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アーロン・ガイエル

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アーロン・ガイエル


  • 2007年にニューヨーク・ヤンキースからやってきたバンクーバー出身のカナダ人。
  • 1992年にカリフォルニア・エンゼルスからドラフト21巡目で指名され契約し選手生活を始めるものの、マイナー暮らしが長くトレードや解雇など数球団を渡り歩き、2002年カンザスシティ・ロイヤルズからメジャーデビュー。このとき既に29歳だった。
    いわゆる遅咲きの苦労人。
  • ちなみにミドルネームは「コリン」。
  • バットを根本から折られても打球はスタンドインするほど、チーム1のパワーヒッター。
    いわゆる主砲。
  • 打球の殆どがライト方向に飛ぶ。また、併殺打が極端に少ない。
  • 愛称はご存知「魔将」
    出所はロールプレイングゲームの「ラングリッサー」シリーズのキャラクター「魔将軍ガイエル」から。
  • ホームランを打つとなぜか球場が静まり返る。このことから彼のホームランは「サイレントホームラン」の異名を持つ。来日1年目でヤクルト以外の11球団からホームランを打った。
    この「サイレントホームラン」については、スワローズTVのキャスターである福田萌のブログでも触れられ、「やくせん民の中に福田萌が居るのではないか?」という疑惑が発生した。
  • 誰にも気付かれない「サイレントスチール」もお手の物。どうやら二塁までテレポートしているらしい。意外に知られてないが見た目に係わらず足が速く、当時の同僚ラミレスから「カナディアンペンギン」と呼ばれていたらしい。
  • いくら死球を当てられても絶対に怒らず、乱闘になったことがない。本人曰く「死球もベースボールの一部」と。
  • 但し、乱闘騒ぎにはなったことはある(※魔将伝説その10を参照)
  • 鳥にガイエルと入れるとヤクルト1が出現する。
  • 好きな日本食は、お好み焼き。
  • 2006年の第1回WBCにはカナダ代表として出場し、2009年第2回WBCも代表候補に選出(魔将伝説(その6)参照)されていたが、辞退した。

  • 2007年当初、全くバットを振らないスタイルで四球を量産する。「投手は普通に勝負しているのにストライクが入らない」と言われ、空間を操っている説が浮上。
  • 守備では何でもない平凡なライトフライをこぼすことも多かった。
    でも、実はかなりの強肩。ターフル曰く「ガイエルは守備上手いですよ。」と話すほど。
    一部の住民から魔将の刺殺球を「魔将ビーム」と呼ばれる。
  • 2007.5.21付の東スポで、四死球の多さや何でもないフライを落としてしまうことから「ガイエルは(超能力で)空間を歪めている」と報じられ、これら不思議な現象から「魔空間」という言葉が生まれた。また、死球も多かったため、磁力を操っている説までも浮上した。
  • 2007年シーズン前半は打率が2割台前半にも係わらず、出塁率が4割を越えていた。このため出塁率の良さを生かすため1番を務めることもあった。
  • 2007.8.1の阪神戦で1イニング2死球のプロ野球最多タイ記録を達成!
    これは元広島の衣笠氏が1976年に記録して以来、31年ぶり2度目の珍記録。
  • 2007年のシーズン後半になると打率もそこそこ上がるとともにホームランが量産され、最終的にホームラン王争いに加わり横浜の村田の1本差の35本を記録した。
    それでも打率は.245に終わるが、出塁率は.381でリーグ4位。何というか不思議な記録を残した。
  • ちなみに2007.10.7のターフル引退試合で、青木に代わりセンターで出場。ファインプレーを連発し、やくせん民を驚かせた。
    またこの日はランニングホームラン、その次の打席にもホームランと2本叩き出した。
  • 地味かもしれないがこの年、パ・リーグを含む11球団からHRを放っている。

  • 2008年は開幕直後こそクリーンナップを任されたものの、6月に右ひじ炎症で登録を抹消。それ以外にも右足の指など小さなケガが続いてしまい1軍と戸田軍の往復のシーズンに終始。その間にメッシやふくちくんの活躍も相まってポジションを奪われてしまい、終盤は代打専門になってしまった。
  • 戸田軍の試合で何とファーストで出場し、やくせん民を驚かせる。
  • この年の成績は79試合に出場、打率.200、11HR、出塁率.306・・・。
    「(前出の)ケガが、微妙に打撃や守備に影響を及ぼしたことが原因の一つ。」とマスコミは分析している。ちなみにこの年から巨人へ移籍したラミレスを意識してか、ホームランを打った後、つば九郎とともにカメラに向かってエド・はるみの「グ~」をやっていた。

  • 2009年の契約は、残留と報じる新聞もあるもののまだ流動的であるが、やくせん民の人気は高く残留を望む声も多く聞かれた。
    2008.10.5付の日刊ゲンダイの取材で本人は、「自分自身、そして家族も日本、そしてヤクルトというチームが大好きなんだ。だから、チームが必要としてくれるなら、このチームで頑張りたい」とコメント。

  • 李恵践、デントナやバレットなど続々新外国人が加入している中、やくせん民はその動向にやきもきしてたが、2008.12.18に新聞各紙が残留決定を報道。大本営でも「ガイエル選手と契約更新」と正式発表。ガイエルを応援するやくせん民から歓喜の声が上がり、大本営での彼のコメントに感動した。
  • ただ、2008年の不振から大幅な減額での単年の残留。のちに球団へ直筆の手紙を送り残留を希望していたことが明らかに(涙)。

  • 2009年はオープン戦から好調で開幕1軍スタート。当初は相手が左投手の場合は極端に打率が低いため飯原との併用だったが、5月初旬あたりから左右の投手関係なくスタメン起用されるようになる。
  • これまでは右方向への引っ張り専門であったが、2009年は左方向へ軽打するなど広角に打つ場面も多く見られるように。
  • 2009.6.4の楽天戦がFC東京とのコラボデーとなったが、何故か始球式で打席に入り始球式を務めたハナク… いや、平山選手から死球を受ける。これを「死球式」と見出しを付ける新聞も。なお、死球を受けてもにこやかに笑顔で対応、試合でも2四球と貫禄たっぷりであった。
  • 2009.7.1 甲府・小瀬スポーツ公園野球場での横浜戦にて、スタメン発表の際スコアボードに八王子Bという名で表示される。「スコアボードに魔空間出現か!?」とも思われたが、単なるスコアボードの名前入力ミスによる表示間違いであった(同じくデントナも違う名で表示されていた)。
  • 2009.10.11の試合で、デントナのHRの判定に猛抗議している相手監督へNPBの温暖化防止活動のスローガンでベンチに掲げてたあった「Let’s省Time」のボードを見せつけ、その後ベンチ前にこのボードを置き無言の抗議。イライラしていた住民からワロス草を大量発生させた。

  • Google Earth の神宮球場ライト付近にスライディングキャッチしている魔将の姿が。。。

  • 2009年シーズンの成績は128試合出場で打率.267・27HR・80打点と見事に復活を遂げる。
  • 特に中日戦で鬼の如く打ちまくり、対戦成績は打率.373・9HR・19打点と「ドラゴンキラー」と称する人も現れた。逆に横浜と阪神に対しては対戦打率.222。しかし横浜戦では中日戦と並び19打点を叩き出す。
  • 打率ではリーグ19位だが、出塁率.367はリーグ9位。その背景には魔将の代名詞、死球数15はリーグ1位、四球53はリーグ8位。貫録である。
    ちなみに打率トップのラミ何とかさんより出塁率は高かった。
  • 左投手では飯原との併用が多かったが、終わってみれば対左の打率.258、対右の打率.270と、終わってみればそう極端な数字でもなかった。
  • 守備面でも補殺が名古屋の禿こと和田選手と並んでリーグトップと、存在感を発揮した。
  • 2010年の課題は.263に終わった得点圏打率の向上。

  • 本塁打はチームトップ、打点もチーム2位とヤクルトに必要な走者を返すバッターの役割を見事に果たしたといえ、2010年シーズンの残留も確実視され2009.12.18、契約を更新したことが球団から発表された。
    2年契約で。
  • 魔将好きのカトケンも契約更新の知らせに興奮していたようで、スワ通では「2007年のスワローズ入団以来の3年間でスタンドへ飛ばした気合の一撃の回数、73回。奇跡を呼んだ回数、計り知れず。始球式で死球をくらった回数、1回。 スワローズファンからの愛され度、プライスレス。 」
    あれ… 1ヶ所間違ってるぞ!?

  • ちなみに2010年2月現在ガイエルは37歳である。
  • 本人曰く「日本一になって、スワローズのユニフォームで私の野球人生を終えればいいと思います」。
  • 来日時にも「2年後か、3年か4年か分からないが、現役はヤクルトで終えるつもり」と最近は引退を視野に入れた発言が多くなっている。
  • …これが最後の契約にならないことを祈ります。

  • 2010年来日時に「その後も指導者として声が掛かれば喜んで受けたい。将来的には監督をしてみたい」と自身の野望を明らかに。
  • もしかして2009年オフにアリゾナで自主トレを行った田中浩に自宅を貸したのはその布石の一手なのか?!球団関係者も「将来の幹部候補の一人」と結構前向きw

  • ‘口やかましいおじさん’役の引退を発表した宮本と共に若手をよろしくお願いします。
  • 2010年はデントナとのデンガイ砲の活躍にwktkさせてね。


魔将伝説


  • 魔将伝説(その1):
    球をミートした際にバットが根元から折れるも打球はスタンドへ、見事なホームラン。
  • 魔将伝説(その2):
    スタンドに投げ入れたボールがビールもった会社員を直撃する。会社員はビールをこぼすハメに。
  • 魔将伝説(その3):一塁ベース直撃のヒット連発。
  • 魔将伝説(その4):折れたバットと打球が同時にファーストを襲い、タイムリーエラー。
  • 魔将伝説(その5):
    何でもないファーストフライが、風の影響でファーストのグラブを避けてヒット。記録は「一飛安」。
  • 魔将伝説(その6):
    これまた何でもないレフトフライのはずがレフトとショートが交錯し落球、ボールが転々としている間にランニングホームラン。記録は「左ゴ本」。
  • 魔将伝説(その7):
    前出のとおり2006年の第1回WBCに出場したが、2009年の第2回WBCもカナダ代表候補に。しかし本人は全く知らずインターネットか何かを通じて確認した模様。
    人はこれを「サイレント選出」と呼んだ。
  • 魔将伝説(その8):
    ライト前のライナー性の打球をダイレクトキャッチと見せかけるも、これをワンバウンドで処理。1塁走者(投手)がこれに惑わされたか、スタートが遅れたと見るや2塁へ魔将ビームを放ち華麗にアウト。打者の記録は「右ゴ」。打者は1塁に残ったが、日曜朝の某番組では好プレーとして評価される。
  • 魔将伝説(その9):
    神宮で行われていたナイターで、サードへ何でもない平凡なフライを打ち上げたが、3塁手がこれを落球。記録は「三失」。この日隣の国立競技場で「嵐」の野外コンサート行われていて、ちょうど花火の音が鳴り響いていた中での出来事であった。
  • 魔将伝説(その10):
    2010年は開幕から大炸裂。シーズンのチーム初得点は相手の悪送球を誘い、2戦目では頭部付近投球で両チーム揉み合いを招いた挙げ句、直後に公式戦初のビデオ判定ホームランをゲットする貫禄ぶり。



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