南羽鳥古墳群

私的伝奇関係データベース @ ウィキ内検索 / 「南羽鳥古墳群」で検索した結果

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  • 南羽鳥古墳群
    千葉県成田市の北西部に所在。 同古墳群内の正福寺1号墳より、ムササビをかたどったムササビ型埴輪が出土している。    ムササビをかたどった埴輪は日本で唯一、この古墳で発見されたもののみだという。       参考文献 東京新聞2016年2月17日記事
  • ムササビ
    ...   千葉県成田市の南羽鳥古墳群正福寺1号墳から出土している。       参考文献 東京新聞2016年2月17日記事
  • 千葉県
    ...に配置された円墳) 南羽鳥古墳群(日本で唯一の、ムササビ型埴輪が出土)    寺 東光院(伝・七仏薬師如来像を所蔵)    神社 洲宮神社 小鷹神社    その他施設    当地出身の著名人    伝説    略史
  • 古墳・遺跡
    ...に配置された円墳) 南羽鳥古墳群(日本で唯一の、ムササビ型埴輪が出土)      長野県 旧御射山遺跡(諏訪大社下社御射山祭りの祭儀・競技場と見られる土檀等)      新潟県 耳取遺跡(県内最大のヒスイ製大珠が出土) 菖蒲塚古墳(日本海側最北端の前方後円墳) 城の山古墳(古墳時代前期の円墳。盤龍鏡が出土) 行屋崎遺跡(新潟平野では初の、飛鳥時代の集落遺跡)      富山県 朝日貝塚(長さ16cmの硬玉ヒスイ製大珠が出土) 桜町遺跡(環状木柱列の出土で著名)      石川県 真脇遺跡(縄文時代。環状木柱列がある事で著名。軸組み工法を示す木材も出土) チカモリ遺跡(環状木柱列の出土で有名) 小川新遺跡(平安時代末~室町時代の遺跡。「急急如律令」と書かれた呪符木簡が出土)      福井県 鳥浜貝塚(世界最古のウルシの自然木が発見された...
  • 稲荷台古墳群
    千葉県市原市に所在。 場所は上総国分寺・国分尼寺跡に近く、古代上総の中心地であったと見られる。 「王賜」銘の鉄剣が出土している。 同古墳群に、北斗七星を裏返した形に配置された円墳が存在しており、    発掘調査により9~10世紀に墳丘上で灯明を灯していた事も判明しているという。    (こうしたことから、この地を北斗七星信仰の祭祀が行われた場所であるとする説もある)       参考文献 読売新聞2013年6月5日朝刊
  • ニサンザイ古墳
    大阪府堺市北区に所在。前方後円墳。 百舌鳥古墳群の東端に位置する。宮内庁により陵墓参考地に指定されている。 5世紀後半の築造とみられる。 2013年2月21日、同古墳の後円部側の堀に、柱穴29個と、柱とみられるクヌギ2本が見つかったと発表される。 1.6~2.0m間隔の柱穴列が南北に7列、東西に3列あり、    このうち南北7列の中の4列目は古墳の中心線の延長線上にほぼ一致。    橋がかかっていた可能性が極めて高いと云々。 。その後、2016年1月27日に続報が公表され、新たに柱穴5か所が検出され、    幅12m、長さ45m以上という、古墳時代最大規模の木橋だった事が判明した。    また、当時の堤の高さなどから橋脚の長さが5~6.5mほどだった事も判明した。       参考文献 毎日新聞2013年2月22日朝刊 毎日新聞2016年1月2...
  • 山田大山古墳群
    兵庫県丹波市春日町山田に所在。 2014年6月下旬、同古墳群の5号墳で、6世紀初めごろのものと見られるT字形の横穴式石室を発見。       参考文献 神戸新聞NEXT 2014年8月7日記事
  • 良洞里古墳群
    良洞里は「ヨンドンニ」と読む。 朝鮮半島南端の金海に所在。 同古墳群のうち、二世紀後半のものとおもわれる土壙木槨墓の162号墳より、    玉や鉄製の武器類とともに、銅鏡十面が出土したという。    日本と違い、大陸では鏡を複数埋納する事例は極めて稀なため、貴重な事例であると云々。       参考文献 『日本神話の考古学』森浩一 日本神話の考古学 (朝日文庫)
  • 対田清水谷古墳群
    兵庫県新温泉町に所在。 古墳時代前期~中期の、木棺を直葬した小規模な墳墓が11基見つかっている。 このうちの一つから、日本最長となる長さ75cmの標石(墓標)が墓穴に立てられているのが見つかった。 このような標石は山陰地方に出土例が多いが、通常は20~25cmほどだという。 また同じ古墳群から、長さ10.6cmのL字状の石杵も発見された。    これも山陰地方では墓穴に直接立てる事例があり、この石杵も当初は立てて設置されていた可能性があるとか。       参考文献 産経ニュース 2013年8月22日
  • 前方後円墳索引
       →県別前方後円墳大きさ比べ    あ行 石塚山古墳(福岡県、九州で最大・最古、14面の三角縁神獣鏡が出土、110m) 和泉黄金塚古墳(大阪府、景初三年銘の画文帯神獣鏡、94m) 五塚原古墳(京都府、箸墓古墳と同形のものの中で最古級の前方後円墳) 稲荷山古墳(埼玉)(埼玉県、稲荷山古墳出土鉄剣銘) 井辺八幡山古墳(和歌山県、88m) 宇田見古墳(島根県隠岐島、最小級の前方後円墳、10m) 大谷古墳(和歌山県、石棺に使われた石材が中部九州のもの、70m) オサホ塚古墳(宮崎県、西都原古墳群に所在、九州最大の前方後円墳、219m)    か行 黒塚古墳(奈良県天理市、33面の三角縁神獣鏡が出土、132m) 五色塚古墳(兵庫県神戸市、192m、県内最大)    さ行 西陵古墳(大阪府、全長210m、前方部北東に渡り土手) 桜井茶臼山古墳(奈良県、全長200m...
  • 神花山古墳
    山口県熊毛郡平生町に所在。 被葬者が女性であったことで著名。 同古墳の所在する平生町は、近世の水田開発で埋め立てられるまでは南北12kmほどの長い島だったと見られる。 また、同地域に県内最大の白鳥古墳(山口)も所在する。       参考文献 『日本神話の考古学』森浩一 日本神話の考古学 (朝日文庫)
  • 西都原古墳群
    宮崎県西都市に所在。 九州最大の前方後円墳オサホ塚古墳、同じく第二位の大きさのメサホ塚古墳を擁する、一大陵墓群。    そのほか、台地状の地形の上に約300基の古墳が存在し、    さらに地上に指標物を持たない地下式横穴墓も多数存在する。 存在する古墳の総数の内、約一割(32基)が前方後円墳。    事実上、九州で最も前方後円墳が集中していることになる。       参考文献 『日本神話の考古学』森浩一 日本神話の考古学 (朝日文庫)
  • 天王塚山古墳
    和歌山県和歌山市吉礼・下和佐に所在。 岩崎千塚古墳群に所属する、六世紀半ば頃の前方後円墳。 2015年、調査によって全長が88mで、和歌山県内最大の前方後円墳であることが判明した。 また、古墳内の横穴式石室の天井の高さが5,9mあり、全国で二番目である事も知られている。       参考文献 産経ニュース 2015年10月15日記事
  • 黒塚古墳
    奈良県天理市に所在。全長132メートル、柳本古墳群に属する。 1997年の発掘調査により、三角縁神獣鏡を中心とした34面の鏡が出土。    このうち33面の三角縁神獣鏡は被葬者の傍ではなく、    竪穴式石室の左右側壁と北小口壁に、木棺の北半分をコの字形に囲むように立てかけられていた。    一方棺内で被葬者の頭の上、木棺内の北端部に別種の鏡(画文帯神獣鏡)が立てかけられており、    三角縁神獣鏡より漢鏡を重視していたようにも解釈できる。 (ただし、この漢鏡は魏代に作られた倣古鏡の可能性も指摘されている) (『古墳』土生田純之)
  • オサホ塚古墳
    宮崎県西都市、西都原古墳群内に所在。 九州最大の前方後円墳。墳丘長219m。 前方部の変形が著しく、隣接するメサホ塚古墳築造のため一部が破壊されたと見る説もある。    一方で、元から前方部の短い帆立貝式古墳と見る向きもある。 明治初期頃まで、ここをニニギノミコトの陵墓とする伝説・信仰が存在していたという。    ただし1874年(明治七年)の明治政府による陵墓決定ではそのように認定されず、    現在に至るまで陵墓参考地の扱いを受けている(従って考古学調査はできない)。       参考文献 『日本神話の考古学』森浩一 日本神話の考古学 (朝日文庫)
  • メサホ塚古墳
    宮崎県西都市、西都原古墳群内に所在。 九州で二番目に大きい前方後円墳。全長174m。 九州最大の前方後円墳オサホ塚古墳と隣接している。築造年代はメサホ塚の方が遅い。 周囲に形の整った空堀を持つなど、大和・河内地方の五世紀の前方後円墳に近い形をしている。 コノハナサクヤヒメの陵墓であるとする伝説・信仰が存在したという。    ただし、1874年(明治七年)の明治政府による陵墓決定ではそのような認定はされず、    現在は陵墓参考地とされている。(したがって考古学調査はできない。)       参考文献 『日本神話の考古学』森浩一 日本神話の考古学 (朝日文庫)
  • おじょか古墳
    三重県志摩市阿児町志島に所在する志島古墳群の11号古墳。    横穴式石室を持つ。 「おじょか」は「王女塚」の転訛で、女性首長が葬られていたという説もある。 羨道が奥の石室よりも一段高く作られ、横穴の壁面が入口に向かってハの字型に広がる特異な構造を持つ。 1967年(昭和四十二年)の発掘調査で、羨道玄門側に鉄剣と鉄刀が2本ずつ、    玄室の天井石直上に短甲と二本の鉄鉾、鉄剣と二本の鉄刀、刀子を確認。    玄室からの副葬品として方格規矩鏡と珠文鏡、多数の櫛や玉、    鉄剣と七本の鉄刀、二丁の鉄鎌、五丁の鉄斧、多数の鉄鏃、    被葬者の頭の位置に直弧文の埴製枕が見つかった。 (バジラな神々 第8柱・第9柱-8)
  • 山口県
       地理(山川) 景清洞    主要建造物    遺跡・古墳 白鳥古墳(山口) 神花山古墳 引野遺跡(弥生時代の高地性集落。カンガラ山山頂に所在)    寺    神社    その他施設    当地出身の著名人    伝説    略史
  • 白鳥古墳(山口)
    山口県熊毛郡平生町に所在。 同県最大の前方後円墳。 同古墳の所在する平生町は、近世の水田開発で埋め立てられるまでは南北12kmほどの細長い島だったと見られる。 また、同じ地域に神花山古墳も所在。     参考文献 『日本神話の考古学』森浩一 日本神話の考古学 (朝日文庫)
  • 兵庫県
       地理(山川) 淡路島    地名 赤穂    主要建造物    遺跡・古墳 塩田北山東古墳 対田清水谷古墳群 山田大山古墳群(6世紀初めごろの、T字形の横穴式石室を持つ古墳を発見) 見野古墳群(六世紀末から七世紀初頭、ネコの足跡がついた須恵器が出土)    寺    神社 射楯兵主神社(播磨国総社) 広峰神社 広田神社    その他施設    当地出身の著名人 石田梅岩(石門心学の提唱者)    伝説    略史
  • 宮崎県
       地理(山川)    主要建造物    遺跡・古墳 本野原遺跡(宮崎市。縄文時代の遺跡。発掘された縄文土器片から、ゴキブリの卵の痕跡を検出) 西都原古墳群(九州第1位、第2位の大きさの前方後円墳を擁する大規模古墳群) 島内地下式横穴墓群(古墳時代の遺跡。全国初の、銀象眼を施された鍛冶道具が出土)    寺    神社 青島神社    その他施設    当地出身の著名人    伝説    略史
  • M:古墳が信仰対象になったケースについてのメモ
    埼玉県行田市の埼玉古墳群に近い式内社前玉神社が鎮座している塚は古墳である事が判明しており、    現在浅間塚古墳と呼ばれている。 熊本県のチブサン古墳では、『肥後国誌』という本にこの古墳の壁画から、    産塚と呼ばれて乳の出の良くない母親に効き目があると伝わっていたと言い、    この言い伝えは昭和二年の史蹟調査の際にも確認されているという。 埼玉県ふじみ野市のハケ山遺跡では、御嶽山神社の鎮座する塚に隣接して    方形の地形の隆起があり、前方後円墳ではないかと指摘されている。    またこの塚の周囲、周溝ではないかと見られる遺構から巫女姿の人物埴輪が出土。
  • 朝鮮半島の遺跡
    フェヒョンニ貝塚 良洞里古墳群 金山里方台形古墳
  • 見野古墳群
    兵庫県姫路市四郷町に所在 2007年9月、6号墳より、    ネコと見られる小動物の足跡がついた六世紀末~七世紀初頭の須恵器が発見されたという。    「杯身(つきみ)」と呼ばれる蓋付き食器の内側に直径約3cmほどの爪の無い肉球の跡が残っていたという。    ネコの日本への渡来は通常八世紀ごろ、奈良時代と見られるが、    この足跡をネコのものだとするなら大幅に覆るという。       参考文献 産経新聞2007年9月4日記事
  • 三角縁神獣鏡
    箸墓古墳、ホケノ山古墳築造以前の古墳群の中からは、  三角縁神獣鏡は一枚も出土していないという。 (『シリーズ「遺跡を学ぶ」035 最初の巨大古墳 箸墓古墳』清水眞一) 記紀神話の天石屋戸の段で八咫鏡を作った伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと、石凝戸邊)を祭る    奈良県の鏡作坐天照御魂神社には三角縁神獣鏡(唐草文帯三神二獣鏡)の一部が    伝えられており、記紀の宝鏡のイメージに3,4世紀頃の銅鏡のイメージが含まれていた事を示している。 (『日本神道史』岡田壮司) 最初の巨大古墳・箸墓古墳 (シリーズ「遺跡を学ぶ」) 日本神道史
  • くちなし玉
    古墳などから副葬品として見つかる考古遺物のひとつ。 クチナシの実に似ている事からこの名がある。    形としては、縦方向にヒダを持った数珠玉のような形(カボチャの実のような?)をした、    銀製の装飾品。 主に近畿地方で出土する場合が多い。また、皇族らの古墳から出土する傾向が強い。 2014年、福岡県久留米市の隅山古墳群にある円墳から13個出土している。       参考文献 読売新聞2014年10月4日記事
  • 六鈴鏡
    石川県能美市の能美古墳群・和田一号墳から出土。    縁に六つの鈴がついた銅製の鏡。 リンク:京都国立博物館HP 同古墳の棺内から子供の歯が検出され、また腰に銅鏡をさげた巫女の埴輪があったことから、    巫女として育てられようとした豪族幼女の墓と考えられているという。 また、同二号墳からも、鈴のついた銅製の腕輪が出土している。 (『県史17 石川県の歴史』)
  • コノハナサクヤヒメ
    木花之佐久夜毘売       ・コノハナサクヤヒメを祀る神社 オオヤマツミの娘。またの名を神阿多都比売(かむあたつひめ)。 コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの話は、    古事記ではオオヤマツミの解説によって「天皇の寿命」の起源が語られるのに対し、    一方の『日本書紀』一書では、拒否されたイワナガヒメの呪詛の言葉として、    人類一般の死の起源の話となっている点に注意。 宮崎県西都市の西都原古墳群に属するメサホ塚古墳を、コノハナサクヤヒメの陵墓とする    伝説・信仰が明治初期まで残っていたという。       参考文献 『かぐや姫の光と影』梅山秀幸 『日本神話の考古学』森浩一 かぐや姫の光と影―物語の初めに隠されたこと 日本神話の考古学 (朝日文庫)
  • 北斗七星
    おおぐま座を構成する七つの星。       日本国内 千葉県市原市所在の稲荷台古墳群に、北斗七星を裏返した形に配置された円墳が存在する。     発掘調査により、9~10世紀頃、この円墳の墳丘上で灯明を灯した形跡が確認されており、     同地を北斗七星祭祀が行われた場所だったのではないかとする。     また、房総半島では当時、七仏薬師の信仰も盛んであり、この点も関連があるのではないかとされている     (献灯が薬師経で重視されている祭儀であるなど、考慮すべき事が多い)       参考文献 読売新聞平成25年6月5日朝刊
  • ネコ
    ヘロドトス『歴史』巻二によれば、エジプト人はネコが死ぬと、    ブバスティスの埋葬所へ運んで、ミイラにして葬っていたという。    犬が死んだ場合には、持ち主が各自自分の町の墓地へ埋葬していたとのこと。 2007年9月、兵庫県姫路市四郷町の見野古墳群6号墳より、    ネコと見られる小動物の足跡がついた六世紀末~七世紀初頭の須恵器が発見されたという。    「杯身(つきみ)」と呼ばれる蓋付き食器の内側に直径約3cmほどの爪の無い肉球の跡が残っていたという。    ネコの日本への渡来は通常八世紀ごろ、奈良時代と見られるが、    この足跡をネコのものだとするなら大幅に覆るという。 (その他、壱岐のカラカミ遺跡から2100~2200年前、弥生時代のイエネコの骨が  発見されたという情報もあるようだが、良いソースが見当たらなかったので保留。いずれ) ...
  • M:鏡についての横断的なメモ
    •古来、鏡を研磨するために使用されていたのは水銀。江戸時代、富山県の氷見に集まっていた鏡研ぎ職人たちを民俗学者が調べたところでは、    水銀60gにシャリキンと呼ばれる細かい砂を23gの割合で混合した「練り」とよばれるものを鏡面に塗り付け、    これを朴の葉でこすっていたという(『日本民俗文化大系14 技術と民俗 下』小学館)。      数量 一つの墳墓から出土した鏡の数で最多は、現在のところ、福岡県糸島市の平原遺跡1号墳から出土した39面。    また、その中の4面は、直径46.5cm、重さ約8kgという超大型の内行花文鏡だった。 大陸では、鏡は通常化粧道具と認識されているため、副葬品として埋納される鏡は一面、     もしくは大きさ違いを二面という場合が多い。多数の鏡が副葬されることは大変稀。     例外として多数の鏡が発掘された例と...
  • 西殿塚古墳
    天理市に所在 全長230mの前方後円墳。 宮内庁書陵部は、継体天皇の皇后、手白香皇女の墓に比定している。    一方、考古学者の間では、箸墓古墳の次に作られた古墳である可能性が高いと見られ、    箸墓を卑弥呼の墓と見る学者の中にはこの西殿塚古墳を卑弥呼の後継者台与の墓とする者もある。 前方部、後円部それぞれに方形の壇が存在する事が知られている。    後円部の方形壇は一辺35m、高さ2.6m。    前方部の方形壇は2014年に詳細が判明、こちらは一辺22m、高さ2.2m。    古墳全体を覆う葺石と同じくらいの、こぶし大から人頭大ほどの石に覆われ、さらにその下にも石が続いている事から    壇全体が石積みで造られたものと見られる。 (古墳上に方形壇が築かれる事はままあるが、土を盛って作る事が多く、石積みのものは珍しいとのこと)       参考文献...
  • 古墳時代
    7世紀代の方墳で最大のものは千葉県栄町の岩屋古墳(一辺が80メートル)、    円墳で最大のものは栃木県壬生町の車塚古墳(直径82メートル)といずれも東国にあり、    考古学的にはこの年代の東国の伸張著しい事がうかがえる。 (『季刊考古学』第117号) 季刊考古学 第117号
  • 箸墓古墳
    三輪山の麓、大和平野に所在。 纒向遺跡に隣接する。 現在は宮内庁の管理下にある。そのため、考古学上の調査は実施されたことがない。  宮内庁では、「倭迹迹日百襲姫命(やまととびももそひめのみこと)・大市墓(おおいちのはか)」が正式名称。 後円部上に石積みの円形壇が存在する。 濠に囲まれてはいるが、古墳築造時は空濠であったと思われる。  常時滞水され、周辺の農業用水に使用されるようになるのは江戸時代に入ってから。 円筒埴輪に移行する過渡期にあたる、特殊器台と呼ばれる埴輪が出土する。  宮内庁書陵部によれば、、主に後円部周辺から出ているという。  なお、前方部周辺からは特殊器台はわずかしかでておらず、特殊大型壺の破片が少し出土したとのこと。 南東部の濠の中から、輪鐙が出土している。  4世紀初めごろの土器片と共に出土しており、儀式用ではなく実用品で、  4世...
  • キトラ古墳
    奈良県高市郡明日香村に所在。 墳丘は直径13.8mの小型の円墳。 石室に複数の壁画が発見されて話題になる。    南壁に朱雀、東壁に青龍、西壁に白虎、北壁に玄武が描かれている。    さらにその下に、十二支像を各方位3種ずつ配していたものと思われる    (現在は北壁を中心とした一部のみ確認されている) 「キトラ」という古墳名は、発見当初、四神のうち玄武と白虎の壁画が先に確認されたことから、     「亀虎」古墳と命名されたのが由来とのこと。 中国唐代の古墳に四神が描かれる場合、東壁の青龍と西壁の白虎は共に南壁の朱雀の方を向いているが、    キトラ古墳の場合は白虎が北壁の玄武の方を向いている。    (なお、高松塚古墳では唐のものと同じで、どちらも南壁を向いているとのこと) また、天井中央部に世界最古級の天文図が描かれている。    内規、外規、天の赤...
  • 纏向石塚古墳
    纒向遺跡に所在 奈良県桜井市太田字石塚262番地。箸墓古墳の北西約900メートルの位置。 全長96メートル、後円部径64メートル、高さ3.3メートル           前方部長44メートル、高さ0.9メートル  典型的な纒向型前方後円墳。 1945年、高射砲陣地築造のため墳丘の半分以上が削り取られたという。 後円部を囲む濠は幅20メートル、一方前方部(突出部)ではその幅が6メートルにまで狭まっている。 ちょうどくびれた辺りの周濠内に、白木の柱の根本部分が立ったまま発見された。    古墳側面の前方部・後円部の間のくびれた部分に、築造当時白木の柱が立っていたとみられる。 周濠から、鶏を象った、赤く染色された木製品が出土している。 同古墳の南側の濠の中から、「弧文円板」と名付けられた板が一枚出土した。  弧帯文様が彫られた木製の板。 (弧帯文様については、石積槨...
  • 城の山古墳
    新潟県胎内市に所在。 楕円形をした、直径約41mの円墳。    ……とされていたが、2014年の発表により、新たに全長62mの前方後円墳である事が判明し、    同時に菖蒲塚古墳にかわって日本海側最北の前方後円墳となった。    ……とされていたが、2015年、前方後円墳と判断した根拠であるコの字型の溝が    15世紀のものであると判明したため、訂正され円墳であるとされた。 (zsphereコメント:勘弁していただきたい) 古墳時代前期(4世紀前半)の築造とみられる。 2013年、この古墳から発掘された銅鏡が、中国製の可能性の高い「盤龍鏡」である事が発表されている。    この鏡は直径約10センチ、龍の姿が描かれており、    作られた時期は後漢(1世紀後半~2世紀前半)もしくは魏晋(3世紀中ごろ)時代の可能性があるという。 また、同古墳からは、弓につける鉄...
  • 五色塚古墳
    兵庫県神戸市垂水区に所在。 全長192mの前方後円墳。同県最大。 「千壺古墳」「五色山古墳」などの異称も伝わる。 墳丘上には円筒埴輪や朝顔型埴輪が推定で2200本並んでいたともされる。       参考文献 神戸新聞NEXT 2015年2月14日記事
  • 宇田見古墳
    島根県隠岐郡海士(あま)町に所在。 隠岐島にある前方後円墳。全長10メートルほどで、    現在知られている限りではおそらく最小規模の前方後円墳であろうとのこと。 (『古墳』土生田純之) 古墳 (歴史文化ライブラリー)
  • 遠見塚古墳
    栃木県壬生に所在。 かつては三番塚古墳と呼ばれていた。2016年9月からの調査により、    消滅したと言われていた幻の遠見塚古墳の石室が確認された。 石室は「複室胴張り石室」。複数の部屋があり、側壁が弓状に張っているのが特徴。 石室の全長は約9mで、県内最大級であるという。       参考文献 下野新聞2016年11月16日記事
  • 五塚原古墳
    京都府向日市寺戸町に所在。 三世紀後半の前方後円墳。 2014年の調査で、箸墓古墳と同じ形に作られた中で最古級の古墳である事が判明。    「斜路状平坦面(側面にある平坦な段が、くびれ部から前方部へ向けてゆるやかな勾配をつけて上っている)」など、    箸墓に特異な形状を持っていた事が判明したという。 また、近くに、日本最古の祭祀施設があったとされる中海道遺跡もあり、その関連性も指摘されていると云々。       参考文献 京都新聞2014年11月10日記事
  • メスリ山古墳
    独立丘陵を整形して作られた前方後円墳。 後円部頂に、竪穴式石室。その周囲を、大型円筒埴輪が方形に、二重に立てられていた。 (『シリーズ「遺跡を学ぶ」035 最初の巨大古墳 箸墓古墳』清水眞一)
  • 宇津久志古墳
    京都府長岡京市に所在。 五世紀前半の古墳。 1988年、この古墳から国内最古級の重層ガラス玉が発見される。    (重層ガラス玉は、ガラスの間に金箔などの装飾を挟み込んだガラス玉)。 2012年6月、奈良文化財研究所は、蛍光X線分析調査により、    主原料や材料の組成などから、同ガラス玉が古代ローマ製である可能性が高いと発表した。 (時事ドットコム 2012年6月21日付記事)
  • 甲塚古墳
    栃木県下野市に所在。 同古墳から、2014年に2基の織機の埴輪が出土。    6世紀ころから使用され始めたと見られる織機と、4世紀から使用されていた伝統的な織機で、    全体像がほぼ再現されていた。    また、それぞれに機を織る女性の埴輪も付随しており、    織機や糸、女性の着衣などに鉱物系の赤、白の顔料も検出された由。       参考文献 時事ドットコム2014年3月5日記事
  • 石舞台古墳
    奈良県明日香村に所在。 古墳上部に乗っている天井石の重量は77トンに達する。       参考文献 『日本神話の考古学』森浩一 日本神話の考古学 (朝日文庫)
  • 桜井茶臼山古墳
    奈良県桜井市所在。全長200メートルの前方後円墳。 古墳時代前期前半に築造されたとみられる。 墳丘は前方後円形の段築を二段重ねた上に、後円部にだけ円墳状の三段目を築いた特殊な形態。 石室のために掘り込まれた墓壙は南北約11m、東西約4.8m、深さ約2.9m。 2009年の再発掘により、多大な発見が相次いだ。 竪穴式石室に、きわめて多量の水銀朱が使用されていた。 天井石を覆う粘土にもベンガラを練り込み、赤色にしていた。 墳頂部に築かれた方形壇(11.7m×9.2m)には二重口縁壺が並べられ、その内側で火を使用した儀礼の    行われた跡があること。 方形壇の裾に幅・深さともに1.4m前後の溝があり、    その中心に沿って直径約30cmの木柱が立て並べられていた。 石室内に残存していた鏡は、三角縁神獣鏡含む81面以上。    これは、それまで知られていた鏡の埋...
  • 藤ノ木古墳
    奈良県斑鳩町に所在。 直径約50メートルの円墳。 前方後円墳全盛の時代の円墳というのが特色として挙げられる。 1985年の第一次調査の際、横穴式石室内にて未盗掘の家形石棺が発見された。    また、棺内から銅鏡、金銅製装身具や大刀が発見されている。 石棺の中には二体の人骨が葬られていた。    石棺内には水とヘドロがたまった状態で発見されており、腐食のため北側の人骨には頭部がなく、    南側は足の部分のみ残っていた。 人類学の鑑定から、北側の人物は身長1m65cm前後の男性、南側の人物はそれより足の指の骨が長く    おそらく更に背が高くなり、おそらく男性とされる。    血液型はどちらもB型との由。 2011年11月26日、南側の人骨がガラス製の足玉、手玉など、身分の高い巫女に見られるような    装飾品を身に着けていたことから、南側の人物が女装した状...
  • 菖蒲塚古墳
    新潟県新潟市西蒲区竹野町に所在。全長53m。 弥彦山脈の最北、角田山の山麓に位置する。 日本海側で最北端に位置する前方後円墳。 行基が開基したとの伝のある、金仙寺の境内にあたる。    寺伝に、平家によって宇治川に敗死した源頼政が実は生き延びて    この金仙寺にて没したといい、頼政の妾である菖蒲御前が頼政の菩提と弔って    小堂を建立、空海作の観音像を安置したとする。    菖蒲塚古墳は、この頼政の墓であると伝わっている由。       参考文献 47ニュース 2014年11月12日記事 ISIS本座『バジラな神々』第8柱・第9柱-4
  • 国富中村古墳
    島根県出雲市に所在。 直径約30mの円墳。    全長9.3m以上の横穴式石室を持ち、2002年の発見当時、    後世の侵入の形跡を持たない未盗掘古墳だった。 玄室無いの家形石棺は蓋石が三つに割られ、副葬品も壊した状態でばら撒かれていた。    土砂の堆積状況から、これらの状況は埋葬から十数年後に、二度に渡って行われたと見られる。 石棺内には、特定の一ヶ所にリンを高濃度で検出、石室に入った際、骨を一ヶ所に集めたと見られる。 また、石室内に飲食や調理用の土器が安置されていたが、これらは埋葬時ではなく、    埋葬から十数年以内の時期に副葬品の破壊と共に行われたと見られ、    当時の葬送儀礼の一端を知る手掛かりとなる可能性がある。    (研究者の中には、これを黄泉国神話のヨモツヘグイと関連させる見方もある) ただし、たとえば畿内の藤ノ木古墳などでは同じ未盗...
  • 石塚山古墳
    福岡県京都郡(みやこぐん)苅田(かんだ)町に所在。    苅田町役場のすぐ隣にある。 全長約110メートル。九州で最大・最古の前方後円墳ともいわれる。    後円部の直径は70メートル。 石棺に直接土をかぶせただけの簡素な構造の古墳であったとか。 また、三角縁神獣鏡が14面出土している。 (『邪馬台国への旅』) 邪馬台国への旅 日本全国・比定地トラベルガイド50
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