「しかし随分と時間をおかけになりましたね
紫様のお力をもってすればゆっくりと饅頭の境界をいじって全滅させることなど簡単でしょうに」
そうぼやく藍に紫はぺしりと扇子を振り下ろした。
「馬鹿ね、境界をいじってゆっくりが饅頭になるってことは
逆に言えば何かの弾みで饅頭が境界を越えてゆっくりになりかねないってことよ
そんなのは一時凌ぎ、根本的な解決にはならないわ」
「そういうものですか?」
「大体道端にただの饅頭がころがってるのなんて美しくないのよ」
「まあ美しくないというか、シュールでしょうね
道端は愚か森の中に大量に落ちている饅頭というのは」
納得行った様な行かないような微妙な表情を浮かべながら藍は相槌を打った。
「いっそ饅頭自体を全滅させようにもああいう食いしん坊が居る限りはなくなったりしないでしょうしね」
そう言って八雲紫は横でおいしそうにゆっくりを頬張っている西行寺幽々子をちらりと見た。
それを見て幽々子は軽やかに笑みを返し、紫もそれに応え笑った。
そして溜息をついて再び藍に向き直った。
「今回はそこまで急を要する自体ではなかったから一時凌ぎに頼らずに一番被害を被ってる子達の自主性を尊重したのよ

私がやる事といえば、蟲達の在り方の境界を少しだけ曖昧にしてあげるだけでよかったわ
その境界が曖昧になれば後はあの子達の執念、費やした命、願望にタガの外れた境界が歪められて行ってその内に望む方向へと姿を変えていくわ
つまり蟲達が望み想い焦がれていた在り方
あの夜蛍みたいに言うとゆっくりに負けない蟲にね

後は事を成すまで他の子が邪魔しないようにあなたに見張らせておいて
それからちょっとしたお膳立てと隠蔽工作だけで済んだでしょ?」

境界を弄って曖昧な状態にしても通常それだけでは大きな影響は起こりえない。
しかし、境界を弄られた対象の中に変わりたい、という強い意志が存在していたのならば話は別だ。
それはまるでたっぷり水の溜まったダムに小さな穴を開けるがごとく、中の水がダムを壊して勝手に流れていく。

逆に、あふれ出ている水を全て一箇所に集めてダムにしてその維持も行うというのは想像を絶する手間がかかる。
またいつどこからか湧き水が出てくるとも限らないし
ダムは決壊というリスクを常に持っている。
無理に作った急ごしらえのダムならばそれこそ決壊は必然と言ってもいい。

「そうして乱れた境界は、巫女に異変として解決されることによりケジメを付けられて再び境界のある状態へと戻るわ」
紫はそう言って扇子を畳んだ。

異変を解決する、とはつまり通常とは異なる変化にそこでケリをつけるということ。
異変により現れた変化は巫女の与えたケジメを得て、幻想郷の中でその時その場その世界に適した形に収まっていく。
それが、博麗の巫女が幻想郷を維持するために持っている力の一つだった。

「これでもいくつかあった対処策の中では結構時間はかからない方なのよ?
ついでに手間もかからない」
「なるほど
そういうことでしたか、考えが及びませんでした」
多分最も重要なのは最後の部分に違いないと思いながら藍は紫にぺこりとお辞儀をした。


「……どういうことですか?」

見たところ二十歳に達するか否かというくらいの容姿の銀髪おかっぱの女が、廊下を通って紫達のすぐそばに立っていた。
彼女、白玉楼の庭師で幽々子の下で働いている魂魄妖夢は
お茶菓子の銘菓『眠りゆっくり』を持ってくる際に主の幽々子とその友人達の会話を聞いてきょとん、とした顔で尋ねた。
彼女にわかったのは八雲紫がまた何かの異変の黒幕になったということだけだった。
半人半霊という特殊な生い立ちの彼女は、見た目とは裏腹に既に60を超える歳だった。
それは人としては遅すぎ、霊としては早すぎる成長である。
そんな分けで彼女は一目見てもなんとも掴みづらい印象を持っていた。
それなりに目の効く人が彼女を見たならば
見た目より老いているか、相応か迷った末に
意外と見た目より幼い

というのではないだろうか。

幻想郷でも珍しい、変わった成長をしている、そんな風な半人半霊が魂魄妖夢だった。

ちなみに、銘菓『眠りゆっくり』は加工場で作られた人体には影響は無い
(と開発者は自称している)薬品によりゆっくりを眠らせて(仮死状態とも言う)
リボンなどを八橋のような米粉で作った生地に変えたりしおいしくした割と名前通りの身もふたもないお菓子だ。
鮮度の維持がしやすく、暴れないので持ち運びに便利なこなどからそれなりに人気を博していた。
ちなみに、余り悠長に食べているとゆっくりが目を覚ましてうるさいので
ゆっくりは三口四口で食べられる子どもが使われていた。

「あらあら妖夢には難しかったかしら」
扇子で口許を隠しながらくすくすと幽々子は笑った。
「はい、なんでお饅頭がゆっくりになるのか皆目見当も付きません
そんなの私みたことありませんよ?」
妖夢は頭に疑問符を浮かべながらお茶菓子を膝に乗せたまま正座した。

「ゆっくりとお饅頭の違いって、なんだと思う?」
いつの間にか取っていた妖夢の膝のお饅頭を一つ食べながら幽々子が尋ねた。
「それは、ゆっくりはお饅頭と違って喋ったり動いたりしますし」

「そう?じゃあこうしたらどうかしら」
幽々子がお茶菓子に持ってきたゆっくりをそっと撫でる。
幽々子が一撫でするとその白い手を追うかのようにゆっくりからすっと白い煙のようなものが出てくる。
半人半霊という特殊な生い立ちの妖夢にはそれが一目で霊魂だとわかった。
眠りゆっくりは幽々子の『死を操る程度の能力』により傷一つ付けられることなく眠ったまま死を迎えた。
ゆっくりにとっては生きたまま喰われるよりは残酷でない死に方だろうか。
それはこのゆっくりにさえわかるまい。
「もう喋ることも動くこともないこれはゆっくり?お饅頭?」
「えっと、それはその……お饅頭だけど元々ゆっくりだったわけで
あれ、そもそもゆっくりもお饅頭な訳ですから……えーっと、えーっと」
妖夢は手をあたふたさせながらしどろもどろになって答えを出そうとするが考えは全く進まない。

そんな妖夢を見て紫はくすりと笑うと、助け舟でも出すかのように話を始めた。
「あなたが今混乱してるように、ゆっくりと饅頭の境界は思ってるより曖昧よ
そんな曖昧な境界は確かに私の『境界を操る程度の能力』を使えばとても弄りやすい
でもね、揺らぎやすく弄りやすいってことはその分一定の状態で維持するのが困難なの
一度境界を弄っても何かの拍子でまたすぐに境界が曖昧になってしまう

仮に境界を弄ってゆっくりをただの饅頭に変えることは確かに簡単だけど
そんな状態のまま境界を揺るがせずに維持するのは私自身も結構な労力を使うわ
それなりのお膳立てか、ずっと境界を操って維持しつづけるか、さもなくばその両方が必要なのだから
そんなことしてたらそうね、藍に任せる仕事を今の10倍くらいに増やさないと手が足りないわ」
「そ、そうだったんですか……!?」
正座して静かに紫の話を聴いていた妖夢は目を丸くして驚きを隠さずに言った。
「そう、わかってもらえたかしら」
紫は妖夢の態度を見て満足そうにうなづくと、軽く扇子で自分を扇いだ。


「紫様の手が回らなくなることで藍様の仕事が10倍に増えるってことは紫様って普段少なくとも藍様の9倍は働いていらっしゃったんですか!
全然そうは見えませんでした!!」
頑張って指を折って計算しながら妖夢は興奮気味に言った。
純粋にそこに驚いたらしい。


ガクリ、と肩を落として紫の首が45°程曲がった。
「ぷっ、くすくす……やっぱり妖夢はおもしろいわね……ふふふ」
「はは、まあ紫様のお仕事は目に見えずらいですから仕方ないですよ
私のような雑用は一目に付きやすいですから……くく……!」
幽々子と藍は二人して顔を見合わせ、笑いを必死に堪えようと口許とおなかを押さえていた。
「ふん、もうこの話題は終わりよ!」
紫はぱん、と扇子を畳んで脇に置くと
眉根を寄せて頬を膨らませながら怒りながら妖夢が御盆に載せていた銘菓『眠りゆっくり』を一つ奪い取った。
よほど妖夢に怠け者と見られたことが心外だったのか
それとも幽々子は愚か藍にまで笑われたのが気に障ったのか不機嫌そうにそっぽを向いてむしゃむしゃと頬張り始めた。

半身を一瞬で齧り取られてもそのゆっくりは目を覚ますことは無かった。
幽々子に死に招かれたゆっくりと同じようにそのゆっくりも眠ったままその命を失った。






ある時から、ゆっくりの間でこんな噂が広まった。
『魔法の森の奥深くに
 おいしい花が美しく咲き乱れ
 太陽は燦燦と降り注ぎ
 小川はその光を照り返してやさしくせせらぐ
 緑に溢れ夜もやさしい空気が安らかな眠りに誘う
 そこには争う者はおらず誰であろうともゆっくりできる
 そんなゆっくりプレイスがあるという
 その場所の名は
 何度夜が来てもずっとゆっくりしていられる
 という意味を込めて
 永夜緩居(えいやゆるい)
 と呼ばれていた』

そんな永夜緩居を目指したゆっくり達の物語、これはその帯のようなもの。


永夜緩居― EX[眠れるゆっくりは饅頭の夢を見るか]
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最終更新:2022年05月18日 22:52