「……ごんなおかおじゃ、れいむにきらわれるふううう! おうたも、うたへなひいいいいいいいい!!!」
 悲痛極まりないまりさの泣き言が部屋に響く。
 すでに青年の手によって、簡単な手当てをほどこされ、最後に柑橘系の飲料を全身に吸い込ませるように与えられてはいた。
 しかし、痛々しさは何一つ変わらない。
「時間がたえばきっと直るから、今は休んだほうがいい」
 青年の親身な言葉はどれだけまりさに届いたのだろう。
 ぶつぶつと、まりさのむき出しの歯が言葉を吐き出す。
「おくちだけじゃない……おはだ、いたいの。ほっぺ、こすられすぎてじくじくしているの、うしろがえぐられるようにいたいの、ぜんしんがありすが触るたび、すごうぐ、いだぐでしがだないのおおおお!」
 その痛みは、おそらくは二日目から我慢していた痛みなのだろう。
 ありすを何度も何度も受け入れた場所は、赤く晴れ上がってぷっくりともりあがっていた。ミミズ腫れのようになったいぼいぼになった皮が痛々しい。
 とはいえ、生殖部分を人に見せるのは、ゆっくりとしては普通は恥じ入るべきところ。大抵のゆっくりは繁殖のときに産道を調べようとすると、「ゆふん♪」と恥かしげに身をよじらせる。
 それが今、隠すべき部分さらけだしてイタイイタイと嗚咽をこぼしている。
 相当に心が磨耗して、命の危機を感じているのだろう。
「まだ十分に治る。気をしっかりもつんだ」
 青年は少しでもその心が救われるよう、激励の言葉をかけ続けた。
 三日すぎれば自分の職務上、苦しまないように処分することしかできないことをわかっていながら。
 見苦しいほどの偽善だとはわかってはいた。それでも、少しでも苦痛を和らげてやりたいと患部にガーゼをあてている。
「あと、三日間。お日様が上がって沈むのを三回くりかえすだけで自由になれるんだよ」
「みっかも、いやひゃああああ!」
 青年の慰めは、この苦痛が三日間続くという宣告でしかなかった。
 まりさの脳裏に、ありすたちの歪んだ笑いが浮かぶ。
 昨日、今日と数が増えていき、ひどく暴力的になってきたありすたち。
 何度も強く噛み付かれて犯された。泣き叫ぶまりさを、愛おしそうに押しつぶそうとした。明日はどこまでいくのだろう。
「もう、たえらえなひいいい……ゆひいゆひいい」
 まりさがうめき声をあげながら、痛みを堪えて動き出す。
 ずりずりとなめくじのようにはっていった先は、壁。
 灰色の飾り気のない壁に、まりさはぺちんぺちんと力なく体を投げ出しては弾かれる。
 まるで壁に求愛しているような動きに深まる青年の困惑。
 だが、まりさの行動の意図はまるで違うものだった。
「どぼじで、まりざじねないのおおおおおおお!?」
 体力があれば、勢いよく壁に激突して餡子を吐き出すこともできただろう。
 しかし、まりさにはもう自殺する体力すら残っていなかった。
 逃れようもない、自分の意思とかけ離れた無残な死。ひたひたと近づくその運命は、今、確実にまりさをとらえた。
 やがて、壁にもたれたまままりさは動かなくなる。
 耳をすますと、ゆうゆうと苦しげな寝息。
 その涙と鼻水と、何一つ思い通りにならない悲しみにまみれたその寝顔を見て、青年の心に圧し掛かる重い何かを感じていた。
 たとえ生き延びようが、使用済みのゆっくりは処理されるのが決まっている。
 最後の食事に毒をまぜ、死骸は死体袋に入れて運び出し、焼却炉に放り込む。
 その処分行うのは、担当の自分の仕事なのだ。
 だが、毒餌を食わせず、死体袋に入れて、そのまま外部に持ち出したとしたら……?
 そうだ。ゆっくりの出入りには堅牢な加工所の出入り口も、死体となって運び出すゆっくりまで気を使わないのでないのだろうか。
 そうして、自分の家から一切外にださずにまりさを飼えば、誰にもばれずにすむかもしれない。
 脳内でまりさ救出の段取りを考えながら、青年はため息をこぼす。
 なんてひどい偽善だろう。
 加工所側にも、ゆっくり側にも立っておらず、ただまりさが可哀想なだけの行動。それでいて、上司や周囲に反発すらできない自分。
 まりさの群れに戻りたいという願いですら、周囲にばれたくないという保身のために叶えようとしていない。
 ゆっくりが本当に哀れだと思うなら、まりさだけ助けるのは間違いだ。ゆっくりの群れ全てに自分たちのしていることを伝えればいい。
腹を据えて加工所側と事を構えればいい。
 だが、自分の家族の生活を考えると今の暮らしを投げ出すことができなかった。ゆっくり側で生きられるほど、ゆっくり全部を愛しているわけではなかった。ただ、目の前のまりさを助けたいだけの、自分勝手な情熱。
「あと三日、生き残ってくれよ」
 心に次々とわきあがる苦悩とみじめさを押し殺して、青年はまりさにそっとタオルケットをかけてやる。
 まりさの寝息が、ほんの少しだけ安らかになったのを確認して、青年は静かに部屋を去っていった。


 四日目、目覚めてご飯を食べてる間、まりさは疲れきったように無言だった。
 「ゆっくりしていってね」も「むーしゃむーしゃ」もない。
 もう、まりさはゆっくりというよりも呼吸する饅頭のようだった。
 ぜいぜいと荒い息で、ただうつむいているばかり。
 ありす三十匹が跋扈する中庭においても、殺到するあへ顔の群れに奥へ奥へと引きずられていっても、悲鳴すらあげなかった。
 無言でその場を後にする青年も沈んだ表情でうつむいて何もいわない。
 まりさも青年も、運命を天任せるしかないことでは、同じ心境だった。
 生きてさえいれば、何としてでも生かしてやる。
 そんな思いをこめて一度振り返り、足早にその場を離れた。

 業務に没頭した4時間がたとうとしていた。
 中庭へ通じる廊下へと、ひたすらにかけていく青年。
 が、角を回ったところでその動きが止まった。
 ゴロゴロと床を鳴らす台車の車輪。
 そこには一台の台車を押す同僚の姿と、台車にのせられてぴくりともしない二匹のゆっくりの姿があった。
 そのゆっくりの片方はゆっくりまりさ。苦悶の表情のまま、凝り固まっている。まぎれもなく死骸だった。
 自分の担当するまりさかと息をのむ青年だが、頭髪の量で別のまりさだと気がつく。
 おそらくは、青年のまりさ同様に連れてこられ、今日までありすの相手をしてきたゆっくりまりさだろう。
 まりさのとなりでよりそうように絶命しているのはゆっくりれいむだろう。被せられたシーツから黒髪が一房こぼれている。
「おつかれさん。どうしたんだ、そんな血相変えて?」
 同僚の男は、目を見開いたり、ほっとしたりと表情を変える青年に奇異の眼差しを向けていた。
「え、いや、何でもないです」
 自分の反応を誤魔化そうと青年はぎこちなく笑いかける。
 ちらりと、台車の二体のゆっくりに視線を走らせる。
「このゆっくりたちは、ありすに?」
「ああ、そうだよ。まったく、ひどいもんだね」
 いいながら、同僚の男はシーツをめくる。
 そこにはれいむの顔があった。
 が、青年は一目でその異様さに気がつく。
 元からゆっくりは顔のパーツが上に寄って、下膨れの容姿をしているが、このれいむの顔の寄り方は度が過ぎていた。
 れいむの眉、目、鼻、唇。その全てが楕円のフォルムの上部四分の1に、ぐにゃりと押し寄せられている。
 あまりにひどく歪んだ顔が、まるで不気味な笑顔のよう。
 だが、異様さで目をひくのは下腹部。
 べっこりと、球にくりぬかれたようにへこんでいた。何かそこに凄まじい圧力がかかって、顔のパーツが上に移動したのだと青年にもわかるほどに。
「……どうしたんです、これ」
「なんだかね、『赤ちゃんぷれい』とか言いながら、産道にむりやり入っていったようだよ、ありすが」
 その情景に、ぞわりと総毛立つ青年。
「む、むりでしょう! 産道って、普段はぴたりと閉じているんでしょう?」
「いや。こう、四方八方から一斉にひっぱってむりやり広げたみたいだよ。すごいね、ホント」
 シーツを戻しながら、同僚の淡々とした説明。
 面白がっても、悼んでもいない。ただ、現象を説明する研究者のような口調だった。
 加工所の人間がゆっくりに関わる、ごくごく普通の態度。
 その心境が羨ましい、戻りたいと、青年は素直に思っていた。
「でもまあ、これで俺の担当分も終了したし、そろそろ今回のゆっくりたちも終了かな」
「……あと、どれぐらいゆっくりは生き延びているんですか」
「ああ、お前さんのまりさ以外は全部死んだよ。確認してきなよ。死んでたら、今回の片付けに入るからさ」
「わかりました。では急ぎますので!」
 その言葉を残して、青年は駆け出していた。
 後になるほど他のゆっくりを犯し殺したゆっくりありすが合流し、後になるほど通常の性交に飽きたありすが暴走する。
 ゆっくりたちの生存日数が4日前後で激減するその理由だった。
 何が、あと三日したら助ける、だ。
 青年は顔を歪めながら中庭に駆け出していた。

 まりさは、生きていた。
 だが、最低限度の意味で、生きていた。
「まりさ!」
 ありすたちを追い払って声をかけると、まりさがかすかに身じろぎするように振り向く。
 が、その両目には光がなかった。
 くぼんだくらがりから、白濁したカスタードをぽろぽろとこばすだけ。
 抉られた両目は見る影もない。
 そして、まりさがカスタードをたれながすのは、目と生殖部分だけではない。
 青年には最初、まりさが水玉模様の布でも着せられているのかと思ったが、間近で見ると違うことに気づく。
 まりさの肌、ほとんど全面にびっしりと穴が穿たれていた。
 何事かと手を伸ばして肌に触れて持ち上げようとすると、押した部分の穴からカスタードがぷしゃりと噴出し、草むらにこぼれる。
 おそらくは、交尾の順番待ちが待ちきれなかったのだろう。
 ありすたちは自分のためだけの穴を、まりさに次々と刻み込み、ひたすらに果てたのが、この痕跡か。
 くちびるを噛み千切られるだけでのたうちまわったまりさ。
 ぷるぷると震える体の奥で、どれだけの激痛が渦巻いているのか、想像もできない。
「戻ろう、まりさ。ゆっくり、休もう」
 作業服が噴出すカスタードで汚れるのもいとわず、まりさを抱えあげたときだった。
「ゆげえええっ!」
 まりさが唐突にえづいた。
 ついに、餡子を吐き出したのか、でもこれでまりさの苦痛が終わるのだろうかと青年がその吐しゃ物をのぞきこむ。
 が、それはまっ白なカスタードクリームだった。
 どれだけ注ぎ込まれたのか、衰えたまりさの消化機能をこえるだけの白いカスタードクリームが、青年の足元にぬかるみを形作る。
「うふっ! ありす知っているわ! まりさは、つわりね!」
「まりさが中々にんしんしてくれないから、ありす専用のラブスポットをつくったかいがあったわね!」
「つぎはまりさの、都会的なしゅっさんしょーね!」
「うるさい! どいてくれ!」
 青年はまりさを抱えて戻っていく。
 行く先のありすたちを蹴散らすように。


 もう、まりさは手の付けようもなかった。
 かろうじて生きてはいる。
 ただ、意識も混濁してふらふら揺れているだけだ。
 今夜一晩を越えられないかもしれない。
 なおもカスタードを垂れ流すまりさを見ながら、青年はまりさの最期を思った。
 このまま、息遣いが止まって終わるだろうまりさの生を少しでもマシなものにしてやりたい。
 ぽかぽかのお湯を用意して、綺麗な体で眠ってもらおう。
 その準備のため、席を外す青年。
 湯気のたつ桶を抱えて戻ってきた青年は、室内からこぼれる話し声を耳にした。
 覗きこむと、そこにいるのはまりさ一匹だけ。
 だが、虚空に向かってまりさは懸命に話しかけている。
 その声は、はっきりと青年の耳にも届いていた。
「れいむのためにまりさ、おおきな巣をつくったよ」
「うん。すぐにこどもたちでいっぱいにしようね」
「まりさ、れいむのこども、たくさんうむよ」
「ふたりでむーしゃむーしゃすると、おいしいね。こどもといっしょなら、もっとだね」
「ゆふふふ、れいむがやわからいよう。だいすきだよ、れいむう」
 言葉の語尾が笑い声にかすむ。
「れいむといっしょで、まりさはとっても、しあわせー……」
 だが、その一方的な会話はその言葉を最後に終わる。
 ふいにおりた沈痛な沈黙に、慌てて青年はまりさの傍にかけよった。
「大丈夫か」
 抱え起こすと、しばらくしてぴくりと動くまりさ。
 そのくちびるをうしなった顔が、呆然とした表情をうかべていた。
「なんで……」
 瞳のない目じりが歪む。
「なんで、おこしちゃうのおおおお!!!」
 最後の絶叫だった。
 青年はまりさの最後の夢を壊してしまったことに、まりさを加工所の冷たい壁の内側に引き戻してしまったことに気がつく。
「やああああああ……もどっでぎでよおお、れいむうううう」
 空洞となった眼から涙はこぼれない。
 ただ、打ちのめされた弱弱しい嗚咽がもれるばかり。
 青年は、自分の浅はかを心底後悔していた。
 あと三日生き延びたら助けようなどという自分の考えが、どれだけ身勝手で何の役にも立たないものだったか、逃げ場なく見せ付けられていた。
 結論を保留した考えの行き着く果てが、このまりさの姿だ。
 明日、おそらく全ては終わる。
 せめて、自分に何ができるのか、それとも最初から何もしなければよかったのか、青年は一人、思考の海に沈みこんでいた。  


 五日目の朝、今日は冬に入る前の最後の小春日和。
 窓辺から朗らかな陽光が差し込む廊下を、青年と台車にのせられた穴ぼこのまりさが進んでいく。
「今日のありすの数は、69匹だ」
 青年は淡々とまりさに死を通告した。
 すでに、まりさは今回の計画の最後の生き残りだった。
 今日相手をするありすの数は、加工所の要するありすほぼ全頭。
 加工所が生み出した元のありすの人格の欠片もない化け物相手に、強く押しただけで穴から餡子を噴出す状態のまりさが生き延びることはできないだろう。
 青年の声色はそれを理解した淡々とした声。
 まりさは何も言わず、震えもせず、ただ台車の振動に身を任せていた。
 が、台車が不意に止まる。
 まりさは頭の上にのせられた、青年の手のひらに気がついていた。
「誰かに言い残したいことがあるかい? 僕は研修で一年間はここを出れないけど、一年後には必ず伝えるよ」
 その言葉にまりさの反応はなかった。
 運命を悟ったかのように、手のひらには震え一つ伝わらない。
 まりさがようやく口を開いた時、台車は中庭へつながる廊下にさしかかっていた。
「あのね、おにーさん。まりさの群れに、まりさのいちばんだいすきなれいむがいるの」
「ああ」
「もし、会えたでいいから、伝えてね……『ゆっくりしていってよ!』って」
「わかった」
 その言葉を一言一句違えず心に焼き付ける青年。
 必ず伝えると、繰り返すと、まりさはほんのわずかに表情を緩めた。
 そんなやり取りを終え、台車は再び動き出す。
 ありすたちがひしめく中庭が見えてきた。
 まりさの表情はかすかな笑みのまま。
 扉を上げて、列をなすありすのなかを押していく。
 まりさを地面に降ろせば、最後の競演が始まり、すぐに終わるだろう。
 もちあげると、まりさもそれを悟ったのか、ぽつりと言葉を残す。
「さよなら、おにーさん。ゆっくりしていってね」
「ああ、ゆっくりしていくんだよ」
 最後のお別れの言葉を交わして、まりさを地面へとそっと降ろした。
「ゆほおおおおおおお!」
 たちまち、つなみと化したありすのむれが押し寄せてくる。
 まりさは微動だにせず、小さく口を動かす。
「さよなら、れいむ」
 その最後の言葉も、ありすの怒涛にのみこまれて消えていった。


 こうして、加工所のプログラム『ゆっくりありすすっきり計画』は五日間をもって全行程を完了した。
 来年度の実施へ向けて、またしばらくの平穏をゆっくりたちはすごすことになる。






 あれから、一年が過ぎた。
 紅葉が鮮やかに色づき、やがては風に舞い散る頃、再びの使者がゆっくりたちの群れにやってくる。
「やったね、れいむ!」
「歌劇団でも、ゆっくりがんばってきてね!」
 一頭立ての馬車を前に、仲間たちの激励をうけてはにかんだ笑顔のゆっくりれいむ。
「うん、向こうでがんばっているまりさと一緒に、ゆっくりしてくるね!」
 いつまでも続く陽気な応援に元気よくこたえながら、馬車の座席へと元気よくのりこんでいく。
 心にわだかまる寂しさがぶり返さないよう、なるべく座席の奥へ。
 すると、御者席かられいむにのんびりとした声がかけられた。
「お別れははもういいのかい?」
「うん、れいむは大丈夫だよ、おにーさん!」
「そうかい、偉いね」
 れいむの声に満足げに頷いたのは、まりさを担当していた青年だった。
 あれからゆっくりを処理する仕事を任せられ、一年間でずいぶんと逞しい横顔をみせるようになっていきた。
 仕事をこなすことで認められ、今よりもっとマシな方法を提案できる権限を持つことでしか計画を止める方法は無い。その一念でひたすらに仕事に打ち込んできた。
 このゆっくりの出迎えという重要な仕事を任せられるほどに。
「よし、じゃあ行こうか」
 鞭で地面を打ち鳴らす合図に、馬が蹄を響かせて前に進みだす。
「ゆ~ゆ~♪ まっててねー、まりさ~♪」
 流れる景色を楽しみながら、即興の歌を口ずさむれいむ。
 青年はそれを横目で確認して、用意していた言葉で語りかける。
「あ、君、去年歌劇団に入ったまりさと仲がいいれいむかい?」
「うん、親友だよ!」
 共通の知り合いの話題に、れいむの笑顔は親愛の満ちたものにかわった。
「まりさ、れいむよりもかわいくて、おうたが上手なんだよ! 歌劇団でもたぶん一番だよ!」
「ああ、でも、今は『れんしゅう』中で舞台にたっていないけど、きっとそのとおりだろうね」
 懐かしげに遠くを見てつぶやく青年。
 その胸のうちには、まりさから言付かってきた言葉が、そのままに焼きついている。
「そうだ。まりさから伝言を預かってきたよ。まりさが君に、『ゆっくりしていってよ!』と伝えてほしいと」
 すると、楽しげに座席の柔らかさを楽しんでいたれいむの動きがぴたりと止まる。
「ゆ? ゆっくりしていってよって、まりさが言ったの?」
 まじまじと青年を見返していた。
「そうだよ。どうしたんだい?」 
「ううん、なんでもないよ。まりさのいうとおり、ゆっくりするね!」
 が、訝しげな視線もほんの一瞬。
 れいむは再びにこにこ顔で座席の上で弾み始める。
「ああ。これから、もっとゆっくりできよ」
 御者の青年の言葉に、れいむは返事をしない。
 口元に笑みをはりつかせて、遠くの方を眺めている。
 れいむは、実はわかってしまった。
 この馬車の行き先が、ゆっくりできない場所であることが。
 昔、もっともっと小さかった頃、まりさとれいむは二匹連れ立って周囲の野山を冒険した。
 冒険とはいっても、日暮れまでに帰ってくる遊びの延長線上。
 とはいえ、保護されない領域には危険がつきもので、危ない場所を教えあうため、まりさとれいむはお互いに意思の疎通を図っていた。
 運動神経のいいまりさが先に行き、そこがゆっくりできる場所だったら一緒に「ゆっくりしていってね!」
 そこがゆっくりできない場所なら、ゆっくりできるようにお願いする「ゆっくりしていってよ!」
 まりさが残した言葉は、そこが危険であることを示していた。また、もうまりさがゆっくりできていないことすらも意味していた。
 れいむは周囲を確認する。
 座席は人間の腰の高さほどの位置。森の近くをとおりががった時に飛び出せば、草陰に隠れて逃げのびることもできるだろう。
 だが、れいむは動かなかった。
 れいむの心には、自分の属していた群れの姿があった。
 去年、まりさを送り出した後に人間たちから贈られたたくさんの食べ物。
 そのおかげで、去年の冬越しの死者は一匹もでなかった。
 当然ながら、群れは今年も当然ながらそれをあてにしていた。この木枯らし吹き荒む時期にも関わらず食料庫に貯蔵は少ない。
 また、もし人間の不興をかって住処を追い出されたらどうなるだろう。
 巣の作り方も親に教えてもらえなかった孤児ゆっくりたちが、どうやって冬を越せるのだろうか。
 れいむは、動かなかった。
 れいむは美しいゆっくりだった。見た目も、そして心も。まるで、親友のまりさのように。
 黙りこくるれいむの耳に、朗々とした若い歌声が聞こえてきた。
「ゆーくりー♪ ゆゆっと、ゆっくーりー♪」
 照れを踏み越えたような大声で、御者の青年が歌っていた。
 じっと青年を見つめていると、青年は振り向いてにこやかな笑顔を向けてくれる。
「この歌はね、歌劇団に入ったゆっくりが最初に教えられる歌だよ。ちょっと早いけど覚えてみるかい?」
「……うん。れいむ、おうた、うたうよ」
 にっこりと、れいむは頷いていた。


 馬車は丘を越えていく。
 振り向くと、これまでの進んできた道のりが一望できた。糸のような道の先には、点のように見えるゆっくりたちの保護施設。
 だが、馬車が進むのは丘の先。うっそうとした森と、森に抱かれるような灰色の建物へ、馬車はゆっくりと山肌を縫う道を行く。
 馬車が通り過ぎたワダチから少し離れたところに、盛り上がった土の小山があった。
 人の膝ぐらいの高さに盛り上がった土くれにかけられていたのは、円の形をした黒い布切れが一つ。
 ゆっくりの住処を一望できる場所に設けられた、粗末な墓標だった。
 墓標を包み込むのは、鳥の囀り一つ聞こえない静寂の森。
 今、森に流れるのは木々を抜ける青年とれいむの和やかな歌声だけだった。
 歌声をのせて届けてくれた風が、さらさらとまりさの帽子の残骸を揺らしている。
 だが、それも少しずつ少しずつ遠ざかっていくと、後に残されたのは静寂だけ。
 やがては風は凪ぎ、木々のざわめきも聞こえない。

 無言の世界で、墓標はただ静かにゆっくりたちの住処を見守っていた。





(了)











あとがき

 どうも、地霊殿プレイ中の小山田です。
 4ボスの服装がどうみても園児服なことについて、素晴らしいと思います。

 今回は久しぶりということで、ブラッドハーレーの馬車という漫画を参考に気の向くまま書いてみました。
 あらすじにするとひどく単純な筋書きなんですが、無駄に長くなってすいません。


 あと、この話の登場キャラクターで心底むかっとする行動をしているキャラクターや、報いを何も受けてない存在が気にあるかもしれませんが、
ご容赦下さい。
 こういう話を書きたいがために設定されんだなあと、生暖かく見守ってもらえれば嬉しいです。
 ついでに散々に白い、白いと描いてましたが、カスタードって色違いました。生クリームと間違えていました。ここは卵がはいっていない
白いカスタードクリームということで一つ。