「ゆかりん!ありすと一緒にすぐに子どもや弱いゆっくりを集めて避難してね!
まりさ!言ったとおり群の力自慢は集めてあるね?
れいむ達はここでお姉さんを食い止めるよ!!」

れいむがその体躯の大きさと老体に似合わない鋭い声で指示を飛ばした。
「わかったよ長れいむ!すぐに戻るからね!」
それを聞いたまりさはすぐに控えさせていた戦闘員ゆっくり達を呼びに走った。
「ゆ、長れいむ!ゆかりんも戦うよ!
美しくゆっくりしたゆかりんの戦いをみせてあげるからね!」
れいむの指示を聞いてゆかりんはいやいやと首を振りリグルを睨み付けて戦う意思を見せた。
「駄目だよ!」
ピシャリ、とゆかりんに対してれいむは言い放つ。
「今は群のみんなを少しでも助けることを考えてね!
もしれいむに何かあったら……その時はゆかりんがみんなのリーダーになってね!」
「ゆ……わかったよ……長れいむ……でも最後のお願いだけは聞けないよ!だから絶対生き延びてね!」
そう言ってきびすを返してゆかりんは他のゆっくり達に指示を出しながら群の避難を開始した。

「お話は終わった?」
そんな二匹を見下ろして鼻で笑いながら尋ねた。
「うん、律儀にゆっくり待っててくれてありがとうね
ここで、お姉さんとれいむの決着をつけるよ」
不敵に笑いながら長れいむは振り返ると、真剣なまなざしでリグルを睨みつけた。
リグルは困ったように首を傾げる。
「なんだか遭った時から随分と嫌われてるみたいね
これから嫌われるつもりだったんだけど」
そう言って頭を掻きながら不思議そうにれいむを見回した。

「お姉さんは覚えて無いんだね……
人間さんにしては物覚えが悪いの?
それとも冬を二十回越えるくらい前のことなんて忘れちゃうものなの?
れいむは一度も忘れたことは無いよ、お姉さんにみんなを殺されたときのことは」
憎憎しげに顔を歪め、長れいむはずっと溜め込んでいた憎まれ口を吐き出した。

「二十年前?ゆっくりなのに随分と長生きなのね、妖怪にでもなる気?
それともご先祖様から伝え聞いた話とか?」
リグルは口に手を当てて目を見開いて驚いた。
ご先祖様という言葉を聴いて、れいむはふるふると頭を左右に振る。
「ううん、関係あるのはせいぜいれいむのお母さんくらいだよ
れいむがここまで生きてこれたのは、れいむのことをみんなが支えてくれたから
それと多分れいむの持つお姉さんへの執念だよ」
リグルはどこでれいむと出逢ったのかを記憶の中から探り出そうと、腕を組みながらうんうん唸りながら考え始めた。
「二十年前……っていうと……
うーん、私が色々やり始めた頃だから……ああ、まさかあの時の!」
リグルはれいむの群を全滅させた時のことを思い出したのかぽんと手を打って納得してれいむのことを指差した。

「随分とまあ大きくなって……」
リグルは感慨深そうにれいむの体を見上げて呟いた。
「あの時は恩を仇で返されたとはいえ随分と大人げ無いことしちゃったと思ってるよ
ごめんなさい、悪かったわね」
リグルはすまなそうにれいむに対して頭を下げた。

そんな様子にほだされることなくれいむは油断せずに見つめる。
「いいよ別に謝らなくても
どっちにしろお姉さんはれいむの仲間をまた殺すつもりなんでしょ?」
憎々しげにれいむは言い放つ。

リグルは背を丸めて俯いて肩を震わした。
遂に堪えきれずにニヤリと笑った。
そして胸を張って、口許を吊り上げて実に妖怪らしい憎たらしい顔で言う。
「もちろん、謝ったのは妖怪の私がわざわざゆっくり相手に直接手を下してしまったことに対してよ
これからあなた達は私の育て上げた自慢の蟲達に食い尽くされるんだから!
弱肉強食ピラミッドから一団転げ落ちる屈辱を味わうといいわ!」

リグルが両手を片手を斜め下に振るうと、そこら中から
蝶が、蟷螂が、蟋蟀が、蜘蛛が、飛蝗が、百足が、蚯蚓が、蛞蝓が、蜻蛉が
ここで幻想郷虫博物館でも開かれるのかというくらい様々な蟲達が湧いて出たかのように現れる。

「そんなことはさせないよ!群のみんなはれいむ達が守るんだからね!!」
れいむが力強く咆えて、頬を膨らまして威嚇する。

「おさー!みんなをつれてきたよ!」
そんなれいむの後ろから、戦闘訓練を受けたゆっくり達を側近のまりさが連れて走ってくる。
その声を聞くとすぐさまれいむは命令を下した。
「ゆ!すぐに第一種戦闘配備してね!目標はそこに居る虫さん達だよ!!」
「りょうかい!そういんだいいっしゅせんとーはいび!!もくひょうぜんぽうのむしさんたち!!」
「ゆー!ゆえっさー!!」
ゆっくり達は指示を受けて一列に並ぶと前方に飛び交う蟲達を見据えた。

「総員とぉつげきー!!」
「さあ行け!私のかわいい仲間達!!」
大きく口を開いたゆっくりと拳を握る妖怪。
一人と一匹の掛け声と共に
蟲とゆっくりの死闘の火蓋が切って落とされた。




戦いが始まってから三十分ほどで
二種族の決戦は、非常に一方的な形で進んでいた。

「何で……どうしてなの!?」
敗北を悟り敗軍の将は狼狽し取り乱し無様な姿を晒していた。

「どうして……どうして私の蟲達がゆっくりなんかに!?」
勝負は、ゆっくり達による勝利で幕を閉じようとしていた。

力の差は歴然であった。
確かな兵站と経験に裏付けられたゆっくり達にとって
箱詰めの世界の中だけで勝利してきた蟲達など物の数ではなかったのだ。

リグルは箱の中で行った蟲とゆっくりとの一対一での勝利に大層な自信を持っていた。

しかしそんなものに何の価値があるのか。
連携は愚か、蟲として本来ならできるはずの地形の利用もろくに出来ない。
緑の草の上を飛びゆっくりに一直線に向かっていく枯葉色の蟷螂のなんと滑稽なことか。
所詮、箱の中で鍛えた蟲達は箱の中でしか戦えない烏合の衆だった。
確かにこの蟲達の身体能力は飛躍的に向上している。
しかし本来味方になるはずの木や草や石や土から、この蟲達は離れて生きた時間が余りにも多すぎた。

蟲達を贔屓目で見ていたリグルから見ても明らかに蟲達の動きは悪い。
周りの環境に対してろくに対応が出来ずにゆっくり達の連携を受けて次々と潰されていく。

箱の中のゆっくりと戦い、箱の中で生まれ育ったゆっくりを食べる。
どれだけ大地に足をつけて居てもそれではこの大地で生きる力など手に入るはずも無い。
それはこのゆっくり達のように野生の中で知恵を振り絞り
自然を相手に時に協力し合い、時に奪い、時に奪われ、時になすすべも無く蹂躙されるなかで身に付けていくものだ。


箱入り娘は所詮箱入り娘だった。


この前線に来て戦っているゆっくり達はれいむの指示により非常時に対応するために
ゆっくりまりさ、ゆっくりようむをリーダーと副リーダーに据え戦闘訓練を施され
捕食種のゆっくりれみりゃやふらん
場合によっては自らの欲望を満たすためだけに非道を尽くす人間などに対して
対抗するために作られたチームである。

無論、人間を相手にする場合は群のほかのゆっくりを逃がすので精一杯だが
れみりゃに対しては部隊に犠牲を出しつつも確実に撃退する程鍛錬されており
それでも単身での戦いしか知らないリグルの育て上げた蟲達に比べれば雲泥の差がある。

「ゆんふぁあ!!」
れいむの気合と共にその巨大な肉体に喰らい付いて頭を埋めていた蟲達が
頭ごとその肉の圧力で潰されてグチャグチャと音を立てると、地面にぼとぼとと落ちて首の無い躯を晒した。
れいむの体の何十個もの蟲達の頭が埋まった跡から餡子の汁が零れ落ちる。
その光景から、蟲とゆっくりの圧倒的力の差を感じ取りリグルは怯えを顔に浮かべて後ずさった。

「どうしたのお姉さん……せっかく来たんだからもっとゆっくりしていってね!!」
れいむはそんなリグルを見て不敵に笑った。
痛くないはずは無い、苦しくないはずは無い。
それでもれいむは心の底から笑った。
雄々しく、ゆっくりした姿がそこにあった。
それを見てリグルは完全に打ちのめされて大地に膝を付いた。

「嘘だ……私の蟲達が……仲間が……こんな……」
茫然自失でリグルはれいむを見上げて呟く。
蟲がゆっくりに勝てるようになるまで何度も何度もゆっくりに勝てる方法を考えてやっとそれが成ったと思ったのに。


「……!おかくごみょん!」
力なく大地に膝を付いて独り言を漏らすリグルを見たゆっくりようむは
風船の様に空気を思い切り吸い込んでから、口に咥えていた多少鋭利な木の枝を振りかざして跳躍した。
跳躍した先はリグルの頭上わずか数センチの死角。
そこから瞳めがけて木の枝を振り下ろそうとようむは体を力いっぱい捻った。

リグルは突然視界を埋め尽くしたようむに驚いて仰け反った。
妖怪の反応の速さが目玉に木の枝が触れていたであろうところを瞼の皮が一枚、切れただけで済んだ。
しかしバランスを崩してそのまま後ろに力なく倒れこんだ。
頬がひんやりとした地面に触れて体温を、そしてここまでやってきた情熱を奪われていく。
目も覆いたくなるような惨敗にもはや立ち上がる気力さえ失って呆然と地べたからその光景を見た。

もとより特に指示など出さずに蟲達の好きに戦わせていたのだが
それでも蟲達はそのことに気が付いて狼狽したかのように一瞬動きを止めた。
そこからは本当に一気に崩れた。
「もういいから……逃げなよみんな、お願い一人にして……」
力なくリグルがそう言うと蟲達は躊躇しながらも少しずつ後退していった。
流石に逃げ足となるとゆっくりなんかには追いつかれない。

瞬く間にリグルはたった一人でゆっくりに取り囲まれた。
「ここまでだよお姉さん!!」
立ち尽くすリグルの前に、体中傷だらけになったれいむが立ちふさがった。
「ああ、うん」
勝ち誇り、仲間達を今度こそ護れた感慨を噛み締めながられいむが言った。
そして今こそ二十年前の仲間達の仇を取るためにれいむは厳かに一歩進んだ。
別に大した危険は無いが、意気消沈のリグルは言われるがままに力なく頷いた。
何か反論の類をする気力なんて残って居なかった。
れいむはゆっくりと歩み寄り、そしてはじけるように飛び出してリグルにブチかました。
力を抜いて全身を弛緩させていたリグルはまるで蹴鞠のようにぽぉんと宙に放り上げられてから
ドサリと鈍い音を立てて地面に落ちた。
あまりのあっけなさにれいむは吹っ飛んでいったリグルに近づいて訝しげにその姿を見下ろした。
「や、やったの……?」
今にも以前仲間達を皆殺しにされたあの攻撃が飛んでくるのではないかと警戒しながらごくりと息を呑んだ。
リグルはピクリとも動かない。
リグルは絶対に勝てるという自信を打ち砕かれてすっかり打ちひしがれて死にたいとでも呟きたい気分でじっとしていた。
指一本動かす気力が無かった。
「ゆっ!ゆっ!」
念には念をとれいむがその巨体をリグルの上に乗せて何度も何度も飛び跳ねて踏み潰した。
それでもリグルは動かない。
まあ妖怪にとってこの程度別にそれほどのダメージでも無い。
というかダメージは皆無だ。
それでも地面に押し付けられ転がされて体に汚れはしこたまこびり付いた。
「やった……やったよ……げぶっ」
流石に死んだと確信してれいむはこれまでの永い一生に思いを馳せた。
思えばあの虐殺の日、あの時のことが全ての契機だった。
最初の数年はただただ復讐のために群々を渡り歩いた。
あのお姉さんへの復讐を果たすという執念が、孤独なれいむを支えていた。
それが今のもう二度と仲間を失いたくない、護りたいというものに代るのはいつからだったか。
群々を渡り歩いている内にゆっくり同士の絆に何度も触れた。
その度に殺されてしまったあの仲間達のことを思い出した。
その度に仲間達と楽しく過ごしていた日々を思い出した。
その度にあの日と同じ涙を流した。
そして気付いた。
れいむが本当に求めていたのは奪われた絆だったこと。
そしてれいむは新たな絆を手に入れた。
そしてもう二度とこの絆を失いたくないと願った。
それがれいむの命をずっと支えてきた。
限界はとっくのとうに過ぎ去っていた。
れいむはリグルを撃退したことを確認すると、力尽きて倒れこんだ。
慌てて周りのゆっくり達が駆け寄り治療をしようとするが、もうどんな処置も手遅れだった。
れいむはみんなが集まったのを確認すると、心から満足げな表情を浮かべて言った。
「……みんないままでありがとう、れいむはみんなのおかげでたくさんゆっくりできたよ
……だからみんなも、いっぱい、いっぱい、い?っぱい

ゆっくりしていってね!」
声も出せないくらい消耗しているはずなのに、力強くおおらかにれいむは言った。
それが後に伝説の長れいむとゆっくりの間で呼ばれるれいむの最後の言葉だった。




一方のりぐるはれいむに思いっきり吹き飛ばされてもう何もする気力も沸かずに森の隅で大の字になって空を眺めていた。
「うぅぅうううぅううぅうぅう…………!」
出るのは悔し涙と蟲達に対する申し訳ない気持ちばかり。
慰めるように蟲達がリグルの周りに集まっていた。
「ごめん……ごめん……!」
そう言ってリグルは何度も蟲達に謝った。

蟲達は動かずに複眼でじっとリグルを見つめるのみ。
「……ごめん……みんなごめんなさい……!」
リグルもほかに言うべき言葉が見つからずにただただ謝り続ける。
それでも蟲達は動かない。
日が暮れても何一つ状況は変わらずそれは続いた。
リグルは段々と蟲達が何故ずっとこんなことをしているのか、まるでわからなかった。
蟲達の気持ちがわからないなんてリグルにとって妖怪になってから初めてのことだった。
急に不安が押し寄せる。
リグルは体を起こして蟲達を見つめた。
「ねえ、私どうすればいいのみんな?ごめんなさい、ごめんなさい……!
ねえみんな何か応えてよぉ……!」
リグルは訳がわからなくなった。
なんとか蟲達と通じ合おうと何度も何度も謝る、問いただす、答えを請う。
それでも蟲達はじっとリグルを見つめているだけだった。
「どうしてみんなのことがわからないの!?ねえ!何か言ってよ!わからないよぉ!」
怖くて怖くて仕方が無かった。
今までこんな風に面と向かっても蟲と心が通じない、蟲達のことがわからないなんてことは無かった。
自分が蟲達から見捨てられてしまったようで気が狂いそうだった。
恐怖が、怯えがリグルの中に満ちてくる。
月明かりだけが辺りを照らしていた。
「うわあああああああああ……!うぅぅうう……!」
ついに堪えきれずリグルは膝を抱えて泣き出してしまった。
わんわんわんわん涙が枯れるまで泣いた。

疲れ果てるほど泣いてリグルは少し冷静になった。
泣き腫らして、頭を上げる。
やっぱり蟲達はじっとリグルを見つめていた。
何かを待っているのだろうか。
何をだろうか。
今のリグルには全然わからなかった。

深呼吸をして気を落ち着けてからリグルはもう一度蟲達に問いかけた。
「みんな、何を待ってるの?」
リグルは蟲達の姿をじっくりと見た。
そして彼らの複眼に写るものを見てはたと気付く。
当たり前のことだったが、彼らが何かを待って見続けているのはリグルだ。
蟲達はリグルに一体何を待っているのだろうか。
身に覚えは無いかとリグルは考えた。
無いわけが無かった。

やっとリグルにも生き残った蟲達が何を言いたいのかがわかった。

『まだ俺たちは戦える、だから次はどうすればいいか言ってくれ』
敗北を認めて、もう戦う意思を捨ててしまっていたからわからなかった。
戦う意思を捨てたものに、戦おうとせんものの気持ちがわかるはずもなかった。
リグルはなんて頼もしい仲間達なんだと感嘆して枯れ果てたと思いこんでいた涙をまた流した。
そうだ、涙だってまだ絞ればいくらでも出てくる。
戦う力だって搾り出せばきっとまだ出てくる。


この戦いの言いだしっぺの自分が真っ先に尻尾を巻いて逃げ出すの?ふざけるのもいい加減にして。


「ごめん……はもういいよね、また頑張ろうみんな……!」

蟲達はリグルの言葉に頷くように羽を、顎を、足を、力強く打ち鳴らした。








リグルは長い間蟲達を育ててきた小屋を破棄して魔法の森のある場所へと降り立った。
ずっと昔ゆっくりに教えてもらった、あの誰が見ても素晴らしく
そして誰から見ても特に住処にするほどのメリットは無かった場所へとだ。
何故ここを選んだのかというとまず一つに
この場所でゆっくり達に多くの蟲達が喰われた苦い思い出があること。
先の大敗を戒める意味でそんな苦い記憶のあるこの場所に住もうと思った。

そして今、蟲達にはここに住むメリットがあった。
「ここを住処に牙城を築いて少しずつ力を蓄えてゆっくり達と戦いながら勢力を広げてそしてゆっくり達に打ち勝つ!」
それを言い切ってからふと思い口から漏らす。
「まあ前とそんなに変わらないわね」
これからゆっくりと戦うための拠点として、ゆっくり達が多く住む魔法の森の真っ只中でありながら
殆どゆっくりの住んでいないその場所はうってつけだった。
それまで蟲も殆ど住んでいなかったことから居住するにはそれなりの苦労があるだろうが
その苦労も蟲達を強くしてくれるはずとリグルは考えた。

一応、この場所がまたばれてまた一網打尽にされないよう、本当に簡単で初歩的な人除けの結界を張った。
運が良いことに前に張ってあった虫除けの結界の残骸が調度良く残って居た。
まるで誰かが手入れでもしたのではと思うほど状態は良かった。
それをほんの少しだけ弄り侵入者を訪れにくくする結界に変えた。
本当に簡単で初歩的な、ちょっとその場所の影が薄くなる程度のささやかな結界。
とはいってもそんなものでもリグルにとっては知恵熱が出るほど頭を回す必要があったが。


「ただしこれからはもう小屋とか箱は無し
森の中で好き勝手に住んでもらうわよ
この点は前より大変かな」
これは先の戦いでの様子から考えて箱の中でいくら力をつけても実戦で役に立たなかった反省からそうすることにした。
より厳しく、より実戦に則した力を得ることを目指してのことだ。
「でもあなたたちなら大丈夫よね
だって私と違ってここまで一度も折れなかったもの」
そうしてリグルは本当に誇らしげに胸を張った。
前途は多難だが元々は自然の中に生きていた蟲達だ、絶対になんとかなるとリグルは信じていた。

「あーあ、長生きして妖怪になんかなるもんじゃないな
ただの蛍やってたときの方がよっぽど一生懸命生きてたわ」
リグルが頭をボリボリと掻くと少し触覚が揺れた。
そして周りの蟲達を見回して少しまぶしそうに目を細めて笑った。



こうして、蟲達とゆっくりの永夜緩居を巡る物語に必要な舞台は揃った。
誰かが草木のスキマからそれを見て笑っていたが誰一人気付くことは無かった。


リグル達が未だ名も無き魔法の森の奥にある小さな平原
後の永夜緩居に住み始め何度か冬を越えるとまた蟲達は数を減らした。
繁殖を早めるために小屋の中でぬくぬくと冬を越してきていた蟲達に初めてまともに迎える冬の寒さは
ゆっくり以上に暴力的で恐ろしい相手だった。


そしてそれまで殆ど蟲も他の生き物もいなかったことから分かるとおり
この平原に肉食の蟲が食べられる餌は殆ど無い。
辛うじて食べられなくもない草があるだけ、それだって栄養価は低い。
だから、お互いを喰らい合って飢えを凌いだ。
そのことには異論は無かった。
元より自然の中ではそうして蟲同士凌ぎを削って生きているのだ。
喰うために切磋琢磨し喰われないために知恵を絞る。
そうあることが自然なのだ。

多くの蟲達がこの冬を越せずに死んでいったことでリグルは歯噛みし
自分のそれまでの方針が間違っていたということを痛感した。


そんな間もリグルは働いた。
まず最初に手をつけたのは環境整備だった。
花もろくに咲いていないこの場所では蝶や花の蜜を食べて生きる蟲達は生きていけない。
なので真っ先に花を植えることから始めた。
種は知り合いの花好きから貰った。

貰ってきたのは段階分けされた強さの毒性を持つ花の種。
最初は弱い毒を持つ花から、段々と強い毒を持つ花へと植え替えていく。
蝶達は冬を越えるにつれて、毒への耐性と毒性を持つ鱗粉を得た。
やがて、いっぱしの毒蛾並に
そしてそんな毒蛾も裸足で逃げ出すくらいの強い毒を蝶達は持つようになっていく。

他の蟲達はというと、様々である。

蟷螂達は、他の蟲達を相手に狩りの何たるかを学びなおしていった。
蟷螂にとっての狩とは何よりも息を潜めて待つことである。
自ら攻めれば逃げられ、追う様はそのまま隙になる。
蟷螂達は待つことをもう一度一から学んでいった。
待つことにおいてもっとも重要なのは相手に悟られないことである。
悟られれば待つことによる優位性は失われる。
だから蟷螂達はより待つのに必要な体を望み姿を変えていった。
地面に積もる枯葉のように、野原に咲く花のように、生い茂る草のように
それぞれの領域に適した擬態を手に入れていった。

百足の武器はその毒だ。
だからより強い毒と、それを相手に撃ち込める強いアギトを求めた。
そのために、堅い殻を持つ獲物に喰らい付き
毒のある獲物を見つけてはその毒ごと相手を喰らいその毒を手に入れようとした。
力ない百足は次々と顎を砕かれ、毒に悶えて死んでいった。
そんな中で生き残っていった百足達は段々と求めた力を手に入れていった。

蜘蛛は強靭な糸を欲した。
それもゆっくりを捕らえられるほど強靭な糸だ。
だが糸自体を鍛える方法などそうない。
だから蜘蛛は他の部分を工夫した。
相手が暴れずらい地形を探して巣を作り
暴れられても崩れない糸の接着場所を見つけ
逃れがたい糸の編み方を黙々と試行錯誤していきそして獲物を待った。
やがて蜘蛛達は一度捕らえれば小鳥の羽ばたきさえ許さない強靭な巣を作り上げた。

イナゴはただただ貪欲であることを願った。
それがゆっくりを喰らい尽くすと信じてより貪欲に生きた。
餌に目掛けて一斉に飛び交い喰らい尽くす。
より貪欲に満足することを覚えず喰らう。
そんな行動から周りと敵対して排除されてもなお喰らう。
より貪欲に餓えに餓えた。


やがて、リグルの尽力もありその平原に蟲達が生きていくための生態系が出来上がっていった。
それも、ゆっくりを殺すための生態系が。


何度も何度も冬を越えながら今度こそ蟲達は役に立つ力を蓄えられた。
「そろそろ頃合かな」
蟲達が自然の中でまともに生きられるようになってから幾許の時が過ぎたある日
リグルは空を見上げた。
雲一つ無い綺麗な夜空だった。
その夜空にリグルは飛び立った。

空の上から森を見渡した。
夜の森は黒く、飲み込まれてしまうのではないかという妄想が脳裏を過ぎる。
そんな森の一箇所に丸い丸い小さな平原が一箇所ある。
それは人間にとっては本当に小さな、蟲やゆっくりにとってはそれなりの広さの場所だ。
まるでその平原は大きな妖怪の目玉の様だった。

リグルは適当に目星をつけると森の中に吸い込まれるかのように森に降り立っていった。

暗い森の中をふらふらと歩く。
夜目は非常に効くので歩くのには全く問題は無い。
むしろ日中よりも散歩にはちょうどいいくらいだった。

リグルは一本の木の根元に不自然に草がかぶせられた場所を見つけると
そっと草を退けた。
中にはすやすやと眠るゆっくりの一家が居た。
リグルは起こさないようにそのゆっくり達をそっと手にとって抱え込んだ。
「……ゅ、おねえさんだれ……?」
流石に一匹のゆっくりが目を覚まし寝ぼけ眼でリグルの顔を見た。
それに気付くとリグルは急いで空へと飛び立った。

「……ゆ?すごいよ?おそらをとんでるみたい?……」
そのゆっくりはまだ夢の中に居ると勘違いしたのか暢気にそんなことを呟いてまた目を閉じた。
空を飛べばあの平原まで行くのは物の五分とかからなかった。

平原に着くと、腕に抱えていたそのゆっくりの一家をぽいと放した。
地面に落ちたゆっくり達はやっと目を覚ますかと思いきや、地面に落ちて二三度瞬きをするとまた寝始めた。
仕方ないのでリグルがたっぷり照らしてやると
明るさに目をぎゅっと瞑ったと思うと、やっと目を覚まして辺りを見回してから尋ねた。
「ゆ?おねえさんだぁれ?ゆっくりできるひと?」
リグルは顎に手を当てて夜空を見ながら少し考えてから言った。
「そうね、強いて言うならゆっくりのライバルかしら」
「ゆ?らいばる……?」
「なにちょれ、ゆっくちできるの?」
ゆっくりの一家は意味が分からず口々に疑問を漏らした。
「喰うか喰われるかの仲ってことよ」
そう告げてリグルはパン、と胸の前で手を叩いた。
その一家がけたたましく鳴り始めた無数の羽音で
既に周りを何かに包囲されてるのに気付いた時には
既に一家全員が全身を蟲達に齧られていた。
「ゆ゛ぐぶべぇ!?」
「ゅっく゛ぢ!?」
二匹のゆっくりは瞬く間に蟲達に埋もれて食い尽くされていった。
「な゛にがおごっだのおおおお!?」
唯一、まともに形が残っていたゆっくりの悲鳴は夜の闇に吸い込まれていった。


「再起後一発目としてはこんなもんかな
まあこの数の差じゃ流石に何の参考にもならないけど」
事が終わってリグルは腕を組んで頷いてみたものの
やはり前途は多難だと感じ空を見上げて嘆息した。

それなりに蟲達の力もついたと思ったので野生のゆっくり相手の実戦を盛り込んでいこうと思い
試しにゆっくりを攫って見たものの問題点は山ほど見えた。
この手段で毎回集めるのは正直効率が悪い。
かといってまだ万全とは言いがたい状態で派手なことをして
この場所が特定されてゆっくりに攻め入られでもするのは避けたい。
他に拠点に出来るような場所は早々無いのだ。
「まあ頑張るしかないか」
肩を落としてリグルはその場に胡坐をかくと、うんうんと唸りながら考え事を始めた。

いい方法が思いつかない間はリグルが額の汗を拭いながら
夜な夜な森からゆっくりを攫ってくることになった。
明らかに数は足りないがそれでも無いよりはマシだ。
他に蟲達が相手にしたのはごく稀に平原に迷い込んだゆっくりくらいだった。
そんなゆっくりは本当に骨があって強敵だった。
何せこの平原の周りはゆっくりにとってはかなり険しい道のりだ。
それを超えてやってくるゆっくりの強さは言わずもがなだ。

リグルは迷い込むゆっくりが増えてくれればいいのにとぼやいた。
妙案が思いつかずに思わず呻いたに過ぎなかったのだが
不思議なことにいつからか本当にそんなゆっくりが増え始めた。

理由はわからないがゆっくり達は希望に目を輝かせてその平原へとやってきた。
とりあえず蟲達は自らの生息地域にやってきたゆっくり達に襲い掛かった。
数匹単位で頻繁にやってくるそれらのゆっくりとの戦いはいい経験となった。
そんなことを続けているうちに蟲達はゆっくりとの戦い方を学びより強くなっていった。

しかしリグルは疑問だった。
一応、拙く弱弱しいとは言えど人除けの結界があるのだからそれなりに目星をつけてわざわざここを目指さない限り
そうそうポンポンと訪れることなど無いはずなのだが。
だからある時、やってきたゆっくりに直接聞いてみた。

「あなた達なんでわざわざこんなとこにまで大変な思いして来るの?
この先に何かあるの?」
蟲達に仲間を皆殺しにされ、本人もところどころ傷を負わされたれいむは焦燥しきった顔で言った。

「ここは……ゆるいのはずなのに……たしかに……みんなでいっぱいさがしてやっとみつけたのに……
なのにどぼぢでこんな……ごんなああああああああ!!」

仲間のことを思い出したのか最後のほうは泣き出した。
リグルは今にも狂いだしそうな壮絶な表情を浮かべるゆっくりを尻目に
口に指を当てながら聞きなれない単語のことを考えた。
「ゆるい……?何それ?ここがそうなの?
そのゆるいっていうのを目指してあなた達はやってきてる訳なの?」
リグルは訝しげに思いながらもそのゆっくりに尋ねた。
「ゆるいにぐればみんなでゆっぐりでぎるはずだっだのにいいいいいいいい!!
どぼぢでえええええ!!ゆあああああああああ!!ゆあああああああああ!!」
一応返答にはなっているものの
仲間を失った悲しみに囚われ取り乱すこのゆっくりとはもう会話にはなりそうになかった。
それを見て残念そうに横に首を振りながらリグルは言った。

「教えてくれてありがとう
お礼をしてあげたいけど逃がすつもりもないから
月並みだけどせめて苦しまないようにサクっと死なせて上げる」

するとどこからとも無く蟲達は集まってきてゆっくりの周りを埋め尽くした。
もうそんなことを意に介す理性も残ってないのかそのゆっくりは淀みなく、変わることなく最後まで
どうして、どうしてと泣き叫んでいた。



「つまりあなた達は永夜緩居って楽園……みたいなとこを目指してたら
何故か私達の巣にやって来ちゃった訳ね?」
このゆっくりの言ったことが気になったリグルは
またやってきた別のゆっくりにこのことを尋ねてやっと事態の大体の概要を知った。

「ぞうなんでずうううう!!な゛に゛がのま゛ぢがいでごごに゛ぎぢゃっだだげなんでずうううう!!
だがらぁ!だがら゛ゆ゛るぢでぐだぢゃいいいいいい!!」
憐れっぽくそのゆっくりはリグルの足にすがり付いて懇願した。
「嫌だな、私達は勝手に入ってきたことを怒ってなんてないわよ」
「……!?じゃあれいむをたすけ」
「獲物は大歓迎」
「ゆぎゃああああああああああああ!?」

『魔法の森の奥深くに
 おいしい花が美しく咲き乱れ
 太陽は燦燦と降り注ぎ
 小川はその光を照り返してやさしくせせらぐ
 緑に溢れ夜もやさしい空気が安らかな眠りに誘う
 そこには争う者はおらず誰であろうともゆっくりできる
 そんなゆっくりプレイスがあるという
 その場所の名は
 何度夜が来てもずっとゆっくりしていられる
 という意味を込めて
 永夜緩居(えいやゆるい)
 と呼ばれていた』

リグルがゆっくり達から聞いた話をまとめると大体こんな感じである。
そしてゆっくり達は何故かこの平原をその永夜緩居だと信じてやってくるのだった。

「理由はよくわからないけど、所謂飛んで火に居る夏の……この表現はなんだか癪ね」

何故こうなったのかは気になるところであった。
何かの罠か、それとも本当に噂に尾ひれがついただけの単なる勘違いなのか
それとも誰かの利害の為にここが利用されているのか。
判断は付け難かった。
とにかく楽観せず、舐めてかかるのだけはやめようとリグルは考える。
現状ではこちらにプラスに働いているのでリグルは急がずにじっくり調べていこうと決めた。

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最終更新:2022年05月18日 22:51