを捕らえ処刑した((しかし数年後に亡くなったオルン・ベク軍将軍チョウの日記なるものが出版され、その中で「アネス・シャーは南から国外へ逃れたようであり捕らえることはできなかったので、代わりに似ている侍女の首を直接北朝のシャーへ送った。オルン・ベクは実の姉の首を見なかったので助かった。北朝の人間はアネス・シャー様の顔を見たことが無いはずだし、長旅で首は腐敗していただろうから見分などできるはずは無い」と記されている。))その後オルン・ベクは&bold(){5886年}に北朝の36代目&bold(){&color(red){ウレシ・シャー}}の娘で後の37代目&bold(){&color(red){ドグン・シャー}}と婚姻、以後この夫婦の娘から女系の子孫が祭祀を司るシャーを世襲し、息子から男系の子孫が実務を行う大将軍(&bold(){可汗})を世襲するようになった。 **・バスナァー可汗時代(5886年~6228年)  可汗が直接支配するのはゼン国4群とバスナァー近郊だけであり、それ以外の地域は各地のベクが実質的に支配していた。その後は比較的平和な時代が続き3代可汗の&bold(){&color(red){シリィス・ディスパート}}の時代には海外通貨の流通と貿易及び&bold(){二毛作}・&bold(){草木灰}導入の推奨により国全体が豊かになった。((この時代に門前町を中心にゴマ・菜種・紅・茶・楮・藍・荏胡麻が流入、栽培も行われるようになった。))  しかしそれは同時に地方のベクも豊かになることであり、次第に地方のベクの発言力が増大、7代可汗の&bold(){&color(red){ナウリィス}}がハルラ盟国9ニラのベクである&bold(){&color(red){ロ・スォン・ベク}}の兵士により暗殺、8代可汗の位を巡る争いにより可汗の兵はロ・スォン・ベクを討つことができず、ハルラ盟国11ニラのベクである&bold(){&color(red){モンタン二・ベク}}にロ・スォン・ベクの追討を命じ、ロ・スォン・ベクを討った。モンタン二・ベクは彼のニラを吸収し18ニラ(2ニラは戦での消耗分)の大ベクとなった。10代可汗の時代には本拠地であるゼン国4群の支配も新興の3ベクによって奪われ、可汗が支配しているのはバスナァーの東一群のみとなった。  またゾロタ列島北部では黄金人が生きていた時代へと回帰し彼らの下僕へと戻ることを教義としてとした&bold(){浮屠教・昏睡麗冨宗}が開祖&bold(){&color(red){アァルミィ・リェタリエ}}によって&bold(){6146年}に誕生、開祖の曾孫である5代目嚮導者(アレズヴェ)&bold(){&color(red){ルンルア}}の時代に武装蜂起し、同地のベクを殺害し北部二群を支配さらにその後支配地域を広め、&bold(){6225年}に18代可汗の&bold(){&color(red){ムスーン}}とその親族39人を殺害、第一可汗時代が終焉する。  さらに&bold(){6228年}に対立した53代目&bold(){&color(red){クゥ・シャー}}を捕らえ親族48人と共に殺害し、クリィサリス朝のシャーは断絶、同年7代目アレズヴェである&bold(){&color(red){スァングェ}}は過去への回帰の第一段階として自らを上王とした。  一方でハルラ盟国のヴァルヒニー・ミニスト周辺2群と20ニラ及びゼン国4郡を支配するサフィロス家の&bold(){&color(red){アンガ・ベク}}は51代目&bold(){&color(red){イガウ・シャー}}の娘を妻としていたため、クリィサリス朝滅亡の情報を得た後、彼女が生んだ娘を&bold(){6229年}に54代目&bold(){&color(red){ジトン・シャー}}とした。 **・サフィロス朝/昏睡麗冨宗嚮導者(上王)時代(6228年~6388年)  嚮導者&bold(){&color(red){スァングェ}}はバスナァー北部の山(現ゾロテ城)に本拠地&bold(){ボジョゼト寺院}を造営し、税(年貢)の統一と治水事業によって国力を増大させる一方、円十字教徒とメトラ教徒を組織的に虐殺した。虐殺は嚮導者時代に一貫しておこなわれ、昏睡麗冨宗嚮導者時代後期に円十字教徒とメトラ教徒は文字どおり殲滅されたといわれている。  嚮導者スァングェの死後、後継者の座を巡りスァングェの甥である&bold(){&color(red){タカト}}、&bold(){&color(red){ズミ}}、&bold(){&color(red){キトウ}}の3者が対立、それぞれ自分はスァングェ生前に養子縁組したと主張し戦となった。最終的にズミの部下であり養子でもある&bold(){&color(red){ユンザ}}がキトウとその子供を殺し内乱は終了、ユンザが9代目嚮導者となった。  しかし嚮導者ユンザの時代より宗派内の教義を巡る対立が激化、また戦費調達のために各勢力が農民に重税を課したため昏睡麗冨宗一般教徒を含む農民による暴動が増加し、さらに嚮導者ユンザは内戦中商人が戦費を貸してくれなかった恨みと農民の困窮に対するスケープゴートとして商人や金融業者を虐殺、商業や金融業に重税を課した。  嚮導者ユンザの死後、長男の&bold(){&color(red){ユンサン}}が10代目嚮導者となったが宣教頭の&bold(){&color(red){サレン}}によって暗殺、サレンを倒した勧善懲悪頭の&bold(){&color(red){クランイ}}が11代目嚮導者となった。しかしゾロタ列島南東部で小作農出身の地方宣教者&bold(){&color(red){シャムン}}が「スァングェが百姓娘との間にもうけた子供の末裔」として正当な9代目を名乗り、財産の平等分配と宣教者の特権的地位の廃止を主張しゾロタ列島南東部を支配、教団内の異端派や農民反乱勢力と結託し残りの地区を支配する嚮導者クランイと対立した。  嚮導者クランイは勧善懲悪頭&bold(){&color(red){ユンダ・ルン}}によって暗殺、ユンダ・ルンはクランイの首を手土産としてシャムンの勢力と和解しようとしたが、徹頭徹尾異端殲滅を主張するシャムン側は和解を拒絶、本拠地ボジョゼト神殿を失い窮地に陥ったユンダ・ルンはヴァルヒニー・ミニストのシャーに救援を求めた。  これに対して62代目&bold(){&color(red){コキー・シャー}}はハルラ盟国とゼン国の8ベクをヴァルヒニー・ミニストがある群以外の群とニラを下賜することによって糾合し連合軍を結成、一方シャムン側はゾロテ城占領によって莫大な財を得た教団上層部が堕落し、また農民軍が暴徒化し略奪をおこなったため急速に民心を失い、&bold(){6387年}に連合軍は狂信者討伐を名目としてゾロタ列島に上陸、&bold(){6388年}にボジョゼト神殿を陥落させた。シャムンは陥落直前に脱出し古巣であるゾロタ列島南東部で再起を図ろうとしたが同年元部下によって殺された。  その後コキー・シャーはボジョゼト神殿を完全に破壊し、その跡地に春の間滞在するための小規模な砦を建設し、また減税及び農民との交流によって民心を把握した。その後昏睡麗冨宗信徒の多くは棄教したが、農民軍の残党などは小規模な反乱を何度か引き起こし、&bold(){6394年}の反乱を最後として昏睡麗冨宗は消滅したと言われている。 **・混乱の時代とモスン帝国の伸張(6388年~6600年) 関連項目:[[モスン帝国]]  連合軍解散後ハルラ盟国とゼン国では再びベク同士の対立は激化、シャーはゾロタ列島にしか直接的に統治権が及ばなかった。そのような中でジャーガルク人の進出に悩んでいた前北冨王朝([[現在の清河>清河人民社会主義共和国]])が緩衝地帯確保のためジャーガルク東部((現ハルラ盟国北部))の狼人系騎馬民族である&bold(){&color(purple){モスン族}}を支援、モスン族族長&bold(){&color(red){アルタ・ハーン}}の優れた戦術((戦術を体系化して、手旗信号や銅鑼の合図で騎馬隊を運用し、また諜報戦と補給線の確立も重視した。))によって瞬く間に現ゼン国とハルラ盟国を制覇、その後、交易路確保のために送った使者を殺した[[トゥガ国]]へも侵攻し、&bold(){6527年}に王を捕縛、彼を絨毯で包み、その上に馬を走らせ圧殺し、勢いで&bold(){6534年}に北冨王朝の北部を併呑((その結果中原の保有していた火薬の技術を獲得))した。  その後&bold(){6537年}にアルタ・ハーンは病没し、伝統的な一族の集会(クリルタイ)の結果、帝位を2男の&bold(){&color(red){オゴ・ハーン}}が継承した。オゴ・ハーンは元々ジャーガルクの制度であった駅伝制(通称ジャムチ)を帝国全土に広め、官僚制に詳しい韓人官吏を重用し、各地への侵攻を兄弟に任せた。((長兄の三男であるパリに対しては「我々の軍馬が踏み荒らせる限界の土地まで征服せよ」と命じたとされている。」))  しかし過度の飲酒によって40代で病没、集会を無視してオゴ・ハーンの次男である、&bold(){&color(red){ドヅジュ・ハーン}}が即位、それに反発した東方イクファターナ遠征中の&bold(){&color(red){パリ・ハン}}((アルタ・ハーンの長兄ジャルの三男))はドヅジュ・ハーンの即位を認めつつも反発、東方領土の税が一時滞るようになる。  ドヅジュ・ハーンの死後、アルタ・ハーンの4男&bold(){&color(red){イル}}の長男である&bold(){&color(red){クン・ハーン}}が即位、彼はすぐさま使節を送り東方パリ・ハンとの対立関係を解消し、さらに学問を推奨して、首都&bold(){テングル}に学者を集め、皇族・貴族の子弟を教育し、次代の官僚育成に努めた。また征服途中であった前南冨王朝への侵攻を積極的に進めたが、その陣中にて没した。  クン・ハーンの死後その同母弟である&bold(){&color(red){ライ}}と&bold(){&color(red){アリケ}}がハーンの地位を巡り対立、クン・ハーンの前南冨王朝遠征に従っていたライはアリケが集会の用意を行っている間に遠征軍の支持を集め、さらに各地の方面軍を味方につけ、アリケのいる首都テングルへ侵攻、寄せ集めのアリケ軍を破り勝利し、アリケはライの軍門に下った。  即位したライ・ハーンは前南冨遠征を再開し、優勢な水軍を有する前南冨を土木工事と海戦が得意な異民族の兵士を用いることによって撃破、&bold(){6578年}に前南冨を滅ぼし中原全土を制圧、&bold(){6580年}には国号を&bold(){&color(purple){狼}}とした。 **・狼王朝統治下(6580年~6889年)  前南冨征服後&bold(){&color(red){ライ・ハーン}}は2つの新しい都((景都と完安))を建立、塩を基にした兌換紙幣の発行や運河建設によって商業を推奨し、また安定した社会の下技術も発達、染付陶磁器など新しい特産品が登場した。反抗的な一族は粛清する一方で同母弟が建国した&bold(){&color(purple){アル・ハン国}}や&bold(){&color(purple){ジャル・ウルス国}}((パリ・ハンが建国))と緩やかな連合体制を創出し、商人の安全を確保した。  しかし&bold(){6621年}に6代皇帝&bold(){&color(red){テルー・ハーン}}が没すると内乱が続き、さらに商業の推奨によって、世界的に伝染病が蔓延、&bold(){6687年}には韓族の反乱によって中原の領土を喪失、残った領土も一族によって細分化されたため昔日の国力を失い、&bold(){6889年}にはジャーガルク人酋長&bold(){&color(red){エゼ・ベク}}によって最後のハーンである&bold(){&color(red){チベ・ハーン}}が殺害され、狼王朝は完全に消滅した。 **・戦国時代(6889年~7205年)  &bold(){&color(red){エセ・ベク}}はその武威によって大陸領統一に成功するが、各部族の行動を統制する力は無く、別のジャーガルク人ベクによって暗殺、彼の財産は一族と各地の有力者によって細分化され、小勢力が各地で乱立した。そのような中で&bold(){&color(red){チベ・ハーン}}の弟の曾孫である&bold(){&color(red){ダーン・ハーン}}が&bold(){7167年}にゾロタ列島を領有する80代目&bold(){&color(red){リク・シャー}}の婿養子となり、列島からの収入((狼王朝によって灰吹法が流入し、鉱山開発が盛んになっていた。))を元手に軍備を整え、[[アトリオン>立憲王政アーカルソン=リペルニア]]から流入した&bold(){マスケット銃}を装備した竜騎兵を率い、大陸領再統一を図るが、国土の5分の3を支配した時点で戦死、彼の領土も一族と元部下によって分割された。  イクファターナからマスケット銃が伝来して以降は経済力の弱いベクは淘汰されていき、その中でハルラ盟国4郡と25ニル及びゼン国5群の支配者である&bold(){&color(red){トワクー・ベク}}は自身の一族が13代可汗のテルゥの子孫であることを“再発見”しそれを認めた83代目&bold(){&color(red){ヨーセン・シャー}}によって&bold(){7205年}108ベクの長である可汗に任命された。 **・エルリナン可汗時代(7205年~7547年)  初代可汗&bold(){&color(red){トワクー}}は本拠地をヴァルヒニー・ミニストに近い&bold(){エルリナン}とし、地方政治を各地のベクに委任することによって政権を安定させ、また約1400年ぶりに穴あき銭を発行、それと共に街道を整備して流通と経済を発展させた。  2代目可汗&bold(){&color(red){デーン}}はシャーとベクを統制するために&bold(){基本法}を制定し、また各地のベクに1年の3分の1以上をエルリナンで過ごさせることを義務付けた。((この制度は10代可汗・ヨシャンの時代に可汗への穀物の上納を条件として60日の滞在に緩和された))その後、各地で新田・新畑の開発が進み人口は増加、また商品作物の栽培と都市の発達によって庶民文化が栄え始めた。  しかし12代可汗&bold(){&color(red){サッダン}}の時代より門徒開放や移住を求めるイクファターナ人の越境が増加、可汗側は開港要求を飲み、&bold(){7532年}より領事裁判権と関税自主権の一部制限を含む条約をイクファターナ諸国と結んだ((初期には攘夷を試みたベクもいたが1群が占領される結果となり失敗、失った群は16代可汗&bold(){&color(red){ヨエン}}の時代に金の支払いによって返還された。))その後可汗政権の財務長兼である&bold(){&color(red){リーオグン}}と海防長官の&bold(){&color(red){ツーズ}}が中心となって留学生をイクファターナ諸国へ送り、また穀物・茶葉・生糸の輸出を増進し、その資金で&bold(){造船所}・&bold(){製鉄所}の建造と、イクファターナ人を教師として雇い、学校制度の整備を進めた。&bold(){7532年}には官制をイクファターナ式に改め試験による任官を開始、また&bold(){公武合体}政策として&bold(){7547年}に16代可汗&bold(){&color(red){ヨエン}}の息子と96代目&bold(){&color(red){メイカ・シャー}}を婚姻させ、国家元首をシャーに統一した。 **・近代ジャーガルク・シャー国(7547年~現在) &bold(){・国家元首統一後から[[ジャーガルク・礼戦争]]時代までも領土} #image(近代.jpg,,height=1000)  &bold(){7558年}には新通貨&bold(){シル}を発行、そして同年に中央政府の軍事力を背景に爵位授与と年金支払いを条件として、地方ベク政権の解体と元ベクの首都タビラ・ゾロテ・プラトへの移住をおこなった。これに対して債権が多く、分割相続によって財産が細分化し弱体化したベクには対抗できなかった。  &bold(){7562年}には皇族と貴族を除く身分制度を廃止し、それによって&bold(){7563年}に発生した反乱を翌年鎮圧、&bold(){7560年}には税制を改革し貨幣による納税を義務付けた。そして&bold(){7571年}に近代民法を(施行は1891年より)、&bold(){7575年}に近代的な欽定憲法を制定し(施行は7573年より)初代首相には&bold(){&color(red){リーオグン}}の元部下で留学経験のある&bold(){&color(red){トンナン公が就任した。}}  &bold(){7586年}に国境・漁業権・利水権に関する対立より礼帝国と開戦([[ジャーガルク・礼戦争]]、旧式の礼軍中央を撃破し、多くの領土を獲得、&bold(){7588年}にファンシュー地区と麗江の割譲を条件として停戦した。((その後礼帝国は&bold(){7599年}に滅亡、内紛の後&bold(){7613年}[[清河人民社会主義共和国]]が誕生した。))  戦争後には大戦の特需もあり重工業化が進み労働者階級が誕生したが、それにより7600年代より労働争議が多発、また&bold(){7608年}には大戦終了による需要減少と不良債権の増加により銀行の倒産が相次ぎ恐慌が発生、その中で&bold(){7609年}に農村の貧困救済と君側の奸排除を名目として青年将校改革団によるクーデターが発生し首都を占領した。(&bold(){12.1クーデター})  しかし陸軍の&bold(){&color(red){マスタン少将}}軍の反クーデター(&bold(){2.8クーデター})によって青年将校改革団は約1か月で壊滅、その後マスタン将軍を首班とする臨時政権が誕生するが約3か月後にマスタン少将は病死((暗殺説もある))部下の&bold(){&color(red){ラツキ大佐}}が次の首班となるが約1か月後に同僚の&bold(){&color(red){ザンナ大佐}}のクーデター(&bold(){7.09クーデター})によって失脚、ザンナ大佐は国内の左派革命勢力と協力してクーデターを起こしたが、政策を巡りザンナ側と左派革命勢力の間で対立が発生し、クーデターより約2か月後左派革命勢力の掃討を開始、しかし掃討作戦の最中に左派革命勢力の暗殺者によってザンナ大佐は暗殺、だが左派革命勢力は富裕層と見なした市民の虐殺と内紛によってさらに弱体化、ゼン国防衛司令官&bold(){&color(red){クォラウ中将}}の軍によって殲滅された。  クォラウ中将は臨時政権の首班となり&bold(){7610年}に国政選挙をおこなったが、首相選挙では僅差で当選したものの、国会は過半数の議席を獲得できなかったため軍隊による議会の停止と独裁を試みたため、クリルタイ議員が説得し半強制的に引退、再度国政選挙がおこなわれ、元老院推薦の&bold(){&color(red){ハム・L・C・サンド海軍中将}}が首相となり農場の大規模化と&bold(){年金・失業保険制度}の確立及び返還義務にない奨学金制度確立が進められている。  そして&bold(){7618年}には隣国[[清河社会主義人民共和国]]と[[ジャーガルク・清河不可侵及び通商条約]]を締結し、同国を世界で最初に承認し、軍事的負担の軽減を目指している。 **・近年の事件 ・&bold(){7618年7月24日}【[[蟹工船の反乱]]】 ・&bold(){7619年1月29日}【[[麗江事件]]】 -&bold(){参考文献}   国立タビラ大学史学部本土史科E・ヒスン教授著   「ジャーガルク本土史概要」   国立プラト大学史学部大陸史科L・ファツ教授著   「大陸史」   私立サン・ドン大学歴史学部ロナン教授著   「本邦の近代史」   国立VM大学歴史学部古代史科ダッタ助教授著   「古代からの系譜」 *&bold(){・国民}  クリィサリス朝からの混血政策、近年の中央集権化政策及び学校教育の推進とラジオの普及によって本土人口の約90%近くである約9050万人が&bold(){狼人ヴォウク族}と&bold(){人}の混血である&bold(){ジャーガルク人}であり、チェスタクォ人やジャーガルク人などの狼系人種は多産の傾向があり、一回の出産でチェスタクォ人は3~4人、ジャーガルク人は2~3人出産する。  また狼系人種の嗅覚も大変優れており、ジャーガルク人の場合は約1300mの、チェスタクォ人の場合は約1500m先の臭いを嗅ぎ分けられ、匂いだけで他人がどの様な事を考えているかや健康状態が分かるとされており、一方でジャーガルク人を含む狼系住民は視力も高く、細胞性輝板が目にあるため夜でも目視できる。 **・狭義のジャーガルク人  北方遊牧民族の&bold(){狼人ヴォウク族}と農耕・漁労民である&bold(){ホモ・サピエンス}や&bold(){ヌグ族}等人類種の混血で&bold(){半亜人種}、彼らの身体には特徴的な狼耳と尻尾が存在し、また満月の夜には一時的に体毛が濃くなり、狼のような顔に変化する人も存在する。 **・チェスタクォ人  主にハルラ盟国北部の山岳地帯で生活し、狼人ヴォウク族の血が濃く残っていると言われいる住民、彼らにはチェスタクォ人としてのアイデンティティは無く、この呼称は山岳地帯に住んでいる様々な部族・氏族をジャーガルク人がひとまとめにしたものであり、彼ら自身が自らの所属を名乗る場合は~族または~氏のジャーガルク人と名乗ることが多い、約150万人がチェスタクォ人として登録されており、彼らの見た目は文字通り二本足の狼であり、 **・ヌグ族  &bold(){ホモ・ソーラネウス系}の漁労・狩猟採取民に分類され((一応里芋栽培など農耕も行う。))ゾロタ列島北部に多く住んでおり、ジャーガルク人は嘗て彼らを&bold(){海人族}と呼んでいた、現在は大多数がジャーガルク人と混血しているものの伝統的生活を送っている。 **・ケンタウロス  ハルラ盟国に多く在住しており下半身が馬の様な体で、、[[モスン帝国]]崩壊後ジャーガルクの住民となった、現在は狩猟採取や毛皮の販売を生業として生活している。 **・金鱗衆  &bold(){シンガ}各地に分散して生活する&bold(){ラミア}の一族、元々は各地の&bold(){鉱山}で採掘を行い生計を立てる一族であり、主に地下の巣穴で生活しており、&bold(){[[モスン皇帝>モスン帝国]]}の時代、同国に従い、&bold(){工兵}として坑道戦等で活躍した。  現在でも&bold(){ジャーガルク・金鱗衆}は&bold(){古い盟約}に基づきモスン皇帝の末裔であるジャーガルクのシャーに臣従しており、&bold(){鉱山会社}の幹部や&bold(){工兵部隊}の将校が金鱗衆(ラミア)である場合が多く、近年ではムスルマーネン政府の注文で奴隷輸送用の地下通路も掘削している。  一方、モスン帝国の対外遠征によってシンガ各地に金鱗衆の集落が存在し、一部は((清河政府が採掘した鉱物を勝手に全部徴収した等の))現地政府との対立により、山岳地帯や過疎地の地下にある巣穴で生活しており、鉱物の採掘だけではなく、地下通路を利用した運輸・交通によって生計を立てている。 **・韓族  狭義のジャーガルク人の次に人口が多い民族であり、主にファンシュー地区で生活しており、その出自は元々住んでいた、清河の革命から逃れてきた、大昔に商売のため移住した等、様々である。 **・ファンシュー地区諸民族  ファンシュー地区南部には&bold(){米}を主食とする&bold(){セン族}・タロイモ類などを主食とする&bold(){シル族}・山岳民&bold(){ラ族}・狩猟採取民である&bold(){ミィクァ族}・商業民である&bold(){メトラ人}の5民族(ジャ-カルク人視点)が住んでいる。 **・イミッグラッチオーネ・イクファターナ人&メスティーソ  ジャーガルクに在住する&bold(){イクファターナ}人の内、&bold(){グラニツァ領土}がヴェネーツィア又はレオネッサ領だった時代に移住してきた住民の末裔で、今でもグラニツァの&bold(){プレコルドンナ道}に多く在住し、特に現在は[[レオネッサ王国]]に併合されたヴェネーツィアに出自を持つ者は、ヴェネーツィア人を名乗っており、また同地の先住民である[[有翼亜人]]と混血した者は&bold(){メスティーソ}と呼ばれている。 **・人魚  定説では&bold(){ホモ・サピエンス}の進出によって、地上にニッチを失った旧人類が、海洋生活に適用して誕生したとされており、厳密には北限種と南方種(ゴーシュ種)に分かれ、北限種はシンガ北部を中心に50~100匹の群れを形成して生息している。  列島付近に生息する北限種は&bold(){ヌグ族}と関わりが深く、通婚もあったとされ、一部の種族は列島の王権に臣従し、アザラシの肉や鯨油、セイウチの牙と穀物を交換していたと記録に残っており、その関係はジャーガルク建国後も続き、北方人魚との交易は列島勢力の大きな収入源となっていた。  維新後はジャーガルクの定住政策により、支援金が与えられるようになっており、約2万人の人魚がジャーガルク沿岸に居を構え(定住した者には選挙権も認めている。)、一部の者は海軍特殊工作員として働いている。  一方南方種は古代より魚介類を狩り生活していたが、肉が美味で警戒心が薄く、食べると長生きできるという迷信があったため、韓人を中心としたシンガ南部の住民に狩られてきた歴史があり、7200年代以降は油採取を目的として&bold(){イクファターナ人}達が乱獲し個体数は減少、シンガ諸国でも漁業の近代化に伴い&bold(){底引き網}と&bold(){内燃機漁船}が導入されたため7500年代以降には絶滅が危惧されるようになり、それに目を付けた&bold(){ムスルマーネン}の奴隷商人たちが高値で取引するようになって、さらに[[ヤーディシア大戦]]中各国海軍が機雷を敷設し、潜水艦対策として爆雷を投下した結果、それに巻き込まれ多くの人魚が死亡、7616年に慌ててジャーガルク政府が保護を開始した時には個体数が6000匹に減少していた。  その後、ジャーガルク政府はラン市の近海に保護区を設定したが、同市に[[空賊連合組合]]が襲撃してきた際、連合の&bold(){毒もみ}によって多くの人魚が攫われ、ブラックマーケットに売られた。生き残った個体は僅か100匹であったため、彼らは種を維持するため北限海の人魚集落に集団移住した。  なお人魚は発声する事ができないが、ジャーガルクが義務教育を行った結果、文字の読み書きはある程度でき、また超音波を用いた独自のコミュニケーション能力があるとされている。 &bold(){・7628年集計ジャーガルク・シャー国本国の人種構成(保護国は除く)} |民族名称|人口|特徴|h |&bold(){ジャーガルク人}|約9050万人|半狼獣人・主流派人種| |&bold(){チェスタクォ人}|約260万人|狼獣人| |&bold(){韓人}|約500万人|[[清河>清河人民社会主義共和国]]成立後亡命した者も含む| |&bold(){セン人}|約50万人|| |&bold(){シル人}|約25万人|ゾロタ列島北部に住んでおり里芋を主食としている。| |&bold(){ラ人}|約12万人|ホモ・ソーラネウス系で山岳民、[[トゥガ国]]の主要民族| |&bold(){ミィクァ人}|約25万人|| |&bold(){ヌグ人}|約12万人|ホモ・ソーラネウス系で漁労の民| |&bold(){メトラ人}|約35万人|メトラ信者| |&bold(){ケンタウロス}|約20万人|| |&bold(){人魚}|約15万人|| |&bold(){金鱗人(ラミア亜人)}|5万人|| ・プレコルドンナ道の人種構成 |民族名称|人口|特徴|h |&bold(){ジャーガルク人}|約177万人|| |&bold(){ヴェネーツィア系イクファターナ人}|約80万人|| |&bold(){イクファターナ人}|約35万人|| |&bold(){メトラ人}|約6万人|| |&bold(){メスティーソ}|約120万人|先住民とイクファターナ人の混血者| |>|>|先住民系|h |[[有翼亜人]]先住民|約8万人|| &bold(){過去のデータ} #region &bold(){・ジャーガルク・シャー国本国の人種構成(保護国は除く)} |民族名称|人口|特徴|h |&bold(){ジャーガルク人}|約8060万人|半狼獣人・主流派人種| |&bold(){チェスタクォ人}|約200万人|狼獣人| |&bold(){韓人}|約425万人|[[清河>清河人民社会主義共和国]]成立後亡命した者も含む| |&bold(){セン人}|約40万人|| |&bold(){シル人}|約20万人|ゾロタ列島北部に住んでおり里芋を主食としている。| |&bold(){ラ人}|約10万人|ホモ・ソーラネウス系で山岳民、[[トゥガ国]]の主要民族| |&bold(){ミィクァ人}|約20万人|| |&bold(){ヌグ人}|約10万人|ホモ・ソーラネウス系で漁労の民| |&bold(){メトラ人}|約25万人|メトラ信者| |&bold(){ケンタウロス}|約15万人|| |&bold(){人魚}|約10万人|| ・プレコルドンナ道の人種構成 |民族名称|人口|特徴|h |&bold(){ジャーガルク人}|約140万人|| |&bold(){ヴェネーツィア系イクファターナ人}|約70万人|| |&bold(){イクファターナ人}|約30万人|| |&bold(){メトラ人}|約5万人|| |&bold(){メスティーソ}|約100万人|先住民とイクファターナ人の混血者| |>|>|先住民系|h |[[有翼亜人]]先住民|約5万人|| #endregion *&bold(){・文化}  公用語はジャーガルク語であり韓(現在の[[清河人民社会主義共和国]])の文字を基に作られた&bold(){列島文字}・&bold(){僧文字}が&bold(){韓字}と共に利用されている。識字率は約99%であり、&bold(){第二外国語}としては&bold(){アトリオン語}が公立中等教育より教えられている。((ファンシュー地区を中心とした私立学校では第二言語として韓語が教えられている場合もある。))  ハルラ盟国を中心に遊牧が盛んであり、特に&bold(){馬・牛・羊・山羊・駱駝・ジャーガルクザウルス}は&bold(){六畜}と呼ばれ数多く飼育されている、しかし一方で草原地帯で飼葉の入手が難しいなどの理由により、鳥馬の飼育数は少ない、一方ファンシューでは民族ごとに独自の言語が使用されており、一応近年の学校教育によってジャーガルク語を第二言語として話せる人とジャーガルク文字の識字率は共に65%まで上昇している。  また羊毛や綿を原料とした&bold(){絨毯}生産も盛んであり、&bold(){唐草文様}・&bold(){アラベスク文様}・&bold(){忍冬文様}等、様々な模様や動植物の図柄で埋め尽くされた、手織りの高級品から、機械で生産された安価なものまで様々な物が売られており、輸出も盛んである。 **・文字  &bold(){5500年代}までジャーガルク人達は&bold(){韓字}のみを用いてきたが、地名や人名などの固有名詞は、韓字をそのまま使ってもその音を書き記すことはできなかったため、ジャーガルク語の音に似た呼び方の漢字を当て字として用いる&bold(){借字}が行われていた。  その様な中で、&bold(){音節文字}として韓字を用いた場合、一部を略すことがあった、例えば仕事や創作活動で文字を書くことの多い、列島内の貴族・官吏達は&bold(){草書体}の文字を更に簡略化、これが&bold(){列島文字}へと変化していった一方、日常的に写経を行う僧侶たちは、韓文の経典を読みやすくするために、&bold(){送りがな}用として韓字の一部を&bold(){音節文字}として用いるようになり、これが&bold(){僧文字}に繋がった。  &bold(){[[狼王朝>モスン帝国]]}時代には、ジャーガルクや韓の文字ではモスン族の音を全て表現できないため、僧たちに新しい文字の創作を命令、&bold(){モスン文字}が誕生した、しかし、声調を区別できない表記法であったためと、モスン人自体がジャーガルク人に吸収され消滅した事から、&bold(){7000年代}に使用者が消滅した。 **・スポーツ  &bold(){競馬}・&bold(){弓矢}・&bold(){打毬(ホロ)}・&bold(){相撲}が4大スポーツとして親しまれている一方、近年[[フィルモア合衆国]]から流入したとされる&bold(){ベースボール}も人気を博しており、競技人口が増加しているとされる。 &bold(){・解説} |&bold(){競馬}|9歳以下の子供が30㎞以上を走る長距離のものがハルラ盟国を中心に祭祀の際行われる一方、イクファターナから流入したトラック状コースでのステークス方式競馬も人気を博している。| |&bold(){弓矢}|| |&bold(){打毬(ホロ)}|ゾロタ列島で人気の競技、2~4人のチームに分かれ、乗馬しスティックでボールを打ち、相手のゴールに運ぶと1点という感じで、得点を競うものであり、元々軍事訓練の一環であったため、弓と共に歴代政権によって推奨され、現在でも補助金が支払われている。| |&bold(){相撲}|ゾロタ列島と大陸で大きくルールの異なる競技、大陸ではひじ・ひざ・頭・背中・お尻いずれかが先に地面に着いた方が負けとなるが、列島ではそれに加え、土俵という場所からはみ出たり、掌が地面に着いた場合、負けとなる。| **・料理 国土が広いため各地に独特の料理が存在する。 ***・ゾロタ列島料理 豊富な魚介類を用いた料理が多数存在する一方、肉料理は少ない傾向があり、器は陶磁器だけではなく漆器が用いられる。 |&bold(){温麺}|胃腸が弱い家族が食べやすいように考案されたとされる油を使わない麺、| |&bold(){わんこそば}|一口大の蕎麦((蕎麦粉を用いた麺料理))を漆器の器に入れ、食べ終わるごとに給仕が器に蕎麦を入れる料理、| |&bold(){牡蠣小屋}|列島各地に存在する飲食店、バーベキュースタイルで牡蠣を焼いて食べる。また牡蠣以外にも様々な海鮮料理を提供している。| |&bold(){練り物}|タラなどの魚介類が豊富であるため、保存食として発達した。| ***・ハルラ盟国料理 羊肉・乳製品を用いた料理が多く、また料理には必ず蒸留酒が提供される。 |&bold(){モスンステーキ}|元々モスン人が軍事遠征に際し引き連れた多数の軍用馬を食べるために生まれた料理であり、乗用馬は食用馬に対して筋が多く肉が固かったため、鞍の下に刀で細かく切った肉を入れた袋を置いて馬に乗り、自分の体重と馬の運動で柔らかく潰した後調理していたものが由来、&br()箸でも食べられる肉料理としてジャーガルク国内で広まり、現在都市部を中心にモスンステーキを提供する店が多数存在する。| |&bold(){馬乳酒}|馬乳を原料とした乳酒、ジャーガルク人の一部とチェスタクォ人は丼のような器で1日に平均2ℓの馬乳酒を飲む、さらに馬乳酒を参考にして作られた乳酸菌飲料が開発されており、国内で大変な人気を誇っている。| |&bold(){ラグマン}|太い麺が特徴の料理| ***・ゼン国料理 ***・ファンシュー地区料理  古来より鉱山などで働く肉体労働者が多かったため、韓料理の中でも香辛料を多用する傾向が強い、 |&bold(){担担麺}|唐辛子とかん水で作られた麺を材料とする麺料理、元々は天秤棒に道具をぶら提げ、担いで売り歩いたファーストフードの一種であった。| **・陶磁器 中原より移住したり戦乱より逃れてきた職人が古来より移住してきたため、各地に伝統的な&bold(){龍窯}や&bold(){連房式登窯}が存在する一方工業化に伴って&bold(){電気窯}や&bold(){ガス窯}で陶磁器を製造する工場も多数存在する。 ***・ゾロタ列島の陶磁器 漆器生産も盛んであるため他の地域より生産は盛んではない、しかし&bold(){黒釉}などを用いて製造される茶色や黒の茶器は芸術品として人気がある。 ***・ゼン国の陶磁器  &bold(){酸化炎焼成}により作られるクリーム色の&bold(){白磁}や&bold(){還元炎焼成}により作成される&bold(){青磁}や&bold(){青白磁}が主製品で、加色・無文の物が多い ***・ファンシュー国の陶磁器  ファンシュー国はジャーガルク内で最も陶磁器生産が盛んとされており、&bold(){青花・釉裏紅・五彩・豆彩・粉彩・素三彩・炉鈞釉}など様々な技法を用いた色鮮やかな陶磁器が多く製造される。また[[ムスルマーネン>ムスルマーネン=カリフ国]]向けにコバルトブルーの陶磁器が多く作成されていた。 **・小説 現在流行っているジャンルは3種類ある。 ***・東方武侠小説 [[空賊連合組合]]から流入した冒険小説、内容としては義理人情に厚し主人公が武術を学び、その技を用いて強敵から虐げられている人々を守り冒険するというのが一般的である。 ***・高原青年小説 歴史小説という側面が強く、偉人が祖国の為戦い国を発展させていくというのが一般的な内容、愛国小説という側面もある。 ***・南方猟奇小説  近年ジャーガルクで流行している猟奇的な小説の系統、ジャーガルク本国から見て南方のムスルマーネンが発祥の地であり、舞台もイクファターナ等の南であるため、南方物と呼ばれており、代表的な作家に&bold(){惨酷}や&bold(){プラム・プルプリウ男爵}がいる。   礼帝国の宮廷画家であった惨酷は王朝滅亡後も富裕層の肖像画作製で生計を立てていたが、同国の共産化以後ムスルマーネンへ亡命、亡命後は生活費を稼ぐため、食肉加工工場に勤めた。  その後、裕福な商人の肖像画を描く仕事を開始するが、ムスルマーネンにおいて偶像崇拝禁止の風潮が強く、依頼される仕事は少なかったため、食肉加工工場で働いた経験を活かし、実用的な絵付き料理本である「兎亜人料理概要」を販売、元士大夫特有の詩的な文章と繊細な筆遣いで書かれた挿絵、そして何より美しい兎亜人を少しづつ切り刻んで食品にするというエロチズムな内容により、ムスルマーネン内で人気を博し、さらに同地に駐留していたジャーガルク軍の間で”芸術的本”として流行、やがてジャーガルク本国大衆の間でも同本が流行し増版された。その後惨酷は料理本シリーズとして亜人・タヴエリア人料理の本を次々と作成し、それらは「料理本シリーズ」として人気を博している。  一方、プラム・プルプリウ男爵は元々若輩に属する者であったが、粛清から逃れるためフィルモアへ亡命を決意、だが乗る船を間違えてムスルマーネンへ送られてしまった。しかし奴隷制を許容するなど吸血種にとって暮らしやすい都市であったため、同地での生活を決意、その後は作家となり「山岳のサバト」「初夜権」等を発表し、美女を肉体的だけではなく、精神的に苦しめていくという高度な作風により一躍人気作家となる。 ・著名な作品 |タイトル|系統|著者|概要| |&bold(){祖国の誕生}|高原青年小説|アル・サン|コト・シャーを主人公とし、祖国誕生までの史実を基に書かれた作品| |&bold(){蝗と鷲が地を覆った後}|SF|高塔|近年、ジャーガルクで流行っている歴史改編SF小説、内容は礼帝国が[[ジャーガルク・礼戦争]]に勝利し、その結果シンガの殆どを制圧、そしてヤーディシア大戦で中央同盟側を勝利に導き、ヤード帝国との東西冷戦を経て世界を統一するという内容の人間群像劇である。&br()一部の国では歴史を歪曲する内容として禁書扱いされており、著者は易経に従って書いたとインタビューに答えている。| |&bold(){三国騒乱}|東方武侠小説|老ファン|中原の&bold(){皇帝分立時代}を舞台とした小説、主人公の青年武闘家が人民の安寧を取り戻すため、王微軍に参加し盗賊や敵軍閥の戦士を打ち破っていくという内容で、簒奪者の魏紺を頭光盟に見立て、暗に清河を非難している。| |&bold(){兎亜人料理概要}|南方猟奇小説|惨酷|兎亜人を食肉に加工する手順からそれを用いた12種類の料理を解説した本、兎亜人のキャラクターが描かれており、彼女が食肉加工や料理作製のワンポイントを解説している。&br()元々は唯の料理本として販売されたが、内容が官能的であるという理由から爆発的な人気を獲得し、後の作品(「美味しい兎さんハンバーグ」・「熟成ダレの亜人焼肉」等)ではさらにエロチックな作風となっている。| |&bold(){山岳のサバト}|南方猟奇小説|プルプリウ男爵|吸血鬼の集団が亜人の集落を襲撃し、村民を親と子に分け、子供を親の前で凌辱・暴行し殺害しその肉を親の口に押し込むという内容、被害者を精神的に追い込む手法から高く評価された。| |&bold(){初夜権}|南方猟奇小説|プルプリウ男爵|吸血種の領主が村民の結婚式場を襲撃し新郎を去勢、彼を召使とした後、新婦を彼の前で寝取り、最後は命を助けると言って、新婦に新郎を殺害させ、また彼女を豚小屋に放り込み、豚の相手をさせるという内容、ジャーガルクでは基本的に寝取り物は人気が無いが、例外的に売れた。| *&bold(){・教育制度}  学校制度は&bold(){分岐型学校体系}であり6年制小学校の後は大学進学を目指す&bold(){6年制ギムナジウム・6年制専門学校・6年制の基幹学校・4年制幼年学校}に分かれる。また&bold(){陸軍・海軍士官学校の受験資格は16~19歳}の年齢制限があり、士官学校は勿論の事、その他の中等教育・高等教育機関も公立であれば学費を払う必要はない、また国都を中心に国立・私立大学が存在し、大学進学率は約10%以上である。 *&bold(){・宗教}  歴代政権の政策([[円十字教]]徒やメトラ教徒への特別税)や昏睡麗冨宗嚮導者時代の虐殺のため、現在円十字教徒やメトラ教徒は併せて人口の5%以下である。 ジャーガルク人・チェスタクォ人を中心として約90%が「インベンドル」を主神とした民族的要素の強い多神教を信仰しており、聖典としては古代に編纂された「&bold(){アンディゴイ・インフォルメ}」(実際には歴史書・風土記の要素が強い)が存在する。この本は文化も出自も違うゾロタ列島・ゼン国の諸部族やヴォウク族の伝承を纏め「インベンドル」という同一の祖先を“発見”することによって民族意識を創出するのに貢献した。  またファンシューの住人は少数のメトラ教徒を除き、民族ごとに独自の多神教を信仰している。特にラ族やヌグ族の信仰と文化は南方のダハーカ系部族との共通点がタビラ大学文化人類学科&bold(){コ・フク助教授}などによって指摘されている。 ・便乗[[浮屠教]] 関連項目[[浮屠教]]  ジャーガルク本土においてメトラ人以外は殆ど、現地の信仰と習合した便乗浮屠教を民族の神と共に信仰しており、特に葬儀においては民族問わず僧侶に読経してもらう事が伝統となっている。その理由は[[トゥガ国]]より来訪した&bold(){渡来僧}達が現地の信仰を認めつつ信仰を各地の民族へ植え付け、またジャーガルクを支配した歴代政権が基本的に[[浮屠教]]を保護したからである。 *・&bold(){固有種} |名称|大きさ|生息地|解説|h |>|>|>|哺乳類|h |&bold(){イェレェン}|身長約150~&br()200cm|ファンシュー地区| 類人猿の一種、人間と同じような2足歩行でなおかつ体表が黒又は茶色の毛に覆われており、古代に生息していた原人の生き残りではないかと推測されている。| |&bold(){ハトゥン・ウクチャ}||グラニツァ|グラニツァ地域で飼育されているげっ歯類の仲間、繁殖や飼育が容易く、体格も大きいため、肉や毛皮の為飼育されており、現地の肉屋やスーパーで切り分けられた肉が普通に販売されている。]]| |>|>|>|鳥類|h |&bold(){ハイイロ草原ワシ}|全長約50~&br()60cm&br()(ゾロタ列島の個体は島嶼化の影響で75~100cm)|ハルラ盟国&br()ゾロタ列島&br()ゼン国|猛禽類、体毛が灰色なのは草原の空に擬態するためであると言われており、古来より鷹狩で使用されている。&br()またコト・シャーのゾロタ列島遠征時には彼女のワシが戦闘に加わり、戦功をあげたと伝えられている。| |>|>|>|爬虫類|h |&bold(){ジャーガルクザウルス}|全長10~&br()15m|ハルラ盟国|ティタノサウルス上科のカミナリ竜、家畜として飼育されている。| |>|>|>|両生類|h |&bold(){シィルサンショウウオ}|全長1.5~&br()2m|シィル海|迷歯亜綱分椎目の両生類、寒冷でワニが進出しなかったシンガ西部において大型の両生類が多数生息しているが、その中で最大の種族であり、姿は扁平で水辺に来たウサギなどの小動物を捕食している。| |&bold(){列島サンショウウオ}|全長40cm~&br()1m|ゾロタ列島|| |>|>|>|魚類|h |&bold(){シィルフナ}||ゼン国&br()ファンシュー地区|シィル海を中心に、周辺の汽水・淡水域に生息するフナの一種| |&bold(){北限海タラ}||北限海|タラの一種、練り物の原料となる。| |>|>|>|節足動物|h |&bold(){ミドリアナホリムシ}|全長約10cm~&br()2m|ハルラ盟国|&bold(){ヒヨケムシ}の仲間で巨大な顎をもつ、通常の個体は10~50cmで昆虫およびウサギやネズミのような小動物を捕食するが、稀に1~2mの個体が存在し人や馬・牛などの家畜を捕食することがある。| |&bold(){コウテイグソクムシ}|50cm~&br()200m|北限海|水深3000以下の場所に生息するグソクムシの一種、普段は大変おとなしく、10~100匹の群れを成して生活しているが、一定数の個体が地上の生命体によって殺されると、1000匹以上の群れを創り、上陸し地上に存在する物を破壊する。| |>|>|>|植物|h |&bold(){ゼンニンジン}|10~&br()30㎝|ゼン国|をウコギ科の植物、古来より根が滋養強壮と万病に効く生薬として重宝され、カラン朝時代には高級品として柱王朝に輸出されていた。&br()またカラン朝のユウ上王はゼンニンジンの専売を目論見、ゼン国へ遠征し現地の豪族にゼンニンジンの朝貢を義務付けており、また柱王朝の衰退によってゼンニンジンの需要が減ったため、末期カラン朝は財政難に陥っていたとも言われている。| |&bold(){油松}||ゾロタ列島|松の一種、樹液を精製すると航空燃料として用いることができる。| *・&bold(){人物} -近代皇家の系図 |名前|生年|地位及び役職|解説|h |>|>|>|BGCOLOR(YelloW):~皇族|h |&bold(){[[クリィサリス・キケ・ジャ・サフィロス・ワタ・シャー]]}|7559年|現ゾロタ列島・ハルラ盟国・ゼン国・ファンシュー地区を統治する諸王の王&br()ジャーガルク全国民のシャー&br()転輪法皇帝&br()トラトアニ&br()陸軍騎兵部隊大佐|現ジャーガルク・シャー国元首| |&bold(){サフィロス・ホヒロー}|7584年|正紫旗王&br()空軍少佐|ワタ・シャーの長女、次期シャーと目されている(但しジャーガルク・シャー国の後継者指名方式は&bold(){太子密建}であるため、必ずしもそうであるとは言えない、7610年に&bold(){吉良ツクヨミ}と結婚し4児の母親となった。| |&bold(){サフィロス・リアン}|7588年|正黒旗王&br()海軍少佐|ワタ・シャーの次女でサフィロス・マベクは双子の兄&br()潜水艦の艦長であり趣味は競馬と飲酒| |&bold(){サフィロス・マベク}|7588|陸軍諜報部大尉|ワタ・シャーの長男でサフィロス・リアンは双子の妹である。| |&bold(){サフィロス・マク}|7591年|正黄旗王&br()兵站軍中尉|ワタ・シャーの三女| |&bold(){サフィロス・リーク}|7591年|海軍少尉|ワタ・シャーの次男| |&bold(){サフィロス・べェアン}|7584年|元陸軍騎兵部隊少佐| 正白旗王アッスァンとワタ・シャーの弟であるオカンブの娘、幼いころより武術に長け、また人望も少なからずあったが、7607年の騎兵削減政策に不満を抱いており、&br()また7608年に当時陸軍航空隊中尉であったホヒローと宴会の席で口論となり(「弓馬の伝統を忘れ、座して戦をしようとする愚か者は我が国のシャーに相応しくない!!貴様は馬糞拾いからやり直せ!!」とホヒローをなじった)&br()その上で軍刀で切り付けるという事件を引き起こした。その事によってファンシュー地区駐留軍に左遷されたが&bold(){7.09クーデター}後、首班のザンナが個人的に気に入らないという理由で、部隊を率い任地を勝手に離れ、左派革命勢力に協力、&br()しかし革命勢力が劣勢となるとあっさり裏切り、クォラウ中将側と協力し左派革命勢力を虐殺、中将の臨時政権で現役軍人が大臣になってはならないという慣習を破り、陸軍大臣となるも、クォラウ中将引退後には失脚、&br()その後旗王の継承権を剥奪され、(白旗王の継承者権は現在、妹のオクジェが有している。)国外追放処分を受ける。&br()現在は大陸浪人?として元騎兵部隊の部下を率い傭兵業を行っている。(一説では元騎兵部隊の人材を保持する為、ワタ・シャーが支援しているとも言われている。)| |>|>|>|BGCOLOR(blue):~政治家|h |&bold(){ハム・レスタ・サンド}|7555年|元海軍中将&br()元首相|海外に派遣されたことが多く、語学力と国際法の知識が豊富であるという理由で元老院に推薦され、首相となった(任期7610年~7618年)| |&bold(){アキ・モリ}|7570年|陸軍少将&br()首相|ジャーガルクの新首相、父親は列島内小藩の家臣であり、同藩末期に藩士の&bold(){収入均一化}・上級藩士の軍役と&bold(){陪臣}削減による&bold(){中央集権化}と&bold(){イクファターナ}式兵装導入による藩政改革を行い、&br()それにより時の可汗に引き立てられ陸軍大臣にまで出世したアキ・ソウで、母親はジャーガルクの名門貴族出身というサラブレットである。&br()しかし父親が門閥嫌いであったため、幼少期の生活水準は一般的な農家と変わらず、厳しく教育され、その後、陸軍幼年学校に入学し歩兵部隊将校として順調に出世を重ね、ジャーガルク・礼戦争に従軍、同戦争で機関銃の威力を目の当たりにして、火力重視主義者となる。&br()その後、陸軍少将にまで出世し、陸軍の火力強化を推進、特に歩兵支援用の&bold(){機銃戦車}増強を重視しており、予算争奪関係から海軍・陸軍とは仲が悪いが、一方で価格が安く歩兵支援に最適な襲撃機を評価している。&br()クーデター発生時は家族が賊軍の人質となっていたが「軍人は政治に関わるべきではない」として介入を拒んだ一方、少数の兵と共に宮殿を護衛し続けた。&br()その後、共匪討伐で活躍し立憲党から首相選挙への立候補を勧められたが断り、その後も軍人として仕事を続けたが、首相選挙での候補者分立(当時自由党が議会で躍進していたが、首相候補を絞れず、2人の候補者が並立、首相選挙で過半数を獲得する候補者が現れなかった。)により立憲党・自由党から乞われて首相選挙に立候補、過半数の票を獲得し首相に就任した。&br()&bold(){レオネッサ・清河}の軍拡を警戒し、自国の陸軍強化・近代化を主張しているが、&bold(){産業勃興}や&bold(){教育の機会均等}、&bold(){公衆衛生}の重要性も理解しているため、議会や国民の反対を押し切り軍備増強をすべきではないとしている。&br()なお父親の形見として&bold(){ガトリング砲}を所有しているため、ガトリング首相(又はガトリング宰相)とも呼ばれており、風刺画でガトリング砲を構えるものも存在する。| |&bold(){チャル・クイ}|7573年|内務大臣|飴と鞭政策を前提として、政府による積極的な財政出動を許容する思想を有しており、特にワクチン接種や公衆衛生向上に対する出資に積極的、前内閣からの続投という形で内務大臣を務めている。| |&bold(){ベズツ・スピップラ}|7558年|外務大臣|諸外国との協調と現在の国際秩序の維持を重視しており、また文化外交に力を入れている。| |&bold(){エヴィアンヌ・ガンベレット}|7593年|プレコルドンナ道知事&br()ファンシズム正義党統帥|プレコルドンナ道の現道知事であり、ジャーガルクの地域政党ファンシズム正義党の統領、レオネッサ系ジャーガルク人であり道内の中流農家の父とその愛人であった母の間に私生児として生まれ、中等教育終了後、地元の酒場で歌手兼ウェイトレスとして働き始めた。&br()16歳の時に地方公演でやってきた男性歌手の愛人となり道首都パスカ市へ移住、歌手とはすぐ別れ、女給として働きつつ広告モデルや小金持ちの愛人として生計を立てていたが、愛人の一人である映画監督の伝手でB級マカロニ騎士映画(円十字軍等をモチーフにした騎士映画の蔑称)のヒロインとなる。&br()その映画で持ち前の歌唱力と美しいタンゴを披露した彼女は一躍人気女優となり、映画だけではなくラジオ番組のアナウンサーにも抜擢され、道内で彼女を知らない人はいなくなった。&br()その後ファンの一部が黒シャツ隊を模倣し親衛隊を結成、いつしか彼女は政界進出を勧められるようになる。&br()そして7618に新政党&bold(){ファンシズム正義党}を結成し、&bold(){皇防党}の支持を得て道知事選挙に出馬、見事知事となる。しかし彼女には特段政策があるわけではないので、人気獲得の為、道議会選挙への女性参政権を認めたり、富裕層への寄付を募って集めた金を貧困層へ再分配するくらいしか政治的な事は行っていない、そのため上司であるワタ・シャーからは「レオネッサのドゥーチェを模倣することしかできない頭空っぽの娼婦」と評されている。| |>|>|>|BGCOLOR(purple):~在外大使| |&bold(){ゾロブド・二マエ}|7565年|駐アトリオン大使|旧シュー藩主家臣一族の生まれ、母方の祖父が蘭学者で、アトリオンの書物を彼に読み聞かせており、齢18歳でアトリオン語をマスターする。&br()アトリオンの哲学を学びたいという理由でリニス大学に留学、大学卒業後哲学者を目指すも、親に反対されて外務省に入省、その後アトリオン大使となる。&br()特性&br()【魅力的な交渉人/Charismatic Negotiator】【稚拙な陰謀家/Amateurish Plotter】【明敏 / Quick】【学者 / Scholar】【勤勉 / Diligent】【謙虚 / Humble】| |&bold(){ピドズリ・リスタイ}|7530年|駐清河大使|7530年に将軍八旗兵士の家に生まれる。新しく誕生した洋式学校を首席で卒業後、外務省に入省、直ぐに官費でリニス大学に入学して法学を学び、卒業後は古典や韓文にも精通していたため、対礼帝国外交を担うようになる。&br()[[ジャーガルク・礼戦争]]前夜には、親礼帝国派外交官の中心人物として、ジャーガルクが礼帝国に妥協して開戦を避けるべきと主張し、新聞各社は彼を売国奴として非難した。(一説ではジャーガルクが敗戦した場合の保険として、わざと彼に親礼帝国外交官を演じさせたという説もある。)&br()戦争終結後は戦前の言動により一時期閑職に左遷されたが、7601年に中原に人脈があるという理由で、対中原外交担当の一人となる。他の職員が動乱で混乱する中原の軍閥をいくつか支援し、ジャーガルクの傀儡緩衝政権を打ち立てようと画策する中、独自に入手した情報より大演習程度の戦闘しかできない軍閥に支援すべきではないと主張、さらに唯一政権運営がまともな清河へ使節を送り、関係構築を試みた。&br()中原の軍閥内戦終了後、彼の予想どうり軍閥は全て崩壊し、社会主義勢力の清河となったため、その功績により駐清河大使となる。&br()個人的に清河政府関係者と対談することが多く、また散歩と写真撮影が趣味で大使となった今でも様々な場所に出かけることが多い。| |&bold(){ムハムド・アザーフール}|7581|タヴェリア方面大使|ジャーガルクのタヴェリア方面大使(タヴェリア方面の外交を総轄する地位、支部にザルバチ領事館がある。)ムスルマーネン商人とタヴェリア系奴隷の子として生まれ、算術が得意という理由で解放奴隷となり、18歳の時父親が亡くなったため遺産の一部を受け継いだ。&br()遺産相続後、それを元手に奴隷商人になろうとしたが同時期開放した母親が「奴隷商人にだけはならないでくれ」と懇願した為、代わりに雑貨・食品を扱う商人となる。&br()一方7610年代にジャーガルク政府はタヴェリア方面への外交関係強化を勧めていたが、外務省内においてタヴェリア(特に黒人居住地)に詳しい人材が少なかったため、在野に人材を求めた結果としてムハムドの名が挙がり、奴隷貿易に手を出していないという事もあり大使となった。&br()彼自身は半タヴェリア人というコンプレックスからタヴェリアの非白人をどうしようもない野蛮人と見なしており、寧ろイクファターナの大国によって統治された方が経済が発展し、現地人にとってもジャーガルクにとっても都合が良いと考えている。&br()目下の悩みは母親がやたら服を脱ぎたがることと、自宅での奴隷使役を禁じている事であり頭を悩ませている。| |&bold(){ツカ・ヨスク}|7580|駐[[フィルモア>フィルモア合衆国]]大使| 元&bold(){広告代理店}社員で現フィルモア大使、元々は新聞広告の作成を行ってきた会社の社員であったが、ラジオ番組の発達に伴い、宣伝放送のプロデュースという新しい分野を開拓した人物である。&br()その経歴から世論が政治に強く反映されるフィルモア合衆国大使に抜擢、絨毯や陶磁器等の特産品を武器にジャーガルクのイメージアップを図っている。&br()宣伝文句は偏差値40の人にも理解できるようにする。&br()―――――――広告代理店部長時代の発言| |>|>|>|BGCOLOR(orange):~駐ジャーガルク大使|h |&bold(){スタンリー・ハクスリー}||アトリオン&br()駐ジャーガルク大使|経営管理修士(ニュースタックバラ大学)、経済学博士(アンゼロット記念大学)。ヴェルレニース生まれでニューリペルニアを拠点に貿易会社を経営してきた経済人。&br()大戦で中央海航路が使えなくなったため東西の大航路の重要性がさらに高まったことからアトリオン政府から招聘を受けて以降スタックバラで通商政策に関与するようになる。&br()戦後も外務省を中心に官僚として勤務し、蒼海海近辺の地理事情と言語に関する知識を買われてジャーガルク・シャー大使に着任した。&br()【金儲けの達人/Fortune Builder】【偉大な調停者/GREAT COMPROMISER】【レッセ・フェール資本主義者/LAISSEZ FAIRES CAPITALIST】【交易商人/Trader】【行政家/Administrator】【勤勉/Diligent】【社交的/Gregarious】| |>|>|>|BGCOLOR(gray):~軍人| |&bold(){アカ・スッジャ}|7565年|陸軍参謀総長&br()陸軍大将&br()全軍指揮輔弼局長官|ジャーガルク4軍制服組のトップ| |&bold(){アルァ・カミン}|7576歳|陸軍中佐&br()ファンシュー方面軍作戦主任参謀|陸軍一の秀才と目されており、「違う文化は共存できないためイクファターナとジャーガルクの文明の存亡を賭けた戦争が将来必ず勃発する。その為、ジャーガルクは他のシンガ諸国を併合ないしは属国化し、人員と資源を確保すべき」と主張している。| |&bold(){シィ・ヤンマ}|7561年|海軍航空本部部長|海軍の航空ドクトリンを生み出した人物| |>|>|>|民間人|h |&bold(){浮敏}|7589年|元[[礼帝国>清河人民社会主義共和国]]皇帝| 礼帝国のラストエンペラー、7601年に廃位された後も宮殿で生活していたが、原帝国崩壊後の混乱期にジャーガルクへ亡命、現在はファンシュー地区にて農場を経営しており、兎亜人の男性と同棲生活を送っている。本人に復位の意思は無くジャーガルク内の韓人からは軽蔑されている。| |&bold(){浮盟}|7590年||浮敏の弟で次期礼帝国皇位請求者、礼帝国復活を目論んでいる。| |&bold(){吉良ツクヨミ}|7581年||中原の名門である吉良氏出身、幼いころより聡明で、文武両道の秀才として名高かった。&br()父親は中堂で旧守派だったが、息子のツクヨミは洋務派に通じ、親の反対を押し切り海外大学へ進学、出国直後に&bold(){礼王朝}は崩壊したがそのまま学業を続け、帰国後に数少ないインテリとして議員となった。&br()クーデターによる議会政治終了後は軍閥の参謀兼書記として活動したが、清河成立後にジャーガルクへ亡命、その時婚約者も同行する予定だったが、彼女が兎亜人に魅了され「落ちぶれたあなたと結婚するよりも生涯を愛しく可愛い兎さんに捧げ、彼女と一秒でも一緒にいたいから婚約を破棄して」と申し出たため、慰謝料無しで婚約を破棄(本人曰く請求する時間は無かったし、馬鹿々々しくて慰謝料を請求する気にもならなかったとのこと)&br()その後社交界で皇女サフィロス・ホヒローと知り合い結婚、以後はシャーより贈与された財産を元手に八神製紙会社を設立し事業者として成功した。| **・歴史上の人物 |画像|名前|生没年|解説|h ||&bold(){コト・シャー}||最初のジャーガルク全土のシャー、国母として神格化されている。| ||&bold(){メイカ・シャー}||前ジャーガルク・シャー国のシャー、外圧の激しい時代に立憲君主として、国を統治した。| ||&bold(){アイン・ヨエン}||最後の可汗、近代国家として二重王権を維持するのは不可能と判断し、息子のヴァナキツァをメイカ・シャーの王配とし公武合体を進め、自身は可汗の位を返上した。その後は貴族院議員として1899年に引退するまで、政界の中心に影響力を及ぼしていた。| &bold(){*・旧設定集} #region |[[スルガ]]|金属インゴット・セメント・ガラス・缶詰・燃料・衣料品・高級服・弾薬・茶葉・砂糖|| |[[リンディスヴァート制憲諸邦同盟]]|衣類・缶詰|| **・対[[スルガ]]外交  平等条約((治外法権が無く、関税自主権がある))であるジャーガルク・スルガ修好通商条約を7610年に締結している。本邦の外務省と軍部は[[清河人民社会主義共和国]]に対する遠交近攻外交の対象として、スルガとの関係を重視している。 **・対[[リンディスヴァート制憲諸邦同盟]]外交  開国当初はリンディスヴァートより工作機械を多く購入していた、また化学技術の中心であったため、医者や化学博士を中心にリンディスヴァート語を話せるものが多い((その為、大戦後リンディスヴァートの貴重な学術書を二束三文で買占め、それを翻訳し、生活費の足しにする者もいる。))大戦中はヤード帝国と同じく軍需物資を多く売っていた。しかし敗戦によって代金を踏み倒されるケースが多くなっている。その為リンディスヴァートに対し、大規模な復興援助(融資)を行うべきという意見もある。 ||ゾフィーア・フォン・ヒルトブルク||リンディスヴァート&br()駐ジャーガルク大使|ヒルトブルク男爵の娘。&br()かつて王家の代理人として絶大な信を得ながら、76世紀の「狂った外交」を推進し家格を失墜させたヒルトブルク男爵家の末裔。生家の復興の為、ジャーガルク駐在勤務に自ら志願した。&br()特性:&br()【緻密な交渉人/Intricate Negotiator】【忍耐/Patient】【傲慢/Proud】【明敏/Quick】【端麗/Attractive】【社交的/Gregarious】【勇敢/Brave】| #endregion
|>|ジャーガルク・シャー国&br()(アルファベット表記:&italic(){Dowlat-e ShahanShahi-ye Jhagalk})|h |夏都|タビラ・ゾロテ・プラト&br()(アルファベット表記:&italic(){Tabir ・Zolote・Plato})| |冬都|ヴァルヒニー・ミニスト&br()(アルファベット表記:&italic(){Valhine-・Menishto})| |地域|シンファ大陸北西部&br()([[世界地図]]1.2.3.4.7.67)| |公用語| ジャーガルク語| |国歌|インベンドルは騎馬隊と共に| |国制の特徴|女系君主制 立憲君主制 多党制 単一制国家| |国家元首|[[クリィサリス・キケ・ジャ・サフィロス・ワタ・シャー]]| |人口|7619年時点:約9160万人(保護国・従属国を含めると約9500万人)&br()7628年時点:約1億435万人(保護国・従属国を含めると約1億875万人)| |通貨|シル(略称cl)| |保護国|[[ムスルマーネン=カリフ国]]&br()[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]&br()[[トゥガ国]]| |関連項目|[[白虎財閥]]| |条約|[[ジャーガルク・清河不可侵及び通商条約]]| |小説|https://www.evernote.com/shard/s384/sh/7691070c-ec7d-444f-bdeb-a765c12cb7f3/a366e8ab269e436bd8b4d88900d10ecc| #contents() *&bold(){・国旗} #image(ジャーガルク・シャー国neo.jpg,,height=230) *&bold(){・概要}  &bold(){シンファ大陸}北西部に存在する立憲君主国家でやや海軍が強い大陸国家、国土は形式的・儀礼的な行政区分である&bold(){ゾロタ列島}・&bold(){ハルラ盟国}・&bold(){ゼン国}の3国及び&bold(){ファンシュー地区}・&bold(){プレコルドンナ道}で構成されており、また保護国として[[ムスルマーネン=カリフ国]]・[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]・[[トゥガ国]]が存在する。 *&bold(){・地理} -&bold(){本国の地図} #image(地理2.jpg,,height=1100) #region #image(地理.jpg,,height=1100) #endregion -&bold(){ジャーガルク領グラニツァの地図} #image(海外領完成.jpg,,height=1100) #region #image(海外領地理.jpg,,height=1100) #endregion |地名|番号|概要|特産品&br()産出物|人口|h |>|>|>|>|BGCOLOR(YelloW):~ジャーガルク・シャー国本国|h |&bold(){ゾロタ&br()列島}|1&br()2| 夏都の&bold(){タビラ・ゾロテ・プラト}を擁し、海流の影響で緯度の高さに比べて温暖な気候である。&br()国土の約70%が山岳地帯なため水源も多く、土壌は&bold(){黒ボク土}の割合が多く豊かであるため最も人口密度が高くなっている。|米&br()絹&br()石炭&br()綿|約5515&br()万人| |&bold(){ハルラ&br()盟国}|3| 冬都の&bold(){ヴァルヒニー・ミニスト}を擁し、中部以北は高原地帯となっており鉱物資源が豊富である。&br()一方で南部~中部にかけては黒土地帯であり&bold(){大豆}などの生産が盛んである。|鉄&br()貴金属|約990&br()万人| |&bold(){ゼン&br()国}|4&br()7の湖西| 古くから農業が盛んであり、また南部には金の鉱山が存在する。&br()さらに東部の塩湖沿岸地域(&bold(){シィル海})では養殖を中心とした漁業が盛んである。|穀物&br()魚|約2350&br()万人| |&bold(){ファンシュー&br()地区}|4&br()7の湖東| やや山岳地帯が多いものの、小麦、茶葉の生産が盛んである。&br()また西部の塩湖(シィル海)では漁業が盛んである。|石油&br()砂糖|約1120&br()万人| |&bold(){プレコルドンナ&br()道}|67&br()南西| ジャーガルク領グラニツァの中で、ジャーガルクの司法が及ぶ地域である。&br()ジャーガルク憲法に基づき独自の最高裁判所を有しておいる。&br()本国で仕事の無い者や、農家の次男・三男が新天地を求め、移住するケースが多いとされる。|天然&br()ゴム|約460&br()万人| |>|>|>|>|BGCOLOR(orange):~保護国|h |&bold(){[[ムスルマーネン=カリフ国]]}|7&br()南|[[詳細は個別ページへ>ムスルマーネン=カリフ国]]|無い|人口約60&br()万人&br()(奴隷を除く)| |&bold(){[[アババ二スタン]]}|67&br()北|[[詳細は個別ページへ>ムスルマーネン=カリフ国]]||約40万人&br()(奴隷を除く)| |&bold(){[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]}|67&br()南東|[[詳細は個別ページへ>ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]|硫黄|約280&br()万人| |&bold(){[[トゥガ国]]}|7&br()東|[[詳細は個別ページへ>トゥガ国]]||約60&br()万人| **&bold(){・主要な都市} |都市名|所在国|都市人口|都市圏を含めた人口|詳細|h |&bold(){タビラ・ゾロテ・プラト市}|ゾロタ列島|約400万人|約520万人|冬の都、近隣に海軍の軍港がある。| |&bold(){バスナァー市}|ゾロタ列島|約70万人|約110万人|古都(4912年~6228年)| |&bold(){ブレノスェチ市}|ゾロタ列島|約14万人|約18万人|列島南部の都市、軍港がある。| |&bold(){ヴァルヒニー・ミニスト市}|ハルラ盟国|約300万人|約450万人|夏の都・重工業の中心| |&bold(){ハーヴァニュエ市}|ゼン国|約150万人|約215万人|ヴァルヒニー・ミニストの外港| |&bold(){ボォルト市}|ハルラ盟国|約10万人|約12万人|シィル海に面した漁港| |&bold(){クォウシヤン市}|ゼン国|約80万人|約125万人|ゼン国の国都| |&bold(){ラン市}|ゼン国|約100万人|約75万人|ゼン国南部最大の都市で港湾都市| |&bold(){奉都市}|ファンシュー地区|約25万人|約35万人|ファンシュー地区の中心都市| |&bold(){ノアバ・ヴェネーツィア市}|プレコルドンナ|約10万人|約20万人|プレコルドンナの中心都市、特例により独自の最高裁判所が存在する| |&bold(){ムスルマーネン市}|[[ムスルマーネン=カリフ国]]|約50万人|約50万人|奴隷を合わせた人口は約80万人| |&bold(){アババ市}|アババ二スタン|約7万人|約12万人|アババ二スタン自由国の中心都市、新大陸奴隷貿易の中心| |&bold(){ハツン・ラクゥタ市}|[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]|約5万人|約10万人|[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]の首都| *&bold(){・政治} **&bold(){・政策スライダー} |地方分権|-----◆--|中央集権|首都が実質的に2つ存在するが、&bold(){単一制国家}であり、地方自治体の権限は弱い、&br()但し保護領に関しては、ジャーガルク人がそもそも異民族の習慣に無関心であるため比較的自由である。| |貴族中心|----◆---|富豪中心|貴族院に当たる&bold(){クリルタイ}が存在するが、権限はあまり無い。| |農奴制|---◆----|自由農民|農奴は存在しないが、大規模地主と小作人制度はある。| |保守主義|----◆---|革新主義|保守系の&bold(){立憲党}と穏健革新系の&bold(){自由党}が議会の中心であり、近年は政府による市場介入を支持する政策が採られている。| |重商主義|--◆-----|自由貿易|&bold(){オランダ病}を恐れており、原材料・鉱石の輸出は制限されている。しかし一方で国内で加工された製品の輸出には積極的| |攻撃主義|----◆---|防御主義|市場獲得の為、行動すべきという意見もあるが、今のところ好景気であるため主流ではない。| |陸軍重視|---◆----|海軍重視|陸軍「我が国は大陸国家であり、陸軍を強化して生存圏維持又は獲得を図るべき」&br()海軍「自由貿易によって諸国の産物は海運で入手可能だ、シーレーンを守るため海軍を強化すべき」&br()空軍「わが軍なら陸海両方で戦える」| |精鋭|--◆-----|大軍|大軍は欲しいけど、維持費が経済的に負担だから今は控えよう| **&bold(){・概要}  征健歴2533年((世界創世暦7575年))に制定された近代的&bold(){欽定憲法}に基づく立憲君主制国家で、司法(裁判所)・立法(国会)・行政(内閣)の三権が分立しており、また象徴君主として女系のシャーが元首となっている。  一方で国内の韓人・ラ族は[[トゥガ国のカーマル>カーマル32世]]がジャーガルクのシャーに贈った敬称である&bold(){転輪法皇帝}((元々は歴代カーマルが清河王朝の皇帝に贈っていた称号))、[[ピスカ人>ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]は元々現地に存在したアーカ帝国の君主号である&bold(){トラトアニ}を用いており、それらの君主号も正式なものとされている。 **&bold(){・行政(内閣)}  首相の任期は4年で再選は1回まででき、20歳以上の国民による男子普通選挙によって選ばれる、この制度はこの国の前身であるヴォウク族が、事実上の首長(ベク)を選ぶときに部族の男子全員が集まって話し合ったという古代韓王朝の歴史書&bold(){「北方蛮族に関する報告」}の記述に基づき、憲法制定時に“復活”された制度である。 **&bold(){・立法(国会)}  &bold(){小選挙区比例代表並立制}の&bold(){民院}(構成員501人)と&bold(){クリルタイ}(構成員100人)の&bold(){二院制}で優先権は民院にあり、民院議員の任期は4年で再選は1回まで可能とされ、選挙権と被選挙権は20歳以上の国民男女全員が有しており、選挙は首相選挙と同日におこなわれ、納税額によって1人が有する票数には1~2までの差がある。  一方で、クリルタイは議員任期10年で元官僚・旧ベク又は王族で構成されており、前任者の推薦と君主の承認によってその地位に就く、また民院には3分の1以上の議員が出席し、2分の1以上の賛成でクリルタイ議員を弾劾する権利がある。 ***&bold(){・主な政党} |政党名|傾向|現状|支持基盤|指針|議席数|詳細|h |&bold(){立憲党}|中道&br()保守|野党|地主&br()実業家|「修正資本主義」&br()「国家によるインフラ整備推進」&br()「個人の権利自由保障」&br()「教育振興」&br()「産業発展推進」&br()「国防充実」|91|「国家公益重視」の理念を標榜とする政党、初代首相トンナン公が結成した政党である。| |BGCOLOR(PowderBlue):&bold(){自由党}|BGCOLOR(PowderBlue):中道&br()リベラル|BGCOLOR(PowderBlue):与党|BGCOLOR(PowderBlue):都市の中産階級&br()工場労働者&br()小作人|BGCOLOR(PowderBlue):「協調外交」&br()「教育の機会均等」&br()「資本と労働の平等」&br()「白色労働組合結成の推奨」&br()「失業手当・国民皆保険制度の整備」&br()「議会と首相選挙における男女平等選挙の実現」|BGCOLOR(PowderBlue):260|BGCOLOR(PowderBlue): 護憲派リベラル政党である民正党と正政党が合流して誕生した政党で、「議会中心主義」の理念を標榜としている。| |&bold(){立憲&br()社会党}|中道&br()社会主義|野党|都市労働者&br()鉱山労働者&br()小作人|「議会と首相選挙における男女平等選挙の実現」&br()「労働基本権含む社会権確立」|91|中道社会主義政党、左派政権誕生時にその暴力的政治に反対して、政権側へ転向した者が中心となって結党された政党である。| |&bold(){皇防党}|保守|野党|退役&br()軍人|「退役軍人の生活保障」&br()「農村支援」|42| 退役軍人セン・ジュローによって結党された政党&br()近年では[[レオネッサ王国]]の&bold(){ファシスト党}に感化された議員が多く、「公共投資推進」と「デフレ政策」を主張する議員が現れ、都市労働者・ホワイトカラー・小作人にも支持基盤を広めている。| |&bold(){国民&br()同盟}|中道&br()左派|野党|中産階級&br()リベラル|「行財政整理」&br()「労働および小作問題の立法的解決」&br()「軍備縮小」&br()「[[清河人民社会主義共和国]]との平和外交・貿易振興」|7|「緊縮財政と減税」を理念とする政党である。| |&bold(){人民&br()革命党}|極左|活動&br()停止|||0|武装蜂起で一時期、ゾロタ列島を支配した政党、暴力革命によって、地主・実業者を殺害し、無軌道な政策によって都市で物不足を引き起こしたため、人気はほぼ皆無、現在は無期限の活動停止処分を下されており壊滅状態である。| |&bold(){中道党}|[[浮屠教]]|野党|地方&br()農民|「公立学校における道徳教育の義務化」|6|浮屠教系政党である。| |&bold(){ファンシズム&br()正義党}|右翼|野党|ジャーガルク人右翼&br()ヴェネーツィア系住民|「資源獲得」&br()「国防強化」|3|プレコルドンナ道の有力な政党&br()[[レオネッサ王国]]のファシズムを模倣している一方、カリスマのある美少女が国民を統括すべきという独自の思想がある。| **&bold(){・司法(裁判所)}  三審制かつ裁判官裁判制であり、地方裁判所・家庭裁判所の上に高等裁判所((国にそれぞれ2ヵ所づつ))さらにその上に最高裁判所が存在する。裁判官は学歴重視&エリート主義の傾向が強く、君主による恩赦でさえ「君側の奸が考えたものである」という理由により無視する場合がある。 **&bold(){・地方行政}  ジャーガルク・シャー国は一部地域を除き国民意識が強く、第1層の行政区分である&bold(){国}は形式的・儀礼的なものとなっており((国の首長は皇位継承者の称号に含まれている))第2層の&bold(){道}・&bold(){県}が実質的に最大の行政区分の単位として地方行政を担い、その下に&bold(){市町村}が存在する。  県の首長は首相と同じ方法で選ばれ、緊急事態発生の場合を除き年に60日以上首都に滞在することを義務付けられており、県議会は地域によって差があるが一般的に民会と同じ方法で選ばれた議員によって構成され、また特例として地理的事情により&bold(){プレコルドンナ道}には独自の最高裁判所が存在する。 **&bold(){・ヤケ・クリルタイ}  7616年に誕生したジャーガルク本国とプレコルドンナ道及び保護国の代表が一堂に会して諸国の利害関係を調整する議会、5分の4以上の賛成で全参加国・地域における法律より上位に位置する規定を定めることができる。 ・&bold(){議席数及び議員選定方法} |国名|議席数|議員選定方法|h |&bold(){ジャーガルク・シャー国本国}|60議席|20歳以上の男女による普通選挙| |&bold(){プレコルドンナ道}|30議席|現地議会の議決による指名と首長による任命| |&bold(){[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]}|31議席|18歳以上の男女による普通選挙| |&bold(){[[ムスルマーネン=カリフ国]]}|15議席|カリフの指名と任命| |&bold(){[[トゥガ国]]}|15議席|高僧会議よる指名とカーマルによる任命| ***&bold(){・国内従属国} |国名|首長|詳細|人口|h |[[ムスルマーネン=カリフ国]]|[[アババ3世>アババ・アル・アババ・ラード]]| ファンシュー地区の南に存在するメトラ教国、[[ジャーガルク・礼戦争]]後に保護国化した。&br()[[詳細は個別ページへ>ムスルマーネン=カリフ国]]|約50万人| |[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]|ウィリリ・シンシー| ジャーガルク領グラニツァ植民地に存在する原住民の自治政府、元々は[[レオネッサ王国]]の新大陸進出に対抗するため、有翼人5部族が同盟を組んだのが始まり、&br()三権分立・議会制民主主義・男子普通選挙等、近代的制度が整備されている。|約250万人| |[[トゥガ国]]|[[カーマル32世]]|[[清河人民社会主義共和国]]の侵攻から保護するため保護国化した。|約40万人| &bold(){・国籍}  ジャーガルク・シャー国の国籍は&bold(){血統主義}に基づき、両親又は片親がジャーガルク国籍保有者である場合付与される。またジャーガルク領に連続して5年以上在住している場合は、犯罪歴等がある場合を除き手続きを経て、ジャーガルク国籍を獲得することができる。 *&bold(){・経済} **・農業 &bold(){・ジャーガルク・シャー国の食糧生産量(7615年度)} |種類|生産量|主な生産地|h |&bold(){米}|約1810万t|ゾロタ列島(約900万t)&br()ゼン国(約450万t)&br()ファンシュー地区(約300万t)&br()プレコルドンナ道(約100万t)&br()ハルラ盟国(約60万t)| |&bold(){小麦}|約2000万t|全国| |&bold(){大麦}|約800万t|ハルラ盟国| |&bold(){大豆}|約635万t|ハルラ盟国| |&bold(){蕎麦}|約100万t|ゾロタ列島&br()ゼン国&br()ファンシュー地区| |&bold(){粟}|約1000万t|ハルラ盟国| |&bold(){高粱}|約900万t|ハルラ盟国| |&bold(){トウモロコシ}|約800万t|ハルラ盟国| |&bold(){ジャガイモ}|約1000万t|ハルラ盟国| |&bold(){砂糖大根}|約1000万t|ハルラ盟国| |&bold(){茶葉}|約10万t|ゾロタ列島&br()ゼン国&br()プレコルドンナ道| |&bold(){綿花}|約100万t|ハルラ盟国| |&bold(){天然ゴム}|約60万t|[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]&br()プレコルドンナ道| |&bold(){カカオ}|約20万t|[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]&br()プレコルドンナ道| |&bold(){油松液}|約5000t|ゾロタ列島&br()ハルラ盟国|  国土が南北に長いため地域によって栽培される作物に差があり、また現政権より農業の大規模化・近代化((区画整備とトラクターの導入))と各地への&bold(){農場試験場}設立が進められているため農業生産量は増加している。ゾロタ列島・ゼン国では古代からの水耕栽培によって耐冷性を獲得した&bold(){米}が雪解け水を利用して栽培されており、ジャーガルクの人口を支えている。  またハルラ盟国南部を中心に&bold(){黒土地帯}が広がっているため、&bold(){エルリナン可汗時代(7205年~7547年)}より開墾が進み、&bold(){大豆・小麦・大麦・粟・稗・ジャガイモ・砂糖大根・高粱・綿花}の大規模栽培が盛んである。さらにプレコルドンナ道北部や[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]では&bold(){カカオ}やプランテーションによる&bold(){天然ゴム・コーヒー豆}などの生産が行われている。  プレコルドンナ道領有以後は同地南部の[[ヴェネーツィア系>レオネッサ王国]]住民がワイン用ブドウを栽培していたため、&bold(){白ワイン}を中心に今までほぼ[[レオネッサ王国]]や[[カノミス王国]]からの輸入に頼っていたワインを自国内で生産し、供給できるようになっている。さらに固有種として油松という樹木が存在し、この木の樹液を精製することによってオクタン価の高い航空燃料を生産することができる。しかし油田から生産するより生産量が少ないという問題がある。 **・酪農・遊牧 &bold(){・ジャーガルク・シャー国の家畜飼育数} |家畜名|頭数|h |&bold(){牛}|約400万頭| |&bold(){馬}|約450万頭| |&bold(){羊}|約2000万頭| |&bold(){山羊}|約500万頭| |&bold(){駱駝}|約68万頭| |&bold(){ジャーガルクザウルス}|約20万頭| |&bold(){飛行鳥馬}|約10万羽| |&bold(){豚}|約120万匹| |&bold(){ヤク}|約55万頭| |&bold(){ダチョウ恐竜}|約100万頭|  古代より北部ハルラ盟国の&bold(){高原地帯}を中心に遊牧で生活を立てる者が多く、特に&bold(){牛・馬・羊・山羊・駱駝・ジャーガルクザウルス}は六畜と呼ばれ数多く飼育されており、近年ではトウモロコシなどを飼料とすることによって、&bold(){肉・乳牛・羊毛}の生産量を増加させている。  一方[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]では&bold(){サバナ地域}を中心にダチョウ恐竜の放牧が盛んであり、現地の郵便・運輸で活躍している。また&bold(){プレコルドンナ道}南部サバナ地域では本国からの移住者を中心に遊牧を営む者が多くいる。  そのため&bold(){ホロート}((チーズの一種))や&bold(){馬乳酒}などの&bold(){乳製品}生産量は非常に多く、また7550年代以降、イクファターナ諸国より&bold(){レンネット}を工業的に量産する手法も導入されたため各地に乳製品工場が存在するが、北部の所謂"チーズが主食の人々"を中心に消費量も多いため輸出量は少ない **・水産業  ゾロタ列島を中心に遠洋漁業が盛んであり、特に&bold(){ゴーシュ海}では&bold(){トロール網・底引き網}を利用し、千数百隻の船団が効率的に&bold(){タラ・イワシ}などの魚を生産している。一方で大陸内部のシィル海では&bold(){養殖漁業}が盛んであり、特に&bold(){キャビア}の生産は外貨獲得の一翼を担っている。  またゾロタ列島を中心に貝類の養殖も盛んであり。&bold(){養殖真珠・牡蠣・ホタテ・ホヤ・昆布・ワカメ}などが生産されており、北部の&bold(){リアス式海岸地帯}を中心に生産された&bold(){身欠きニシン・煎りナマコ・干鮑}などの乾物は特産品として需要がある。 **・鉱業  ハルラ盟国北部&bold(){アールサス山脈}を中心に&bold(){鉄・銅・タングステン・鉛・錫・亜鉛}などの優良な鉱山や&bold(){炭鉱}が存在し、またファンシュー地区の境には&bold(){可採埋蔵量16億バレルの油田(ダイケ油田)}あり、&bold(){ハルラ盟国}を中心としたジャーガルクの重工業を支えている。  [[トゥガ国]]は&bold(){軟石翡翠}の産地として[[韓王朝]]の時代より有名であり&bold(){トゥガ玉}としてブランド化されている。一方で近年、ゾロタ列島ではボーキサイトが産出されるようになり、航空産業発展の原動力となっている。基本的に資源が豊富であるが、&bold(){オランダ病}による国内産業の停滞を防ぐ為、資源の輸出には高い税金が課せられている。 **・工業・商業 ***・軽工業  開国初期には[[ソフィア王国]]を筆頭としたイクファターナ諸国より&bold(){ミュール紡績機}・&bold(){リング精紡機}・&bold(){力織機}を導入して官営工場を多数設立、以後官営工場の払い下げによって、熟練労働者や技術が民間企業に流れたため繊維産業は大いに発展した。特にゾロタ列島では島内農家が育てた&bold(){絹}や鉄道・海上輸送で運ばれたゼン国・ハルラ盟国産の&bold(){綿花}を原料とした軽産業が盛んである。 ***・重工業  ジャーガルクでは古代より砂鉄を原料とした&bold(){たたら製鉄}が製鉄業の中心であったが、&bold(){エルリナン可汗時代}の末期より大砲製造を目的とした石炭と鉄鉱石による&bold(){反射炉}建設が各地で進められ、&bold(){7542年}にアーカ市でジャーガルク初の&bold(){銑鋼一貫製鉄所}が造られて以降、&bold(){ハルラ盟国}を中心に各地で製鉄所が建造された。  その為、ハルラ盟国では山岳地帯に炭鉱と鉄鉱山などが存在するという利点を生かした、&bold(){銑鉄}・&bold(){鋼鉄}生産等の製鉄業を中心とする&bold(){原料立地型}重工業が盛んであり、Ja重工業など大企業の本社もヴァルヒニー・ミニストにある。  近年では作業者のスキルに依存した部分を減らし、製品品質を均一化するために&bold(){ライン生産方式・ベルトコンベア生産方式}の導入や、&bold(){旋盤・フライス盤}など工作機械の国産化、さらには&bold(){マザーマシン}の国産化が図られている。一方、&bold(){ゾロタ列島}では重工業の発展が遅れていたが、ボーキサイトが産出されるようになったことにより、ペーハス航空機製作所製やHMP研究所など、新しい企業による航空産業も盛んとなっている。 &bold(){・その他}  ファンシュー地区では龍盟社が大きな利権を有しており、合弁事業投資と農場・鉱山経営をおこなっている。また国土が広く、近くの店に薬を買いに行けない者が遊牧生活者を中心に多いため、ターラ製薬を中心に&bold(){配置販売業}を展開している。  一方、国内従属国である[[ムスルマーネン=カリフ国]]では資源も特産品も産業も無いため、&bold(){中間貿易}((メトラ商人の半数はムスルマーネン人と言われている。))と&bold(){奴隷}販売が主な産業となっている。但し、産業勃興後は成人男性奴隷の需要が皆無となり、代わりに労働者の斡旋業務が主な産業となっている。一方で、女性・少年奴隷の需要は愛玩用として未だ存在し、様々な人種が販売されている。(但しジャーガルク人を奴隷化、販売すると総督府の保護領警察によって罰せられる。)   **&bold(){・企業} |企業名|分野|詳細|h |&bold(){PKP工業グループ}|紡績機&br()自動車&br()工作機械|&bold(){紡績機・織機}メーカーを母体とする企業グループ、自動車製造ではシェアのトップを占めており、&bold(){75式8t/5t輸送車}はこの会社の設計である。&br()一方で本業である紡績機・織機製造においてもシェアのトップを占めており、&bold(){家庭用ミシン}から&bold(){リング精紡機・ジャカード織機}まで幅広く製造している。| |&bold(){ペーハス航空機製作所製}|航空機|元陸軍航空隊大尉であるペーハスによって創立された航空機メーカー、本邦の主力戦闘機である&bold(){75式戦闘機ハヒーブサ}や&bold(){76式爆撃機}を設計したメーカーでもある。| |&bold(){HMP研究所}|航空機|農場で利用される小型機を研究しているメーカー| |&bold(){デバン社}|石油化学製品&br()肥料&br()火薬|化学製品メーカー、元々は木酢液を用いた農薬のメーカーであった。| |&bold(){ターラ製薬}|製薬|元々は香辛料の販売業者であったが&bold(){樟脳}事業によって発展、現在は遊牧生活者向けの&bold(){配置販売業}によって事業を拡大している。| |&bold(){Ja重工業}|自動車&br()製鉄&br()工作機械&br()航空機&br()造船|海運業者から発達した財閥の重工業部門、本社は首都ではなく、古来より製鉄が盛んな&bold(){ハーヴァニュエ}にある。&br()また&bold(){75式8t/5t輸送車}や&bold(){75式戦闘機ハヒーブサ}・&bold(){76式爆撃機}をライセンス生産している。&br()(75式戦闘機に至ってはペーハス航空機製作所製より生産している。)| |&bold(){龍盟社}|食品&br()農場経営&br()鉱山経営&br()金融&br()鉄道&br()建築&br()電力事業|ファンシュー地区開発のため、設立された特殊企業| |&bold(){ルゥ社}|食品|馬乳酒のものに近い酵母を用いて乳酸飲料&bold(){バル}など乳製品を中心に様々な食品を製造しているメーカー、バルの原液は濃いためそのままの飲料には適さないため、水で希釈して飲用する。兵士の健康飲料として軍でも瓶詰の物が配給される。| |&bold(){パステ食品}|食品|タラなど北限海産の魚介類を用いて練り物を製造しているメーカー| |&bold(){アフマド石鹸}|日用品|ムスルマーネンで伝統的なオリーブ使用の石鹸を製造していた職人が創業したメーカー、大変質の良い石鹸を製造しており、軍の標準装備にもなっている。| |&bold(){ライ電気}|機械製品|7601年に誕生した企業、元々は活版印刷機を製造するメーカーであったが、その技術を生かして&bold(){歯車式計算機}や&bold(){計算経過と結果を印字できるコンプトメーターの製造}を開始ており、また近年陸軍の要望で&bold(){ローター式・電気機械式暗号機械}の研究も行っている。| |&bold(){駅伝通信}|電気製品|電話機製造メーカーであり、&bold(){ダイヤル式電話機}生産が主力、&br()近年プレコルドンナ道領有によりワインが安定して供給できるようになったため、&bold(){ロッシェル塩}を利用した&bold(){無線機・レーダー・ソナー}の製造・研究も手掛けるようになっている。| |&bold(){イルゲン精密機器}|時計&br()工作機械|クリルタイ議員で宝石商が創業者の企業、&bold(){クロノメーター}・&bold(){機械式腕時計}を製造しているが、トーリー製・[[ソフィア王国]]製・[[アトリオン>立憲王政アーカルソン=リペルニア]]の製品には品質で負けると言われている。| |&bold(){人馬物流}|運輸|モスン帝国に臣従したケンタウロスの行政単位「万人隊」を前身とする企業、「万人隊」時代には人を乗せなくて済み、その分速くor長く走れることを生かして、軽騎兵部隊として主に偵察で活躍した。&br()帝国崩壊後は地方勢力として物流にも携わり、近世までその命脈を保ち、近代化以後、軍の近代化・中央集権化に伴い、多数のケンタウロスが軍籍に入った一方、一族が長く物流に携わった経験を生かして輸送業者を創業、鉄道駅から目的地への&bold(){端末物流}で特に需要があり、近年では手紙等、軽い荷物の配送で[[ピスカ>ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]出身の有翼亜人社員が活躍している。| |&bold(){八神製紙}|製紙|&bold(){吉良ツクヨミ}が創業した製紙業者、ハルラ盟国北部産の安価なパルプ材に注目し、さらに紙のリサイクル技術を大規模に導入して利益を拡大、近年は大学ノート等も販売している。| *&bold(){・メディア} **・新聞  新聞は&bold(){個別宅配新聞}が発達しており、新聞社の収入は広告収入よりも販売収入の方が多く、その為スポンサーは少なく内容が充実しているとされている。元々、ジャーガルクの新聞は政党が発行し政治を主題とする&bold(){大新聞}と、政治や経済について平易に解説し、更に&bold(){小説}や&bold(){読者相談}を掲載する&bold(){小新聞}が存在したが、小新聞の方が大衆に受けたため、現在の主流な新聞は小新聞の系譜に属している。 ***&bold(){・主な新聞} |名称|言語|傾向|詳細|h |&bold(){官報}|ジャーガルク語||ジャーガルク本国の新聞、法律の公布・廃止を主に掲載している。| |&bold(){集会報告}|ジャーガルク語版&br()ピスカ語版並立||ピスカの官報、法律の公布・廃止を主に掲載する。| |&bold(){帝国新聞}|ジャーガルク語|中道右派|以前は社会福祉政策よりもインフラ整備に出資すべきという主張を行っていたが、近年[[レオネッサ>レオネッサ王国]]の&bold(){ファシズム}に影響を受け、両者のマッチングと&bold(){経営者}と&bold(){労働者}の協力を謳っている。&br()掲載している小説は愛国的な&bold(){高原青年小説}が多いとされる。| |&bold(){新通国新聞}|ジャーガルク語|中道左派|労働基準法の徹底を謳っており、労働環境の悪い企業に対しては批判的(逆に労働環境の良い企業に対しては好意的な記事を書く。&br()掲載している小説は&bold(){東方武侠小説}が多いとされる| |&bold(){ダルマ新聞}|ジャーガルク語|左派?|政府の政策を滑稽な挿絵付きで、皮肉っぽく報道している。&br()掲載している小説はエログロナンセンスな&bold(){南方猟奇小説}が多いとされる。| |&bold(){憂国通信}|ジャーガルク語|極右|&bold(){イクファターナ諸国}の脅威を主張し、近年では他文明を呑みこむ粘菌文明である&bold(){「ヤード帝国主義」}の脅威を特に主張している。&br()一方で、何故か[[ザルバチ>ザルバチ海岸共和国]]や[[ソフィア>ソフィア王国]]の&bold(){国民福祉党}を賛美している。しかし売り上げは他の新聞より少ないとされる。| |&bold(){有翼言論}|ジャーガルク語版&br()ピスカ語版並立|中道左派|主に有翼亜人を含む亜人の世界的権利向上を主張している。| *&bold(){・インフラ} **・交通  &bold(){7522年}の開国以来イクファターナ諸国が鉄道の共同敷設を打診してきたが、時の可汗政権は外国勢力による鉄道敷設が植民地化につながるとして拒絶、しかしその後軽工業を中心とした製造業の発展に対して従来の海運による輸送では不十分という意見が政権内で発生し、軽工業と鉄鉱石の輸出で得た外貨を資本としてお雇いイクファターナ人指導の下、アトリオンから輸入したレール・鉄橋・車両を用いて古都バスナァー-タビラ・ゾロテ・プラト間を繋ぐ国営鉄道が&bold(){7559年}に開通、以後技術の国産化を進めつつ、各地に国営鉄道が敷設され殖産興業に貢献した。  一方製造業を中心とした私有資本による郊外鉄道敷設及び運営も進んでおり、特にファンシュー地区の鉄道は60%以上龍盟社によって運営されている。また古都&bold(){バスナァー}と冬都&bold(){ヴァルヒニー・ミニスト}では&bold(){路面電車}が、&bold(){タビラ・ゾロテ・プラト}では&bold(){地下鉄}が敷設され、市民の足となっている。  トンネルの多いアールサス山脈・白雪山脈付近では鉄道の&bold(){電化・ディーゼル車両}の導入が進められており、[[ピスカ・ハウイカウサイ部族連合]]では煤煙によって大気を汚すことが好まれないため、近年鉄道敷設が開始されたということもあり電化率は100%となっている。  海運の面では国土が海で3つに分かれているため&bold(){沿海航路}を中心に古来より盛んであり&bold(){ディーゼル船}の普及も進んでいる。特に製造業者が原料や製品の輸送のために海運を多用しているため国内航路も多い、また国が地方との緊急時航空連絡網構築政策の下積極的に出資をおこなっており、ブラック・キャリア企業である&bold(){ピガスッス社}を中心に民間企業が航空事業をおこなっている。 **・通信  &bold(){電信}は開国以来イクファターナ諸国が共同敷設を打診してきたが、&bold(){7560年}にこちらもお雇いイクファターナ人の指導の下、ソフィア王国制の機材を用いて、古都バスナァー-タビラ・ゾロテ・プラト間に敷設、以後&bold(){7580年}までに全ての主要都市・県庁所在地が電信で繋がれた。また都市部を中心に電話の導入が進んでおり、近年では&bold(){ダイヤル式の電話}も使われるようになっている。  一方で7601年より国立大学や新聞社によって国政選挙の投票結果等が実験的にラジオで放送されるようになり、7603年に政府支援の下「&bold(){ジャーガルク放送網協会}」が結成され、7604年の[[キルクス]]開催に合わせて全国でラジオ放送が受信できるよう各地にラジオ局開設が進められた。現在では&bold(){真空管}を用いた国産ラジオが爆発的に売れており、聴取世帯数も500万を突破して、娯楽としての地位も確立しつつある。 ***・ラジオ局 |局名|言語|詳細|h |&bold(){ジャーガルク放送網協会}|ジャーガルク語|国立放送局、ニュースだけではなく、ラジオ体操やラジオドラマさらには音楽(殆どクラシックか軍歌)の放送も行っており、&br()特に&bold(){青春冒険活劇}という様々なジャンルのラジオドラマを放送する番組は国内で人気を博している。| |&bold(){アッサル・フッサヒフ}|ジャーガルク語&br()メトラ語&br()の2種類|元は狐亜人系財閥の[[白虎財閥]]が所有する局だったが、同財閥崩壊後は[[アババ3世>アババ・アル・アババ・ラード]]が所有する放送局となっている。&br()唯一ラジオで企業宣伝を行っており、社会学者が如何に亜人国家やタヴェリア人国家が悲惨であり、一方で奴隷となった者が幸福であるかを紹介する番組や、野蛮で知能の低い奴隷が奴隷主の慈悲深い活動に反抗し、自滅的な行為を行ったかを紹介するニュースが流れている。&br()またラジオドラマも野蛮な国で元自由人が邪悪な専制君主に苦しめられる物や、奴隷となって初めて教育を受け、幸福な生活を送る内容が多くある。| **・電力  総発電量の60%以上が水力発電によるもので&bold(){水主火従}であり、7589年に最初のコンクリートダムが造られ以降、各地で大規模な多目的の&bold(){重力式コンクリートダム}が建造され、&bold(){7620年}には提高100以上のダム(スープダム)が完成予定である。また都市近郊を中心に石炭火力発電所が数多く存在する。 *&bold(){・外交関係}  ジャーガルク・シャー国は基本的に半獣人が主要人種であり、また宗教も独自の多神教が主流であるため、諸外国とは人種的・文化的に隔絶した国であると自任している、そのため国際的に孤立してかつての亜人狩りのような状態に陥ることを防ぐため、 ①イクファターナ諸国にとって我が国は異民族・異教徒の国であり、容易に敵視されてしまう。しかし一方で技術的・国力的には彼らの方が優勢であるため対立を極力避ける。 ②それでも対立してしまった場合に備えて獣人が多く、また宗教的にも対立する可能性が低いタヴェリア・シンガ諸国と攻撃された場合の共同防衛を目的とした条約を結び、イクファターナ諸国からの武力攻撃を抑止し、最悪の場合に備える。 という外交戦略を((少なくとも外務省は))取っている。 |国名|我が国からの輸出品|我が国の輸入品|h |[[ザルバチ海岸共和国]]|陶磁器&br()金属インゴット&br()機械部品&br()電気部品&br()自動車&br()肥料&br()燃料&br()衣料品&br()高級服|綿花&br()石炭&br()天然ゴム| |[[ハダカンボ王国]]|穀物&br()薬品&br()鉄製品&br()酒&br()肥料|熱帯木材&br()貴金属&br()果実&br()ゴム| |[[ソフィア王国]]|陶磁器&br()金属インゴット&br()セメント&br()ガラス&br()缶詰&br()燃料&br()衣料品&br()高級服|薬品&br()機械部品(工作機械など)&br()電気部品&br()ワイン| |[[立憲王政アーカルソン=リペルニア]]|陶磁器&br()金属インゴット&br()セメント&br()ガラス&br()缶詰&br()燃料&br()衣料品&br()高級服|薬品&br()機械部品(工作機械など)&br()電気部品&br()蒸留酒| |[[リントヴルム朝ヤード帝国]]|陶磁器&br()金属インゴット&br()セメント&br()ガラス&br()缶詰&br()燃料&br()衣料品&br()高級服|薬品&br()機械部品(工作機械など)&br()ゴム| |[[レオネッサ王国]]|陶磁器&br()金属インゴット(特にタングステンの需要がある)&br()セメント&br()ガラス&br()缶詰&br()燃料&br()衣料品&br()高級服|武器&br()機械部品&br()電気部品&br()パスタ| |[[フォンタニエ辺境伯国]]|砂糖&br()綿布&br()衣類&br()薬品&br()缶詰|あったっけ?| |[[清河人民社会主義共和国]]|砂糖&br()綿布&br()衣類&br()缶詰|アブナイ思想| |[[カラシュ公国]]|陶磁器&br()衣類&br()缶詰&br()砂糖|| |[[フィルモア合衆国]]|陶磁器|アニメ映画&br()機械部品&br()電気部品| |[[インティ帝国]]|魚類|| |[[シンファナ=タンクレート共和国連合]]|陶磁器|| |[[カノミス王国]]||| |[[ゴーシュ共和国]]||| **・対[[ザルバチ海岸共和国]]外交  半獣人中心・多神教・立憲君主制の我が国に対して、白人至上主義・円十字教至上主義・革命主義のザルバチ海岸共和国(以下ザルバチという略称を用いる)はイデオロギー的な側面から対立する可能性が高いと認識されている。  しかし一方で無暗にザルバチと対立するのは危険であるという意識も存在し、両国の間では貿易が盛んにおこなわれている。またザルバチ国内でもジャーガルクのパスポートを提示すれば差別行為や暴行を受けることなく「名誉白人」として扱われる。 **・対[[ハダカンボ王国]]外交  熱帯木材や天然ゴムなどの貿易が盛んにおこなわれており。また未開発の国土は優良な投資先であると捉えられている。ハダカンボ王国近海は優良な漁場であり我が国の遠洋漁船が公海上で漁をおこなっている。しかし一方で軍部を中心に南進論者も多く、大戦終結後の経済不振をハダカンボ王国に対する対外進出によって解決するべきであるという意見も多くある。 **・対[[ソフィア王国]]外交  7510年代に関税・司法制度の未発達を理由として不平等条約を締結したが、[[ジャーガルク・礼戦争]]時にはタヴェリアにおける[[リントヴルム朝ヤード帝国]]の勢力拡大を防ぐ為、我が国の戦時国債を[[立憲王政アーカルソン=リペルニア]]と共に購入し、また7586年には不平等条約の改正をイクファターナ諸国の中では最初におこなった。  また[[前大戦時>ヤーディシア大戦]]においては弾薬・食糧を中心とした軍需物資を我が国から輸入し、その結果として我が国の重工業化がさらに進んだ。 **・対[[立憲王政アーカルソン=リペルニア]]外交  [[ソフィア王国]]と同じ理由で7510年代に不平等条約を締結したが、[[ジャーガルク・礼戦争]]時にはタヴェリアにおける[[リントヴルム朝ヤード帝国]]の勢力拡大を防ぐ為、我が国の戦時国債を最も多く購入し、また戦後の7588年には不平等条約を改正している。前大戦時においては食糧と軍需物資を我が国から輸入し、その結果として我が国の重工業化がさらに進んだ。 **・対[[リントヴルム朝ヤード帝国]]外交  世界最強の国家であるヤード帝国に対し、我が国は細心の注意を払い接すべきであると考えている。特に軍部はヤード帝国と1対1で戦った場合必ず敗北すると確信している。前大戦においては連合国を積極的に支援したが、大戦中はこっそりヤード帝国にも軍需物資を売っていたため、一応、今のところは決定的に対立しているわけではない、 **・対[[レオネッサ王国]]外交  ヤード帝国の次に強力な国家であり、地理的にもシンガに近いため軍部は警戒している。しかし特に対立しているという訳でもなく、また軍部や内務官僚の中にはレオネッサのファシズム政策を評価し、我が国でも同じような政策を採るべきと主張する者がいる。 **・対[[清河人民社会主義共和国]]外交 ・条約:[[ジャーガルク・清河不可侵及び通商条約]] ジャーガルクの仮想敵国、軍部は今後30年以内に清河と開戦する((清河の工業化進展、国際関係の変化によって予想が外れる可能性はある))と予想している。しかし商人は気にせず食品や衣類を売っている((但し、信用の低い人民銭での取引は拒絶している。)) **・対[[フォンタニエ辺境伯国]]外交 新たな市場として注目している。特に未開発の国土に眠る資源と鉄道敷設権を買収しようとする企業は多い、しかし一方で輸送コストがネックとなっている。 **・対[[カラシュ公国]]外交  ジャーガルク人が狼の獣人・半獣人であるため、現地邦人が現地人に攻撃されるという事件が発生している。その為か、カラシュ公国からの輸入品には高い関税が掛けられており、またカラシュ公国に対して燃料・弾薬を輸出することは禁止されている。 **・対[[フィルモア合衆国]]外交  イクファターナ諸国程ではないが友好関係の構築を目指しており、特に&bold(){陶磁器}や&bold(){キャビア}などの趣向品を売り込んでいる、しかし一方でフィルモアが&bold(){アババ二スタン}の奴隷に関して発言しているのに対し、同地に領土的野心があり、軍事介入の可能性があるのではと軍部は警戒している。 **・対[[インティ帝国]]外交 広大な領土と未発達な工業という条件より、市場として期待しており、数種類の資源を輸出している。しかしアババ二スタンに近いという地理的条件上、同地に介入しないか警戒している。 **・対[[シンファナ=タンクレート共和国連合]]外交 社会主義的傾向が強い一方、清河と違い"話せる相手"であるため、遠交近攻外交の担い手として期待している。 **・対[[カノミス王国]]外交 市場としても小さく、技術的・経済的にも不均等であるため他のイクファターナ諸国より軽視している傾向がある。 **・対[[ゴーシュ共和国]]外交 広大な国土は魅力的な市場であると見ている一方、その過激な亜人差別の矛先が我が国に向けられないか警戒している。 *&bold(){・軍事} &bold(){陸軍}・&bold(){海軍}・&bold(){空軍}・&bold(){兵站軍}の4軍が存在する **・陸軍  平時は&bold(){3単位制師団}で、&bold(){近衛騎兵師団}×2 &bold(){機動師団}×5 &bold(){歩兵師団}×11 &bold(){高射砲師団}×4 の合計22師団常設であり、戦時は100師団動員(1個師団の連隊数を減らせば多分)できる…と一応言っており、軍刀として伝統的な片刃の湾刀が使用されている。  また餌となるものは少ない荒れ地で馬や鳥馬類を飼育していたことと、島で遊牧していたための&bold(){島嶼化}により馬や鳥馬は他の地域と比べ小型であり、そのため近代において砲を牽引する動物が確保できないという問題が発生したため、&bold(){牽引用のトラクター}や&bold(){自走砲}が積極的に導入されている。  ドクトリンは&bold(){浸透戦術}と&bold(){偽装撤退からの反転包囲}が好まれ、騎兵部隊は各国が機関銃を正式採用していく中で「家族の一員である馬や鳥馬を機関銃陣地に突入させるのは言語道断である」という意見が優勢となったため&bold(){夏都タビラ・ゾロテ・プラト}及び&bold(){冬都ヴァルヒニー・ミニスト}の部隊以外では解散されている。 しかし戦時には&bold(){チェスタクォ人}を中心としてチェスタクォ山岳少数民族師団((通称野狼師団))や義勇騎兵部隊が結成されることもある。 ***・徴兵制  ジャーガルク陸軍は開国から&bold(){7610年}までの間に徴兵制を敷いており、成人男性は徴兵検査によって身体能力別に&bold(){甲-乙-丙-丁-戊}の5種類に分けられた、しかし予算不足から平時の兵数は少なく、実際に現役兵となったのは甲種に合格した者の内、兵役を希望した者からの選抜者であり、徴兵率は精々&bold(){1割~2割}程度であった。  その後、&bold(){自由党}が議会の過半数議席を獲得し、徴兵による経済的負担と生産層減少の問題を解消すべく徴兵制度を改革、&bold(){常備兵}を&bold(){志願制}とする代わりに、甲・乙合格者が予備役となり、定期的に訓練を受け、一定の給与を与えるという形となった、また予備役の内、大学に在籍している者は予備士官講座を受講する事ができ、一定の単位を獲得する事ができる。  ジャーガルク人は子沢山で1人当たりの相続額がどうしても減ってしまう一方、軍人は給与が高く、衣食住が完備されているため、志願倍率は高い、またヤーディシア大戦時には&bold(){援連義勇軍}が結成((朝鮮戦争時に中国が結成した義勇軍みたいなもの))され、多くの若者が義援金((出何処は不透明))による給与と帝国に対する略奪目当てに参加した。 ***・主な装備 |名称|分類|使用弾丸|採用国|詳細|h |&bold(){48式&br()小銃}|軍用ライフル|6.5mm弾|ジャーガルク兵站軍ピスカ警備隊&br()フェーデ警備サービス&br()ムスルマーネン植民地警備隊&br()カリフ親衛隊|過酷な戦場でも使用に耐えるよう、&bold(){タングステン合金銃身鋼}を用い、機関部の構造の簡素化・遊底と連動する&bold(){遊底被}を追加し、・&bold(){扇転式照尺}を装備、弾倉発条をコイルスプリングから&bold(){板バネ}に変更、手袋着用時のための用心鉄(トリガーガード)を拡大、メトフォード型ライフリングの採用等の改良が施された小銃| |&bold(){77式&br()小銃}|軍用ライフ|7.5㎜弾|ジャーガルク陸軍|露呈、機動性向上のため、銃身の短縮、総重量の軽減が図られ、部品のゲージ規格化と品質管理を導入し、フロントサイトガード(照星座)・上部被筒・小銃擲弾の装備、等の改良を行い、7.5㎜弾を採用した48式小銃の改良型小銃| |&bold(){68式&br()拳銃}|自動拳銃|8㎜弾&br()変更↓&br()9㎜&br()パラベラム弾|ジャーガルク全軍&br()ピスカ警備隊&br()フェーデ警備サービス&br()ムスルマーネン植民地警備隊&br()カリフ親衛隊| 元々は騎兵部隊の馬上から撃ちやすい拳銃(ピストルカービン)が欲しいという意見より開発され、その後簡単に速謝ができるという理由から騎兵だけではなく空軍・海軍航空隊・兵站軍輸送部隊・戦車部隊の自衛及び護身用自動拳銃として正式採用された。&br()またショルダーストックを用いて馬上から射撃でき、長い銃身と重心が前にある設計により射撃の命中率が高いという理由からハルラ盟国の遊牧生活者を中心に護身用自動拳銃として人気がある。&br()[[https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=49988936]]| |&bold(){72式&br()短機関銃}|短機関銃|45ACP弾|ジャーガルク兵站軍&br()フェーデ警備サービス&br()ムスルマーネン植民地警備隊&br()カリフ親衛隊| [[ジャーガルク・礼戦争]]時の、従来の着剣小銃は銃身が長すぎて取り回しずらく連射能力が低いため、熱帯雨林や塹壕など近接戦闘が多発する戦場において白兵戦には不向きという戦訓より、ボトルアクション小銃を補完する銃として68式拳銃を設計したガン・キペックによって開発された短機関銃、後続の90式短機関銃と共にタイプライターという通称が存在する。| |&bold(){76式&br()短機関銃}|短機関銃|9㎜弾|ジャーガルク全軍| 68式拳銃・72式短機関銃を設計・開発したガン・キペックが72式短機関銃の後続として開発した短機関銃、バナナ型弾倉が特徴である。| |&bold(){77式&br()ポンプ銃}|ポンプ式&br()ライフル||| ジャーガルクの銃器メーカが設計した空気銃、ジャーガルクでは7500年代中期に空気銃が伝来したが、火薬の銃より発砲音が少ないという理由で狩人を中心に空気銃、特に壊れにくく寒冷地でも使えるポンプ式の使用者が増加した。&br()その為、火縄銃職人を中心に空気銃の国産化が図られており、現在でも空気銃のブランドは多い、73式ポンプ銃はもともと民間向け猟銃であったがその命中精度と隠密性が注目され、軍の空挺浸透部隊に正式採用された。&br()また娯楽目的の亜人狩りでも広く利用され、野生の亜人狩りでは欠かせない装備となっている。| |&bold(){75式&br()8t/5t輸送車}|装甲ハーフトラック||ジャーガルク陸軍&br()兵站軍| Ja工業自動車部門の[[リントヴルム朝ヤード帝国]]出身技師によって設計された装甲ハーフトラック、技師曰く「戦場で求められるのは競馬場の美しく速い馬ではなく、持久力があり荒れ地でも走れる馬であるとヴァルヒニー・ミニストの騎射大会を見て思い知った」のが設計のイマジネーションとのこと、&br()機動師団を中心に(歩兵師団でも分散配備されている)運用されており、派生型として35㎜機関銃・75㎜砲・迫撃砲・を搭載した自走砲もどきも砲兵によって使用されている。| |&bold(){73式&br()軽装甲車}|豆戦車||ジャーガルク陸軍|| |&bold(){77式&br()軽装甲車}|豆戦車||ジャーガルク陸軍|| |&bold(){73式&br()随伴戦車}|軽戦車||ジャーガルク陸軍|45口径35㎜砲を搭載し、装甲は12mm~6mmである。| |&bold(){76式&br()随伴戦車}|軽戦車||ジャーガルク陸軍| 73式戦車より発展したジャーガルク軍の最新戦車、主砲を52口径35㎜砲とし、装甲も溶接・傾斜装甲を多用し、16~6mmとかなり強化されている。| |&bold(){77式&br()随伴戦車}|中戦車||ジャーガルク陸軍| 76式戦車から発展した車両、砲は52口径45㎜砲であり、装甲は35mm~15mmとなっている。| |&bold(){74式&br()弩級戦車}|重戦車||ジャーガルク陸軍| 多砲塔戦車、40口径45mm砲を2門搭載し、また重量を抑えるためリベットではなく溶接によって組み立てられている、しかし重量は約50tもある。| |&bold(){77式&br()対空火炎放射器&br()スミビヤキ}|対空火炎放射器||ジャーガルク陸軍| ジャーガルク軍が対有翼亜人兵用に開発した対空兵器、上空55mまで攻撃できるが、真上から敵が下りてきた場合、発射した燃える液体が射手に降りかかる。| |&bold(){75式&br()装甲軌道車}|装甲軌道車||ジャーガルク陸軍|| **・海軍  本土が島であり、飛び地が存在するのでけっこう予算をもらっている(地味な陸軍よりも選挙対策として目に見えて大きなものを作る海軍に対して予算審議権を有する議員が贔屓しているわけではない…はず)しかし地域海軍の域を出ていないと諸外国には評価されている。 ***&bold(){・現有勢力} -戦艦×7 -航空巡洋艦×5 -巡洋艦×21 -モニター艦×2 -駆逐艦×68 -海防艦×25 -水雷艇×25 -機雷敷設艇×18 -掃海艇×21 -巡洋潜水艦×18 -中型潜水艦×30 -給油艦×8 -輸送艦×10 -クレーン艦×2 ***&bold(){・航空機配備数} -空中駆逐艦:10隻 -戦闘機:68機 -爆撃機:62機 -襲撃機:62機 -輸送機:156機 -陸上偵察機:82機 -複座水上偵察機:212機 -三座水上偵察機:166機 -練習機:403機 -&bold(){合計1229機} &bold(){・主な艦艇} |艦名|分類|装備|h |&bold(){ドラコン}|超弩級戦艦|主砲:41cm連装砲4基&br()副砲:13cm連装高角砲8基&br()35㎜対空機関銃四連装機銃10基| |&bold(){オルカザス}|モニター艦|主砲:30㎝連装砲4門&br()副砲:15cm単装砲6門&br()13cm連装高射砲4基&br()35㎜対空機関銃四連装8基| |&bold(){トルゥ・クロック}|航空巡洋艦|15cm三連装砲2基&br()12cm連装高射砲6基&br()35㎜3連装機銃14基| |&bold(){モルスキーマルチ級}|軽巡洋艦|主砲:15cm単装砲2門&br()13cm連装高射砲4門&br()35㎜対空機関銃三連装5基&br()13㎜対空機関銃単装4基&br()60cm4連装魚雷3基&br()爆雷投下機2基&br()爆雷40個| |&bold(){プタシュニーピストーレ級}|軽巡洋艦|主砲:13cm連装高射砲8門&br()35㎜対空機関銃三連装7基&br()13㎜対空機関銃単装4基&br()60cm4連装魚雷1基&br()爆雷投下機2基・爆雷40個| |&bold(){キーヒダム・アドゥロン級}|潜水艦|8cm単装高射砲1門&br()35㎜対空機関銃連装1基&br()55cm魚雷発射管艦首4門&br()魚雷10本| **・空軍  陸軍航空隊を前身として7614年前に結成された軍であり、また近年の騎兵部隊削減政策によって元騎兵部隊出身の若者も多い、以下の航空機は海軍航空隊でも使用されており、また垂直離着陸可能な&bold(){コマンド部隊}として飛行鳥馬・ピスカ出身の[[有翼亜人]]部隊を4個連隊編成している。 ***&bold(){・現有勢力} -空中駆逐艦:20隻 -戦闘機:380機 -爆撃機:124機 -襲撃機:382機 -輸送機:456機 -偵察機:222機 -複座水上偵察機:102機 -三座水上偵察機:96機 -練習機:1013機 -飛行鳥馬:6000羽 -&bold(){合計2775機} ・主な航空機 |名称|最高速度|武装|解説| |&bold(){70式戦闘機}|410㎞/h&br()(高度3500m)|8㎜機銃2丁&br()20kg爆弾2発| Ja工業が設計した空冷複葉引込足戦闘機である。&br()[[清河人民社会主義共和国]]の海鸥(カモメ)戦闘機に対抗できる性能として開発されたが、誕生間もなく各国で単葉全金属戦闘機が開発・運用され始めたので、すぐ引っ込められた。| |&bold(){72式戦闘機}|470km/h&br()(高度3,500m)|8㎜機銃2丁&br()20kg爆弾2発|ジャーガルク初の空冷全金属低翼単葉戦闘機、旋回性能が高い| |&bold(){75式戦闘機&br()ハヒーブサ}|505km/h&br()(高度5500m)|13㎜機銃2丁&br()8㎜機銃2丁&br()50kg爆弾2発| ジュラルミンを使用したペーハス航空機製作所製の(Ja工業もライセンス生産している)空冷全金属低翼単葉引込足戦闘機である。| |&bold(){76式戦闘機&br()スティルカ}|530km/h&br()(高度5000m)|13㎜機銃4丁&br()20㎜ロケット砲1門|要撃に特化した戦闘機、双子エンジンかつ串型というゲテモノ戦闘機である。&br()https://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=72916385| |&bold(){69式爆撃機}|180km/h&br()(高度3500m)|8㎜機銃1丁&br()50kg爆弾2発|イクファターナ某国から輸入した全金属複葉爆撃機| |&bold(){72式爆撃機&br()モテロク}|250km/h&br()(高度4500m)|8mm機銃8丁&br()20㎜機銃2丁&br()爆弾3000kg| 皇女の趣味…ではなく類稀な航空戦略によってイクファターナ某国の大型旅客機をライセンス生産して作った液冷全金属単葉4発爆撃機、&br()こんな大きくて低速な爆撃機はタラーン戦術の的だという空軍と機体が高額であることから量産に反対する財務省の具申により生産数は2機であったが、&bold(){76式無人飛行爆弾}の母機として有効であったため、現在20機が追加で生産される予定| |&bold(){73式爆撃機}|400km/h&br()(高度4200m)|爆弾800kg&br()20㎜機銃1丁&br()8㎜機銃4丁|全金属双発爆撃機| |&bold(){76式爆撃機}|450km/h&br()(高度4500m)|爆弾800kg又は魚雷800kg&br()20㎜機銃2丁&br()8㎜機銃3丁| ジュラルミンを使用したJa工業製の空冷双発全金属引込足輸送機・爆撃機である「陸上から航空機で戦艦を雷撃すれば最強じゃない?」というコンセプトで設計された。| |&bold(){75式襲撃機}|420㎞/h&br()(高度3000m)|13㎜機銃4丁&br()8㎜機銃1丁&br()爆装250kg| 高度100mの低空飛行で地上の部隊を襲撃することを目的として制作された全金属低翼単葉固定脚の直接航空支援機| |&bold(){76式双発戦闘機&br()チャルカ}|415㎞/h&br()(高度5000m)|13mm機銃4丁&br()20㎜機銃1丁&br()20㎜ロケット砲2門+爆装200kg又は爆装450kg| 元々は重爆撃機の護衛を目的として制作された双発戦闘機、&br()推進式エンジンで運動性を強化しようと試みたが、それでも運動性が良くなかったので、航続距離と重装備を生かして襲撃機として採用された。| |&bold(){66式偵察機}|260km/h&br()(高度3500m)|8㎜機銃1丁|イクファターナ某国から輸入した複葉偵察機| |&bold(){77式偵察機}|600km/h&br()(高度5200m)|13㎜機銃3丁| 空冷双発引込足式偵察機、| |&bold(){74式輸送機}|350km/h&br()(高度4000m)|13㎜機銃1丁| イクファターナ某国の旅客機をライセンス生産した全金属空冷双発の輸送機、輸送機・旅客機として民間でも使用されている| |&bold(){トビガメ級&br()空中駆逐艦}|150km/h&br()(高度2700m)|13cm高射砲1門&br()35㎜機銃8丁&br()76式1t無人飛行爆弾2機|ジャーガルク軍の全金属飛行船、対[[空賊>空賊連合組合]]対策として飛行爆弾を装備しており、空軍で20隻、海軍で10隻運用している。| |&bold(){76式1t/800kg&br()無人飛行爆弾}|520km/h&br()(高度5500m)|弾頭重量&br()1t又は800kg|ジャーガルク軍の無人飛行爆弾、&bold(){トビガメ級空中駆逐艦}や&bold(){72式爆撃機モテロク}を母機として運用され、無線誘導によって敵空中艦や艦艇に突撃する。| **&bold()・兵站軍  可汗・トワクー時代に結成された輸送路整備部隊が前身であると言われている、陸軍・海軍と同時に結成された軍で軍需物資の補給・輸送・整備・回収が主な任務であり、また後方基地や輸送路を建設するための工兵部隊も存在する。 &bold(){・部隊数} |連隊名|連隊数|任務|h |&bold(){主計連隊}|35|陸海空軍の会計| |&bold(){戦闘工兵連隊}|10|陸海空軍所属の戦闘工兵が不足している場合のピンチヒッター| |&bold(){建設工兵連隊}|35|インフラ整備・維持など| |&bold(){輸送連隊}|50|物資の輸送| |&bold(){輸送防衛連隊}|30|輸送部隊の防護| |&bold(){弾薬研究連隊}|3|陸海空軍で使用する弾薬の選定| |&bold(){鉄道連隊}|5|鉄道の建設・修理・運転や敵の鉄道の破壊| |&bold(){修繕連隊}|5|陸海空軍内で修繕か困難となった兵器の修繕、及び壊れた原因の究明| **・装備 -&bold(){ジャーガルクザウルス}×1万頭 -&bold(){軍馬}×25万頭 -&bold(){前線工作車輛}×40輛 -&bold(){後方支援型工作車輛}×50輛 -&bold(){トラクター}×1600輛 -&bold(){トラック}×2000輛 -&bold(){8tハーフトラック}×500輛 -&bold(){5tハーフトラック}×1000輛 -&bold(){工作車輛}×500輛 -&bold(){工作艦}×2 &bold(){・装備} |名称|分類|装備|解説|h |&bold(){75式戦闘工作車輛}|戦闘工作車輛|300kg爆薬投下装置&br()鉄条網や樹木切断用の衝角(甲型のみ装備)&br()鍬式地雷掃器(乙型のみ装備)|前線での戦闘工兵を支援するための車輛、乙型と甲型が存在する。| |&bold(){76式後方支援型工作車輛}|後方支援型工作車輛|可動式ブレード&br()クレーン|建設工兵を支援するための車輛| *&bold(){・諜報機関}  ジャーガルク・シャー国では[[ジャーガルク・礼戦争]]時、各省庁・軍の諜報組織が情報資料を共有せず各個に活動し、陸軍・海軍・外務省の連携した活動ができなかったという反省より各省庁懇談会を前身として&bold(){インテリジェンス・コミュニティー}である、&bold(){全体情報会議}が7612年に結成されている。  会議の構成員は&bold(){陸軍諜報部・海軍索敵研究会・空軍偵察資料統合室・兵站軍物資情報管理部・内閣情報資料室・外務省情報統合室・内務省公安室}の人間であり、情報資料の交換と精査が任務であり、会議の議長は内閣情報資料室の長官が兼任する。 **・資料保管庫 各機関から集められた資料を纏めて保管する全体情報会議直属の部署、重要な情報は各機関が独自に保管する傾向があるため&bold(){特段注目すべき資料は無い}とされている。 #region &bold(){&color(red){警告:以下の内容の閲覧には全体情報会議参加者資格と議長の承認が必要であり、違反者は議会決定8条に基づき処分されます。}} #region ・概要  資料保管庫はジャーガルク及びヤーディシアの&bold(){存続・発展}に害を及ぼす可能性がある&bold(){オーパーツ}((現在の技術では原理が解明できない物))・生物を危難発生の前に発見し保管する組織であり、これらの危険物は機密保持の為、&bold(){資料-危険ランク数-数字}と表示され、((例:資料-3-117))また保管庫本部は■■■にある。 &bold(){・保管物の危険ランク} |レベル|詳細|開示・組織外での利用|h |1|現在の技術で原理が解明できない物、&bold(){リバースエンジニアリング}できない物、生態に不明な点の多い生物|可| |2|1の上で殺傷を含む危難を発生させうるもの|不可| |3|1・2を具備した上で&bold(){人類種含む生物種の存続を害する物}|不可| |4|上記を具備した上で、保管・収容が&bold(){不可能}な物|不可| &bold(){・主な保管物} &bold(){・資料-1-56}(通称:浮遊石) 浮遊石は後韓王朝中期から後韓王朝末期に作成された作用を制御可能な半重力物質であり、韓王朝時代にはこれを用い、浮遊可能な木造船(錬土金製の船もあった。)が造られていた。 &bold(){・資料-1-43}(通称:錬土金)  覇王朝時代から帝政韓王朝末期にかけて生産された&bold(){金属セラミックス複合材料(MMC)}、割れにくく、軽量(鋳鉄の1/3)かつ剛性も鉄より高く曲がり難い物質、しかし耐熱性が高く熱膨張しにくいため加工は困難である。韓王朝時代では刀剣及び防具類・包丁・農耕器具として利用されていた。 &bold(){・資料-1-65}(通称:两足步行拖车机械) 韓王朝初期から末期に製造された形状記憶合金を用いた人工筋肉の1種、馬力は500HPであり古代にはこれを利用した歩行する乗り物が存在した。 &bold(){・資料-3-21}(通称:大虫草)  キノコの一種で特徴は&bold(){人類種含むほぼ全ての動物}に寄生することであり、初期段階で生物の脳を侵し、寄生された場合の治療はほぼ不可能で、体内の見えないところから体を侵食していき、最終的に寄生主は&bold(){人の皮を被った動くキノコ}と化す。  このキノコは古代に製造された生物兵器の一種であり[[トゥガ国]]の■■■■■■僧院に保管されているところを発見され、トゥガ国政府との交渉の上譲渡された。なおトゥガ国政府はこれ以外にも生物兵器があることを匂わせているが詳細は不明である。 &bold(){・資料-3-32}(通称:皇弟龍)  皇弟龍は白雪山脈中央の■■■地区に生息する龍(イクファターナ式の呼称ではドラゴン)である。彼は基本的に同地区の洞窟で生活しており、また1ヵ月に一度近くにある苛性ソーダ液(濃度48%)で泳ぐ姿が目撃されている。(彼にインタビューしたところ体に着いた埃や虫を洗い流すにはその池で泳ぐのが最も良いとのこと)  大変知能が高く、また歴史を中心に知識も豊富であるが、一度質問すると回答するだけではなく、それに付随した昔話を延々とする(最長で1ヵ月も話し続けた)ので何かを訊ねる場合はそれなりの覚悟が必要、また人間の学者(特に歴史学者)が著した書物を読み、時に著者と対話するを好む、近年は目が見え難くなっているため、現地在留の保管庫職員が最新の学術書・論文を読み聞かせている。渾名は老師 「現地在留職員による補講1」  ペンドラゴンシャー大公と面識があるか尋ねたところ、何らかの手段で不定期に連絡は取っているとのこと、(龍の電波知覚能力を利用しているとされている)但し大公は老師が昔話を始める前に必ず通信を切るらしい、 「現地在留職員による補講2」  読み聞かせ終了後、彼は私に「私の寿命は残り40~50年程であるため、回顧録執筆に協力してほしい」と求めてきました。そのため必要な機材と人員の派遣を求める。 #region &bold(){「インタビュー記録」} &bold(){職員}「まずは年齢を伺ってもよろしいでしょうか?」 &bold(){老師}「年齢か…暦が誕生する前に生まれたものだから答えられんのう…」 &bold(){職員}「では一番古い記憶について教えていただけませんか?」 &bold(){老師}「ふむ…一番古い記憶は■■■■■■■■■じゃ、あれを見たとき儂はまだ幼体で危うく死にかけたわい」 &bold(){職員}「大変昔の話ですね…処で老師殿は皇弟龍と名乗っておられますが何か所以はあるのでしょうか?」 &bold(){老師}「皇弟龍は名前というより称号みたいなものじゃの、&bold(){王玲}殿…&bold(){統英帝}陛下が志水の亭長であった頃、儂は覇の小役人共に捕まって、危うく聖明帝に献上されそうになったのじゃがその時、統英帝陛下が儂を逃がしてくれたのじゃ、その後陛下と儂が何を成したかは史書に記してあるじゃろう?」 &bold(){職員}「確かに後韓書に皇帝は龍と共に戦い天下を平定したと記されていますね」 &bold(){老師}「そうじゃ、人間とは違い儂には名前が無かったので天下平定後に陛下は皇帝の弟の龍という意味で皇弟龍という名前を付けてくださり、■■山を儂の領地としてくださったのじゃよ、陛下と儂は義兄弟の契りを交わしていたのでのう」 &bold(){職員}「成程、凄い由来ですね」 &bold(){老師}「ああ、統英帝陛下亡き後も韓の天子様達は毎年必ず儂の下にお土産を持って訪ねてきてくださった懐かしい話じゃよ…韓亡き後儂の住みかに尋ねようという者は殆どおらず、逆に儂自身が出かけ賢人や名君の情報を得て訪ねることばかりじゃったのう…まぁ煩い客はお断りじゃが」 &bold(){職員}「煩い客とは私たちのことでしょうか?」 &bold(){老師}「いや違うよ、数年前に来た&bold(){社会主義者}共の事じゃよ、連中「老師の助力が必要なんです」とかぬかしよって…どうせ儂の力を利用したいんじゃろうが、連日洞窟内で革命歌やアジテーションを拡声器で聞かされたり、宣伝ビラをばら撒かれ、終いには美女でもうまいもんでも何でもやるとほざきよる、余りに無礼じゃからやってきた連中全員に望みどうり力を見せてやったわい」 (そう言うと彼は洞窟内の窪みを指さした。中には溶解しかけた人骨が多数存在した。) &bold(){「インタビュー終了」} ・以下の記録より要注意団体である&bold(){清河文明財産管理局}が彼に接触したことが判明しました。 #endregion &bold(){・資料-2-45}(通称:蜥蜴少女)  資料-2-45は蜴亜人の少女であり年齢は1■-1■歳程度と推定されています。特筆すべき点はジャーガルク空軍空挺部隊の浸透兵と同等又はそれ以上の戦闘能力と、体色を変化させ周囲に溶け込み、一度隠れられると発見が困難であるという事です。  その為収容室は常時3人以上の兵士が監視し、収容室は2重扉で入室時は外側の扉を番号式の鍵で施錠する事、また面会者は常時塗装用のスプレー缶を所持し、隠密行動をとられた場合は、物音のする方やベットの下など影となっている場所へ塗料を吹きかけるようにしてください、  資料-2-45は元々体色の変化ができる一族が住む、■■■村(現在は&bold(){神聖ゲバルト連合}の襲撃により廃村となっている)出身であり、家計を助けるため人身売買組織に売られた後、イーブル主義者の集団である英知の探究者に購入され、様々な実験を受けました。  その後彼女は&bold(){清河文明財産管理局} に売られスパイとして要人暗殺と潜入の教育を受けていたが、76■■年■月■日に同組織の基地を資料保管庫の部隊が襲撃した際、幾つかの危険物と共に資料-2-45を確保しました。  資料-2-45は同年代の少女たち以上の知能がある一方、普段は無表情・無気力で自分から行動しようとすることは無く、一日中収容室で本を読み生活しています。 補講  研究員■■の「一度外に出して同年代の少女と交流させ、気分転換をさせたらどうか?」という提案は却下されました。  理由は現在でも彼女はアカ共の間者であり、無害なふりをして保管している資料を奪い、脱走する可能性が高いからです。  例え見た目が幼い少女であっても、危険がある以上我々は祖国の安全保障の為彼女を収容室から出すことはできません &bold(){・資料-3-19}(通称:みなづき駅)  みなづき駅は&bold(){シマウ族}が生贄を効率的に確保するため建造した駅(以下駅と表記)と関連車両(以下列車と表記)の事であり、シマウ族は密かに在来線と駅を繋げ、夜間に偽の列車を走らせ、誤って乗車した者を催眠薬((■■■■を主成分とする。))で眠らせ駅へ移送、犠牲者を彼らの神への生贄としています。  この駅は生存者の女性(以下女性と呼称)が警察へ通報し、その報告から存在が明らかとなりました、女性は■■■■系の催眠薬が効きにくい体質であり、駅へ到着後直ぐに目が覚め、逃亡できたと推測されています。 #region &bold(){「インタビュー記録」} &bold(){職員}「お体の方は大丈夫ですか?」 &bold(){女性}「はい、少しめまいがしますけど大丈夫です。」 &bold(){職員}「それは良かった、先ほどの検査でも異常が無かったそうですので、このままインタビューをさせていただきますがよろしいですか?」 &bold(){女性}「はい、大丈夫です。」 &bold(){職員}「では、貴方に起こったことを最初から順序立てて説明していただけますか?」 &bold(){女性}「はい、私は■■市で生活しているのですか、夜中に故郷の■■■村に住んでいる母が大怪我を負ったと電報で知ったので、急いで駅に行き駅員さんに■■■駅へ向かう便の始発は何時なのか聞きに行きました。」 &bold(){女性}「でも駅は無人で閉まっていたので帰ろうとしたんですけど、その時に汽笛が聞こえて少し古めな蒸気機関車が駅に止まって、降りてきた顔の青白い韓人の車掌さんが駅の鍵を開けてくれたんです。」 &bold(){女性}「私は少し不審に思いましたが、母の事が有ったのでその車掌さんに目的の駅へ行くか聞いてみたんですけど、生気の無い声で「ハイ…」と答えたので、乗車しました。」 &bold(){職員}「他の乗客はいましたか?」 &bold(){女性}「はい、酔っぱらった中年男性が2人と、乞食の様な人が2人程…あと腕の無い男性が一人いました。」 &bold(){女性}「しばらく乗車している内にだんだん眠くなって寝てしまい、起きた時には「みなづき駅」という聞いたことも無い駅で停車していました、その時他の人たちは眠ったままで、私は「故郷へ向かう途中にそんな駅はあったか?」と訝しく思い、車掌さん達を探したのですが先頭車両に行っても運転手さん含め誰もおらず、仕方なく下車しました。」 &bold(){女性}「駅は無人でレールは先頭車両の方で終了していたし、周りに人家もありませんでした、…ただ太鼓とお囃子の音が何処からともなく聞こえてきたのは覚えています。」 &bold(){女性}「私は何となくここから離れたいと思い、レールを歩いて帰ろうと思いました、少し歩くと目の前にトンネルがあって不気味だったんですか、意を決して進みました。」 &bold(){女性}「4~5分程歩いたでしょうか?後ろの方から足音が聞こえて来たので、最初は自分の足音が洞窟に反響しているのだと思ったのですが、どうもそうは思えず、おもむろに石を何個か拾って思いっきり投げました。」 &bold(){女性}「すると鈍い音と何かが叫ぶ声が聞こえたので私は一目散に走って逃げました、トンネルを抜けると車道があってそこをトラックが通ったので運転手の男性に助けてもらいました。」 &bold(){職員}「男性の種族は?」 &bold(){女性}「暗くてよく分かりませんでした、その後彼は私を町まで送ってやると言ったので乗せてもらったのですか、何故か山の方に向かい頻りに何か言ってたので、隙を見て車から飛び降り、車内から見えた村の光の方へ走って、村の交番に助けを求めました。」 &bold(){職員}「了解しました、質問に答えていただきありがとうございます。それとあなたのお母さまは■■■病院に入院しているそうなので、後程そちらへお送りいたします。」 &bold(){女性}「有難うございます」 &bold(){「インタビュー終了」}  インタビュー後、我々は陸軍に協力を要請し、女性の証言を基に一個師団で付近を調査、結果、記録にない同名の駅・車両とシマウ族の地下村落、さらに犠牲者と思われる遺体を彼らの神殿内で発見、またシマウ族の村落には人の皮を用いた変装用具も見つかりました。 陸軍兵士は抵抗するシマウ族■■匹をその場で殺害、残りを我々に引き渡しました、以下は生き残りに対するインタビュー記録です。 &bold(){「インタビュー記録」} &bold(){職員}「では名前と年齢を教えてください」 &bold(){シマウ族男性}「名前はシューノー氏族のごじゅーにで年齢は救済まで平均24年だよ~♪」 &bold(){職員}「…では何故あのような駅と設備を建造したのですか?」 &bold(){シマウ族男性}「そんなの腐敗と死の神への贈り物を狩る為でしょ~♪神は腐肉が大好きなんだよ~♪」 &bold(){職員}「ではどうやってあれ程の設備を用意したのですか?」 &bold(){シマウ族男性}「それは~♪ダンボール氏族の連中が■■■■国の鉄道技師を捕まえて~♪鉄道の作り方を教えてもらったから~♪みんなきしゃとえきを造れるようになったんだよ~♪彼は大変立派な人だから肥溜めに沈められたんだよ~♪羨ましいでしょ~♪」 &bold(){シマウ族男性}「あ~僕を殺すなら死体の臓物を取りだして君たちの町にばら撒いてくれない?神様喜ぶだろうなぁ~♪」 &bold(){職員}「…最後に一つ教えていただけますか、何故、駅の名前がみなづき駅なんですか?」 &bold(){シマウ族男性}「アハアはあはwwwそれは~♪みなづきが全てが腐敗し神聖なカビさん達が元気になる季節だからだよ~♪だから全ての駅はみなづき駅なんだ~♪」 &bold(){職員}「…!!ちょっと待ってください!!みなづき駅は他にも複数あるんですか!?」 &bold(){シマウ族男性}「ゲラゲラwwwそうだよ~♪でもうちの駅が潰されたことが他の氏族にも伝わったからジャーガルク内の駅は完全に破壊!!破戒!!は~か~い!!でも清河とか■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■の駅はだ~い~じょ~ぶっはははははははははははははははははははははははははははははははははははwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」その後彼は笑い続けて一言も喋らなくなったので &bold(){「インタビュー終了」} ・その後資料保管庫は清河の&bold(){清河文明財産管理局}にこの事を報告、同様の駅が発見されたとの情報が入っている。 #endregion &bold(){・敵対組織} ・清河文明財産管理局 &color(red){完全敵対}  清河文明財産管理局、通称清文局は[[清河人民社会主義共和国]]のオーパーツ管理局であり、危険な物品・生物を用いて&bold(){イクファターナ資本主義者・敵対国家を全て滅ぼし、清河文明・清河社会主義支配の下世界を征服することを目標としている。}どの様な危険物を所有しているかは不明だが、過去に我が組織の■■■保管庫を襲撃し資料-■-■■■と資料-■-■■を収奪した大変危険な組織である。 &bold(){・[[a+x=Ω]](イーブル主義)} 警戒  野人・ダハーカ人研究で名高く円十字教司教でもあるイーブル・S・ゾンツ教授が提唱したイーブル主義((進化論と創造説の両立を説明するために生まれた説、地球上の動植物は神(Ω)が神を生み出すために創造した存在であり、最初の生命(a)は多様に進化し地球上の全ての環境で生存することによって、この世の全てを経験し完璧な存在となり、最終的に収斂進化によって神(Ω)に成長するという説、この考えの中で人間は物質面だけではなく文化的・精神的に高度な発明・経験をすることと、地球上に広がり共通性を増すことにより地球生物圏としての存在、即ち神に至る進歩の旗手となるべきものとされている。なお円十字教普遍教会からは異端とされている。))信奉者によって構成されている組織、彼らの理念は人間の生み出した技術(オーパーツ)や知られていない生物(危険種含む)を用いて神に至る進化を早めることとである。&bold(){しかしa+x=Ω内には地球上の元素は有限であるため、進化の落伍者である亜人・ソーラネウスを抹殺し彼らのリソースを円十字教徒の人類種人口増加に役立てようという過激派が存在する。 [[詳細は個別ページへ>a+x=Ω]] &bold(){・[[ナハト大学>ナハト市]]} 警戒  [[ヤード帝国領カラシュ公国>カラシュ公国]]に存在する大学、大変高度な技術と探求心を有する組織であり、危険生物やオーパーツ関連の研究も行っている可能性がある。 &bold(){・シマウ族} 殲滅対象  種族・系統不明の亜人族、&bold(){ハイエナ亜人}の仲間とも、&bold(){チーター亜人}の仲間とも推測されており、体は細いが見た目に似合わず強大な腕力と脚力を有し、シンファナ・タヴェリア各地の洞窟や地下通路で生活、独特の歌と舞踊の文化を有している一方、腐敗と分解の神であるクゥロプションを信仰しており、地上から攫ってきた者を祠に閉じ込め生贄とし、供えてから暫らく経って腐敗した肉を食糧としている。  後韓の歴史書である『後韓書』に彼らと思われる種族が登場しており、古くから各地で人さらいを行ってきたと推測され、またムスルマーネンの記録にも人買・人売りの種族として記録され、また戦乱の時代には親を失った子供を連れていったり、養えなくなった者や村八分となった者を引き取ったりもしており、ヤーディシア大戦中にも活動していたと記録に残っている。  しかし[[モスン帝国]]時代以降、シンガでは大規模な討伐が何度も行われ、特に各国が開国し、中央集権的体制が確立されていく中で、警察に逮捕される者が増え、一部は金鱗衆を頼って文字通り地下へ潜り、一部は空賊連合へ逃亡、しかし現在でも人身売買に深く携わり、近年ではタヴェリアで活発的に人狩りを行っている。 &bold(){言動} 「さぁ、黒んぼは飼育された方が幸せだから奴隷船にしまっちゃおうねぇ~」 「親無しはどんどん行こうねぇ~親がいてもどんどん行こうねぇ~」 #endregion #endregion *&bold(){・歴史} 注:暦は世界創世暦を使用する **・建国神話 &bold(){「アンディゴイ・インフォルメ」}創造の箇所  かつてこの世界には老いることも病むこともない黄金人が理想的な社会を築き生活していたが、完璧な世界で既存のもの以外存在しないその生活に飽きた人々は自らが築いた全てと、自分たちが見たことのあるもの全てを破壊し、世界を永遠に燃えるものとした。そして全ての黄金人が見たことのない第二の世界((北部の伝承では空の穴))へと旅立つため、彼らの長い髪で首を絞めて死んだ。  しかし第二の世界は暗い洞窟のような場所であり、大多数の黄金人は死後の世界で発狂し、叫びまわったり互いを罵り合ったりした、その中で1人の発狂した黄金人が奇声から&bold(){「インベンドル」}という自らの名前を創造した。  創造するという遊びを知った&bold(){「インベンドル」}は手遊びとして自分の唾と死後の世界の塵を粘土のようにこね回し、自らの唾と爪と塵で作ったものを魚・甲殻類、唾と髪と塵で作ったものを海藻と名付けた。そして自分の体を再構築し、大きな水滴の世界を創った後、彼は第二の世界から持ってきた生物と海藻を水の中で泳がせた。彼はそれらが水に溶け込んだものや他の創造物を吸収し、成長・繁殖・衰亡するのを見て楽しんだ。     さらに新しいものを作りたいと思った彼は第二の世界や他の世界から持ってきた塵を集め陸地を作り、勝手に増えた魚や海藻をもう一度こね回し、魚だったものから動物や人、海藻だったものから植物を作った。その中で人が創造物に対して興味深い行動をするということを発見し、彼は人に家、鍋、槍などの簡単な道具を与えどのような行動をするか観察し、また自らも人と同じく食事、睡眠、繁殖をおこない33人((北部の伝承では39人))の半神をつくった。そのうち32人が32王家の始祖である。  第二の世界で&bold(){「インベンドル」}の活動を見ていた発狂していない黄金人たちは自分たちも同じ遊びをしようと思い復活した。復活した黄金人たちに対して&bold(){「インベンドル」}は自分の創造した魚や海藻の住みかと、陸地を荒らさないことを彼らに約束させ、黄金人たちは&bold(){「インベンドル」}から分けてもらった魚、海藻、動物、植物をこね回し、それぞれが作った陸地やその周りの海に&bold(){「インベンドル」}とは別の生き物を住まわせそれぞれ楽しんだ  しかしそれを第二の世界から見た発狂した黄金人たちは発狂していない黄金人の創ったものたちを破壊して遊ぼうと思い、自分たちがかつて永遠に燃えるものとした世界から火の玉を取り出し、この世界へ向けて投げつけた。これに対してインベンドルと発狂していない黄金人たちは水の盾に変身しこの世界を覆い守護した。この戦いは休みを挟みつつ現在でも続いており、これが昼と夜の始まりである。  &bold(){「インベンドル」}は自身の子である33人の半神のうち末子の&bold(){「ザ・プラナツィエン」}を特に愛おしく思っており、ゾロタ列島の支配権を彼に譲るつもりであった。しかし32人の兄たちはそれを快く思っておらず、&bold(){「ザ・プラナツィエン」}を憎んでいた。  その中で発狂した黄金人と戦うために&bold(){「インベンドル」}と他の発狂していない黄金人たちが空の世界へ行ったため、32人の兄弟は共謀し&bold(){「インベンドル」}が水の盾に変身して地上を監視できない夜の間に弟を殺すことを決意した。そしてある夜兄弟全員は宴会のために集まり&bold(){「ザ・プラナツィエン」}が泥酔した後、石に縛り付けて海に放り込もうとした。しかし32人の兄弟たちは直前になって流石に殺してしまうのはかわいそうだと思い、&bold(){「ザ・プラナツィエン」}を船の帆柱に縛り付けて、船を海に流しゾロタ列島から追放した。  &bold(){「ザ・プラナツィエン」}はそのまま海流によって大陸に流された。兄弟たちに裏切られたショックによって人間不信となり、人の住んでいる集落を避け、内陸へと進んでいった。海岸から歩き続けて1年後、不思議なことに馬・馬鳥・牛・羊・鶏・豚・ガチョウなどの人が好む動物が沢山住んでいるが、人が全くいない大地に到達した。  疑問に思った&bold(){「ザ・プラナツィエン」}は近くの大きな灰色の雌狼に訳を聞くと「このあたりの動物を創造した黄金人は、人を創る前に発狂した黄金人と戦うために天空へと行ってしまったのです」と答えた。&bold(){「ザ・プラナツィエン」}は人がいないこの土地を気に入りその狼を伴侶として末永く暮らした。この&bold(){「ザ・プラナツィエン」}と灰色の雌狼の末裔がヴォウク族である。 **・古代(約3万年前~4912年)  現在首都が置かれているゾロタ列島に人類が住み始めたのはファジミリエス遺跡の野営地跡などからおよそ30000年前のことであると想定されており、その後約3000年前まで狩猟採取の時代が続いたと思われる。約3500年前に始まった気候の寒冷化による環境収容力の低下によって一時的に人口が減少するが、西部の大陸から米を含む穀物類や豆類が導入され、人口は増加する。  約3100年前より人口の増大により大規模集落が発生し、また青銅器の導入により利水権や農耕地を巡る集落同士の争いが激化、小規模な国が乱立するようになり小諸国の君主の権威を示すため、北部では石を積んで作られた方形の墓が、南部では土饅頭を石で覆った円形の墓が作られるようになった。  &bold(){4798年}[[柱王朝>https://www65.atwiki.jp/yadohakoz/pages/27.html#id_a3129cb2]]の完仙帝理武によって南部19小諸国が征服されたことに対して危機感を覚えた北部の13小諸国が不要な柱王朝への攻撃の禁止と、侵略された場合の協力を基本戦略として団結、13小諸国の族長から戦時の指揮権と部族間の対立において裁判権を有する上王を小諸国の君主から君主13人の多数決によって選出するようになった。上王の位は&bold(){4912年}に上王となった&bold(){&color(red){アーレ}}よりカラン国君主の世襲職となる。 **・カラン朝(4912年~5085年) &bold(){・カラン朝時代の領土} #image(柱.jpg,,height=900)  &bold(){&color(red){アーレ}}が上王となってから&bold(){&color(red){ハクァ上王}}が死亡するまでを&bold(){&color(purple){カラン朝}}と呼ぶことがある。カラン朝は基本的に[[柱王朝>https://www65.atwiki.jp/yadohakoz/pages/27.html#id_a3129cb2]]との対立を避け北部の水産資源・貴重な薬草の輸出をおこない、一方でゾロタ列島では希少な銅(([[柱王朝>https://www65.atwiki.jp/yadohakoz/pages/27.html#id_a3129cb2]]から軍拡を疑われないように銅の生活用具を輸入し本国で武器にした))を輸入し、また柱王朝の徴税・インフラ制度を真似て国力の増大を図った。  &bold(){&color(red){ユウ上王}}の時代には小諸国の力を借りず、武力により南部3カ国を征服しカラン国に併合し、現ゼン国北部海岸地域にも影響力を持つようになった。しかし息子の&bold(){&color(red){ハル上王}}は子供を持たず((このことに対して古来よりハル上王は女性であった、生殖機能に問題があったなど様々な説が主張されてきた。プラト大学の文化人類学者オルコ氏はヤード帝国より入ってきた円十字教の敬虔な一派をハル上王は信仰していたのではないかと指摘している))アーレの男系直系は途絶えた。  &bold(){4997年}にハル上王が亡くなった後、それぞれユウ上王の娘を母とする&bold(){&color(purple){ミーヌ国}}の&bold(){&color(red){君主ブラン}}と&bold(){&color(purple){ツン国}}の&bold(){&color(red){王位継承者イシク}}が上王の位を巡って争うようになる、最終的にツン国軍優勢となり、他の国々もそれに便乗、&bold(){5004年}にボオゾの戦いでミーヌ軍を破り、ブランと現ゼン国海岸地域に逃れていた末子&bold(){&color(red){クフェン}}をのぞく子供たちを処刑した。  後に記された正史「アンディゴイ・インフォルメ」ではイシク上王とその息子&bold(){&color(red){ハクァ上王}}は自分を見た罪など些細な罪で奴婢から他の王族まで関係なく残虐に処刑し、宴のときには妊婦の腹を裂かせたと記されているが、一般的にこれらの記述は後の為政者が前王朝を貶めるために書かせた箇所であると解釈されている。 &bold(){・ハクァ上王時代の領土} #image(柱中.jpg,,height=900)  生き残った&bold(){&color(red){クフェン}}は&bold(){5005年}に現ハルラ盟国において移動型遊牧生活を送っていた狼人系騎馬遊牧民族の&bold(){&color(purple){ヴォウク族}}に庇護を求めた。ヴォウク族は寒冷化と異民族の流入によって弱体化した[[柱王朝>https://www65.atwiki.jp/yadohakoz/pages/27.html#id_a3129cb2]]が鎮藩派琉運((現ハルラ盟国))を守護するために、北部から移住してきた彼らを帝国の節度使として朝貢金((末期にはそれすら払えなくなっていたので派琉運の徴税権を与えていた))の代わりに派琉運の防衛を依頼していたために派琉運に住んでいた。  ヴォウク族部族の実質的部族長(ベク)である&bold(){&color(red){アルン}}は彼の来訪を豊かな農耕地帯を有するゾロタ列島又は現ゼン国の一部を手に入れるチャンスであると捉え、自らの娘でもあるヴォウク族のシャー(宗教的な長)&bold(){&color(red){クリィサリス・チユン}}とクフェンの婚姻を条件に援助を約束、しかしゾロタ列島遠征直前の&bold(){5010年}にアルンとクフェンが相次いで病死、ヴォウク族はベクの地位を巡り内戦状態となる。  その中で&bold(){5030年}に引退した母の跡を継ぎシャーとなったチユンとクフェンの娘&bold(){&color(red){コト}}は自ら軍を率いて戦い、最終的に和解の席においてベク候補で叔父にあたる&bold(){&color(red){ダヤ}}を誅殺、シャーとベクを兼任するようになった。さらに将来におけるゾロタ列島遠征の協力者確保のため&bold(){5033年}にイシク上王の孫((母親がイシク上王の娘))であり小諸国の中でも有力な&bold(){&color(purple){シラ国}}の&bold(){&color(red){ホン王子}}と婚姻、&bold(){&color(red){チヤ}}と&bold(){&color(red){クリィ}}の二人の娘をもうけた。  そして&bold(){5040年}ゾロタ列島へ遠征を開始、小諸国の内通やゾロタ軍の装備が旧式であったこと((ゾロタ軍は鉄器や馬が少数であったうえに古代韓帝国の軍備を真似ていたために長い槍と大きな盾で密集陣形をとっていたのに対して、騎兵が多いヴォウク族軍はパルティアンショットで撤退すると見せかけてゾロタ軍の陣形が崩れたとたんに反転し包囲殲滅した))もあって遠征は成功、捕らえたハクァ上王を同年に処刑、&bold(){5042年}1月1日に自らがゾロタの上王と宣言した。((この年を1年として後に征健歴が制定される))  その後コトはゾロタ列島の官制をハルラ盟国とゼン国に一部導入し、&bold(){5075年}にクリィをゾロタ列島とゼン国のシャー((上王の王号は男がなるものという意味合いが強かったために廃止))チヤをハルラ盟国のシャーとして引退、10年後の&bold(){5085年}に亡くなった。その翌年チヤが落馬により死亡((暗殺説もある))クリィがゾロタ列島・ハルラ盟国・ゼン国全てのシャーとしてジャーガルク((ジャーガルクは3国の間の海の呼び名))のシャーを名乗った。 **・クリィサリス朝ジャーガルク・シャーの時代(5085年~5767年) &bold(){・クリィサリス朝ジャーガルク・シャー国時代の領土} #image(柱末.jpg,,height=900)  2代目にあたるクリィ・シャーはゾロタ列島で柱王朝流の教育を受け、かつ母とともに戦った武将に鍛えられた文武両道の君主であった。彼女は&bold(){律令}の制定と&bold(){公地公民}化政策を推し進めつつ、ゾロタに残っていた小諸国の君主とゼン国の豪族に対して、官職に就けるという優遇策と共に、従わなければ征伐すると宣言し、にユウ上王の時代からゾロタ列島の中心である首都バスナァーへと移住させ、地区(群)ごとに行政官と役所を設置した。  ハルラ盟国に残ったヴォウク族に対しては部族を再編、血縁によって団結できないようにし、行政単位であるニラの長と自分の娘の婚姻を進め、また彼女はハルラ盟国に造営したヴァルヒニー・ミニストを春の都、バスナァーを冬の都としてシャーが季節ごとに両都を往復するようにした。  7代目にあたる&bold(){&color(red){クイ・シャー}}の時代に全国で使える穴あき銭が発行され、また国土の一体化を図るため公道の整備と駅の設置(駅伝制)が進められた。10代目&bold(){&color(red){ラン・シャー}}の時代には南方から難民や海賊の集団がジャーガルク海に侵入してくるようになり対策としてニラの長でもある&bold(){&color(red){ラジャン将軍}}をゼン国南部3群の軍事及び為政を司るベーレに任命した。また14代目&bold(){&color(red){クロン・シャー}}は地域によって手に入る産物が違うという理由から穀物による納税を廃止して穴あき銭による納税を基本とする税制改革をおこなった。  18代目&bold(){&color(red){フク・シャー}}は「今日、私が皇女に祖母のイマ・シャーの話をした時、そのような話を全ての家臣から聞いたことがありません、と聞き私は大変驚いた、古の事が忘れ去られるのはなんと悲しく歯がゆいことだろう、幸いにも上古ゾロタの諸国の先人や本朝の官吏が残した報告書や日記の類が宮殿に残っており、また伝承の類も各地にまだ多く残っている。そのためそれを正史として纏めよ」という勅令を下し、正史&bold(){「アンディゴイ・インフォルメ」}が20年近い歳月をかけて&bold(){5470年}に完成した。20代目&bold(){&color(red){カル・シャー}}の時代には冨杏秀((現在のファンシュー地区遠))征が行われ、同地の豪族に対して朝貢を義務付けることに成功する24代&bold(){&color(red){ラク・シャー}}の時代には塩を基にした&bold(){兌換紙幣}が発行された **・動乱の始まり(5767年~5886年)  29代&bold(){&color(red){ドク・シャー}}の時代より南方からの海賊の来襲が増加し東方韓人王朝との対立も激化、それに対応する形として地方の軍事と行政を一手に担うベーレが各地に設置されるようになり、中央政府の統制がきかなくなっていき、ベーレの中には皇女と婚姻関係を結び中央政府の有力者に賄賂を贈り、その地位を維持し世襲する者も現れ始めた。  さらに&bold(){5766年}31代&bold(){&color(red){オヤン・シャー}}は長女の&bold(){&color(red){ソソイ・シャー}}に位を譲り自らは隠居したが、翌年ソソイ・シャーが流行り病によって死亡、仕方なくオヤンは将来、幼い長女の遺児である&bold(){&color(red){ハン}}を33代目シャーとすることを条件に次女の&bold(){&color(red){タイダ・シャー}}を32代目のシャーとした。しかしソソイ前シャーが亡くなった後、タイダ・シャーは遺言書を処分、自らの娘である&bold(){&color(red){ソイ}}を33代目シャーにすると公言し、ヴァルヒニー・ミニストにいた皇女ハンに対して追討命令を下した。からくも追討を逃れたハンは南方へ逃げ、ゼン国南部三群のベーレである&bold(){&color(red){フャン将軍}}に保護された。  同地からハンは「フャン将軍と私は国外へ追放される覚悟であり戦うつもりはない、国を割る内戦になることを防ぐ為にこれ以上皇族同士で争うのは避けよう」と書状をバスナァーにいるタイダ・シャーへ送ったが信用されず、ゼン国中部三郡のベーレである&bold(){&color(red){ロイカ将軍}}にファン将軍と皇女ハンを追討する命令を下した。これに対しファン将軍は南部に住み着いていた海賊を味方につけて、ロインカ軍の海上輸送を圧迫、&bold(){5771年}にロインカ軍をゼン国最大の町クォウシヤンで破り逆にゼン国中部三郡を征服する。  さらにハルラ盟国北部15ニラのベーレであり30代目&bold(){&color(red){カクレ・シャー}}の孫((母親がカクレ・シャーの娘))である&bold(){&color(red){クレヨ将軍}}が正当なシャー候補である皇女ハンを守るためという名目で、ヴォウク族の伝統に従い男子全員(武装した家臣と地元住民)の推薦と承認によりベクに就任、以後ジャーガルク・シャー国は3つの勢力による内戦となり、また3勢力が戦費獲得のため穴あき銭と兌換紙幣両方を乱発したために経済は悪化した。  &bold(){5778年}失意のタイダ・シャーが亡くなり、ソイ・シャーとハン・シャーがほぼ同時に33代目シャーとなった。その後各地のベーレはクレヨに便乗してベクを名乗り、北朝側(バスナァーとヴァルヒニー・ミニストのシャー)と南朝側(クォウシヤンのシャー)に分かれて争った。 &bold(){・南北朝時代の各勢力} #image(南北朝.jpg,,height=900)  &bold(){5883年}に南朝の38代目&bold(){&color(red){アネス・シャー}}と弟で実質的にゼン国全土を支配する&bold(){&color(red){オルン・ベク}}が対立、オルン・ベクは北朝側へ寝返り、アネス・シャーを捕らえ処刑した((しかし数年後に亡くなったオルン・ベク軍将軍チョウの日記なるものが出版され、その中で「アネス・シャーは南から国外へ逃れたようであり捕らえることはできなかったので、代わりに似ている侍女の首を直接北朝のシャーへ送った。オルン・ベクは実の姉の首を見なかったので助かった。北朝の人間はアネス・シャー様の顔を見たことが無いはずだし、長旅で首は腐敗していただろうから見分などできるはずは無い」と記されている。))その後オルン・ベクは&bold(){5886年}に北朝の36代目&bold(){&color(red){ウレシ・シャー}}の娘で後の37代目&bold(){&color(red){ドグン・シャー}}と婚姻、以後この夫婦の娘から女系の子孫が祭祀を司るシャーを世襲し、息子から男系の子孫が実務を行う大将軍(&bold(){可汗})を世襲するようになった。 **・バスナァー可汗時代(5886年~6228年)  可汗が直接支配するのはゼン国4群とバスナァー近郊だけであり、それ以外の地域は各地のベクが実質的に支配していた。その後は比較的平和な時代が続き3代可汗の&bold(){&color(red){シリィス・ディスパート}}の時代には海外通貨の流通と貿易及び&bold(){二毛作}・&bold(){草木灰}導入の推奨により国全体が豊かになった。((この時代に門前町を中心にゴマ・菜種・紅・茶・楮・藍・荏胡麻が流入、栽培も行われるようになった。))  しかしそれは同時に地方のベクも豊かになることであり、次第に地方のベクの発言力が増大、7代可汗の&bold(){&color(red){ナウリィス}}がハルラ盟国9ニラのベクである&bold(){&color(red){ロ・スォン・ベク}}の兵士により暗殺、8代可汗の位を巡る争いにより可汗の兵はロ・スォン・ベクを討つことができず、ハルラ盟国11ニラのベクである&bold(){&color(red){モンタン二・ベク}}にロ・スォン・ベクの追討を命じ、ロ・スォン・ベクを討った。モンタン二・ベクは彼のニラを吸収し18ニラ(2ニラは戦での消耗分)の大ベクとなった。10代可汗の時代には本拠地であるゼン国4群の支配も新興の3ベクによって奪われ、可汗が支配しているのはバスナァーの東一群のみとなった。  またゾロタ列島北部では黄金人が生きていた時代へと回帰し彼らの下僕へと戻ることを教義としてとした&bold(){浮屠教・昏睡麗冨宗}が開祖&bold(){&color(red){アァルミィ・リェタリエ}}によって&bold(){6146年}に誕生、開祖の曾孫である5代目嚮導者(アレズヴェ)&bold(){&color(red){ルンルア}}の時代に武装蜂起し、同地のベクを殺害し北部二群を支配さらにその後支配地域を広め、&bold(){6225年}に18代可汗の&bold(){&color(red){ムスーン}}とその親族39人を殺害、第一可汗時代が終焉する。  さらに&bold(){6228年}に対立した53代目&bold(){&color(red){クゥ・シャー}}を捕らえ親族48人と共に殺害し、クリィサリス朝のシャーは断絶、同年7代目アレズヴェである&bold(){&color(red){スァングェ}}は過去への回帰の第一段階として自らを上王とした。  一方でハルラ盟国のヴァルヒニー・ミニスト周辺2群と20ニラ及びゼン国4郡を支配するサフィロス家の&bold(){&color(red){アンガ・ベク}}は51代目&bold(){&color(red){イガウ・シャー}}の娘を妻としていたため、クリィサリス朝滅亡の情報を得た後、彼女が生んだ娘を&bold(){6229年}に54代目&bold(){&color(red){ジトン・シャー}}とした。 **・サフィロス朝/昏睡麗冨宗嚮導者(上王)時代(6228年~6388年)  嚮導者&bold(){&color(red){スァングェ}}はバスナァー北部の山(現ゾロテ城)に本拠地&bold(){ボジョゼト寺院}を造営し、税(年貢)の統一と治水事業によって国力を増大させる一方、円十字教徒とメトラ教徒を組織的に虐殺した。虐殺は嚮導者時代に一貫しておこなわれ、昏睡麗冨宗嚮導者時代後期に円十字教徒とメトラ教徒は文字どおり殲滅されたといわれている。  嚮導者スァングェの死後、後継者の座を巡りスァングェの甥である&bold(){&color(red){タカト}}、&bold(){&color(red){ズミ}}、&bold(){&color(red){キトウ}}の3者が対立、それぞれ自分はスァングェ生前に養子縁組したと主張し戦となった。最終的にズミの部下であり養子でもある&bold(){&color(red){ユンザ}}がキトウとその子供を殺し内乱は終了、ユンザが9代目嚮導者となった。  しかし嚮導者ユンザの時代より宗派内の教義を巡る対立が激化、また戦費調達のために各勢力が農民に重税を課したため昏睡麗冨宗一般教徒を含む農民による暴動が増加し、さらに嚮導者ユンザは内戦中商人が戦費を貸してくれなかった恨みと農民の困窮に対するスケープゴートとして商人や金融業者を虐殺、商業や金融業に重税を課した。  嚮導者ユンザの死後、長男の&bold(){&color(red){ユンサン}}が10代目嚮導者となったが宣教頭の&bold(){&color(red){サレン}}によって暗殺、サレンを倒した勧善懲悪頭の&bold(){&color(red){クランイ}}が11代目嚮導者となった。しかしゾロタ列島南東部で小作農出身の地方宣教者&bold(){&color(red){シャムン}}が「スァングェが百姓娘との間にもうけた子供の末裔」として正当な9代目を名乗り、財産の平等分配と宣教者の特権的地位の廃止を主張しゾロタ列島南東部を支配、教団内の異端派や農民反乱勢力と結託し残りの地区を支配する嚮導者クランイと対立した。  嚮導者クランイは勧善懲悪頭&bold(){&color(red){ユンダ・ルン}}によって暗殺、ユンダ・ルンはクランイの首を手土産としてシャムンの勢力と和解しようとしたが、徹頭徹尾異端殲滅を主張するシャムン側は和解を拒絶、本拠地ボジョゼト神殿を失い窮地に陥ったユンダ・ルンはヴァルヒニー・ミニストのシャーに救援を求めた。  これに対して62代目&bold(){&color(red){コキー・シャー}}はハルラ盟国とゼン国の8ベクをヴァルヒニー・ミニストがある群以外の群とニラを下賜することによって糾合し連合軍を結成、一方シャムン側はゾロテ城占領によって莫大な財を得た教団上層部が堕落し、また農民軍が暴徒化し略奪をおこなったため急速に民心を失い、&bold(){6387年}に連合軍は狂信者討伐を名目としてゾロタ列島に上陸、&bold(){6388年}にボジョゼト神殿を陥落させた。シャムンは陥落直前に脱出し古巣であるゾロタ列島南東部で再起を図ろうとしたが同年元部下によって殺された。  その後コキー・シャーはボジョゼト神殿を完全に破壊し、その跡地に春の間滞在するための小規模な砦を建設し、また減税及び農民との交流によって民心を把握した。その後昏睡麗冨宗信徒の多くは棄教したが、農民軍の残党などは小規模な反乱を何度か引き起こし、&bold(){6394年}の反乱を最後として昏睡麗冨宗は消滅したと言われている。 **・混乱の時代とモスン帝国の伸張(6388年~6600年) 関連項目:[[モスン帝国]]  連合軍解散後ハルラ盟国とゼン国では再びベク同士の対立は激化、シャーはゾロタ列島にしか直接的に統治権が及ばなかった。そのような中でジャーガルク人の進出に悩んでいた前北冨王朝([[現在の清河>清河人民社会主義共和国]])が緩衝地帯確保のためジャーガルク東部((現ハルラ盟国北部))の狼人系騎馬民族である&bold(){&color(purple){モスン族}}を支援、モスン族族長&bold(){&color(red){アルタ・ハーン}}の優れた戦術((戦術を体系化して、手旗信号や銅鑼の合図で騎馬隊を運用し、また諜報戦と補給線の確立も重視した。))によって瞬く間に現ゼン国とハルラ盟国を制覇、その後、交易路確保のために送った使者を殺した[[トゥガ国]]へも侵攻し、&bold(){6527年}に王を捕縛、彼を絨毯で包み、その上に馬を走らせ圧殺し、勢いで&bold(){6534年}に北冨王朝の北部を併呑((その結果中原の保有していた火薬の技術を獲得))した。  その後&bold(){6537年}にアルタ・ハーンは病没し、伝統的な一族の集会(クリルタイ)の結果、帝位を2男の&bold(){&color(red){オゴ・ハーン}}が継承した。オゴ・ハーンは元々ジャーガルクの制度であった駅伝制(通称ジャムチ)を帝国全土に広め、官僚制に詳しい韓人官吏を重用し、各地への侵攻を兄弟に任せた。((長兄の三男であるパリに対しては「我々の軍馬が踏み荒らせる限界の土地まで征服せよ」と命じたとされている。」))  しかし過度の飲酒によって40代で病没、集会を無視してオゴ・ハーンの次男である、&bold(){&color(red){ドヅジュ・ハーン}}が即位、それに反発した東方イクファターナ遠征中の&bold(){&color(red){パリ・ハン}}((アルタ・ハーンの長兄ジャルの三男))はドヅジュ・ハーンの即位を認めつつも反発、東方領土の税が一時滞るようになる。  ドヅジュ・ハーンの死後、アルタ・ハーンの4男&bold(){&color(red){イル}}の長男である&bold(){&color(red){クン・ハーン}}が即位、彼はすぐさま使節を送り東方パリ・ハンとの対立関係を解消し、さらに学問を推奨して、首都&bold(){テングル}に学者を集め、皇族・貴族の子弟を教育し、次代の官僚育成に努めた。また征服途中であった前南冨王朝への侵攻を積極的に進めたが、その陣中にて没した。  クン・ハーンの死後その同母弟である&bold(){&color(red){ライ}}と&bold(){&color(red){アリケ}}がハーンの地位を巡り対立、クン・ハーンの前南冨王朝遠征に従っていたライはアリケが集会の用意を行っている間に遠征軍の支持を集め、さらに各地の方面軍を味方につけ、アリケのいる首都テングルへ侵攻、寄せ集めのアリケ軍を破り勝利し、アリケはライの軍門に下った。  即位したライ・ハーンは前南冨遠征を再開し、優勢な水軍を有する前南冨を土木工事と海戦が得意な異民族の兵士を用いることによって撃破、&bold(){6578年}に前南冨を滅ぼし中原全土を制圧、&bold(){6580年}には国号を&bold(){&color(purple){狼}}とした。 **・狼王朝統治下(6580年~6889年)  前南冨征服後&bold(){&color(red){ライ・ハーン}}は2つの新しい都((景都と完安))を建立、塩を基にした兌換紙幣の発行や運河建設によって商業を推奨し、また安定した社会の下技術も発達、染付陶磁器など新しい特産品が登場した。反抗的な一族は粛清する一方で同母弟が建国した&bold(){&color(purple){アル・ハン国}}や&bold(){&color(purple){ジャル・ウルス国}}((パリ・ハンが建国))と緩やかな連合体制を創出し、商人の安全を確保した。  しかし&bold(){6621年}に6代皇帝&bold(){&color(red){テルー・ハーン}}が没すると内乱が続き、さらに商業の推奨によって、世界的に伝染病が蔓延、&bold(){6687年}には韓族の反乱によって中原の領土を喪失、残った領土も一族によって細分化されたため昔日の国力を失い、&bold(){6889年}にはジャーガルク人酋長&bold(){&color(red){エゼ・ベク}}によって最後のハーンである&bold(){&color(red){チベ・ハーン}}が殺害され、狼王朝は完全に消滅した。 **・戦国時代(6889年~7205年)  &bold(){&color(red){エセ・ベク}}はその武威によって大陸領統一に成功するが、各部族の行動を統制する力は無く、別のジャーガルク人ベクによって暗殺、彼の財産は一族と各地の有力者によって細分化され、小勢力が各地で乱立した。そのような中で&bold(){&color(red){チベ・ハーン}}の弟の曾孫である&bold(){&color(red){ダーン・ハーン}}が&bold(){7167年}にゾロタ列島を領有する80代目&bold(){&color(red){リク・シャー}}の婿養子となり、列島からの収入((狼王朝によって灰吹法が流入し、鉱山開発が盛んになっていた。))を元手に軍備を整え、[[アトリオン>立憲王政アーカルソン=リペルニア]]から流入した&bold(){マスケット銃}を装備した竜騎兵を率い、大陸領再統一を図るが、国土の5分の3を支配した時点で戦死、彼の領土も一族と元部下によって分割された。  イクファターナからマスケット銃が伝来して以降は経済力の弱いベクは淘汰されていき、その中でハルラ盟国4郡と25ニル及びゼン国5群の支配者である&bold(){&color(red){トワクー・ベク}}は自身の一族が13代可汗のテルゥの子孫であることを“再発見”しそれを認めた83代目&bold(){&color(red){ヨーセン・シャー}}によって&bold(){7205年}108ベクの長である可汗に任命された。 **・エルリナン可汗時代(7205年~7547年)  初代可汗&bold(){&color(red){トワクー}}は本拠地をヴァルヒニー・ミニストに近い&bold(){エルリナン}とし、地方政治を各地のベクに委任することによって政権を安定させ、また約1400年ぶりに穴あき銭を発行、それと共に街道を整備して流通と経済を発展させた。  2代目可汗&bold(){&color(red){デーン}}はシャーとベクを統制するために&bold(){基本法}を制定し、また各地のベクに1年の3分の1以上をエルリナンで過ごさせることを義務付けた。((この制度は10代可汗・ヨシャンの時代に可汗への穀物の上納を条件として60日の滞在に緩和された))その後、各地で新田・新畑の開発が進み人口は増加、また商品作物の栽培と都市の発達によって庶民文化が栄え始めた。  しかし12代可汗&bold(){&color(red){サッダン}}の時代より門徒開放や移住を求めるイクファターナ人の越境が増加、可汗側は開港要求を飲み、&bold(){7532年}より領事裁判権と関税自主権の一部制限を含む条約をイクファターナ諸国と結んだ((初期には攘夷を試みたベクもいたが1群が占領される結果となり失敗、失った群は16代可汗&bold(){&color(red){ヨエン}}の時代に金の支払いによって返還された。))その後可汗政権の財務長兼である&bold(){&color(red){リーオグン}}と海防長官の&bold(){&color(red){ツーズ}}が中心となって留学生をイクファターナ諸国へ送り、また穀物・茶葉・生糸の輸出を増進し、その資金で&bold(){造船所}・&bold(){製鉄所}の建造と、イクファターナ人を教師として雇い、学校制度の整備を進めた。&bold(){7532年}には官制をイクファターナ式に改め試験による任官を開始、また&bold(){公武合体}政策として&bold(){7547年}に16代可汗&bold(){&color(red){ヨエン}}の息子と96代目&bold(){&color(red){メイカ・シャー}}を婚姻させ、国家元首をシャーに統一した。 **・近代ジャーガルク・シャー国(7547年~現在) &bold(){・国家元首統一後から[[ジャーガルク・礼戦争]]時代までも領土} #image(近代.jpg,,height=1000)  &bold(){7558年}には新通貨&bold(){シル}を発行、そして同年に中央政府の軍事力を背景に爵位授与と年金支払いを条件として、地方ベク政権の解体と元ベクの首都タビラ・ゾロテ・プラトへの移住をおこなった。これに対して債権が多く、分割相続によって財産が細分化し弱体化したベクには対抗できなかった。  &bold(){7562年}には皇族と貴族を除く身分制度を廃止し、それによって&bold(){7563年}に発生した反乱を翌年鎮圧、&bold(){7560年}には税制を改革し貨幣による納税を義務付けた。そして&bold(){7571年}に近代民法を(施行は1891年より)、&bold(){7575年}に近代的な欽定憲法を制定し(施行は7573年より)初代首相には&bold(){&color(red){リーオグン}}の元部下で留学経験のある&bold(){&color(red){トンナン公が就任した。}}  &bold(){7586年}に国境・漁業権・利水権に関する対立より礼帝国と開戦([[ジャーガルク・礼戦争]]、旧式の礼軍中央を撃破し、多くの領土を獲得、&bold(){7588年}にファンシュー地区と麗江の割譲を条件として停戦した。((その後礼帝国は&bold(){7599年}に滅亡、内紛の後&bold(){7613年}[[清河人民社会主義共和国]]が誕生した。))  戦争後には大戦の特需もあり重工業化が進み労働者階級が誕生したが、それにより7600年代より労働争議が多発、また&bold(){7608年}には大戦終了による需要減少と不良債権の増加により銀行の倒産が相次ぎ恐慌が発生、その中で&bold(){7609年}に農村の貧困救済と君側の奸排除を名目として青年将校改革団によるクーデターが発生し首都を占領した。(&bold(){12.1クーデター})  しかし陸軍の&bold(){&color(red){マスタン少将}}軍の反クーデター(&bold(){2.8クーデター})によって青年将校改革団は約1か月で壊滅、その後マスタン将軍を首班とする臨時政権が誕生するが約3か月後にマスタン少将は病死((暗殺説もある))部下の&bold(){&color(red){ラツキ大佐}}が次の首班となるが約1か月後に同僚の&bold(){&color(red){ザンナ大佐}}のクーデター(&bold(){7.09クーデター})によって失脚、ザンナ大佐は国内の左派革命勢力と協力してクーデターを起こしたが、政策を巡りザンナ側と左派革命勢力の間で対立が発生し、クーデターより約2か月後左派革命勢力の掃討を開始、しかし掃討作戦の最中に左派革命勢力の暗殺者によってザンナ大佐は暗殺、だが左派革命勢力は富裕層と見なした市民の虐殺と内紛によってさらに弱体化、ゼン国防衛司令官&bold(){&color(red){クォラウ中将}}の軍によって殲滅された。  クォラウ中将は臨時政権の首班となり&bold(){7610年}に国政選挙をおこなったが、首相選挙では僅差で当選したものの、国会は過半数の議席を獲得できなかったため軍隊による議会の停止と独裁を試みたため、クリルタイ議員が説得し半強制的に引退、再度国政選挙がおこなわれ、元老院推薦の&bold(){&color(red){ハム・L・C・サンド海軍中将}}が首相となり農場の大規模化と&bold(){年金・失業保険制度}の確立及び返還義務にない奨学金制度確立が進められている。  そして&bold(){7618年}には隣国[[清河社会主義人民共和国]]と[[ジャーガルク・清河不可侵及び通商条約]]を締結し、同国を世界で最初に承認し、軍事的負担の軽減を目指している。 **・近年の事件 ・&bold(){7618年7月24日}【[[蟹工船の反乱]]】 ・&bold(){7619年1月29日}【[[麗江事件]]】 -&bold(){参考文献}   国立タビラ大学史学部本土史科E・ヒスン教授著   「ジャーガルク本土史概要」   国立プラト大学史学部大陸史科L・ファツ教授著   「大陸史」   私立サン・ドン大学歴史学部ロナン教授著   「本邦の近代史」   国立VM大学歴史学部古代史科ダッタ助教授著   「古代からの系譜」 *&bold(){・国民}  クリィサリス朝からの混血政策、近年の中央集権化政策及び学校教育の推進とラジオの普及によって本土人口の約90%近くである約9050万人が&bold(){狼人ヴォウク族}と&bold(){人}の混血である&bold(){ジャーガルク人}であり、チェスタクォ人やジャーガルク人などの狼系人種は多産の傾向があり、一回の出産でチェスタクォ人は3~4人、ジャーガルク人は2~3人出産する。  また狼系人種の嗅覚も大変優れており、ジャーガルク人の場合は約1300mの、チェスタクォ人の場合は約1500m先の臭いを嗅ぎ分けられ、匂いだけで他人がどの様な事を考えているかや健康状態が分かるとされており、一方でジャーガルク人を含む狼系住民は視力も高く、細胞性輝板が目にあるため夜でも目視できる。 **・狭義のジャーガルク人  北方遊牧民族の&bold(){狼人ヴォウク族}と農耕・漁労民である&bold(){ホモ・サピエンス}や&bold(){ヌグ族}等人類種の混血で&bold(){半亜人種}、彼らの身体には特徴的な狼耳と尻尾が存在し、また満月の夜には一時的に体毛が濃くなり、狼のような顔に変化する人も存在する。 **・チェスタクォ人  主にハルラ盟国北部の山岳地帯で生活し、狼人ヴォウク族の血が濃く残っていると言われいる住民、彼らにはチェスタクォ人としてのアイデンティティは無く、この呼称は山岳地帯に住んでいる様々な部族・氏族をジャーガルク人がひとまとめにしたものであり、彼ら自身が自らの所属を名乗る場合は~族または~氏のジャーガルク人と名乗ることが多い、約150万人がチェスタクォ人として登録されており、彼らの見た目は文字通り二本足の狼であり、 **・ヌグ族  &bold(){ホモ・ソーラネウス系}の漁労・狩猟採取民に分類され((一応里芋栽培など農耕も行う。))ゾロタ列島北部に多く住んでおり、ジャーガルク人は嘗て彼らを&bold(){海人族}と呼んでいた、現在は大多数がジャーガルク人と混血しているものの伝統的生活を送っている。 **・ケンタウロス  ハルラ盟国に多く在住しており下半身が馬の様な体で、、[[モスン帝国]]崩壊後ジャーガルクの住民となった、現在は狩猟採取や毛皮の販売を生業として生活している。 **・金鱗衆  &bold(){シンガ}各地に分散して生活する&bold(){ラミア}の一族、元々は各地の&bold(){鉱山}で採掘を行い生計を立てる一族であり、主に地下の巣穴で生活しており、&bold(){[[モスン皇帝>モスン帝国]]}の時代、同国に従い、&bold(){工兵}として坑道戦等で活躍した。  現在でも&bold(){ジャーガルク・金鱗衆}は&bold(){古い盟約}に基づきモスン皇帝の末裔であるジャーガルクのシャーに臣従しており、&bold(){鉱山会社}の幹部や&bold(){工兵部隊}の将校が金鱗衆(ラミア)である場合が多く、近年ではムスルマーネン政府の注文で奴隷輸送用の地下通路も掘削している。  一方、モスン帝国の対外遠征によってシンガ各地に金鱗衆の集落が存在し、一部は((清河政府が採掘した鉱物を勝手に全部徴収した等の))現地政府との対立により、山岳地帯や過疎地の地下にある巣穴で生活しており、鉱物の採掘だけではなく、地下通路を利用した運輸・交通によって生計を立てている。 **・韓族  狭義のジャーガルク人の次に人口が多い民族であり、主にファンシュー地区で生活しており、その出自は元々住んでいた、清河の革命から逃れてきた、大昔に商売のため移住した等、様々である。 **・ファンシュー地区諸民族  ファンシュー地区南部には&bold(){米}を主食とする&bold(){セン族}・タロイモ類などを主食とする&bold(){シル族}・山岳民&bold(){ラ族}・狩猟採取民である&bold(){ミィクァ族}・商業民である&bold(){メトラ人}の5民族(ジャ-カルク人視点)が住んでいる。 **・イミッグラッチオーネ・イクファターナ人&メスティーソ  ジャーガルクに在住する&bold(){イクファターナ}人の内、&bold(){グラニツァ領土}がヴェネーツィア又はレオネッサ領だった時代に移住してきた住民の末裔で、今でもグラニツァの&bold(){プレコルドンナ道}に多く在住し、特に現在は[[レオネッサ王国]]に併合されたヴェネーツィアに出自を持つ者は、ヴェネーツィア人を名乗っており、また同地の先住民である[[有翼亜人]]と混血した者は&bold(){メスティーソ}と呼ばれている。 **・人魚  定説では&bold(){ホモ・サピエンス}の進出によって、地上にニッチを失った旧人類が、海洋生活に適用して誕生したとされており、厳密には北限種と南方種(ゴーシュ種)に分かれ、北限種はシンガ北部を中心に50~100匹の群れを形成して生息している。  列島付近に生息する北限種は&bold(){ヌグ族}と関わりが深く、通婚もあったとされ、一部の種族は列島の王権に臣従し、アザラシの肉や鯨油、セイウチの牙と穀物を交換していたと記録に残っており、その関係はジャーガルク建国後も続き、北方人魚との交易は列島勢力の大きな収入源となっていた。  維新後はジャーガルクの定住政策により、支援金が与えられるようになっており、約2万人の人魚がジャーガルク沿岸に居を構え(定住した者には選挙権も認めている。)、一部の者は海軍特殊工作員として働いている。  一方南方種は古代より魚介類を狩り生活していたが、肉が美味で警戒心が薄く、食べると長生きできるという迷信があったため、韓人を中心としたシンガ南部の住民に狩られてきた歴史があり、7200年代以降は油採取を目的として&bold(){イクファターナ人}達が乱獲し個体数は減少、シンガ諸国でも漁業の近代化に伴い&bold(){底引き網}と&bold(){内燃機漁船}が導入されたため7500年代以降には絶滅が危惧されるようになり、それに目を付けた&bold(){ムスルマーネン}の奴隷商人たちが高値で取引するようになって、さらに[[ヤーディシア大戦]]中各国海軍が機雷を敷設し、潜水艦対策として爆雷を投下した結果、それに巻き込まれ多くの人魚が死亡、7616年に慌ててジャーガルク政府が保護を開始した時には個体数が6000匹に減少していた。  その後、ジャーガルク政府はラン市の近海に保護区を設定したが、同市に[[空賊連合組合]]が襲撃してきた際、連合の&bold(){毒もみ}によって多くの人魚が攫われ、ブラックマーケットに売られた。生き残った個体は僅か100匹であったため、彼らは種を維持するため北限海の人魚集落に集団移住した。  なお人魚は発声する事ができないが、ジャーガルクが義務教育を行った結果、文字の読み書きはある程度でき、また超音波を用いた独自のコミュニケーション能力があるとされている。 &bold(){・7628年集計ジャーガルク・シャー国本国の人種構成(保護国は除く)} |民族名称|人口|特徴|h |&bold(){ジャーガルク人}|約9050万人|半狼獣人・主流派人種| |&bold(){チェスタクォ人}|約260万人|狼獣人| |&bold(){韓人}|約500万人|[[清河>清河人民社会主義共和国]]成立後亡命した者も含む| |&bold(){セン人}|約50万人|| |&bold(){シル人}|約25万人|ゾロタ列島北部に住んでおり里芋を主食としている。| |&bold(){ラ人}|約12万人|ホモ・ソーラネウス系で山岳民、[[トゥガ国]]の主要民族| |&bold(){ミィクァ人}|約25万人|| |&bold(){ヌグ人}|約12万人|ホモ・ソーラネウス系で漁労の民| |&bold(){メトラ人}|約35万人|メトラ信者| |&bold(){ケンタウロス}|約20万人|| |&bold(){人魚}|約15万人|| |&bold(){金鱗人(ラミア亜人)}|5万人|| ・プレコルドンナ道の人種構成 |民族名称|人口|特徴|h |&bold(){ジャーガルク人}|約177万人|| |&bold(){ヴェネーツィア系イクファターナ人}|約80万人|| |&bold(){イクファターナ人}|約35万人|| |&bold(){メトラ人}|約6万人|| |&bold(){メスティーソ}|約120万人|先住民とイクファターナ人の混血者| |>|>|先住民系|h |[[有翼亜人]]先住民|約8万人|| &bold(){過去のデータ} #region &bold(){・ジャーガルク・シャー国本国の人種構成(保護国は除く)} |民族名称|人口|特徴|h |&bold(){ジャーガルク人}|約8060万人|半狼獣人・主流派人種| |&bold(){チェスタクォ人}|約200万人|狼獣人| |&bold(){韓人}|約425万人|[[清河>清河人民社会主義共和国]]成立後亡命した者も含む| |&bold(){セン人}|約40万人|| |&bold(){シル人}|約20万人|ゾロタ列島北部に住んでおり里芋を主食としている。| |&bold(){ラ人}|約10万人|ホモ・ソーラネウス系で山岳民、[[トゥガ国]]の主要民族| |&bold(){ミィクァ人}|約20万人|| |&bold(){ヌグ人}|約10万人|ホモ・ソーラネウス系で漁労の民| |&bold(){メトラ人}|約25万人|メトラ信者| |&bold(){ケンタウロス}|約15万人|| |&bold(){人魚}|約10万人|| ・プレコルドンナ道の人種構成 |民族名称|人口|特徴|h |&bold(){ジャーガルク人}|約140万人|| |&bold(){ヴェネーツィア系イクファターナ人}|約70万人|| |&bold(){イクファターナ人}|約30万人|| |&bold(){メトラ人}|約5万人|| |&bold(){メスティーソ}|約100万人|先住民とイクファターナ人の混血者| |>|>|先住民系|h |[[有翼亜人]]先住民|約5万人|| #endregion *&bold(){・文化}  公用語はジャーガルク語であり韓(現在の[[清河人民社会主義共和国]])の文字を基に作られた&bold(){列島文字}・&bold(){僧文字}が&bold(){韓字}と共に利用されている。識字率は約99%であり、&bold(){第二外国語}としては&bold(){アトリオン語}が公立中等教育より教えられている。((ファンシュー地区を中心とした私立学校では第二言語として韓語が教えられている場合もある。))  ハルラ盟国を中心に遊牧が盛んであり、特に&bold(){馬・牛・羊・山羊・駱駝・ジャーガルクザウルス}は&bold(){六畜}と呼ばれ数多く飼育されている、しかし一方で草原地帯で飼葉の入手が難しいなどの理由により、鳥馬の飼育数は少ない、一方ファンシューでは民族ごとに独自の言語が使用されており、一応近年の学校教育によってジャーガルク語を第二言語として話せる人とジャーガルク文字の識字率は共に65%まで上昇している。  また羊毛や綿を原料とした&bold(){絨毯}生産も盛んであり、&bold(){唐草文様}・&bold(){アラベスク文様}・&bold(){忍冬文様}等、様々な模様や動植物の図柄で埋め尽くされた、手織りの高級品から、機械で生産された安価なものまで様々な物が売られており、輸出も盛んである。 **・文字  &bold(){5500年代}までジャーガルク人達は&bold(){韓字}のみを用いてきたが、地名や人名などの固有名詞は、韓字をそのまま使ってもその音を書き記すことはできなかったため、ジャーガルク語の音に似た呼び方の漢字を当て字として用いる&bold(){借字}が行われていた。  その様な中で、&bold(){音節文字}として韓字を用いた場合、一部を略すことがあった、例えば仕事や創作活動で文字を書くことの多い、列島内の貴族・官吏達は&bold(){草書体}の文字を更に簡略化、これが&bold(){列島文字}へと変化していった一方、日常的に写経を行う僧侶たちは、韓文の経典を読みやすくするために、&bold(){送りがな}用として韓字の一部を&bold(){音節文字}として用いるようになり、これが&bold(){僧文字}に繋がった。  &bold(){[[狼王朝>モスン帝国]]}時代には、ジャーガルクや韓の文字ではモスン族の音を全て表現できないため、僧たちに新しい文字の創作を命令、&bold(){モスン文字}が誕生した、しかし、声調を区別できない表記法であったためと、モスン人自体がジャーガルク人に吸収され消滅した事から、&bold(){7000年代}に使用者が消滅した。 **・スポーツ  &bold(){競馬}・&bold(){弓矢}・&bold(){打毬(ホロ)}・&bold(){相撲}が4大スポーツとして親しまれている一方、近年[[フィルモア合衆国]]から流入したとされる&bold(){ベースボール}も人気を博しており、競技人口が増加しているとされる。 &bold(){・解説} |&bold(){競馬}|9歳以下の子供が30㎞以上を走る長距離のものがハルラ盟国を中心に祭祀の際行われる一方、イクファターナから流入したトラック状コースでのステークス方式競馬も人気を博している。| |&bold(){弓矢}|| |&bold(){打毬(ホロ)}|ゾロタ列島で人気の競技、2~4人のチームに分かれ、乗馬しスティックでボールを打ち、相手のゴールに運ぶと1点という感じで、得点を競うものであり、元々軍事訓練の一環であったため、弓と共に歴代政権によって推奨され、現在でも補助金が支払われている。| |&bold(){相撲}|ゾロタ列島と大陸で大きくルールの異なる競技、大陸ではひじ・ひざ・頭・背中・お尻いずれかが先に地面に着いた方が負けとなるが、列島ではそれに加え、土俵という場所からはみ出たり、掌が地面に着いた場合、負けとなる。| **・料理 国土が広いため各地に独特の料理が存在する。 ***・ゾロタ列島料理 豊富な魚介類を用いた料理が多数存在する一方、肉料理は少ない傾向があり、器は陶磁器だけではなく漆器が用いられる。 |&bold(){温麺}|胃腸が弱い家族が食べやすいように考案されたとされる油を使わない麺、| |&bold(){わんこそば}|一口大の蕎麦((蕎麦粉を用いた麺料理))を漆器の器に入れ、食べ終わるごとに給仕が器に蕎麦を入れる料理、| |&bold(){牡蠣小屋}|列島各地に存在する飲食店、バーベキュースタイルで牡蠣を焼いて食べる。また牡蠣以外にも様々な海鮮料理を提供している。| |&bold(){練り物}|タラなどの魚介類が豊富であるため、保存食として発達した。| ***・ハルラ盟国料理 羊肉・乳製品を用いた料理が多く、また料理には必ず蒸留酒が提供される。 |&bold(){モスンステーキ}|元々モスン人が軍事遠征に際し引き連れた多数の軍用馬を食べるために生まれた料理であり、乗用馬は食用馬に対して筋が多く肉が固かったため、鞍の下に刀で細かく切った肉を入れた袋を置いて馬に乗り、自分の体重と馬の運動で柔らかく潰した後調理していたものが由来、&br()箸でも食べられる肉料理としてジャーガルク国内で広まり、現在都市部を中心にモスンステーキを提供する店が多数存在する。| |&bold(){馬乳酒}|馬乳を原料とした乳酒、ジャーガルク人の一部とチェスタクォ人は丼のような器で1日に平均2ℓの馬乳酒を飲む、さらに馬乳酒を参考にして作られた乳酸菌飲料が開発されており、国内で大変な人気を誇っている。| |&bold(){ラグマン}|太い麺が特徴の料理| ***・ゼン国料理 ***・ファンシュー地区料理  古来より鉱山などで働く肉体労働者が多かったため、韓料理の中でも香辛料を多用する傾向が強い、 |&bold(){担担麺}|唐辛子とかん水で作られた麺を材料とする麺料理、元々は天秤棒に道具をぶら提げ、担いで売り歩いたファーストフードの一種であった。| **・陶磁器 中原より移住したり戦乱より逃れてきた職人が古来より移住してきたため、各地に伝統的な&bold(){龍窯}や&bold(){連房式登窯}が存在する一方工業化に伴って&bold(){電気窯}や&bold(){ガス窯}で陶磁器を製造する工場も多数存在する。 ***・ゾロタ列島の陶磁器 漆器生産も盛んであるため他の地域より生産は盛んではない、しかし&bold(){黒釉}などを用いて製造される茶色や黒の茶器は芸術品として人気がある。 ***・ゼン国の陶磁器  &bold(){酸化炎焼成}により作られるクリーム色の&bold(){白磁}や&bold(){還元炎焼成}により作成される&bold(){青磁}や&bold(){青白磁}が主製品で、加色・無文の物が多い ***・ファンシュー国の陶磁器  ファンシュー国はジャーガルク内で最も陶磁器生産が盛んとされており、&bold(){青花・釉裏紅・五彩・豆彩・粉彩・素三彩・炉鈞釉}など様々な技法を用いた色鮮やかな陶磁器が多く製造される。また[[ムスルマーネン>ムスルマーネン=カリフ国]]向けにコバルトブルーの陶磁器が多く作成されていた。 **・小説 現在流行っているジャンルは3種類ある。 ***・東方武侠小説 [[空賊連合組合]]から流入した冒険小説、内容としては義理人情に厚し主人公が武術を学び、その技を用いて強敵から虐げられている人々を守り冒険するというのが一般的である。 ***・高原青年小説 歴史小説という側面が強く、偉人が祖国の為戦い国を発展させていくというのが一般的な内容、愛国小説という側面もある。 ***・南方猟奇小説  近年ジャーガルクで流行している猟奇的な小説の系統、ジャーガルク本国から見て南方のムスルマーネンが発祥の地であり、舞台もイクファターナ等の南であるため、南方物と呼ばれており、代表的な作家に&bold(){惨酷}や&bold(){プラム・プルプリウ男爵}がいる。   礼帝国の宮廷画家であった惨酷は王朝滅亡後も富裕層の肖像画作製で生計を立てていたが、同国の共産化以後ムスルマーネンへ亡命、亡命後は生活費を稼ぐため、食肉加工工場に勤めた。  その後、裕福な商人の肖像画を描く仕事を開始するが、ムスルマーネンにおいて偶像崇拝禁止の風潮が強く、依頼される仕事は少なかったため、食肉加工工場で働いた経験を活かし、実用的な絵付き料理本である「兎亜人料理概要」を販売、元士大夫特有の詩的な文章と繊細な筆遣いで書かれた挿絵、そして何より美しい兎亜人を少しづつ切り刻んで食品にするというエロチズムな内容により、ムスルマーネン内で人気を博し、さらに同地に駐留していたジャーガルク軍の間で”芸術的本”として流行、やがてジャーガルク本国大衆の間でも同本が流行し増版された。その後惨酷は料理本シリーズとして亜人・タヴエリア人料理の本を次々と作成し、それらは「料理本シリーズ」として人気を博している。  一方、プラム・プルプリウ男爵は元々若輩に属する者であったが、粛清から逃れるためフィルモアへ亡命を決意、だが乗る船を間違えてムスルマーネンへ送られてしまった。しかし奴隷制を許容するなど吸血種にとって暮らしやすい都市であったため、同地での生活を決意、その後は作家となり「山岳のサバト」「初夜権」等を発表し、美女を肉体的だけではなく、精神的に苦しめていくという高度な作風により一躍人気作家となる。 ・著名な作品 |タイトル|系統|著者|概要| |&bold(){祖国の誕生}|高原青年小説|アル・サン|コト・シャーを主人公とし、祖国誕生までの史実を基に書かれた作品| |&bold(){蝗と鷲が地を覆った後}|SF|高塔|近年、ジャーガルクで流行っている歴史改編SF小説、内容は礼帝国が[[ジャーガルク・礼戦争]]に勝利し、その結果シンガの殆どを制圧、そしてヤーディシア大戦で中央同盟側を勝利に導き、ヤード帝国との東西冷戦を経て世界を統一するという内容の人間群像劇である。&br()一部の国では歴史を歪曲する内容として禁書扱いされており、著者は易経に従って書いたとインタビューに答えている。| |&bold(){三国騒乱}|東方武侠小説|老ファン|中原の&bold(){皇帝分立時代}を舞台とした小説、主人公の青年武闘家が人民の安寧を取り戻すため、王微軍に参加し盗賊や敵軍閥の戦士を打ち破っていくという内容で、簒奪者の魏紺を頭光盟に見立て、暗に清河を非難している。| |&bold(){兎亜人料理概要}|南方猟奇小説|惨酷|兎亜人を食肉に加工する手順からそれを用いた12種類の料理を解説した本、兎亜人のキャラクターが描かれており、彼女が食肉加工や料理作製のワンポイントを解説している。&br()元々は唯の料理本として販売されたが、内容が官能的であるという理由から爆発的な人気を獲得し、後の作品(「美味しい兎さんハンバーグ」・「熟成ダレの亜人焼肉」等)ではさらにエロチックな作風となっている。| |&bold(){山岳のサバト}|南方猟奇小説|プルプリウ男爵|吸血鬼の集団が亜人の集落を襲撃し、村民を親と子に分け、子供を親の前で凌辱・暴行し殺害しその肉を親の口に押し込むという内容、被害者を精神的に追い込む手法から高く評価された。| |&bold(){初夜権}|南方猟奇小説|プルプリウ男爵|吸血種の領主が村民の結婚式場を襲撃し新郎を去勢、彼を召使とした後、新婦を彼の前で寝取り、最後は命を助けると言って、新婦に新郎を殺害させ、また彼女を豚小屋に放り込み、豚の相手をさせるという内容、ジャーガルクでは基本的に寝取り物は人気が無いが、例外的に売れた。| *&bold(){・教育制度}  学校制度は&bold(){分岐型学校体系}であり6年制小学校の後は大学進学を目指す&bold(){6年制ギムナジウム・6年制専門学校・6年制の基幹学校・4年制幼年学校}に分かれる。また&bold(){陸軍・海軍士官学校の受験資格は16~19歳}の年齢制限があり、士官学校は勿論の事、その他の中等教育・高等教育機関も公立であれば学費を払う必要はない、また国都を中心に国立・私立大学が存在し、大学進学率は約10%以上である。 *&bold(){・宗教}  歴代政権の政策([[円十字教]]徒やメトラ教徒への特別税)や昏睡麗冨宗嚮導者時代の虐殺のため、現在円十字教徒やメトラ教徒は併せて人口の5%以下である。 ジャーガルク人・チェスタクォ人を中心として約90%が「インベンドル」を主神とした民族的要素の強い多神教を信仰しており、聖典としては古代に編纂された「&bold(){アンディゴイ・インフォルメ}」(実際には歴史書・風土記の要素が強い)が存在する。この本は文化も出自も違うゾロタ列島・ゼン国の諸部族やヴォウク族の伝承を纏め「インベンドル」という同一の祖先を“発見”することによって民族意識を創出するのに貢献した。  またファンシューの住人は少数のメトラ教徒を除き、民族ごとに独自の多神教を信仰している。特にラ族やヌグ族の信仰と文化は南方のダハーカ系部族との共通点がタビラ大学文化人類学科&bold(){コ・フク助教授}などによって指摘されている。 ・便乗[[浮屠教]] 関連項目[[浮屠教]]  ジャーガルク本土においてメトラ人以外は殆ど、現地の信仰と習合した便乗浮屠教を民族の神と共に信仰しており、特に葬儀においては民族問わず僧侶に読経してもらう事が伝統となっている。その理由は[[トゥガ国]]より来訪した&bold(){渡来僧}達が現地の信仰を認めつつ信仰を各地の民族へ植え付け、またジャーガルクを支配した歴代政権が基本的に[[浮屠教]]を保護したからである。 *・&bold(){固有種} |名称|大きさ|生息地|解説|h |>|>|>|哺乳類|h |&bold(){イェレェン}|身長約150~&br()200cm|ファンシュー地区| 類人猿の一種、人間と同じような2足歩行でなおかつ体表が黒又は茶色の毛に覆われており、古代に生息していた原人の生き残りではないかと推測されている。| |&bold(){ハトゥン・ウクチャ}||グラニツァ|グラニツァ地域で飼育されているげっ歯類の仲間、繁殖や飼育が容易く、体格も大きいため、肉や毛皮の為飼育されており、現地の肉屋やスーパーで切り分けられた肉が普通に販売されている。]]| |>|>|>|鳥類|h |&bold(){ハイイロ草原ワシ}|全長約50~&br()60cm&br()(ゾロタ列島の個体は島嶼化の影響で75~100cm)|ハルラ盟国&br()ゾロタ列島&br()ゼン国|猛禽類、体毛が灰色なのは草原の空に擬態するためであると言われており、古来より鷹狩で使用されている。&br()またコト・シャーのゾロタ列島遠征時には彼女のワシが戦闘に加わり、戦功をあげたと伝えられている。| |>|>|>|爬虫類|h |&bold(){ジャーガルクザウルス}|全長10~&br()15m|ハルラ盟国|ティタノサウルス上科のカミナリ竜、家畜として飼育されている。| |>|>|>|両生類|h |&bold(){シィルサンショウウオ}|全長1.5~&br()2m|シィル海|迷歯亜綱分椎目の両生類、寒冷でワニが進出しなかったシンガ西部において大型の両生類が多数生息しているが、その中で最大の種族であり、姿は扁平で水辺に来たウサギなどの小動物を捕食している。| |&bold(){列島サンショウウオ}|全長40cm~&br()1m|ゾロタ列島|| |>|>|>|魚類|h |&bold(){シィルフナ}||ゼン国&br()ファンシュー地区|シィル海を中心に、周辺の汽水・淡水域に生息するフナの一種| |&bold(){北限海タラ}||北限海|タラの一種、練り物の原料となる。| |>|>|>|節足動物|h |&bold(){ミドリアナホリムシ}|全長約10cm~&br()2m|ハルラ盟国|&bold(){ヒヨケムシ}の仲間で巨大な顎をもつ、通常の個体は10~50cmで昆虫およびウサギやネズミのような小動物を捕食するが、稀に1~2mの個体が存在し人や馬・牛などの家畜を捕食することがある。| |&bold(){コウテイグソクムシ}|50cm~&br()200m|北限海|水深3000以下の場所に生息するグソクムシの一種、普段は大変おとなしく、10~100匹の群れを成して生活しているが、一定数の個体が地上の生命体によって殺されると、1000匹以上の群れを創り、上陸し地上に存在する物を破壊する。| |>|>|>|植物|h |&bold(){ゼンニンジン}|10~&br()30㎝|ゼン国|をウコギ科の植物、古来より根が滋養強壮と万病に効く生薬として重宝され、カラン朝時代には高級品として柱王朝に輸出されていた。&br()またカラン朝のユウ上王はゼンニンジンの専売を目論見、ゼン国へ遠征し現地の豪族にゼンニンジンの朝貢を義務付けており、また柱王朝の衰退によってゼンニンジンの需要が減ったため、末期カラン朝は財政難に陥っていたとも言われている。| |&bold(){油松}||ゾロタ列島|松の一種、樹液を精製すると航空燃料として用いることができる。| *・&bold(){人物} -近代皇家の系図 |名前|生年|地位及び役職|解説|h |>|>|>|BGCOLOR(YelloW):~皇族|h |&bold(){[[クリィサリス・キケ・ジャ・サフィロス・ワタ・シャー]]}|7559年|現ゾロタ列島・ハルラ盟国・ゼン国・ファンシュー地区を統治する諸王の王&br()ジャーガルク全国民のシャー&br()転輪法皇帝&br()トラトアニ&br()陸軍騎兵部隊大佐|現ジャーガルク・シャー国元首| |&bold(){サフィロス・ホヒロー}|7584年|正紫旗王&br()空軍少佐|ワタ・シャーの長女、次期シャーと目されている(但しジャーガルク・シャー国の後継者指名方式は&bold(){太子密建}であるため、必ずしもそうであるとは言えない、7610年に&bold(){吉良ツクヨミ}と結婚し4児の母親となった。| |&bold(){サフィロス・リアン}|7588年|正黒旗王&br()海軍少佐|ワタ・シャーの次女でサフィロス・マベクは双子の兄&br()潜水艦の艦長であり趣味は競馬と飲酒| |&bold(){サフィロス・マベク}|7588|陸軍諜報部大尉|ワタ・シャーの長男でサフィロス・リアンは双子の妹である。| |&bold(){サフィロス・マク}|7591年|正黄旗王&br()兵站軍中尉|ワタ・シャーの三女| |&bold(){サフィロス・リーク}|7591年|海軍少尉|ワタ・シャーの次男| |&bold(){サフィロス・べェアン}|7584年|元陸軍騎兵部隊少佐| 正白旗王アッスァンとワタ・シャーの弟であるオカンブの娘、幼いころより武術に長け、また人望も少なからずあったが、7607年の騎兵削減政策に不満を抱いており、&br()また7608年に当時陸軍航空隊中尉であったホヒローと宴会の席で口論となり(「弓馬の伝統を忘れ、座して戦をしようとする愚か者は我が国のシャーに相応しくない!!貴様は馬糞拾いからやり直せ!!」とホヒローをなじった)&br()その上で軍刀で切り付けるという事件を引き起こした。その事によってファンシュー地区駐留軍に左遷されたが&bold(){7.09クーデター}後、首班のザンナが個人的に気に入らないという理由で、部隊を率い任地を勝手に離れ、左派革命勢力に協力、&br()しかし革命勢力が劣勢となるとあっさり裏切り、クォラウ中将側と協力し左派革命勢力を虐殺、中将の臨時政権で現役軍人が大臣になってはならないという慣習を破り、陸軍大臣となるも、クォラウ中将引退後には失脚、&br()その後旗王の継承権を剥奪され、(白旗王の継承者権は現在、妹のオクジェが有している。)国外追放処分を受ける。&br()現在は大陸浪人?として元騎兵部隊の部下を率い傭兵業を行っている。(一説では元騎兵部隊の人材を保持する為、ワタ・シャーが支援しているとも言われている。)| |>|>|>|BGCOLOR(blue):~政治家|h |&bold(){ハム・レスタ・サンド}|7555年|元海軍中将&br()元首相|海外に派遣されたことが多く、語学力と国際法の知識が豊富であるという理由で元老院に推薦され、首相となった(任期7610年~7618年)| |&bold(){アキ・モリ}|7570年|陸軍少将&br()首相|ジャーガルクの新首相、父親は列島内小藩の家臣であり、同藩末期に藩士の&bold(){収入均一化}・上級藩士の軍役と&bold(){陪臣}削減による&bold(){中央集権化}と&bold(){イクファターナ}式兵装導入による藩政改革を行い、&br()それにより時の可汗に引き立てられ陸軍大臣にまで出世したアキ・ソウで、母親はジャーガルクの名門貴族出身というサラブレットである。&br()しかし父親が門閥嫌いであったため、幼少期の生活水準は一般的な農家と変わらず、厳しく教育され、その後、陸軍幼年学校に入学し歩兵部隊将校として順調に出世を重ね、ジャーガルク・礼戦争に従軍、同戦争で機関銃の威力を目の当たりにして、火力重視主義者となる。&br()その後、陸軍少将にまで出世し、陸軍の火力強化を推進、特に歩兵支援用の&bold(){機銃戦車}増強を重視しており、予算争奪関係から海軍・陸軍とは仲が悪いが、一方で価格が安く歩兵支援に最適な襲撃機を評価している。&br()クーデター発生時は家族が賊軍の人質となっていたが「軍人は政治に関わるべきではない」として介入を拒んだ一方、少数の兵と共に宮殿を護衛し続けた。&br()その後、共匪討伐で活躍し立憲党から首相選挙への立候補を勧められたが断り、その後も軍人として仕事を続けたが、首相選挙での候補者分立(当時自由党が議会で躍進していたが、首相候補を絞れず、2人の候補者が並立、首相選挙で過半数を獲得する候補者が現れなかった。)により立憲党・自由党から乞われて首相選挙に立候補、過半数の票を獲得し首相に就任した。&br()&bold(){レオネッサ・清河}の軍拡を警戒し、自国の陸軍強化・近代化を主張しているが、&bold(){産業勃興}や&bold(){教育の機会均等}、&bold(){公衆衛生}の重要性も理解しているため、議会や国民の反対を押し切り軍備増強をすべきではないとしている。&br()なお父親の形見として&bold(){ガトリング砲}を所有しているため、ガトリング首相(又はガトリング宰相)とも呼ばれており、風刺画でガトリング砲を構えるものも存在する。| |&bold(){チャル・クイ}|7573年|内務大臣|飴と鞭政策を前提として、政府による積極的な財政出動を許容する思想を有しており、特にワクチン接種や公衆衛生向上に対する出資に積極的、前内閣からの続投という形で内務大臣を務めている。| |&bold(){ベズツ・スピップラ}|7558年|外務大臣|諸外国との協調と現在の国際秩序の維持を重視しており、また文化外交に力を入れている。| |&bold(){エヴィアンヌ・ガンベレット}|7593年|プレコルドンナ道知事&br()ファンシズム正義党統帥|プレコルドンナ道の現道知事であり、ジャーガルクの地域政党ファンシズム正義党の統領、レオネッサ系ジャーガルク人であり道内の中流農家の父とその愛人であった母の間に私生児として生まれ、中等教育終了後、地元の酒場で歌手兼ウェイトレスとして働き始めた。&br()16歳の時に地方公演でやってきた男性歌手の愛人となり道首都パスカ市へ移住、歌手とはすぐ別れ、女給として働きつつ広告モデルや小金持ちの愛人として生計を立てていたが、愛人の一人である映画監督の伝手でB級マカロニ騎士映画(円十字軍等をモチーフにした騎士映画の蔑称)のヒロインとなる。&br()その映画で持ち前の歌唱力と美しいタンゴを披露した彼女は一躍人気女優となり、映画だけではなくラジオ番組のアナウンサーにも抜擢され、道内で彼女を知らない人はいなくなった。&br()その後ファンの一部が黒シャツ隊を模倣し親衛隊を結成、いつしか彼女は政界進出を勧められるようになる。&br()そして7618に新政党&bold(){ファンシズム正義党}を結成し、&bold(){皇防党}の支持を得て道知事選挙に出馬、見事知事となる。しかし彼女には特段政策があるわけではないので、人気獲得の為、道議会選挙への女性参政権を認めたり、富裕層への寄付を募って集めた金を貧困層へ再分配するくらいしか政治的な事は行っていない、そのため上司であるワタ・シャーからは「レオネッサのドゥーチェを模倣することしかできない頭空っぽの娼婦」と評されている。| |>|>|>|BGCOLOR(purple):~在外大使| |&bold(){ゾロブド・二マエ}|7565年|駐アトリオン大使|旧シュー藩主家臣一族の生まれ、母方の祖父が蘭学者で、アトリオンの書物を彼に読み聞かせており、齢18歳でアトリオン語をマスターする。&br()アトリオンの哲学を学びたいという理由でリニス大学に留学、大学卒業後哲学者を目指すも、親に反対されて外務省に入省、その後アトリオン大使となる。&br()特性&br()【魅力的な交渉人/Charismatic Negotiator】【稚拙な陰謀家/Amateurish Plotter】【明敏 / Quick】【学者 / Scholar】【勤勉 / Diligent】【謙虚 / Humble】| |&bold(){ピドズリ・リスタイ}|7530年|駐清河大使|7530年に将軍八旗兵士の家に生まれる。新しく誕生した洋式学校を首席で卒業後、外務省に入省、直ぐに官費でリニス大学に入学して法学を学び、卒業後は古典や韓文にも精通していたため、対礼帝国外交を担うようになる。&br()[[ジャーガルク・礼戦争]]前夜には、親礼帝国派外交官の中心人物として、ジャーガルクが礼帝国に妥協して開戦を避けるべきと主張し、新聞各社は彼を売国奴として非難した。(一説ではジャーガルクが敗戦した場合の保険として、わざと彼に親礼帝国外交官を演じさせたという説もある。)&br()戦争終結後は戦前の言動により一時期閑職に左遷されたが、7601年に中原に人脈があるという理由で、対中原外交担当の一人となる。他の職員が動乱で混乱する中原の軍閥をいくつか支援し、ジャーガルクの傀儡緩衝政権を打ち立てようと画策する中、独自に入手した情報より大演習程度の戦闘しかできない軍閥に支援すべきではないと主張、さらに唯一政権運営がまともな清河へ使節を送り、関係構築を試みた。&br()中原の軍閥内戦終了後、彼の予想どうり軍閥は全て崩壊し、社会主義勢力の清河となったため、その功績により駐清河大使となる。&br()個人的に清河政府関係者と対談することが多く、また散歩と写真撮影が趣味で大使となった今でも様々な場所に出かけることが多い。| |&bold(){ムハムド・アザーフール}|7581|タヴェリア方面大使|ジャーガルクのタヴェリア方面大使(タヴェリア方面の外交を総轄する地位、支部にザルバチ領事館がある。)ムスルマーネン商人とタヴェリア系奴隷の子として生まれ、算術が得意という理由で解放奴隷となり、18歳の時父親が亡くなったため遺産の一部を受け継いだ。&br()遺産相続後、それを元手に奴隷商人になろうとしたが同時期開放した母親が「奴隷商人にだけはならないでくれ」と懇願した為、代わりに雑貨・食品を扱う商人となる。&br()一方7610年代にジャーガルク政府はタヴェリア方面への外交関係強化を勧めていたが、外務省内においてタヴェリア(特に黒人居住地)に詳しい人材が少なかったため、在野に人材を求めた結果としてムハムドの名が挙がり、奴隷貿易に手を出していないという事もあり大使となった。&br()彼自身は半タヴェリア人というコンプレックスからタヴェリアの非白人をどうしようもない野蛮人と見なしており、寧ろイクファターナの大国によって統治された方が経済が発展し、現地人にとってもジャーガルクにとっても都合が良いと考えている。&br()目下の悩みは母親がやたら服を脱ぎたがることと、自宅での奴隷使役を禁じている事であり頭を悩ませている。| |&bold(){ツカ・ヨスク}|7580|駐[[フィルモア>フィルモア合衆国]]大使| 元&bold(){広告代理店}社員で現フィルモア大使、元々は新聞広告の作成を行ってきた会社の社員であったが、ラジオ番組の発達に伴い、宣伝放送のプロデュースという新しい分野を開拓した人物である。&br()その経歴から世論が政治に強く反映されるフィルモア合衆国大使に抜擢、絨毯や陶磁器等の特産品を武器にジャーガルクのイメージアップを図っている。&br()宣伝文句は偏差値40の人にも理解できるようにする。&br()―――――――広告代理店部長時代の発言| |>|>|>|BGCOLOR(orange):~駐ジャーガルク大使|h |&bold(){スタンリー・ハクスリー}||アトリオン&br()駐ジャーガルク大使|経営管理修士(ニュースタックバラ大学)、経済学博士(アンゼロット記念大学)。ヴェルレニース生まれでニューリペルニアを拠点に貿易会社を経営してきた経済人。&br()大戦で中央海航路が使えなくなったため東西の大航路の重要性がさらに高まったことからアトリオン政府から招聘を受けて以降スタックバラで通商政策に関与するようになる。&br()戦後も外務省を中心に官僚として勤務し、蒼海海近辺の地理事情と言語に関する知識を買われてジャーガルク・シャー大使に着任した。&br()【金儲けの達人/Fortune Builder】【偉大な調停者/GREAT COMPROMISER】【レッセ・フェール資本主義者/LAISSEZ FAIRES CAPITALIST】【交易商人/Trader】【行政家/Administrator】【勤勉/Diligent】【社交的/Gregarious】| |>|>|>|BGCOLOR(gray):~軍人| |&bold(){アカ・スッジャ}|7565年|陸軍参謀総長&br()陸軍大将&br()全軍指揮輔弼局長官|ジャーガルク4軍制服組のトップ| |&bold(){アルァ・カミン}|7576歳|陸軍中佐&br()ファンシュー方面軍作戦主任参謀|陸軍一の秀才と目されており、「違う文化は共存できないためイクファターナとジャーガルクの文明の存亡を賭けた戦争が将来必ず勃発する。その為、ジャーガルクは他のシンガ諸国を併合ないしは属国化し、人員と資源を確保すべき」と主張している。| |&bold(){シィ・ヤンマ}|7561年|海軍航空本部部長|海軍の航空ドクトリンを生み出した人物| |>|>|>|民間人|h |&bold(){浮敏}|7589年|元[[礼帝国>清河人民社会主義共和国]]皇帝| 礼帝国のラストエンペラー、7601年に廃位された後も宮殿で生活していたが、原帝国崩壊後の混乱期にジャーガルクへ亡命、現在はファンシュー地区にて農場を経営しており、兎亜人の男性と同棲生活を送っている。本人に復位の意思は無くジャーガルク内の韓人からは軽蔑されている。| |&bold(){浮盟}|7590年||浮敏の弟で次期礼帝国皇位請求者、礼帝国復活を目論んでいる。| |&bold(){吉良ツクヨミ}|7581年||中原の名門である吉良氏出身、幼いころより聡明で、文武両道の秀才として名高かった。&br()父親は中堂で旧守派だったが、息子のツクヨミは洋務派に通じ、親の反対を押し切り海外大学へ進学、出国直後に&bold(){礼王朝}は崩壊したがそのまま学業を続け、帰国後に数少ないインテリとして議員となった。&br()クーデターによる議会政治終了後は軍閥の参謀兼書記として活動したが、清河成立後にジャーガルクへ亡命、その時婚約者も同行する予定だったが、彼女が兎亜人に魅了され「落ちぶれたあなたと結婚するよりも生涯を愛しく可愛い兎さんに捧げ、彼女と一秒でも一緒にいたいから婚約を破棄して」と申し出たため、慰謝料無しで婚約を破棄(本人曰く請求する時間は無かったし、馬鹿々々しくて慰謝料を請求する気にもならなかったとのこと)&br()その後社交界で皇女サフィロス・ホヒローと知り合い結婚、以後はシャーより贈与された財産を元手に八神製紙会社を設立し事業者として成功した。| **・歴史上の人物 |画像|名前|生没年|解説|h ||&bold(){コト・シャー}||最初のジャーガルク全土のシャー、国母として神格化されている。| ||&bold(){メイカ・シャー}||前ジャーガルク・シャー国のシャー、外圧の激しい時代に立憲君主として、国を統治した。| ||&bold(){アイン・ヨエン}||最後の可汗、近代国家として二重王権を維持するのは不可能と判断し、息子のヴァナキツァをメイカ・シャーの王配とし公武合体を進め、自身は可汗の位を返上した。その後は貴族院議員として1899年に引退するまで、政界の中心に影響力を及ぼしていた。| &bold(){*・旧設定集} #region |[[スルガ]]|金属インゴット・セメント・ガラス・缶詰・燃料・衣料品・高級服・弾薬・茶葉・砂糖|| |[[リンディスヴァート制憲諸邦同盟]]|衣類・缶詰|| **・対[[スルガ]]外交  平等条約((治外法権が無く、関税自主権がある))であるジャーガルク・スルガ修好通商条約を7610年に締結している。本邦の外務省と軍部は[[清河人民社会主義共和国]]に対する遠交近攻外交の対象として、スルガとの関係を重視している。 **・対[[リンディスヴァート制憲諸邦同盟]]外交  開国当初はリンディスヴァートより工作機械を多く購入していた、また化学技術の中心であったため、医者や化学博士を中心にリンディスヴァート語を話せるものが多い((その為、大戦後リンディスヴァートの貴重な学術書を二束三文で買占め、それを翻訳し、生活費の足しにする者もいる。))大戦中はヤード帝国と同じく軍需物資を多く売っていた。しかし敗戦によって代金を踏み倒されるケースが多くなっている。その為リンディスヴァートに対し、大規模な復興援助(融資)を行うべきという意見もある。 ||ゾフィーア・フォン・ヒルトブルク||リンディスヴァート&br()駐ジャーガルク大使|ヒルトブルク男爵の娘。&br()かつて王家の代理人として絶大な信を得ながら、76世紀の「狂った外交」を推進し家格を失墜させたヒルトブルク男爵家の末裔。生家の復興の為、ジャーガルク駐在勤務に自ら志願した。&br()特性:&br()【緻密な交渉人/Intricate Negotiator】【忍耐/Patient】【傲慢/Proud】【明敏/Quick】【端麗/Attractive】【社交的/Gregarious】【勇敢/Brave】| #endregion

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