聖シメオン(引用)

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聖シメオン(引用) - (2016/11/10 (木) 04:49:27) の編集履歴(バックアップ)


      →聖シメオン


こうした修道生活の英雄の中で、柱上行者シメオンの名前と天才とは空中苦行という目覚ましい発明によって不朽に伝えられた。このシリア生れの若者は十三歳の時羊飼いの職業を棄てて厳格な修道院に身を投じた。新発意としての長い痛ましい修業中に、シメオンは幾度か信仰上からの自殺を企てたが、その都度救われた。その期間が過ぎると、彼はアンティオキアの東三四十マイルの或る山の上に住居を定めた。初め彼は石の円柵の中に太い鉄鎖で体を繋いでいたが、後には一本の柱を立ててその上に棲み、しかもその柱は地上九フィートから漸次だんだん高められて六十フィートに及んだ。彼はこのような高い位置で三十年の夏の酷熱と、同じく冬の酷寒を凌いだ。彼は習慣や練習によってその危険な位置を恐れなくまた眩暈なく維持し得るようになり、絶えずさまざまの礼拝姿勢を取るのであった。(中略)そしてこの忍耐強い行者はその柱から下りないで息を引取った。このような拷問を人に与えるような君主は暴君と見られたであろう。しかしどんな暴君の権力をもってしても嫌がる犠牲者にたいしてこのような長い惨めな生存を強制することは不可能であったろう。この自発的な殉教は心身双方の感受性を自然に破壊したに相違ない。それにまた自分自身を苦しめるこんな狂信者が他の人間に対していきいきした愛情を感じ得るとは到底断言することはできないのである。あらゆる時代及びあらゆる国土の修道僧らの特色は残忍冷酷な気質であった。彼らの峻厳な無頓着は個人的友情によって和らげられることがほとんどなく、宗教的憎悪によって煽り立てられた。そして彼らの無慈悲な宗教的熱心は、異端摘発という神聖な職務を精励に行って来たのである。
                                 (ギボン『ローマ帝国衰亡史』第三十七章)