ゆっくりまりさは、ゆっくりの中で抜きん出て頭の良いゆっくりまりさであった。
 この世に生を受け、数ヶ月しか経過していないというにもかかわらず、一族の中で頭角を現していた。彼女――あるいは彼――の思索は、とてもゆっくりだと言いがたい程に、理念の渦で埋め尽くされていたのだ。彼女はゆっくりであることに誇りを持ち、ゆっくりであることを愛し、ゆっくりに愛されることを望んだ。だがしかし、ゆっくり達が彼女を愛することはなかった。

 朝「おはよう」と独り呟き、条件反射的に返ってくる「「「ゆっくりしていってね!」」」の合唱に堪える。ご飯を調理した途端、「んまっ! これんまあああっ!!」と他のゆっくりに奪われる。「ルールと調和による生活を行うべきだ」と主張すると、「「「ゆっくり出来ない人は出て行ってね!」」」と押し出される。
 彼女はいつ何時であっても、自分に向けられる、ゆっくり特有の嘲けりから逃れることは出来なかった。

 他のゆっくり達の、無思慮による無邪気さと邪気さを、誰よりも受けつづけたゆっくりまりさは、思考して熟考して考え抜いた結果、少なくとも表向きは「ゆっくり」と生きていくことを決意した。彼女は「ゆっくりまりさ」としては愛されることが出来なかったが、「ゆっくりまりさ」としてゆっくり達を愛し続けることを決意した。



 ゆっくり同士は、食料と同じように情報を共有する。
 「今日はおにいさんとゆっくり遊んだよ!」とか、「あっちにいるおじちゃんがゆっくりできなかったよ!」などと、微妙なニュアンスの違いで、本能的に情報を選り分けている。
 ここ数日、よく聞く話題としては、やはり近くに住んでいる「おねえさん」のことだ。
 「きれいでぴかぴかでゆっくりしていたよ!」「優しくていい匂いでゆっくりできたよ!」など、皆の評判は上々で、毎日のように遊びに行く者が後を絶たない。だがゆっくりまりさは気付いていた。ゆっくり達の個体数が着実に減少していること。「おねえさん」の情報量が、ある程度の段階を境に、それ以上集まらないこと。毎日のように、数匹ずつのゆっくりが「おねえさん」と親しくなっていっているはずなのに、「おねえさん」について会話を行う者の数が増えないのだ。
 彼女は気付いてしまった。「おねえさん」と一定以上親しくなったゆっくりは、二度と戻ってこないという真実に。愛すべきゆっくりの行く末に心を痛めながら、彼女は「明日もゆっくりしにいこうね!」と沸き立つゆっくり達と一緒に、付いていくことにした。



 酷いものだった。
 住処を出たゆっくり達12匹は、森の中をゆっくりとはしゃぎながら、昼前頃に「おねえさん」の家に到着した。確かに皆の言うとおり、「おねえさん」は綺麗で、優しそうだった。毎日のように、ゆっくりが遊びまわると言うのに、綺麗に整頓されたその小屋の中で、ゆっくりまりさは違和感を覚えていた。
 彼女はゆっくりの事故死に立ち会ったことがあった。少し強い風に飛ばされて、岩場に叩き付けられ、無残な姿を晒していたゆっくりは、まさにこの小屋に充満するものと同じ匂いを放っていたはずだ。無造作に置かれた箱の中から、ひゅるるる、ひゅるるる、と、弱弱しい、空気の漏れる音が聞こえる。窓際に飾られたいびつなてるてる坊主は、どうみてもゆっくりれいむのなれの果てであった。寒い季節ではないというのに、暖炉は暖かく、そして焦げ臭い。注意して観察すると、そこかしこに、殺戮の跡と思われる個所が散見出来た。
 「ゆっくりしにきたよ!」
 「今日もゆっくりしようね!」
 「ゆ、ゆ、ゆ~♪」
 ゆっくり達は、違和感に一切気付くこともなく、我が城のように振る舞い始めている。ゆっくりまりさは、『ゆっくりできないよ!』そう、叫びたい気持ちを、凍てつく心を振り切って、かみ殺した。その代わり、「ゆ、……ゆっくりと美味しいものを用意してね!」と言うに止めた。
 無駄なのだ。この場で、この悪魔の仮面を剥いだからと言って、奪われた仲間を助けることなどは出来ない。彼女は心で泣きながら、皆が帰ろうとするまで、一緒にゆっくりとするしかなかった。「おねえさん」は、薄ら寒い程にのっぺりとした笑みを浮かべて、こう呟いた。
 「ゆっくりしていってね」


 「ゆっくりできたよ!」
 「明日もゆっくりするね!」
 日も暮れて、ゆっくり達は今日のゆっくり具合をゆっくりと思い出しながら、紅く染まる10本の影を森に伸ばして、家路に付いた。



 「ゆっくり出来ないよ!」ゆっくりまりさは語りかける。
 「ゆっくりなんてしちゃいけないんだよ!」
 他のゆっくり達は、反論する。
 「ゆっくり出来たよ!」
 「ゆっくり出来ないの?」
 「ゆっくりしてないなら出て行ってよね!」

 判っていたことだ。例え力の限り力説しても、彼女達を救うことは出来ない。ゆっくり達は異質な意見を排除する。よってたかって、数の暴力で、まさしく押しつぶすのだ。彼女はすごすごと、部屋の隅でゆっくりするしかなかった。
 だがそれは、予測の範疇だ。皆が寝静まるのを待ち、彼女は行動を開始した。

 彼女は、いくら聡明であっても、自分がゆっくりまりさであることを理解していた。その理知は、己の非力さと、敵の老獪さを目の当たりにして、なお、ゆっくりを助けることを、彼女に決意させた。
 いかなる犠牲を支払ったとしても。

 仲間を助けるには、敵を知らねばならない。そう考えた彼女は、「おねえさん」の家から、どさぐさにまぎれて持ち帰った数々の小道具を、口から吐き出した。
 すべては愛なのだ。愛のために、彼女は仲間を助けるために、今出来る限りのことをするのだ。それしかなかった。


 翌朝。
 「いだいいいいい! ゆ゛! ゆ゛っぐりでぎないいいいい!!」
 一匹のゆっくりが、起きると同時に悲鳴をあげた。
 「おぐぢがああ! おぐぢがああ!!」
 口をあけて助けを求めるが、誰にも原因がわからない。
 「ゆっくりできないの?」
 「ゆっくりさせてあげてよ!」
 「ゆ、ゆ! ゆううー!」
 しばらくすると痛みも和らいできたのか、元気に飛び跳ねだすゆっくり。
 「ゆっくり! お母さん、ゆっくりとおなかが空いたの!」
 何事もなかったのだと安堵した母ゆっくりは、その子ゆっくりに優先して食事を与える。だが食事をほおばったとたん、「ゆ゛う゛う゛う゛う゛!」と飛び跳ねる。悶絶するその一匹を心配するように、別の一匹が口の中を覗き込む。
 ゆっくりの小さく透明な歯を貫くように、小さな釘が打ち付けてあるのを、彼女は見た。

 「別に何も変りはないよ! 十分ゆっくりできるね!」
 事実、彼女が打ちつけたとおりに釘が刺さっており、何ら変化はなかったのだ。彼女の台詞にきょとんと目をしばたたかせた、痛がっていたそのゆっくりは、「じゃあゆっくり食べれるね!」と食事を開始し、再度の激痛に悶絶する。
 「何でゆっくり出来ないの!?」
 「痛いのかわいそおおお!」
 騒然とする一族の中の一匹が、ぽつりとつぶやいた。
 「もしかして、……呪い?」

 水を打ったように静かになる、ゆっくり一族の住処。呪いという概念は理解できないが、何か嫌なことだとはおぼろげながら判ったようだ。丁度その時。
 風の起こした偶然だろうか、それとも本当に呪いなのだろうか。

 『ゆ っ く り し て い っ て ね』

 住処に、ゆっくりの誰でもない、禍禍しい声が響き渡った。数瞬の後、住処はかつてない恐慌を巻き起こした。
 「ゆっくりしてえええええええ!」
 「呪わないでえええええ!」
 「う゛ばああああ! ゆっく! ゆっぐううう!!」
 我先にと出口に殺到するゆっくり一族。拾った鍋で蓋をしただけの、体当たりするだけで簡単に開くはずの入り口は、地獄の釜であった。
 「ゆ゛う゛う゛っぐりいい゛い゛い゛!! あづい゛ーーーーーーー!!」
 一足先にたどり着いたゆっくりは、灼火に熱せられた鍋底に自らの体を焼き付けて、悲鳴をあげた。出口であるはずの鍋は固定されており、そのゆっくりを跳ね返した。勢いよく体をぶつけ、跳ね返されたため、さほどの火傷にはならなかったそのゆっくりは、しかし熱から逃げることは出来なかった。外へ出ようとなだれとなった力が、外に近いゆっくり達を、灼熱の鍋に焼きつかせ、彼らの重みを与えていた。

 「ゆ゛っ! ゆ゛っ!」
 「ぎゃああああああづいいいい!!」
 「あづ、潰れ、ゆ゛、びゅっ!!」
 皮が爆ぜ、焼かれた屍骸が押しつぶされ、それでもゆっくり達の殺到は収まらない。突如閉じ込められたという強烈なプレッシャーが、半身を焼け爛れさせたゆっくりでさえ、扉に体を押付けることを辞めさせない。その焦燥感は、焼け焦げる自身の体躯を潰しながら、ただ逃げたい一心で、死に向かわせるところまで高まっていた。騒動が治まるまで、まだ十数匹のゆっくりが犠牲になるのだろう。ゆっくりまりさは、住処の奥から、一族の行く末を、ただ独りで眺めていた。


 ようやく鍋の熱も冷めたころ、ゆっくり達はわずかながら平穏を取り戻していた。放心している一族に向けて、彼女は、こう宣言した。
 「この呪いは、「おねえさん」によるものだ」
 確かに、言われてみれば、先ほどの禍禍しい声は、「おねえさん」に似ていたようだ。
 「ゆっくり出来ないなんて、ひどい!」
 「どうしてそんなことするのー!」
 ざわめくゆっくり達に向けて告げる、ゆっくりまりさ。
 「もう「おねえさん」の処へ行ってはいけないぞ」
 その言葉に反対するものは、誰も居なかった。


 ゆっくりまりさは、扉を繋ぎとめていた、作ったばかりのかんぬきを外し、独り外へ出た。住処では、亡くなった者に対する追悼のゆっくりが行われているのだろう、ゆっくり、ゆっくりー、と、うねるような合唱が聞こえてくる。これで、自分の一族は危機を乗り越えた。愛する者達を犠牲に支払ったが、得た対価は限りなく大きい。
 今回は幸運に恵まれた。
 釘やかんぬきといった小道具に加え、音を溜め込めることの出来る機械を手に入れることが出来たのだ。あの、呪いのような声は、偶然録音されていた、「おねえさん」の声であった。もし、また今回と同じようなことがあったとしても、より良く仲間を導くことが出来るであろう。

 仲間の屍の上に成り立つ限りない未来を背負い、ゆっくりまりさの頬は、音もなく濡れた。


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2022年05月21日 23:29