黒い箱2










小さい間取りの簡素な男のマンション。
リビングの一角に小さな柵が置かれて、その中の僅かなスペースにまりさとれいむは暮らしていた。
その中で「ゆぴぃ!ゆぴぃ!」とマヌケ面で暢気に鼾をかいているまりさ。
その傍らを忙しなく「ゆっ!ゆっ!」と跳ね回るれいむ。
まりさの傷は男の手によって治療を施されて、近くで見ると傷跡が薄っすらと体に残ってはいたが、とりあえず生活に支障はなかった。
丸い穴が空いた帽子も、星型のワッペンが貼られてその上に銀色に輝くバッジがつけられていた。
見ず知らずの他人の目から見れば、ゆっくりの好きな好青年の部屋に見えなくも無い。

面倒くさい手続きとあまり安くない飼いゆっくりの登録と同時に行われた適正テストで、
まずまずの結果を出したまりさには銀バッジが与えられた。
「このまま教育を続ければ金バッジも夢ではない」と試験官には言われたが、そんな気はサラサラ無い。
金バッジの賢いゆっくりはもう居るのだから。これ以上世話係に手間をかける必要も金も無い。それが男の考えだった。

しかし問題が無いわけではなかった。

「ゆっ!ゆっ!ゆっくりすすむよ!かわいくてごめんにぇ!」

ニヤニヤと得意気な笑みを浮かべながら、裏返しになった灰皿をズルズルと引きずるれいむ。
灰皿が通った床には黒く煙草の灰がこびり付いた黒い跡が尾を引いている。
こいつは何度やめろと言っても、自分の寝床に部屋の小物を持ち込んで巣を作ろうとする。
屋根があるのだから巣など必要無いと言うのに、その事をこいつは未だに理解できないでいた。

男は無言でライターを手に取ると、部屋の隅からこちらに失礼にもあにゃるを向けて、
幸せそうな顔で眠りこけているまりさに投げつけた。

「い゛だっ!ごはん!?」

まりさはビクリ!と体を振るわせるとまだ半分夢の中なのか、キョロキョロと辺りを見回しながら
口を尖らせて驚いた表情を浮かべていたが、
灰皿をくわえたれいむがズルズルとこちらに進んできている事に気がつくと目をむき出して叫んだ。

「ゆ゛わ゛っ!なにしてるのっ!おちびちゃんっ!」

たまに男の方をチラチラと見て、その顔色を伺いながら、
汗を垂れ流しつつ、ニコニコと無理やり笑みを作ってれいむを注意するまりさ。
そんなまりさの気も知らずに、れいむは自分がまるで被害者であるかの様な態度でまりさに食って掛かる。

「ゆっ!うるさいよっ!人間が側にいるとゆっくりできないよっ!だから巣をつくるんだよっ!」
「ダ、ダメだよ・・・っ!飼い主さんにそんなこと言ったらゆっくりできないよっ!」

問題は言うまでも無く、れいむが金バッジらしからぬ馬鹿だという事だった。
その辺で拾った野良と殆ど変わらない能無しぶりに男は日に日に疑問を募らせていた。

この馬鹿は本当に金バッジなのだろうか?

しかしそれを確認することはできない。
バッチ自体は見た目や質感等、ペットショップで売られている金バッチのゆっくりと同じに思えた。
バッジに記されているIDの照合を行えば確証を得られるだろうが、
この金バッジれいむがペットショップから逃げ出したものだとバレてしまう。
まりさの躾が悪いのかとも思ったが、こいつは曲がりなりにも銀バッジだ。
こいつを始末して他のそれなりに賢い個体を買うのにも金がかかるし、
その辺の野良に躾をやらせて更に悪化でもしたら目も当てられない。

「ゆ、ゆゆっ!おちびちゃんっ!ゆっくりと聞いてねっ」

一向に金バッジらしい振る舞いのできないれいむに注意をしつつ、まりさは視線だけを男の方へ移す。
ここへ連れて来られて以来、あの男がまりさに手を上げることはなかったが、れいむを見つめる男の表情からも、
自分たちが再び取る価値の無い野良の烙印を押される日は近いとまりさは感じていた。

まりさに灰皿をとりあげられて柵の内側へ引っ張ってこられたれいむが
頬を膨らませながら、キーキーと不満げに金切り声をあげている。

「しねっ!ゆっくりできないまりさはゆっくりしねっ!」
「ゆぅ!そんなこといわないでねっ!」

まりさはれいむにあの人間は危険な存在で、
逆らう事はゆっくりできなくなる事だと何度も男の居ない所で説明していた。
よって男の迷惑になる行動、ましてや怒りを買う様な行動などもってのほかだと、何度も言い聞かせてきた。
しかし、実際に男がゆっくりに対して虐待を行う所を直に見た事の無いれいむには、
男の恐ろしさなど理解できず、逆に毎日黙ってれいむ達に食料を持ってくる男を召使の様な存在と勝手に決め付けていた。

そんな召使いの一挙一動に怯えるまりさを、れいむは情けない、ゆっくりできない奴だと認識しだしていた。
そしてれいむは、男が取るに足らない存在だという事をまりさに知らしめる為に、男が困るような行動を繰り返していた。

「ゆっ!ゆっ!ゆっくりバケツさんを運ぶよっ!おちびちゃんも一緒にお掃除をしようねっ!」
「ふんっ!勝手にしてねっ!れいむはすーや!すーや!するから邪魔しないでねっ!」
「ゆ、ゆぅ・・・!」

器用に水の入ったバケツをくわえて運んできて、雑巾を口にくわえたまりさが、
悲しそうな顔でれいむを見つめている。
そんなまりさを無視してれいむは男を「ぷくぅ!」と膨らみながら睨みつけた。

口でわからないのならば、体で覚えさせなければいけない時もある。
しかし、まりさは男の視線が気になって、それが行う事ができず、れいむは日に日に増長していった。
まりさが男に殺されずに済んだのは、言うまでも無く金バッジを持ったれいむのお陰である。
そのれいむに対して躾とは言え、暴力を振るえばまりさは今度こそ男に殺されるかもしれない。
2匹の思いは悪いほうに連鎖して現在の重苦しい、ゆっくりできない関係が築かれてしまっていた。

「ゆっ・・・!ゆっ・・・!床さんきれいになってねっ!ゆっ・・・!ゆっ・・・っ!」

わざとらしく明るく振舞って床に雑巾をこすりつけながら元気な声をあげるまりさ。
しかしそんな声とは裏腹にその表情は梅雨の天気よりもどんよりと曇っていた。

ピンポーン♪

その時、男の簡素なマンションに来訪者が来た事を告げるチャイムが鳴り響く。
ソファーに座ってお笑い番組を無表情で見ていた男が、頭を掻き毟りながら小さく舌打ちをして腰を上げる。
そして腕組みをして玄関の前に立つが、扉は一向に開かれない。

「・・・開いてますよ」

苛立たしそうにサンダルを足に引っ掛けて扉を開ける男。
外には小奇麗なシャツを着た初老の男が小箱を脇に抱えてニコニコと笑みを浮かべながら立っていた。

男はその表情を見て途端に顔をしかめた。
見ず知らずの人間にこういった表情を浮かべる輩は往々にしてロクな者ではない。
セールスマンか新聞の勧誘か、はたまた馬鹿であろう。下手すると宗教の勧誘か?あぁ、それは馬鹿の類だった。

「わたくしこういった物なんですがね、少々お時間宜しいでしょうか?」

男の前に差し出された薄い手帳。
そこに書いてある文字を見て男は驚きの表情を浮かべた。
男の予想は大きく外れ、初老の男の正体は私服警官であった。
初老の私服警官はハンカチで額の汗を拭いながら、脇にかかえた小箱を静かに開けて中の物体を「ズルリ」と引きずり出す。

それは一匹の子ゆっくりだった。

初老の警官に頭を鷲づかみにされて目に一杯の涙を浮かべてガチガチと歯を鳴らしている。
そんなゆっくりの怯えた様子に気をかける事も無く、私服警官は話を始める。

「隣町にゆっくり専門のペットショップがあるのをご存知ですか?」
「い、いえ、あまり隣街の方へは行かないもので・・・」

そう返答しながらも、男の視線は子れいむのある一点へと、つい注がれてしまう。
子れいむのリボンには金色に輝くバッジがついていたからだ。
そんな挙動不審な男の様子を横目で見ながらも、初老の警官はやわらかい物腰で話を続ける。

隣街のペットショップのゆっくりの値段が他と比べて明らかに安い。いや、むしろ安すぎた。
「何かよからぬ商いを行っているのではないか?」という他のペットショップからの・・・もとい、善意を持った市民の通報で、
暇を持て余していた定年間近であった初老警官が調べを進めてみると、このペットショップは様々な名義で全国の高級ペットショップから
金バッジ取得試験に落ちて処分される予定のゆっくりを捨て値で購入している形跡が見られた。

その「様々な名義」の住所へ行って見るとそこはもぬけの殻。
隣町のペットショップは架空の業者名義で全国から金バッジ取得には至らないが、
それなりに賢いゆっくり達をかき集め、偽装した金バッジを与えて、それを格安で販売していたのだった。

「偽装ですか?でもバッジの複製なんてすぐにバレてしまうのでは・・・?」

男の疑問にうんうん、と相槌を打ちながら、
私服警官は無造作に子れいむのリボンごと金バッジを毟り取った。

「ん゛ん゛っ!?・・・ん゛ん゛ん゛っ!!!」

お飾りであるリボンを失ったれいむが、体の底から絞り出すような悲痛な呻き声を上げた。
飾りを失ったゆっくりは無条件で群れの中のヒエラルキーの最下層に位置づけされてしまう。
それ所か、同属とすら見なしてもらえずに、外敵として殺害される場合も多いという。

そんな命と同じ位大事なお飾りを失ったれいむは、歯をむき出してボタボタと涙を滴らせたが、
何時もの不快な金切り声で泣き叫ぶ事は無かった。
子れいむを良く見ると、口の中心辺りがホッチキスの様な細い金属で繋ぎとめられている。
聞き込みの際に泣き叫んだりしないようにする為の処置なのだろう。

この街の人間はバッジを持たないゆっくりに対しては、酷く無関心でこういった行いも平然と行う。
自分でやる時には、何とも思わないが、人のよさそうな他人が平然とそういった行為を行うのを見ると
ゆっくりの位置づけを酷く哀れなものだと感じる。不思議なものだ。

「見た目、いえ材質も正規の金バッジと同じものなんですよ・・・でもねぇ」

私服警官はバッジを裏返してそこに刻印されている数字をカリカリと親指で擦った。

「y-r-G4771。この番号のゆっくりはもう7年前に死んでいるんですよ」

そう言うと子れいむを箱に落として、その中を男に見えるように傾ける。
箱の中にはギッシリと金バッジをつけた子れいむが詰まっていた。
その中では先程、飾りとバッジを奪われたれいむが、早くも他のれいむ達に無言で体当たりをされている。

「この中のゆっくりのバッジについてる番号は全部同じなんですよ、手が込んでいるんだか込んでいないんだか」

全く同じものは複製できるが、刻印までも偽装しようとすると途端にその質が落ちるらしい。
心底どうでもいい、違法業者の偽装技術の話をベラベラと喋っていた私服警官だったが、
男の醒めた表情に気がつくと、小さく咳払いをして手で転がしていた金バッジも箱に落とす。
死にそうな顔をしていた箱の中のれいむが「パアァ!」と顔を綻ばせてバッジの落下地点へ向かうが、
他のれいむがジャンプしてバッジを飲み込んだ瞬間に箱の蓋は閉じられた。

「でも買ったばかりのゆっくりのバッジのIDの認証なんてしないでしょう?
鑑定料だって馬鹿にならない。ペットショップが「金」って言ってるんだから「金」って思うじゃないですか?」
「え?・・・えぇ・・・そうでしょうね」
「やがてゆっくりの寿命が尽きて、
次のゆっくりを飼う為にバッジを返却した時にやっと偽造した物だったと気がつく仕組みなんです」

私服警官は乾いた笑い声をあげると、箱を地面に置いた鞄に閉まってそれを肩に担いだ。

「この辺りに大量の偽造金バッジのゆっくりを投棄したという供述を得られましてね」
「はぁ」

この警官は、悪質業者のリストから押収できなかった証拠品を集めて回っていたのだ。
男には当然心当たりがあった。「あった」というよりは「ありすぎる」と言った方が正確だろう。
このマンションの直ぐ傍にある繁華街で拾った金バッジにしては頭の悪いゆっくり。

しかし男はその事を正直に私服警官にいう事を躊躇っていた。
嫌な予感がする。こういった事について男は大した知識を持っているわけではなかったが、
証言だの、参考人だの面倒臭い単語が男の脳裏を掠める。

面倒ごとは御免だ。

腕を組んで私服警官の前で「何か心当たりは無かっただろうか?」
・・・と、いった感じの装いを演じていた男だったが、頭の中で一つの結論を導き出した。
偽装業者の摘発など知った事ではない。勝手にやってくれ。男はそう思った。

「心苦しいのですが、これと言って覚えがありま・・・」
「ゆっ!ゆっ!ゆっ!」
「ゆぅ!だめだよおちびちゃん!何度もいってるでしょ!」

柵を越えて玄関まで飛び跳ねてきたれいむを見て男は表情を凍りつかせた。
私服警官は不自然に驚いた男の表情と飛び跳ねるれいむのバッジを見ると目を細める。

「おや、お宅の飼いゆっくりも金バッジでしたか、立派なものですね」
「え!?・・・い、いえ・・・あっ!はい」
「失礼しました。バッジ無しとは言えゆっくりを飼っている方の前でぞんざいな扱いをしてしまって・・・」

私服警官は後頭部を手で擦りながらもう片方の手で鞄の中の小箱を指差す。

「あっ・・・い、いえっ!別に気になりま・・・あ、いえ、大丈夫でした!」
「・・・・・・・・・・・・」

明らかに不自然な男の振る舞いを指摘する事も無く、私服警官は暫く首を回しながら天井を見つめていたが、
ゆっくりとした動きで鞄を担ぎなおして踵を返すとドアノブに手をかけて口を開いた。

「まぁ、もしおかしな金バッジのゆっくりを見つけたらご連絡ください」
「は、はい・・・わかりました」

ドアを開けて部屋から出て、再び警官が振り返ってニコリと笑みを浮かべた。
その笑顔を凝視できずに男は視線を下に落としまう。

「まぁ、でも証拠としては十分な数が揃いましたし、お手数ならばそちらで処分してしまっても構いませんので」
「はっ!?そ、そうですか・・・それは・・・どうも」

静かにドアが閉まって室内は静寂に包まれた。男はその場に立ったまま、静かに目を閉じる。
気がつけば額にはじっとりと汗が滲み、手の中は手汗でヌルヌルとしている。
そんな自分の有様に苛立たしそうに体を揺さぶる男。
警官の言葉・・・完全にウチのれいむが探している偽装バッジのゆっくりとわかっていた様だった。

知ってて見逃した。

あのジジイは俺をゆっくりしか話相手の居ない寂しい奴とでも思ったのだろうか?
心のより所であるゆっくりを証拠品として持っていかれる事を不憫に思ってあんな事を言ったのだろうか??
定年間近の仕事で気まぐれに俺に「良い事をした」なんて思って今頃心地よい気分にでもなっているのだろうか???

男の手がブルブルと小刻みに震えだした。

男は私服警官から渡された「違法金バッジのゆっくり探しています!」と書かれたチラシを潰して床に叩きつける。
そして次々と玄関に飾ってあった花瓶や置物を手に取るとそれも床に叩き付けた。
派手な音を立てて、ガラスの破片が辺りに飛び散る。

「ゆぴぃっ!」と部屋の奥から声が聞こえてれいむがこちらに跳ねてきた。
頬を膨らませて、キッ!と憎々しげに男を睨みつける馬鹿の金バッジ。
その後をこちらの機嫌ばかりを伺う銀バッジがオロオロとれいむを追って現れる。

「ゆううううっ!!うるさいよ!!れいむは「すーや!すーや!」の時間だよっ!邪魔しないでねっ!」
「ゆぅぅ!ダメだよ!おちびちゃん!飼い主さんにそんな事言わないでねっ!」
「ばかなまりさはだまっててねっ!いちどれいむが人間にびしっ!と言ってやるよっ!」

れいむは必死にこの場を治めようとするまりさに唾を吐きかけて振り払うと、
男の足に「ぽこんぽこん!」と体当たりを繰り返す。

「いたいでしょっ!ゆっくり反省してにぇ!れいむはとってもおこってるんだよっ!!」

男はれいむの事をまるでそこに存在しないかの様に無視して、
コーヒーの入った瓶を手に取ると蓋を開けて逆さまにして中身を床に零した。

「ゆっ!なにしてるの!?くさいよ!今すぐやめ・・・っ!」

そして足元で罵声を飛ばすれいむを鷲づかみにして拾い上げると
お飾りのリボンを引っ張って、金バッジを裏返す。

[y-r-G4771]

バッジに刻印された数字を確認すると、薄々感づいていた事とは言え、
男は頭に血が沸々と煮えたぎりながら昇っていく様な怒りを感じていた。
男は無言でコーヒーの空瓶の中にれいむを放り込むと蓋をきつく閉めた。
そして、クルリ!と首を回してまりさを見る。
男と視線の合ったまりさは「ゆひぃ!」と何時ものオドオドした顔をビクリ!とさせて震えている。


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最終更新:2022年04月16日 22:22