・『日本書紀』天智天皇七年([[668年]])に、「沙門[[道行]]、草薙剣を盗みて、[[新羅]]に逃げ向く。而して中路にて雨風荒れ、迷いて帰る」 という記事がある。 この道行という人物は記紀には他に見えないが、[[愛知県]]知多市にある[[法海寺]]は道行の開基としており、 『法海寺略由緒』では、熱田の宝剣を盗んで逃げようとしたが発覚し、星崎の浦にある土牢に囚われたが、 後に高僧であることが認められ、天智天皇の病に加持祈祷を行って平癒させたので、[[薬師如来]]を本尊とする法海寺が建立されたと伝える。 ・道行の一件からしばらく、草薙剣は宮中に留め置かれたようで、それから18年後の[[686年]](天武天皇朱鳥元年)、 天武天皇の病が重くなり、占うと草薙剣が祟っていると出たので、尾張国[[熱田神宮]]に送り届けられたという。 ・江戸時代に、熱田の社家四、五人がご神体の草薙剣を見た時の記録『玉籤集裏書』という文書があり、 それによればご神体草薙剣は、五尺(およそ1m50cm)の木の箱にはいっており、木箱の中に石の箱が入っていたのだが、 木箱と石箱の間は赤土によって包まれていたという。さらに石の箱の中に樟の箱があり、その中にご神体が入っていたのだが、 石箱と樟箱の間も赤土に包まれていたという。 中身の剣は長さが二尺七~八寸(81~84cm)で、刃先が菖蒲の葉のようになり、中ほどは厚みがあり、全体は白い色をしていたという。 ただし、暗闇の火明かりで恐る恐る覗き込んだだけの観察であるため、正確であるかどうかには留保があると云々。 参考文献 『日本神話の考古学』森浩一 #amazon(4022612584, image, text)