天文・天体現象

私的伝奇関係データベース @ ウィキ内検索 / 「天文・天体現象」で検索した結果

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  • 天文・天体現象
    太陽が別の方角へ昇る/落ちる 【済】太陽が複数昇る 太陽を射る 【済】月が複数昇る 落ちてきた星が硬貨になる 天を射る
  • 説話モチーフ
    ...自然現象 ☆天文・天体現象 ☆発見 ☆怪異 ☆奇跡 ☆妖怪・魔物・神獣など ☆幽霊談 ☆冥界・地獄 ☆呪術・魔術       ☆未整理 妹が兄たちを探しに旅をする 身内を人の姿に戻す 名前を当てて撃退する 道しるべに穀物などを落とすが鳥に食べられてしまう 貧乏な家と富裕な家に宿を借りに行く 外に出て一番最初に出会った人に何かを頼む 着飾って舞踏会に参加し立ち去る 男が恋人の事を忘れ、女が思い出させる 谷底の宝石を鳥に持ち出させる 無生物を裁判にかける 娘を人身御供に差し出す
  • 観勒
    百済からの渡来僧 暦本はじめ、天文・地理書、遁甲方術書を献上した。それらの書籍をもとに、    陽胡史(やこのおびと)の祖、玉陳(たまふる)は暦法、    大友村主(すぐり)高聡は天文と遁甲を、    山背臣日立は方術を学んだという。 その後、蘇我氏のたてた法興寺に住したという。 『三代実録』によれば、陰陽頭大春日真野麻呂の奏上した中に、   「観勒のもたらした暦術は未だ世に行われなかった」とある由。   少なくとも暦分野においては実践にまでは至っていなかったらしく見える。 (『日本陰陽道史総説』村山修一) 日本陰陽道史総説
  • 天文方
    江戸幕府の職掌の一つ。 天体観測、および暦の編集を行う。 1684年、渋川春海が初代天文方に任じられた。    しかしその後、世襲制により息子の渋川昔尹(ひさただ)が二代目に就任するが    わずか4年後、33歳で病死。やむなく甥にあたる渋川敬尹を養子として家督を譲ったが、    それから半年後に春海も死去。敬尹は天文暦学の勉強をしたことが無く、    以降、天文方の編暦は外部の学者がオブザーバーにつく形で行われる事になる。      参考文献 『天文方と陰陽道』林淳
  • 天文学
    太陽 月 惑星 太陽系 彗星 星 星座 こぎつね座CK 隕石       天文現象 日食
  • 天体望遠鏡(引用)
    望遠鏡は、昔の哲学者たちにとっては存在しなかった、いかに多くの存在を発見してくれたことだろう。人は、聖書が星の数の多いことを記しているのを公然と非難し、「星は千二十二しかないのだ。われわれはちゃんと知っている」と言っていた。                                        パスカル『パンセ』 (zsphereコメント:プトレマイオスの天文学にある星の目録が1202の星を挙げていた事にちなむとのこと。           地動説はじめ、天文学まわりでは守旧の象徴的に絡む事が多いキリスト教が認識の更新を喜ぶ側にいるのが           そこはかとなく面白かったり)
  • 1699年
    元禄十二年      重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 渋川春海、『天文成象図』を出版。日本人の観測記録を初めて取り入れた天体図。       61の星座、308の星を掲載する。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 天文学に関する引用文
    【済】宇宙(引用) 【済】地球(引用) 【済】月(引用) 【済】天体望遠鏡(引用)
  • ティコ・ブラーエ
    デンマークの天文学者。 肉眼による詳細な天体観測を行う。 ティコ・ブラーエ自身は、天動説と地動説を折衷したような宇宙観を提唱していた。    太陽の周りを木星、金星が特有な周期で回り、    その太陽は地球の周りを一年に一回の周期で回っているとする。 (『ルネサンス文化と科学』澤井繁男) ルネサンス文化と科学 (世界史リブレット)
  • こぎつね座CK
    17世紀に観測された、天体爆発の残骸を指す。    ダンベルのような形をした暗い星雲。 1670年(W)6月、はくちょう座の頭付近で、それまで見られなかった新しい星が観測される。    この星は秋になって消えたが、翌1671年(W)に再度出現し、かつてなく明るく輝いた。    同年10月まで観測されていたがその後消滅、翌1672年(W)にわずかに観測された後、    二度と見られなくなった。 この天体は、ヘヴェリウスやジョバンニ・カッシーニらが観測、記録した事で知られる。 当初、この天体は記録に残る最古の新星だと考えられていた。    しかし2015年『nature』に発表された論文は、これは二つの星が激しく衝突する、    レッドトランジェント(高輝度赤色新星)と呼ばれる珍しい現象であったとする。    観測の結果、多量の重窒素や、普通の新星には見られない荷...
  • 引用
    【済】気象・天候に関する引用文 【済】災害に関する引用文 【済】動物に関する引用文 植物に関する引用文 鉱物に関する引用文 建築に関する引用文 食品に関する引用文 身体に関する引用文 衣類に関する引用文 音楽に関する引用文 物品に関する引用文 乗り物に関する引用文 生活に関する引用文 風景に関する引用文 イベント・行事に関する引用文 職業・役職に関する引用文 民俗に関する引用文 俗信に関する引用文 宗教に関する引用文 戦争に関する引用文 社会に関する引用文 文化に関する引用文 文学に関する引用文 哲学思想に関する引用文 科学に関する引用文 生物学に関する引用文 地理学に関する引用文 【済】歴史学に関する引用文 【済】天文学に関する引用文 数学に関する引用文 コンピュータ・情報工学に関する引用文 歴史上...
  • 江戸学術年表
    1605年(慶長十年)       林羅山、徳川家康に拝謁。信任を得る。 1607年(慶長十二年)       李時珍『本草綱目』、長崎に渡来 1613年(慶長十八年)       東インド会社の商船船長セーリス、徳川家康に望遠鏡と虫眼鏡を贈る。       (一説に、日本人で最初に望遠鏡をのぞいたのは家康であるとも言う) 1627年(寛永四年)       吉田光由『塵劫記』刊行 1630年(寛永七年)       林羅山、上野忍岡に林家の家塾を開設 1690年(元禄三年)       林家の家塾、神田湯島に移転。昌平黌と呼ばれるようになる。 1691年(元禄四年)       徳川綱吉、湯島聖堂にて自ら経書(儒学経典)を講ずる。 1699年(元禄十二年)       渋川春海、『天文成象図』を刊行。日本人...
  • 天文
    熒惑星 太白星 老人星 北斗七星 天の川 彗星 流星 蚩尤旗
  • 天文学者
    ティコ・ブラーエ(1546年(W)~1601年(W))
  • 仙台藩
    貞享改暦後、天文方となった渋川春海の元へ、遠藤盛俊などを藩命により暦学の学習に派遣しており、   春海の死後は遠藤が渋川家の後見人となり、仙台藩士の入間川市十郎を渋川家の養子に入れるなど   強い関係性を持っていたという。 また、仙台藩の天文方は渋川家の天文暦学の道具や、秘伝の書物も多く継承したという。       参考文献 『天文方と陰陽道』林淳 天文方と陰陽道 (日本史リブレット)
  • 日本天文年表
    1741年(寛保元年)6月8日 佐賀県小城市に隕石が落下。 1886年(明治十九年)10月26日 鹿児島県の広範囲に隕石雨が降る。
  • 薩摩藩
    現在の鹿児島県 江戸時代、幕府から藩内の作暦を許されていた唯一の藩と言われる。    1685年の貞享改暦以降、改暦の度に天文方へ暦学者を派遣、弟子入りさせ    天文暦学を学ばせていたという。    (ただし、一般民衆は伊勢の御師が配りに来る伊勢暦を使用していたとか)    参考文献 『天文方と陰陽道』林淳
  • 1765年
    明和二年      重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 牛込の火除地に、天文観測のための取調所が設置される。    従来の天文観測施設と違い、改暦などの目的達成後も継続的に観測が続けられる天文台となった。      文学・芸術 大坂にて、漢詩の同好サークル「混沌社」結成。盟主は当時四十三歳の片山北海。      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 陰陽道文献
    天平宝字元年十一月、医生、針生、天文生、陰陽生、暦算生が    学ぶべき典籍の指示が行われた。以下の通り。   天文生……『天官書』、漢晋の『天文志』、『三色簿賛』、『韓楊要集』   陰陽生……『周易』、『新撰陰陽書』、『黄帝金匱』、『五行大義』   暦算生……漢晋の『律暦志』、『大衍暦議』、『九章』、『六章』、『周髀』、『定天論』 (『日本陰陽道史総説』村山修一) 日本陰陽道史総説
  • 織田信秀
    織田信長の父親。 1552年(天文二十一年)三月没(他に天文十八年説、二十年説もある) (『戦争の日本史13 信長の天下布武への道』谷口克広) 1541年(天文十年)、伊勢外宮仮殿造替費を独力で捻出、    その朝賞として後奈良天皇より三河守に任ぜられる。 1543年(天文十二年)、土御門内裏の修理費として四千貫の銭貨を献上。    戦国諸侯から天皇への献金の中では、未曽有の最高額という。 (『信長と天皇』今谷明) 信秀の経済力は、当時の伊勢湾舟運の湊の一つである津島を    支配下においていたためと見られる。    この津島には津島神社があり、かつては牛頭天王社だった。 その後、信秀は居城を古渡城(ふるわたりじょう)に移しているが、    そのすぐ近くに伊勢湾舟運のもう一つの大きな湊である熱田湊があった。 (『信長 徹底分析十...
  • シーボルト事件
    1828年(文政十一年)、シーボルトが帰国に際し、    国禁の日本地図、蝦夷・樺太の地図などを持ち出したため、国外追放処分となった事件。    長崎港に停泊していたオランダ船が台風で大破したため発覚。 ロシア船南下など対外危機が高まっていた時期に起きたため、幕閣に大きな衝撃を与えたという。 シーボルトに地図などを渡した幕府天文方の高橋景保は、この責を負って死罪となった。 シーボルト自身も、1830年(天保元年)に国外退去となっている。       参考文献 『天文方と陰陽道』林淳 『解体新書の謎』大城孟 天文方と陰陽道 (日本史リブレット) 解体新書の謎
  • 陰陽寮
    壬申の乱ののち、天武天皇の代に成立。 養老律令によれば、中務省に属す。構成員として、   陰陽頭一人、その下に助・允・大属、小属各一人、   陰陽師六人、陰陽博士一人→陰陽生十人を教える   暦博士一人、造暦と暦生十人を教育。   天文博士一人、天文生十人を教育。   漏刻博士二人、守辰丁二十人を率いる。   その他、使部二十人、直丁三人。   合わせて頭以下八十九名。 ちなみに唐で同様の(天文、漏刻などの)役割を担う太史局は   職員合計千五十四人を擁する。   (ただし、陰陽道関係は別に組織があり、ここには含めない) 淳仁天皇・藤原仲麻呂の時代、    名前を唐風の「太史局」に改められている。 (『日本陰陽道史総説』村山修一) 日本陰陽道史総説
  • 太陽系
    太陽系の各惑星がギリシャ神話の神々の名前で呼ばれるようになったのは、    文献上ではプラトン晩年の作(もしくはその直弟子の作)である『エピノミス』が最初で、    それ以前では「明けの明星」を「heosphoros(夜明けをもたらすもの)」または    「heoios aster(夜明けの星)」で、「宵の明星」が「hesperos aster(晩方の星)」として    出ているのが見られるくらいであるという。金星以外の惑星についての記述は今のところ知られていないとか。 アリストテレスは『形而上学』の中で、物事の運動の中でもっとも最初のものを天体の運動であるとし、    その最初の運動の始動因となった第一の実体を神々にあて、天体の運動パターンの数だけの神を想定しており、    それに連動して各惑星をギリシャ神話の神々の名前で列挙している。    すなわち金星をアプロディ...
  • 朱舜水
    明末の儒学者。 1659年(万治二年)、長崎へと亡命してくる。 水戸藩の徳川光圀に招かれて儒教を教える身となり、日本の儒学者に大きな影響を与えた。       参考文献 『天文方と陰陽道』林淳 天文方と陰陽道 (日本史リブレット)
  • 1746年
    延享三年      重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 徳川吉宗、神田佐久間町(現・千代田区神田佐久間町)に天文台を建設。 (ただし、恒久的に設置される天文台ではない)      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 徳川吉宗
    徳川八代将軍 吉宗の侍講、室鳩巣は、吉宗について「御文盲に御座なられ候」など、    その知識教養について『兼山秘策』で酷評している。    また六代将軍徳川家宣の正室天英院の父、近衛基煕(このえもとひろ)も、    日記の中で吉宗を評して「和歌においては尤も無骨なり、笑ふべし」としている。    即ち、当時の教養である儒学や和歌は不得手であったらしい。 江戸城内の中奥の一角に、専用の書庫「御書物部屋」を設置した。    このような部屋を設けたのは徳川将軍の中で吉宗のみ。 稲生若水の本草学の大著『庶物類纂』三六二巻を、幕府官医の丹羽正伯(にわしょうはく)に    増補させ、地域ごとに呼び方が異なる産物の比定などが進められ、    最終的には全一五一四巻としてまとめられたという。 (zsphereコメント:Sugeeeeee!! 1514巻ってw 大蔵経以外で...
  • 千葉歳胤
    千葉歳胤(1713~1789) 暦学、和算を修めた。 日食の予測計算を行った事で有名。 死後、門弟たちによって請願があり、天文霊神の神号が与えられている。  寛政2年(1790年)、歳胤が若き日に籠って学問に励んだという洞窟の前に天文霊神社が建てられる。  場所は埼玉県飯能市虎秀。
  • 妖刀村正
    徳川氏の創業史『改定三河後風土記』によると、   天文四年(1535年)尾張・守山の陣中で徳川家康の祖父、松平清康が   家臣の阿部弥七郎に惨殺された事件   天文十四年(1545年)岡崎城内(愛知県岡崎市)で、家康の父、広忠が   家臣の岩松八弥に股を突かれた事件   天正七年(1579年)家康の長子、徳川信康切腹の際の介錯   以上すべて、妖刀村正が使われたという。 (『魔界と妖界の日本史』上島敏昭) 魔界と妖界の日本史
  • 隕石
    大まかに、球粒隕石、無球粒隕石、鉄隕石、などの種類が存在する。    球粒隕石は一度も融解されたことの無い、太陽系を作った物質がそのまま残されている隕石。    無球粒隕石と鉄隕石は、球粒隕石が集まって天体になった結果、内部が解けて重い金属部分が中心部に集まり金属の核(コア)が形成される、    またコアの周辺には岩石質のマントルが形成される、    これらが、天体が衝突で壊れた場合にコア→鉄隕石に、マントル→無球粒隕石にそれぞれ変化する。 隕石の年代測定を行った場合、一部の例外を除き、ほぼ全てが46億年前を示す事が知られている。    このことから、太陽系の形成された時期が約46億年前であったと推定されていると云々。 また、鉄隕石や無球粒隕石も年代測定で約46億年前を示しており、惑星の成長開始が太陽系形成のかなり早い段階で    始まっただろうと予測される根拠と...
  • キトラ古墳
    奈良県高市郡明日香村に所在。 墳丘は直径13.8mの小型の円墳。 石室に複数の壁画が発見されて話題になる。    南壁に朱雀、東壁に青龍、西壁に白虎、北壁に玄武が描かれている。    さらにその下に、十二支像を各方位3種ずつ配していたものと思われる    (現在は北壁を中心とした一部のみ確認されている) 「キトラ」という古墳名は、発見当初、四神のうち玄武と白虎の壁画が先に確認されたことから、     「亀虎」古墳と命名されたのが由来とのこと。 中国唐代の古墳に四神が描かれる場合、東壁の青龍と西壁の白虎は共に南壁の朱雀の方を向いているが、    キトラ古墳の場合は白虎が北壁の玄武の方を向いている。    (なお、高松塚古墳では唐のものと同じで、どちらも南壁を向いているとのこと) また、天井中央部に世界最古級の天文図が描かれている。    内規、外規、天の赤...
  • 天候・自然現象
    風を袋に閉じ込める 【済】雷に打たれる 雷を呼び出す 空から異物が降る 地割れに呑まれる
  • 織田信長関連年表
    1534年(天文三年)、織田信秀の嫡男として生まれる。 1548年(天文十七年)、十五歳で、斎藤道三の娘を娶る。 1552年(天文二十一年)三月、織田信秀没(他に天文十八年説、二十年説もある)                  赤塚の戦い。信長にとって初の実戦 1556年(弘治二年)八月、稲生の戦い。弟・信勝の軍と衝突する。               この戦いで信長は先頭に立ち、敵の主将林美作守を自ら討ち取ったとか。 1560年(永禄三年) 桶狭間の戦い 1568年(永禄十一年)織田信長と足利義昭、入洛。                同年、足利義昭、征夷大将軍の宣下を受ける。 1570年(元亀元年) 浅井長政、謀反                 姉川の戦い                 本願寺、信長を攻撃                 志...
  • 長崎屋
    日本橋本石町にあった薬種問屋。  長崎から毎年江戸城登城のためやってくるオランダ商館長一行の定宿だった。 ただし、誰もがオランダ人に会えたわけではなく、幕府の医師や天文方の役人が幕府に面会を申請し、    許可された場合にのみ面談が可能になった。それ以外の一般医師や本草学者は、幕府医師や天文方の門人という扱いで    面談に加わる事がどうやら可能であったらしいとのこと。 平賀源内や杉田玄白もここで蘭書を購入していた。  その翻訳である『解体新書』も日本橋の書物問屋須原市兵衛(須原屋)で売られるなど、  日本橋自体がヨーロッパとの窓口といえる場所であった。       参考文献 『江戸を歩く』田中優子 『江戸の文人サロン』揖斐高 ヴィジュアル版 江戸を歩く (集英社新書) 江戸の文人サロン―知識人と芸術家たち (歴史文化ライブラリー)
  • 安倍晴明
    天文得業生から、陰陽師、天文博士、主計権助、大膳大夫などを経て、従四位下左京権大夫に至る。  40歳でいまだ天文得業生と前半生は不遇だったが、50歳ごろに陰陽師から天文博士とすすみ、貞元二年(977年)に賀茂保憲が没したころから次第に陰陽道内で頭角を現す。  陰陽頭に就任することはなかったが位階は当時の陰陽頭よりも上であり、60歳頃から85歳で死ぬまで陰陽道の位階第一の上首としての地位を保つ。 安倍氏の系図によれば、父は大膳大夫益材。陰陽道上の師は『今昔物語集』では賀茂忠行、『続古事談』では忠行の子息の保憲とある。いずれにしろ、賀茂氏の門下生だった。 『中右記』において、既に陰陽師としての地位を確立していた晴明は、天徳四年(960年)の内裏火災で焼損した霊剣の「護身剣」「破邪剣」について、自分が天皇の宣旨を賜って霊権の図を勘申しこれを作らせたと主張する記事が見える。また、その際...
  • 江戸幕府
       職掌 天文方    直営機関 昌平坂学問所    藩 仙台藩 高松藩 薩摩藩
  • 1793年
    寛政五年      重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術 七月二十日、橘南蹊宅で、望遠鏡を用いた天体観望会が催される。    日、月、惑星の他、天の川やアンドロメダ星雲なども観測していると云々。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 使えそうな言葉(西洋)
    ウラニボルグ ……ティコ・ブラーエがコペンハーゲン沖合のヴェン島に持っていた天文台。           「天の城」という意味。
  • 国友一貫斎
    近江国国友村出身の鉄砲鍛冶師。    また、様々な発明や天文観測などを行うなどの事績を持つ知識人。 本名は国友藤兵衛。幼名藤一。    一貫斎の他、眠龍、能当などとも号した。 1778年(安永七年)十月三日生まれ。     1811年(文化八年)、彦根藩が国友村の年寄職を通さず一貫斎に仕事を依頼し問題となった     彦根事件が発生、調停のため、1816年(文化十三年)江戸へ出る。     1821年(文政四年)まで江戸に滞在し、当地の知識人たちと交流した。 平田篤胤とも交流があった。    篤胤の門人を列挙した『誓詞帳』の記述を信じるなら、一貫斎は1820年(文政三年)、    篤胤が天狗小僧寅吉と出会ったのとほぼ同時期と見られる。 また、一貫斎は、『仙境異聞』の中で、「国友能当」の名で寅吉への質問者として登場してもいる。    一貫斎文書には「仙...
  • 笑話
    天文観測しようとした学者が穴に落ちて冷やかされる 食べ物の匂いへの代金に銭の音だけ聞かせる
  • 1541年
    天文十年      重大事件      政権      外交      生誕      死去      宗教界 織田信秀、伊勢外宮仮殿の造替費を独力で捻出・献上    (信秀はその功績により、朝廷より三河守を任じられる)      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1549年
    天文十八年      重大事件 薩摩国(鹿児島県)にフランシスコ・ザビエル上陸。キリスト教が伝来する。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 1828年
    文政十一年      重大事件 シーボルト事件。シーボルトが帰国に際し、国禁の日本地図等を持ち出そうとした事が発覚した事件。    シーボルトに地図を渡した天文方高橋景保は死罪。      政権      外交      生誕      死去      宗教界      学術      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • テーマ別年表一覧(日本)
    日本災害年表 日本天文年表 神道関連年表 江戸学術年表 江戸技術史年表 江戸出版物年表 江戸イベント・集会年表 江戸事件年表    寺社関連年表 延暦寺年表 祇園社関連年表 八幡神関連年表 嗷訴関連年表    人物関連年表 織田信長関連年表 平賀源内関連年表    地域別年表 大宰府関連年表
  • 1543年
    天文十二年    重大事件 太陽暦9月23日(旧暦8月25日)種子島に中国ジャンク船漂着。     同乗していたポルトガル人を介して鉄砲伝来。    政権 織田信秀、土御門内裏の修理費として四千貫の巨費を朝廷へ献上    外交    生誕    死去    宗教界    学術    文学・芸術    市井    地方 種子島に鉄砲伝来    伝説など(史実かどうか疑わしいもの)    その他
  • 楽市楽座
    「楽市」の史料上の初見は、南近江の六角義賢の居城、    観音寺城下の石寺新市といわれている。    六角氏奉行人連署奉書の天文十八年(1549年)十二月十一日付で確認できる。 (つまり、楽市楽座自体は、織田信長の創意ではなかったということ。) (『信長 徹底分析十七章』小和田哲男) 信長―徹底分析十七章
  • 1826年
    文政九年      重大事件      政権      外交 シーボルト、オランダ商館長(カピタン)の江戸参府に同行。    天文方高橋景保や最上徳内などと面会する。      生誕      死去      宗教界      学術 大槻玄沢『重訂解体新書』刊行。杉田玄白の意向を受け、52年前に刊行された    『解体新書』の改訂を行ったもの。      文学・芸術      市井      地方      伝説など(史実かどうか疑わしいもの)      その他
  • 鉄砲
    1543年(天文十二年)八月二十五日、種子島に伝来される。 銃身部分は、鉄の棒に穴をあけているわけではなく、鉄の板を巻く形で製作される。 それまで、日本にはネジが存在せず、鉄砲の伝来はネジの伝来をも意味すると云々。 (『江戸時代の科学技術』市立長浜城歴史博物館) 江戸時代の科学技術―国友一貫斎から広がる世界
  • 引用件名索引た行
          ☆た ダイエット(引用) 大カトー(引用) 退屈(引用) 対蹠地(引用) 怠惰(引用) 大砲(引用) 宝(引用) 多数決(引用) 黄昏時(引用) 戦い(引用) 竪琴(引用) 楽しみ(引用) 卵(引用) 多様性(引用) 男女(引用)       ☆ち 知恵(引用) 知恵の実(引用) 地球(引用) 知識(引用) 知者(引用) チョコレート(引用) 地理(引用)       ☆つ 月(引用) 壺(引用) 罪(引用)       ☆て 手(引用) テーブル(引用) 敵(引用) 手を洗う(引用) 天気予報(引用) 伝説(引用) 天体望遠鏡(引用)       ☆と 毒(引用) 統計(引用) 時計(引用) 土地(引用) トビ(引用) 富(引用) ドラゴン(引用) トランプ...
  • 何でも見える遠眼鏡
    『グリム童話集』「名人四人兄弟」〈KHM129〉    →貧乏な家の四兄弟が世間に旅立って、それぞれ技を体得して帰って来る。     次男は天文のぞきの修業をして、何でも見える遠眼鏡をもらって帰って来る。     やがて他の技や道具を得てきた兄弟といっしょに、ドラゴンにさらわれた姫を救出する       参考文献 『完訳グリム童話集(4)』 完訳 グリム童話集〈4〉 (岩波文庫)
  • 蚩尤旗
    気象のひとつ。 赤気ともいう。 これがあらわれると王が四方を征伐する、と『史記』天官書、『後漢書』天文志にある。 『平家物語』巻三「祓文」の段に、治承二年(1178年)正月七日にこの    蚩尤気(旗)が出た、とする記事がある。    『百錬抄』、『玉葉』、『山槐記』などの記事から、この日時に出たのは彗星だったと見られている。       参考文献 『平家物語(三)』 平家物語(三) (講談社学術文庫)
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