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ヘラクレス - (2014/11/18 (火) 16:30:15) の最新版との変更点
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・[[アルクメネ]]と[[ゼウス]]の子。
・[[ヘラクレス]]という名は、「[[ヘラ]]によって有名な」という意味。
女神ヘラの嫉妬によって狂わされ自身の子供と[[イピクレス]]の二人の子供を火中に投じ、
これを以て自らに追放の判決を下して[[デルポイ]]に赴き神託を乞うた時、神殿の巫女がそう呼んだという。
それまではアルケイデスと呼ばれていたとか。
・赤子の頃、[[ヘラ]]がヘラクレスを殺そうと臥床に2匹の蛇を送ったが、ヘラクレスはこれを両手で絞め殺したという。
また一説に、アルクメネの本来の夫[[アムピトリュオン]]が、ヘラクレスと共に生まれた[[イピクレス]]と
どちらが自分の子供であるかを確かめるために、自ら蛇を臥床に投げ込んだという。
・ヘラクレスはアムピトリュオンから戦車の乗り方を、[[アウトリュコス]]から相撲(レスリング)を、
[[エウリュトス]]から弓を、[[カストル]]から武器の使い方を、そして[[リノス]]から竪琴を教わったという。
なおリノスは[[オルフェウス]]の兄弟で、[[テバイ]]にやって来たがヘラクレスに竪琴で打たれて死んだとのこと。
・ヘラクレスの十二功業は、デルポイの神殿の神託により、[[ティリンス]]に住む[[エウリュステウス]]から
命じられた仕事のこと。これをすべてこなせば不死となる、という神託内容だった由。
一つ目は[[ネメアの獅子]]退治。この獅子は[[テュポン]]の子で不死だったため、ヘラクレスは首を絞めて殺した。
二つ目はレルネの[[ヒュドラ]](水蛇)退治。これは御者の[[イオラオス]]の協力を得て退治した。
(しかし御者の協力を得たため、功業に含むべきでないとエウリュステウスに言われたとか)
三つ目はケリュネイアの鹿を生きながらミュケナイへ運ぶこと。この鹿は[[アルテミス]]に捧げられる黄金の角を持った鹿だとか。
四つ目はエリュマントスの猪を生きながら持ってくること。
五つ目はアウゲイアスの家畜の糞を一日の内に一人で運び出す事。
六つ目はステュムパロスの湖に集まる鳥を追い払う事。これは、[[ヘパイストス]]から与えられた青銅のガラガラを用いて成功させた。
七つ目は[[クレタ島]]の牡牛を連れてくること。
この牡牛は、[[エウロペ]]を渡海させた牛であるとも、また[[ミノス]]が[[ポセイドン]]に捧げるための牛であるとも言われる。
八つ目はトラキア人[[ディオメデス]]の牝馬をミュケナイに運ぶこと。この馬は人食い馬だとか。
九つ目は、アマゾン族の[[ヒッポリュテ]]が持っている[[アレス]]の帯を持ってくること。
当初は交渉によって譲られる事になったが、ヘラによって戦いとなり、ヘラクレスはヒッポリュテをはじめ
アマゾン族と戦いこれを殺している。
また、このアマゾン族との戦いの帰りに[[トロイア]]に寄港、海の怪物から[[ラオメドン]]の娘[[ヘシオネ]]を救うも、
約束された報酬がもらえなかったため戦いを起こすぞと宣言、後に実行している(『イリアス』などにも言及がある)
第十の仕事として、[[ゲリュオネス]]の牛をエリュテイアから運んでくる事。
この牛は[[エキドナ]]と[[テュポン]]の子である双頭の犬[[オルトス]]に守られていたが、
ヘラクレスはこの犬を飼い主の[[エウリュティオン]]ともども殺した。
第十一の仕事として、[[ヘスペリス]]の手にある黄金の林檎を持ってくること。この林檎は
やはり[[テュポン]]と[[エキドナ]]の子である不死の百頭竜によって守られていた。
ヘラクレスはこれを、自身が蒼穹を支えている間に代わりに[[アトラス]]に取りに行かせた。
第十二の仕事として、地獄から[[ケルベロス]]を持ってくること。
・ヘラクレスはまた、[[ガイア]]と[[ウラノス]]の子である巨人(ギガース)たちをオリュンポスの神々が
退治する際、協力している。
ぎがーすたちは神々によっては滅ぼされ得ないが、人間が味方になれば退治されるという予言があり、
[[ゼウス]]が[[アテナ]]通じてヘラクレスを味方につけ、ヘラクレスの放つ矢によって
ギガースたちは滅ぼされたと云々。
・また、ヘラクレスは[[イカロス]]の死骸を発見し、これを葬って[[イカリア島]]と呼んだという。
[[ダイダロス]]はこのことに感謝してピーサにヘラクレスの像を建てたとか。
・カリュドーンにて[[デイアネイラ]]を妻とした。
・エウエノス河を渡る際、妻のデイアネイラが川を渡れないで困っていた際にケンタウロスの[[ネッソス]]が
助力を申し出、妻を託したがネッソスはデイアネイラに乱暴しようとしたので、ヘラクレスに誅された。
しかしこの犀、ネッソスはデイアネイラに、もしヘラクレスに効く媚薬が欲しいなら
ネッソスが地上に落とした精液と鏃の傷から流れた血を混ぜ合わせよと言い残し、デイアネイラはこれを持ち帰る。
この血は[[ヒュドラ]]の毒であり、後にデイアネイラがこれをヘラクレスの下着に塗ると
その皮膚に張り付いて腐食しはじめ、これが原因でヘラクレスは人間としては死ぬ事になる。
この事実を知ったデイアネイラは自ら縊れたと云々。
またヘラクレスが火葬されると、ヘラとヘラクレスは仲直りし、ヘラクレスは神となったという。
・ヘラクレスが十二功業のうちの十一番目を遂行するための移動中、アジアの港テルミュドライに立ち寄り、
そこで牛追いの車を引く牛のうち片方を犠牲にした。牛追いは自身の力ではどうすることもできなかったため
山の上に立ってヘラクレスを呪った。故に今でもヘラクレスに犠牲を捧げる際は呪いとともにこれを行うのだ、
という起源譚がアポロドーロス『ギリシア神話』にある。
現実のヘラクレス祭祀の際に、何かそのような習慣があったものか。
参考文献
『ギリシア神話』アポロドーロス
『イリアス(上)』ホメロス
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・[[アルクメネ]]と[[ゼウス]]の子。
・[[ヘラクレス]]という名は、「[[ヘラ]]によって有名な」という意味。
女神ヘラの嫉妬によって狂わされ自身の子供と[[イピクレス]]の二人の子供を火中に投じ、
これを以て自らに追放の判決を下して[[デルポイ]]に赴き神託を乞うた時、神殿の巫女がそう呼んだという。
それまではアルケイデスと呼ばれていたとか。
・赤子の頃、[[ヘラ]]がヘラクレスを殺そうと臥床に2匹の蛇を送ったが、ヘラクレスはこれを両手で絞め殺したという。
また一説に、アルクメネの本来の夫[[アムピトリュオン]]が、ヘラクレスと共に生まれた[[イピクレス]]と
どちらが自分の子供であるかを確かめるために、自ら蛇を臥床に投げ込んだという。
・ヘラクレスはアムピトリュオンから戦車の乗り方を、[[アウトリュコス]]から相撲(レスリング)を、
[[エウリュトス]]から弓を、[[カストル]]から武器の使い方を、そして[[リノス]]から竪琴を教わったという。
なおリノスは[[オルフェウス]]の兄弟で、[[テバイ]]にやって来たがヘラクレスに竪琴で打たれて死んだとのこと。
・ヘラクレスの十二功業は、デルポイの神殿の神託により、[[ティリンス]]に住む[[エウリュステウス]]から
命じられた仕事のこと。これをすべてこなせば不死となる、という神託内容だった由。
一つ目は[[ネメアの獅子]]退治。この獅子は[[テュポン]]の子で不死だったため、ヘラクレスは首を絞めて殺した。
二つ目はレルネの[[ヒュドラ]](水蛇)退治。これは御者の[[イオラオス]]の協力を得て退治した。
(しかし御者の協力を得たため、功業に含むべきでないとエウリュステウスに言われたとか)
三つ目はケリュネイアの鹿を生きながらミュケナイへ運ぶこと。この鹿は[[アルテミス]]に捧げられる黄金の角を持った鹿だとか。
四つ目はエリュマントスの猪を生きながら持ってくること。
五つ目はアウゲイアスの家畜の糞を一日の内に一人で運び出す事。
六つ目はステュムパロスの湖に集まる鳥を追い払う事。これは、[[ヘパイストス]]から与えられた青銅のガラガラを用いて成功させた。
七つ目は[[クレタ島]]の牡牛を連れてくること。
この牡牛は、[[エウロペ]]を渡海させた牛であるとも、また[[ミノス]]が[[ポセイドン]]に捧げるための牛であるとも言われる。
八つ目はトラキア人[[ディオメデス]]の牝馬をミュケナイに運ぶこと。この馬は人食い馬だとか。
九つ目は、アマゾン族の[[ヒッポリュテ]]が持っている[[アレス]]の帯を持ってくること。
当初は交渉によって譲られる事になったが、ヘラによって戦いとなり、ヘラクレスはヒッポリュテをはじめ
アマゾン族と戦いこれを殺している。
また、このアマゾン族との戦いの帰りに[[トロイア]]に寄港、海の怪物から[[ラオメドン]]の娘[[ヘシオネ]]を救うも、
約束された報酬がもらえなかったため戦いを起こすぞと宣言、後に実行している(『イリアス』などにも言及がある)
第十の仕事として、[[ゲリュオネス]]の牛をエリュテイアから運んでくる事。
この牛は[[エキドナ]]と[[テュポン]]の子である双頭の犬[[オルトス]]に守られていたが、
ヘラクレスはこの犬を飼い主の[[エウリュティオン]]ともども殺した。
第十一の仕事として、[[ヘスペリス]]の手にある黄金の林檎を持ってくること。この林檎は
やはり[[テュポン]]と[[エキドナ]]の子である不死の百頭竜によって守られていた。
ヘラクレスはこれを、自身が蒼穹を支えている間に代わりに[[アトラス]]に取りに行かせた。
第十二の仕事として、地獄から[[ケルベロス]]を持ってくること。
・ヘラクレスはまた、[[ガイア]]と[[ウラノス]]の子である巨人(ギガース)たちをオリュンポスの神々が
退治する際、協力している。
ギガースたちは神々によっては滅ぼされ得ないが、人間が味方になれば退治されるという予言があり、
[[ゼウス]]が[[アテナ]]通じてヘラクレスを味方につけ、ヘラクレスの放つ矢によって
ギガースたちは滅ぼされたと云々。
・また、ヘラクレスは[[イカロス]]の死骸を発見し、これを葬って[[イカリア島]]と呼んだという。
[[ダイダロス]]はこのことに感謝してピーサにヘラクレスの像を建てたとか。
・カリュドーンにて[[デイアネイラ]]を妻とした。
・エウエノス河を渡る際、妻のデイアネイラが川を渡れないで困っていた際にケンタウロスの[[ネッソス]]が
助力を申し出、妻を託したがネッソスはデイアネイラに乱暴しようとしたので、ヘラクレスに誅された。
しかしこの犀、ネッソスはデイアネイラに、もしヘラクレスに効く媚薬が欲しいなら
ネッソスが地上に落とした精液と鏃の傷から流れた血を混ぜ合わせよと言い残し、デイアネイラはこれを持ち帰る。
この血は[[ヒュドラ]]の毒であり、後にデイアネイラがこれをヘラクレスの下着に塗ると
その皮膚に張り付いて腐食しはじめ、これが原因でヘラクレスは人間としては死ぬ事になる。
この事実を知ったデイアネイラは自ら縊れたと云々。
またヘラクレスが火葬されると、ヘラとヘラクレスは仲直りし、ヘラクレスは神となったという。
・ヘラクレスが十二功業のうちの十一番目を遂行するための移動中、アジアの港テルミュドライに立ち寄り、
そこで牛追いの車を引く牛のうち片方を犠牲にした。牛追いは自身の力ではどうすることもできなかったため
山の上に立ってヘラクレスを呪った。故に今でもヘラクレスに犠牲を捧げる際は呪いとともにこれを行うのだ、
という起源譚がアポロドーロス『ギリシア神話』にある。
現実のヘラクレス祭祀の際に、何かそのような習慣があったものか。
・[[メガラ]]で行われていたポルトスと呼ばれる喜劇に、「ご馳走にありつきそこなったヘラクレス」といった、ヘラクレスが下品な所作をして観客を笑わせるものが盛んに行われていたとか。
・古来、[[ジブラルタル海峡]]を「ヘラクレスの柱」と呼ぶ。
十二巧業のうちの十番目の難題に挑んでいた途上、リビュアとヨーロッパの境界で山を引き裂き、
海峡を挟んで相対する標柱に仕立てたという神話に由来するとか。
・プリニウス『博物誌』第五巻に、アフリカ大陸の大西洋岸にある[[リクスス]]という、
[[クラウディウス]]帝による植民市があり、この地がヘラクレスの十一番目の難題、
黄金のリンゴのあったヘスペリデスの庭園、およびこの時にヘラクレスと戦い敗れた[[アンタイオス]]の宮殿であるとする説を載せる。
また、黄金のリンゴを守る守護竜について、このリクススの地が入海が陸の中へ延びて曲がりくねった
水路を形成しているところが守護竜の姿に幾分似ているとしている。
ただし、その島にはヘラクレスの祭壇というのはあるが、野生のオリーブ樹が数本あるだけで
黄金の果実がなったという森などは見られないともしている。
・プリニウス『博物誌』第十二巻に、プリニウスの時代の人々はいまだにヘラクレスに[[ポプラ]]の木を捧げている旨の記述がある。
・プリニウス『博物誌』第十七巻によれば、畑を豊かにするために[[下肥]]を用いる方法について、ギリシャではその発明者を
ヘラクレス十二功業のうち五つ目のアウゲイアス王の家畜小屋掃除エピソードに登場したアウゲイアス王だとしており、
そのイタリアへの導入はヘラクレスに帰せられている、という。
(zsphereコメント:こじつけ感ハンパないw)
・ヘロドトスは、ヘラクレスという名前がもともとはエジプトに由来しているという見解を述べており、
その証拠の一つとして、ヘラクレスの系譜が遠くエジプトの名祖[[アイギュプトス]]や[[ダナオス]]からの
血統をひいているからであるとしている。
ちなみに、ヘラクレスの親[[アルクメネ]]は[[ペルセウス]]の孫にあたり、
このペルセウスがアイギュプトスとダナオスの系譜をひいているのだとか。
・またヘロドトス『歴史』巻四に、スキタイ地方には岩に記された「ヘラクレスの足跡」なるものがあり、
その長さは2ペキュス(90センチ)ほどもあるという。
・[[マラトン]]平野の住民たちは、伝承の上で、ヘラクレスを最初に神格として信仰したのは自分たちである、
と主張しているという話がパウサニアス『ギリシア案内記』第1巻第15章にある。
実際、マラトン平野南端のヴァラリアという地から、ヘラクレスへの奉納銘の刻まれた前五世紀半ばの
彫像台座および彫像断片が発掘されているほか、第二次大戦以前の発掘では
前六世紀末の古い法律の条文と、前五世紀初めのヘラクレス祭競技運営規定を表と裏にそれぞれ刻んだ
石柱が発見されており、このあたりの地域にヘラクレスの聖域が所在したと今日見なされているという。
・ひもなどの結び方で本結びのことを古代ギリシャで「ヘラクレスの結び目」と言い、
固い絆、特に愛の絆を現したので、婚姻の贈り物のアクセサリーなどにデザインされる事があった。
参考文献
『ギリシア神話』アポロドーロス
『イリアス(上)』ホメロス
『歴史(上)』ヘロドトス
『歴史(中)』ヘロドトス
『ギリシア案内記(上)』パウサニアス
『アレクサンドロス大王東征記(上)』アッリアノス
『プリニウスの博物誌 Ⅰ』
『プリニウスの博物誌 Ⅲ』
『黄金伝説展』国立西洋美術館企画展図録
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