「亀」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

- (2010/12/30 (木) 09:53:42) の最新版との変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

・[[文武天皇]]の代、瑞祥として様々なものが現れた最後に霊亀が現れた。    左京人大初位下高田首久比麻呂が献じたもので、    長さ七寸、広さ六寸、左目白く右目赤く首に三公、背に七星をあらわし、    前脚に離の卦、後ろ脚に一爻あり、腹下には赤白二点あり。    この亀の献上により、間もなく[[元正天皇]]即位されると「霊亀」と改元された。 ・養老七年十月十一日、左京人紀朝臣家が白亀を献上。    長さ一寸半、広さ一寸、両目とも赤く、これをもって    元正天皇は翌年[[聖武天皇]]に譲位し、同時に「神亀」と改元した。 ・神亀六年六月二十日、河内国古市郡の[[賀茂子虫]]により長さ五寸三分、    広さ四寸五分、背に「天王貴平知百年」の文ある亀を発見、    同八月五日に天皇より「天平」と改元する詔発せられる。    子虫はこれにより従六位上、子虫に瑞亀の献上を示唆した唐僧[[道栄]]も    従五位下の階に準じ緋色の袈裟を賜ったと。    (この河内国古市郡からは天平十八年にも白亀が尾張王なる者によって発見、献上されており、     これによる改元はなかったが、同地での発見は偶然とは思われない由) (『日本陰陽道史総説』)
・[[鵜飼]]の際、鵜の餌として亀の肉を用いていた事が古来広く知られていた。 『平家物語』巻六「祇園女御」の段に、 「桂の鵜飼が鵜の餌にせんとて、カメをとつてころさんとしけるを……」 の一節があり、また『梁塵秘抄』に 「鵜飼はいとほしや 万劫年経る亀殺し  また鵜飼の首を結ひ 現世はかくてもありぬべし  後生わが身をいかにせん」 がある。 ・亀卜   【『大宝律令』に、神祇官に「卜部」(うらべ)を設け、「対馬卜部十人、壱岐五人、伊豆五人」を登用すると定められています。】(ISIS本座 バジラな神々)    亀卜は中国でも行われていたが、中国が淡水産の亀を使うのに対して、日本では海亀の甲羅を使う。    割れ方は全然違ってくる。 ・[[亀と改元]]       参考文献 『新編日本古典文学全集 神楽歌・催馬楽・梁塵秘抄・閑吟集』 #amazon(4096580422,image,text)

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: