その4より

「さてと、今日は誰が虐待されるのかな?」

三匹の虐待から一匹のみの虐待に変わってから、すでに十日が経過した。
男が壁越しに恒例のセリフを吐いてくる。
それに対し、こちらのセリフも、この十日間変わることはなかった。

「ゆゆっ!! まりさをゆっくりつれていってね!!」
「……またお前か。いい加減、お前を痛めつけるのは飽きてきたんだがね」
「おにいさん、やくそくはやぶらないでね!! まいにちおなじでもいいって、まえにいったよ!!」
「わーってるよ、全くお前も強情だな」

そう言って、男の足跡は遠ざかって行った。
れいむは、黙ってまりさと男のやり取りを聞きながら、やり過ごした。
ありすも男が去るまで、無言を貫いている。

「ゆふぅ……」

足音が聞こえなくなって、れいむはホッと息をもらす。
男がいつ発言を翻して、再び全員を虐待するといってこないとも限らない。
足音が聞こえなくなるまで、一切の気は抜けない。
これもこの十日間変わらぬ光景だった。

この十日間、れいむとありすは、一度も男の虐待を受けていなかった。
それもそのはず、すべての虐待をまりさ一匹が被ってくれていたのである。
まりさは男が発言を撤回しても構わないといったにも関わらず、頑なにそれを拒み、自分を虐待しろと繰り返した。
結果、れいむは男にここに連れて来られて以来、久しく味わっていなかったゆっくりとした時間を満喫することが出来た……はずだった。
そう、出来たはずだったのだ。
部屋から出られないことを除けば、美味しいご飯に温かい毛布、そして隣には大好きなまりさと親友のありす。
好きな時に起きて、好きな時に好きなだけご飯を食べて、好きな時に眠るれる日々。
実にゆっくりした生活である。



しかし、れいむはこの十日間、本当の意味で“ゆっくり”した時間を過ごすことは、一度として出来なかった。



肉体的には、確かにゆっくり出来ただろう。
男から受け続けた虐待の傷も、すっかり癒えた。
寧ろ、森で暮らしていたころより丈夫になったくらいだ。ドッグフードとは言え、栄養バランスが良いおかげだろう。
しかし、精神面ではゆっくりとは到底いかなかった。
どんなにゆっくりしようとしても、圧し掛かってくるのは、まりさへの負い目と自己嫌悪。
更には、いつか男が元の虐待スタイルに戻すのではという恐怖心。
これらがれいむの心を乱してしまう。
ゆっくりは、心身ともにゆっくり出来ていて初めて“ゆっくり”した状態と言える。
如何に身体がゆっくり出来ていようと、心がゆっくり出来なければ、それはゆっくりしているとは言えないのである。

と言っても、贅沢をいう訳にはいかない。
れいむ以上に苦しいのはまりさなのだ。
まりさは、れいむとありすの苦痛を一身に背負っていてくれるのだ。
まりさは毎日れいむとありすに「ゆっくりしていってね!!」と声をかけてくれる。
心の底から、二匹にゆっくりして欲しいのだろう。
ゆっくり出来ていないなんて、死んでも口に出せるはずはなかった。

そんな時である。
壁越しにありすが声をかけてきた。

「ねえ、れいむ……いまいいかしら?」
「ゆっ? うん、いいよ!!」

そう言えば、ありすと二匹だけで話をすることも、最近はめっきりと減ってしまった。
まりさが男に連れていかれてから一時間の間は色々と考え込んでしまい、どうしても話をする気分じゃなくなってしまうのだ。
だからと言って、まりさが部屋に戻って来ても、あまり話はしない。
部屋に戻るや、まりさは疲れと痛みからすぐに寝てしまうので、れいむとありすの話し声で起こすわけにはいかないからだ。
結果、まりさが起きた後、ホンの少しの時間、三匹で話をするのがここ数日の日課となっており、それにしたって負い目を感じずにはいられないものであった。
二匹だけで話をするのは、本当に久しぶりである。

「ねえ、れいむ!! あなた、いまゆっくりできてる?」
「ゆゆっ!?」

ありすが何でそんな質問をしているのか、すぐには理解できなかった。
しかし、頭の中で言葉を反芻し、ゆっくりと考えてみると、ありすが何を言いたいのか、何となく理解できてきた。

「……ゆっくりできてるよ。まりさのおかげで……」
「そう……」
「ありすはゆっくりできていないの?」
「……もちろんゆっくりしているわ。まりさががんばってくれているんだもの!!」

ゆっくり出来ていると、ありすの弁。
しかし、言葉の中に隠れているありすの本音は、間違いなくれいむと同じものであった。
結局のところ、ありすもれいむ同様、まりさに負い目を感じ、ゆっくり出来ていないのだ。

「れいむ……ありすたち、このままでいいのかしら?」
「ゆっ? このままって?」
「いつまでもまりさにたよりきって、くらしつづけていることよ」
「ゆぅぅ……」
「まりさは、ありすやれいむのためにまいにちぼろぼろになっているのに、ありすたちはまりさになんにもしてあげられない」
「ゆぅ……」
「ねえ、れいむ!! ほんとうにこのままでいいのかしら?」
「……いいわけないよ。いいはずがないよ!! でも!! でもっ!!!」

れいむだってありすに言われるまでもなく分かっている。
このままでいい筈がないのだ。
まりさは、れいむとありすのために、毎日地獄のような虐待をされ続けている。
すべてはれいむとありすをゆっくりさせるために。
だというのに、肝心の二匹が、まりさを気にしてゆっくり出来ていないというのだから、本末転倒もいいところである。
でも……

「でも……れいむ……いじめられたくないよ……」
「んん……」

そう、結局はここに行きついてしまうのだ。
しかも、れいむは男からの虐待を受けなくなって、もう十日もたっている。
これが以前の様に、毎日虐待されていた時なら、たまには自分がされるのも有かもしれなかった。
自分たちではなく男が虐待する者を選んでくれていたら、最初から諦めがついて、却ってよかったかもしれなかった。
しかし、平穏な日常に慣れたれいむは、以前にも増して、一層虐待への恐怖が強くなっている。
もう二度と虐待はされたくない。何に変えても!! 何をおいても!!
偽らざるれいむの本音であった。

こんなことなら最初からサイクル回しで虐待をされるんだった。
れいむは、最近ちょくちょくそう考えるようになっていた。
それなら全員が虐待を受け、誰一人負い目を持つこともなかった。
それ以前は毎日虐待されていたのだ。虐待が無くなる訳ではないが、三日に一回ならあの時のれいむなら十分満足できただろう。
考えてみたら、あの毎日虐待されていた時は、虐待自体は辛く苦しかったけど、三匹で過ごす一時はとてもゆっくり出来ていた。
実に充実していた。全員の心は一つだった。
しかし、どんなに過去を振り返ろうが、時間は戻らない。
結局、れいむはどんなにまりさを心配しても、何一つしてやることは出来ないのだ。

「……ねえ、れいむ……まりさって、すてきよね!!」
「ゆっ!?」

突然、何の話をしたいのか、ありすがそんなことを言ってきた。

「はじめてあったときから、すごくきれいゆっくりだっておもってたけど、そのうえあたまもよくて、やさしくて、ゆうきがあって、そして、すごくゆっくりしていて……とってもとかいはよね!!」
「ありす……いったいどうしたの?」
「れいむ!!」
「ゆっ!?」
「ありすは!! ありすは、まりさがすき!!!」
「!!!!」
「まりさがすきなの!!!」

ありすは、れいむに向かって、いきなり爆弾発言をしてきた。
れいむには、突然そんなことを言ってくるありすの意図が掴めなかった。

好きと言っても、いろいろある。
家族に対し、友人に対し、恋人に対し。
ありすがまりさの家族でない以上、友人か恋人かのどちらかであろう。
しかし、友人の場合、れいむに対しても好きと言っていい筈である。
親友という自負がある。れいむの独り善がりではない筈である。
しかし、それがなかったということは、つまるところ……

「それって、『あいしてる』ってこと?」
「……ゆぅ!!」

ありすは少し躊躇いながらも、しっかりと返事を返してきた。

「……ありすはね、ずっとまりさのことがすきだったの!! でも、まりさってすてきなゆっくりでしょ!! ありすじゃまりさにはあわないとおもって、ずっといわなかったの……」
「……なんでれいむにそんなこというの?」
「もうこれいじょう、まりさにつらいおもいをしてほしくないから……とかいはのけついひょうめいよ!!」
「けつい……ひょうめい?」

ありすが何を言っているのか、さっぱりれいむには理解できなかった。
深く聞こうとしても、「つかれたから、ゆっくりねるわ」と会話を切り上げ、教えてくれなかった。
仕方なく、れいむも毛布に包まり、目を瞑り、ありすの言葉の意味を考え始めた。

“まりさがすきなの”

意味は分かる。
ありすはまりさを愛しているのだ。
つまるところ、れいむと同じということである。
しかし、なぜここにきてそんなことを言ってくるのだろう?
なぜ自分にそんなことを言ってきたのだろう?
決意表明とは、いったい何を指して言っているのだろう?
どれだけ考えようと、その意味がれいむには分からなかった。

ただ一つ言えることは、ありすはれいむのライバルということである。
れいむもずっとまりさが好きだった。愛していた。
ありすは親友だけど、まりさのことを譲りたくはない。
れいむはその日悶悶としながら、一日中、これまで以上にゆっくり出来ない時間を過ごした。

後日、れいむはありすの言葉の意味を知ることとなる。






「さ〜てと、今日も楽しい楽しい虐待の時間が始まるわけだが……また、今日もまりさか?」

男は気だるそうに、壁越しに言葉をかけてくる。
そんなに面倒くさそうにするなら、すぐさま虐待なんて止めて、れいむたちを森に帰せと言ってやりたい。
怖いので本当に言うつもりはないけど……
対して、いつも通り、まりさが男に返事を返す。

「ゆっ!! そうだよ!! ゆっくりまりさをつれていってね!!」

全くもって代り映えのない会話である。
男は、これまた気だるそうに「わーったよ……」と返事をして、まりさを連れていこうとする……が、今日はいつもとは違う事態が起きた。
新たな声が乱入してきたのである。


「おにいさん!! ちょっとまってね!!」


ありすだ。
いつもはれいむ同様、男が去るまで口を開くことのない彼女が、行き成りまりさと男の間に割って入ってきたのである。

「おにいさん!! きょうはとかいはのありすが、ぎゃくたいされてあげるわ!! せいぜいかんしゃするのね!!」
「「ゆゆっ!!!」」
「ほう!!」

れいむとまりさの驚愕の声がハモる。
その後、男も久しぶりにおきた変化に、嬉しそうに声をもらす。

「あ、ありす!! いったいなにいってるの!! まりさがぎゃくたいされるんだよ!! ゆっくりじょうだんはやめてね!!」
「まりさ!! いつもまりさはがんばってくれているから、きょうはありすがかわりにぎゃくたいされてあげるわ!! きょうはおへやでゆっくりしていってね!!」
「ありす!! まりさなら、ぜんぜんへいきだよ!! ありすがいじめられることないよ!!」
「でも、もうきめたのよ!! とかいはににごんはないわ!!」
「ゆぅぅ……おにいさん!! おにいさんからもいってあげてよ!! まりさがぎゃくたいされるんだから、ゆっくりりかいしてねって!!」

自分の説得では、どうにも出来ないと悟ったのか、まりさは男に協力を呼びかける。
しかし、毎日まりさばかりで飽きていた男だ。
まりさの言い分を聞くはずもなく……

「いいだろう、ありす。今日はお前を虐待してやるよ!!」
「なんでええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――――――――――!!!!」

まりさの悲鳴を無視し、男はありすに言葉をかける。

「お前にもまりさの酔狂が乗り移ったのか? せっかくまりさが犠牲になることで、ゆっくり出来る日々を送れているってのに。それを自分から壊すなんてな」
「なんとでもいいなさい!! こんなにせもののゆっくりなんて、まっぴらごめんよ!!」
「ふん、なかなか言うじゃないか。その根性が今後も続けばいいがな」

ありすと男の会話と共に、男の足音が次第に小さくなっていく。そして完全に聞こえなくなった。

「ゆうううううぅぅぅ……なんでありすをつれていっちゃうのおおおおおおおぉぉぉぉ――――――!!!!」

まりさは未だに未練たらしく、声を荒げている。
ありすが代わってくれたことで、虐待されずに過ごせるというのに、本当にすごい根性である。
事情を知らなければ、うっかりゆっくりてんこと勘違いしてしまうほどだ。
よほどれいむとありすに傷ついてほしくないのだろう。
或いは、自分が誰のために虐待されているのか分かっているのかという、怒りも含んでいるのかもしれない。

未だ叫んでいるまりさを余所に、れいむは昨日のことを考えていた。
ようやく昨日のありすの言葉の意味が理解できた。
これがありすの言っていた「決意表明」なのだろう。

ありすは、ずっと悩んでいた。
このままでいいのかと。まりさに頼り切ったままでいいのかと。
大好きなまりさの為に何かしてあげたい。まりさの力になりたい。
ここまでは、れいむも常々思っていたことである。ありすとなんら変わらない。
しかし、れいむと違い、ありすは止まっていた足を再び前に出した。
自分が虐待されることによって、まりさの苦労を取り払いたい。
まりさをゆっくりさせてあげたい。
まりさと対等でありたい。
その気持ちが、臆病だったありすを突き動かしたのであろう。

れいむはここに来て以来、心に二度目の衝撃を受けた。
一度目は言うまでもなく、十日前のまりさの言葉である。
れいむは、ありすの行動力に対して、驚嘆と感謝と……嫉妬を感じた。
ありすが虐待されることによって、まりさは今日一日ゆっくりすることが出来るだろう。
例えありすのことを気にして精神的にゆっくりできなくても、一日虐待を受けないだけで肉体疲労度は全然違う。
まりさがゆっくり出来る。その機会を作ってくれたありすに、れいむは大いに感謝した。

それと同時に、れいむは羨ましかった。ありすの行動力が。
れいむと同じく臆病だったあのありすが、こんな大胆な行動を起こしてくるとは思わなかった。
こんな勇気を持っているとは思わなかった。それが羨ましくて仕方がなかった。
れいむは悔しかった。まりさに対する想いで負けてしまったことが。
昨日のありすの発言を聞いても、自分の方がまりさを想っている、まりさについて考えているという自信があった。
しかし、それもありすの行動で打ち砕かれた。
結局、想いだけだったのだ。口だけだったのだ。
れいむには、ありすの勇気を見せつけられても、それじゃあ自分もという気には到底なれそうになかった。
どうしても恐怖で身が竦んでしまう。虐待を受けたくない。ありすに続くことなんて、到底出来ない。
れいむは焦った。まりさとありすが近付いてしまうことに。
これでありすは、まりさに遠慮する必要が無くなった。まりさに負い目を感じることが無くなるのだ。
スタートラインは同じだったのに、たった一つの行動で、ありすはれいむの遥か先へと行ってしまったのだ。
しかし、何より腹が立つのは、そんなことを考えてしまう自分自身であった。
まりさやありすのように行動もせず、ただその恩恵を甘受している身でありながら、頭に浮かぶことは常に自分のことばかり。
口だけの自分に……何も出来ない自分に……れいむは腹が立って仕方がなかった。


「なんでじぶんからいじめられにいくのおおおおおぉぉぉぉ―――――――――!!!!」

部屋に戻ってきたありすに真っ先にまりさが掛けた言葉であった。

「ゆぅ……まりさ…………あん……まりおおきな……こえを…あげないで……………あたまに……ひびく…わ……」
「ゆっ!! ご、ごめん!! ありす!!」

ありすは、いつものまりさ以上に荒い息を吐いている。
久しぶりにまりさ以外を虐待した男がつい加減を間違えてしまったのか、それとも久しぶりに虐待を受けたありすの体が付いてこなかったのか。
とにかく、ありすが相当苦しそうなことには違いなかった。
しかし、まりさはありすに文句を言うのを止めなかった。
虐待を代わりに受けてくれて文句というのも可笑しな話であるが、ありすの体に差し障りない程度の音量で、ありすを攻め立てる。

「でもね、ありす!! ありすがいじめられることはなかったんだよ!! まりさがいじめられれば、ありすたちはゆっくりできるんだよ!! なんでこんなことしたの!?」
「まりさ……まりさはまえに……いったわよね……だいすきなひとは……じぶんをぎせいにしても…まもらなければならな……いって……」
「そうだよ!! だから、まりさがぎゃくたいをうけるんだよ!! ありすとれいむのために!!」
「ありすも……そう………おもうの」
「ゆっ!?」
「ありすも……だいすきだから……まりさと………れいむが…………きずついてほしくないから……ゆっくりして………ほしいから」
「ゆうぅ……でも!! でもありすはとってもくるしそうだよ!!」
「それは……いつものまりさも………おんなじでしょ……」
「そうだけど、まりさはおねえさんだから……」
「ありす…だって……とかいはよ……しんのとかいはとは……こういうことが……できる…ゆっくりのことを……いうのよ」
「でも!! まりさは、やっぱりいやだよ、ありすがきずつくのは!! あしたはまりさがぎゃくたいされるからね!!」
「だめよ……あしたも………ありすがいくわ!!」
「なんでぞんなごどいうのおおぉぉぉぉぉ――――――!!!!」
「いったでしょ……それが………とかいはと……いうもの…だから……よ」

まりさは何とかありすを翻意させようとしたが、ありすは一向に考えを改めてくれなかった。
その後、ありすの「つかれたわ」という言葉で、二匹の会話は一時幕引きとなった。
さすがにまりさも、傷付いたありすを無理させてしまっては、本末転倒であることを悟ったのだろう。その場は引いてくれた。
しかし、ありすが翌日起き上がると、再びまりさはありすに対し止めろと説得を繰り返す。
それに対し、ある程度回復したありすも一歩も引かなかった。
二匹は男の虐待が始まるまで、延々と話し合い続けた。
その日、れいむは一言も口を挟めなかった。






「それで、今日はまりさとありす、どちらが虐待されるんだ?」

定番の男の言葉である。
それに対し、ありすが口を開いた。

「ゆっ!! きょうは、とかいはのありすがぎゃくたいされるばんよ!! ゆっくりつれていってね!!」
「へいへい」

そう言って、ありすを連れていく男。
そんなありすに対し、まりさは壁越しにありすに言葉をかける。

「ありす!! ゆっくりがんばってね!!」
「だいじょうぶよ!! とかいはをあまくみるものじゃないわ!! まりさこそ、ゆっくりまっていてね!!」
「ゆっ!! ゆっくりまってるよ!!」

まるで仕事に赴く夫と、それを見送る嫁のような会話である。
最近、まりさとありすはいつもこんな感じであった。


ありすが初めて虐待されてから二週間が経過した。
あの日以来、ありすとまりさは交互に虐待される日々を送っている。
まりさは当初、なんとしてもありすの気持ちを変えさせようと躍起になっていた。
自分が虐待される。ありすは虐待されることはないのだ。すべて自分に任せればいい。
まりさはこれを繰り返した。
対してありすも、意地を通し続けた。
これからはありすが虐待される。まりさは休んでいなさい。これが都会派の役割よ。
二匹の意見は、なかなか折り合いがつかなかった。

数日後、先に降りたのはまりさだった。
どんなに説明してもありすは聞いてくれない。まりさはそういう考えに落ち着いたのだろう。
そこで普通のお馬鹿なゆっくりなら、あまりの強情さに敵対に発展することだろう。
自分の主張が通らないことは、ゆっくりにとって耐えられないことだからである。
「なんでまりさのいうことをきいてくれないの? ばかなの? しぬの? まりさのいうことをきかないありすはゆっくりしね!!」
こうなるのが目に浮かぶようだ。
しかし、このまりさは頭が良かった。
何でありすは自分の言うことを聞いてくれないのと憤るのではなく、ありすの心意気をしっかりと受け取ってくれたのだ。
理解したのだ。ありすが本当に自分のことを考えてくれているのだと。
自分に感謝してくれているからこそ、まりさの代わりを務めているのだと。
まりさはその心意気に報いることにしたのである。

その日から、まりさとありすは急激に接近していった。
毎日、変わりばんこで虐待を受けることを決め、互いで負担を減らすことにした。
虐待されていない方は、お互いのことは気にせず徹底的に体を休めることに努める。
受けた虐待を、次に持ち越さないためである。
以前は負い目があってゆっくり出来ていなかったありすも、今では負い目もなく、虐待のない日は心身ともにゆっくりと過ごしているようだ。
まりさも同様である。
また、少ない会話時間は、まりさとありすの二匹が中心となっていった。
会話の種は、主に男の虐待についてである。
二匹の話によると、最近男は昔三匹が受けた虐待を繰り返しているらしい。
虐待のバリエーションが尽きてきたのだろうか?
しかし、そんなことはこちらには関係ない。というか、寧ろ好都合であった。
一度受けたということは、対策を立てられるということなのである。
そのため、まりさとありすは、毎日のように虐待対策を話し合った。

これこれこうすれば、あまり痛くないんじゃないかな?
明日はきっとこの虐待をしてくるわよ!!
そろそろ“はこ”を使ってくると思うよ!!
今日この虐待をしてきたわ!! 読み間違えたわね!!
ゆゆっ!! あの虐待は、こうするとあんまり痛くなかったよ!!

そこにれいむの入る隙間はなかった。
二匹の中が急接近したこともあって、微妙に除け者にされていると感じ、なかなか入って行けなかったのだ。
それに話は虐待関係についての事ばかり。
虐待を受けていないれいむには、心情的に入り辛い話だ。
それでも寂しくてなんとか会話に参加したこともある。
まりさもありすも、れいむを決して仲間外れにしたりはしない。
しかし、いつの間にかれいむ一匹が、置いてけぼりにされてしまうのだ。
二匹も悪気があってしているわけではないのだろう。
実際、れいむにも話を振ってくれている。
しかし、虐待関係の話を振られても、れいむには応えられることは限られているし、れいむも熱心に話している二匹に、水を差すことは出来ない。
れいむと違い、二匹には命の危険性があるのだ。我儘で話を変えるなんてことが出来るはずがない。
結果、れいむがいつのまにか零れ落ちてしまうのである。


れいむは焦っていた。
最初はありすとまりさが急接近してしまうことにだけ目が向いていた。
しかし、今ではもっと重大な局面に差し掛かっている。
れいむの存在そのものが揺らいでいるのだ。存在が希薄になっているのだ。
まりさとありすが接近すれば接近するほど、れいむの居場所がなくなってくるのだ。
しかし、れいむには分かっていた。自分の居場所を取り戻す方法を。
簡単である。


れいむも虐待されればいいのだ。


虐待されれば、れいむも二匹に負い目を感じる必要はなくなるのだ。
二匹と共にゆっくり会話に興じれるのだ。
居場所を取り戻すことが出来るのだ。

しかし、どんなに頭では分かっていても、やはりれいむには言えなかった。
一言男の前で「きょうはれいむをぎゃくたいしてね!!」と叫べばいいだけである。
先日、男は「そろそろれいむを虐待したいなあ」なんて言葉を口にしていた。
れいむが言えば、どんなにまりさとありすが反対しようと、男はれいむを虐待してくれるだろう。
存分に可愛がってくれるだろう。
それでも……れいむには言えなかった。


虐待は怖い


これがれいむの心を、体を縛っている。
今の状況はれいむにとって、辛く苦しかった。居場所のない自分が悲しかった。なんとしても変えたかった。
しかし、そのために虐待を受けるということが、どうしても出来ないのだ。
平穏に慣れすぎたれいむにとって、男の虐待はすでに死よりも恐ろしいものとなってしまっていたのである。


そんなれいむに転機が訪れたのは、その少し後であった。
れいむが虐待を受けなくなってちょうど一月が経過したころ、ありすがあることを口にした。
いや、ようやく口にしたと言うべきだろうか?
その日はありすが虐待される日であった。
いつも通り連れて行かれ、一時間が過ぎると部屋に戻された。
まりさがそんなありすに声をかける。対してありすも大丈夫だと、まりさとれいむを安心させる。これもいつも通りの様子である。
しかし、本来ならこの後ありすは体を回復させるために休息に入るのだが、その日ありすは中々寝ようとしなかった。
まりさが言葉をかけても、壁越しにモジモジしているのが、何となく感じられた。
それはしばらくの間続いた。
そして、ありすはようやく意を決意したのか、ありすが「まりさ!!!」とひと際大きな声で呼びかけた。

「ゆっ!! どうしたの、ありす!!」

疲れているというのに突然大声を出してくるありすに、驚くまりさ。

「まりさ!! まりさにきいてほしいことがあるの!!」
「ゆっ? な〜に、きいてほしいことって?」
「あ、ありすと!! ありすといつまでもゆっくり…………」

そこでありすの言葉はピタリと止まってしまった。
まりさはしばらく待ち続けたが、いつまでもありすが続けてこないので、不審に思ったのか、聞き返してきた。

「ありす? どうしたの、きゅうに?」
「……」
「ありす?」
「……」
「ありすってば!!」
「……まりさ、ごめんね!! やっぱりいまのことばはゆっくりわすれてちょうだい!!」
「ゆゆっ!! どういうこと、ありす!! なにをいおうとしたの? ゆっくりおしえてよ、ありす!!」
「やっぱりいまはいうときじゃないから、ゆっくりやめておくわ!!」
「ゆぅぅ……そんなこといわないでゆっくりせつめいしてよ!!」
「もっとゆうきがでたら、そのときいまのことばのつづきをいうわ!!」
「ゆうき?」
「ごめんなさいね、まりさ!! ぜんぜんとかいはらしくなかったわ!! いつかぜったいいうから!! ぜったい!! ぜったいっ!!」
「ゆぅぅ……ぜったいだよ!! やくそくしたからね!! よくわからないけど、いつかゆっくりせつめいしてね!!」
「ええ、ぜったいにいうわ!! ゆっくりやくそくよ!!」

そう言って、ありすは寝てしまった。
ありすが言おうとした言葉。
まりさには最後まで分からなかったようだが、れいむにははっきり理解できた。

“ありすといつまでもゆっくりしていってね!!”

これがありすが言おうとしていた言葉であろう。
ゆっくりしていってねと言っているが、言葉通りの意味ではない。
これはゆっくり社会で俗に言うプロポーズの言葉である。
ありすはまりさに告白をしようとして、結局途中で怖くなって言いそびれてしまったのだろう。
同じゆっくりを愛している者同士の勘だろうか? れいむには痛いほど気持ちが理解できた。
理解できた反面、れいむの焦りは頂点に達した。

まりさとありすが結婚する。
それは今以上にれいむの居場所を無くしてしまうことになってしまうからだ。
無論、ありすがしっかりプロポーズしたとしても、それをまりさが受けるとは限らない。
れいむの杞憂に終わるかもしれない。
しかし、追い詰められたれいむには、最早その可能性だけで充分であった。
なんとしてもまりさとありすの結婚を阻止しなければならなかった。自分の居場所を守るために。
そのためにはどうすればいいか?

まず真っ先に思いつくのが、ありすにプロポーズの言葉を言わせないことである。
言わせなければまりさが受けることもあり得ない。
しかし、どうすればありすに言わせないようにすることが出来るのかが、れいむには思いつかなかった。
ありすに告白するなと言っても、聞きはしないだろう。
逆に、なぜそんなことを聞くのかを問い詰められ、れいむの思慕をありすに知られる恐れがある。
そうなれば、ありすはれいむに負けじと早々にプロポーズをしてしまうかも知れない。本末転倒である。
絶対ありすに、れいむの気持ちを知られることがあってはならない。

ならば、ありすの評判を下げるのはどうだろう?
ありすが虐待されている間や、寝ている間を見計らって、まりさにありすのあることないことを焚きつけて、ありすの評価を下落させる。
……却下。問題外である。
まりさは馬鹿ではない。そんなことをしても、決して信じることはないだろう。
逆にそんな嘘を付いてくるれいむの評価を落とすことになりかねない。
唯でさえ存在が薄くなっているのに、まりさに見捨てられてしまったら、れいむにはこの先生きている意味すら持てなくなってしまう。
それにこの案は、そもそもれいむ自身も気に入らない。
ハッキリ言って、れいむのやろうとしていることは、ありすに対する裏切りに近い行為である。
しかし、それでいてなお、れいむはありすとの友情を捨てきれていなかった。
調子のいいこととは理解しつつも、ありすと親友でいたかった。
ありすの悪口を陰口するなどしたくはなかったのだ。

ならば、最後はこれしか考えられない。
れいむは自分がまりさを好きなことを、ありすに教えていない。これはある意味アドバンテージだ。
更に言えば、ありすはれいむよりまりさに近い位置にいる。れいむに危機意識の欠片すら抱いていないだろう。
だから……


ありすがプロポーズする前に、れいむがまりさにプロポーズをする!!!


ありすのあの調子からするに、明日明後日にでも、すぐにプロポーズしてくることはないだろう。
ならば、先にれいむがまりさに告白し、まりさが受けてくれれば安泰どころか、愛するまりさと一緒になれて、一石二鳥にも三鳥にもなりえるのだ。
無論、ありすより先に告白したとしても、まりさがれいむのプロポーズに答えてくれるとは限らない。
限らないが、ありすのプロポーズを阻止できない以上、この手しか残されていなかった。
始めて出会った時こそ、まりさとの結婚など1%の可能性もない妄想にすぎなかったが、2か月近くをいっしょに過ごしたれいむなら、まんざら可能性のない話ではないだろう。
どうせこのまま何もしないでいても、何も変わらないか、ありすに取られてしまうかのどちらかだ。
それにありすがいつプロポーズをするか分からない以上、考えている時間もあまりない。
れいむが、一生に一度の決意を固めた瞬間であった。

とは言え、今のれいむとまりさとでは、あまりにもつり合いが取れていなかった。
まりさは二日に一度虐待されているのに対し、れいむはその恩恵をただただ甘受しているニート生活。
れいむもまりさと同じ舞台に上がる必要があった。
怖かった。とてつもなく怖かった。
しかし、れいむに道は残されていない。
れいむは、ようやく虐待を受ける覚悟を決めた。



その6

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最終更新:2022年06月03日 21:51