「ゆっくりしてぶっ!」
朝起きると部屋の中にゆっくりがいたので目覚ましを投げつけた。
時計の直撃を顔面に喰らった痛みに、ゆっくりれいむは床を転がり回っている。
「ゆっ、ゆっ、ゆっくりしてげっ!」
ベッドから身を起こし、今度はゆっくりに蹴りを入れる。
死なない程度に加減はしたが、相当の痛みだったのだろう。俺が着替える間中ゆっくりはのたうち回っていた。

「さてと。」

ゆっくりれいむの髪を掴んで俺の目の前にぶら下げる。

「痛いよ!お兄さん痛いよ!ゆっくりぶげっ!」

頬を引っぱたく。あの台詞は聞き飽きた。

「どうやって部屋に入った?」
「ゆっ、ゆっ。」

俺が大げさに右手を振りかざすと、ゆっくりは焦りの色も露わに説明した。

「あそこからゆっくり入ってきたよ!」

ゆっくりが向いた先を見ると、網戸が開いている。こいつらベランダからもやって来るのか。ここ五階だぞ。
こんな事が起こるようでは、もう窓も開けて寝られない。
玄関半開きも駄目、その上部の小窓も駄目。通気の悪い寝苦しい夜を過ごしたら、今度は窓も駄目と申すか。
俺はクーラーとか、文明の利器にべったりなのは嫌いなんだ。まあそろそろ涼しくなる頃だし我慢するか。
そんな事をつらつら考えていると、ゆっくりが話しかけてきた。

「お兄さんここはゆっくり出来ないよ。」
「そうか。」
「れいむはもうおうちに帰るよ。ゆっくり下ろしてね。」
「そうか。」

ゆっくりを掴んだままベランダに出る。雲一つ無い空。今日も暑くなりそうだ。
ベランダの下は道路を挟んで川が流れている。通勤者や通学者が通りを歩いている。
こういう事は人が居ないときにすべき。それがマナーというものだ。部屋に戻って煙草を取ってくる。
ベランダで煙草を吹かすが実に不味い。ゆっくりを掴んだ左手が重いからかもしれない。うろちょろされても目障りだから仕様がない。
ふと視線を眼下の道路から前方に移すと、対岸のマンションにもゆっくりを掴んだ者がいた。そこかしこのベランダに待機した人影がある。
あちらの道路は交通量が多いから、ああやってずっと待っているのだろう。
自分が言うのもなんだが、みんな行儀良くて結構な事だ。こいつもそれぐらいの心掛けがあれば長生き出来たかもしれないな。

「お兄さん。」
「なんだ。」
「ゆっくり下ろしてね。」
「もう少し待ってろ。」
「ゆっくり待ってるよ。でも早くしてね。」
「そうか。」

ゆっくりの相手をするときは適当に受け流すのが一番だ。こいつらとの会話に整合性を求めると病院の世話になりかねない。
しかしなんだってこいつらは、わざわざ人の家に入ってくるのかね。食い物ならその辺のゴミ漁りで十分だろう。
以前そういうゆっくりに質問してみたが、「ゆっくりしたいよ!」とか言うばかりでさっぱり分からん。

煙草の長さが半分になる頃、対岸の道路に一瞬の静寂が訪れた。歩行者もおらず、車も手前の信号で止まっている。
「ゆっくりー!?」
対岸からゆっくりの絶叫が響いてきた。向こうのマンションの、あちこちのベランダからゆっくりが川に投げ込まれている。
投げ出された何十ものゆっくりは、川の水面に叩き付けられ、半数が即死し、残りは何か小さな呻きを漏らしながら、川に流されていった。
中には勢い余って川を越してこちら側にまで届いたゆっくりもいる。道路に餡子が半扇状に飛び散っているが誰が片付けるんだあれ。

「ゆーっ!お空を飛んでるみたい!」

一匹のゆっくりまりさが泣き笑いの表情でコードレスバンジーをしている。
まあ実際に飛んでるわけだが、少し意味が違うかな。現実逃避の邪魔をするのも野暮な話だし、だいたいそんな時間もないわな。
「ぼしょん」という間抜けな音と共にまりさは水面に落ちた。沈み込んで、拉げた顔になって浮き上がってくる。
まりさは薄ら笑った顔でゆらゆらと川下に流されていった。

「お兄さん。」
「なんだ。」

ゆっくりれいむは俺にぶら下げられながらガタガタ震えている。

「なにあれ。」
「なにって、お前等を俺達のおうちから追い出してるんだよ。」
「あれじゃみんな死んじゃうよ?」
「死ぬだろうな。」
「ゆっくりしたいよ?」
「お前等が家に居ると俺達はゆっくり出来ないんだよ。」
「ゆっくり帰してほしいよ?」
「駄目だ。」
「もう来ないよ?」
「お前等は直ぐに忘れて戻ってくるからな。」
「お願いよ?ゆっくり下ろしてね。」
「どうやらこちらも頃合いのようだな。」

ゆっくりれいむの目には涙が溢れている。必死なんだろうが、口が半笑いではいまいち危機感が感じられないな。
煙草をサンダルで揉み消し、ゆっくりを右手に持ち替える。

「ゆっくり帰してね?もう来ないから許してね?」
「直ぐに帰してやるさ。来るとか、来ないとか、もうそういう事を考える必要は無い。」
「お願いね?お願いね?ゆっくりさせてね?ゆっくりさせてね?」
「短い付合いだったな。さよならだ。」
「ゆーっ!?」

俺は大きく振りかぶって、ゆっくりを川目掛けて投げつけた。

「もっとゆっぐりしたかったよおおおおお!」

目算を誤った。少し飛距離が足りなかったらしい。れいむは手前の地面に落ち、餡子を撒き散らして転がり川に飛び込んでいった。
落下角が斜面にうまく合ったようで、即死する程の衝撃は無かったようだ。
もっとも、即死を免れても苦しむ時間が長引くだけだ。惨い事をしてしまったかもしれない。
上階から別のゆっくりがポイポイと降り注ぐ中、俺は流れゆくゆっくりれいむに向かって呟いた。

「悪かったな。次の奴は楽に死ねるようにしてやるから。」

少し遅れて朝食を済ますと、俺は家を出て、会社に向かった。
家の前の道を駅へ向かって歩いていると、そこかしこの窓からゆっくりが放り出されている。
何でこいつ等は懲りずに人間に関わろうとするんだろう。「ゆっくり」は何を意味しているのだろう。
橋を渡りながら水面を見下ろすと、死んだもの、死にきれないもの、沢山のゆっくりが川を流れていた。
水質とか大丈夫なんだろうか。

川岸の水草にひっかかった一匹のゆっくりと目が合った。
そのゆっくりれいむは瀕死の、そのくせ半笑いの表情でこちらをじっと見詰めている。
確信は無いが、さっき投げたゆっくりのようだ。
そいつは暫くこちらを見ていたが、やがて諦めたかのようにゆっくり目を閉じた。
俺は川から視線を外して雲一つ無い空を見上げた。
今日も暑くなりそうだ。



by GTO

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最終更新:2022年05月03日 16:01